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第69話 《セレン(Se)》

ー/ー



「そこの、屋根の上にいる人! 何をしているんだ! 直ぐに降りて避難しなさい!」

 パトカーの陰に隠れていた警察官の一人が、モーズがアパートの上に居ることに気付き避難を促す。

「すまない、それには答えられない」

 だがモーズは首を縦に振る事はなかった。

「私は国連管理下組織オフィウクス・ラボ所属の研究者、モーズだ。警察官ならばこの意味、わかるだろう? ここは私に任せ避難誘導に回ってくれ」
「モーズ!? バイオテロ首謀者のモーズだと!?」

 響めく警察官を無視して、モーズはセレンに頼み駐車場までおろして貰う。
 その際もセレンは一っ飛びで降りてくれた。

「動くな! 勝手な事をすれば撃つ!!」
「撃ちたければ撃つといい」

 モーズは拳銃を構える警察官に背中を向け、言い放つ。振り返る事もなく。
 彼が見ているのは、幽鬼のように立つ目が虚となった感染者のみ。

「場をかき乱した事は謝ろう。しかし私は医師としてクスシとして、すべき事をする」

 ずるり。モーズの右手首からアイギスの触手が伸び、感染者の注意を引く。
 人の手首から生えて揺らめく触手を見た警察官達がまた響めき、騒いでいるが、感染者に集中しているモーズの耳には届かない。

「そ、そこの! 赤いピアスをした人! 君は逃げなさい! そもそもマスクもせずに規制区域に入るなんて……!」
「あははは。すみません、私も避難出来ないのですよ。先生をお守りしなくては、いけませんから」

 警察官の呼びかけを断ったセレンは白衣の下、白衣とシャツの間に隠すようにホルダーで固定をしていた、抽射器を取り出す。
 それは満月の輪郭のように丸い、人の頭が入るくらいの大きさの、投擲武器『チャクラム』2つ。

「お巡りさんの方こそ。私の抽射器に当たらないよう、気を付けてくださいね?」

 刃の付いていない真っ白い輪状のそれを両手で構えて身体を捻り、セレンは感染者に向け――投げた。
 投げられたチャクラム二つは、回転がかかった状態で空を切る。しかし卓越した素早さが特徴である鼠型はチャクラムの動きを見切り、難なくかわした。

「モーズ先生、知っての通り私の毒素は生憎と処分向けではありません。具体的に言うと先輩やタリウムさんのように、撃ち込んだり切った箇所から毒素を全身に巡らせるのは難しい」

 感染者に当たらなかったチャクラムはそのまま彼方に……行く事はなく、軌道を大きく変え通った軌跡を辿るように戻ってくる。

「……ッ!?」

 背後からの攻撃を予期できなかった感染者はそのチャクラムを躱し切れず、尾の形をした菌糸で身体への直撃は防いだが、チャクラムが触れた尾はそこから千切れてしまった。

「ですから時間稼ぎを、お願いいたします」

 尾に弾かれたチャクラムは再び軌道を変え、軌道上にあった車や駐車場をガリガリ削りながらセレンの手中に戻っていく。

「起き上がれなくなるまで、輪切れにいたしますので」

 以前塩素(クロール)がシミュレーターで見せてくれたような、毒素を纏わせる事による縦横無尽のコントロール。
 毒素による即効性はないようだが、充分に強力な力だ。

「了解した」

 被害を最小限にする為、感染者をこのアパートの敷地から出さない。その為には挟み討ちにする形がよいだろうと、モーズは触手をなるべく広範囲に伸ばしながら、じりじりと距離を詰めてゆく。
 そんな、不気味なクリーチャーにも見えるモーズに向け、警察官の一人が震える手で拳銃の銃口を向けた。
 その直後、黒目がちの、一切の光を遮断した暗黒を塗り固めたような瞳が、拳銃を構える警察官達を睥睨する。

「お巡りさん、先生に傷一つ付けてみてください。やっと私の【お願い】を聞いて頂くチャンスなのですよ? それを邪魔しようものなら……呼吸の仕方、忘れさせてあげますから」

 そして次の瞬間、警察官の手の中にあった拳銃の銃体がチャクラムによって切られ、鉄塊となった銃体が空を舞って駐車場に転がった。

(私はセレン。人体必須の元素。必要量から僅かに、ほんの僅かに摂取量をあげれば、それだけで命の危険を与えられる毒物。感染者の処分には時間がかかってしまう私ですが、人間ならば速殺できる)

