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父子家庭

ー/ー



 男手ひとつで育て上げた一人娘、里沙(りさ)がついに結婚することとなった。
 嬉しさと同時に、寂しさも感じる。
 俺はこれまでの子育てを思い返した。
 まさに、万感の思いだ。

 里沙が選んだ男に間違いはなかった。
 彼は料理が得意で、掃除や洗濯もしっかりできる、今どきの男であった。

「彼はね、お父さんみたいに家事ができる人だから、安心できるの」

 そう言われたときは、これまでの子育ての苦労をねぎらってもらえたかのような感動を覚えたものだ。

 妻は、里沙が五歳の時に、病気で亡くなった。
 以後、俺と里沙との二人暮らしでここまで生きてきた。
 いわゆる、父子家庭である。

 妻が亡くなってすぐは、俺も里沙もなかなか現実を受け入れることができなかった。
 しかし、時薬というのは効くものである。
 俺も里沙も、ついには現実を受け入れ、二人で共に成長しながらここまで来ることができた。
 親戚からは、

「男手ひとつで娘さんを育てるなんて大変でしょ」

と、何度も心配された。
 実際、大変ではあった。
 親戚に中には、私が引き取ろうか、などと言ってくる人もいたが、里沙は私の子供。私が育てるのが当然だ。
 親切心で言ってくれているのは分かるが、俺に育児能力がないかのような扱いには腹が立った。
 妻はいなくても、里沙は俺が育てる。
 俺は親なのだから。
 里沙が小学校に入学するときに、動画サイトを見ながら給食袋を縫い上げたものだった。エプロンやランチマットなどを入れるための、いわゆる巾着みたいな袋だ。
 もっとかわいい袋がよかった、なんて言われもしたけれど、なんだかんだで卒業まで使ってくれたのは嬉しかった。

 母親がいないことで、梨沙には惨めな思いはさせたくない。
 そればかりを意識して子育てをしてきた。
 ある日、

「おともだちはみんな、かわいいかみがた、してきているのに!」

と、なじられたこともある。
 こういう時、母親がいれば娘のためにかわいい髪型に結ってあげたりできるんだろうな、などと落ち込んでしまう。
 とはいえ、父子家庭だからといって惨めな思いはさせたくない。
 その一心で、ヘアアレンジの勉強をしてみた……が、やはり俺には難しい世界だった。
 これならできるかも。そう思った髪型、それは「三つ編み」だった。
 動画を何度も見ながら練習した。
 何を使って練習したのかって?
 台所に吊るしてある「玉のれん」。
 なんとも昭和なアイテムで、里沙にはいつもダサいとか言われていたのだが、俺は里沙がいないときに玉のれんで三つ編みの練習をし、できるようになった。

 朝の時間はいつも忙しかったが、俺は里沙の髪を毎日三つ編みにしてあげた。

「いつもこの髪型ばっかり! 他のはないの?」

 調べてみると、三つ編みにもいろいろ編み込み方があるようで、部分的に三つ編みにして髪飾りのように頭に巻いたりするものもあると知った。

 いつもは聞かない娘も、髪を編んであげているときは大人しく座っていた。
 髪を三つ編みにすることは、俺と里沙との毎日の大切なふれあいの一つとなっていった。
 学年が上がるにつれ梨沙は自分でセットできるようになり、思春期特有の問題もあって、俺が髪をいじることもなくなり、それはそれで寂しくも思えた。
 それでも、

「お父さんがやるより上手でしょ?」

と言って自分で編んだ髪型を見せてくれる里沙は、正直、かわいいと思った。

 授業参観は、とにかく行ける限り行くようにした。
 父親の参観は、やはり少数派であり、チラチラと視線が向けられるのを感じてはいた。
 それも、すぐ慣れた。
 俺が参観に毎回来るものだから、授業参観は父親も見に来てよい、という雰囲気が広まったのだろうか。
 だんだんと参観に来る父親の数も増えてきた。
 同じ男性同士、挨拶を交わし、親しくなることもできた。

