第6話 初めての町と愉快なお茶会 前半
ー/ー
「はぁ……はぁ……」
「姫、大丈夫か?」
「えぇ、なんとか……けど、一度深呼吸させて欲しいかも」
影の少女を追い掛けて、私達は水上に現れた小道を走り続けていた。もう七、八分近く走り続けているが少女との距離は一向に縮まらず、道の向こうに見えていた新たな土地にすら一向に着く気配がない。流石に息が切れてきた。
「この世界じゃ、向こうで云う身体能力や体力の概念はない筈なんだが。まだ感覚が慣れてないのかも知れないな」
「どういうこと?じゃあこの息切れや疲労感は私の気のせいってワケ?」
「まぁ多分、そのハズだ……」
「……」
マクガフィンに言われ、改めて落ち着いて考えてみて確かに、と気付く。プロポーションを保つ為にジョギングを日課にはしていたが、結構なハイペースで五分以上走っていたにしては持っている方だ。というより、走った直後にはいつも少なからず感じる脹ら脛の突っ張る感覚が無い。どうやら疲労感は本当に思い込みから来たものだったらしい。
「どうだ?疲れてないだろ?」
「……確かにそうかも知れないけど!そもそもどうしてわざわざ走って追い掛けてるの?さっきみたいに飛べばイイじゃない!」
「それはダメだ。あの向こう岸に向かってるだけなら確かに姫の言う通り、飛べばすぐ着くかも知れない。でもオイラ達はあの少女を追い掛けてるから訳が違うんだ」
「もう、またルールがあるの?」
「ルールというか、そうだな。この世界の移動に距離が関係ないのは説明しただろ?距離が関係してない分、何処かに移動する際の手順は難しいんだ。例えば、電車移動を想像してくれ。同じ電車に乗れば間違い無く同じ駅で下車出来るが、少女が各駅停車、オイラ達が急行に乗ったとする。急行が止まらない駅で少女が下車したら、オイラ達は数駅飛ばした先の駅で降りて、戻りの各駅停車に乗ってから引き返さなきゃならない……分かるか?」
「うーん、つまり私達が少女との距離を詰める為に急いで飛んじゃうと、少女が寄り道した時に見失っちゃうって事?」
「その通り!さすが姫だ、理解が早いな。この世界は特にそれが顕著でな、徒歩でなきゃ行けない場所、逆に飛ばなきゃ行けない場所、とか色々あるんだ。ひどい時には森の中の木を一本、右に行くか左に行くかって差で全く違う場所に通じたりする。あの少女を追い掛けるには常に同じ方法で移動してないと絶対に見失っちまう」
「飛ばない理由は分かったけど、こんな一本道で……」
「少女がずっとこの道を歩いているから仕方ない。いやぁそれにしても姫は凄いぜ、疲れないって事も知らずにずっと走ってたんだからさ。あぁそう言えば、まだまだ教えてないことがあって……」
私が不満そうにしているのに焦ったのか、マクガフィンは露骨におだてながらこの世界についての説明を続けた。時間の流れ、季節の巡り、音のこと、色のこと……
この世界の色や音の認識に関しては基本的に私の住んでいた世界と同じだが、そういう概念も含め大体の事は地域毎に住んでいる者達の趣味嗜好に左右されており、例えば時間や季節なら夜のエリアや冬のエリアなど当人達にとって最適な空間が入り混じって存在しているらしい。そういう干渉を受けていない、いわゆる世界自体の基本的な気候は温かく、小春日和のお昼の時間帯がずっと続いている環境だと言う。
さっき空を飛んでいた時に時間の流れが緩やかに感じられたのはそういう中間地帯では本当にゆっくりとしか時間が経過していないからで、ある場所では凄まじい早さで時間が進んでいたり、珍しい所では逆行しているエリアすらあるらしい。
「そうそう、さっきのハート岩を見て察したかと思うが、ここじゃ質量保存の法則はアテにならん。アイツらにはそんな難しい事を細かく考えて世界のバランスを保とうなんて意識はねぇからな……逆に言えば、意識して想像出来さえすれば正確にその物理的作用を引き起こす事も出来る。つまり時間が逆行してる場所を作り出したヤツはエントロピーやら何やらと難しい事を細部まで想像した結果、その事象を引き起こしたんだな……勿論、時間の逆行なんてのはこの世界でも異端だ。そんな事、普通の奴らには想像もつかない。それに理解の範疇を超えた場所に入ると否応無くその支配下に置かれちまうから、それを嫌がってみんな避けてるんだ。オイラからすれば、一度見てみたい気もするが……姫はどうだ?」
「私は、そうねぇ……面白そうだとは思うけど」
一体いつまでこの道が続くのか。そればかり気になってマクガフィンの話をボーッと聞き流していた私が反応に困っていたその時、いきなり辺りに轟音が響き渡った。
――ゴオオオオオオオオ!ガシャン!
