自然と二グループに分かれていたちゃぶ台周りであったが、喋るスポンジ君の登場で塵塚・冬華コンビの意識が此方に戻り元の四人に加え私の前に鎮座する一個で会議が再開される。 怪異の説明を受ける裏で何やら盛り上がっていた二人だがその内容は私の事であったらしく、何も理解していない本人のいない方が話がよほど進んでよかったとみえた。
台所から持って、もとい連れてこられたスポンジ君はどうやら口を開いてしまったことをまずい事と認識しているらしく、先ほどの悲鳴をなかったこととしたいのか今は黙って緑の面を私に向けているがもう遅い。 小動物のお腹をくすぐるよう黄色い山脈や突起の付け根をこちょこちょしてやると、時折小刻みに震えたり小さく漏れる呻き声がただの清掃道具ではないことを証明していた。
「台座よそろそろ勘弁してやれ。そして清子も我慢せずともよい。この者達には怪異のことを隠す必要がないのだ。」
少年が言うやいなや指先で突いていたスポンジ君が飛び跳ねるように直立し、短側面に並んだ二つの突起を足の様に動かして卓の反対側へちょこちょこと駆けて行く。 足が短いので歩幅が狭く正直遅いので捕まえることも容易だが、その回転数から全速力であろうことが伝わって来たのでいけずはせず穏やかな気持ちで眺めてあげた。 さっきはただの道具だと思っていた物が喋ったことに驚いてつい力んで握りつぶしてしまったが、こうしてみると中々可愛いかもしれない。たっぷり十秒ほどかけて対岸に座す家主の膝にダイブしたのを見届けてから話を再開した。
「山川から怪異について聞いてたんだけど、具体的になんていう怪異が私の身長を奪ってるの?」
今度は右手にではなく対面に向けて質問を放つ。 彼は膝の上に立ちこちらを伺うように少しだけ黄色い顔を覗かせているスポンジ君を優しくなでる手を止め、先程消滅することを宣告した時のようにお茶を少しだけ口に含みコクリと喉を鳴らしてから意を決したように口を開く。
「わからん。」
「わからんのかい!もったいぶって溜めはるからてっきり大物の名前が飛び出すんちゃうかとドキドキして損したわ!」
河童の勢いのある突っ込みに全面的に同意しながらいつの間にか強張っていた筋肉から力が抜けてしまう。きっと新喜劇なんかなら今の所で口を開いた本人以外全員ずっこけていただろう。 ちゃぶ台を囲む三人から湧き上がる不満など気に留めず、突っ込みに至っては聞こえなかったかのように言葉が続いた。
「しかし進行度合いから見てまだ数ヶ月の猶予はあるゆえ、それまでに犯人を見つけて取り返せば問題なかろう。」
「どうやって見つけるんですか?私の時は怪異本体が頻繁に表れていたので見つけるまでもなかったんですけど、マメの場合は少なくとも一ヶ月間見てないみたいみたいですし、もしかすると最後まで現れないってこともあるんじゃ。」
「問題ない。向こうから現れないのなら此方から向かうまでだ。」
冬華の言葉にはしっかり返答し不安を一蹴しつつ、左手で袖口を引っ張り右腕を羽織の内側に引っ込め袖内で何やらごそごそしてから再び現れた掌には、金色の懐中時計の様なものが握られていた。 大きさの割に重たいようで机の上にゴトリと置かれた円盤の上部に付けられたボタンを押すと、外れた留め具と勢いよく開き蓋が擦れたからかキンという音と共に内部が露になる。 そこには漆黒に一部が赤く塗られた文字盤と、それぞれまっすぐ伸びた金色の短い螺旋と銀のナイフを模した針が正反対を指し示していた。
「コンパス?」
学校で見たことのある物と違い、それぞれ独立した二本の針は時計の短針と長針に見えなくもないが、ぐらぐらと不安定な文字盤の一部が赤くなっており針ではなく下の板の方が方角を示すコンパスであることが見て取れた。 しかし文字盤の赤い菱形が北を指すのに対し、二つの針が両方とも北を示しておらず壊れているのではと手に取って少し振ってみたが、針達は微動だにせず逆に文字盤が不安定に揺れるばかりだ。
「こら手荒に扱わない!塵塚さんこれって≪迷子探し≫ですよね?」
「作用。どうやら使い方の説明はいらぬようだな。」
「はい、一度使われたことがあるので。マメ、掌を上にして出しなさい。」
「え、うん。」
指示された通り左手を出し様子を伺ていると冬華はコンパスを保護するガラスを外し中の金色の針を取り外す。 何となく嫌な予感がしたので手を引こうとしたがいつの間に彼女の右手が私の左手を覆うように固定していた。
「と、冬華さんや、何をしようというのかね?」
