表示設定
表示設定
目次 目次




第一部 16話 ばーか

ー/ー



「なんで俺がこんなことを……」

 ハーフエルフの少年が呟いた。

 そこはハーフエルフが統治する小国の一つ。
 その中で城の次に大きい屋敷だった。
 両手一杯に荷物を持ちながら、小さな背中を追う。

「あはは! レン、早く早く!」

 ハーフエルフの姫は楽しそうに笑いながら走っていく。

 レンと呼ばれた少年はハーフエルフの姫の付き人だった。
 ただし、中身はすでに別人である。

 この少年こそアッシュの探す人物。
 前世での兄であり、生まれついての快楽殺人者だった。

「子守かよ」

 ――未だに状況が良く分かっていないんだよな。
 ――アイツを殺すことに手間取った結果、落ちてきた天井に潰された。
 ――俺らしくないミスだと思っているけど、それは良い。

 ――問題はその後だよ。死んだはずの俺は『レン』になっていた。
 ――目を開けたら『レン』で、ベッドの上だもんな。自分の正気を疑ったぞ。

 その後は咄嗟に記憶を失った振りをした。
 奇しくも、それは弟と同じ行動だった。

 レンは諦めて姫の後を追う。
 廊下の曲がり角を曲がった瞬間、待ち伏せしていた姫が飛び込んできた。
 思わず「うわ」と声が出てしまう。

「レン、今日の夜は湖に行きましょう?」

「湖!? 駄目ですよ……また叱られますよ、俺が」

「大丈夫よ、大したことないわ」

「そりゃあ、姫様は大丈夫でしょうよ。でも俺は滅茶苦茶怒られるんですよ?
 十人掛かりで叱られる経験なんて二度としたくない。
 十人が一斉に怒鳴るんだから!
 もう何を言ってるのか分からないんだから!」

