第7話 初めての町と愉快なお茶会 後半
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――長方形のテーブルには真っ白なクロスが掛けられており、左右に二つ置かれているティーポットは白い陶磁器で、取手や蓋の際に薄い青緑色の模様が金で縁取られたお洒落な代物だ。いくつも並んでいる大皿も似た系統のデザインで、その上には美味しそうなクッキーやケーキが綺麗に並べられている。
椅子は向かい合わせに三つずつと、両端のお誕生日席に一つずつ計八脚。迎え入れられた私はウサギとネズミに挟まれて真ん中の座席に着席した。左斜め前にはカエル、右斜め前にはネコ……そして真ん前に影の少女が座っている。
「さ、どうぞ」
影の少女はまるで古い友人の様に私を席へ案内した後、私のティーカップに紅茶を注いで薦めてくれた。真っ赤な紅茶からはベリーの酸味と、微かにミントの香りが漂う。ハーブティーだろうか?
「ありがとう……」
「あぁ〜、失礼。お名前は?」
「あ、私は有朱っていいます」
「アリス!そりゃ素晴らしい!良い名前だ!カンパイ!」
名前を訊いてきたカエルがゲコゲコと喉を鳴らしながら、手元のティーカップをグイッと煽った。彼がカップを置くと、私の左隣のウサギが慌てて注ぐ。
「あぁ、すまんね」
「仕方ないですよ。あんたの吸盤じゃこのポットは扱えないんだから……またテーブルを紅茶の海にされちゃ堪りませんよ」
「いや本当に、あのときゃ失礼したよ……まさか延々と紅茶が溢れ続けるとは思わんじゃないか。グェッグェッグェッ」
「それにしても、もう少しゆっくり飲めないもんかね。ショットのお酒じゃあるまいし、毎度毎度一気飲みされちゃ紅茶が可哀想だよ」
「まぁまぁサラリーさん。男爵も好きでやってるわけじゃないんだから分かってあげましょうよ」
「姫の言う通り!悲しいかな、チビチビ飲もうとするとこの広いガマグチを伝ってほとんど端から垂れちまうんだ。一気飲みで所作の見た目が悪い事は詫びるが、これでもワシは口を閉じてから、香りをしっかり味わって飲んでるつもりなんだよ?」
「そ、それなら良いですけど……」
男爵と呼ばれたカエルは、喋りながらまたもやグイと一口に紅茶を飲み干した。サラリーと呼ばれたウサギがまた注ぐ。二人の様子を滑稽そうに眺めている影の少女は、このテーブルでは既に姫と呼ばれているらしい。
「毒なんか入ってないから、安心しなよ。お嬢さん」
緊張している私を気遣ったのか、声を掛けてくれたのはネコだ。続けてネズミが捲し立てる。
「そうだよ!この紅茶を淹れるために最初の葉っぱや果実を集めたのは何を隠そうこのオレ様なんだぜ!ストレートで飲んでもミルクティーにしても、クッキーにもケーキにもチョコレートにも合う、最高のブレンドさ!」
「ありがとう、警戒してる訳じゃないんだけどね。座って会話にも混ざらずに直ぐ口を付けるのは失礼かと思って……」
「ガハハハ!大丈夫だよアリスさん!このお茶会は無礼講さ!でなきゃサラリーのような平民とこのワシがこんな優雅にゆったりとお茶を愉しむなんて出来ないだろう」
「そうよねぇ男爵。本当になんて素晴らしいお茶会なのかしら!カンパイ!」
影の少女の掛け声に合わせて、皆んな揃ってティーカップを掲げる。思わず私もカップを持ち、一口飲んだ。
「……美味しい」
「だろう!なんてったってオレ様が……」
「そうだな。最高の紅茶だ。ところでネズ公、材料は何処から採ったんだ?」
「うっ……侯爵様の御庭です」
「だろう、素材を見極めるオマエの選定は素晴らしい才能だが、その眼鏡に適うだけの品質に植物を育て上げたのはこの俺だ。余り自分の手柄ばかりを謳うのは良くないな」
「反省します……」
「ちょっとちょっと辛気臭いわよ!侯爵もネズミさんも、無礼講でしょ!」
「あぁ、そうだったな。悪い。しかし躾は別なのだ」
「そうです。あんまり長い間このお茶会に居たもんで、侯爵様と同じ立場にいると思い込んじまいました。あっしはしがない召使いなんで……」
「そう卑下するな。今の注意はオマエに決して慢心して欲しくないから言ったのだ。実際、俺だけではこのお茶会に招かれる事も無かっただろう。俺の庭とオマエの選定があってこそ、この紅茶が出来たのだ」
