「
和佳、これ」
春ちゃんが珍しく笑顔で渡してくれた小さなピルケース。
「なに? 春ちゃん」
わからないままにあたしが差し出した右手に、彼はそのケースを載せて握らせた。
「もしどうしてもつらいことがあったら、これ飲めばぐっすり眠れる。一、二錠で効くから絶対に一度に五錠以上は飲むなよ」
「あ、……うん。わかった、ありがとう」
そっと開けてみたピルケースには、白くてちょっと丸みのある平べったい錠剤が詰まってる。
まるでミントタブレットみたいね。
あたしは不眠気味だった。
現実は辛いことばっかりなのよ。
今通ってる大学にも、……高校までの十何年の学校生活でも、「友達」なんて呼べる人は一人もいないわ。みんなあたしのことなんて全然わかってくれない。どこ行ってもあたしは嫌われる。
そのあたしが安心できる相手が、五歳上の幼馴染みで「恋人」でもある春ちゃんなんだ。
小さい頃から隣同士で育ったんだけど、春ちゃんの親が家を売ってお父さんの故郷に戻ったらしくて、いま彼はちょっと離れた街で一人暮らししてるの。
◇ ◇ ◇
あたしが小学校に上がる前だったわ。
家の前の道路で遊んでたあたしを隣の家から出て来た四年生の春ちゃんに押し付けて、お母さんは家に入ってった。頼まれて仕方なく、春ちゃんは遊びに行くはずの予定も諦めてあたしを見守ってくれてたんだって。
そこへ走って来た自動車を除けた拍子に、あたしは転んで自宅の壁に顔からぶつかっちゃった。
派手に泣き出したあたしに、お母さんが慌てて家から飛び出して来たのよ。「春之くん、なんでちゃんと和佳を見ててくれなかったの!?」とかめちゃくちゃに責められて、春ちゃんが必死で謝ってたのを覚えてるわ。
結局ちょっと時間経って落ち着いたお母さんが、「春之くんに悪いことした」って隣の家に頭下げに行って、この「事件」については一応決着はついたんだ。
あたしのおでこの傷もしばらくしたら跡も残らずに消えちゃったし、彼が何かしたわけじゃないからね。
だけどあたしの心には、血を流して泣いてたあたしとお母さんに責められて謝る春ちゃんって図がずっと焼き付いてたんだ。
だってさ、あたしが怪我したことで春ちゃんが謝った。それが事実なんだから。
あれから十五年、あたしは春ちゃんにとって特別な存在なの。当然だけど。
はっきり「好きだ」とか言われたことはなくても、春ちゃんはずっとあたしを想って大切にしてくれてる。
今更言葉の告白なんて、あたしたちの間ならいらないよね。
だからこそ、眠れないって言ったあたしを心配して「薬」も渡してくれた。
彼は薬学部を出て製薬会社に勤めてるんだ。具体的にどういう仕事してるのかは聞いたことないんだけど、「薬」に関わることに違いないと思う。
わざわざあたしのために、あたしがちゃんと眠れるように、考えてくれてるってことなんだ。