「なっ、なぁに?」
まるで地下鉄のホームで直ぐ側を急行列車が走り抜けて行ったときのような、くぐもった鉄の音。続いて聞こえた衝撃音は、スーパーで子供がショッピングカートを勢い良く列に戻す時の音にも似ていた。
「おぉ!姫、見ろよ!」
「そんな、いつの間に……?」
「ほらな!オイラの言った通りだろ!地道に追い掛けて正解だった!」
「これは町なの?」
「多分な!コレだけ頭数がいりゃあ、の情報を持ってるヤツもいるだろう」
マクガフィンは満足そうに頷いている。先程まで遠く延びていた水上の小道は何処へやら、辺りは既に大地が広がっており、少し傾いた太陽は夕方にならない程度にお昼を過ぎた明るさだ。そして土地の中央、私達の目の前には巨大な建築物が聳え立っていた。突如出現したそれはゴシック建築の教会を想起させる豪華絢爛な建物でまるで城の様に大きく、その迫力に圧倒されてしまう程だった。
建物の天辺には釣り鐘がぶら下がっており、その下には満月を思わせる大きな白い円盤が設置されている。普通の設計で考えるなら本来、その位置にある物は時計だろうと予想されたが、その円盤は時を指し示す針も、目盛りすら見当たらなかった。
周辺に広がる土地には疎らに家が並び、小規模な城下町といった雰囲気で幾つもの住人らしき影が動いているのが見える。ハート岩の観客の時と明らかに違っていたのは住人達が各々、自由に過ごしているという点だ。集団を装った植物の騒めきとは違い、場の空気がある程度の活気を持って賑わっていたのだった。大勢がバラバラな意思を持った上で集まってそこに生きているのが分かって、私は何やら懐かしい気分になり安堵する。
思えばこの世界に来てから立て続けに、傲慢な人としか遭っていなかった。他者との関係性を軽んじ、孤独に生きる者と対話するのはとても疲れると思い知った。もしこの世界にああいった孤高の存在しか居なければ、情報集めは絶望的だろうと身構えていたのだ。そういう意味ではここに居る彼等は少なくとも、このコミュニティー内での意思疎通を日常的に行なって生きているようである。
ある所では二人一組で餅つきのような作業を行なっていたり、列になってリレーで何かを運んでいたり。会話をしながら楽しそうに過ごしている……彼らの見た目は様々だが明らかに一つの目的に向かって協力し合っているのが分かった。誰かが他人と関わり合って生きているのを目の当たりにして、こんな穏やかな気持ちになれるのは自分でも意外だった。
何故このコミュニティーを見て安心したのか自問してみて、ふと頭をよぎったのは「無敵の人」というワードである。社会的ステータスの無い人が犯罪行為に走り易いという理論を揶揄した言葉で、“無敵”というのは本当に敵がいないという意味では無く、守るモノが無いという意味である。現実世界において犯罪行為には相応の刑罰が定められているが、それらは全て一定の社会的地位がある者にしか抑止力として働かない。例えば家の無い人にとって刑務所での服役は寧ろ衣食住の提供であり、逮捕されたり前科が付く事による社会的信用の喪失も、それが元からゼロの人にとってはリスクにならない。つまり失うモノがない人は犯罪行為に対して躊躇する理由が無いという理屈である。
私が今、目の前で集団生活する彼等を見て得た安心感は、直前に会った二人がある意味で“無敵”だったからではないだろうか?他者と関わらず、自分の中で育てた価値観、世界観にだけ縋って自分を肥大化させた彼等は、きっと自分と違う意見を出す者全員が敵に見えていたに違いない。私が世界観を合わせて話していた束の間は話が通じる様に思えたが、その内容は一方的な押し付けばかりで対話は出来ていなかった。この世界に現実の様に平和を保つ礎となる法律があるとは到底思えないが、いきなり切り掛かって来たド・タイプや植物で襲い掛かかってきたハート岩のようなタイプはこの集団には属していないだろう事は想像に難くなかった。
