あと一週間で八月というとても暑く夏らしい青空の日。
瑠菜は気づいたら飛行機に乗っていた。
「やられた……。」
雪紀に「空港行くぞ」と言われて、誰かをお出迎えするのだと思っていた。
そして瑠菜は雪紀からもらったお茶を飲み、その後の記憶がない。
「お、目が覚めたか。瑠菜、何か飲むか?」
「……いや、いい。」
「もう睡眠薬は入ってないぞ。」
「……いらない。」
楓李から進められたお茶やジュースを瑠菜はすべて断った。
1回睡眠薬を盛られていて信じることができなかったからだ。
楓李は少し落ち込んでいる。
「そうか……。」
「……それがいい。」
「え?」
「この味を飲んでみたかった……かもしれない。」
「かもしれないってなんだよ。じゃあ、はい。」
瑠菜は少し申し訳なくなったため、楓李の飲みかけのジュースを指さして言った。
楓李も少しあきれ気味に笑いながら瑠菜に渡す。
「仲いいですね。」
「サクラも俺の飲む?」
「遠慮します。」
サクラと龍子が横でそんなことを言っていると、瑠菜はキョロキョロと周りを見た。
サクラの横には龍子が座っていて、楓李の横にはみなことスゥが座っている。
「雪紀兄さんときぃ姉さん、ちびっ子は4つ後ろだ。」
「ケイ兄とみお、青龍君は?あと、あきとリナもいないけど。」
「3つ後ろ。」
「なんでそんなバラバラに?」
「なんでだろうなぁ。」
瑠菜がいら立っているのを見て、楓李は鏡を見ろと思いながら瑠菜を見る。
瑠菜から文句を言われないために席を離しているのだ。
楓李は瑠菜のお世話役として押し付けられてここにいる。
なんなら瑠菜を好きなちびっことサクラしかついてこなかった。
実際に楓李だって、後ろの奴らと一緒に寝ていたいと思う。
「瑠菜さん、暇ですね。」
「本当、どこに向かっているのかしら?」
「さぁな。」
雪紀ときぃちゃんはどこに行くのかわかっているのかもしれないが、二人から何も言われていないためどこに行くのかは誰も知らない。
ただ、飛行時間的に国内ではなさそうだと、瑠菜と楓李は考える。
「瑠菜、これいるか?」
「……いる。」
「はい、あー。」
「んっ……ん。……甘い。」
「グミだからな。」
瑠菜が楓李に餌付けされている鳥のように口の中にグミを入れているのを見て、龍子とサクラは本当に仲がいいなと思う。
自分たちにはまだ早そうなことばかりだ。
「スゥも欲しい。」
「わ、たし……も。」
「はいはい、手出せ。」
楓李もスゥとみなこにもグミを配った。
二人の小さな手にそれぞれグミを一つずつ。
この勢いだとすぐに全部なくなってしまいそうだと楓李は思った。
明るかった外が暗くなり、飛行機内ではおにぎりが配られた。
瑠菜はただ座っていただけにもかかわらず疲れ果ててしまっていて、おにぎりを少し食べるとすぐに楓李に渡した。
そしてそのまま目を閉じて寝てしまった。
「瑠菜、これもう食べないのか?」
「ない。」
「じゃあ、俺食べるけど。」
「勝手にして。」
瑠菜は本気で眠いらしく目を閉じたまま答える。
楓李は仕方なく瑠菜の残したおにぎりも食べ始めた。
「……いつもこんな感じなんですか?」
「そうだな。どこにいてもこいつはいつも通りだ。」
「仲がいいのか何なのか。」
「俺としてはこのくらいがいいけどな。」
「ストーカーくらいありますもんね。楓李兄さんは。」
「サクラ、その言葉忘れねぇからな。」
楓李をからかおうとしていたサクラは、言ってすぐにしまったと思った。
別にサクラに対して直接何かをするということはないのだろうが、いつか小さな仕返しされてもおかしくない。
「でも、教えていないのにスマホのパスワードを知っていたり、何してるかとかわかるのはストーカーと同類です。」
「それはこいつが単純なんだよ。わかりやすいんだ。」
「それでも、なんかそれでは瑠菜さんを縛り付け……監視してるのと一緒です。何でそんなことするんですか?」
「浮気。」
「瑠菜さんはそんなことしません。」
楓李はサクラと話していてかみ合わないところがあると思った。
その理由が今わかった気がした。
理由はサクラの瑠菜に対する知識が浅いからだった。
サクラは瑠菜がサクラのことを忘れてしまうことすら知らないのだ。
だから会話がおかしくなる。
こればかりは仕方ないことだが、楓李は話しておいたほうがいいと思った。
