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1_Chocolate

ー/ー



莉衣(りい)、お隣に煮物を届けてくれる?」

 大学の友達にメッセを返信していると、お母さんに呼ばれた。わたしはベッドを下りて、キッチンに顔を出した。

「煮物って?」
「ほら、お隣の須藤家、ご夫婦で長期旅行に出かけてるでしょう。春斗(はると)くん外食ばかりで栄養が偏るといけないから」

 ダイニングテーブルに並べられたジップロックのコンテナには、鶏肉と野菜の煮物のほか、ささみフライ、ポテトのキッシュなど計六品が詰められていた。

 何やら張り切ってると思ったら、こういうことだったのね。ひとりのご飯は確かに栄養が偏りがち。その点、春斗くんは二十五歳だしあまり心配いらないと思うけど、お母さんはまだ中高生かのような心配ぶりだ。

 春斗くんに会う口実ができたわたしは、内心テンションが上がった。
 わたしの初恋のひと。出会った頃から密かに好きなひと。でもお隣さんだから、気持ちはセーブしてるんだ。告白したあと気まずくなったら嫌だもん。

「ほかに食べたいものがあったら作るって、伝えてちょうだい」
「春斗くん用の差し入れなら、わたしも作りたかったな」
「十時まで寝てた子が何言ってるの」
 そういえば、何回か起こされた気がする。昨夜は読み始めた小説が面白すぎて夜更かししちゃったんだよね。
「テーブルの全部持ってっていいの?」
「我が家のはもう取り分けたから」
「わかった。じゃ、行ってくる」
 手提げに入れたコンテナがずしりと重い。3日分くらいありそうだ。

 日曜日の午前十一時。部屋にいるかな。出かけてるかな。ほんの少しドキドキしながらお隣のインターホンを押した。
「ん……?」
 間隔をあけて二度鳴らすも応答なし。やっぱり出かけてる? もしかしてまだ寝てたりするのかな。LINEしてみようか。

 ――春斗くん、今日はお出かけ?
 メッセを送るとすぐ既読がついた。
 ――家にいるよ。

 あれ、いるんだ。試しにドアノブに手をかけたら、開いてしまった。えええ。鍵、かかってないよ。

「春斗くん、入るね?」
 玄関先で呼びかけると、突き当りの部屋からかすかに声が聞こえた。入っていいってこと、かな。
「お邪魔しまぁす」
 目の前に誰もいないけど、一応挨拶して上がった。リビングの扉を開くと、なぜか冷たい風がスカートの足元を通り抜けた。

「よう、ウサギ」
 ベランダのリクライニングチェアに座っていた春斗くんがイヤホンを外し、私のあだ名を呼んだ。掃き出し窓の向こうで音楽を聴いてたらしい。どおりでインターホンのチャイムに気づかないはずだ。

 ちなみに名字が宇佐美(うさみ)だから、出会った当初からウサギと呼ばれているわたし。

「玄関の鍵、開いてたよ」
「不用心だな」
「春斗くんがでしょ」
「朝コンビニ行った後、閉め忘れた」
「ごはん買いに?」
「歯磨き粉」
 予想外のアイテムに思わずにやけてしまった。ストックなかったんだ。なんだか可愛い。

 製薬会社の研究職に就いている春斗くんは、新薬や医薬品を世に送り出す仕事をしている。五歳差で、頭が良くて、背が高くて、顔もわたし好みの格好いい大人男子だ。

 会うのも話すのも久しぶり。厚めのパーカーを羽織った春斗くんは、スーツ姿のときより少し若く見えた。出会って五年が経つけど、ますます男っぷりが上がった気がする。

「春斗くん、これ差し入れ。おばさんしばらく留守でしょ。栄養が偏るといけないからって、お母さんが」
 手提げを渡すと、春斗くんが嬉しそうに顔をほころばせた。
「サンキュ、こんなにたくさん。ウサギも食べてけば」
「それは全部、春斗くんの。ほかに食べたいものがあったら、お母さんが教えてって言ってた。作れそうなら、わたしが作るよ」
「お茶漬け?」
「あ、馬鹿にして。もっと手の込んだの作れるもん」
「へえ、成長したんだな」

 家に来て夜ごはん一緒に食べる? って聞こうとして、ちょっとためらった。そういった交流はずいぶんご無沙汰だし、予定があるって断られたら、微妙に悲しい。わたしは話題を変えて、春斗くんに訊ねた。

「どうしてベランダで音楽聴いてるの。寒くないの?」
「下界を見下ろしたい気分だったから」

 どういう経緯でそういう気分になったのか謎。とはいえここは十五階で見晴らしは抜群だ。風に吹かれてぼうっとしたくなる気持ちもわかる。でも、まだ春は名のみ、ですよ?

