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Not Big Mouth Ⅰ

ー/ー





 晴れた日のAMDSは、まるで戦場だ。いや、もうちょっと言えば、野戦病院って感じ。とにかく忙しいの一言に尽きる。

 今日も例外なく、午前中だけで40匹以上のモンスターが押しかけてきた。症例としても、個体としても、どいつもこいつもクセの強い連中ばかりだ。

 もし僕が冒険者だったら、彼らと向き合うたびに「テレレレテッテッテー♪」とお決まりのレベルアップ音が鳴り響いてただろう。でも残念ながら、僕はただのしがない歯医者、アマギだ。冒険者でもなければ、戦士でもない。

 そもそも、一般的な人間──いわゆる人族ってやつは、モンスターを倒して経験値を稼ぎ、レベルを上げていく生き物だ(稀に人に的を絞った恐ろしい人もいるみたいだが)。対して僕は、その真逆。モンスターを倒すどころか、治療して笑顔で帰ってもらう立場にいる。だから、当然のように僕のレベルは同世代の平均を大きく下回っている。下手したら、そのへんの村人Aにすら負けるレベルだ。つまるところ赤子を除いて『世界最弱』を名乗ってもいいはずだ。

 でもまあ、それでいい。モンスター医療に関わる以上、高レベルの冒険者って看板はむしろマイナスだ。だって、レベルの高さは、これまでどれだけモンスターを倒してきたかって証明でしかない。そんな医者、歯医者に診てもらいたいモンスターなんていないだろうから。

 とはいえ、一つだけ聞いた話がある。医科の現場で、万が一にも医療ミスが起きてモンスターが死んでしまった場合──その瞬間、手術台の横で「テレレレテッテッテー♪」とレベルアップの音が陽気に鳴ることがあるらしい。痛ましい話だ。その後、その医者がどうなったかは、想像にお任せする。

 でも歯科の場合はどうだろう。正直、医療ミスでモンスターが死ぬなんて確率はほぼゼロだ。僕自身、一度もそんな経験はない。けど、それでも気を抜けない理由がある。ようは、逆なんだ。モンスターに食べられるリスク。もしくは、機嫌を損ねてぶん殴られる可能性。どちらにしても、死ぬのは僕の方ってわけだ。

「うーん……困ったなあ」

 午前中にたまった疲れを吐き出すようにため息をつきながら、気だるい雰囲気が漂うスタッフルームで僕はレベルについて考えていた。

 先日やってきたミルカラ。あの最上位モンスターとの遭遇で、久しぶりに死の危険を感じた。いや、正直レベルが高かろうとミルカラみたいな相手が暴れたら、どうにもできなかっただろうけどさ。でも実際、患者が暴れたらどうする? 僕には止める手段がない。

 結局、頼れるのは助手のフォンファ──やたら硬くてステゴロが強い女キョンシー──か、受付のキリア──魔法を多岐に渡り扱い未来視をもつマーメイド──だけだ。

 でもさ、それって院長としてどうなんだろう?いや、ひとりの男としても、なんか情けなくないか?

「どうしたんだゆ? 忙しいなら、忙しいで、しんどいかゆ?」
 スタッフルームから廊下を挟んだ受付のモニターの前で、キリアはFPSゲームに没頭している。モニターには20 Kill Streakと出ており、敵を次々撃ち倒すその様子は、明らかに院内業務とは無縁だった。

「ウチはしんどいっす。患者制限しないっすか?もたないっす」
 フォンファはスタッフルームの机に片腕だけ伸ばし、その上に頭を載せて完全に脱力モードだ。力尽きたクロール選手のような体勢で、溜息とも呻きともつかない音を漏らしている。