「針に手ときたらやることなんて縫うか刺す位しかないと思うのだけれど?危ないから動いちゃだめよ。」
不吉な答えに唇の端が引き攣るのを感じていると彼女の左手に握られる螺旋針が私の右手に近づいてくる。 反射的に逃れようとするが押さえつける細腕の何処にこれだけの力があるのか掌はびくともしない。 観念して目をぎゅっと瞑ってそっぽを向いているとチクリと指先へわずかな痛みが走り拘束が解かれるのを感じた。 おそるおそる目を開けて確認すると左手の指先には小さな血の半球が出来ているのを認め、それを舐めとりながら抗議の声を挙げようと左を向くと真剣な顔で針を元の位置に戻していたので喉元でぐっと堪えて待つ。 戻された針の先に付いた私の血液が針に掘られた溝を伝ってグルグルと螺旋を描きながらコンパスの中心へと到達し、その瞬間螺旋針がゆっくりと西方向を示しながらも迷っているかのように彷徨う反面、銀の刃針は迷いなく南を指示した。 どういう仕組み何だろうと観察していると、針の動きに遅れて文字盤に星のような物が灯り始め、それぞれで淡く明滅するのだった。
「このコンパスは吸わせた血の持ち主と、その人を困らせている何かを解決する手がかりの場所を教えてくれるの。」
「それを先に説明してから刺して欲しかったな。こっちにも心の準備ってもんがさ。」
「文句があるならあたしに同じようにした夏の自分を恨みなさい。どうせまた覚えてないって言うんだろうけど。」
またしても身に覚えのない記憶を持ち出され押し黙らざるを得ない。 話の様子から夏の事件に関しての彼女の記憶がまがい物ではないということは分かって来たのだが、であれば私のただ廃校に転がされされていただけという記憶の方が間違っているということになる。 今までは私の記憶の正しさを裏付ける内容しか報道されていなかったので極限状態でみた幻想だということで聞き流していたのだが、どうにも少年との会話の様子から彼女の主張は正しいようなのだ。
「羽曳野よあまり虐めてやるな。台座は本当に覚えておらんのだろう。怪異に関する記憶は基本的に消え、人間の世で辻褄が合うように出来ているのだからな。」
言い返せない私の様子を見かねたのか、正面に正座している少年がコンパスを袖に仕舞いながら説明するように口を開いた。 助け船に質問するのはアレかもしれないが、記憶が消えるというのは俄かには信じられないので聞き返そうとしたが、それより早く左手から声が上がる。
「記憶が消えるってどういう事ですか?確かに夏の事件では私の話は誰にも信じて貰えませんでしたし、物証もマメの話した通りの物しか出てこなくて妙だと思っていたんです。正直何度も自分に妄想癖があるんじゃないかって記憶を疑いましたし。」
「それも詮無き事。さっきも言ったが現在この星では人間が怪異に関わってもその記憶には残らず、仮に忘れぬよう記録をしても人の常識に合わせて置き換えられるようになっているのだ。」
そうだなと少し考えるような仕草の後、思いついたように膝の上のスポンジ君を再度卓上に登壇させて少年は言葉を続ける。
「こやつで例えれば分かり易いか。これは食器を洗う事から産まれた存在で使った食器を流し台に置いておくと自身の身体で綺麗にしてくれるのだが、例えばそれを携帯などで動画や写真に撮るとどうなると思う?」
「スポンジが一人でに動くポルターガイスト現象が映るんじゃ?」
「それは無いんじゃないかしら?記録をしても置き換えられるってことは既に綺麗になった食器が並んでいるとか、或いは何も起こらず食器は汚れたまま残っているという風に動画が書き換わるんだと思うわ。」
「では実践してみるか。台座よ、お前の使った食器とコイツを流しに持って行って仕事ぶりを動画に撮ってみるがいい。羽曳野も共に行きその様子をしっかり覚えておけ。」
話しに夢中になりながらもいつの間にか食べ終えていた空の木皿の上にスポンジ君を置かれたので、言われる儘に廊下を挟んだ斜向かいにある台所へとそれをもって行き、シンク内に皿と木のナイフを置いてスマホのカメラを構えると、スポンジ君が蛇口に飛びついて器用に水を出し脇に置いてある洗剤を体に塗ってから準備運動をするようにして泡を身に纏った。 再びシンク内に飛び込んで木皿の上で踊るように滑ったり人間で言うのなら腹筋に当たるであろう部分に皿の縁を挟んだりしてひとしきり泡塗れにした後、水ですすいでからシンク上にある水切り台へと運ぶ様子までバッチリ動画に収めることに成功する。 仕事を終えたスポンジ君はここが自分の特等席という感じでシンク脇の水切り台の脇に取り付けられた渇き場へと収まり、バイバイをするように小さな手を振っていたので冬華と二人で戻ると、今度は今撮ったばかりの動画を見るように告げられる。 カメラの録画機能から視聴アプリに切り替え二人で覗き込むように観てみると、そこには生きて動くスポンジではなく友人が何の変哲もないスポンジを手に食器を洗う姿が映されていた。