「姫?何ボーッとしてんだ?」
「あぁ、ごめんなさい……ここは平和だなって思って」
「確かにな。ここにゃさっきみたく交戦的なヤツは居ないだろうよ。ほら、見てみな」
マクガフィンの指差した先には大きな木。作業している住人達から少し離れたその木の下でテーブルを囲んでいる一団は、どうやらお茶会をしているようだ。座っているメンバーはカエル、ネズミ、ネコ、ウサギ……そしてなんと、影の少女も混じって愉しげにお茶を飲んでいた。
「あっ!あんな所に、いつの間に!」
「姫もお茶会に混ざってくると良い、きっと歓迎されるさ。オイラはその間に一通り聞き込みして来るからさ」
「え、う〜ん」
「なんだ、心細いのか?」
「少しね」
「大丈夫、この敷地から出ない限り、そうそう迷子にはならない。彼女も腰を落ち着けてるし、逃げはしないはずだ」
「でも……」
「それに、お茶会に居るヤツらは少しクセの強い輩が多そうだ。オイラが話すとまたつまらん言い争いになるかも分かんねぇ、だからあっちのヤツらには会話が得意な姫から《出口》の事を聞いて欲しいんだ」
「えぇ?私、別に話すの得意じゃないわよ。ハート岩の時だって何も聞き出せなかったし……」
「アレは相手が特殊過ぎた。この敷地内で過ごしてるって事はある程度は話が通じるはずだろ?けど、ああいう輩は機嫌を損ねると何も話してくれなくなるからな……オイラはまどろっこしいのが嫌いだから直ぐに語気が荒れちまうんだよ。その点、姫は丁寧な口調だし落ち着いてる」
「まぁ、そういう意味ならマクガフィンよりはマシだと思うけどね?」
「だろ?何より姫の影が打ち解けてんだからさ、自信持って」
「……うん、分かったわ。やってみる」
「ありがとう!じゃオイラは忙しそうなあっちの方からチャチャッと話聞いてくるよ。また後で。何かあったら直ぐ駆け付けるからな」
マクガフィンはそう言うと、餅つき作業をしている二人組に近付いて行った……木の人形と、トカゲの二人である。暫く見ていたが何事も無く打ち解けたようで、まさに談笑といった感じで作業の邪魔をするでもなく、必要な会話を済ませると別の住人に声を掛けに行く。どうやら彼方は彼に任せて大丈夫そうだ……よし。
私は深呼吸すると大きな木を目指して歩みを進める。新しい環境で、既に出来ているグループに一人で入っていくのには勇気が要る。思い出したのは小学生の頃の記憶だ。
こんな歳になって、まだあの頃みたいな気持ちになるなんてね……
小学一年生の夏、親の都合で引っ越す事になった私は折角仲良くなったクラスの友達と離れる悲しさと、新しい場所への不安でいっぱいだった。「引っ越したくない」と散々駄々を捏ねて、両親を困らせたのを憶えている。余りの荒れように、近所に住んでた祖母が「ウチで預かって今の学校に通わせようか」と提案していた程らしい。
新しい学校の初日は夏休み終わりの初登校日だった。クラスには一学期に仲良くなったグループが既に幾つか出来上がっていて案の定、私の居場所はなかった。か細い声で自己紹介を済まし、後は静かに授業を受けるだけ。その日はとにかく元の学校のクラスメイト達が恋しくて、お昼休みの時間などは涙を堪えるのに必死だった。一日中、自分をこんな境遇に追いやった両親を恨み、絶対許さない、と怒りを溜め込んでいた。
