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出生の秘密

ー/ー



「ロアルド。――彼女が私の養育者です」

私の手短な紹介に、グンヴァルトソン准将は頷いて、

「ロアルド・グンヴァルトソンです」

こちらも簡潔に名乗りました。

「キャンバーランド伯爵夫人――今日は、あなたに、聞きたいことがあって、参りました」

私が一言一句はっきり発音してそう言うと、キャンバーランド伯爵夫人は私と目を合わせぬまま頷きました。

「ルフェイン伯(※エトガル)とライフリッヒ伯(※マティアス)からご連絡を頂いております。どうぞ、こちらへ――…」

昼間でも薄暗く冷たい石造りの回廊を通って、案内された先は一階のサルーンでした。
色褪せて赤銅色になったカーテンは左右に引かれていましたが、それでも室内はまだほの暗く、テーブルの上には燭台が灯されています。
キャンバーランド伯爵夫人はゆっくりとした手つきで、お茶の準備を始めました。
ティーカップが目の前に置かれ、夫人が向かいに着席するのを辛抱強く待って、私は切り出しました。

「包み隠さず、話して欲しいのです。――どうして、私が幽閉されて育ったのか、あなたはご存じですか?」

老婦人は私の問いに沈黙で答えました。
静まりかえった室内で、蝋燭の炎だけがゆらゆらと揺れています。
回答を得られないかと思ったその瞬間、老婦人の口が開きました。

「あの当時――…あなた様がお生まれになったのは、ちょうど、ジギスムント様のご長男のゴットハルト様に、初めてのお子様がお生まれになったばかりのときでした」
「ヴェルターのことですね」

ヴェルターとは、長兄夫妻の第一子で、私より半年年嵩の甥っ子です。

「ジギスムント様はこう仰いました――『孫もいる人間が、新しく赤ん坊など引き取って育てたくない』と。そして、あなた様は女児でした。男児ばかりお持ちのジギスムント様には、育て方が分からなかった」

何から何までとんでもない主張の気がしましたが、私は敢えてそこには触れず、

「…――引き取って、と仰いましたが、兄のラグナルは、母と、この家で育ったはず。
 母は私を産んでわりとすぐ亡くなったと聞いています。――正確には、いつですか?」
「あなた様をお産みになった、その翌日に」

初耳でした。

「…そうですか。――葬儀は、こちらの屋敷で?」
「はい」

キャンバーランド伯爵夫人は頷きました。

「では、父と兄は、私を見たのでは?」
「いいえ。あなた様は、葬儀の間、乳母と地下室に隠されました」

さすがに驚いて、私の口から「えっ…」変な声が漏れました。

「――誰の指示で?」
「お父上の指示です。――ラグナル様に見つかってはならぬ、と」

重々しい口調で、老婦人はみじんの迷いもなく言い切りました。

「そうですか――…何故、父はそうまでして」

さすがに衝撃で言葉を継げない私に代わって、

「しかし、それは葬儀後に彼女を幽閉したまま育てる理由にはなりませんね。
 ラグナルには見つからなかったんだろう? どうして隠密に里子に出さなかった?」

グンヴァルトソン准将が語気鋭く問い掛けます。

「それは――…」

言葉を切り、キャンバーランド伯爵夫人は一つ深い吐息を吐きました。

「アウレーリエ夫人のためです」

アウレーリエ。それは、父フランツ・ジギスムントの正妻の名でした。

「アウレーリエ夫人は、ファルツフェルドに嫁がれるとき、莫大な持参金とハインツバートの領地を持ってこられた。
 お父上は、アウレーリエ夫人と離婚になって、それらを失うのを恐れておられました――ラグナル様がお産まれになったときも大騒動になったのです。
 だからこそ、あなた様をこの屋敷から一歩も出さぬよう、存在をひた隠しにして――…」

――なんだかおかしな論調です。
だって、極秘裏に里子に出してしまう方が、幽閉したまま育てるよりも露見する確率は低そうなのに。
グンヴァルトソン准将と私は視線を交わしました。ですが、深くは追求することはせず、私は質問を変えました。

「キャンバーランド伯爵夫人。――不思議に思っていたことがあるのです。
 あなたは私を育ててくれました。ですが、可愛がってはくれませんでしたね。それは、どうしてですか」

