24.吸血種と人間種の違い
ー/ー ガウスさまから敵意に満ちたお呼び出しを受けてから数日が経過致しました。かの方は、相変わらずわたくしを見ると酷く立腹されるようで、いつでもそのお顔は恐ろしいものになっております。
グルムバッハさまもそうですけれど、皇太子妃の座を狙うのならば、その感情の発露を抑えねばならないと思うのですけれど、ネモ帝国では良しとされているのでしょうか。
他のクラスメイト方とはよくお喋りもしておりますから、わたくしに特別敵意剥き出しのグルムバッハさまは、周囲から少々距離を置かれているのですよね。
それにお気づきでしょうに、気にしていないのか虚勢を張っているのか……まあ、何れにしてもわたくしがお声がけをしても彼女の神経を逆撫でするだけでしょう。
そんなクラス室に比べて、サークル室は至って平和でございます。主にわたくしとレーヴェさまがよく入り浸っておりますけれど、他の御三方もよくここへ訪れますもの。
その時は紅茶とお茶菓子を用意して、少しお喋りに興じるのもまた良いのでございます。
さて、本日はといいますと、サークル室にいるのはわたくしとレーヴェさまだけ。御三方はそれぞれ授業があるということで、クラス室や実験室へと移動をされました。
「人の気配が減ると、一気に静かに感じるな」
ぽつりとレーヴェさまがそう呟きをこぼされました。確かに、人の気配があるだけで幾分賑やかに感じますわね。今は二人に減ってしまいましたから、よりがらんとした室内が広く見えるのでしょう。
「御三方とも授業ということですから、仕方ありませんわ。お戻りになったら、また紅茶を用意致しましょう」
「そうだな……っ、あ」
ふと笑いながらページを捲ったレーヴェさまが、小さく呻き声を上げられました。それに続いて鼻腔を擽るのは微かな血の香り。馥郁たるそれに、口の中へじんわりと唾液が滲み出て来ます。
紙は指を切ってしまいやすい、それは理解しておりましたけれど、それがこうも目の前で行われると正に目に毒、香りもまた……理性を揺らすような良い匂いに目の前がくらくらしてしまいそう。
レーヴェさま、早くその血を拭ってくださいまし。そう胸の中で願いながら、わたくしは視線を本に綴られている文字へと落として、呼吸も少しずつゆっくりするように変えました。
もう味を知っているその赤が、白い指を流れて行くさまを目に入れないように。少しでも、匂いを肺へ送らないように。
「——フェリ」
そうして何とか本へ集中しようとしているわたくしに、レーヴェさまが声をかけてきました。ああ、ここで応えないなどという選択肢が取れない自分が恨めしい。
猫を五匹ほど被って、顔を上げます。すると彼はとても良い笑顔で、血がこぼれる指先をこの唇へと触れさせたのです。
「……! レ、レーヴェさま、何を……なさるん、ですか?」
「丁度良いから、俺の気持ちが変わっていないことをこれで証明しようと思ってな」
それだけ言うと、レーヴェさまの指先が少々強引に唇を割開いて口腔へと押し入り、逃げる間もなかった舌の表面に血を擦りつけて来ました。
傷口は浅かったのでしょう、すでに血は止まりかけているようですが、血を直接舌に擦りつけられたわたくしはそれに対して良かったですね、などと言える状態ではございません。
下手に口を動かせば、彼の指を噛んでしまう可能性もあります。ああ、まって、そんなに擦りつけないでください。
芳醇な血の味をほんの数量だけ与えられるのは、余計にお腹が減るのです。もっと飲みたい、この甘く深みのある血を玩味したい。そう思考が揺れてしまいます。
「どうだ? 俺の血はずっと甘いままだろう、もっと飲みたくはないか……?」
それは、理性の糸を千切らんとする誘いでございました。口が戦慄き、この指へ牙を立ててしまいたいという欲が、全身を巡って仕方がありません。
けれど、けれども。それをしてはならないと、戻れなくなると——わたくしは、必死の思いで頭を横に振りました。
口の中から指を引き抜いて、レーヴェさまは笑みを浮かべます。
「強情な姫だ。フェリ、二度もあなたへの恋慕と執着を味わって、他の血に満足出来るのか?」
「……まだ踏みとどまっておりましてよ。レーヴェさま、あなたと想いを繋げたとしてもわたくしを置いて逝かれる。それなのに、このような味を覚えさせるなど非道でございます」
わたくしからの批難に、それでもレーヴェさまが浮かべる常春の微笑みは変わりません。
彼はどうもわたくしに甘いものの、それはそれとして己の欲するものを手に入れるために手段を選ばないように見受けられました。
吸血種は愛した者に対して一途な愛を向けますが、人間種はそうではない。皇族ともなれば複数人の女性を妃として娶るのでしょう。