 学校行事では、保護者のお父さん連中で「おやじの会」なるものを結成し、運動会の片付けなどをボランティアで手伝う活動にも取り組んだ。
 子供の学校生活にこうして関わることができて、これはこれで満足感があった。

 その決意は固く、親戚たちからは私が無理しているように見えたらしい。
 いろいろな助けを提案されたが、俺は「親」としてのプライドで、それを頑なに断ってきた。

 しかし、精神論で乗り切るのは難しかった。
 俺は倒れてしまい、里沙に多大なる迷惑をかけてしまったのである。

 親戚や、俺の親、そして亡き妻の親たちは手を差し伸べてくれた。
 親戚たちは交代で炊事や掃除、洗濯に来てくれた。
 里沙の面倒も見てくれた。
 心苦しくも思ったが、正直、地獄で仏を見たようだった。
 人に頼るのは負けた気がする。
 これまでは、そう思っていた。
 しかし、助けてくれた親戚たちはみな、満足そうな笑顔を浮かべながら俺と里沙を助けてくれたのである。

 親戚たちは、自分たちが俺達の生活の役に立てたことを、とても喜んでいた。
 人に頼ることは、必ずしも迷惑なことではない。
 人には助けてあげたいという、根本的な愛情というようなものが備わっているのであろう。

 それからの俺は、何でも一人で頑張ろうとするのではなく、人の助けも時には借り、ギブアンドテイクで生きていくことにしたのだった。

 俺は母親ではないし、そもそも母親になることはできない。
 しかしながら、母親に勝ろうとそればかり意識していたのが失敗だっのだと、今にしてみればそう思える。
 父親にできないこともあるが、父親だからできることもある。
 そちらに目を向けるべきだったのだ。

 里沙の前ではスーパーマンでありたかったのも本音だった。
 しかし、時には弱みも見せたり、人に頼ったりする、そんな俺のことを里沙は分かってくれていたようだった。

 完璧な人間なんていないのと同じように、完璧な親なんてこの世には存在しない。
 ただ、「成長」することはできる。
 俺は里沙を育てながら、俺自身は父親になれるようにと里沙によって育てられていたのだろう。
 親は子供を育て、子供は親を育てる。
 意外とそういうものなのかもしれない。

 里沙はよく、周りの人たちから、お母さんがいなくてかわいそうだ、大変そうだと、よく言われていて、それがとてつもなく嫌だとよく言っていた。
 自分はかわいそうなのではない。
 普通に生活しているだけ。
 それなのに、周りの人はかわいそうだと言う。
 それが嫌だという。
 なるほど、その気持ちは痛いほど分かる。
 そして、里沙にそんな嫌な思いをさせていたことを心苦しく思った。

 里沙はかわいくていい子なのだが、やはり、叱らなければならない場面というのはあるものだ。
 褒めるだけで育児ができるほど、世の中甘くはなかった。
 思春期の難しい年頃では、どう接していいのか、戸惑うことも多かった。
 世代も性別も違うのだ。
 当然、考え方が合わないこともたくさんある。

 大人から見れば、娘のやることは危なっかしく、世間知らずで、心配の種は尽きなかった。
 頭ごなしに叱りつければ、反発するのは目に見えていた。なので、

「父さんはこう思うんだがな」

という言い方を心がけた。
 親だからといって、子供のことを完全に制御できるわけではない。
 最終的には、本人が決めること。
 自分がここまで育ててきた娘。
 だから、俺は娘を信じてきた。

 思春期を通り越せば、娘は俺のよき理解者となってくれた。
 親の苦労というものが、少しはわかる年頃になったようだった。

 ああしてほしい、こうしてほしいと、親ならやってくれて当然だ、といった顔で何でも要求していた小さい頃と比べて随分と大人になったなと、これまた嬉しさと寂しさが込み上げてきた。

