第3話 試験終わりの居酒屋トーク3
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さんざん飲んで食べた4人。ビールジョッキが空になり、焼き鳥の串やポテトフライの皿がテーブルに積み重なっていた。店内の喧騒も少し落ち着き、そろそろお勘定の時間だ。瀬戸大翔が財布を取り出しながら、軽い口調で切り出した。「ヨコハマだとね、男子は女子に払わせないんだよ。高校でそういう風習だったしさ」
崎山美咲が即座に突っかかった。「長崎じゃあそういう風習はないっちゃ!男子に借りなんて長崎女は作らん!」
川島悠馬が穏やかに仲裁に入る。「まあ、給料も出たことだし、今回は奢らせてよ。大した金額でもないんだから」
長尾遥香が勢いよく割り込んだ。「昭和の時代とか、平成とかはともかく、令和は割り勘よ!割り勘!」彼女はビールをもう一口飲んで、歴史を語り出す。「昭和はさ、男が全部払うのが当たり前やったやん。平成になると、ちょっとずつ割り勘も増えてきたけど、まだ男が多めに払う感じやった。で、令和はもう完全に割り勘が主流っちゃね!」
美咲が少し黙ってから、ぽつりと漏らした。「デートだったら男子に奢られても良いけどね、だけど、これはデートじゃないんだから…」その『デート』という言葉に、4人は一瞬にして黙り込む。大翔が「…ええっと、18,000円だから、美咲と遥香が4,000円ずつ、俺と悠馬が5,000円ずつ。これでいいよね?」と無難な解決策を提案し、一同が納得して勘定を済ませた。
店を出た後、4人は駅前の通りを歩きながら、それぞれ心の中で思う。「四人かぁ~、遥香と悠馬、邪魔だな」と大翔と美咲。「四人かぁ~、美咲と大翔、邪魔だな」と遥香と悠馬。どうしたら2人を排除して、2人きりになれるんだろう?と頭を悩ませる。
4人の住まいは、高校の近くのアパートで、お互い歩いて数分の距離だった。夜風が冷たくなり、船橋駅の明かりが遠くに見える中、大翔が急に言った。「そう言えば、美咲、家に置いてあるカブトガニの写真と論文を見せてくれるって言ってたじゃん?」美咲は一瞬目を丸くしたが、すぐに察して調子を合わせた。「…え?え?…ああ、そうね。そうよね、大翔に見せるって約束したものね」
2人は遥香と悠馬に「じゃあ、そういうことで。バイバイ」と手を振って、さっさと美咲のアパートの方向に去っていく。歩きながら、大翔が「うまくいったな」と小声で呟き、美咲が「大翔、意外とやるっちゃね」と笑う。
美咲のアパートのドアの前で、2人は立ち止まる。勢いでここまで来たものの、2人とも同じことを思う。「まだ『お付き合いください』って表明してない。体から入る関係はイヤっちゃね」と美咲。「勢いでこうなったけど、体から入る関係はイヤだな」と大翔。大翔が躊躇して何か言いかけた。「あのさ、美咲…」
だが、こういう場合、美咲には行動力がある。「大翔、カブトガニが待っとるよ」とドアを開け、彼を部屋に招き入れてしまう。狭い1Kのアパートにはこたつが置かれ、壁には生物学の本が並び、机の上には観葉植物がちょこんと置かれている。「こたつに入ってあったまりなよ」と美咲が言い、カブトガニの写真と論文を大翔の前に広げた。彼女はキッチンでウイスキーの水割りを作り、彼に渡す。自分も水割りを持ってこたつに入ると、脚と脚が触れ合い、2人の顔が真っ赤になる。「でも、体から入る関係は…」が頭をよぎる。