もしわたくしがレーヴェさまを愛した時、それを許容出来るとは思えないのです。己の愛する者が、他の誰かと想いを結ぶ、ええ、許せるものでしょうか。
「レーヴェさま。あなたは吸血種のことをまだ甘く見ていらっしゃる。我らが他国へ嫁入り、婿入りをしないのは、寿命の差だけではないのです」
「……では、何故?」
「吸血種にとって、伴侶は唯一の存在。余所見をするなど考えもしません。ですが、人間種や獣人種は違います。そして皇太子となれば、複数人の妃を抱えることとなるでしょう」
真っ直ぐに、彼の目を見つめて告げます。吸血種と人間種が結ばれるには、その思考に大きな差があるのですよ。我らが女王たるお母さまも、お父さま以外の伴侶も愛人もおりませんの。
「もし、わたくしがレーヴェさまを愛した時。きっとそのことに耐えられません。ですから、あなたのお心には応えられないのです。人間種は寿命が短い分、積極的に子を残そうとするが故なのでしょう。それを責めは致しません。ただ、わたくしの気持ちもお分かり頂きたく」
種族の違いによる考え方の差は、どうしようもないものです。そしてそれを埋めることは、とても難しい。口では何とでも言えましょう、実行出来るかが問題なのですよ。
わたくしたち吸血種の愛は、血のように赤く重いのです。レーヴェさま、それをよく考えてくださいまし。
グルムバッハさまもそうですけれど、皇太子妃の座を狙うのならば、その感情の発露を抑えねばならないと思うのですけれど、ネモ帝国では良しとされているのでしょうか。
他のクラスメイト方とはよくお喋りもしておりますから、わたくしに特別敵意剥き出しのグルムバッハさまは、周囲から少々距離を置かれているのですよね。
それにお気づきでしょうに、気にしていないのか虚勢を張っているのか……まあ、何れにしてもわたくしがお声がけをしても彼女の神経を逆撫でするだけでしょう。
そんなクラス室に比べて、サークル室は至って平和でございます。主にわたくしとレーヴェさまがよく入り浸っておりますけれど、他の御三方もよくここへ訪れますもの。
その時は紅茶とお茶菓子を用意して、少しお喋りに興じるのもまた良いのでございます。
さて、本日はといいますと、サークル室にいるのはわたくしとレーヴェさまだけ。御三方はそれぞれ授業があるということで、クラス室や実験室へと移動をされました。
「人の気配が減ると、一気に静かに感じるな」
ぽつりとレーヴェさまがそう呟きをこぼされました。確かに、人の気配があるだけで幾分賑やかに感じますわね。今は二人に減ってしまいましたから、よりがらんとした室内が広く見えるのでしょう。
「御三方とも授業ということですから、仕方ありませんわ。お戻りになったら、また紅茶を用意致しましょう」
「そうだな……っ、あ」
ふと笑いながらページを捲ったレーヴェさまが、小さく呻き声を上げられました。それに続いて鼻腔を擽るのは微かな血の香り。馥郁たるそれに、口の中へじんわりと唾液が滲み出て来ます。
紙は指を切ってしまいやすい、それは理解しておりましたけれど、それがこうも目の前で行われると正に目に毒、香りもまた……理性を揺らすような良い匂いに目の前がくらくらしてしまいそう。
レーヴェさま、早くその血を拭ってくださいまし。そう胸の中で願いながら、わたくしは視線を本に綴られている文字へと落として、呼吸も少しずつゆっくりするように変えました。
もう味を知っているその赤が、白い指を流れて行くさまを目に入れないように。少しでも、匂いを肺へ送らないように。
「——フェリ」
そうして何とか本へ集中しようとしているわたくしに、レーヴェさまが声をかけてきました。ああ、ここで応えないなどという選択肢が取れない自分が恨めしい。
猫を五匹ほど被って、顔を上げます。すると彼はとても良い笑顔で、血がこぼれる指先をこの唇へと触れさせたのです。
「……! レ、レーヴェさま、何を……なさるん、ですか?」
「丁度良いから、俺の気持ちが変わっていないことをこれで証明しようと思ってな」
それだけ言うと、レーヴェさまの指先が少々強引に唇を割開いて口腔へと押し入り、逃げる間もなかった舌の表面に血を擦りつけて来ました。
傷口は浅かったのでしょう、すでに血は止まりかけているようですが、血を直接舌に擦りつけられたわたくしはそれに対して良かったですね、などと言える状態ではございません。
下手に口を動かせば、彼の指を噛んでしまう可能性もあります。ああ、まって、そんなに擦りつけないでください。
芳醇な血の味をほんの数量だけ与えられるのは、余計にお腹が減るのです。もっと飲みたい、この甘く深みのある血を玩味したい。そう思考が揺れてしまいます。
