第19話 告白
ー/ー
愛玲奈は淑枝に連れられてホテルを出た。愛玲奈は夕食も朝食もほとんど口にせず、たった一晩で見るからにやつれ衰え、淑枝をやきもきさせた。
「まずは羽田行きの飛行機に乗って、羽田でまた乗り換えるがよ。三時ばあには向こうの空港に着くぜよ」
「ええ……」
函館駅から函館空港に向かうバスに乗っている間、愛玲奈は車窓の景色を食い入るように見つめていた。この景色を目に焼き付け記憶にとどめようとしているように淑枝には思えた。淑枝の胸には、奥底に覆い隠してきた何かが揺らめき、ほの暗い影が差す。
「いとさん、そんなに気ぃ落とさんかよ。えいこともきっとあるがよ」
と淑枝が慰めると
「うんそうね、ほんと……そ……う」
と喉から絞り出すと口元を手で覆い、大きな丸眼鏡の向こうの瞳から一雫の涙を零した。
歩く時の愛玲奈は、まるで重たい捕縄に拘束されたままとぼとぼと歩く罪人であるかのように俯き、ゆっくりと歩みを進める。その歩く速度の遅さに淑枝は苛立ちつつもどこか哀れを誘うものを感じるのだった。
函館空港に着く。愛玲奈は正に亀の歩みでバスから降りて虚ろな表情で出発ターミナルまで連れていかれる。淑枝はまるで自分が悪い事でもしているような気分に駆られた。
チェックインカウンターで搭乗券を受け取り、淑枝だけが荷物を預けそして二階の搭乗口に向かおうとエスカレーターに乗り、二人は搭乗口に向かった。その時。
「愛玲奈!」
その声に素早く反応した愛玲奈は今までとは全く別人のような敏捷性で振り向く。
「凪沙……っ」
十メートルほど先に凪沙が立っていた。凪沙を見た愛玲奈は喜んでいいのか怒っていいのか判らない奇妙な笑顔を浮かべて引きつる。淑枝は当然ひどく不機嫌な顔で凪沙に食って掛かった。
「今さら何しに来たがぜ、この根性なしが」
「愛玲奈に帰ってきてもらう」
愛玲奈は苦しそうな、でも心の底のどこかでは嬉しそうな表情で呻いた。
「でも、だめ。私お父様たちを裏切れない!」
「裏切りじゃない。愛玲奈は体よく利用されてるだけだ。 愛玲奈の優しさに付け入って自分たちの無能と怠惰を自分で正そうともせずのうのうとうまい汁だけを吸おうとする連中に愛玲奈がその人生を投げ打つ価値はない」
「われ、なんちゅうこと言いよるがよ! ほいたら、藤峯のうちにしといたご恩を忘れちょるがか!」
「恩に報いろと言うなら報いる。だがわたし達は藤峯家の召使じゃない。愛玲奈は藤峯のタヌキ親父の召使でも道具でもない。愛してる者がいるのに意に沿わぬ結婚なぞできるか! それが恩に報いることだと言うなら、わたしは藤峯のして来た事自体を全否定する!」
「愛しちゅうもん? おんし、ほんまに何言いゆうがよ?」
淑枝は呆気にとられた顔をする。
「ほいたら、いとさんにはええ相手がおって、それで逃げて来たっちゅうがか?」
愛玲奈は小さくしゃくりあげる。
「愛しているの…… 愛しているんです…… 心の底から……」
「そりゃ一体誰なが? 村のもんながぜ?」
愛玲奈は次第に泣きじゃくってハンカチで涙を拭きながら何度も頷く。
「その男、今どこにおるがぜ? 今何をしゆうがぜ?」
動揺した淑枝の詰問に愛玲奈は首を大きく横に振る。何度も振る。
「どういうことなが? そねえじゃ意味が分からんがよ」
苛立ちの表情を見せる淑枝。
「違うっ、違うのっ、男の人じゃないんですっ」
愛玲奈は号泣しながらもそれでも淑枝に自分の真実を伝えようとしていた。
「男やないが? 言いゆうことがまっこと分からんがぜ……」
困惑する淑枝を前にして号泣する愛玲奈は、右手人差し指を勢い良く掲げて凪沙を指差した。
「凪沙がっ…… 私凪沙をっ…… 凪沙をっ…… 私っ」
号泣する愛玲奈と困惑する淑枝の前で凪沙が告白する。
「その相手はわたしなんだ」
淑枝が状況を把握するまでに四秒かかった。
「なんちゅうたが? 今、なんて言うたが?」
その間、淑枝は滑稽なほどポカーンと口を広げて思考が停止していた。だがその後の動作は機敏だった。
「おまんがっ、おまんがっ、女だてらにいとさんとねんごろになって、たぶらかした挙句に駆け落ちしよったがか! なんちゅうことをしでかしちゅうがぞ! このクソガキがぁっ! 許さんっ! 許さんぜよっ!」
凪沙のいるところまでつかつかと駆け寄ると、過酷な林業に携わる者の堅牢な拳を固めて凪沙の顔を殴る淑枝。まるで叩いて憑き物を落とそうとしているかのようだ。眼を剥き怒り、憎悪、嫌悪、困惑、恐怖がない交ぜになった表情を見せる。凪沙は敢えて抵抗も回避もしない。ただ黙って殴られるだけだった。凪沙の顔に青あざが浮かび上がる。恐怖に駆られた愛玲奈は手をだらりと下げ俯いて立ちつくしてしゃくりあげながら号泣するだけだった。
◆次回 第20話 愛
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|愛玲奈《あれな》は|淑枝《としえ》に連れられてホテルを出た。|愛玲奈《あれな》は夕食も朝食もほとんど口にせず、たった一晩で見るからにやつれ衰え、淑枝をやきもきさせた。
