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秘された娘

ー/ー



私の名はリリヤナ――前のファルツフェルド伯爵フランツ・ジギスムントの妾腹の娘です。
私は、17の年まで存在を秘され、数多あるファルツフェルドの別邸の一つに閉じ込められて育てられましたが、父の死後、存在が公にされて以降は、ファルツフェルドの本流――ファルケンブルク一族を統べる16年上の従兄たちの下に引き取られて暮らしていました。

それは、そんな私が、婚約者のロアルド・グンヴァルトソン准将との結婚を間近に控えた、27歳の春の始めのことでした――…

その日の空は抜けるように青く広がっていて、小鳥が麗らかにさえずりながら、小枝から小枝へと舞っていました。まだ少し寒そうにしている木の下では、春の始まりを告げるスノードロップが咲き始めています。

土曜日だったその日、私は、従兄でファルケンブルク一門の総帥エトガルの書斎へ向かいました。
『ロイシュライゼの覇者』と呼ばれるファルケンブルク家当主の書斎の扉は美しい飴色のマホガニーで出来ていて、複雑な彫刻が施されています。
意を決し、真鍮製の――こちらも何事か文様が彫られた――門環で戸を叩くと、

「入っておいで」

中から返答がありました。ほぼ同時に、目の前で重苦しい音を立てて扉が開きます――遥か頭上に、慈愛に満ちた微笑を浮かべたマティアスの顔がありました。

「――マティアス。ありがとうございます」
「うん。どうぞ、入って」

エスコートされて入室すると、部屋の中央、年代物の大きな机の奥にエトガルが両手を組んで座っていました。――青い双眸が私を見て微笑みます。
エトガルは上機嫌で、私に革張りのソファを示しながら言いました。

「リリ。――話があるそうだな。どうした? 結婚を止めたいという相談か?」

半ば以上本気に聞こえる従兄の軽口に、私はちょっと笑って首を振りました。そして、示されたソファには座らず、エトガルの前へと歩を進め、こう言いました。

「――エトガル。そして、マティアス。二人にお願いがあって参りました」

屋敷に引き取られて10年余り、これまであまり〈お願い〉などしたことのない私の口から出たその単語に、エトガルもマティアスも少し驚いたような顔をしました。

「…何かな? 言ってごらん」

青い双眸を純粋に不思議そうに瞬いて促したエトガルに、私は小さな深呼吸を一つして告げました。

「――私が育ったあの館に、今一度だけ、立ち入る許可をください」

時が止まったかのような静寂と硬直。
窓の外から小鳥の鳴き声だけが響いて、この瞬間も時間が動いていることを知らせてくれました。

「――どうしてか、聞いてもいいかな」

衝撃のあまり固まっている片割れに代わって静かに問うたのはマティアスでした。

「私の出生について、知りたいことがあるのです。――キャンバーランド伯爵夫人はまだあの屋敷に住んでいると、ラグナルが教えてくれました」

キャンバーランド伯爵夫人――それは私の養育者の名前でした。

「ラグナル――…」

マティアスが額を押さえて吐息をもらします。その隣で、やっと衝撃から立ち直ったらしいエトガルがガタッと音を立てて椅子から立ち上がりました。

「――リリ、聞いてくれ。リリ。私たちの可愛い妹――きみの出生について、何が知りたい? 俺たちが教える。だから、どうか、キャンバーランド伯爵夫人にだけは、きみは会ってはいけない――…!」

動揺もあらわに言い募るエトガル。しかし、その言葉は逆に、キャンバーランド伯爵夫人こそが、秘密の鍵を握っていると教えているようでもありました。

「エトガル――…」

同じことを思ったのか、今度は片割れに溜息をつくマティアス。
そして、彼は私に向き直ると、これまであえて触れずに避けてきたタブーと、10年の時を経て、いや、もしくは27年の時を経て、真っ向から向き合おうとしている従妹の姿を認め、諦めたかのように巨躯を屈めてしっかりと視線を合わせました。

「リリ――きみの出生について、知りたいんだね」
「はい」
「それは――グンヴァルトソン准将のためかい?」

図星を指されて私の頬が赤く染まりました。マティアスは私と目を合わせたまま優しく笑うと、

「幸せ者の准将だな。――一つだけ言っておくよ。
 きみは、誰がなんと言おうと、前のファルツフェルド伯爵の娘で、この帝国のプリンセスのタイトルを持つ、私たちの可愛い従妹――いや、妹だ。
 それを信じられるのなら――…」

そう言いながら、マティアスは双子の片割れを振り仰ぎました。
同じ色の青い双眸に促されて、エトガルはこれまで見たこともないような、とても情けない表情をしました。その青ざめた顔は、全力で、私がキャンバーランド伯爵夫人に会うのは嫌だ、と物語っています。