だが二日目に体育の授業があったお陰で、その鬱屈とした期間は意外に早く終わることとなる。ペアを組んで準備運動をする時に組んでくれた女の子が、かなりのムードメーカーだったのだ。色んな質問を投げてくれて、合う話題を引き出してくれた。それからチームでドッジボールをする時に周りの子に私の事を紹介して、友達のグループに入れてくれたのだ。そこから皆んなと打ち解けるのは直ぐで、二日目のお昼以降、私の学校生活は元の学校と大差無い日々へと戻った。
引っ越してからダンマリを決め込んでいた私が「友達が出来た!」とはしゃいで帰って来たのを見て母はとても喜び、お祝いに夕飯を私の好きなハンバーグにしてくれた。帰って来た父は上機嫌の私を見て察した様で「有朱は可愛くて優しい子だから、どこに行っても大丈夫だって父さん分かってたよ」と満面の笑みだった。心の中で、「恨んでごめんなさい」と謝りながらハンバーグを頬張ったのは今でも記憶に刻まれている。
突然の引っ越しの理由が父の病気の治療の為だと知ったのは、それから随分後になってからだった。私が小学二年生の頃に父は入院し、三年生に上がる前に亡くなった――
「ねぇ!貴女!早くいらっしゃいよ!」
唐突に呼び掛けられ、我に帰る。緊張からか、過去の記憶に浸ってボーッとしていたらしい。相変わらず鈴の鳴る様な声の主は、あの影の少女だ。テーブルから、私に向かって手を振っている。彼女が私の事を認識しているのも驚きだったが、私の口を衝いて出た言葉は更に私自身を驚かせた。
「ごめん!今行く!」
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
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「この世界じゃ、向こうで云う身体能力や体力の概念はない筈なんだが。まだ感覚が慣れてないのかも知れないな」
「どういうこと?じゃあこの息切れや疲労感は私の気のせいってワケ?」
「まぁ多分、そのハズだ……」
「……」
マクガフィンに言われ、改めて落ち着いて考えてみて確かに、と気付く。プロポーションを保つ為にジョギングを日課にはしていたが、結構なハイペースで五分以上走っていたにしては持っている方だ。というより、走った直後にはいつも少なからず感じる脹ら脛の突っ張る感覚が無い。どうやら疲労感は本当に思い込みから来たものだったらしい。
「どうだ?疲れてないだろ?」
「……確かにそうかも知れないけど!そもそもどうしてわざわざ走って追い掛けてるの?さっきみたいに飛べばイイじゃない!」
「それはダメだ。あの向こう岸に向かってるだけなら確かに姫の言う通り、飛べばすぐ着くかも知れない。でもオイラ達はあの少女を追い掛けてるから訳が違うんだ」
「もう、またルールがあるの?」
「ルールというか、そうだな。この世界の移動に距離が関係ないのは説明しただろ?距離が関係してない分、何処かに移動する際の手順は難しいんだ。例えば、電車移動を想像してくれ。同じ電車に乗れば間違い無く同じ駅で下車出来るが、少女が各駅停車、オイラ達が急行に乗ったとする。急行が止まらない駅で少女が下車したら、オイラ達は数駅飛ばした先の駅で降りて、戻りの各駅停車に乗ってから引き返さなきゃならない……分かるか?」
「うーん、つまり私達が少女との距離を詰める為に急いで飛んじゃうと、少女が寄り道した時に見失っちゃうって事?」
「その通り!さすが姫だ、理解が早いな。この世界は特にそれが顕著でな、徒歩でなきゃ行けない場所、逆に飛ばなきゃ行けない場所、とか色々あるんだ。ひどい時には森の中の木を一本、右に行くか左に行くかって差で全く違う場所に通じたりする。あの少女を追い掛けるには常に同じ方法で移動してないと絶対に見失っちまう」
