信玄に「食後の運動をしたい」と呼び出された丙良。その先で待っていたのは、学園長と信玄の二人きりが立つ校庭であった。
「何なの信玄、急に食後の運動がしたい……って、何で不破学園長がいるんです?」
「いやね、ついちょっと前に君たちよりも下級生が、校則違反の決闘によって反省文と学校窓磨きの罰が執行されたって話……知ってる? 不当な決闘をしないよう見張ってたんだ」
「それ礼安ちゃんと透ちゃんの話じゃあないですか」
何のことやら、と言ったように、下手糞な口笛を吹きとぼける信一郎。そんなふざけた様子の学園長とは異なり、実に真剣な面持ちの信玄。何故かニンニクの臭いが強い。
「信玄……すっごいニンニク臭いよ。吸血鬼退治でもするの?」
「――文句は礼安っちに言ってくれ」
何のことか理解できない様子であったが、真剣な雰囲気を察して信玄に超強力消臭剤だけ撒くと、紙切れ一枚と共に程離れた位置へ移動した信一郎。学園都市内で新たに開発された、一撒きするだけで全ての臭いを消せる、とんでもない代物である。
「……それで、何でこの場に呼び出したのかな? 一緒にトレーニング手伝ってくれ、ってこと?」
しかし、その丙良の表情は、心の底では理解している、そう言いたげな柔らかな笑みを浮かべていたのだ。長いことコンビとして大暴れしていたからこそ、二人の間には見えない繋がりが存在するのだ。
少し間を置きはした。しかし、何も分からなくなっているわけではない。寧ろ、ほんの少し距離を置いたことで、今回の合同演習会でより理解したのだ、本当に相性のいいタッグは別にいると。
それこそが、二人の眼前にいるお互いなのだ。
「――あん時は悪かった、怒鳴ったりして。慎ちゃんの事情も知らずにさ」
「……でも、あの時。久しぶりに信玄をあの渾名で呼んだ時。自分の悩みは……杞憂なんだって知れた。次いつ会えるかも分からない、そんな儚い存在である僕たちは……悩んでいちゃいけないんだ」
失ってしまう可能性を考えて、よそよそしくした翌日。その人物がいなくなってしまうことを考えたら、非常にやりきれない気持ちで満たされてしまうだろう。
丙良の行動は、『喪ってしまう可能性』に慎重になり過ぎた結果、『喪った時』のことを考え切れていなかったのだ。
だからこそ、丙良は信玄に拳を向ける。お互い、今まで生きてきて年齢の割に多くの苦労を経験した。その疲れ、経験、痛み、そしてそれらで得た強靭さが込められた拳を、軽くぶつける。
「そんじゃあ改めて……食後の運動付き合ってくれるか? 『慎ちゃん』」
「……とはいっても、僕はまだ何も食べてないから、腹を減らすのにうってつけなレベルで試合おうじゃあないか――『ノッブ』」
お互い、ロック・バスターと念銃を顕現させ、背を向けて程離れる。さながら荒野の決闘と言わんばかりに。
夜の校庭。たった二人きりの、友情の交わし合いが行われるのであった。
「「変身!!」」
学園校舎内に戻り、二人のやり取りを眺めながら、自身は一切経験のない青春劇を羨ましそうに眺める信一郎。今回は校則違反ではないため、教育者としてではなくたった一人の観客として眺めていたのだった。
「――本当、私もこんな経験をしたかったよ」
その表情に込められていたのは、羨望と憂い。少なくとも、信一郎が学生時代の頃など『存在しなかった』ようなもの。成人した後も、『原初の英雄』として戦っていたばかり。その中で大切な存在を見つけこそしたが、大体は戦いに明け暮れていた。
あの二人のことだ、という安心感から、早々に自身の机の方へ向き直り、高価そうな椅子にどっかりと座り込む。
常人が経験する『当たり前』を、信一郎は経験したことが無い、というのは珍しい話ではない。その衝動が今来ているからこそ、少々時代錯誤にはなるが熱血教師もののドラマに憧れていたり、少し遅めの青春を経験したがったりするのだ。
そのあおりを受ける礼安のことを案じ、彼女たちが生まれてからは多くの人生経験をさせた。しかし、あのショックによって多くを失った。多種多様な感情も、最悪の記憶も。
