きみを育てる。
きみを育てる。
きみを育てる。
春の桜が咲く姿に
「永遠に咲いている気がする」
とつぶやいたきみを。
夏の日差しの下で空を見上げ
「あざやかでまぶしい」
と目を細めたきみを。
秋の夕焼けに
「炎のような色がやわらかくて美しい」
と笑ったきみを。
冬の、
冬のきみは、いない。
冬のきみをぼくは知らない。
きみを育てることはできない。
きみはひとつの種から生まれた。
ぼくが咲かせた白い花の中に、小さなきみがいた。
あたたかな春の始まりの日に、つややかな紫の目で、ぼくを見た。
春を、夏を、秋を、きみとすごした。
秋の半ばに、花は終わりを迎えた。
きみはいなくなった。
ぼくは春に再び花を咲かせた。
きみと会うために。
けれど、そこにいたきみは、前のきみとはちがっていた。
「マスター、そろそろ起きてください」
扉の向こうから少年の声が聞こえる。
「起きてるよ」
ぼくは机の前で椅子に座ったまま、本から顔をあげずに適当な返事をした。
部屋の扉が開かれ、助手の彼が入ってきた。
「また寝ていないんですね」
淡々とした口調だったけれど、彼の言いたいことはわかっている。仮眠か、着替えか、朝食か、だ。
昨夜、研究室から自室に戻ってきて、そのまま本を読み続けて朝を迎えた。
ぼくの様子とは対照的に、彼はきちんとアイロンがけされた白いえり付きシャツに濃紺のネクタイを締めて、黒い縁の眼鏡をかけている。
黒い髪の彼の顔立ちは、ぼくの十五歳のころによく似ていた。
十年前のぼくは、ネクタイなんてまともに結べなかったけれど。
「花の様子を見てから少し眠るよ」
ぼくは短く答えて本を閉じて立ち上がり、壁にかけていた白衣をはおると、彼を部屋に残して研究室に向かった。
ぼくは住居と研究室を兼ねた平屋で、もともと一人で暮らしていた。
一人きりで暮らすには広いが、だれかと一緒に暮らすことよりも、ここで植物を育てながら研究をするほうが性に合っていた。小さい温室と庭もある。申し分ない。
それが一昨年の冬、雨が降り出しそうな曇り空の寒い日に、少年がこの家に来た。『後見人』だという初老の男とともに。
狭い応接間で、灰色の背広を着た『後見人』が眼光鋭く、ぼくに向かい、言い放った。
「私にとって貴方は、『にせもの』でしかない」
その言葉は、今でもよく覚えている。
幾枚もの書類の束と『後見人』の説明は理解しがたく、戸惑い、疲れた。
少年は『後見人』の隣で、背すじを正して椅子に座ったまま、両ひざの上ににぎった拳を置いて黙っていた。最後に「助手になりたい」と告げた。
ぼくは断りたかった。
『後見人』もそれを望んでいた。「実に愚かだと思いますね」と何度も口にした。
それでも少年の固い意志をひるがえすことはできず、彼はぼくの助手として、二年間の契約でこの家に住むことが決まった。
敗因の一つには、ぼくの生活能力の低さもある。ぼくは研究室だけは整頓されていなければ気がすまないが、それ以外の生活空間は乱雑であってもかまわない。食事も適当にすませていた。
彼は助手だけでなく、この家の家政夫でもある。
彼はぼくを「マスター」と呼ぶけれど、雇用主だとか敬意とかの類とは関係がない。
ぼくがまだ大学院の学位を修士号しか取っていないからだ。
来年になり、博士号を取れば「ドクター」と呼ばれるようになるのかもしれないが、そのころ彼はもうこの家にはいない。
彼との契約は今年の冬で終わる。
今は庭に桜が咲いている。家の中は少し肌寒いけれど、日差しが届く場所なら温かい。
研究室の扉を開けると、中央の大きな木製の長方形の机よりも、窓際に置いてある大きな鉢植えへと一番に目がいく。
そこには白木蓮のように上向きにひらく白い花がひとつ咲いていた。
十センチほどの大きさの花びらが六枚。一年草だが、茎は細くても低木のように固い。葉はない。花が終わった後に出てくるはずだ。
ぼくは「二百日咲き続ける花」を作る研究をしていた。
去年の春にその花を咲かせることはできたし、実際に二百日、咲き続けた。
ただ、花びらの中には、人の形をした小さな生きものがいた。驚くぼくに、ビオラの花のような深い紫色のつややかな瞳を向けてきた。
頭と胴体と手足はある。手足に指はなく、先が丸い。全体的に白い。頭の上には若草色の髪のような束が乗っている。
花の中で、らせん状の雄しべの群れの上に腰かけていた。
重みで雄しべをつぶしてはいないか、確認したかった。
その生きものの手の先に、指先でそっと触れてみた。桜の花びらのように薄いけれど、かすかな感触があった。
「きみはとても軽いね」
「花だから」
小さなきみは、葉ずれのような声で答えた。
それから毎日のように、ぼくは小さなきみと、たわいもない話をした。研究室の窓から見える、空や草木について。
話しているあいだ、ぼくの心は安らいでいた。
花は二百日で終わり、緑色の葉が姿を現した。それとともに小さなきみは姿を消した。
ぼくはもう一度会いたくて、今年の春のはじめに同じ花を咲かせた。
同じ形の小さなきみも、花びらの中にいた。でも少しちがう。