「どうだ? 俺の血はずっと甘いままだろう、もっと飲みたくはないか……?」
それは、理性の糸を千切らんとする誘いでございました。口が戦慄き、この指へ牙を立ててしまいたいという欲が、全身を巡って仕方がありません。
けれど、けれども。それをしてはならないと、戻れなくなると——わたくしは、必死の思いで頭を横に振りました。
口の中から指を引き抜いて、レーヴェさまは笑みを浮かべます。
「強情な姫だ。フェリ、二度もあなたへの恋慕と執着を味わって、他の血に満足出来るのか?」
「……まだ踏みとどまっておりましてよ。レーヴェさま、あなたと想いを繋げたとしてもわたくしを置いて逝かれる。それなのに、このような味を覚えさせるなど非道でございます」
わたくしからの批難に、それでもレーヴェさまが浮かべる常春の微笑みは変わりません。
彼はどうもわたくしに甘いものの、それはそれとして己の欲するものを手に入れるために手段を選ばないように見受けられました。
吸血種は愛した者に対して一途な愛を向けますが、人間種はそうではない。皇族ともなれば複数人の女性を妃として娶るのでしょう。
もしわたくしがレーヴェさまを愛した時、それを許容出来るとは思えないのです。己の愛する者が、他の誰かと想いを結ぶ、ええ、許せるものでしょうか。
「レーヴェさま。あなたは吸血種のことをまだ甘く見ていらっしゃる。我らが他国へ嫁入り、婿入りをしないのは、寿命の差だけではないのです」
「……では、何故?」
「吸血種にとって、伴侶は唯一の存在。余所見をするなど考えもしません。ですが、人間種や獣人種は違います。そして皇太子となれば、複数人の妃を抱えることとなるでしょう」
真っ直ぐに、彼の目を見つめて告げます。吸血種と人間種が結ばれるには、その思考に大きな差があるのですよ。我らが女王たるお母さまも、お父さま以外の伴侶も愛人もおりませんの。
「もし、わたくしがレーヴェさまを愛した時。きっとそのことに耐えられません。ですから、あなたのお心には応えられないのです。人間種は寿命が短い分、積極的に子を残そうとするが故なのでしょう。それを責めは致しません。ただ、わたくしの気持ちもお分かり頂きたく」
種族の違いによる考え方の差は、どうしようもないものです。そしてそれを埋めることは、とても難しい。口では何とでも言えましょう、実行出来るかが問題なのですよ。
わたくしたち吸血種の愛は、血のように赤く重いのです。レーヴェさま、それをよく考えてくださいまし。
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ガウスさまから敵意に満ちたお呼び出しを受けてから数日が経過致しました。かの方は、相変わらずわたくしを見ると酷く立腹されるようで、いつでもそのお顔は恐ろしいものになっております。
グルムバッハさまもそうですけれど、皇太子妃の座を狙うのならば、その感情の発露を抑えねばならないと思うのですけれど、ネモ帝国では良しとされているのでしょうか。
他のクラスメイト方とはよくお喋りもしておりますから、わたくしに特別敵意剥き出しのグルムバッハさまは、周囲から少々距離を置かれているのですよね。
それにお気づきでしょうに、気にしていないのか虚勢を張っているのか……まあ、何れにしてもわたくしがお声がけをしても彼女の神経を逆撫でするだけでしょう。
そんなクラス室に比べて、サークル室は至って平和でございます。主にわたくしとレーヴェさまがよく入り浸っておりますけれど、他の御三方もよくここへ訪れますもの。
その時は紅茶とお茶菓子を用意して、少しお喋りに興じるのもまた良いのでございます。
さて、本日はといいますと、サークル室にいるのはわたくしとレーヴェさまだけ。御三方はそれぞれ授業があるということで、クラス室や実験室へと移動をされました。
「人の気配が減ると、一気に静かに感じるな」
ぽつりとレーヴェさまがそう呟きをこぼされました。確かに、人の気配があるだけで幾分賑やかに感じますわね。今は二人に減ってしまいましたから、よりがらんとした室内が広く見えるのでしょう。
「御三方とも授業ということですから、仕方ありませんわ。お戻りになったら、また紅茶を用意致しましょう」
「そうだな……っ、あ」
「そうだな……っ、あ」
ふと笑いながらページを捲ったレーヴェさまが、小さく呻き声を上げられました。それに続いて鼻腔を擽るのは微かな血の香り。|馥郁《ふくいく》たるそれに、口の中へじんわりと唾液が滲み出て来ます。
紙は指を切ってしまいやすい、それは理解しておりましたけれど、それがこうも目の前で行われると正に目に毒、香りもまた……理性を揺らすような良い匂いに目の前がくらくらしてしまいそう。