鍵付きの引き出しを開けると、そこにあるのはたった一つの写真立て。その中で飛び切りの笑顔を見せるのは、二人の子供とその両親。他でもない、礼安たちの写真であった。
「……あの子だけは、どうしても幸せにしてやりたい。そうだろう、茉莉也」
信一郎の横で、歯を見せるほどに快活に笑うのは、礼安と院の母であり、信一郎の最愛の妻である真来茉莉也。真来財閥の最高傑作と称されるほどの美貌と、とある恵まれた因子により、次期当主最有力候補であった。
礼安に似た、白銀のロングヘアに、全世界のトップモデルを置き去りにするほどの美貌。体躯は信一郎よりも若干小さいほどで、薄幸の美女という言葉が何より似合っていた。そしてこんな美貌を持ち合わせているのにも拘らず、常識を常に壊そうとする、財閥史上最も破天荒な人物であり、天衣無縫さが極まっていた。ある種、そこに信一郎は惹かれたのだが。
もし、今もいたとしたら。この英雄学園の設立に携わり、共に新たな英雄の卵たちを育成していくことだろう。
「――未だに私は、君のことを忘れてはいないよ。私と共に……子供たちや成長し続ける英雄の卵たちを……見守っていてくれ」
写真立ての中で笑う妻を、静かに抱きしめる信一郎。彼にとって、彼女への誓いは日々欠かすことのできないルーティーンであった。
数分の間、長い祈り。それを終えると、信一郎は鍵付きの引き出しの中へ、その写真盾をしまい込み、鍵をかけなおした。
この中身や祈りは、礼安にすら明かしていない。信一郎が心を整える上で必要不可欠なもの。どれほどの辛いことがあろうと、信一郎は亡き妻へ祈りを欠かしたことはない。実直な学園長としての顔を取り戻した信一郎は、あの柔和な笑みを取り戻した。
「――そういえば」
ふと、目に入ったのは、机の上に置かれたままの百喰から手渡された手紙。それはたった便箋一枚のものであったが、その手紙から醸し出される、不吉な予感が拭いきれなかったのだ。だからこそ、礼安に渡すタイミングを失っていた。
合同演習会の中、百喰の目的は始終『血沸き肉躍る闘争』であった。英雄陣営の戦力を削ぐだとか、絶望を与えるだとか。そう言ったこちら側にマイナスになるようなことは、一部を除き一切してこなかった。英雄の卵たちに信之と共にトラウマを与えていたものの、明確な被害を生んでいたわけではない。
「……嫌な予感がする」
その手紙を礼安に渡す前に、どうしても確認したかった信一郎。手紙の封を切り、その中にある便箋を取り出し、すぐさま開いた。
そこに記されていたのは、時刻指定とテレビのチャンネルのみであった。しかも、その時刻は、あと一分後である午後八時。
信一郎はすぐさま学園長室内にある六十インチのテレビをつけた。そこでは、楽し気なバラエティ番組が放映されていたが、咄嗟にその画面が切り替わり、臨時ニュースが放送された。
ちょうど午後八時。そこで放送されたのは、信一郎の目を疑う内容であった。
『えー、ここで臨時ニュースが入りました。英雄学園内で行われた合同演習会にて、襲撃行為を行った、『教会』茨城支部支部長である森信之容疑者が、何者かに殺害されました。警視庁前に置かれたボストンバッグ内に、死体が発見されたとのことです。警察は『教会』が殺害に関与しているものとみて、捜査を開始しました――――』
偶然とは思えなかった。証拠品として提示された減刑嘆願状も、間違いなく自分のサインが記されたもの。影武者が殺され運ばれた、なんてことはあり得なかった。
裏切り者は、秘密裏に全て処刑する『教会』が、ここまで表立って殺人をひけらかす、なんてことはしない。ここまでやるのには、必ず理由が存在する。
そして、この手紙を差し向けたのは百喰。世の中の一般人は犯人が特定できないものの、今ここにある手紙が全てを物語っている。
「一体礼安にこれを差し向けるだなんて……何が目的なんだ……百喰正明……?」