記憶にある彼女の顔は、一度だって私に微笑みかけてはくれなかった。
甥っ子、姪っ子に囲まれる身となった今、私にはそのことがとても不思議に思われたのです。
キャンバーランド伯爵夫人の皺の深く刻まれた顔に、蝋燭の炎が照り映えて濃い陰影を作ります。

「――お父上の指示でした」
「可愛がるな、という指示ですか?」
「…お父上は仰いました。
 『愛情をもらえなかった子は育たぬという古い実験がある。この娘に情を掛けてはならん。そうすれば、長くは生きないだろうから――…』」

――ガタッ

大きな音がして隣を振り仰げば、グンヴァルトソン准将が額に青筋を浮かべて立っていました。固く握りしめられた拳が彼の怒りの激しさを物語っていました。

「ロアルド――…」

私は眉を下げて情けない顔で婚約者に向かって震える手を差し伸べました。

なんて――なんて消極的で残酷な殺人方法でしょう。まだひと思いに殺してくれたほうが愛情がありそうな。

父が赤ん坊だった私へ向けた企ては、自分が父親に全く愛されていなかったという事実すらも凌駕して、強烈な――なんと呼べばいいのでしょう、情けなさ、をもって私の心に突き刺さりました。

「――失礼」

類い希な精神力でどうにか怒りを押さえ込んだらしいグンヴァルトソン准将は、静かに腰を下ろしました。――救いを求めて伸ばされた私の手をしっかり握ったまま。

「父が、直接、手を下さなかったのは――…」
「ことが露見したときに、法に触れるのは嫌だと仰っていました」

――殺したいが、殺す価値もない娘。

酷い――本当に酷い話なのですが、あまりにも酷すぎて、急速に意識から現実感が遠のいていき、私はいっそ平静になり始めていました。

「そうですか――私、生きてしまったのですね。それで父は、8歳になった私に家庭教師をつけたのね?」

もし幽閉の事実が露見したとしても、『ちゃんと養育していました』と言い逃れられるようにでしょう。
それとも――…私の将来を慮って、という善意も、少しばかりはあったのでしょうか。
私は頭を振って希望という名の憶測を追い払い、質問を続けました。

「私の出生の証人って、いましたか?」
「――私です」

これは思った通りでした。

「では、私は本当に、前のファルツフェルド伯爵の娘ですか?」
「ええ。――しかし、ジギスムント様はお疑いでした」

キャンバーランド伯爵夫人は、疑われた本人を前にして、素っ気なくそう答えました。

「それはどうして」
「ラグナル様とあなた様のお年が離れていたからです。――そして、あなた様は、母君にも、父君にも似ておられなかった」

私は沈黙しました。
甥と姪を見てきた経験から思うのですが――赤ん坊って、どちらに似ているとか、あまりはっきりと分からないものじゃないかしら…

「…母が私を身籠もる前に、こちらに父の渡りはあったのですよね」
「ございました」

父は子どもを望んでいなかった。
その心が、父に私の出生を疑わせた――のでしょうか。

「父は私を直接見たことはないのですよね――父に私の写真を送っていたのですか?」
「はい」
「――ラグナル…兄に、母の写真を見せてもらったことがあります。
 暗い色の髪も、明るい面差しも、目の色以外は母は兄によく似ていました。――確かに私は母に全く似ていませんね」

認めて言い切った私の顔を直視せぬまま、キャンバーランド伯爵夫人が重い口を開きました。

「あなた様のお母君は――…帝国の外から連れてこられた女性でした」

薄々は予感していた事だったので、私は軽く頷いて続きを促します。

「あなた様のお名前は、お母君から頂いたものでございます」
「――父は、私に名前を付けなかったのですね」
「………」

沈黙が何よりも雄弁な答えでした。

「――ずっと考えていたのです。どうして私は母と同名なのだろう。何故こんな耳慣れない名前なのだろう――って」

帝国の慣習では、親と全くの同名をファーストネームに持ってくることは、あまりありません。
加えて私は、17でやっと祝詩式を挙げるまで、ミドルネームを一切持たなかった。