大翔がこたつの中で膝を少し動かし、「お、これ、すごいな。カブトガニの甲羅ってこんな感じなんや」と論文を手に取る。美咲が「そうっちゃね。この論文、進化の話が面白くてさ、私が教師になったきっかけなんよ」と笑う。2人はカブトガニの話で少し盛り上がるが、脚の触れ合いが気になって仕方ない。大翔が意を決して口を開いた。「美咲、あのさ、付き合…」
だが、そこまで言いかけた瞬間、美咲のスマホが鳴った。遥香からだ。「今、悠馬とカラオケなのよ」と余計な話が始まる。美咲が「なんね、それ!今忙しいっちゃ!」と返すが、遥香は「へぇ、忙しいって何?カブトガニ?」とからかう。大翔が「ちっ」と小さく舌打ちし、美咲が「遥香、余計なことせんでくれ!」と電話を切る。結局、何も進展しないまま、大翔は美咲のアパートを出る。「遥香の野郎!」と心の中で毒づきながら、夜風に当たる。美咲も部屋で「なんね、あいつ!」と枕に顔を埋めて悔しがる。
一方、残された遥香と悠馬は「あ!あいつら!」と同時に思ったが、すぐに「あ!2人っきりになれた!」と気づく。顔を見合わせ、気まずさと期待が混じった空気が流れる。「じゃあ、カラオケでも行かない?」と2人の声が偶然にも重なった。遥香が「え、うそ、シンクロした!」と笑い、悠馬が「じゃあ、決まりだな」と穏やかに返す。2人は駅前のカラオケ店に向かい、夜の船橋の街に消えていく。
カラオケ店で、遥香と悠馬は歌って騒ぐ。遥香が長崎弁全開で「ハナミズキ」を熱唱し、マイクを振り回しながら「この歌、泣けるっちゃね!」と叫ぶ。悠馬が「Pretender」を優しい声で歌い、「この曲、高校の時よく聴いてたよ」と呟く。ひとしきり盛り上がった後、遥香が水を飲みながらぽつりと漏らした。「私ってさ、カワイ子ぶっとるけど、計算高くて意地が悪いのよ。指導教科も数学やしね。それが本当の私っちゃ」彼女は高校時代、生徒会長として完璧を演じつつ、裏で友達に「テストの点、計算ミスったやつバカやね」と意地悪な冗談を言って笑っていた自分を思い出す。
悠馬が穏やかに返す。「そういうことも正直に言う遥香は嫌いじゃないよ」彼は遥香の計算高い一面と純粋さのギャップに惹かれている。だが、遥香が「嫌いじゃないっていうのは、好きでもないってことなのね?ね?」と言わなくてもいいことを口にする。急に空気が白ける。悠馬が「いや、そういう意味じゃなくて…」と慌てるが、遥香は黙って水を飲む。彼女は内心、悠馬の優しさに癒されつつ、自分の意地悪さが彼を遠ざけるのではと不安になる。
突然、遥香が「美咲と大翔、今頃何しとるんやろね?本当にカブトガニの写真見に行ったん?この夜更けに?邪魔しちゃおう!」と美咲に電話をかける。「今、悠馬とカラオケなのよ」と話し始めると、電話の向こうで美咲が「カブトガニに決まっとるっちゃろ!」とキレる。遥香が「怪しいっちゃね~」と笑うが、美咲が「うるさいっちゃ!」と切る。結局、2組とも邪魔しただけで進展なしだった。
その頃、幕田悠斗は自分の持ち分の採点や通信簿作成をとうに終わらせていたのに、まだ職員室に残っていた。理由は、生真面目な福永彩花が生徒一人ひとりの答案を丁寧に採点し、コメントを書き込んでいたからだ。彩花がおずおずと目を上げ、「え、でも、悠斗くんも疲れとるやろ…?」と福岡弁で遠慮がちに言うが、悠斗が「いいよ。俺、歴史部の資料整理より楽だから」と笑う。彼女は「…ありがとな」と小さく呟き、答案を渡す協力を受ける。2人は黙々と作業を進め、職員室にはペンの音と紙の擦れる音だけが響く。
かなり遅くなり、職員室には2人の他に誰もいなくなった。時計は23時を過ぎ、窓の外は真っ暗だ。悠斗が採点済みの答案を彩花に渡す瞬間、指先が触れ合う。彩花が「っ」と小さく息を呑み、悠斗が彼女の手を見つめる。見つめ合う2人。この2人の場合、他の4人と違い、言葉はいらなかった。目線が絡み合い、彩花の手を握る力が強くなり、2人の顔が自然に近づいた。