「私が大丈夫なら、大丈夫よ」

「だから姫様は大丈夫でしょう!
 この屋敷の全員、姫様のこと好き過ぎですよ! 甘やかし過ぎ!」

「えー、そんなー」

 姫は照れたように後頭部を押さえる。
 小さな背丈に質素な白いドレスの少女、ミーシャ姫。

 彼女はハーフエルフの姫に相応しい美貌の持ち主だった。
 透けるような金の髪と、大きな宝石のような蒼い瞳。

 しかし幼さが残ることもあって、美しいというよりも可愛らしい印象が強かった。

「無理ですよ! 無理無理!」

 数年前までハーフエルフの王子と姫は仲睦まじく、その容姿も相まって将来を期待されていた。しかし王子が側近に裏切られてから、雲行きは急に怪しくなった。

 王子は誰も信じられなくなったのだ。
 自分を慕う実の妹すら王位を狙う敵とした。

「だから、駄目だって言ってるじゃねーか。
 暗殺されたらどうすんだ」

 レンが聞こえないようにぼやく。

 ――ま、いざとなったら俺は逃げるけどな?
 ――レンとして生きるつもりはねーよ。

 二人は街外れの湖に来ていた。

「あはは! 冷たい! レンもおいで?」

 浅瀬から姫が楽しそうに呼んだ。

「遠慮します」

「えー? 昔は一緒に遊んでくれたじゃない」

 そっけないレンの返事に口を尖らせて、暴れるように湖の水を弾く。

「本当にすみません。忘れました」

「馬鹿ぁ! またそれ! 忘れるって何よ!?
 朝起きたら自分が誰か覚えてないって、そんな事ある!?」

 レンは軽く笑みだけ浮かべて誤魔化した。

「反応が薄いっ! 相手しろっ」

 そんなことを言われても、常に警戒しているのだ。
 いつも通りとはいかない。

「姫様も、周囲には気を付けてください」

「なんで?」

 気の抜けた声と水しぶきの音が返ってくる。

「……殿下が姫様を敵視しているからです」

「兄様が? そんなことないよ」

「ですが……」

「だって、兄様なんだよ?」

 あまりに気の抜けた声に腹が立ったのだろう。
 レンは反射的に声を上げた。

「お言葉ですが」

「?」

 ――ああ、余計なことを言おうとしている。

「殿下は近いうちに姫様のお命を狙うでしょう。
 もはや姫様の方が人望を集めているからです。
 先手を打つべきかと。姫様のご命令さえあれば、すぐにでも」

 ――だが、この姫は決して愚かではない。
 ――俺が言おうとしていることは分かっているはずだ。

「嘘でしょ?
 まったく、本ッ当にレンは馬鹿ね!」

 これ見よがしに姫は溜息を吐いて見せた。

「? 馬鹿って……」

 それが最善だと、賢い選択だと、絶対に正しいと、そう言おうと目を向ける。

「……っ」

 その数秒間に声を詰まらせた――

 白く輝く星の夜。暗く澄んだ湖で、はしゃぐ小さな女の子。
 お転婆にドレスの裾を持ち上げながら、素足で水を蹴り上げた。

「ばーか」

 微笑む先は……殺人鬼。

「人を殺しては駄目なのよ?
 そんなことまで忘れてしまったの?」

 ――誰よりも優しい笑顔が、何よりも厳しく叱ったように、見えたから。

ばーか


スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 第一部 17話 魔術師団長


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



「なんで俺がこんなことを……」
 ハーフエルフの少年が呟いた。
 そこはハーフエルフが統治する小国の一つ。
 その中で城の次に大きい屋敷だった。
 両手一杯に荷物を持ちながら、小さな背中を追う。
「あはは! レン、早く早く!」
 ハーフエルフの姫は楽しそうに笑いながら走っていく。
 レンと呼ばれた少年はハーフエルフの姫の付き人だった。
 ただし、中身はすでに別人である。
 この少年こそアッシュの探す人物。
 前世での兄であり、生まれついての快楽殺人者だった。
「子守かよ」
 ――未だに状況が良く分かっていないんだよな。
 ――アイツを殺すことに手間取った結果、落ちてきた天井に潰された。
 ――俺らしくないミスだと思っているけど、それは良い。
 ――問題はその後だよ。死んだはずの俺は『レン』になっていた。
 ――目を開けたら『レン』で、ベッドの上だもんな。自分の正気を疑ったぞ。
 その後は咄嗟に記憶を失った振りをした。
 奇しくも、それは弟と同じ行動だった。
 レンは諦めて姫の後を追う。
 廊下の曲がり角を曲がった瞬間、待ち伏せしていた姫が飛び込んできた。
 思わず「うわ」と声が出てしまう。
「レン、今日の夜は湖に行きましょう?」
「湖!? 駄目ですよ……また叱られますよ、俺が」
「大丈夫よ、大したことないわ」
「そりゃあ、姫様は大丈夫でしょうよ。でも俺は滅茶苦茶怒られるんですよ?
 十人掛かりで叱られる経験なんて二度としたくない。
 十人が一斉に怒鳴るんだから!
 もう何を言ってるのか分からないんだから!」
「私が大丈夫なら、大丈夫よ」
「だから姫様は大丈夫でしょう!
 この屋敷の全員、姫様のこと好き過ぎですよ! 甘やかし過ぎ!」
「えー、そんなー」
 姫は照れたように後頭部を押さえる。
 小さな背丈に質素な白いドレスの少女、ミーシャ姫。
 彼女はハーフエルフの姫に相応しい美貌の持ち主だった。
 透けるような金の髪と、大きな宝石のような蒼い瞳。
 しかし幼さが残ることもあって、美しいというよりも可愛らしい印象が強かった。
「無理ですよ! 無理無理!」
 数年前までハーフエルフの王子と姫は仲睦まじく、その容姿も相まって将来を期待されていた。しかし王子が側近に裏切られてから、雲行きは急に怪しくなった。
 王子は誰も信じられなくなったのだ。
 自分を慕う実の妹すら王位を狙う敵とした。
「だから、駄目だって言ってるじゃねーか。
 暗殺されたらどうすんだ」
 レンが聞こえないようにぼやく。
 ――ま、いざとなったら俺は逃げるけどな?
 ――レンとして生きるつもりはねーよ。
 二人は街外れの湖に来ていた。
「あはは! 冷たい! レンもおいで?」
 浅瀬から姫が楽しそうに呼んだ。
「遠慮します」
「えー? 昔は一緒に遊んでくれたじゃない」
 そっけないレンの返事に口を尖らせて、暴れるように湖の水を弾く。
「本当にすみません。忘れました」
「馬鹿ぁ! またそれ! 忘れるって何よ!?
 朝起きたら自分が誰か覚えてないって、そんな事ある!?」
 レンは軽く笑みだけ浮かべて誤魔化した。
「反応が薄いっ! 相手しろっ」
 そんなことを言われても、常に警戒しているのだ。
 いつも通りとはいかない。
「姫様も、周囲には気を付けてください」
「なんで?」
 気の抜けた声と水しぶきの音が返ってくる。
「……殿下が姫様を敵視しているからです」
「兄様が? そんなことないよ」
「ですが……」
「だって、兄様なんだよ?」
 あまりに気の抜けた声に腹が立ったのだろう。
 レンは反射的に声を上げた。
「お言葉ですが」
「?」
 ――ああ、余計なことを言おうとしている。
「殿下は近いうちに姫様のお命を狙うでしょう。
 もはや姫様の方が人望を集めているからです。
 先手を打つべきかと。姫様のご命令さえあれば、すぐにでも」
 ――だが、この姫は決して愚かではない。
 ――俺が言おうとしていることは分かっているはずだ。
「嘘でしょ?
 まったく、本ッ当にレンは馬鹿ね!」
 これ見よがしに姫は溜息を吐いて見せた。
「? 馬鹿って……」
 それが最善だと、賢い選択だと、絶対に正しいと、そう言おうと目を向ける。
「……っ」
 その数秒間に声を詰まらせた――
 白く輝く星の夜。暗く澄んだ湖で、はしゃぐ小さな女の子。
 お転婆にドレスの裾を持ち上げながら、素足で水を蹴り上げた。
「ばーか」
 微笑む先は……殺人鬼。
「人を殺しては駄目なのよ?
 そんなことまで忘れてしまったの?」
 ――誰よりも優しい笑顔が、何よりも厳しく叱ったように、見えたから。