「飛ばない理由は分かったけど、こんな一本道で……」
「少女がずっとこの道を歩いているから仕方ない。いやぁそれにしても姫は凄いぜ、疲れないって事も知らずにずっと走ってたんだからさ。あぁそう言えば、まだまだ教えてないことがあって……」
私が不満そうにしているのに焦ったのか、マクガフィンは露骨におだてながらこの世界についての説明を続けた。時間の流れ、季節の巡り、音のこと、色のこと……
この世界の色や音の認識に関しては基本的に私の住んでいた世界と同じだが、そういう概念も含め大体の事は地域毎に住んでいる者達の趣味嗜好に左右されており、例えば時間や季節なら夜のエリアや冬のエリアなど当人達にとって最適な空間が入り混じって存在しているらしい。そういう干渉を受けていない、いわゆる世界自体の基本的な気候は温かく、小春日和のお昼の時間帯がずっと続いている環境だと言う。
さっき空を飛んでいた時に時間の流れが緩やかに感じられたのはそういう中間地帯では本当にゆっくりとしか時間が経過していないからで、ある場所では凄まじい早さで時間が進んでいたり、珍しい所では逆行しているエリアすらあるらしい。
「そうそう、さっきのハート岩を見て察したかと思うが、ここじゃ質量保存の法則はアテにならん。アイツらにはそんな難しい事を細かく考えて世界のバランスを保とうなんて意識はねぇからな……逆に言えば、意識して想像出来さえすれば正確にその物理的作用を引き起こす事も出来る。つまり時間が逆行してる場所を作り出したヤツはエントロピーやら何やらと難しい事を細部まで想像した結果、その事象を引き起こしたんだな……勿論、時間の逆行なんてのはこの世界でも異端だ。そんな事、普通の奴らには想像もつかない。それに理解の範疇を超えた場所に入ると否応無くその支配下に置かれちまうから、それを嫌がってみんな避けてるんだ。オイラからすれば、一度見てみたい気もするが……姫はどうだ?」
「私は、そうねぇ……面白そうだとは思うけど」
一体いつまでこの道が続くのか。そればかり気になってマクガフィンの話をボーッと聞き流していた私が反応に困っていたその時、いきなり辺りに轟音が響き渡った。
――ゴオオオオオオオオ!ガシャン!
「なっ、なぁに?」
まるで地下鉄のホームで直ぐ側を急行列車が走り抜けて行ったときのような、くぐもった鉄の音。続いて聞こえた衝撃音は、スーパーで子供がショッピングカートを勢い良く列に戻す時の音にも似ていた。
「おぉ!姫、見ろよ!」
「そんな、いつの間に……?」
「ほらな!オイラの言った通りだろ!地道に追い掛けて正解だった!」
「これは町なの?」
「多分な!コレだけ頭数がいりゃあ、《出口》の情報を持ってるヤツもいるだろう」
マクガフィンは満足そうに頷いている。先程まで遠く延びていた水上の小道は何処へやら、辺りは既に大地が広がっており、少し傾いた太陽は夕方にならない程度にお昼を過ぎた明るさだ。そして土地の中央、私達の目の前には巨大な建築物が聳え立っていた。突如出現したそれはゴシック建築の教会を想起させる豪華絢爛な建物でまるで城の様に大きく、その迫力に圧倒されてしまう程だった。
建物の天辺には釣り鐘がぶら下がっており、その下には満月を思わせる大きな白い円盤が設置されている。普通の設計で考えるなら本来、その位置にある物は時計だろうと予想されたが、その円盤は時を指し示す針も、目盛りすら見当たらなかった。