「侯爵様……嬉しゅう御座います!」
「皆様失礼した。このお茶会に湿っぽいのは似合わんな。カンパイしよう!」
今度はネコの侯爵に合わせて、ティーポットが掲げられる。落ち着いて観察すると、皆揃いも揃って紳士貴族といった装いである。ネコの侯爵はフワリとしたガウンを羽織り、鍔広の帽子を被っている。カエルの男爵ははち切れそうなスーツに身を包み、小さなシルクハットをちょこんと頭に乗せている。ウサギのサラリーも同じくスーツで、鼻先に掛けた眼鏡がオシャレだ。彼はしょっちゅう腕時計を見るのが癖らしい。潤んだ目で紅茶を飲むネズミは緑のシャツに薄茶色のズボンと比較的軽装で、農夫の作業着に近い。赤い羽根の付いた麦わら帽子を被っている。目を濡らし、鼻を鳴らしているのは先程の侯爵とのやりとりで感極まったからだろうか。
さて、一頻り観察をし終えたところで一つの結論に辿り着く。どうやらこのお茶会は無礼講ではあるものの、全員が元から対等な関係では無いらしい。向かい合う形でそれぞれ目上の者と目下の者が分けて配置されている様だ。あれ?という事は私の立場って……?
「ちょっとアナタ!話を聞かせて頂戴!一体アナタはどういう存在なの?私の影から出てきたわよね?」
「あら、その焦り方……何か気付いたのかしら?でも気にする事はないのよ。偶々こういう配置になっただけで、このお茶会は立場の差が無い無礼講なんだもの」
「私が気にし過ぎだって言いたいの?」
「ええ。まぁどうしてもって言うんなら席を交換してあげても良いけど」
「姫が向こう側行くんならワシも移動しようかな!グェッグェッ!」
「っ!いいわ、私の難癖だったかも。謝るわ。でもアナタは私の影なんでしょ?ふらふらせずにいい加減に私のところに戻ってよ」
「いやよ。だって貴女こそふらふらしているもの。他人の事をとやかく言えないでしょ?この世界に来てからずっと、あのぬいぐるみにおんぶに抱っこじゃないの」
「それは……」
「この世界の勝手が分からないから?言い訳は良くないわよ。流されずに生きてれば、ある程度の存在感は得られる筈だもの。今の貴女はペラペラよ。まぁ影が無いから仕方ないのかも知れないけど、貴女みたいに芯が無い存在の影に戻るなんて真っ平ごめんだわ」
「けどアナタは私が居ないと存在すら出来なかったでしょう!」
「確かにそうね。けど私が離れて行動したお陰で貴女はハート岩から助かったでしょ?存在の後先から生まれる主従関係なんて無いのよ。今この時点で、私の方が貴女よりも優れた存在だって事実だけがあるの」
「アナタ……一体何がしたいの?」
「何にも?けど可能なら、この世界にずっと居たいわ。とっても気分が良いんですもの」
「アリスさんは元の世界に戻りたいのかい?」
「当たり前よ、早く《出口》を見つけて帰りたいわ」
「なるほど……」
「侯爵さん、について何か知ってらっしゃって?」
影の少女に尋ねられ、ネコの侯爵は髭を撫でながらゆっくりと答えた。
「確か……この世界の《出口》は限られた賢者のみが知っているという話だった筈だ。元は皆の知る場所にあったが、世界の拡大に合わせて愚者が増えた為に、がそれを嫌って姿を隠すようになったとか……」
「にも意思があるの?」
「いえ、に意思があると言うよりは、世界の意思によって《出口》が隠されたと言った方が正しいだろうな。世界の意思とは即ち、この世界のバランスを保っている一部の賢者達による総意だ」
「その賢者は何処にいるのか知ってる?」
「賢者達は殆ど隠遁している。皆が世界の事を考えていた頃は全員が賢者として互いを尊敬し合っていたが、新たな意識が増える度に世界のバランスを保とうとする共通認識が薄れてしまい、バランスを無視して自らの存在を大きくする事を優先する自分勝手な輩が増えてしまったからな……賢者が愚者に負ける事は滅多にないが、賢者はそもそも争いを好まない」
「危険な愚者が存在感を増す前にさっさと叩けば良いのにな!お陰で賢者に挑もうとする愚者は強大な力を得ている事が多い!賢者に勝てるつもりで挑むからな、賢者が勝っても負けても、どちらにしろ大きく存在感の移動が起きて結局バランスが揺らぐ事になる。厄介な事にな!」