「エトガル? ――当主としての裁可を」

重ねてマティアスが促します。
いつものことですが、普段は気持ちの優しいこの巨躯の片割れの方が、いざとなったときの肝は据わっているのでした。

「――…わかった。リンデンベルクの屋敷に立ち入ることを許可する」

絞り出すような声でエトガル。そして彼は「ただし――!」と続けました。

「…グンヴァルトソン准将について行ってもらいなさい。リリ、きみのためだけじゃない。私たちの、気持ちを救うために――…」

本当は一人で行きたかったのですが、がっくりと項垂れた従兄の姿があまりにも気の毒だったので、私は、このときばかりはとても素直に「――はい」と、頷いたのでした――…


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私の名はリリヤナ――前のファルツフェルド伯爵フランツ・ジギスムントの妾腹の娘です。
私は、17の年まで存在を秘され、数多あるファルツフェルドの別邸の一つに閉じ込められて育てられましたが、父の死後、存在が公にされて以降は、ファルツフェルドの本流――ファルケンブルク一族を統べる16年上の従兄たちの下に引き取られて暮らしていました。
それは、そんな私が、婚約者のロアルド・グンヴァルトソン准将との結婚を間近に控えた、27歳の春の始めのことでした――…
その日の空は抜けるように青く広がっていて、小鳥が麗らかにさえずりながら、小枝から小枝へと舞っていました。まだ少し寒そうにしている木の下では、春の始まりを告げるスノードロップが咲き始めています。
土曜日だったその日、私は、従兄でファルケンブルク一門の総帥エトガルの書斎へ向かいました。
『ロイシュライゼの覇者』と呼ばれるファルケンブルク家当主の書斎の扉は美しい飴色のマホガニーで出来ていて、複雑な彫刻が施されています。
意を決し、真鍮製の――こちらも何事か文様が彫られた――門環で戸を叩くと、
「入っておいで」
中から返答がありました。ほぼ同時に、目の前で重苦しい音を立てて扉が開きます――遥か頭上に、慈愛に満ちた微笑を浮かべたマティアスの顔がありました。
「――マティアス。ありがとうございます」
「うん。どうぞ、入って」
エスコートされて入室すると、部屋の中央、年代物の大きな机の奥にエトガルが両手を組んで座っていました。――青い双眸が私を見て微笑みます。
エトガルは上機嫌で、私に革張りのソファを示しながら言いました。
「リリ。――話があるそうだな。どうした? 結婚を止めたいという相談か?」
半ば以上本気に聞こえる従兄の軽口に、私はちょっと笑って首を振りました。そして、示されたソファには座らず、エトガルの前へと歩を進め、こう言いました。
「――エトガル。そして、マティアス。二人にお願いがあって参りました」
屋敷に引き取られて10年余り、これまであまり〈お願い〉などしたことのない私の口から出たその単語に、エトガルもマティアスも少し驚いたような顔をしました。
「…何かな? 言ってごらん」
青い双眸を純粋に不思議そうに瞬いて促したエトガルに、私は小さな深呼吸を一つして告げました。
「――私が育ったあの館に、今一度だけ、立ち入る許可をください」
時が止まったかのような静寂と硬直。
窓の外から小鳥の鳴き声だけが響いて、この瞬間も時間が動いていることを知らせてくれました。
「――どうしてか、聞いてもいいかな」
衝撃のあまり固まっている片割れに代わって静かに問うたのはマティアスでした。
「私の出生について、知りたいことがあるのです。――キャンバーランド伯爵夫人はまだあの屋敷に住んでいると、ラグナルが教えてくれました」
キャンバーランド伯爵夫人――それは私の養育者の名前でした。
「ラグナル――…」
マティアスが額を押さえて吐息をもらします。その隣で、やっと衝撃から立ち直ったらしいエトガルがガタッと音を立てて椅子から立ち上がりました。
「――リリ、聞いてくれ。リリ。私たちの可愛い妹――きみの出生について、何が知りたい? 俺たちが教える。だから、どうか、キャンバーランド伯爵夫人にだけは、きみは会ってはいけない――…!」
動揺もあらわに言い募るエトガル。しかし、その言葉は逆に、キャンバーランド伯爵夫人こそが、秘密の鍵を握っていると教えているようでもありました。
「エトガル――…」
同じことを思ったのか、今度は片割れに溜息をつくマティアス。
そして、彼は私に向き直ると、これまであえて触れずに避けてきたタブーと、10年の時を経て、いや、もしくは27年の時を経て、真っ向から向き合おうとしている従妹の姿を認め、諦めたかのように巨躯を屈めてしっかりと視線を合わせました。
「リリ――きみの出生について、知りたいんだね」
「はい」
「それは――グンヴァルトソン准将のためかい?」
図星を指されて私の頬が赤く染まりました。マティアスは私と目を合わせたまま優しく笑うと、
「幸せ者の准将だな。――一つだけ言っておくよ。
 きみは、誰がなんと言おうと、前のファルツフェルド伯爵の娘で、この帝国のプリンセスのタイトルを持つ、私たちの可愛い従妹――いや、妹だ。
 それを信じられるのなら――…」
そう言いながら、マティアスは双子の片割れを振り仰ぎました。
同じ色の青い双眸に促されて、エトガルはこれまで見たこともないような、とても情けない表情をしました。その青ざめた顔は、全力で、私がキャンバーランド伯爵夫人に会うのは嫌だ、と物語っています。
「エトガル? ――当主としての裁可を」
重ねてマティアスが促します。
いつものことですが、普段は気持ちの優しいこの巨躯の片割れの方が、いざとなったときの肝は据わっているのでした。
「――…わかった。リンデンベルクの屋敷に立ち入ることを許可する」
絞り出すような声でエトガル。そして彼は「ただし――!」と続けました。
「…グンヴァルトソン准将について行ってもらいなさい。リリ、きみのためだけじゃない。私たちの、気持ちを救うために――…」
本当は一人で行きたかったのですが、がっくりと項垂れた従兄の姿があまりにも気の毒だったので、私は、このときばかりはとても素直に「――はい」と、頷いたのでした――…