第6話 笑顔の裏側
ー/ー
孝史が泣き止むと同時に美乃里と愛玲奈が歓声をあげながら駆け足で戻ってくる。孝史は足元の水跡を乱暴に脚でかき消すと笑顔で立ち上がった。
「お疲れ様。楽しかった?」
「ええ、とっても。孝史も来ればよかったのに」
「海なんて久しぶりだから少しはしゃいじゃいました」
「ええ、少し? 愛玲奈ちゃんあれで少しだったの?」
「あー、そんな言わないで下さいい、少しなんですう」
「そっか、楽しめたみたいだからよかった。次行こう。時間もそろそろなんじゃないかな」
「次? まだ次があるんですか?」
ちょっと驚いた顔の愛玲奈に美乃里がいたずらっぽく笑う。
次に四人がたどり着いたのは、磯の荒々しい岩々の上に鳥居が立っている不思議な光景だった。それは絶景と言って良かった。
「ほらちょうど日が沈むぞ」
見てみると海の荒々しい磯の上に立つ鳥居に夕陽が落ちようとしていた。
「わあ……」
夕陽を浴びる愛玲奈は目を輝かせて静かな歓声を上げる。
「壮観……ですね……」
やはり夕陽を浴びる凪沙も言葉がでない。
「ここには恋愛成就、縁結び、家内安全、厄除け、開運招福のご利益があるんですって。でも、この景色を見たらそんなのどうでもよくなっちゃうわよね」
妻の美乃里がそっと呟く。
「うん、神々しいよね。僕たちの中の悪いもの、汚いものが全部拭い去られるようなそんな気がする」
そうして美乃里の中に巣食う病魔も拭い去って欲しい。孝史の言葉の外にはそんな意味も含まれていたに違いないと凪沙は思った。
鳥居の向こうに沈む夕日を眺めながら孝史と美乃里は硬く手を結んでいた。凪沙は躊躇した。愛玲奈と、女性同士で手を握っているところを人に見られたくはない。だがここにいる人たちはいわばみなただの通りすがりだ。そう思い勇気を振り絞って愛玲奈の手に手を伸ばそうとした。ところが愛玲奈の手はそれをすっとかわし、さり気なく凪沙の腰を抱いた。凪沙ははっと息を呑んだが、次の瞬間には愛玲奈の肩を抱いていた。凪沙は祈った。世界の全てではなくていい。せめて自分の身の回りだけでも凪沙と愛玲奈の繋がりを理解してくれればいい。そして愛玲奈の虚弱体質が治ってくれますように。そう願うと愛玲奈の肩を掴む手に自然と力が入る。凪沙の腰を抱く愛玲奈の指も弱々しいながら力が入っているような気がする。愛玲奈は何を祈り願っているのだろうか。
夕陽はすぐに落ち、西の空が次第に群青色に支配されつつある。孝史と美乃里も凪沙と愛玲奈も今では互いに身を離している。
「これが今日のメインイベントだったんですか」
凪沙が問うと愛玲奈も夢見心地だった。
「とっても幻想的でした……」
すると孝史は不思議そうな顔をする。
「えっ? いやメインイベントはこれからなんだけど、来てくれるよね」
これには凪沙も愛玲奈も慌てた。
「いやいやいや、これ以上はもう申し訳ないです!」
「ほんとに私どもにはよくして頂いたので!」
孝史は困った顔をする。
「えっ、だっても予約変更しちゃってるしさ。頼むよ」
「えっ、予約?」
「大丈夫。ヒッチハイカーからお金取ろうなんて思ってませんからっ。私まだあなたたちと話し足りないの」
「そんなっ、記念日なんですからお二人で楽しんでくださいっ、なんていうかこうっ、ほらっ、しっぽりとっ、ねっ、しっぽりっ」
「これが私たち夫婦の楽しみ方なんだ。別にいいよね。これで最後だしよろしく頼むよ」
凪沙に笑顔を見せて懇願する孝史の言葉に凪沙は動揺した。「これで最後」。そう、凪沙たちはもうこれを最後に美乃里と会うことはない。ならばせめていい思い出を、病床で「あの時は楽しかったね」と言えるような思い出を作ってやりたい。そう思った凪沙は無意識のうちにひどく神妙な面持ちで孝史に答えた。
「はい、では是非お供させて下さい」
少し不安げな愛玲奈にも眼で語りかけ頷く。愛玲奈も真剣な顔で頷いた。それを見て孝史も美乃里も本心から喜んでいるのが判る。そのまま車に乗せられてたどり着いたのは、駅前の料亭だった。
「えっこれはっ…… さすがにっ、お高くっ、ないですか……?」