理系4人の散文的な行動と違い、文系の彩花と悠斗。「彩花、俺と付き合って欲しい」とおずおずと言う悠斗に、彩花は「こんな不器用な私で良かっちゃろか?」と福岡弁で付き合うことを承諾する。長崎の2人に比べて奥手に見えて、決めれば大胆な福岡出身の彩花。2人は情熱的に抱きしめ合い、キスを交わす。彩花の唇が悠斗の首筋に触れ、彼の手が彼女の背中を滑る。彩花の髪から柔らかいシャンプーの香りが漂い、悠斗の指が彼女の腰に回る。2人は互いの体温を感じながら、静かな職員室で時間を忘れる。
彩花が少し離れて、息を整えながら言う。「悠斗、夜遅くまで付き合わせてごめんな。お腹すいたやろ?…わ、私の部屋に来てくれれば、夕食を何か作れるんやけど」彼女の声は少し震えていたが、目には決意が宿る。悠斗が「うん、行く」と即答し、2人は職員室を後にした。
彩花のアパートは美咲の部屋から2棟隣、こぢんまりとした1DKだ。玄関で靴を脱ぐと、彩花が「こたつ入って待っとってな」と言い、キッチンに立つ。冷蔵庫を開け、「うーん、あるもんだけで作るっちゃね」と呟きながら、豚バラとキャベツ、ニラを取り出す。彼女は手際よく豚キムチを作り始め、フライパンからジュウジュウと音が響く。悠斗が「いい匂いだな」と言うと、彩花が「簡単なもんやけど、食べてな」と笑う。炊飯器のご飯を茶碗に盛り、豚キムチと一緒にこたつに運ぶ。
2人はこたつに入り、向かい合ってご飯を食べる。彩花が「悠斗、採点手伝ってくれて助かったよ。ほんとにありがとな」と言うと、悠斗が「彩花のコメント見てるとさ、生徒のことちゃんと見てんなって思うよ」と返す。彩花は豚キムチをつまみながら、「私、不器用やけんさ、こうやって誰かに認められるのって嬉しいっちゃね。悠斗が付き合って欲しいって言ってくれた時、びっくりしたけど…心ん底から嬉しかったよ」と福岡弁で語る。
彼女は内心、悠斗の告白を思い出すたびに胸が熱くなる。職員室でのあの瞬間、彼の真剣な目と温かい手が自分を選んでくれたことが信じられず、同時に幸福感で満たされていた。子供時代に「綾香」と間違えられてから人と距離を置いてきた自分が、悠斗の隣でこんなに安心していられるなんて奇跡だと思う。彩花はこたつの中で脚を少し動かし、悠斗の膝に軽く触れる。悠斗が「ん?」と顔を上げると、彩花が「なんでもなかよ」と照れ笑いする。
悠斗が茶碗を置いて、「彩花、俺もさ、お前と一緒にいると落ち着くよ」と言う。2人はこたつの中で手を伸ばし、再び指を絡める。彩花が「悠斗…」と呟き、彼の肩に顔を寄せる。悠斗の手が彼女の髪を撫で、彩花の唇が彼の頬に触れる。2人はこたつの下で脚を絡め合い、互いの体温を感じながらキスを深める。彩花の指が悠斗のシャツの裾を掴み、彼の手が彼女の腰を引き寄せる。部屋には豚キムチの残り香と2人の吐息だけが漂い、深夜の静寂が2人を包む。
翌朝、女子3人組は学校の休憩室で昨日の話をした。美咲が「遥香の野郎、邪魔しやがって!あん時、大翔が何か言いかけたっちゃのに!」と文句を言う。遥香が「美咲だって、カブトガニって何やねん!夜中に論文見るわけないやろ!」と返す。2人が「それで?」と彩花の方を向くと、彩花は昨夜の話を正直に伝えた。「悠斗と付き合うことになったっちゃ。んで、夜遅くまで職員室におって、私の部屋で豚キムチ作って一緒に食べたよ。そんで…その、こたつで色々あったっちゃね」