* * *

「お義父さん、里沙さんと結婚させてください」

 里沙の彼氏が緊張の面持ちで挨拶に来た時、テレビドラマではよく聞いていたこの言葉を実際に言われた。それもまた、感慨深いものがあった。

「ダメだ! 里沙は嫁にはやらん!」

 なんて言ってみようかと思っていた。
 びっくりする彼氏に、

「……って言ったら盛り上がるだろ?」

と言ってふざけてみようかと考えていた。
 まぁ、これは妄想で、真剣な彼のまなざしと真摯な態度を見たら、こんなふざけた妄想を考えていた自分が恥ずかしくなった。

「お義父さん、里沙さんと結婚させてください」

の言葉に俺は、

「不躾な娘ではありますが、里沙をどうかよろしく頼みます」

と、父親人生の中で最も父親らしい言葉で返すことで精一杯であった。
 そんな俺たちを見ながら、里沙は最高の笑顔を浮かべていた。

* * *

 結婚に向けて様々な準備を進めていたある日、里沙から電話がかかってきた。

「お父さん、今からそっち行くから。大切な話があるの」

 大切な話?
 何のことだろう。
 確かにさっきの電話の声は震えていた。
 いったい何を言ってくるのだろう。
 不安になってきた。

 再び、電話がかかってきた。

「彼も一緒に話を聞きたいって」

 ますます訳が分からない。
 話を聞きたいということは、俺が何か話すということなのか?
 とりあえずは二人を迎え入れる準備をして、俺は待った。

 子供ができたという報告なのだろうか?
 たとえそうだとして、結婚は決まっているのだから今さら俺が怒ることでもない。

 二人の関係に軋轢が生じたのだろうか。
 うまくいっているものとばかり思っていたが。

 いやいや、話を聞きたいと言っていた。
 であれば、先ほどの予想は当てはまらないだろう。

 悶々としながら、俺は二人を待った。



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 男手ひとつで育て上げた一人娘、|里沙《りさ》がついに結婚することとなった。
 嬉しさと同時に、寂しさも感じる。
 俺はこれまでの子育てを思い返した。
 まさに、万感の思いだ。
 里沙が選んだ男に間違いはなかった。
 彼は料理が得意で、掃除や洗濯もしっかりできる、今どきの男であった。
「彼はね、お父さんみたいに家事ができる人だから、安心できるの」
 そう言われたときは、これまでの子育ての苦労をねぎらってもらえたかのような感動を覚えたものだ。
 妻は、里沙が五歳の時に、病気で亡くなった。
 以後、俺と里沙との二人暮らしでここまで生きてきた。
 いわゆる、父子家庭である。
 妻が亡くなってすぐは、俺も里沙もなかなか現実を受け入れることができなかった。
 しかし、時薬というのは効くものである。
 俺も里沙も、ついには現実を受け入れ、二人で共に成長しながらここまで来ることができた。
 親戚からは、
「男手ひとつで娘さんを育てるなんて大変でしょ」
と、何度も心配された。
 実際、大変ではあった。
 親戚に中には、私が引き取ろうか、などと言ってくる人もいたが、里沙は私の子供。私が育てるのが当然だ。
 親切心で言ってくれているのは分かるが、俺に育児能力がないかのような扱いには腹が立った。
 妻はいなくても、里沙は俺が育てる。
 俺は親なのだから。
 里沙が小学校に入学するときに、動画サイトを見ながら給食袋を縫い上げたものだった。エプロンやランチマットなどを入れるための、いわゆる巾着みたいな袋だ。
 もっとかわいい袋がよかった、なんて言われもしたけれど、なんだかんだで卒業まで使ってくれたのは嬉しかった。
 母親がいないことで、梨沙には惨めな思いはさせたくない。
 そればかりを意識して子育てをしてきた。
 ある日、