「まずは羽田行きの飛行機に乗って、羽田でまた乗り換えるがよ。三時ばあには向こうの空港に着くぜよ」
「ええ……」
函館駅から函館空港に向かうバスに乗っている間、|愛玲奈《あれな》は車窓の景色を食い入るように見つめていた。この景色を目に焼き付け記憶にとどめようとしているように淑枝には思えた。淑枝の胸には、奥底に覆い隠してきた何かが揺らめき、ほの暗い影が差す。
「いとさん、そんなに気ぃ落とさんかよ。えいこともきっとあるがよ」
と淑枝が慰めると
「うんそうね、ほんと……そ……う」
と喉から絞り出すと口元を手で覆い、大きな丸眼鏡の向こうの瞳から一|雫《しずく》の涙を零した。
歩く時の愛玲奈は、まるで重たい捕縄に拘束されたままとぼとぼと歩く罪人であるかのように俯き、ゆっくりと歩みを進める。その歩く速度の遅さに淑枝は苛立ちつつもどこか哀れを誘うものを感じるのだった。
函館空港に着く。愛玲奈は正に亀の歩みでバスから降りて虚ろな表情で出発ターミナルまで連れていかれる。淑枝はまるで自分が悪い事でもしているような気分に駆られた。
チェックインカウンターで搭乗券を受け取り、淑枝だけが荷物を預けそして二階の搭乗口に向かおうとエスカレーターに乗り、二人は搭乗口に向かった。その時。
「|愛玲奈《あれな》!」
その声に素早く反応した愛玲奈は今までとは全く別人のような敏捷性で振り向く。
「|凪沙《なぎさ》……っ」
十メートルほど先に凪沙が立っていた。凪沙を見た|愛玲奈《あれな》は喜んでいいのか怒っていいのか判らない奇妙な笑顔を浮かべて引きつる。淑枝は当然ひどく不機嫌な顔で凪沙に食って掛かった。
「今さら何しに来たがぜ、この根性なしが」
「|愛玲奈《あれな》に帰ってきてもらう」
|愛玲奈《あれな》は苦しそうな、でも心の底のどこかでは嬉しそうな表情で呻いた。
「でも、だめ。私お父様たちを裏切れない!」
「裏切りじゃない。|愛玲奈《あれな》は体よく利用されてるだけだ。 |愛玲奈《あれな》の優しさに付け入って自分たちの無能と怠惰を自分で正そうともせずのうのうとうまい汁だけを吸おうとする連中に|愛玲奈《あれな》がその人生を投げ打つ価値はない」
「われ、なんちゅうこと言いよるがよ! ほいたら、藤峯のうちにしといたご恩を忘れちょるがか!」
「恩に報いろと言うなら報いる。だがわたし達は藤峯家の召使じゃない。|愛玲奈《あれな》は藤峯のタヌキ親父の召使でも道具でもない。愛してる者がいるのに意に沿わぬ結婚なぞできるか! それが恩に報いることだと言うなら、わたしは藤峯のして来た事自体を全否定する!」
「愛しちゅうもん? おんし、ほんまに何言いゆうがよ?」
淑枝は呆気にとられた顔をする。
「ほいたら、いとさんにはええ相手がおって、それで逃げて来たっちゅうがか?」
|愛玲奈《あれな》は小さくしゃくりあげる。
「愛しているの…… 愛しているんです…… 心の底から……」
「そりゃ一体誰なが? 村のもんながぜ?」
|愛玲奈《あれな》は次第に泣きじゃくってハンカチで涙を拭きながら何度も頷く。
「その男、今どこにおるがぜ? 今何をしゆうがぜ?」
動揺した淑枝の詰問に|愛玲奈《あれな》は首を大きく横に振る。何度も振る。
「どういうことなが? そねえじゃ意味が分からんがよ」
苛立ちの表情を見せる淑枝。
「違うっ、違うのっ、男の人じゃないんですっ」
|愛玲奈《あれな》は号泣しながらもそれでも淑枝に自分の真実を伝えようとしていた。
「男やないが? 言いゆうことがまっこと分からんがぜ……」
困惑する淑枝を前にして号泣する|愛玲奈《あれな》は、右手人差し指を勢い良く掲げて凪沙を指差した。
「凪沙がっ…… 私凪沙をっ…… 凪沙をっ…… 私っ」
号泣する|愛玲奈《あれな》と困惑する淑枝の前で凪沙が告白する。
「その相手はわたしなんだ」
淑枝が状況を把握するまでに四秒かかった。
「なんちゅうたが? 今、なんて言うたが?」
その間、淑枝は滑稽なほどポカーンと口を広げて思考が停止していた。だがその後の動作は機敏だった。
「おまんがっ、おまんがっ、女だてらにいとさんとねんごろになって、たぶらかした挙句に駆け落ちしよったがか! なんちゅうことをしでかしちゅうがぞ! このクソガキがぁっ! 許さんっ! 許さんぜよっ!」
凪沙のいるところまでつかつかと駆け寄ると、過酷な林業に携わる者の堅牢な拳を固めて凪沙の顔を殴る淑枝。まるで叩いて憑き物を落とそうとしているかのようだ。眼を剥き怒り、憎悪、嫌悪、困惑、恐怖がない交ぜになった表情を見せる。凪沙は敢えて抵抗も回避もしない。ただ黙って殴られるだけだった。凪沙の顔に青あざが浮かび上がる。恐怖に駆られた|愛玲奈《あれな》は手をだらりと下げ俯いて立ちつくしてしゃくりあげながら号泣するだけだった。
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