「父が私に名前を付けなかったから、呼びようがなくて母と同じ名前で私を呼んだのでしょう?――『リリヤナ』なんて、風変わりな名前で」

帝国で話されているいくつかの言語の内、そのどれ一つとして『リリヤナ』と綴る名前はないのです。

リーフリヘリオスでは『リリアン』、ロイシュライゼやセルセティアでは『リリアナ』や『リリアネ』、ノルディオンやエリスファリアでは『リリアーヌ』、『リリアンヌ』、マルレキアやパルレキア『リリアンナ』、ユークレイやイザールでは『リリャーナ』――…

プリンセスのタイトルを持ち、高位貴族に名を連ねていながら、私は、帝国のどの国の名も持たない――…これは強烈な疎外感をもって、私の心の内に突き刺さり続けていた事実でした。
その疎外感を作る大本となった過去の出来事。
予感していた事ではありましたが、こうもはっきりと明かされると――…

「父は、本当に私に何の関心も持たなかったのですね――…」

私はしみじみ呟きましたが、実際にはそれとて正確ではなく、現実の父は嬰児だった私に淡い殺意すら抱いていたのでした。

「――前のファルツフェルド伯爵は、死の直前、どうして彼女を認知した?」

限りなく微妙な感慨に耽っている私に代わって質問したのは、グンヴァルトソン准将でした。

「…――あなた様が、14になられるかの頃でした……」

キャンバーランド伯爵夫人は、グンヴァルトソン准将ではなく、あくまで私に向かって話します。

「私がジギスムント様に送った写真を見て、ジギスムント様はこう仰ったそうです。
 『ファルケンブルクのブルーベルに生き写しだ』と」
「――『ファルケンブルクのブルーベル』?」

初めて聞く言葉に、私は顔を上げました。

「ジギスムント様のお母上――あなた様にはお祖母上にあたる、イソベル様のことです」

先々代のファルケンブルク家当主リヒャルトの妻イソベル。
私や従兄たちには祖母に当たるその女性の肖像画を、私はファルケンブルク本邸で見たことがありました。
しかし、生き写しといわれるほど似ているかというと――…判断に苦しみます。

「それから、ジギスムント様はこうも仰ったそうです。『しまったことをした』と」
「…どういう意味ですか?」
「あなた様をご自分の娘だとお認めになったのです。そして、この屋敷に保管されていたあなた様の出生証明書を取り寄せられました」
「………」

こんな――こんな嬉しくない認知のされ方って、あるのでしょうか。
自分の母親に似ているからという認知の理由もさることながら、人の14年という歳月を『しまったことをした』の一言で片付けてしまう辺り、父の人柄が偲ばれて、考えているうちに私は息苦しくなってきました。
――早く切り上げたい。
でも、最後にまだ聞かなくてはならないことが残っています。

「――今、あなたが私に話してくださったこと、兄や従兄たちにも話したことがありますか?」
「はい。あなた様がこの屋敷からお連れになられた後に――…」
「ルフェイン伯とライフリッヒ伯に?」
「そうです」
「わかりました」

頷いて、私はグンヴァルトソン准将に視線で合図しました。――もう、わりと限界でした。
准将に椅子を引いてもらい、私はよろめきつつ立ち上がりました。
准将のたくましい腕に肩を抱かれて守られるように退室する途中、ふとグンヴァルトソン准将は歩を止め、椅子に腰掛けたまま石像のように動かないキャンバーランド伯爵夫人を振り返りました。

「――最後に私からも一つ聞きたいことがある。
 あなたは、17年という年月の中で、いつでも彼女の存在を公にするができた。なのにどうして、前のファルツフェルド伯爵の指示に従った?」

キャンバーランド伯爵夫人は蝋燭の炎を凝視したまま、振り返りません。
オレンジ色の炎だけがゆらゆらと温もりを放って揺らめいています。
諦めて部屋を出ようとしたそのとき、聞き間違いかと思うほどの微かな声が、

「…ジギスムント様をお慕い申し上げておりました」

そう告げたのです。

父は――母の侍女頭だったキャンバーランド伯爵夫人をも、愛人にしていたのでしょうか。
企ての加担者に〈愛〉という名の保険を掛けるために? それとも、本当に愛していた?
父のような人間が、心から人を愛する事って、できるのでしょうか――…?
――…もう、何が何だか、本当に、訳がわからなくなりました。
私の限界と混乱を察したのか、准将はそれ以上何も言わずに、私たちは静かに仄暗いサルーンを後にしたのでした――…