横槍を入れてきたカエル男爵がゲゲゲッと笑う。
「仕方が無い。もはや賢者達は世界のバランスを保つ為にその身を窶しているからな、悪い芽を摘む為に動く事も、その移動で強い存在の影響下に入る事も嫌がっているのだろう。下手な事をして取り込まれれば逆効果だ」
「あら、貴方達やけに詳しいのね?実は賢者本人だったりして」
影の少女がボソリと呟くと、カエル男爵の目がギョロリと動いた。サラリーが慌てて立ち上がると、あからさまに話題を変えようと喋り出す。
「あぁ!皆さん紅茶切れてませんか?ほら侯爵!姫もアリスさんも!注がせていただきますね!あら?ネズミさんは泣き疲れたのかな?もう眠られておいでで……」
「……」
「……」
「いやぁ麗しいご婦人が二人もこのお茶会に来るなんて……こんなに盛り上がるのは久しぶりですよねぇ!本当に素晴らしいことですよ、カンパイ!」
「……」
サラリー以外誰も話さず、ただ静かにティーカップを傾けた。カエル男爵の口の端から紅茶がだばだばと滴り落ち、スーツの襟が真っ赤に染まる。
「あの……皆さん?」
サラリーの必死のアピールも虚しく、誰も反応しない。少し可哀想になって来たが、私も場の空気の重さに口を開く事が出来ない。そのうち彼は頭を掻きむしり始める。腕時計を確認すると、彼の赤い瞳がカッと見開かれた。
「ああぁっ!!!皆さん!時間です!!!」
「おぉ!もうそんなに経ったのか!すまんな姫、一旦お開きだ」
「逃げられると思って?」
「逃げやしない。来るのさ……グェッグェッグェッ!」
「えっ?時間って何のこと?」
「説明するには時間が足りないな。申し訳ないアリスさん、少し待てば分かるよ」
カエル男爵の不気味な笑いとネコの侯爵の意味深な言葉に身構えた時だった。目の端に映っていた中央の建物が、ぐにゃりと大きく揺らいだ様に見えた。
――ブウウゥゥン……ブォンブォンブォンブォン……
直後に聞こえて来たのは、なんだか酷く気分を不安にさせる、低く響く音。その音は何か得体の知れない工場の機械や、或いはとんでもなく大きな蠅の羽音をイメージさせた。
「うおおおぉっ!来やがった!」
「むぅ……!」
「キャッハハハハ!変な音ねぇ!」
「!!!」
テーブルを囲む皆にもその音は聴こえている様だ。眠っていたネズミも吃驚した様子で目を覚まし、鼻をひくひくさせながら辺りを見回す。周辺で作業をしていた住人達は皆、頭を抱えて苦しみ出した。太陽がグングンと動いて地平線へと消える。代わりに月が出て、周囲をぼんやりと照らした。
「あぁ、まただ。ダンナぁ勘弁してくれぇ!」
「いつ聞いても慣れねぇぜ全くよぉ」
「頭が割れそうだぁ」
お茶会のテーブルに座っている私達を除いて、住人達は全員持ち場を離れ各々の家の中へと帰って行く。不気味な音と周囲の反応に戸惑っていると、作業場の方からマクガフィンが駆け付けて来た。テーブルから離れ、耳を塞ぎながら彼の側へと駆け寄る。
「姫!大丈夫か!」
「マクガフィン!一体何が起きたの?」
「作業員の話だと、コレは調律ってヤツらしい。一定の周期でこの音が鳴って全員の体内時計をリセットするらしいんだが……」
「何それ、どういう事?」
「強制的な睡眠時間みたいなもんだ。アイツらの話だと、暫く待ってれば鳴り止むらしい」
――ブォンブォンブォン……ビビビビビ……キイィィィン……
マクガフィンの言う通り、建物から出ている不快な低音はその周期が段々と早くなっていき、周波数が安定したのか不快に感じる音域を脱した。そして、まるでモスキート音の様に響いている感じが耳に残ったままやがて聴こえなくなった。
「ふぅ……」
「収まったみたいね……ところで情報は集まった?」
「ここの作業員達はあの中央の時計塔の部品を作っているらしい。この土地は他に比べてかなり安全な場所だから、芯の弱い奴らが自分を守る為にやって来る。そして存在を守って貰う代わりに時計塔の主と契約するんだ」
「契約?」
「この世界の生き物の寿命に関してはまだ説明してなかったか」
「寿命?そんな概念があるの?自分の理想像を体現して好きに生きるって話しか聞いてないわ」