周辺に広がる土地には疎らに家が並び、小規模な城下町といった雰囲気で幾つもの住人らしき影が動いているのが見える。ハート岩の観客の時と明らかに違っていたのは住人達が各々、自由に過ごしているという点だ。集団を装った植物の騒めきとは違い、場の空気がある程度の活気を持って賑わっていたのだった。大勢がバラバラな意思を持った上で集まってそこに生きているのが分かって、私は何やら懐かしい気分になり安堵する。
思えばこの世界に来てから立て続けに、傲慢な人としか遭っていなかった。他者との関係性を軽んじ、孤独に生きる者と対話するのはとても疲れると思い知った。もしこの世界にああいった孤高の存在しか居なければ、情報集めは絶望的だろうと身構えていたのだ。そういう意味ではここに居る彼等は少なくとも、このコミュニティー内での意思疎通を日常的に行なって生きているようである。
ある所では二人一組で餅つきのような作業を行なっていたり、列になってリレーで何かを運んでいたり。会話をしながら楽しそうに過ごしている……彼らの見た目は様々だが明らかに一つの目的に向かって協力し合っているのが分かった。誰かが他人と関わり合って生きているのを目の当たりにして、こんな穏やかな気持ちになれるのは自分でも意外だった。
何故このコミュニティーを見て安心したのか自問してみて、ふと頭をよぎったのは「無敵の人」というワードである。社会的ステータスの無い人が犯罪行為に走り易いという理論を揶揄した言葉で、“無敵”というのは本当に敵がいないという意味では無く、守るモノが無いという意味である。現実世界において犯罪行為には相応の刑罰が定められているが、それらは全て一定の社会的地位がある者にしか抑止力として働かない。例えば家の無い人にとって刑務所での服役は寧ろ衣食住の提供であり、逮捕されたり前科が付く事による社会的信用の喪失も、それが元からゼロの人にとってはリスクにならない。つまり失うモノがない人は犯罪行為に対して躊躇する理由が無いという理屈である。
私が今、目の前で集団生活する彼等を見て得た安心感は、直前に会った二人がある意味で“無敵”だったからではないだろうか?他者と関わらず、自分の中で育てた価値観、世界観にだけ縋って自分を肥大化させた彼等は、きっと自分と違う意見を出す者全員が敵に見えていたに違いない。私が世界観を合わせて話していた束の間は話が通じる様に思えたが、その内容は一方的な押し付けばかりで対話は出来ていなかった。この世界に現実の様に平和を保つ礎となる法律があるとは到底思えないが、いきなり切り掛かって来たド・タイプや植物で襲い掛かかってきたハート岩のようなタイプはこの集団には属していないだろう事は想像に難くなかった。
「姫?何ボーッとしてんだ?」
「あぁ、ごめんなさい……ここは平和だなって思って」
「確かにな。ここにゃさっきみたく交戦的なヤツは居ないだろうよ。ほら、見てみな」
マクガフィンの指差した先には大きな木。作業している住人達から少し離れたその木の下でテーブルを囲んでいる一団は、どうやらお茶会をしているようだ。座っているメンバーはカエル、ネズミ、ネコ、ウサギ……そしてなんと、影の少女も混じって愉しげにお茶を飲んでいた。
「あっ!あんな所に、いつの間に!」
「姫もお茶会に混ざってくると良い、きっと歓迎されるさ。オイラはその間に一通り聞き込みして来るからさ」
「え、う〜ん」
「なんだ、心細いのか?」
「少しね」
「大丈夫、この敷地から出ない限り、そうそう迷子にはならない。彼女も腰を落ち着けてるし、逃げはしないはずだ」
「でも……」
「それに、お茶会に居るヤツらは少しクセの強い輩が多そうだ。オイラが話すとまたつまらん言い争いになるかも分かんねぇ、だからあっちのヤツらには会話が得意な姫から《出口》の事を聞いて欲しいんだ」
「えぇ?私、別に話すの得意じゃないわよ。ハート岩の時だって何も聞き出せなかったし……」