「上着も着ないで、風邪くよ」
「そんなひ弱じゃないって」
 ちょうどそのとき、春斗くんのスマホが鳴った。「ちょっとごめん」と、私に背を向け話し出す。聞き耳を立てているわけじゃないけど、距離が近くて受け答えがはっきり聞こえてくる。
「……ああ、そのことなんだけど。やっぱ今日行くのやめる。適当に断っといて」

 手短に通話を終わらせ、春斗くんがサイドテーブルにスマホを置いた。
「もしかして、これから出かけるところだった? ごめん、邪魔しちゃったね」
 もっとおしゃべりしたかったな。差し入れを渡し終えて、ほかに用事もない。今度勉強教えてってお願いするのも、遊びに行こうって誘うのも唐突過ぎる。前もってナチュラルなサムシングを考えておけば良かった。

「それじゃあ……」 
「待てよ、ウサギ」
 あきらめて帰ろうとしたとき、また春斗くんのスマホが鳴った。
「あの、電話鳴ってるよ。早く出ないと」
「あれはいいよ」
「お友達でしょ? 出ないとあとで怒られるよ」

 面識ない人だけどちょっと心配だ。わたしのせいで予定変更になったのなら責任感じちゃう。なのに春斗くんは「大丈夫」と受け流した。

「ウサギは気にしなくていいから。コーヒー飲んでいけよ。時間あるだろ?」

 ヒーターをつけた春斗くんが、ここに座れとダイニングテーブルの椅子を引いた。ベランダのテーブルに置きっぱなしのスマホ。着信音はもともと小さかったから、窓を閉めたらもう全然聞こえなくなった。