「理想像を持っている奴らに関しては、姫の言う通り寿命は無い。だが中には理想像が決まっていないヤツも居る。そういう輩は存在感の強い奴に取り込まれて自我を失くしたり、自分の存在意義を見つけられずに無くなっちまうんだ。この土地の住人達は殆ど、自分達のなりたいモノが決まってない奴らなんだ。なりたいものは見つからないけど死ぬのは嫌で、誰かに取り込まれるのも御免、って奴らがここで時計塔造りの仕事に従事してるってワケさ」
「それってこの時計塔の主に取り込まれている、って事にはならないの?」
「取り込まれるって事はその存在の為に自我を奪われる事なんだ。ここの主は自我を奪う事は無いし、住人が理想像を掴めば契約を破棄して、そいつらを巣立たせるらしい。未熟な理想像が固まるまで、自分の存在の芯が育つまでのモラトリアム期間を安全に過ごす為の謂わば学校みたいな場所らしい」
「ふぅん、色んなタイプが居るのね」
「まぁ弱いヤツらを手当たり次第に取り込んで大きな存在を目指すよりも、そうやって理想像を持つ別個の存在を育てて、派閥として徒党を組んだ方が長期的に見ても強固な存在だろうからな。純粋に慈善活動ってワケでも無いらしい」
「なるほどね……」
「お茶会はどうだった?」
「賢者の話を聞いたわ、世界のバランスを保つ為に愚者と戦ってるって話よ」
「おぉ!コッチでも聞いたな。を知ってるって奴らだろ?そいつらの居場所まで知っている奴は居なかったが」
「お茶会の人達も、賢者の居場所までは知らないって。けれど、影の少女が妙なことを言い出して……」
「妙な事?」
「お二人さん!そんな所に突っ立ってないで、早くこっちに座ってくれぃ!」
「急いで下さい!そろそろ旦那様が出て来ちまう!」
カエル男爵とサラリーに急かされて、私達はお茶会へと戻る。私がさっきと同じ真ん中の席に座り、マクガフィンが作業場に近い右手側の席に座ろうとした。するとテーブルの蝋燭に火を灯していたネズミが慌てて注意する。
「あぁ、ダメだよ。そこは旦那様の席なんだ」
「旦那様って、時計塔の主のこと?」
「その通り。そして旦那様はこのお茶会の主催者でもある。我々は客人だ。旦那様はあっちの時計塔からこのテーブルにやって来るから、上座は反対側の席になる」
「オイラは目上の立場じゃねぇぜ」
「目上かどうかは関係無い。兎に角、我々は招かれた側で、旦那様は招いた側だからそうなってるんだ。一番出口に近い下手の席は主催者である旦那様の固定席ってワケだ」
「ふぅん、そうかい。そんなら仕方ない」
「すまんね。席さえ気を付ければ気楽なお茶会だから……」
「!来るぞ」
サラリーがピクッと耳を動かして反応すると、時計塔の方から重い扉が何重にも開く音がした。そして中から大きな影がのそりと出て来る。時計塔内部はとても明るいらしく、開いた扉から眩い光が筋となって溢れ出す。肝心な姿は逆光でシルエットしか見えないが、大きなシルクハットを被ってステッキを持っているのが分かる。時計塔の主は辺りをくるりと見回すと、つかつかと歩いてこちらのテーブルへとやって来る。
近付いてきた時計塔の主は、深紫色のコートに身を包んだ白い顔のメンフクロウだった。右目に片眼鏡を掛け、銀色のステッキを持つ手には白い手袋をしている。シルクハットはかなり丈が高く、トップクラウンとツバの広さに対してクラウンの下側はキュッと絞られた特徴的なデザインだ。お洒落なリボンには大きく『6/11』と書かれたメモが挟まっている。メンフクロウはステッキを例の席の背もたれに掛けると、ゆっくりと腰を下ろし一息ついてから嘴を開いた。
「ご機嫌よう!皆さん!今夜は外からの客人が三人もいらしているな、珍しいことだ!」
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「さ、どうぞ」
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「ありがとう……」
「あぁ〜、失礼。お名前は?」
「あ、私は有朱っていいます」
「アリス!そりゃ素晴らしい!良い名前だ!カンパイ!」