「おともだちはみんな、かわいいかみがた、してきているのに!」
と、なじられたこともある。
 こういう時、母親がいれば娘のためにかわいい髪型に結ってあげたりできるんだろうな、などと落ち込んでしまう。
 とはいえ、父子家庭だからといって惨めな思いはさせたくない。
 その一心で、ヘアアレンジの勉強をしてみた……が、やはり俺には難しい世界だった。
 これならできるかも。そう思った髪型、それは「三つ編み」だった。
 動画を何度も見ながら練習した。
 何を使って練習したのかって?
 台所に吊るしてある「玉のれん」。
 なんとも昭和なアイテムで、里沙にはいつもダサいとか言われていたのだが、俺は里沙がいないときに玉のれんで三つ編みの練習をし、できるようになった。
 朝の時間はいつも忙しかったが、俺は里沙の髪を毎日三つ編みにしてあげた。
「いつもこの髪型ばっかり! 他のはないの?」
 調べてみると、三つ編みにもいろいろ編み込み方があるようで、部分的に三つ編みにして髪飾りのように頭に巻いたりするものもあると知った。
 いつもは聞かない娘も、髪を編んであげているときは大人しく座っていた。
 髪を三つ編みにすることは、俺と里沙との毎日の大切なふれあいの一つとなっていった。
 学年が上がるにつれ梨沙は自分でセットできるようになり、思春期特有の問題もあって、俺が髪をいじることもなくなり、それはそれで寂しくも思えた。
 それでも、
「お父さんがやるより上手でしょ?」
と言って自分で編んだ髪型を見せてくれる里沙は、正直、かわいいと思った。
 授業参観は、とにかく行ける限り行くようにした。
 父親の参観は、やはり少数派であり、チラチラと視線が向けられるのを感じてはいた。
 それも、すぐ慣れた。
 俺が参観に毎回来るものだから、授業参観は父親も見に来てよい、という雰囲気が広まったのだろうか。
 だんだんと参観に来る父親の数も増えてきた。
 同じ男性同士、挨拶を交わし、親しくなることもできた。
 学校行事では、保護者のお父さん連中で「おやじの会」なるものを結成し、運動会の片付けなどをボランティアで手伝う活動にも取り組んだ。
 子供の学校生活にこうして関わることができて、これはこれで満足感があった。
 その決意は固く、親戚たちからは私が無理しているように見えたらしい。
 いろいろな助けを提案されたが、俺は「親」としてのプライドで、それを頑なに断ってきた。
 しかし、精神論で乗り切るのは難しかった。
 俺は倒れてしまい、里沙に多大なる迷惑をかけてしまったのである。
 親戚や、俺の親、そして亡き妻の親たちは手を差し伸べてくれた。
 親戚たちは交代で炊事や掃除、洗濯に来てくれた。
 里沙の面倒も見てくれた。
 心苦しくも思ったが、正直、地獄で仏を見たようだった。
 人に頼るのは負けた気がする。
 これまでは、そう思っていた。
 しかし、助けてくれた親戚たちはみな、満足そうな笑顔を浮かべながら俺と里沙を助けてくれたのである。
 親戚たちは、自分たちが俺達の生活の役に立てたことを、とても喜んでいた。
 人に頼ることは、必ずしも迷惑なことではない。
 人には助けてあげたいという、根本的な愛情というようなものが備わっているのであろう。
 それからの俺は、何でも一人で頑張ろうとするのではなく、人の助けも時には借り、ギブアンドテイクで生きていくことにしたのだった。
 俺は母親ではないし、そもそも母親になることはできない。
 しかしながら、母親に勝ろうとそればかり意識していたのが失敗だっのだと、今にしてみればそう思える。
 父親にできないこともあるが、父親だからできることもある。
 そちらに目を向けるべきだったのだ。
 里沙の前ではスーパーマンでありたかったのも本音だった。