 そんな二人を前にして、僕は腕組みして仁王立ちだ。今こそ、悩みを打ち明けるべきときだろう。

「いやね、僕って弱すぎないかって思ってさ」

「はい?」
 フォンファが椅子に座り直し、キリアも試合を終えたのか、コントローラーを置いてこちらを見る。

「人としてゆ?それとも、生物としてゆ?」
 キリアはイヤホンを外し、首を傾げた。

「どっちも、かもしれない……」

「はぁ。くだらないっすね」
 フォンファは再び机に倒れ込み、クロールの姿勢に戻る。

「あきらめるゆ」
 キリアはフォンファの言葉に完全同意したらしく、再びゲームを始めた。

 僕の悩みは、ここにいる二人にとって取るに足らないものらしい。いや、それは分かってたけどさ。

「待ってよ!だってこの医院でモンスターが暴れたらどうするのさ?」
 僕は仁王立ちを解除し、手を振り上げて抗議する。

「誰がこの医院を守るのさ。それは、院長たる──」

「わたしゆ」
「ウチっすね」

 僕が言い切る前に、二人の声が重なった。いつの間にかキリアとフォンファが廊下を挟んで向き合い、座っている。

「「いやいや」」
 今度は同じセリフでハモった。

 そして、バチバチと火花が散るような緊張感が廊下に漂う。

「どう考えてもステゴロが最強の私が適任っすよ!」
 フォンファは拳を振り上げ、得意げにポーズをとる。

「今時ステゴロなんて野蛮ゆ。私の魔法のほうが、効率的で美しいんゆ」
 キリアも負けじと肩を怒らせ、斜め下から見上げる形で反撃する。

「先輩のその発言、絶対に聞き流せないっす!」
「後輩が生意気言うなゆ!」

 廊下で一触即発の空気が漂う中、僕は慌てて二人の間に割り込んだ。

「ちょ、待って!ほら、この状況で二人が暴れたら、僕に止める手段ないじゃない!」

「「……たしかに」ゆ」
 二人のトーンが一気に抜けていく。

 僕は肩を落として大きく息を吐いた。

「だからさ、僕もレベルを上げずして抑止力になれるような特技とか武器とか欲しいんだけど、何かいい案ないかなぁ?」

「雑魚が手にしても、ウチらが敵わない相手をやっつけられる神器なんてあったら、世界が終わるっす」
 フォンファは机に伸びたまま、面倒くさそうに言う。

「右に同じゆ」
 キリアは再びゲームに没頭した。

……僕の悩みって、こんなに軽いものだったっけ?

 院長 威厳 最強 方法。
 なんて、ググろうかと思ったけど、どうせ「筋トレしろ」とか「自己啓発本読め」とか言われるだけだ。
 くだらない。僕はそんなの求めてないんだって。
諦めて、机に突っ伏そうとした時だった。

 昼休み中で施錠しているはずなのに、ドアベルが鳴った。

「あ、すみません、今はお昼休憩中で──」

 やっぱり最強になるにはアレを使うかとか、鍵をかけ忘れたのかなとか思って、半分惚けた頭のまま、僕はパタパタと玄関に向かった。
 そして、ドアを開けた瞬間、目に飛び込んできたのは──。

──赤い舌。

 いや、赤い「もの」。いや、巨大な「何か」。
目の前に広がっていたのは、ドア全体を覆うほど巨大な赤い舌だった。
 舌が床に引きずられている。その先には異常に分厚い下唇。そして、その奥には、びっしりと並んだ無数の歯。
 見上げれば、医院の吹き抜け天井スレスレに到達している上唇までが、ぐねりと伸びている。

 僕はその時、何も言葉が出なかった。ただぼんやりと、頭の片隅で思った。

──ああ、そういえばここは歯医者だったっけね。

 自分でも驚くほど冷静な、小学生並みの感想。
 でもその瞬間、医院が突然真っ暗になった。

 やられた。

 遅すぎた。気づいた時には、僕の周囲すべてが闇に飲まれていた。
 電気が消えたわけじゃない。違う。

 僕は──食われたんだ。

 走馬灯のように思考が駆け巡る。
 頭のどこかで、このモンスターの名前が浮かんだ。いや、浮かんだというより思い出した。
 歯医者を目指していた頃、怪物図鑑で見たことがある。

 大口(おおぐち)。
 扉に化けて人を丸呑みにする妖怪。
 その存在を聞いたとき、「こんなの来たらどうしよう」って冗談交じりに思った相手。
 でもまさか、それが今こうして僕を丸呑みにしているなんて。

 どうする?どうすればいい?
 図鑑にはほとんど情報がなかった。
 そりゃそうだ。こいつに会った人類は、こうやってほぼ100%死んでるんだろう。

 何か打開策はないか?ただ一つだけ覚えている。
 大口は、その巨体のせいで不意打ちでしか獲物を襲えないって。
 でも、今さらそんな知識が役に立つわけじゃない。
 いや──まて──
 食った後はどうするんだ?いつまでたっても大口は、僕を飲み込まないぞ。いや、飲み込む必要がないのか?消化器は、その大口一つで担ってるのか。それって消化にかなり時間がかかるんじゃないか。その間、大口はどうやって身を守るんだ?