美咲と遥香が目を丸くする。「奥手やと思っとった彩花がそんなこと!」と驚き、美咲が「なんね、これ!彩花に先越されたっちゃ!」と嘆く。遥香が「悠馬に嫌いじゃないって言われただけやのに…」とぼやく。彩花は「2人とも、焦らんで良かよ。悠斗が告白してくれた時、私、ほんとに嬉しかったっちゃ。こんな私でも良いって思ってくれる人がおるなんて」と笑った。彩花相手に苛立てない美咲と遥香がため息をついた。彩花には勝てない…。
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川島悠馬が穏やかに仲裁に入る。「まあ、給料も出たことだし、今回は奢らせてよ。大した金額でもないんだから」
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美咲が少し黙ってから、ぽつりと漏らした。「デートだったら男子に奢られても良いけどね、だけど、これはデートじゃないんだから…」その『デート』という言葉に、4人は一瞬にして黙り込む。大翔が「…ええっと、18,000円だから、美咲と遥香が4,000円ずつ、俺と悠馬が5,000円ずつ。これでいいよね?」と無難な解決策を提案し、一同が納得して勘定を済ませた。
店を出た後、4人は駅前の通りを歩きながら、それぞれ心の中で思う。「四人かぁ~、遥香と悠馬、邪魔だな」と大翔と美咲。「四人かぁ~、美咲と大翔、邪魔だな」と遥香と悠馬。どうしたら2人を排除して、2人きりになれるんだろう?と頭を悩ませる。
4人の住まいは、高校の近くのアパートで、お互い歩いて数分の距離だった。夜風が冷たくなり、船橋駅の明かりが遠くに見える中、大翔が急に言った。「そう言えば、美咲、家に置いてあるカブトガニの写真と論文を見せてくれるって言ってたじゃん?」美咲は一瞬目を丸くしたが、すぐに察して調子を合わせた。「…え?え?…ああ、そうね。そうよね、大翔に見せるって約束したものね」
2人は遥香と悠馬に「じゃあ、そういうことで。バイバイ」と手を振って、さっさと美咲のアパートの方向に去っていく。歩きながら、大翔が「うまくいったな」と小声で呟き、美咲が「大翔、意外とやるっちゃね」と笑う。
美咲のアパートのドアの前で、2人は立ち止まる。勢いでここまで来たものの、2人とも同じことを思う。「まだ『お付き合いください』って表明してない。体から入る関係はイヤっちゃね」と美咲。「勢いでこうなったけど、体から入る関係はイヤだな」と大翔。大翔が躊躇して何か言いかけた。「あのさ、美咲…」
だが、こういう場合、美咲には行動力がある。「大翔、カブトガニが待っとるよ」とドアを開け、彼を部屋に招き入れてしまう。狭い1Kのアパートにはこたつが置かれ、壁には生物学の本が並び、机の上には観葉植物がちょこんと置かれている。「こたつに入ってあったまりなよ」と美咲が言い、カブトガニの写真と論文を大翔の前に広げた。彼女はキッチンでウイスキーの水割りを作り、彼に渡す。自分も水割りを持ってこたつに入ると、脚と脚が触れ合い、2人の顔が真っ赤になる。「でも、体から入る関係は…」が頭をよぎる。
大翔がこたつの中で膝を少し動かし、「お、これ、すごいな。カブトガニの甲羅ってこんな感じなんや」と論文を手に取る。美咲が「そうっちゃね。この論文、進化の話が面白くてさ、私が教師になったきっかけなんよ」と笑う。2人はカブトガニの話で少し盛り上がるが、脚の触れ合いが気になって仕方ない。大翔が意を決して口を開いた。「美咲、あのさ、付き合…」
