1.令嬢やめました
ー/ー
「本当に良いのか? ちゃんとよく考えたのか?」
「はい。ご心配おかけ致しまして申し訳ありません。ですが、人間、前を向いて生きていれば、なんとかなるものですわ」
「いや、あまりにも楽観的過ぎるであろ?」
ダンディな顎髭と口髭を蓄えたイケオジが、整った力強い眉を寄せて、肩を落とす。
オジサン趣味じゃない私でも格好いいなーと思うこのダンディなイケオジは、この国の王さまだ。国王陛下。今上陛下。周辺小国3ヶ国を隷属同盟国として束ねる連邦国の国家元首でもある。
「誉めてくれるのはいいが、其方は今、それどころではなかろう。もう一度、考え直さぬか?」
「あれ? 声に出てましたか? イケメン、イケオジは、心の栄養ですよ。生きる糧です。陛下はいくらでも推せます」
「わたしを、どこへ、何に推薦すると言うんだ?
⋯⋯まったく。取り敢えず請願書は受け取る。受け取るが、まだサインもせぬし印璽も捺さぬ。受け取るだけだ。いいな? ゆえに、公表もせぬ。出来れば考え直して欲しいし、そのための冷却期間という訳だ」
「期間を設けても、考えは変わりませんわ。もう決めましたの」
陛下に向かって深く頭を下げ、スカートの左右を摘まんで裾を捌き、膝を折って腰を深く落とす。
けっこうしんどいのよね、この姿勢。フラつかないように体幹鍛えるの大変だったのよ? この国には筋トレマシーンなんてないんだから。
綺麗にカーテシー出来るようになるまで、どれだけ訓練と筋トレしたことか。家庭教師のアンネマリー女史は鬼コーチだったんだから。『慈母』って名前にクレームつけたいくらいにね。
これまでで一番の、この先にはもうない、最高のカーテシーで陛下に頭を下げた後、陛下の許可もないのに勢いよく顔を上げ、立ち上がって手足をダンスの振り付けのように動かしてからポーズをとる。(不敬)
「クラウディア・ルファ・エリュテイア・フォン・フォルクハルト=マグニフィクス伯爵、伯爵令嬢辞めます!!」
✧ ✧ ✧
衣装部屋で、先ほど陛下に拝謁した際のドレスを脱がせてもらうと、メイドや侍女がさっと寄って来て受け取り、取り外せる装飾品や付属品は丁寧に外して専用ケースにしまう。また、別のランドリーメイドは手早く埃を払い、ブラシをかけ、形を整える。
彼女たちがアンダースコートやペチコート、絹の靴下などの下着を持ち去ると、部屋には侍女と私の二人きりになる。
そのまま廊下には出ずに装飾のない小さい扉から隣の部屋に裸族状態で移動すると、湯気の立つ陶器製のバスタブの前の大きな盥の中に立つ。
メイド達が手桶で、肩からお湯をかける。
かけ湯が済むと、バスタブの中に入る。水面にはバラの花が浮いていて、外から私の素肌は見えないほどだ。
「お母さまの丹精なさったバラも、見納めね」
「本当に、出て行かれるのですか?」
「ええ。わたくしは、半分しかこの国の血を引いていないもの。それに領地管理を学んでこなかったから、今は、領主としての資格がないわ」
沈んだ表情のメイド達。侍女はさすがに教育が行き届いていて顔に出すことはないが、これまでに何度も考え直すように言われている。
お母さまの、お庭の薔薇を一輪掬い上げ、香りを肺いっぱいに吸い込む。
小さな素焼き鉢に、一株植え替えたものを用意したので、それは持って行くつもりだけれど、私のガーデニング技術では恐らく枯らしてしまうだろう。
それでも持ち出すのは、ただの感傷──ワガママに過ぎない。
理解ってはいても、母の形見として、出来れば毎年のシーズンに優美な花を愛でたい。
侍女のアルベリータは、すました顔で「では、薔薇専門の職人をお雇いになることですね」と言ったが、そんなプロを雇うお金があれば、この国で令嬢を続けている。無理だ。
カロリーネとアルベリータ、侍女ふたりがかりで、私の髪をブラシで梳り数種のオイル入り髪に優しいサボンで丁寧に洗っていく。決して擦らないように。
手桶で優しく泡を流し、タオルで挟むようにして水分をとっていく。
とても手間暇かけて、手入れされる私の髪は、その価値がないのではないかと思うくらい、人々に誉められるものではないというのに。
私の髪は、この国ではあまり美しいとは言われない赤みが強いブラウンで、いっそ母のように磨き上げた赤銅のような、綺麗な艶のある橙々赤銅のブロンドならよかったのにといつも思う。
それなら、まだ、暗いめの金髪と言える。
でも、私の髪は、赤毛と呼ぶ方がいいくらい真っ赤な茶髪なのだ。少しコンプレックスでもある。
父も明るい場所ではオレンジに近い濃い金髪で、父も母も青い瞳だった。
