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第7話 ひと時の友

ー/ー



 あんこう鍋は想像をはるかに上回る美味さだった。孝史と美乃里夫妻は二人のなれそめや、二年前の今日の出来事などを面白おかしく話してくれた。
 凪沙(なぎさ)はそんな二人がうらやましかったし、自分たちもそんな話を誰かにできるようになりたかった。凪沙は孝史に勧められるままビールを飲みつつ孝史と美乃里の夫婦に嫉妬した。愛玲奈(あれな)はビールコップ一杯で真っ赤になってしまった。

「お二人は何がきっかけでそんなに仲良しになったの?」

 美乃里がアンコウの身を頬張りながら訊いてくる。凪沙がぼそっと答えた。

「実を言うと最初は結構最悪でした」

「あら、どんな風に?」

愛玲奈(あれな)って人付き合いが全然器用じゃないんですよ。わたしなんかと比べたら雲泥の差ぐらい環境に恵まれてるのに。だからついイラついて…… 最初にかけた言葉が『もっとうまくやれねえのかよお姫様』だったっけ?」

「うん、そう…… 怖かった」

「それはひどい……」

 美乃里は慄いた。凪沙は俯いた。

「面目ない」

「えっ、えっと、でもですね……」

 愛玲奈(あれな)が照れくさそうな笑顔でおずおずと言う。

「中二の劇で王子様とお姫様をしたんです」

「まあっ」

 美乃里は驚いた顔をしながらも興味津々だ。

「本当にキスをしたんじゃないかって大騒ぎになって、先生からも事情聴取を受けたんです」

 実はちょっとだけ唇が触れていた。

「まあ……」

 美乃里は少女歌劇の女優でも見る様な憧れの眼つきになる。愛玲奈(あれな)ははにかみながらも続ける。

「で、でもいっとう最初の始まりは凪沙が私をかばってくれたことかな?」

「虐められてたの?」

「ちょっと名前をいじられることが多かった程度なんですけど。『あれな?』『ああやっぱあれな』みたいな感じで」

「ええ、それはいやねえ……」

「そうしたら、凪沙が『『アレナ』ってラテン語で砂って意味で、それを語源とするアレナリア・モンタナって花があってさ、白くて可愛らしい花が咲くの。花言葉は『可憐』『愛らしい』『気が利く』だって。ぴったりじゃん。すごいじゃんラテン語で花の名前だよ』。って言ってくれて。そうしたらもう名前いじりはピタッとなくなったんです」

「すごい、ちゃんと色々調べてかばってあげたのね。ステキ」

 なぜかとても嬉しそうな笑顔を見せる美乃里に、凪沙は照れて頭をかくしかなかった。まさかこんなところで六年前の話をされるとは思わなかった。

「凪沙ちゃんにはないの? そんな話」

 孝史があんこう鍋をせっせと取り分けている間、美乃里は夢中になって訊いてくる。心なしか上体も前のめりだ。

「学年でコーラスをした時、わたしと愛玲奈(あれな)の二人で歌うパートがあって。それですごく…… 仲がよくなっていった気はします」

 仲がよくなった、のではなく二人の想いが深まったというのが正しかった。

「それだけ仲のいいお友達がいるなんてうらやましいなあ」

 美乃里の羨望の眼差しに、つい得意気になって吐いた愛玲奈(あれな)の言葉は少し軽率だったかもしれない。

「ですからよく私たち中学高校の頃は学校で『夫婦』って呼ばれてたんです」

「まあっ、本当に仲がよかったのねえ」

 凪沙は座卓の下から指で愛玲奈のお尻を突く。凪沙の方を向いた愛玲奈を軽くにらむ。ちょうどその仕草に孝史は気付いたようだが特に何も言わなかった。
 美乃里がトイレに立った時、孝史が少し寂しそうに言った。

「今日は本当にありがとうございました。こんなに楽しそうな美乃里は久しぶりに見ました。皆さんのおかげです」

「いや、わたしらはただお二人の車に乗せていただいただけで、本当に何も」

 そう凪沙が答えると美乃里が戻ってきたので会話はそこで途切れた。美乃里は明るい声で孝史に訊く。

「あら何のお話してたの?」

「いや、ここのあんこう鍋はどう? ってね」

「すごくおいしいです。濃厚でコクがあって」

「アンコウの身ってとっても美味しいんですね。ふわふわで淡泊なのにしっかり味があって。あんな見た眼なのに」

 四人は気さくに歓談をしながら最後の雑炊までしっかり食べ、あんこう鍋を満喫した。凪沙と愛玲奈(あれな)にとってこんなに胸にもおなかにも温かい食事はいつぐらいぶりだったろうか。