瑠菜の性格についても。
「瑠菜は……っ!」
「なんですか?」
「……なんでもねぇよ。」
(こいつずっと起きていやがったな。)
楓李は自分に寄りかかって目を閉じている瑠菜を見ながら思った。
瑠菜にかまれた小指を隠しながらサクラのほうにこっそり目を向けると、不機嫌なサクラを真剣になだめている龍子がぺこりと頭を下げた。
まるで任せてくださいとでもいうように。
飛行機はその後、カナダについた。
しかし、瑠菜たちは日をまたぐことなくイタリアへ向かう。
そして次の日にはフランスへと行き、また二日後にはオーストラリアへ。
わざわざ毎日のように飛行機に乗っている理由は仕事だった。
瑠菜たちは短期海外出張に連れてこられていたのだ。
瑠菜は英語が苦手だからか、楓李の近くから離れないどころか外にすら一歩も出ない。
そんなある日のことだ。
「瑠菜ちゃーん、コアラ見に行くわよ!一緒に行きましょうよ。」
「きぃ姉……、あの、今日は仕事に……。」
「わかってるわよ、雪紀。ちょっとくらいいいじゃない。」
「行かない。」
「瑠菜さん、行きましょうよ。」
きぃちゃんは龍子とサクラも誘った後で瑠菜を誘いに来ていて、サクラは瑠菜を説得しだした。
それでも瑠菜はパソコンから目を放さない。
雪紀は一応仕事で来ていて、会社から出たお金で世界を回っていることをきぃちゃんにやんわり伝えるが、きぃちゃんはわかってると言いながらも瑠菜を誘う。
「瑠菜、本当に行かないの?動物大好きじゃん。」
「……いいの。仕事のために来てるんだし、外出ても目がチカチカするだけだから。」
「色文字で?」
「……別に、何でもいいでしょう?」
瑠菜を心配してきたあきに対して面倒くさそうな態度をとると、あきは仕方ないなぁと言いながら瑠菜から離れた。
瑠菜はまたパソコンのほうを見る。
「かえ、ちょっといい?」
「ん?……瑠菜のことか……。」
あきに声をかけられて見て見ぬふりをしていた楓李はため息をついた。
隣の部屋なので人の声は聞こえなくても出入りくらいはわかる。
きぃちゃんたちが瑠菜のところに来たことも気づいてはいたのだ。
「女の子なんだから別に旅行を少しくらい楽しんでもいいんじゃない?」
「その言葉時代的にはアウトだな。」
「男は仕事しろって会社だし仕方ないじゃん。」
「……わかった、ちょっと連れ出すか。」
楓李は仕方ないかと思いながらため息をついた。
本当のことを言うと、楓李はここ何日かゆっくりと寝れていないため少し仮眠を取りたかったのだ。
国を回っているため飛行機で寝たり、使われていなかった雪紀の別荘の掃除をしてから寝たり、ここ数日で一か月分くらい疲れたと雪紀も楓李も思っている。
「瑠菜、俺ちょっと出かけるけどどうする?」
「え?」
瑠菜はそんな疲れ切った楓李絵を見ていたためすごく驚いた顔をした。
行くはずがないと思っていたのだ。
「久々の旅行なんだから観光くらいしてもいいだろ?」
「……行……かないし。」
「いいのか?」
「うぅ……。」
「んじゃ、俺は行って……ほら、行くぞ。」
楓李は瑠菜が伸ばした手を笑いながらつかんで言った。
瑠菜は完璧に無意識でやっているのだろうが、楓李からしたらそんな小さな行動一つ一つがかわいくて仕方ない。
「あ、瑠菜さん!楓李兄さんさすがです。」
「サクラ……うん、行こうか。」
「はい!」
「ほら、あんたたち早く来なさい。」
瑠菜とサクラはきぃちゃんに呼ばれて後ろをついて行った。
サクラはとてもうれしそうに歩いているが、瑠菜は楓李の後ろから少し不服そうだ。
楓李からどこに行くのか伝えられていなかったからだろう。
「瑠菜さん、コアラです!」
「瑠菜、ほらサクラ呼んでるぞ。」
「……かわいい。」
瑠菜しか見えていないサクラとそんなサクラにかまってほしい龍子。
そしてビクビクと楓李の後ろに隠れている瑠菜に、それ自体はまんざらではないもののくっつきすぎだと思う楓李はコアラを見に来ていた。
動物への恐怖心はないし、何なら触ることから世話することまでこなせるほど動物好きな瑠菜もサクラの前ではあまりはしゃがないようにしているらしい。
「瑠菜ちゃん、私ちょっとホテル帰んないといけなくなったからよろしくね。」
「え、ちょ!きぃ姉。」
「楓李君も瑠菜ちゃんのサポートしっかりね。」