名前を訊いてきたカエルがゲコゲコと喉を鳴らしながら、手元のティーカップをグイッと煽った。彼がカップを置くと、私の左隣のウサギが慌てて注ぐ。
「あぁ、すまんね」
「仕方ないですよ。あんたの吸盤じゃこのポットは扱えないんだから……またテーブルを紅茶の海にされちゃ堪りませんよ」
「いや本当に、あのときゃ失礼したよ……まさか延々と紅茶が溢れ続けるとは思わんじゃないか。グェッグェッグェッ」
「それにしても、もう少しゆっくり飲めないもんかね。ショットのお酒じゃあるまいし、毎度毎度一気飲みされちゃ紅茶が可哀想だよ」
「まぁまぁサラリーさん。男爵も好きでやってるわけじゃないんだから分かってあげましょうよ」
「姫の言う通り!悲しいかな、チビチビ飲もうとするとこの広いガマグチを伝ってほとんど端から垂れちまうんだ。一気飲みで所作の見た目が悪い事は詫びるが、これでもワシは口を閉じてから、香りをしっかり味わって飲んでるつもりなんだよ?」
「そ、それなら良いですけど……」
男爵と呼ばれたカエルは、喋りながらまたもやグイと一口に紅茶を飲み干した。サラリーと呼ばれたウサギがまた注ぐ。二人の様子を滑稽そうに眺めている影の少女は、このテーブルでは既に姫と呼ばれているらしい。
「毒なんか入ってないから、安心しなよ。お嬢さん」
緊張している私を気遣ったのか、声を掛けてくれたのはネコだ。続けてネズミが捲し立てる。
「そうだよ!この紅茶を淹れるために最初の葉っぱや果実を集めたのは何を隠そうこのオレ様なんだぜ!ストレートで飲んでもミルクティーにしても、クッキーにもケーキにもチョコレートにも合う、最高のブレンドさ!」
「ありがとう、警戒してる訳じゃないんだけどね。座って会話にも混ざらずに直ぐ口を付けるのは失礼かと思って……」
「ガハハハ!大丈夫だよアリスさん!このお茶会は無礼講さ!でなきゃサラリーのような平民とこのワシがこんな優雅にゆったりとお茶を愉しむなんて出来ないだろう」
「そうよねぇ男爵。本当になんて素晴らしいお茶会なのかしら!カンパイ!」
影の少女の掛け声に合わせて、皆んな揃ってティーカップを掲げる。思わず私もカップを持ち、一口飲んだ。
「……美味しい」
「だろう!なんてったってオレ様が……」
「そうだな。最高の紅茶だ。ところでネズ公、材料は何処から採ったんだ?」
「うっ……侯爵様の御庭です」
「だろう、素材を見極めるオマエの選定は素晴らしい才能だが、その眼鏡に適うだけの品質に植物を育て上げたのはこの俺だ。余り自分の手柄ばかりを謳うのは良くないな」
「反省します……」
「ちょっとちょっと辛気臭いわよ!侯爵もネズミさんも、無礼講でしょ!」
「あぁ、そうだったな。悪い。しかし躾は別なのだ」
「そうです。あんまり長い間このお茶会に居たもんで、侯爵様と同じ立場にいると思い込んじまいました。あっしはしがない召使いなんで……」
「そう卑下するな。今の注意はオマエに決して慢心して欲しくないから言ったのだ。実際、俺だけではこのお茶会に招かれる事も無かっただろう。俺の庭とオマエの選定があってこそ、この紅茶が出来たのだ」
「侯爵様……嬉しゅう御座います!」
「皆様失礼した。このお茶会に湿っぽいのは似合わんな。カンパイしよう!」
今度はネコの侯爵に合わせて、ティーポットが掲げられる。落ち着いて観察すると、皆揃いも揃って紳士貴族といった装いである。ネコの侯爵はフワリとしたガウンを羽織り、鍔広の帽子を被っている。カエルの男爵ははち切れそうなスーツに身を包み、小さなシルクハットをちょこんと頭に乗せている。ウサギのサラリーも同じくスーツで、鼻先に掛けた眼鏡がオシャレだ。彼はしょっちゅう腕時計を見るのが癖らしい。潤んだ目で紅茶を飲むネズミは緑のシャツに薄茶色のズボンと比較的軽装で、農夫の作業着に近い。赤い羽根の付いた麦わら帽子を被っている。目を濡らし、鼻を鳴らしているのは先程の侯爵とのやりとりで感極まったからだろうか。
さて、一頻り観察をし終えたところで一つの結論に辿り着く。どうやらこのお茶会は無礼講ではあるものの、全員が元から対等な関係では無いらしい。向かい合う形でそれぞれ目上の者と目下の者が分けて配置されている様だ。あれ?という事は私の立場って……?