 凪沙と愛玲奈(あれな)の二人をフェリー乗り場に下ろし、車は出ようとしていた。二人は孝史や美乃里とLINE交換してこれからも頻繁にやり取りをしようと約束し合った。愛玲奈(あれな)は旅先での写真を必ず送ると約束する。

 車が発車しようとする直前、助手席のウィンドウが開き美乃里が手と顔を出してきた。近寄る凪沙と愛玲奈(あれな)の手を握る。その後には孝史が凪沙たちをのぞき込んでいて笑顔で頷いていた。

「あなた達にはあなた達なりの事情があるんでしょうけれど、きっと幸せになってね。約束よ」

 眼を潤ませる美乃里につられて眼を潤ませないよう凪沙は努力しながら答えた。

「はい。お二人ともお幸せに」

 末永く、とは言えなかった。それは余りに残酷な言葉のようだったから。

「お幸せに」

 と愛玲奈(あれな)はそう一言だけ言った。

 車が走り去る。テールライトが闇夜に溶けていくように見えなくなり、夜のとばりに包まれると、愛玲奈(あれな)が突然凪沙にしがみ付いてきた。そして号泣する。

「こんなことって…… こんなことって……っ」

 泣きじゃくる愛玲奈(あれな)の肩に腕を回す凪沙。どうやら愛玲奈(あれな)も美乃里の身の上について知っていたらしい。

「知ってたの?」

「海岸で教えてもらったの…… でも今ここでは泣かないでって。だから……」

「そか……」

 凪沙はしがみ付いてくる愛玲奈(あれな)を乱暴に抱き締め自分も泣いた。今頃、車中の二人は美乃里に残された命数を数えながら不安に押し潰され押し黙ったまま帰るのだろう。それを思うとやり切れなかった。できることなら取って返してもう一度あの車に乗り込んでやりたい気分だった。だけどそれはもうできない。凪沙たちとあの二人の夫婦の人生はもう交差することはない。わずか八時間の出会い、そして別れであった。