だが、そこまで言いかけた瞬間、美咲のスマホが鳴った。遥香からだ。「今、悠馬とカラオケなのよ」と余計な話が始まる。美咲が「なんね、それ!今忙しいっちゃ!」と返すが、遥香は「へぇ、忙しいって何?カブトガニ?」とからかう。大翔が「ちっ」と小さく舌打ちし、美咲が「遥香、余計なことせんでくれ!」と電話を切る。結局、何も進展しないまま、大翔は美咲のアパートを出る。「遥香の野郎!」と心の中で毒づきながら、夜風に当たる。美咲も部屋で「なんね、あいつ!」と枕に顔を埋めて悔しがる。
一方、残された遥香と悠馬は「あ!あいつら!」と同時に思ったが、すぐに「あ!2人っきりになれた!」と気づく。顔を見合わせ、気まずさと期待が混じった空気が流れる。「じゃあ、カラオケでも行かない?」と2人の声が偶然にも重なった。遥香が「え、うそ、シンクロした!」と笑い、悠馬が「じゃあ、決まりだな」と穏やかに返す。2人は駅前のカラオケ店に向かい、夜の船橋の街に消えていく。
カラオケ店で、遥香と悠馬は歌って騒ぐ。遥香が長崎弁全開で「ハナミズキ」を熱唱し、マイクを振り回しながら「この歌、泣けるっちゃね!」と叫ぶ。悠馬が「Pretender」を優しい声で歌い、「この曲、高校の時よく聴いてたよ」と呟く。ひとしきり盛り上がった後、遥香が水を飲みながらぽつりと漏らした。「私ってさ、カワイ子ぶっとるけど、計算高くて意地が悪いのよ。指導教科も数学やしね。それが本当の私っちゃ」彼女は高校時代、生徒会長として完璧を演じつつ、裏で友達に「テストの点、計算ミスったやつバカやね」と意地悪な冗談を言って笑っていた自分を思い出す。
悠馬が穏やかに返す。「そういうことも正直に言う遥香は嫌いじゃないよ」彼は遥香の計算高い一面と純粋さのギャップに惹かれている。だが、遥香が「嫌いじゃないっていうのは、好きでもないってことなのね?ね?」と言わなくてもいいことを口にする。急に空気が白ける。悠馬が「いや、そういう意味じゃなくて…」と慌てるが、遥香は黙って水を飲む。彼女は内心、悠馬の優しさに癒されつつ、自分の意地悪さが彼を遠ざけるのではと不安になる。
突然、遥香が「美咲と大翔、今頃何しとるんやろね?本当にカブトガニの写真見に行ったん?この夜更けに?邪魔しちゃおう!」と美咲に電話をかける。「今、悠馬とカラオケなのよ」と話し始めると、電話の向こうで美咲が「カブトガニに決まっとるっちゃろ!」とキレる。遥香が「怪しいっちゃね~」と笑うが、美咲が「うるさいっちゃ!」と切る。結局、2組とも邪魔しただけで進展なしだった。
その頃、幕田悠斗は自分の持ち分の採点や通信簿作成をとうに終わらせていたのに、まだ職員室に残っていた。理由は、生真面目な福永彩花が生徒一人ひとりの答案を丁寧に採点し、コメントを書き込んでいたからだ。彩花がおずおずと目を上げ、「え、でも、悠斗くんも疲れとるやろ…?」と福岡弁で遠慮がちに言うが、悠斗が「いいよ。俺、歴史部の資料整理より楽だから」と笑う。彼女は「…ありがとな」と小さく呟き、答案を渡す協力を受ける。2人は黙々と作業を進め、職員室にはペンの音と紙の擦れる音だけが響く。
かなり遅くなり、職員室には2人の他に誰もいなくなった。時計は23時を過ぎ、窓の外は真っ暗だ。悠斗が採点済みの答案を彩花に渡す瞬間、指先が触れ合う。彩花が「っ」と小さく息を呑み、悠斗が彼女の手を見つめる。見つめ合う2人。この2人の場合、他の4人と違い、言葉はいらなかった。目線が絡み合い、彩花の手を握る力が強くなり、2人の顔が自然に近づいた。