「アレは相手が特殊過ぎた。この敷地内で過ごしてるって事はある程度は話が通じるはずだろ?けど、ああいう輩は機嫌を損ねると何も話してくれなくなるからな……オイラはまどろっこしいのが嫌いだから直ぐに語気が荒れちまうんだよ。その点、姫は丁寧な口調だし落ち着いてる」
「まぁ、そういう意味ならマクガフィンよりはマシだと思うけどね?」
「だろ?何より姫の影が打ち解けてんだからさ、自信持って」
「……うん、分かったわ。やってみる」
「ありがとう!じゃオイラは忙しそうなあっちの方からチャチャッと話聞いてくるよ。また後で。何かあったら直ぐ駆け付けるからな」
マクガフィンはそう言うと、餅つき作業をしている二人組に近付いて行った……木の人形と、トカゲの二人である。暫く見ていたが何事も無く打ち解けたようで、まさに談笑といった感じで作業の邪魔をするでもなく、必要な会話を済ませると別の住人に声を掛けに行く。どうやら彼方は彼に任せて大丈夫そうだ……よし。
私は深呼吸すると大きな木を目指して歩みを進める。新しい環境で、既に出来ているグループに一人で入っていくのには勇気が要る。思い出したのは小学生の頃の記憶だ。
こんな歳になって、まだあの頃みたいな気持ちになるなんてね……
小学一年生の夏、親の都合で引っ越す事になった私は折角仲良くなったクラスの友達と離れる悲しさと、新しい場所への不安でいっぱいだった。「引っ越したくない」と散々駄々を捏ねて、両親を困らせたのを憶えている。余りの荒れように、近所に住んでた祖母が「ウチで預かって今の学校に通わせようか」と提案していた程らしい。
新しい学校の初日は夏休み終わりの初登校日だった。クラスには一学期に仲良くなったグループが既に幾つか出来上がっていて案の定、私の居場所はなかった。か細い声で自己紹介を済まし、後は静かに授業を受けるだけ。その日はとにかく元の学校のクラスメイト達が恋しくて、お昼休みの時間などは涙を堪えるのに必死だった。一日中、自分をこんな境遇に追いやった両親を恨み、絶対許さない、と怒りを溜め込んでいた。
だが二日目に体育の授業があったお陰で、その鬱屈とした期間は意外に早く終わることとなる。ペアを組んで準備運動をする時に組んでくれた女の子が、かなりのムードメーカーだったのだ。色んな質問を投げてくれて、合う話題を引き出してくれた。それからチームでドッジボールをする時に周りの子に私の事を紹介して、友達のグループに入れてくれたのだ。そこから皆んなと打ち解けるのは直ぐで、二日目のお昼以降、私の学校生活は元の学校と大差無い日々へと戻った。
引っ越してからダンマリを決め込んでいた私が「友達が出来た!」とはしゃいで帰って来たのを見て母はとても喜び、お祝いに夕飯を私の好きなハンバーグにしてくれた。帰って来た父は上機嫌の私を見て察した様で「有朱は可愛くて優しい子だから、どこに行っても大丈夫だって父さん分かってたよ」と満面の笑みだった。心の中で、「恨んでごめんなさい」と謝りながらハンバーグを頬張ったのは今でも記憶に刻まれている。
突然の引っ越しの理由が父の病気の治療の為だと知ったのは、それから随分後になってからだった。私が小学二年生の頃に父は入院し、三年生に上がる前に亡くなった――
「ねぇ!貴女!早くいらっしゃいよ!」
唐突に呼び掛けられ、我に帰る。緊張からか、過去の記憶に浸ってボーッとしていたらしい。相変わらず鈴の鳴る様な声の主は、あの影の少女だ。テーブルから、私に向かって手を振っている。彼女が私の事を認識しているのも驚きだったが、私の口を衝いて出た言葉は更に私自身を驚かせた。
「ごめん!今行く!」