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私が一言一句はっきり発音してそう言うと、キャンバーランド伯爵夫人は私と目を合わせぬまま頷きました。
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昼間でも薄暗く冷たい石造りの回廊を通って、案内された先は一階のサルーンでした。
色褪せて赤銅色になったカーテンは左右に引かれていましたが、それでも室内はまだほの暗く、テーブルの上には燭台が灯されています。
キャンバーランド伯爵夫人はゆっくりとした手つきで、お茶の準備を始めました。
ティーカップが目の前に置かれ、夫人が向かいに着席するのを辛抱強く待って、私は切り出しました。
「包み隠さず、話して欲しいのです。――どうして、私が幽閉されて育ったのか、あなたはご存じですか?」
老婦人は私の問いに沈黙で答えました。
静まりかえった室内で、蝋燭の炎だけがゆらゆらと揺れています。
回答を得られないかと思ったその瞬間、老婦人の口が開きました。
「あの当時――…あなた様がお生まれになったのは、ちょうど、ジギスムント様のご長男のゴットハルト様に、初めてのお子様がお生まれになったばかりのときでした」
「ヴェルターのことですね」
ヴェルターとは、長兄夫妻の第一子で、私より半年年嵩の甥っ子です。
「ジギスムント様はこう仰いました――『孫もいる人間が、新しく赤ん坊など引き取って育てたくない』と。そして、あなた様は女児でした。男児ばかりお持ちのジギスムント様には、育て方が分からなかった」
何から何までとんでもない主張の気がしましたが、私は敢えてそこには触れず、
「…――引き取って、と仰いましたが、兄のラグナルは、母と、この家で育ったはず。
 母は私を産んでわりとすぐ亡くなったと聞いています。――正確には、いつですか?」
「あなた様をお産みになった、その翌日に」
初耳でした。
「…そうですか。――葬儀は、こちらの屋敷で?」
「はい」
キャンバーランド伯爵夫人は頷きました。
「では、父と兄は、私を見たのでは?」
「いいえ。あなた様は、葬儀の間、乳母と地下室に隠されました」
さすがに驚いて、私の口から「えっ…」変な声が漏れました。
「――誰の指示で?」
「お父上の指示です。――ラグナル様に見つかってはならぬ、と」
重々しい口調で、老婦人はみじんの迷いもなく言い切りました。
「そうですか――…何故、父はそうまでして」
さすがに衝撃で言葉を継げない私に代わって、
「しかし、それは葬儀後に彼女を幽閉したまま育てる理由にはなりませんね。
 ラグナルには見つからなかったんだろう? どうして隠密に里子に出さなかった?」
グンヴァルトソン准将が語気鋭く問い掛けます。
「それは――…」
言葉を切り、キャンバーランド伯爵夫人は一つ深い吐息を吐きました。
「アウレーリエ夫人のためです」
アウレーリエ。それは、父フランツ・ジギスムントの正妻の名でした。
「アウレーリエ夫人は、ファルツフェルドに嫁がれるとき、莫大な持参金とハインツバートの領地を持ってこられた。
 お父上は、アウレーリエ夫人と離婚になって、それらを失うのを恐れておられました――ラグナル様がお産まれになったときも大騒動になったのです。
 だからこそ、あなた様をこの屋敷から一歩も出さぬよう、存在をひた隠しにして――…」
――なんだかおかしな論調です。
だって、極秘裏に里子に出してしまう方が、幽閉したまま育てるよりも露見する確率は低そうなのに。
グンヴァルトソン准将と私は視線を交わしました。ですが、深くは追求することはせず、私は質問を変えました。
「キャンバーランド伯爵夫人。――不思議に思っていたことがあるのです。
 あなたは私を育ててくれました。ですが、可愛がってはくれませんでしたね。それは、どうしてですか」
記憶にある彼女の顔は、一度だって私に微笑みかけてはくれなかった。
甥っ子、姪っ子に囲まれる身となった今、私にはそのことがとても不思議に思われたのです。