レーヴェさま、早くその血を拭ってくださいまし。そう胸の中で願いながら、わたくしは視線を本に綴られている文字へと落として、呼吸も少しずつゆっくりするように変えました。
もう味を知っているその赤が、白い指を流れて行くさまを目に入れないように。少しでも、匂いを肺へ送らないように。
「——フェリ」
そうして何とか本へ集中しようとしているわたくしに、レーヴェさまが声をかけてきました。ああ、ここで応えないなどという選択肢が取れない自分が恨めしい。
猫を五匹ほど被って、顔を上げます。すると彼はとても良い笑顔で、血がこぼれる指先をこの唇へと触れさせたのです。
「……! レ、レーヴェさま、何を……なさるん、ですか?」
「丁度良いから、俺の気持ちが変わっていないことをこれで証明しようと思ってな」
「丁度良いから、俺の気持ちが変わっていないことをこれで証明しようと思ってな」
それだけ言うと、レーヴェさまの指先が少々強引に唇を割開いて口腔へと押し入り、逃げる間もなかった舌の表面に血を擦りつけて来ました。
傷口は浅かったのでしょう、すでに血は止まりかけているようですが、血を直接舌に擦りつけられたわたくしはそれに対して良かったですね、などと言える状態ではございません。
下手に口を動かせば、彼の指を噛んでしまう可能性もあります。ああ、まって、そんなに擦りつけないでください。
芳醇な血の味をほんの数量だけ与えられるのは、余計にお腹が減るのです。もっと飲みたい、この甘く深みのある血を|玩味《がんみ》したい。そう思考が揺れてしまいます。
「どうだ? 俺の血はずっと甘いままだろう、もっと飲みたくはないか……?」
それは、理性の糸を千切らんとする誘いでございました。口が戦慄き、この指へ牙を立ててしまいたいという欲が、全身を巡って仕方がありません。
けれど、けれども。それをしてはならないと、戻れなくなると——わたくしは、必死の思いで頭を横に振りました。
口の中から指を引き抜いて、レーヴェさまは笑みを浮かべます。
「強情な姫だ。フェリ、二度もあなたへの恋慕と執着を味わって、他の血に満足出来るのか?」
「……まだ踏みとどまっておりましてよ。レーヴェさま、あなたと想いを繋げたとしてもわたくしを置いて逝かれる。それなのに、このような味を覚えさせるなど非道でございます」
「……まだ踏みとどまっておりましてよ。レーヴェさま、あなたと想いを繋げたとしてもわたくしを置いて逝かれる。それなのに、このような味を覚えさせるなど非道でございます」
わたくしからの批難に、それでもレーヴェさまが浮かべる常春の微笑みは変わりません。
彼はどうもわたくしに甘いものの、それはそれとして己の欲するものを手に入れるために手段を選ばないように見受けられました。
吸血種は愛した者に対して一途な愛を向けますが、人間種はそうではない。皇族ともなれば複数人の女性を妃として娶るのでしょう。
もしわたくしがレーヴェさまを愛した時、それを許容出来るとは思えないのです。己の愛する者が、他の誰かと想いを結ぶ、ええ、許せるものでしょうか。
「レーヴェさま。あなたは吸血種のことをまだ甘く見ていらっしゃる。我らが他国へ嫁入り、婿入りをしないのは、寿命の差だけではないのです」
「……では、何故?」
「吸血種にとって、伴侶は唯一の存在。余所見をするなど考えもしません。ですが、人間種や獣人種は違います。そして皇太子となれば、複数人の妃を抱えることとなるでしょう」
「……では、何故?」
「吸血種にとって、伴侶は唯一の存在。余所見をするなど考えもしません。ですが、人間種や獣人種は違います。そして皇太子となれば、複数人の妃を抱えることとなるでしょう」
真っ直ぐに、彼の目を見つめて告げます。吸血種と人間種が結ばれるには、その思考に大きな差があるのですよ。我らが女王たるお母さまも、お父さま以外の伴侶も愛人もおりませんの。
「もし、わたくしがレーヴェさまを愛した時。きっとそのことに耐えられません。ですから、あなたのお心には応えられないのです。人間種は寿命が短い分、積極的に子を残そうとするが故なのでしょう。それを責めは致しません。ただ、わたくしの気持ちもお分かり頂きたく」
種族の違いによる考え方の差は、どうしようもないものです。そしてそれを埋めることは、とても難しい。口では何とでも言えましょう、実行出来るかが問題なのですよ。
わたくしたち吸血種の愛は、血のように赤く重いのです。レーヴェさま、それをよく考えてくださいまし。
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