 にぃと、口の端をあげ、三日月のように不気味に笑うセレンを前に慄く警察官達。
 セレンはその気になれば、指先一つでこの場に居る人間全員をセレン欠乏症に陥らせられる。逆に、セレン中毒にさせる事も。
 それをしないのは、モーズの立場を慮っての事だ。しかし危害を加えようものならば、容赦はしない。

「さぁ、目障りな方々は置いておいて、鼠退治と参りましょう」

 そして彼は再びチャクラムを投げた。
 決してモーズとモーズのアイギスには触れないように。しかし周囲の石塀やパトカーやコンクリートの駐車場への被害は考慮せず、軌道上にあるもの全てを切り刻む。
 例え感染者が千切れた尾で叩き落とそうともチャクラムは止まらず、何度も戻っては首を執拗に狙う。
 その対処に追われてその場から動けない感染者へ向け、モーズは駆け出し一気に距離を詰めに行った。

「ここで、捕らえさせて貰う!」

 触手で感染者を拘束、そのまま剣状棘で毒素を注げば動きを止められる。
 まだアイギスの分離が出来ないモーズは、感染者へ至近距離に詰め寄らなければならないが、セレンが作ってくれた隙によってその問題は解消した。

(行ける! 捕らえられる! 被害を、食い止められる!)

 ただ、視界が狭まるマスクを付けている上に右目の視力を失っているモーズは、もぞりと、駐車場の端で転がっていた警察官が起き上がった事に、気付けなかった。



 ▼△▼

補足
セレン(Se)
人体必須元素の一つながら、必要量と中毒量の差が僅差で足りなければ欠乏症、過剰なら中毒症に陥るめんどゲフン特殊な元素。しかも劇物より毒性が強い毒物に分類される。
用途としては昔は整流器(電流を一方向にだけ流す器具)、現代ではカメラの露出計、ルビーガラスの製造(着色)など。脱色剤にも使われる。

外見について
名前の由来は月の女神セレナから来ている。なので三日月型のピアスやチャクラム(円月輪)など、月のモチーフが散りばめられている。
安定した形は灰色セレン(金属)。他にも赤色や黒色がある。ちなみにセレン化水素にはニンニク臭がする。そして少量でも吸引すると超危ない。おっかない毒物。