「はーい。」
「うぅ……、きぃ姉が誘ってきたくせに。」
「仕事だろ?いつものことだな。」
瑠菜が文句を言う頃にはきぃちゃんはいなくなっていて代わりに楓李が返事をしていた。
アルファベットに弱い瑠菜としてはきぃちゃんがいなくなるだけでも不安でしかないのだ。
「……瑠菜さん、私たちも帰りますか?」
「え……いや、もう少しいましょ。観光くらいしないと本当に仕事しかしない夏になっちゃうわ。」
「わかりました。あ、向こうでレッサーパンダ見れ……へ?」
サクラはびっくりしてしまった。
レッサーパンダの写真が載ったパンフレットを瑠菜に見せた瞬間、瑠菜がすごくきらきらとした目をしていた気がしたのだ。
一瞬だったが確かに瑠菜の表情が変わった気がした。
「お、じゃあそっちに行くか。」
「べ、別に……行かなくても……。」
「見なくていいのか?レッサーパンダなんて動物園くらいでしか見れねぇし、これから先動物園デートとかする気もないけど。」
楓李も瑠菜の表情が変わったことに気が付いたのか、今にもレッサーパンダのほうへ行ってしまいそうな瑠菜に声をかけた。
サクラはいつも大人っぽくて動物に興味がなさそうな瑠菜の、子供っぽい部分が見られてうれしかった。
三才しか変わらないはずだが、大人っぽすぎる。
もっとキラキラとしていてもいいと思っていたからだ。
「瑠菜さん、行きましょう!」
「よし、じゃあちょっと電話してくるから瑠菜をよろしくな。」
「はい!」
「えっ……ちょっと……かえ?」
「龍子、お前も来い。」
「え?でも。」
「来い。」
楓李にニッコリ笑顔で言われた龍子は心配そうな表情をしながらも楓李について行った。
サクラが反無理やり瑠菜を連れて行くのを見てから、龍子は楓李を少しにらむような目つきで見た。
「大丈夫なんですか?ここって一応海外なんですよ?」
「瑠菜がついてるから強盗だろうと熊だろうと殺せる。騒ぎがあれば瑠菜を止めに行かねぇとな。」
「いや、女の子二人にしているところが心配なんです。」
「お前はあいつの怖さを知らねぇからな。」
楓李はそう言って笑うと、お土産ショップの中へと入って行った。
「ちょ……楓李様?どこに。」
「龍子、金持ってるか?」
「え?」
「わぁ……!かわいい……。」
「瑠菜さん、あの子!あの子かわいいですよ!」
「その子はここらで一番の子よ。」
瑠菜はサクラを後ろに隠すそぶりをして振り返った。
すると、黒上の少し日焼けした女性がニコッと笑って立っていた。
「あら、驚かせちゃった?ごめんなさいね、日本語なんて久しぶりに聞いたものだからつい話しかけちゃったわ。」
「……すみません。」
「いいのよ。ただ女二人だけでこんなところにいるとすぐ裏へ連れていかれちゃうから気を付けてね。」
「観光地なのに治安が悪いのですか?」
「観光地だからよ。」
「そう、観光地だからね。お金がないと観光なんてしないでしょう?」
「あっ……そっか。」
サクラが瑠菜の腕にしがみついたまま会話に入り込むと女性はにっこりと笑って答えた。
瑠菜は意味を説明するのが面倒だったからか頭を抱えている。
「じゃあ私ももう少しここら……。」
女性が立ち去ろうとしたその瞬間、人ごみの中から叫び声がした。
するとその方向から人をかき分けるようにして小柄な男が一人出てきて、瑠菜とサクラのほうへと走ってきた。
瑠菜はサクラを女性のほうへと突き飛ばして自分は金網に背中を押し付けてそれをよける。
「何事?」
「あー、強盗ってやつかしら?女性が刺されてる。」
「あれは取り返せそうにないわね。かわいそうだけど。軽いけがで済んでよかったと思うしか……。」
瑠菜は刺された女性が介抱されていることを確認すると、サクラへスマホを投げつけた。
「サクラ、かえに電話して。出なかったら龍子君によろしく。」
「はい。」
「え?追いかけるつもり?いや、あれを見て。無理よ。」
「大丈夫です。瑠菜さんですから。」
男は大柄な男数人に追いかけられていても一定の距離を保って逃げている。
横から、後ろから男を捕まえようとしているにもかかわらず、男は器用によけながら走り続けていた。
「ちょっ……本当に言ってるの?」
「……あ、もしもし楓李兄さん。……はい。あぁもう行っちゃいました。えっと……五分で来てください。」