 涙ぐむ凪沙は泣きじゃくる愛玲奈(あれな)の肩を抱いて振り返り、フェリー乗り場へと向かう。自分たちの人生を生きるために。

◆次回 第8話 死に勝るもの


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 あんこう鍋は想像をはるかに上回る美味さだった。孝史と美乃里夫妻は二人のなれそめや、二年前の今日の出来事などを面白おかしく話してくれた。
 |凪沙《なぎさ》はそんな二人がうらやましかったし、自分たちもそんな話を誰かにできるようになりたかった。凪沙は孝史に勧められるままビールを飲みつつ孝史と美乃里の夫婦に嫉妬した。|愛玲奈《あれな》はビールコップ一杯で真っ赤になってしまった。
「お二人は何がきっかけでそんなに仲良しになったの?」
 美乃里がアンコウの身を頬張りながら訊いてくる。凪沙がぼそっと答えた。
「実を言うと最初は結構最悪でした」
「あら、どんな風に?」
「|愛玲奈《あれな》って人付き合いが全然器用じゃないんですよ。わたしなんかと比べたら雲泥の差ぐらい環境に恵まれてるのに。だからついイラついて…… 最初にかけた言葉が『もっとうまくやれねえのかよお姫様』だったっけ?」
「うん、そう…… 怖かった」
「それはひどい……」
 美乃里は慄いた。凪沙は俯いた。
「面目ない」
「えっ、えっと、でもですね……」
 |愛玲奈《あれな》が照れくさそうな笑顔でおずおずと言う。
「中二の劇で王子様とお姫様をしたんです」
「まあっ」
 美乃里は驚いた顔をしながらも興味津々だ。
「本当にキスをしたんじゃないかって大騒ぎになって、先生からも事情聴取を受けたんです」
 実はちょっとだけ唇が触れていた。
「まあ……」
 美乃里は少女歌劇の女優でも見る様な憧れの眼つきになる。|愛玲奈《あれな》ははにかみながらも続ける。
「で、でもいっとう最初の始まりは凪沙が私をかばってくれたことかな?」
「虐められてたの?」
「ちょっと名前をいじられることが多かった程度なんですけど。『あれな?』『ああやっぱあれな』みたいな感じで」
「ええ、それはいやねえ……」
「そうしたら、凪沙が『『アレナ』ってラテン語で砂って意味で、それを語源とするアレナリア・モンタナって花があってさ、白くて可愛らしい花が咲くの。花言葉は『可憐』『愛らしい』『気が利く』だって。ぴったりじゃん。すごいじゃんラテン語で花の名前だよ』。って言ってくれて。そうしたらもう名前いじりはピタッとなくなったんです」
「すごい、ちゃんと色々調べてかばってあげたのね。ステキ」
 なぜかとても嬉しそうな笑顔を見せる美乃里に、凪沙は照れて頭をかくしかなかった。まさかこんなところで六年前の話をされるとは思わなかった。
「凪沙ちゃんにはないの? そんな話」
 孝史があんこう鍋をせっせと取り分けている間、美乃里は夢中になって訊いてくる。心なしか上体も前のめりだ。
「学年でコーラスをした時、わたしと|愛玲奈《あれな》の二人で歌うパートがあって。それですごく…… 仲がよくなっていった気はします」
 仲がよくなった、のではなく二人の想いが深まったというのが正しかった。
「それだけ仲のいいお友達がいるなんてうらやましいなあ」
 美乃里の羨望の眼差しに、つい得意気になって吐いた|愛玲奈《あれな》の言葉は少し軽率だったかもしれない。
「ですからよく私たち中学高校の頃は学校で『夫婦』って呼ばれてたんです」
「まあっ、本当に仲がよかったのねえ」
 凪沙は座卓の下から指で愛玲奈のお尻を突く。凪沙の方を向いた愛玲奈を軽くにらむ。ちょうどその仕草に孝史は気付いたようだが特に何も言わなかった。
 美乃里がトイレに立った時、孝史が少し寂しそうに言った。
「今日は本当にありがとうございました。こんなに楽しそうな美乃里は久しぶりに見ました。皆さんのおかげです」
「いや、わたしらはただお二人の車に乗せていただいただけで、本当に何も」
 そう凪沙が答えると美乃里が戻ってきたので会話はそこで途切れた。美乃里は明るい声で孝史に訊く。
「あら何のお話してたの?」
「いや、ここのあんこう鍋はどう? ってね」
「すごくおいしいです。濃厚でコクがあって」
「アンコウの身ってとっても美味しいんですね。ふわふわで淡泊なのにしっかり味があって。あんな見た眼なのに」
 四人は気さくに歓談をしながら最後の雑炊までしっかり食べ、あんこう鍋を満喫した。凪沙と|愛玲奈《あれな》にとってこんなに胸にもおなかにも温かい食事はいつぐらいぶりだったろうか。
 凪沙と|愛玲奈《あれな》の二人をフェリー乗り場に下ろし、車は出ようとしていた。二人は孝史や美乃里とLINE交換してこれからも頻繁にやり取りをしようと約束し合った。|愛玲奈《あれな》は旅先での写真を必ず送ると約束する。
 車が発車しようとする直前、助手席のウィンドウが開き美乃里が手と顔を出してきた。近寄る凪沙と|愛玲奈《あれな》の手を握る。その後には孝史が凪沙たちをのぞき込んでいて笑顔で頷いていた。
「あなた達にはあなた達なりの事情があるんでしょうけれど、きっと幸せになってね。約束よ」
 眼を潤ませる美乃里につられて眼を潤ませないよう凪沙は努力しながら答えた。
「はい。お二人ともお幸せに」
 末永く、とは言えなかった。それは余りに残酷な言葉のようだったから。
「お幸せに」
 と|愛玲奈《あれな》はそう一言だけ言った。
 車が走り去る。テールライトが闇夜に溶けていくように見えなくなり、夜のとばりに包まれると、|愛玲奈《あれな》が突然凪沙にしがみ付いてきた。そして号泣する。
「こんなことって…… こんなことって……っ」
 泣きじゃくる|愛玲奈《あれな》の肩に腕を回す凪沙。どうやら|愛玲奈《あれな》も美乃里の身の上について知っていたらしい。
「知ってたの?」
「海岸で教えてもらったの…… でも今ここでは泣かないでって。だから……」
「そか……」
 凪沙はしがみ付いてくる|愛玲奈《あれな》を乱暴に抱き締め自分も泣いた。今頃、車中の二人は美乃里に残された命数を数えながら不安に押し潰され押し黙ったまま帰るのだろう。それを思うとやり切れなかった。できることなら取って返してもう一度あの車に乗り込んでやりたい気分だった。だけどそれはもうできない。凪沙たちとあの二人の夫婦の人生はもう交差することはない。わずか八時間の出会い、そして別れであった。
 涙ぐむ凪沙は泣きじゃくる|愛玲奈《あれな》の肩を抱いて振り返り、フェリー乗り場へと向かう。自分たちの人生を生きるために。
◆次回 第8話 死に勝るもの