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「そこの、屋根の上にいる人! 何をしているんだ! 直ぐに降りて避難しなさい!」
 パトカーの陰に隠れていた警察官の一人が、モーズがアパートの上に居ることに気付き避難を促す。
「すまない、それには答えられない」
 だがモーズは首を縦に振る事はなかった。
「私は国連管理下組織オフィウクス・ラボ所属の研究者、モーズだ。警察官ならばこの意味、わかるだろう? ここは私に任せ避難誘導に回ってくれ」
「モーズ!? バイオテロ首謀者のモーズだと!?」
 響めく警察官を無視して、モーズはセレンに頼み駐車場までおろして貰う。
 その際もセレンは一っ飛びで降りてくれた。
「動くな! 勝手な事をすれば撃つ!!」
「撃ちたければ撃つといい」
 モーズは拳銃を構える警察官に背中を向け、言い放つ。振り返る事もなく。
 彼が見ているのは、幽鬼のように立つ目が虚となった感染者のみ。
「場をかき乱した事は謝ろう。しかし私は医師としてクスシとして、すべき事をする」
 ずるり。モーズの右手首からアイギスの触手が伸び、感染者の注意を引く。
 人の手首から生えて揺らめく触手を見た警察官達がまた響めき、騒いでいるが、感染者に集中しているモーズの耳には届かない。
「そ、そこの! 赤いピアスをした人! 君は逃げなさい! そもそもマスクもせずに規制区域に入るなんて……!」
「あははは。すみません、私も避難出来ないのですよ。先生をお守りしなくては、いけませんから」
 警察官の呼びかけを断ったセレンは白衣の下、白衣とシャツの間に隠すようにホルダーで固定をしていた、抽射器を取り出す。
 それは満月の輪郭のように丸い、人の頭が入るくらいの大きさの、投擲武器『チャクラム』2つ。
「お巡りさんの方こそ。私の抽射器に当たらないよう、気を付けてくださいね?」
 刃の付いていない真っ白い輪状のそれを両手で構えて身体を捻り、セレンは感染者に向け――投げた。
 投げられたチャクラム二つは、回転がかかった状態で空を切る。しかし卓越した素早さが特徴である鼠型はチャクラムの動きを見切り、難なくかわした。
「モーズ先生、知っての通り私の毒素は生憎と処分向けではありません。具体的に言うと先輩やタリウムさんのように、撃ち込んだり切った箇所から毒素を全身に巡らせるのは難しい」
 感染者に当たらなかったチャクラムはそのまま彼方に……行く事はなく、軌道を大きく変え通った軌跡を辿るように戻ってくる。
「……ッ!?」
 背後からの攻撃を予期できなかった感染者はそのチャクラムを躱し切れず、尾の形をした菌糸で身体への直撃は防いだが、チャクラムが触れた尾はそこから千切れてしまった。
「ですから時間稼ぎを、お願いいたします」
 尾に弾かれたチャクラムは再び軌道を変え、軌道上にあった車や駐車場をガリガリ削りながらセレンの手中に戻っていく。
「起き上がれなくなるまで、輪切れにいたしますので」
 以前|塩素《クロール》がシミュレーターで見せてくれたような、毒素を纏わせる事による縦横無尽のコントロール。
 毒素による即効性はないようだが、充分に強力な力だ。
「了解した」
 被害を最小限にする為、感染者をこのアパートの敷地から出さない。その為には挟み討ちにする形がよいだろうと、モーズは触手をなるべく広範囲に伸ばしながら、じりじりと距離を詰めてゆく。
 そんな、不気味なクリーチャーにも見えるモーズに向け、警察官の一人が震える手で拳銃の銃口を向けた。
 その直後、黒目がちの、一切の光を遮断した暗黒を塗り固めたような瞳が、拳銃を構える警察官達を睥睨する。
「お巡りさん、先生に傷一つ付けてみてください。やっと私の【お願い】を聞いて頂くチャンスなのですよ? それを邪魔しようものなら……呼吸の仕方、忘れさせてあげますから」
 そして次の瞬間、警察官の手の中にあった拳銃の銃体がチャクラムによって切られ、鉄塊となった銃体が空を舞って駐車場に転がった。
(私はセレン。人体必須の元素。必要量から僅かに、ほんの僅かに摂取量をあげれば、それだけで命の危険を与えられる毒物。感染者の処分には時間がかかってしまう私ですが、人間ならば速殺できる)
 にぃと、口の端をあげ、三日月のように不気味に笑うセレンを前に慄く警察官達。
 セレンはその気になれば、指先一つでこの場に居る人間全員をセレン欠乏症に陥らせられる。逆に、セレン中毒にさせる事も。
 それをしないのは、モーズの立場を慮っての事だ。しかし危害を加えようものならば、容赦はしない。
「さぁ、目障りな方々は置いておいて、鼠退治と参りましょう」
 そして彼は再びチャクラムを投げた。
 決してモーズとモーズのアイギスには触れないように。しかし周囲の石塀やパトカーやコンクリートの駐車場への被害は考慮せず、軌道上にあるもの全てを切り刻む。
 例え感染者が千切れた尾で叩き落とそうともチャクラムは止まらず、何度も戻っては首を執拗に狙う。
 その対処に追われてその場から動けない感染者へ向け、モーズは駆け出し一気に距離を詰めに行った。
「ここで、捕らえさせて貰う!」
 触手で感染者を拘束、そのまま剣状棘で毒素を注げば動きを止められる。
 まだアイギスの分離が出来ないモーズは、感染者へ至近距離に詰め寄らなければならないが、セレンが作ってくれた隙によってその問題は解消した。
(行ける! 捕らえられる! 被害を、食い止められる!)
 ただ、視界が狭まるマスクを付けている上に右目の視力を失っているモーズは、もぞりと、駐車場の端で転がっていた警察官が起き上がった事に、気付けなかった。
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補足
セレン(Se)
人体必須元素の一つながら、必要量と中毒量の差が僅差で足りなければ欠乏症、過剰なら中毒症に陥るめんどゲフン特殊な元素。しかも劇物より毒性が強い毒物に分類される。
用途としては昔は整流器(電流を一方向にだけ流す器具)、現代ではカメラの露出計、ルビーガラスの製造(着色)など。脱色剤にも使われる。
外見について
名前の由来は月の女神セレナから来ている。なので三日月型のピアスやチャクラム(円月輪)など、月のモチーフが散りばめられている。
安定した形は灰色セレン(金属)。他にも赤色や黒色がある。ちなみにセレン化水素にはニンニク臭がする。そして少量でも吸引すると超危ない。おっかない毒物。