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【1】

ー/ー



「ああ、万里(まり)。おかえり。ねえ──」

 重い足取りで帰宅すると、迎える母の言葉を曖昧に頷くだけで受け流して自室へ向かう。

 入ってドアを閉めるなり、身につけたものを乱暴に脱いでベッドに無造作に放り投げた。

 出掛けるために着替えて椅子の背に掛けたままの部屋着のワンピースを頭から被り、その椅子にどさりと腰を下ろす。


 ──あたしは間違えたんだ。今更どうしようもない。でもまさか、こんな……。




「万里ちゃんが好きなんだ。その、……俺と付き合ってもらえないかな」

 大学サークルで仲の良かった同期の彼。遠慮がちな告白が本当は嬉しかった。けれど。

「あ、あー、うん。そっか。あたしそういう気なかったっていうかあ。悪いけどちょっと考えさせてくれるぅ?」
 すぐに飛びついたら安い女だと思われるのではないか。少しくらい焦らしたほうが。

 そんな計算が頭を過り、冷ややかな台詞が勝手に口から零れていた。

 どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。どうして素直にならなかったのだろう。
 もう、遅い。

 二日空けた昨日の夕方、そろそろいい頃か、と返事をするつもりだったのだ。待たされた分、きっと彼も喜ぶだろう、などと今考えれば自惚れでしかない優越感に浸っていた。愚かな自分。

 もったいぶって手に取ったスマートフォンのバイブレーションの感触が、今も左の掌に残っている気がする。
 今日の外出の理由を知らせる、友人からの通話着信。

 ちっぽけなプライドで、意地を、あるいは見栄を張ってしまった。やり直せるものなら、今度こそなりふり構わないのに。

 そう、やり直せばいい。分岐で進む道を選び間違えたら戻ればいい。ただ、それだけのことだ。
 ゲームではなく現実だとしても、さして難しいことではない。

 大抵のシーンならば。

「あいつ、なんか心ここにあらずって感じで……」
 今日、席を同じくした彼の友人が苦しそうに絞り出した声が、耳について離れない。

 誰が見ても「良い感じ」の二人だったと思う。万里自身でさえ、あとは最後のひと押しになる「きっかけ」さえあればと期待していた。

 その待ちかねたきっかけ(告白)を、自らの手ではたき落としたのは、他の誰でもなく、万里だ。

 まさか保留されるなんて、おそらく彼にとっては青天の霹靂だったのではないか。思い込みで勘違いしてしまったのか、と真面目な彼は悩んだのかもしれない。
 眠れずに苦しんだのかも。

 それで……?

 微かな痛みが、袋小路に入り込んだ思考を引き戻す。知らず握りしめていた拳で、伸び掛けた爪が掌に食い込んでいた。

 彼は長い爪が苦手らしかった。

 直接苦言を呈するようなタイプではないけれど、少しでも好みに合うように、と切ることに躊躇はなかった。確かに自慢だった、折らないように気を配って綺麗にネイルを施していた爪を。

 ──だって本当に、好きだった、のよ。突然、こんな風になるなんて想像もしてなかった。



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「ああ、|万里《まり》。おかえり。ねえ──」
 重い足取りで帰宅すると、迎える母の言葉を曖昧に頷くだけで受け流して自室へ向かう。
 入ってドアを閉めるなり、身につけたものを乱暴に脱いでベッドに無造作に放り投げた。
 出掛けるために着替えて椅子の背に掛けたままの部屋着のワンピースを頭から被り、その椅子にどさりと腰を下ろす。
 ──あたしは間違えたんだ。今更どうしようもない。でもまさか、こんな……。
「万里ちゃんが好きなんだ。その、……俺と付き合ってもらえないかな」
 大学サークルで仲の良かった同期の彼。遠慮がちな告白が本当は嬉しかった。けれど。
「あ、あー、うん。そっか。あたしそういう気なかったっていうかあ。悪いけどちょっと考えさせてくれるぅ?」
 すぐに飛びついたら安い女だと思われるのではないか。少しくらい焦らしたほうが。
 そんな計算が頭を過り、冷ややかな台詞が勝手に口から零れていた。
 どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。どうして素直にならなかったのだろう。
 もう、遅い。
 二日空けた昨日の夕方、そろそろいい頃か、と返事をするつもりだったのだ。待たされた分、きっと彼も喜ぶだろう、などと今考えれば自惚れでしかない優越感に浸っていた。愚かな自分。
 もったいぶって手に取ったスマートフォンのバイブレーションの感触が、今も左の掌に残っている気がする。
 今日の外出の理由を知らせる、友人からの通話着信。
 ちっぽけなプライドで、意地を、あるいは見栄を張ってしまった。やり直せるものなら、今度こそなりふり構わないのに。
 そう、やり直せばいい。分岐で進む道を選び間違えたら戻ればいい。ただ、それだけのことだ。
 ゲームではなく現実だとしても、さして難しいことではない。
 大抵のシーンならば。
「あいつ、なんか心ここにあらずって感じで……」
 今日、席を同じくした彼の友人が苦しそうに絞り出した声が、耳について離れない。
 誰が見ても「良い感じ」の二人だったと思う。万里自身でさえ、あとは最後のひと押しになる「きっかけ」さえあればと期待していた。
 その待ちかねた|きっかけ《告白》を、自らの手ではたき落としたのは、他の誰でもなく、万里だ。
 まさか保留されるなんて、おそらく彼にとっては青天の霹靂だったのではないか。思い込みで勘違いしてしまったのか、と真面目な彼は悩んだのかもしれない。
 眠れずに苦しんだのかも。
 それで……?
 微かな痛みが、袋小路に入り込んだ思考を引き戻す。知らず握りしめていた拳で、伸び掛けた爪が掌に食い込んでいた。
 彼は長い爪が苦手らしかった。
 直接苦言を呈するようなタイプではないけれど、少しでも好みに合うように、と切ることに躊躇はなかった。確かに自慢だった、折らないように気を配って綺麗にネイルを施していた爪を。
 ──だって本当に、好きだった、のよ。突然、こんな風になるなんて想像もしてなかった。