「じゃあ……一杯だけいただこうかな」

 もう少し一緒にいられる。お友達には申し訳ないけど、嬉しい。でもニヤついたらだめ。バレないように、そしらぬフリで。わたしはゆるむ頬を引きしめた。


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みんなのリアクション

「|莉衣《りい》、お隣に煮物を届けてくれる?」
 大学の友達にメッセを返信していると、お母さんに呼ばれた。わたしはベッドを下りて、キッチンに顔を出した。
「煮物って?」
「ほら、お隣の須藤家、ご夫婦で長期旅行に出かけてるでしょう。|春斗《はると》くん外食ばかりで栄養が偏るといけないから」
 ダイニングテーブルに並べられたジップロックのコンテナには、鶏肉と野菜の煮物のほか、ささみフライ、ポテトのキッシュなど計六品が詰められていた。
 何やら張り切ってると思ったら、こういうことだったのね。ひとりのご飯は確かに栄養が偏りがち。その点、春斗くんは二十五歳だしあまり心配いらないと思うけど、お母さんはまだ中高生かのような心配ぶりだ。
 春斗くんに会う口実ができたわたしは、内心テンションが上がった。
 わたしの初恋のひと。出会った頃から密かに好きなひと。でもお隣さんだから、気持ちはセーブしてるんだ。告白したあと気まずくなったら嫌だもん。
「ほかに食べたいものがあったら作るって、伝えてちょうだい」
「春斗くん用の差し入れなら、わたしも作りたかったな」
「十時まで寝てた子が何言ってるの」
 そういえば、何回か起こされた気がする。昨夜は読み始めた小説が面白すぎて夜更かししちゃったんだよね。
「テーブルの全部持ってっていいの?」
「我が家のはもう取り分けたから」
「わかった。じゃ、行ってくる」
 手提げに入れたコンテナがずしりと重い。3日分くらいありそうだ。
 日曜日の午前十一時。部屋にいるかな。出かけてるかな。ほんの少しドキドキしながらお隣のインターホンを押した。
「ん……?」
 間隔をあけて二度鳴らすも応答なし。やっぱり出かけてる? もしかしてまだ寝てたりするのかな。LINEしてみようか。
 ――春斗くん、今日はお出かけ?
 メッセを送るとすぐ既読がついた。
 ――家にいるよ。
 あれ、いるんだ。試しにドアノブに手をかけたら、開いてしまった。えええ。鍵、かかってないよ。
「春斗くん、入るね?」
 玄関先で呼びかけると、突き当りの部屋からかすかに声が聞こえた。入っていいってこと、かな。
「お邪魔しまぁす」
 目の前に誰もいないけど、一応挨拶して上がった。リビングの扉を開くと、なぜか冷たい風がスカートの足元を通り抜けた。
「よう、ウサギ」
 ベランダのリクライニングチェアに座っていた春斗くんがイヤホンを外し、私のあだ名を呼んだ。掃き出し窓の向こうで音楽を聴いてたらしい。どおりでインターホンのチャイムに気づかないはずだ。
 ちなみに名字が|宇佐美《うさみ》だから、出会った当初からウサギと呼ばれているわたし。
「玄関の鍵、開いてたよ」
「不用心だな」
「春斗くんがでしょ」
「朝コンビニ行った後、閉め忘れた」
「ごはん買いに?」
「歯磨き粉」
 予想外のアイテムに思わずにやけてしまった。ストックなかったんだ。なんだか可愛い。
 製薬会社の研究職に就いている春斗くんは、新薬や医薬品を世に送り出す仕事をしている。五歳差で、頭が良くて、背が高くて、顔もわたし好みの格好いい大人男子だ。
 会うのも話すのも久しぶり。厚めのパーカーを羽織った春斗くんは、スーツ姿のときより少し若く見えた。出会って五年が経つけど、ますます男っぷりが上がった気がする。
「春斗くん、これ差し入れ。おばさんしばらく留守でしょ。栄養が偏るといけないからって、お母さんが」
 手提げを渡すと、春斗くんが嬉しそうに顔をほころばせた。
「サンキュ、こんなにたくさん。ウサギも食べてけば」
「それは全部、春斗くんの。ほかに食べたいものがあったら、お母さんが教えてって言ってた。作れそうなら、わたしが作るよ」
「お茶漬け?」
「あ、馬鹿にして。もっと手の込んだの作れるもん」
「へえ、成長したんだな」
 家に来て夜ごはん一緒に食べる? って聞こうとして、ちょっとためらった。そういった交流はずいぶんご無沙汰だし、予定があるって断られたら、微妙に悲しい。わたしは話題を変えて、春斗くんに訊ねた。
「どうしてベランダで音楽聴いてるの。寒くないの?」
「下界を見下ろしたい気分だったから」
 どういう経緯でそういう気分になったのか謎。とはいえここは十五階で見晴らしは抜群だ。風に吹かれてぼうっとしたくなる気持ちもわかる。でも、まだ春は名のみ、ですよ?
「上着も着ないで、風邪くよ」
「そんなひ弱じゃないって」
 ちょうどそのとき、春斗くんのスマホが鳴った。「ちょっとごめん」と、私に背を向け話し出す。聞き耳を立てているわけじゃないけど、距離が近くて受け答えがはっきり聞こえてくる。
「……ああ、そのことなんだけど。やっぱ今日行くのやめる。適当に断っといて」
 手短に通話を終わらせ、春斗くんがサイドテーブルにスマホを置いた。
「もしかして、これから出かけるところだった? ごめん、邪魔しちゃったね」
 もっとおしゃべりしたかったな。差し入れを渡し終えて、ほかに用事もない。今度勉強教えてってお願いするのも、遊びに行こうって誘うのも唐突過ぎる。前もってナチュラルなサムシングを考えておけば良かった。
「それじゃあ……」 
「待てよ、ウサギ」
 あきらめて帰ろうとしたとき、また春斗くんのスマホが鳴った。
「あの、電話鳴ってるよ。早く出ないと」
「あれはいいよ」
「お友達でしょ? 出ないとあとで怒られるよ」
 面識ない人だけどちょっと心配だ。わたしのせいで予定変更になったのなら責任感じちゃう。なのに春斗くんは「大丈夫」と受け流した。
「ウサギは気にしなくていいから。コーヒー飲んでいけよ。時間あるだろ?」
 ヒーターをつけた春斗くんが、ここに座れとダイニングテーブルの椅子を引いた。ベランダのテーブルに置きっぱなしのスマホ。着信音はもともと小さかったから、窓を閉めたらもう全然聞こえなくなった。
「じゃあ……一杯だけいただこうかな」
 もう少し一緒にいられる。お友達には申し訳ないけど、嬉しい。でもニヤついたらだめ。バレないように、そしらぬフリで。わたしはゆるむ頬を引きしめた。