私の目は緑色なので、一部の人には、父の子ではないのではないかと噂されたこともある。
緑の目は、昔から不吉・嫉妬の色と言われていて、因習に拘る地域では嫌われる目と、好まれない髪色のせいでか、陰で『嫉妬の魔女』などとあだ名をつけられ、社交界に友人はいない。勿論、男性陣にもモテたことはない。
伯爵家の令嬢としては、友人もいない、殿方に誘われることもないし恋文ももらわないなど、あってはならないこと。中々肩身は狭かった。
そんなこんなで、王都から離れた田舎領地とはいえ建国から続く古い家門の貴族令嬢という立場に、もはや未練はない。
父も母も亡くなった今、本来は私が伯爵家当主である。
この国は、女王が起ったこともあるくらい、女性にも相続権はある。むしろ、女性が財産を継ぎ、婿が当主代行を行う家門も少なくはない。戦が多かった時代に、男子が戦死したりして相続権や代行権を巡って問題が多かったための処置の名残だろう。
が、社交界で親しい知人や味方が少ない私には、当主として起つ利点がない。
親族や先代の卑属にも、私を新当主として擁立しようという声はなかった。
明日は、領地の荘園邸宅に向けて発つ。この城下町の町屋敷で眠るのも今夜が最後だろう。
「皆のことは、このまま雇用を続けるよう、小父様にお伝えしてあるから、心配しないで?」
「わたくしは、お嬢様について参ります」
「私について来ても、今まで通りのお給金が支払えないわ」
「問題ありません」
王都で小さな商会を営み、ご子息が王城で小役人を務めているノーランド小父様は、お父様の従兄弟で、ここに住むと都合がいいらしく、この町屋敷を管理してもらうことになっている。
領地も、別の親族が管理する手はずを整えてある。
明日、領地に向かい、到着次第領地の統治権と荘園邸宅の管理に関して委任状を認めて、陛下の承認は小父様がご自身で申請するらしい。
私は身の回りの準備が出来たら、一度、母の生国に行くのだ。あちらのお祖父さまに、初めてお会いするので、今から緊張してる。
その後のことは、戻ってから考える。
婚約者は、私が伯爵令嬢をやめることを納得して、受け止めてくれるだろうか。
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「本当に良いのか? ちゃんとよく考えたのか?」
「はい。ご心配おかけ致しまして申し訳ありません。ですが、人間、前を向いて生きていれば、なんとかなるものですわ」
「いや、あまりにも楽観的過ぎるであろ?」
ダンディな顎髭と口髭を蓄えたイケオジが、整った力強い眉を寄せて、肩を落とす。
オジサン趣味じゃない私でも格好いいなーと思うこのダンディなイケオジは、この国の王さまだ。国王陛下。今上陛下。周辺小国3ヶ国を隷属同盟国として束ねる連邦国の国家元首でもある。
「誉めてくれるのはいいが、|其方《そち》は今、それどころではなかろう。もう一度、考え直さぬか?」
「あれ? 声に出てましたか? イケメン、イケオジは、心の栄養ですよ。生きる糧です。陛下はいくらでも推せます」
「わたしを、どこへ、何に推薦すると言うんだ?
⋯⋯まったく。取り敢えず請願書は受け取る。受け取るが、まだサインもせぬし印璽も捺さぬ。受け取るだけだ。いいな? ゆえに、公表もせぬ。出来れば考え直して欲しいし、そのための冷却期間という訳だ」
「期間を設けても、考えは変わりませんわ。もう決めましたの」
陛下に向かって深く頭を下げ、スカートの左右を摘まんで裾を捌き、膝を折って腰を深く落とす。
けっこうしんどいのよね、この姿勢。フラつかないように体幹鍛えるの大変だったのよ? この国には筋トレマシーンなんてないんだから。
綺麗にカーテシー出来るようになるまで、どれだけ訓練と筋トレしたことか。|家庭教師《ガヴァネス》のアンネマリー女史は鬼コーチだったんだから。|『慈母』《 アンネマリー》って名前にクレームつけたいくらいにね。
これまでで一番の、この先にはもうない、最高のカーテシーで陛下に頭を下げた後、陛下の許可もないのに勢いよく顔を上げ、立ち上がって手足をダンスの振り付けのように動かしてからポーズをとる。(不敬)
「クラウディア・ルファ・エリュテイア・フォン・フォルクハルト=マグニフィクス|伯爵《グラーフ》、伯爵令嬢辞めます!!」
✧ ✧ ✧
衣装部屋で、先ほど陛下に拝謁した際のドレスを脱がせてもらうと、メイドや侍女がさっと寄って来て受け取り、取り外せる装飾品や付属品は丁寧に外して専用ケースにしまう。また、別のランドリーメイドは手早く埃を払い、ブラシをかけ、形を整える。