「ちょっとアナタ!話を聞かせて頂戴!一体アナタはどういう存在なの?私の影から出てきたわよね?」
「あら、その焦り方……何か気付いたのかしら?でも気にする事はないのよ。偶々こういう配置になっただけで、このお茶会は立場の差が無い無礼講なんだもの」
「私が気にし過ぎだって言いたいの?」
「ええ。まぁどうしてもって言うんなら席を交換してあげても良いけど」
「姫が向こう側行くんならワシも移動しようかな!グェッグェッ!」
「っ!いいわ、私の難癖だったかも。謝るわ。でもアナタは私の影なんでしょ?ふらふらせずにいい加減に私のところに戻ってよ」
「いやよ。だって貴女こそふらふらしているもの。他人の事をとやかく言えないでしょ?この世界に来てからずっと、あのぬいぐるみにおんぶに抱っこじゃないの」
「それは……」
「この世界の勝手が分からないから?言い訳は良くないわよ。流されずに生きてれば、ある程度の存在感は得られる筈だもの。今の貴女はペラペラよ。まぁ影が無いから仕方ないのかも知れないけど、貴女みたいに芯が無い存在の影に戻るなんて真っ平ごめんだわ」
「けどアナタは私が居ないと存在すら出来なかったでしょう!」
「確かにそうね。けど私が離れて行動したお陰で貴女はハート岩から助かったでしょ?存在の後先から生まれる主従関係なんて無いのよ。今この時点で、私の方が貴女よりも優れた存在だって事実だけがあるの」
「アナタ……一体何がしたいの?」
「何にも?けど可能なら、この世界にずっと居たいわ。とっても気分が良いんですもの」
「アリスさんは元の世界に戻りたいのかい?」
「当たり前よ、早く《出口》を見つけて帰りたいわ」
「なるほど……」
「侯爵さん、《出口》について何か知ってらっしゃって?」
影の少女に尋ねられ、ネコの侯爵は髭を撫でながらゆっくりと答えた。
「確か……この世界の《出口》は限られた賢者のみが知っているという話だった筈だ。元は皆の知る場所にあったが、世界の拡大に合わせて愚者が増えた為に、《出口》がそれを嫌って姿を隠すようになったとか……」
「《出口》にも意思があるの?」
「いえ、《出口》に意思があると言うよりは、世界の意思によって《出口》が隠されたと言った方が正しいだろうな。世界の意思とは即ち、この世界のバランスを保っている一部の賢者達による総意だ」
「その賢者は何処にいるのか知ってる?」
「賢者達は殆ど隠遁している。皆が世界の事を考えていた頃は全員が賢者として互いを尊敬し合っていたが、新たな意識が増える度に世界のバランスを保とうとする共通認識が薄れてしまい、バランスを無視して自らの存在を大きくする事を優先する自分勝手な輩が増えてしまったからな……賢者が愚者に負ける事は滅多にないが、賢者はそもそも争いを好まない」
「危険な愚者が存在感を増す前にさっさと叩けば良いのにな!お陰で賢者に挑もうとする愚者は強大な力を得ている事が多い!賢者に勝てるつもりで挑むからな、賢者が勝っても負けても、どちらにしろ大きく存在感の移動が起きて結局バランスが揺らぐ事になる。厄介な事にな!」
横槍を入れてきたカエル男爵がゲゲゲッと笑う。
「仕方が無い。もはや賢者達は世界のバランスを保つ為にその身を窶しているからな、悪い芽を摘む為に動く事も、その移動で強い存在の影響下に入る事も嫌がっているのだろう。下手な事をして取り込まれれば逆効果だ」
「あら、貴方達やけに詳しいのね?実は賢者本人だったりして」
影の少女がボソリと呟くと、カエル男爵の目がギョロリと動いた。サラリーが慌てて立ち上がると、あからさまに話題を変えようと喋り出す。