「立派なお店……」
呆気にとられる二人を尻目に一行は畳の個室へ通された。
「あのお…… わたしどもはここで一体何を召し上がることになるのでしょうか……」
凪沙は気が気ではない。ここで懐石でも出てきた日には卒倒してしまう。
「ふふん、なんだと思う?」
どこか得意気な孝史。
いや、それが判らないから困ってるんだって。
「あんこう鍋」
「あんこう鍋!」
美乃里のからかうような声に凪沙と愛玲奈は同時に声をあげた。
「いや…… さすがにこれは……」
すると突然神妙な面持ちになった孝史が頭を下げる。
「今日初めて会った人にこう言うのはおかしいかも知れないけれど、どうか僕に免じて許してはもらえないだろうか!」
場が重たい雰囲気に満ちる。すると美乃里も頭を下げた。
「今日の出会いで私たちとても素敵な思い出が作れました。そのお礼と言ってはなんですが、最後に私たちのお願い、きいていただけませんでしょうか」
凪沙と愛玲奈は顔を見合わせた。愛玲奈は事情を知らなさそうだが凪沙には大体わかったつもりだった。孝史と美乃里が二人だけで沈痛な雰囲気の中思い出の場所を巡るより、わたしたちがいることで場を和ませて欲しい。そいうことなのだろう。そしてその報酬が今までの親切とこのもてなしだと言うなら、凪沙としてもプライドが傷つくこともさしてないし、頼みをきいてやってもいい。こちらとしてもありがたい話かもしれない。凪沙は愛玲奈に深く頷いて見せた。愛玲奈も真剣な面持ちで小さく頷く。
「どうぞ顔を上げて下さい。じゃあ、いただくことにします。わたしアンコウって初めて食べるんですよね。楽しみです」
「ふふっ、実は私もなんです」
「ありがとうございます」
二人の努めて明るくした口調に孝史と美乃里は明らかにほっとした表情でこちらを見た。
◆次回 第7話 ひと時の友
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孝史が泣き止むと同時に美乃里と|愛玲奈《あれな》が歓声をあげながら駆け足で戻ってくる。孝史は足元の水跡を乱暴に脚でかき消すと笑顔で立ち上がった。
「お疲れ様。楽しかった?」
「ええ、とっても。孝史も来ればよかったのに」
「海なんて久しぶりだから少しはしゃいじゃいました」
「ええ、少し? |愛玲奈《あれな》ちゃんあれで少しだったの?」
「あー、そんな言わないで下さいい、少しなんですう」
「そっか、楽しめたみたいだからよかった。次行こう。時間もそろそろなんじゃないかな」
「次? まだ次があるんですか?」
ちょっと驚いた顔の|愛玲奈《あれな》に美乃里がいたずらっぽく笑う。
次に四人がたどり着いたのは、磯の荒々しい岩々の上に鳥居が立っている不思議な光景だった。それは絶景と言って良かった。
「ほらちょうど日が沈むぞ」
見てみると海の荒々しい磯の上に立つ鳥居に夕陽が落ちようとしていた。
「わあ……」
夕陽を浴びる|愛玲奈《あれな》は目を輝かせて静かな歓声を上げる。
「壮観……ですね……」
やはり夕陽を浴びる凪沙も言葉がでない。
「ここには恋愛成就、縁結び、家内安全、厄除け、開運招福のご利益があるんですって。でも、この景色を見たらそんなのどうでもよくなっちゃうわよね」
妻の美乃里がそっと呟く。
「うん、神々しいよね。僕たちの中の悪いもの、汚いものが全部拭い去られるようなそんな気がする」
そうして美乃里の中に巣食う病魔も拭い去って欲しい。孝史の言葉の外にはそんな意味も含まれていたに違いないと凪沙は思った。
鳥居の向こうに沈む夕日を眺めながら孝史と美乃里は硬く手を結んでいた。凪沙は|躊躇《ちゅうちょ》した。|愛玲奈《あれな》と、女性同士で手を握っているところを人に見られたくはない。だがここにいる人たちはいわばみなただの通りすがりだ。そう思い勇気を振り絞って|愛玲奈《あれな》の手に手を伸ばそうとした。ところが|愛玲奈《あれな》の手はそれをすっとかわし、さり気なく凪沙の腰を抱いた。凪沙ははっと息を呑んだが、次の瞬間には|愛玲奈《あれな》の肩を抱いていた。凪沙は祈った。世界の全てではなくていい。せめて自分の身の回りだけでも凪沙と|愛玲奈《あれな》の繋がりを理解してくれればいい。そして|愛玲奈《あれな》の虚弱体質が治ってくれますように。そう願うと|愛玲奈《あれな》の肩を掴む手に自然と力が入る。凪沙の腰を抱く|愛玲奈《あれな》の指も弱々しいながら力が入っているような気がする。|愛玲奈《あれな》は何を祈り願っているのだろうか。