 しかし、時には弱みも見せたり、人に頼ったりする、そんな俺のことを里沙は分かってくれていたようだった。
 完璧な人間なんていないのと同じように、完璧な親なんてこの世には存在しない。
 ただ、「成長」することはできる。
 俺は里沙を育てながら、俺自身は父親になれるようにと里沙によって育てられていたのだろう。
 親は子供を育て、子供は親を育てる。
 意外とそういうものなのかもしれない。
 里沙はよく、周りの人たちから、お母さんがいなくてかわいそうだ、大変そうだと、よく言われていて、それがとてつもなく嫌だとよく言っていた。
 自分はかわいそうなのではない。
 普通に生活しているだけ。
 それなのに、周りの人はかわいそうだと言う。
 それが嫌だという。
 なるほど、その気持ちは痛いほど分かる。
 そして、里沙にそんな嫌な思いをさせていたことを心苦しく思った。
 里沙はかわいくていい子なのだが、やはり、叱らなければならない場面というのはあるものだ。
 褒めるだけで育児ができるほど、世の中甘くはなかった。
 思春期の難しい年頃では、どう接していいのか、戸惑うことも多かった。
 世代も性別も違うのだ。
 当然、考え方が合わないこともたくさんある。
 大人から見れば、娘のやることは危なっかしく、世間知らずで、心配の種は尽きなかった。
 頭ごなしに叱りつければ、反発するのは目に見えていた。なので、
「父さんはこう思うんだがな」
という言い方を心がけた。
 親だからといって、子供のことを完全に制御できるわけではない。
 最終的には、本人が決めること。
 自分がここまで育ててきた娘。
 だから、俺は娘を信じてきた。
 思春期を通り越せば、娘は俺のよき理解者となってくれた。
 親の苦労というものが、少しはわかる年頃になったようだった。
 ああしてほしい、こうしてほしいと、親ならやってくれて当然だ、といった顔で何でも要求していた小さい頃と比べて随分と大人になったなと、これまた嬉しさと寂しさが込み上げてきた。
* * *
「お義父さん、里沙さんと結婚させてください」
 里沙の彼氏が緊張の面持ちで挨拶に来た時、テレビドラマではよく聞いていたこの言葉を実際に言われた。それもまた、感慨深いものがあった。
「ダメだ! 里沙は嫁にはやらん!」
 なんて言ってみようかと思っていた。
 びっくりする彼氏に、
「……って言ったら盛り上がるだろ?」
と言ってふざけてみようかと考えていた。
 まぁ、これは妄想で、真剣な彼のまなざしと真摯な態度を見たら、こんなふざけた妄想を考えていた自分が恥ずかしくなった。
「お義父さん、里沙さんと結婚させてください」
の言葉に俺は、
「不躾な娘ではありますが、里沙をどうかよろしく頼みます」
と、父親人生の中で最も父親らしい言葉で返すことで精一杯であった。
 そんな俺たちを見ながら、里沙は最高の笑顔を浮かべていた。
* * *
 結婚に向けて様々な準備を進めていたある日、里沙から電話がかかってきた。
「お父さん、今からそっち行くから。大切な話があるの」
 大切な話?
 何のことだろう。
 確かにさっきの電話の声は震えていた。
 いったい何を言ってくるのだろう。
 不安になってきた。
 再び、電話がかかってきた。
「彼も一緒に話を聞きたいって」
 ますます訳が分からない。
 話を聞きたいということは、俺が何か話すということなのか?
 とりあえずは二人を迎え入れる準備をして、俺は待った。
 子供ができたという報告なのだろうか?
 たとえそうだとして、結婚は決まっているのだから今さら俺が怒ることでもない。
 二人の関係に軋轢が生じたのだろうか。
 うまくいっているものとばかり思っていたが。
 いやいや、話を聞きたいと言っていた。
 であれば、先ほどの予想は当てはまらないだろう。
 悶々としながら、俺は二人を待った。