瑠菜は大柄な男を見事によけながら追い越すと、すぐに男の服をつかみながら男の前に立った。
男はびっくりしたように瑠菜を見たが、すぐに瑠菜を突き飛ばして別方向へと逃げた。
瑠菜を心配して大柄な男たちが何か言っているが、外国語が分からない瑠菜は意味も分からないので気にせずににっこりと笑った。
そして男を後ろから蹴ってよろけさせ、そのまま横腹に蹴りを入れる。
すると男は大柄な男たちのもとへと倒れこんだ。
その一瞬の出来事に全員がぽかんとしていたが、男がもう一度逃げようとしたためすぐに男を取り押さえた。
「瑠菜、さすがじゃん。」
「小柄な男で助かった。」
「お前より十センチは上だがな。」
「瑠菜さん!さすがです!まさか捕まえてしまうだなんて。」
楓李が瑠菜に声をかけた後にサクラと女性が息を切らしながら走ってきた。
周りのやじ馬たちも瑠菜のほうを見て驚いた表情のままだ。
確かに、十センチ以上背丈差のある男をけり倒したのはダメだったかと瑠菜は少し反省をした。
「何か、やっていたりしたの?」
「……少し護身術を。」
「……そういうこと。あ、あの。もう行くわね。」
女性はにらみつけるように自分を見ている楓李に気づき、ぺこりと頭を下げてから逃げるように走り去っていってしまった。
相当怖かっただろうなと瑠菜は思う。
「あいつは?」
「なんか声をかけられちゃって。」
「そうか……もう帰るだろ?」
「そうですね。瑠菜さんも疲れてしまったみたいですし。」
「えっ……あ、……うん。」
楓李が言うと気を使ったサクラが心配そうに座ったままの瑠菜を見た。
しかし、そんな二人の考えとは裏腹に瑠菜は少し悲しそうな表情をしていた。
まだ動物を見ていたかったのだろう。
「瑠菜、楽しかったか?」
「……少し……。」
「ならよかったな。ほら。」
「え?……かわい……くれるの?」
「ほら帰るぞ。」
瑠菜は楓李から手渡されたレッサーパンダのぬいぐるみを嬉しそうに抱きしめた。
もふもふとした茶色のぬいぐるみで少し幼い子が持っていそうなものだが、瑠菜はとても気に入ったようだ。
「ねぇ、かえ。疲れた、おんぶ。」
「ん?……こっちでもいいか?」
「え?瑠菜さん?」
「寝る。」
瑠菜は持ってきていたバッグにぬいぐるみを入れて、楓李にお姫様抱っこをされながら目をつむった。
サクラは急に楓李に甘えだしたことに驚きながらも瑠菜を心配した。
瑠菜が人前で楓李に甘えて目立つような行動をしたのはサクラと一緒になってからは初めてだ。
何か理由があるのか、はたまた気まぐれなのかサクラにはわからなかったのだ。
なので、瑠菜について何も知らないサクラは瑠菜のことを見ていて少し不安になってしまう。
「サクラ。」
「え……あ、何ですか?龍子君。」
「これ。」
「え、これって瑠菜さんのと……。」
「何がいいかわからなかったんだ……。」
龍子はサクラにレッサーパンダのぬいぐるみを手渡して言った。
ほぼ瑠菜と同じものだが、少しだけ色が違う。
サクラは瑠菜とおそろいの物がもらえた気がしてうれしくなった。
「あれ?楓李兄さんそんなキーホルダーつけてましたっけ?」
「ん?これか?内緒な。」
「あれ、龍子君もつけてる。おそろいですか?」
「こ、これは……ま、まぁな……。」
サクラは何が内緒なのかわからないまま龍子にも声をかけた。
龍子は焦ったように下を向く。
楓李のかばんには真っ赤な宝石のようなハートの形のものがつけられていて、龍子のほうはそれのピンクの物がつけられていた。
色違いでおしゃれだなとサクラが思っていると、龍子はサクラのレッサーパンダをそっと取り上げた。
「あれ?くれるんじゃ……え?」
「……もともとこいつに持たせるようなんだ。」
「え?なんで……。」
「これでいつでもつながっていられるかと……。」
サクラの顔が、ぼっと熱くなる。
サクラのもとにはまた何も持っていないレッサーパンダが返された。
龍子の耳まで真っ赤になっているのを見てサクラはもどかしい気がして顔を背ける。
(だから内緒か……。)
ようやく楓李の言った意味が分かったサクラはいつ瑠菜が気付くのだろうと思ってしまった。
きっと言わないと一生気づかない気がする。
ただ、気づかないほうが瑠菜もずっと持ってくれそうだとも思う。
そんな気持ちでサクラは二人の仲よさそうな姿を見た。