彼女たちがアンダースコートやペチコート、絹の靴下などの下着を持ち去ると、部屋には侍女と私の二人きりになる。
そのまま廊下には出ずに装飾のない小さい扉から隣の部屋に裸族状態で移動すると、湯気の立つ陶器製のバスタブの前の大きな盥の中に立つ。
メイド達が手桶で、肩からお湯をかける。
かけ湯が済むと、バスタブの中に入る。水面にはバラの花が浮いていて、外から私の素肌は見えないほどだ。
「お母さまの丹精なさったバラも、見納めね」
「本当に、出て行かれるのですか?」
「ええ。わたくしは、半分しかこの国の血を引いていないもの。それに領地管理を学んでこなかったから、今は、領主としての資格がないわ」
沈んだ|表情《かお》のメイド達。侍女はさすがに教育が行き届いていて顔に出すことはないが、これまでに何度も考え直すように言われている。
お母さまの、お庭の薔薇を一輪掬い上げ、香りを肺いっぱいに吸い込む。
小さな素焼き鉢に、一株植え替えたものを用意したので、それは持って行くつもりだけれど、私のガーデニング技術では恐らく枯らしてしまうだろう。
それでも持ち出すのは、ただの感傷──ワガママに過ぎない。
|理解《わか》ってはいても、母の形見として、出来れば毎年のシーズンに優美な花を愛でたい。
侍女のアルベリータは、すました顔で「では、薔薇専門の職人をお雇いになることですね」と言ったが、そんなプロを雇うお金があれば、この国で令嬢を続けている。無理だ。
カロリーネとアルベリータ、侍女ふたりがかりで、私の髪をブラシで梳り数種のオイル入り髪に優しいサボンで丁寧に洗っていく。決して擦らないように。
手桶で優しく泡を流し、タオルで挟むようにして水分をとっていく。
とても手間暇かけて、手入れされる私の髪は、その価値がないのではないかと思うくらい、人々に誉められるものではないというのに。
私の髪は、この国ではあまり美しいとは言われない赤みが強いブラウンで、いっそ母のように磨き上げた赤銅のような、綺麗な艶のある|橙々赤銅《オレンジレッド》のブロンドならよかったのにといつも思う。
それなら、まだ、暗いめの|金髪《ブロンド》と言える。
でも、私の髪は、赤毛と呼ぶ方がいいくらい真っ赤な茶髪なのだ。少しコンプレックスでもある。
父も明るい場所ではオレンジに近い濃い金髪で、父も母も青い瞳だった。
私の目は緑色なので、一部の人には、父の子ではないのではないかと噂されたこともある。
緑の目は、昔から不吉・嫉妬の色と言われていて、因習に拘る地域では嫌われる目と、好まれない髪色のせいでか、陰で『嫉妬の魔女』などとあだ名をつけられ、社交界に友人はいない。勿論、男性陣にもモテたことはない。
伯爵家の令嬢としては、友人もいない、殿方に誘われることもないし|恋文《こいぶみ》ももらわないなど、あってはならないこと。中々肩身は狭かった。
そんなこんなで、王都から離れた田舎領地とはいえ建国から続く古い家門の貴族令嬢という立場に、もはや未練はない。
父も母も亡くなった今、本来は私が伯爵家当主である。
この国は、女王が|起《た》ったこともあるくらい、女性にも相続権はある。むしろ、女性が財産を継ぎ、婿が当主代行を行う家門も少なくはない。戦が多かった時代に、男子が戦死したりして相続権や代行権を巡って問題が多かったための処置の名残だろう。
が、社交界で親しい知人や味方が少ない私には、当主として起つ利点がない。
親族や先代の卑属にも、私を新当主として擁立しようという声はなかった。
明日は、領地の|荘園邸宅《マナーハウス》に向けて発つ。この城下町の|町屋敷《タウンハウス》で眠るのも今夜が最後だろう。
「皆のことは、このまま雇用を続けるよう、小父様にお伝えしてあるから、心配しないで?」
「わたくしは、お嬢様について参ります」
「私について来ても、今まで通りのお給金が支払えないわ」
「問題ありません」
王都で小さな商会を営み、ご子息が王城で小役人を務めているノーランド小父様は、お父様の|従兄弟《いとこ》で、ここに住むと都合がいいらしく、この|町屋敷《タウンハウス》を管理してもらうことになっている。
領地も、別の親族が管理する手はずを整えてある。
明日、領地に向かい、到着次第領地の統治権と|荘園《マナー》|邸宅《ハウス》の管理に関して委任状を認めて、陛下の承認は小父様がご自身で申請するらしい。
私は身の回りの準備が出来たら、一度、母の生国に行くのだ。あちらのお祖父さまに、初めてお会いするので、今から緊張してる。
その後のことは、戻ってから考える。
婚約者は、私が伯爵令嬢をやめることを納得して、受け止めてくれるだろうか。