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#1

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 南向きの窓から春の陽が差し込む。懐中時計の時刻は十一時になろうとしていた。

 そろそろ迎えの車が到着するころだ。俺は本を閉じソファから立ち上がると、ベッドの足元に用意していたトランクを手に廊下へ出た。

 セント・ポールズ校はロンドンのバーンズに建つ学舎で、貴族の子弟が集う全寮制パブリックスクールだ。

 年季の入った木造の階段をおりていくと、一階の談話室にはまだ半数ほどの生徒が残っていた。明日から三学期(タームスリー)の始まる四月下旬まで長期休暇に入る。久しぶりに実家へ帰れる高揚感もあって賑やかだ。 

「もう行くの、アシュリー」

 玄関を出る直前、ランディに声をかけられ足を止めた。
 同じ下級六学年(ロウアーシックスフォーム)の十七歳で、演劇部の仲間でもあるランディは、中性的な面立ちの優しく人当たりの良い少年だ。

「ランディ、会えて良かった。もう帰省したのかと思ってたよ」
先生(マスター)の手伝いで駆り出されてたの。十一時半に迎えが来るから抜けてきたんだ。休暇は何して過ごすの? 僕、いとことキャンプに行くよ」

「俺は叔父のブライアンとオペラ鑑賞。あとは五月祭(メイデイ)の台本を覚えるくらいかな」
「僕、台詞の多い役初めてで不安なんだ。アシュリーは平気?」
「初舞台ってわけじゃないし、特に不安はないよ」
「経験者はいいなぁ」

 五月祭(メイデイ)はヨーロッパのポピュラーなイベントで、セント・ポールズでも創立記念と併せて五月最後の週末に祭りが催される。

 毎年演劇部は、春と花々を司る女神フローリリアをモチーフとした舞台発表があり、今年の女神役にはランディが選ばれた。俺は女神と恋に落ちる人間の王子役だ。

「台詞は台本を読み込めば嫌でも覚えるよ。じゃあまた、休み明けに」
「オペラの感想楽しみにしてるね」

 手を振るランディと別れ寮のポーチを出た。ぽつぽつとスイセンやチューリップが咲き始めたイングリッシュ・ガーデンを抜け、石畳が続く小径を歩く。その先のロータリーは、生徒を迎えに来た車や馬車で混雑していた。

 我がフレイザー伯爵家お抱え運転手を探していると、上品な焦げ茶のスーツと深緑のタイ、千鳥格子のハンチング帽を目深にかぶった長身の男性が俺を呼び止めた。

「お待ちしておりました、アシュリーお坊ちゃま」
「ブライアンじゃないか」

 帽子を脱いだブライアンが磨き上げられた紺色の車を背に大げさな仕草で一礼し、助手席のドアを開けた。思いがけない出迎えに自然と笑みがこぼれる。

「今日は私が代わりに来たんだ。さあ、乗って」

 ブライアンは父さんの年の離れた弟で、今年三十四歳になる。金の髪にシャープなラインの青い瞳。整った顔立ちのせいか、たたずまいは冷たそうに見えるが、笑うととたんに印象が柔らかくなる。

 フレイザー伯爵家は四人兄弟で、長男が俺の父、四男はブライアンだ。次男、三男は結婚して、ブライアンはまだ独身。ロンドンで独り暮らしをしている。

 小さい頃よく遊び相手になってくれたせいか、俺にとっては仕事で忙しい父さんよりよっぽど身近な存在だ。容姿もどちらかというとブライアン似で、一緒にいるとよく兄弟に間違われることが多かった。


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 南向きの窓から春の陽が差し込む。懐中時計の時刻は十一時になろうとしていた。
 そろそろ迎えの車が到着するころだ。俺は本を閉じソファから立ち上がると、ベッドの足元に用意していたトランクを手に廊下へ出た。
 セント・ポールズ校はロンドンのバーンズに建つ学舎で、貴族の子弟が集う全寮制パブリックスクールだ。
 年季の入った木造の階段をおりていくと、一階の談話室にはまだ半数ほどの生徒が残っていた。明日から|三学期《タームスリー》の始まる四月下旬まで長期休暇に入る。久しぶりに実家へ帰れる高揚感もあって賑やかだ。 
「もう行くの、アシュリー」
 玄関を出る直前、ランディに声をかけられ足を止めた。
 同じ|下級六学年《ロウアーシックスフォーム》の十七歳で、演劇部の仲間でもあるランディは、中性的な面立ちの優しく人当たりの良い少年だ。
「ランディ、会えて良かった。もう帰省したのかと思ってたよ」
「|先生《マスター》の手伝いで駆り出されてたの。十一時半に迎えが来るから抜けてきたんだ。休暇は何して過ごすの? 僕、いとことキャンプに行くよ」
「俺は叔父のブライアンとオペラ鑑賞。あとは|五月祭《メイデイ》の台本を覚えるくらいかな」
「僕、台詞の多い役初めてで不安なんだ。アシュリーは平気?」
「初舞台ってわけじゃないし、特に不安はないよ」
「経験者はいいなぁ」
 |五月祭《メイデイ》はヨーロッパのポピュラーなイベントで、セント・ポールズでも創立記念と併せて五月最後の週末に祭りが催される。
 毎年演劇部は、春と花々を司る女神フローリリアをモチーフとした舞台発表があり、今年の女神役にはランディが選ばれた。俺は女神と恋に落ちる人間の王子役だ。
「台詞は台本を読み込めば嫌でも覚えるよ。じゃあまた、休み明けに」
「オペラの感想楽しみにしてるね」
 手を振るランディと別れ寮のポーチを出た。ぽつぽつとスイセンやチューリップが咲き始めたイングリッシュ・ガーデンを抜け、石畳が続く小径を歩く。その先のロータリーは、生徒を迎えに来た車や馬車で混雑していた。
 我がフレイザー伯爵家お抱え運転手を探していると、上品な焦げ茶のスーツと深緑のタイ、千鳥格子のハンチング帽を目深にかぶった長身の男性が俺を呼び止めた。
「お待ちしておりました、アシュリーお坊ちゃま」
「ブライアンじゃないか」
 帽子を脱いだブライアンが磨き上げられた紺色の車を背に大げさな仕草で一礼し、助手席のドアを開けた。思いがけない出迎えに自然と笑みがこぼれる。
「今日は私が代わりに来たんだ。さあ、乗って」
 ブライアンは父さんの年の離れた弟で、今年三十四歳になる。金の髪にシャープなラインの青い瞳。整った顔立ちのせいか、たたずまいは冷たそうに見えるが、笑うととたんに印象が柔らかくなる。
 フレイザー伯爵家は四人兄弟で、長男が俺の父、四男はブライアンだ。次男、三男は結婚して、ブライアンはまだ独身。ロンドンで独り暮らしをしている。
 小さい頃よく遊び相手になってくれたせいか、俺にとっては仕事で忙しい父さんよりよっぽど身近な存在だ。容姿もどちらかというとブライアン似で、一緒にいるとよく兄弟に間違われることが多かった。