キャンバーランド伯爵夫人の皺の深く刻まれた顔に、蝋燭の炎が照り映えて濃い陰影を作ります。
「――お父上の指示でした」
「可愛がるな、という指示ですか?」
「…お父上は仰いました。
 『愛情をもらえなかった子は育たぬという古い実験がある。この娘に情を掛けてはならん。そうすれば、長くは生きないだろうから――…』」
――ガタッ
大きな音がして隣を振り仰げば、グンヴァルトソン准将が額に青筋を浮かべて立っていました。固く握りしめられた拳が彼の怒りの激しさを物語っていました。
「ロアルド――…」
私は眉を下げて情けない顔で婚約者に向かって震える手を差し伸べました。
なんて――なんて消極的で残酷な殺人方法でしょう。まだひと思いに殺してくれたほうが愛情がありそうな。
父が赤ん坊だった私へ向けた企ては、自分が父親に全く愛されていなかったという事実すらも凌駕して、強烈な――なんと呼べばいいのでしょう、情けなさ、をもって私の心に突き刺さりました。
「――失礼」
類い希な精神力でどうにか怒りを押さえ込んだらしいグンヴァルトソン准将は、静かに腰を下ろしました。――救いを求めて伸ばされた私の手をしっかり握ったまま。
「父が、直接、手を下さなかったのは――…」
「ことが露見したときに、法に触れるのは嫌だと仰っていました」
――殺したいが、殺す価値もない娘。
酷い――本当に酷い話なのですが、あまりにも酷すぎて、急速に意識から現実感が遠のいていき、私はいっそ平静になり始めていました。
「そうですか――私、生きてしまったのですね。それで父は、8歳になった私に家庭教師をつけたのね?」
もし幽閉の事実が露見したとしても、『ちゃんと養育していました』と言い逃れられるようにでしょう。
それとも――…私の将来を慮って、という善意も、少しばかりはあったのでしょうか。
私は頭を振って希望という名の憶測を追い払い、質問を続けました。
「私の出生の証人って、いましたか?」
「――私です」
これは思った通りでした。
「では、私は本当に、前のファルツフェルド伯爵の娘ですか?」
「ええ。――しかし、ジギスムント様はお疑いでした」
キャンバーランド伯爵夫人は、疑われた本人を前にして、素っ気なくそう答えました。
「それはどうして」
「ラグナル様とあなた様のお年が離れていたからです。――そして、あなた様は、母君にも、父君にも似ておられなかった」
私は沈黙しました。
甥と姪を見てきた経験から思うのですが――赤ん坊って、どちらに似ているとか、あまりはっきりと分からないものじゃないかしら…
「…母が私を身籠もる前に、こちらに父の渡りはあったのですよね」
「ございました」
父は子どもを望んでいなかった。
その心が、父に私の出生を疑わせた――のでしょうか。
「父は私を直接見たことはないのですよね――父に私の写真を送っていたのですか?」
「はい」
「――ラグナル…兄に、母の写真を見せてもらったことがあります。
 暗い色の髪も、明るい面差しも、目の色以外は母は兄によく似ていました。――確かに私は母に全く似ていませんね」
認めて言い切った私の顔を直視せぬまま、キャンバーランド伯爵夫人が重い口を開きました。
「あなた様のお母君は――…帝国の外から連れてこられた女性でした」
薄々は予感していた事だったので、私は軽く頷いて続きを促します。
「あなた様のお名前は、お母君から頂いたものでございます」
「――父は、私に名前を付けなかったのですね」
「………」
沈黙が何よりも雄弁な答えでした。
「――ずっと考えていたのです。どうして私は母と同名なのだろう。何故こんな耳慣れない名前なのだろう――って」
帝国の慣習では、親と全くの同名をファーストネームに持ってくることは、あまりありません。
加えて私は、17でやっと祝詩式を挙げるまで、ミドルネームを一切持たなかった。
「父が私に名前を付けなかったから、呼びようがなくて母と同じ名前で私を呼んだのでしょう?――『リリヤナ』なんて、風変わりな名前で」
帝国で話されているいくつかの言語の内、そのどれ一つとして『リリヤナ』と綴る名前はないのです。