理系4人の散文的な行動と違い、文系の彩花と悠斗。「彩花、俺と付き合って欲しい」とおずおずと言う悠斗に、彩花は「こんな不器用な私で良かっちゃろか?」と福岡弁で付き合うことを承諾する。長崎の2人に比べて奥手に見えて、決めれば大胆な福岡出身の彩花。2人は情熱的に抱きしめ合い、キスを交わす。彩花の唇が悠斗の首筋に触れ、彼の手が彼女の背中を滑る。彩花の髪から柔らかいシャンプーの香りが漂い、悠斗の指が彼女の腰に回る。2人は互いの体温を感じながら、静かな職員室で時間を忘れる。
彩花が少し離れて、息を整えながら言う。「悠斗、夜遅くまで付き合わせてごめんな。お腹すいたやろ?…わ、私の部屋に来てくれれば、夕食を何か作れるんやけど」彼女の声は少し震えていたが、目には決意が宿る。悠斗が「うん、行く」と即答し、2人は職員室を後にした。
彩花のアパートは美咲の部屋から2棟隣、こぢんまりとした1DKだ。玄関で靴を脱ぐと、彩花が「こたつ入って待っとってな」と言い、キッチンに立つ。冷蔵庫を開け、「うーん、あるもんだけで作るっちゃね」と呟きながら、豚バラとキャベツ、ニラを取り出す。彼女は手際よく豚キムチを作り始め、フライパンからジュウジュウと音が響く。悠斗が「いい匂いだな」と言うと、彩花が「簡単なもんやけど、食べてな」と笑う。炊飯器のご飯を茶碗に盛り、豚キムチと一緒にこたつに運ぶ。
2人はこたつに入り、向かい合ってご飯を食べる。彩花が「悠斗、採点手伝ってくれて助かったよ。ほんとにありがとな」と言うと、悠斗が「彩花のコメント見てるとさ、生徒のことちゃんと見てんなって思うよ」と返す。彩花は豚キムチをつまみながら、「私、不器用やけんさ、こうやって誰かに認められるのって嬉しいっちゃね。悠斗が付き合って欲しいって言ってくれた時、びっくりしたけど…心ん底から嬉しかったよ」と福岡弁で語る。
彼女は内心、悠斗の告白を思い出すたびに胸が熱くなる。職員室でのあの瞬間、彼の真剣な目と温かい手が自分を選んでくれたことが信じられず、同時に幸福感で満たされていた。子供時代に「綾香」と間違えられてから人と距離を置いてきた自分が、悠斗の隣でこんなに安心していられるなんて奇跡だと思う。彩花はこたつの中で脚を少し動かし、悠斗の膝に軽く触れる。悠斗が「ん?」と顔を上げると、彩花が「なんでもなかよ」と照れ笑いする。
悠斗が茶碗を置いて、「彩花、俺もさ、お前と一緒にいると落ち着くよ」と言う。2人はこたつの中で手を伸ばし、再び指を絡める。彩花が「悠斗…」と呟き、彼の肩に顔を寄せる。悠斗の手が彼女の髪を撫で、彩花の唇が彼の頬に触れる。2人はこたつの下で脚を絡め合い、互いの体温を感じながらキスを深める。彩花の指が悠斗のシャツの裾を掴み、彼の手が彼女の腰を引き寄せる。部屋には豚キムチの残り香と2人の吐息だけが漂い、深夜の静寂が2人を包む。
翌朝、女子3人組は学校の休憩室で昨日の話をした。美咲が「遥香の野郎、邪魔しやがって!あん時、大翔が何か言いかけたっちゃのに!」と文句を言う。遥香が「美咲だって、カブトガニって何やねん!夜中に論文見るわけないやろ!」と返す。2人が「それで?」と彩花の方を向くと、彩花は昨夜の話を正直に伝えた。「悠斗と付き合うことになったっちゃ。んで、夜遅くまで職員室におって、私の部屋で豚キムチ作って一緒に食べたよ。そんで…その、こたつで色々あったっちゃね」
美咲と遥香が目を丸くする。「奥手やと思っとった彩花がそんなこと!」と驚き、美咲が「なんね、これ!彩花に先越されたっちゃ!」と嘆く。遥香が「悠馬に嫌いじゃないって言われただけやのに…」とぼやく。彩花は「2人とも、焦らんで良かよ。悠斗が告白してくれた時、私、ほんとに嬉しかったっちゃ。こんな私でも良いって思ってくれる人がおるなんて」と笑った。彩花相手に苛立てない美咲と遥香がため息をついた。彩花には勝てない…。