「あぁ!皆さん紅茶切れてませんか?ほら侯爵!姫もアリスさんも!注がせていただきますね!あら?ネズミさんは泣き疲れたのかな?もう眠られておいでで……」
「……」
「……」
「いやぁ麗しいご婦人が二人もこのお茶会に来るなんて……こんなに盛り上がるのは久しぶりですよねぇ!本当に素晴らしいことですよ、カンパイ!」
「……」
サラリー以外誰も話さず、ただ静かにティーカップを傾けた。カエル男爵の口の端から紅茶がだばだばと滴り落ち、スーツの襟が真っ赤に染まる。
「あの……皆さん?」
サラリーの必死のアピールも虚しく、誰も反応しない。少し可哀想になって来たが、私も場の空気の重さに口を開く事が出来ない。そのうち彼は頭を掻きむしり始める。腕時計を確認すると、彼の赤い瞳がカッと見開かれた。
「ああぁっ!!!皆さん!時間です!!!」
「おぉ!もうそんなに経ったのか!すまんな姫、一旦お開きだ」
「逃げられると思って?」
「逃げやしない。来るのさ……グェッグェッグェッ!」
「えっ?時間って何のこと?」
「説明するには時間が足りないな。申し訳ないアリスさん、少し待てば分かるよ」
カエル男爵の不気味な笑いとネコの侯爵の意味深な言葉に身構えた時だった。目の端に映っていた中央の建物が、ぐにゃりと大きく揺らいだ様に見えた。
――ブウウゥゥン……ブォンブォンブォンブォン……
直後に聞こえて来たのは、なんだか酷く気分を不安にさせる、低く響く音。その音は何か得体の知れない工場の機械や、或いはとんでもなく大きな蠅の羽音をイメージさせた。
「うおおおぉっ!来やがった!」
「むぅ……!」
「キャッハハハハ!変な音ねぇ!」
「!!!」
テーブルを囲む皆にもその音は聴こえている様だ。眠っていたネズミも吃驚した様子で目を覚まし、鼻をひくひくさせながら辺りを見回す。周辺で作業をしていた住人達は皆、頭を抱えて苦しみ出した。太陽がグングンと動いて地平線へと消える。代わりに月が出て、周囲をぼんやりと照らした。
「あぁ、まただ。ダンナぁ勘弁してくれぇ!」
「いつ聞いても慣れねぇぜ全くよぉ」
「頭が割れそうだぁ」
お茶会のテーブルに座っている私達を除いて、住人達は全員持ち場を離れ各々の家の中へと帰って行く。不気味な音と周囲の反応に戸惑っていると、作業場の方からマクガフィンが駆け付けて来た。テーブルから離れ、耳を塞ぎながら彼の側へと駆け寄る。
「姫!大丈夫か!」
「マクガフィン!一体何が起きたの?」
「作業員の話だと、コレは調律ってヤツらしい。一定の周期でこの音が鳴って全員の体内時計をリセットするらしいんだが……」
「何それ、どういう事?」
「強制的な睡眠時間みたいなもんだ。アイツらの話だと、暫く待ってれば鳴り止むらしい」
――ブォンブォンブォン……ビビビビビ……キイィィィン……
マクガフィンの言う通り、建物から出ている不快な低音はその周期が段々と早くなっていき、周波数が安定したのか不快に感じる音域を脱した。そして、まるでモスキート音の様に響いている感じが耳に残ったままやがて聴こえなくなった。
「ふぅ……」
「収まったみたいね……ところで情報は集まった?」
「ここの作業員達はあの中央の時計塔の部品を作っているらしい。この土地は他に比べてかなり安全な場所だから、芯の弱い奴らが自分を守る為にやって来る。そして存在を守って貰う代わりに時計塔の主と契約するんだ」
「契約?」
「この世界の生き物の寿命に関してはまだ説明してなかったか」
「寿命?そんな概念があるの?自分の理想像を体現して好きに生きるって話しか聞いてないわ」
