「ああ、
万里。おかえり。ねえ──」
重い足取りで帰宅すると、迎える母の言葉を曖昧に頷くだけで受け流して自室へ向かう。
入ってドアを閉めるなり、身につけたものを乱暴に脱いでベッドに無造作に放り投げた。
出掛けるために着替えて椅子の背に掛けたままの部屋着のワンピースを頭から被り、その椅子にどさりと腰を下ろす。
──あたしは間違えたんだ。今更どうしようもない。でもまさか、こんな……。
「万里ちゃんが好きなんだ。その、……俺と付き合ってもらえないかな」
大学サークルで仲の良かった同期の彼。遠慮がちな告白が本当は嬉しかった。けれど。
「あ、あー、うん。そっか。あたしそういう気なかったっていうかあ。悪いけどちょっと考えさせてくれるぅ?」
すぐに飛びついたら安い女だと思われるのではないか。少しくらい焦らしたほうが。
そんな計算が頭を過り、冷ややかな台詞が勝手に口から零れていた。
どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。どうして素直にならなかったのだろう。
もう、遅い。
二日空けた昨日の夕方、そろそろいい頃か、と返事をするつもりだったのだ。待たされた分、きっと彼も喜ぶだろう、などと今考えれば自惚れでしかない優越感に浸っていた。愚かな自分。
もったいぶって手に取ったスマートフォンのバイブレーションの感触が、今も左の掌に残っている気がする。
今日の外出の理由を知らせる、友人からの通話着信。
ちっぽけなプライドで、意地を、あるいは見栄を張ってしまった。やり直せるものなら、今度こそなりふり構わないのに。
そう、やり直せばいい。分岐で進む道を選び間違えたら戻ればいい。ただ、それだけのことだ。
ゲームではなく現実だとしても、さして難しいことではない。
大抵のシーンならば。
「あいつ、なんか心ここにあらずって感じで……」
今日、席を同じくした彼の友人が苦しそうに絞り出した声が、耳について離れない。
誰が見ても「良い感じ」の二人だったと思う。万里自身でさえ、あとは最後のひと押しになる「きっかけ」さえあればと期待していた。
その待ちかねた
きっかけを、自らの手ではたき落としたのは、他の誰でもなく、万里だ。
まさか保留されるなんて、おそらく彼にとっては青天の霹靂だったのではないか。思い込みで勘違いしてしまったのか、と真面目な彼は悩んだのかもしれない。
眠れずに苦しんだのかも。
それで……?
微かな痛みが、袋小路に入り込んだ思考を引き戻す。知らず握りしめていた拳で、伸び掛けた爪が掌に食い込んでいた。
彼は長い爪が苦手らしかった。
直接苦言を呈するようなタイプではないけれど、少しでも好みに合うように、と切ることに躊躇はなかった。確かに自慢だった、折らないように気を配って綺麗にネイルを施していた爪を。
──だって本当に、好きだった、のよ。突然、こんな風になるなんて想像もしてなかった。