「どうだ、お前たちの記憶とは違うだろう?これが怪異と人間の関係だ。このように怪異の為したことは記録されない。いまある結果に対し最も不都合のないように記録は置き換えられ、人はその記録を見てそのままに認識する。ゆえに怪異は存在しないものとして扱われるようになったのだ。」
なるほどと頷く優等生の隣でなんとなく納得のいかない私は疑問を投げかける。
「それでもあたしや冬華みたいに記憶のある人が他の人に話せば怪異の仕業だって皆わかるんじゃない?」
「ではその動画を見せながら実はこれは書き換えられた偽の記録で、本当はスポンジが独りで動いて食器を洗ったのだと説明してみるがいい。おおよそ頭がおかしくなったか幻覚を見たと思われ、良くても陽気者の冗談としか取られぬだろうな。」
「でも私はともかく冬華が言うなら皆信じるんじゃ。」
自分の中では確かな事なのに信じて貰えない姿を想像し、そのもどかしさを想像して往生際の悪さから親友の名を出してからハッとする。 そういえば事件後に彼女と話した時、私は彼女の話を信じることは無く面白い話だね流石文系的な事を言って流してしまったことを思い出し隣を見ると、どの口がとでも言いたそうな目で圧の有る笑顔で私を見つめる顔に出くわし急いで口を噤んだ。 少年は私達の間に流れる空気から珍しく何かを察したのか、咳ばらいをしてから説明に戻ってくれる。
「とどのつまり、人間というものは他人の記憶よりも記録の方を信じやすいということだ。そして怪異に関する記憶というものは一部の例外を除き事が終われば当事者も忘れるように出来ているゆえ、人間の世では怪異は絶滅したということになっておるのだ。」
「では夏の事を覚えている私はその例外ってことなんですね。」
「作用。例外とは本人の身体に影響が出ている状況か或いはまだ事が終わっていない場合。そして最も消えやすく本人も記憶違いとして置き換えやすいが、思い入れや拘りのある何かに記憶が引っ張られている場合だ。台座に関しては今まさに事の真っ只中。覚えていられる内に解決できなければ誰の記憶からも消え、公的な記録からも消滅する可能性が高いと私は睨んでいる。」
そこまで聞いたところ少年はひとしきり話し終えたかのように茶を啜り客間がしんと静まり返る。 動画にスポンジ君ではなく冬華が洗っている様子が残っているのは怪異が記録に残らないからで、私に夏の事件の記憶が残っていないのも怪異に関することは記憶に残りづらいからということでいいのだろうか。 簡単なようだが腑に落ちていない私の隣ではなるほどと得心のいった様子なので更に質問をするのは何となく気が引け、三時の方向に目を向けるが真剣に話を聞いている少女の対面に座っているにも関わらず、河童はいつの間にか胡坐をかいたままコクリコクリと舟を漕いでいた。 てっきり真剣な話が続いているので茶化さずに静かにしているのだと思っていたのだが居眠りとは。 居間には鹿威しの石を打つ音と食器の立てる微音しかない中、そのしめやかな空間を割くようなけたたましい呼び鈴が鳴る。 そういえばといった具合に掛け時計を見上げた家主が玄関へ向かい戸を引くと、このあいだ見たばかりの美しい着物を纏いそれに負けない程の美貌を持つ狐人が立っているのが彼の肩越しに見えた。
「なにしているのよ行儀悪い。」
「いいから冬華もちょっとこっち来て見てみなよ。すんごい綺麗な女の人なんだから。」
今日は眠っていて動くことのない河童の代わりに、いつも彼が顔を出す位置に冬華が収まり二人で玄関を見つめていると、少年と二言三言交わした女性は今日は庭の方ではなく玄関で下駄を脱いでいるようで、此方にやって来ることを悟り急いで元の位置に戻る。 何事も無かったかのようにわざとらしくお茶を啜っていると少年に続いて客間にやって来た狐人はあら先客がいらしたのねと丁寧な挨拶をし、ついで私達へ質問を投げかけた。
「見た所人間のようですが、みなさん塵塚様の助手様なのですか?」