「理想像を持っている奴らに関しては、姫の言う通り寿命は無い。だが中には理想像が決まっていないヤツも居る。そういう輩は存在感の強い奴に取り込まれて自我を失くしたり、自分の存在意義を見つけられずに無くなっちまうんだ。この土地の住人達は殆ど、自分達のなりたいモノが決まってない奴らなんだ。なりたいものは見つからないけど死ぬのは嫌で、誰かに取り込まれるのも御免、って奴らがここで時計塔造りの仕事に従事してるってワケさ」
「それってこの時計塔の主に取り込まれている、って事にはならないの?」
「取り込まれるって事はその存在の為に自我を奪われる事なんだ。ここの主は自我を奪う事は無いし、住人が理想像を掴めば契約を破棄して、そいつらを巣立たせるらしい。未熟な理想像が固まるまで、自分の存在の芯が育つまでのモラトリアム期間を安全に過ごす為の謂わば学校みたいな場所らしい」
「ふぅん、色んなタイプが居るのね」
「まぁ弱いヤツらを手当たり次第に取り込んで大きな存在を目指すよりも、そうやって理想像を持つ別個の存在を育てて、派閥として徒党を組んだ方が長期的に見ても強固な存在だろうからな。純粋に慈善活動ってワケでも無いらしい」
「なるほどね……」
「お茶会はどうだった?」
「賢者の話を聞いたわ、世界のバランスを保つ為に愚者と戦ってるって話よ」
「おぉ!コッチでも聞いたな。《出口》を知ってるって奴らだろ?そいつらの居場所まで知っている奴は居なかったが」
「お茶会の人達も、賢者の居場所までは知らないって。けれど、影の少女が妙なことを言い出して……」
「妙な事?」
「お二人さん!そんな所に突っ立ってないで、早くこっちに座ってくれぃ!」
「急いで下さい!そろそろ旦那様が出て来ちまう!」
カエル男爵とサラリーに急かされて、私達はお茶会へと戻る。私がさっきと同じ真ん中の席に座り、マクガフィンが作業場に近い右手側の席に座ろうとした。するとテーブルの蝋燭に火を灯していたネズミが慌てて注意する。
「あぁ、ダメだよ。そこは旦那様の席なんだ」
「旦那様って、時計塔の主のこと?」
「その通り。そして旦那様はこのお茶会の主催者でもある。我々は客人だ。旦那様はあっちの時計塔からこのテーブルにやって来るから、上座は反対側の席になる」
「オイラは目上の立場じゃねぇぜ」
「目上かどうかは関係無い。兎に角、我々は招かれた側で、旦那様は招いた側だからそうなってるんだ。一番出口に近い下手の席は主催者である旦那様の固定席ってワケだ」
「ふぅん、そうかい。そんなら仕方ない」
「すまんね。席さえ気を付ければ気楽なお茶会だから……」
「!来るぞ」
サラリーがピクッと耳を動かして反応すると、時計塔の方から重い扉が何重にも開く音がした。そして中から大きな影がのそりと出て来る。時計塔内部はとても明るいらしく、開いた扉から眩い光が筋となって溢れ出す。肝心な姿は逆光でシルエットしか見えないが、大きなシルクハットを被ってステッキを持っているのが分かる。時計塔の主は辺りをくるりと見回すと、つかつかと歩いてこちらのテーブルへとやって来る。
近付いてきた時計塔の主は、深紫色のコートに身を包んだ白い顔のメンフクロウだった。右目に片眼鏡を掛け、銀色のステッキを持つ手には白い手袋をしている。シルクハットはかなり丈が高く、トップクラウンとツバの広さに対してクラウンの下側はキュッと絞られた特徴的なデザインだ。お洒落なリボンには大きく『6/11』と書かれたメモが挟まっている。メンフクロウはステッキを例の席の背もたれに掛けると、ゆっくりと腰を下ろし一息ついてから嘴を開いた。
「ご機嫌よう!皆さん!今夜は外からの客人が三人もいらしているな、珍しいことだ!」