リーフリヘリオスでは『リリアン』、ロイシュライゼやセルセティアでは『リリアナ』や『リリアネ』、ノルディオンやエリスファリアでは『リリアーヌ』、『リリアンヌ』、マルレキアやパルレキア『リリアンナ』、ユークレイやイザールでは『リリャーナ』――…
プリンセスのタイトルを持ち、高位貴族に名を連ねていながら、私は、帝国のどの国の名も持たない――…これは強烈な疎外感をもって、私の心の内に突き刺さり続けていた事実でした。
その疎外感を作る大本となった過去の出来事。
予感していた事ではありましたが、こうもはっきりと明かされると――…
「父は、本当に私に何の関心も持たなかったのですね――…」
私はしみじみ呟きましたが、実際にはそれとて正確ではなく、現実の父は嬰児だった私に淡い殺意すら抱いていたのでした。
「――前のファルツフェルド伯爵は、死の直前、どうして彼女を認知した?」
限りなく微妙な感慨に耽っている私に代わって質問したのは、グンヴァルトソン准将でした。
「…――あなた様が、14になられるかの頃でした……」
キャンバーランド伯爵夫人は、グンヴァルトソン准将ではなく、あくまで私に向かって話します。
「私がジギスムント様に送った写真を見て、ジギスムント様はこう仰ったそうです。
 『ファルケンブルクのブルーベルに生き写しだ』と」
「――『ファルケンブルクのブルーベル』?」
初めて聞く言葉に、私は顔を上げました。
「ジギスムント様のお母上――あなた様にはお祖母上にあたる、イソベル様のことです」
先々代のファルケンブルク家当主リヒャルトの妻イソベル。
私や従兄たちには祖母に当たるその女性の肖像画を、私はファルケンブルク本邸で見たことがありました。
しかし、生き写しといわれるほど似ているかというと――…判断に苦しみます。
「それから、ジギスムント様はこうも仰ったそうです。『しまったことをした』と」
「…どういう意味ですか?」
「あなた様をご自分の娘だとお認めになったのです。そして、この屋敷に保管されていたあなた様の出生証明書を取り寄せられました」
「………」
こんな――こんな嬉しくない認知のされ方って、あるのでしょうか。
自分の母親に似ているからという認知の理由もさることながら、人の14年という歳月を『しまったことをした』の一言で片付けてしまう辺り、父の人柄が偲ばれて、考えているうちに私は息苦しくなってきました。
――早く切り上げたい。
でも、最後にまだ聞かなくてはならないことが残っています。
「――今、あなたが私に話してくださったこと、兄や従兄たちにも話したことがありますか?」
「はい。あなた様がこの屋敷からお連れになられた後に――…」
「ルフェイン伯とライフリッヒ伯に?」
「そうです」
「わかりました」
頷いて、私はグンヴァルトソン准将に視線で合図しました。――もう、わりと限界でした。
准将に椅子を引いてもらい、私はよろめきつつ立ち上がりました。
准将のたくましい腕に肩を抱かれて守られるように退室する途中、ふとグンヴァルトソン准将は歩を止め、椅子に腰掛けたまま石像のように動かないキャンバーランド伯爵夫人を振り返りました。
「――最後に私からも一つ聞きたいことがある。
 あなたは、17年という年月の中で、いつでも彼女の存在を公にするができた。なのにどうして、前のファルツフェルド伯爵の指示に従った?」
キャンバーランド伯爵夫人は蝋燭の炎を凝視したまま、振り返りません。
オレンジ色の炎だけがゆらゆらと温もりを放って揺らめいています。
諦めて部屋を出ようとしたそのとき、聞き間違いかと思うほどの微かな声が、
「…ジギスムント様をお慕い申し上げておりました」
そう告げたのです。
父は――母の侍女頭だったキャンバーランド伯爵夫人をも、愛人にしていたのでしょうか。
企ての加担者に〈愛〉という名の保険を掛けるために? それとも、本当に愛していた?
父のような人間が、心から人を愛する事って、できるのでしょうか――…?
――…もう、何が何だか、本当に、訳がわからなくなりました。
私の限界と混乱を察したのか、准将はそれ以上何も言わずに、私たちは静かに仄暗いサルーンを後にしたのでした――…