夕陽はすぐに落ち、西の空が次第に群青色に支配されつつある。孝史と美乃里も凪沙と|愛玲奈《あれな》も今では互いに身を離している。
「これが今日のメインイベントだったんですか」
凪沙が問うと|愛玲奈《あれな》も夢見心地だった。
「とっても幻想的でした……」
すると孝史は不思議そうな顔をする。
「えっ? いやメインイベントはこれからなんだけど、来てくれるよね」
これには凪沙も|愛玲奈《あれな》も慌てた。
「いやいやいや、これ以上はもう申し訳ないです!」
「ほんとに私どもにはよくして頂いたので!」
孝史は困った顔をする。
「えっ、だっても予約変更しちゃってるしさ。頼むよ」
「えっ、予約?」
「大丈夫。ヒッチハイカーからお金取ろうなんて思ってませんからっ。私まだあなたたちと話し足りないの」
「そんなっ、記念日なんですからお二人で楽しんでくださいっ、なんていうかこうっ、ほらっ、しっぽりとっ、ねっ、しっぽりっ」
「これが私たち夫婦の楽しみ方なんだ。別にいいよね。これで最後だしよろしく頼むよ」
凪沙に笑顔を見せて懇願する孝史の言葉に凪沙は動揺した。「これで最後」。そう、凪沙たちはもうこれを最後に美乃里と会うことはない。ならばせめていい思い出を、病床で「あの時は楽しかったね」と言えるような思い出を作ってやりたい。そう思った凪沙は無意識のうちにひどく神妙な面持ちで孝史に答えた。
「はい、では是非お供させて下さい」
少し不安げな|愛玲奈《あれな》にも眼で語りかけ頷く。|愛玲奈《あれな》も真剣な顔で頷いた。それを見て孝史も美乃里も本心から喜んでいるのが判る。そのまま車に乗せられてたどり着いたのは、駅前の料亭だった。
「えっこれはっ…… さすがにっ、お高くっ、ないですか……?」
「立派なお店……」
呆気にとられる二人を尻目に一行は畳の個室へ通された。
「あのお…… わたしどもはここで一体何を召し上がることになるのでしょうか……」
凪沙は気が気ではない。ここで懐石でも出てきた日には卒倒してしまう。
「ふふん、なんだと思う?」
どこか得意気な孝史。
いや、それが判らないから困ってるんだって。
「あんこう鍋」
「あんこう鍋!」
美乃里のからかうような声に凪沙と|愛玲奈《あれな》は同時に声をあげた。
「いや…… さすがにこれは……」
すると突然神妙な面持ちになった孝史が頭を下げる。
「今日初めて会った人にこう言うのはおかしいかも知れないけれど、どうか僕に免じて許してはもらえないだろうか!」
場が重たい雰囲気に満ちる。すると美乃里も頭を下げた。
「今日の出会いで私たちとても素敵な思い出が作れました。そのお礼と言ってはなんですが、最後に私たちのお願い、きいていただけませんでしょうか」
凪沙と|愛玲奈《あれな》は顔を見合わせた。|愛玲奈《あれな》は事情を知らなさそうだが凪沙には大体わかったつもりだった。孝史と美乃里が二人だけで沈痛な雰囲気の中思い出の場所を巡るより、わたしたちがいることで場を和ませて欲しい。そいうことなのだろう。そしてその報酬が今までの親切とこのもてなしだと言うなら、凪沙としてもプライドが傷つくこともさしてないし、頼みをきいてやってもいい。こちらとしてもありがたい話かもしれない。凪沙は|愛玲奈《あれな》に深く頷いて見せた。|愛玲奈《あれな》も真剣な面持ちで小さく頷く。
「どうぞ顔を上げて下さい。じゃあ、いただくことにします。わたしアンコウって初めて食べるんですよね。楽しみです」
「ふふっ、実は私もなんです」
「ありがとうございます」
二人の努めて明るくした口調に孝史と美乃里は明らかにほっとした表情でこちらを見た。
◆次回 第7話 ひと時の友