──だとしたら、余計に、辻褄が合わないんじゃないか?

 息が苦しい。意識が遠のく。

 僕は必死にもがいた。闇の中で、手探りで何かを掴もうとする。
──何か硬いものに触れた。

 なんだ?歯か?いや、違う──。

 まさか、こいつ……。

 気づいた。だけど遅かった。
 大口は、人を──。

 僕の思考が、そこで止まった。
 意識が、完全に途絶えた。











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 晴れた日のAMDSは、まるで戦場だ。いや、もうちょっと言えば、野戦病院って感じ。とにかく忙しいの一言に尽きる。
 今日も例外なく、午前中だけで40匹以上のモンスターが押しかけてきた。症例としても、個体としても、どいつもこいつもクセの強い連中ばかりだ。
 もし僕が冒険者だったら、彼らと向き合うたびに「テレレレテッテッテー♪」とお決まりのレベルアップ音が鳴り響いてただろう。でも残念ながら、僕はただのしがない歯医者、アマギだ。冒険者でもなければ、戦士でもない。
 そもそも、一般的な人間──いわゆる人族ってやつは、モンスターを倒して経験値を稼ぎ、レベルを上げていく生き物だ(稀に人に的を絞った恐ろしい人もいるみたいだが)。対して僕は、その真逆。モンスターを倒すどころか、治療して笑顔で帰ってもらう立場にいる。だから、当然のように僕のレベルは同世代の平均を大きく下回っている。下手したら、そのへんの村人Aにすら負けるレベルだ。つまるところ赤子を除いて『世界最弱』を名乗ってもいいはずだ。
 でもまあ、それでいい。モンスター医療に関わる以上、高レベルの冒険者って看板はむしろマイナスだ。だって、レベルの高さは、これまでどれだけモンスターを倒してきたかって証明でしかない。そんな医者、歯医者に診てもらいたいモンスターなんていないだろうから。
 とはいえ、一つだけ聞いた話がある。医科の現場で、万が一にも医療ミスが起きてモンスターが死んでしまった場合──その瞬間、手術台の横で「テレレレテッテッテー♪」とレベルアップの音が陽気に鳴ることがあるらしい。痛ましい話だ。その後、その医者がどうなったかは、想像にお任せする。
 でも歯科の場合はどうだろう。正直、医療ミスでモンスターが死ぬなんて確率はほぼゼロだ。僕自身、一度もそんな経験はない。けど、それでも気を抜けない理由がある。ようは、逆なんだ。モンスターに食べられるリスク。もしくは、機嫌を損ねてぶん殴られる可能性。どちらにしても、死ぬのは僕の方ってわけだ。
「うーん……困ったなあ」
 午前中にたまった疲れを吐き出すようにため息をつきながら、気だるい雰囲気が漂うスタッフルームで僕はレベルについて考えていた。
 先日やってきたミルカラ。あの最上位モンスターとの遭遇で、久しぶりに死の危険を感じた。いや、正直レベルが高かろうとミルカラみたいな相手が暴れたら、どうにもできなかっただろうけどさ。でも実際、患者が暴れたらどうする? 僕には止める手段がない。
 結局、頼れるのは助手のフォンファ──やたら硬くてステゴロが強い女キョンシー──か、受付のキリア──魔法を多岐に渡り扱い未来視をもつマーメイド──だけだ。
 でもさ、それって院長としてどうなんだろう?いや、ひとりの男としても、なんか情けなくないか?
「どうしたんだゆ? 忙しいなら、忙しいで、しんどいかゆ?」
 スタッフルームから廊下を挟んだ受付のモニターの前で、キリアはFPSゲームに没頭している。モニターには20 Kill Streakと出ており、敵を次々撃ち倒すその様子は、明らかに院内業務とは無縁だった。
「ウチはしんどいっす。患者制限しないっすか?もたないっす」
 フォンファはスタッフルームの机に片腕だけ伸ばし、その上に頭を載せて完全に脱力モードだ。力尽きたクロール選手のような体勢で、溜息とも呻きともつかない音を漏らしている。
 そんな二人を前にして、僕は腕組みして仁王立ちだ。今こそ、悩みを打ち明けるべきときだろう。
「いやね、僕って弱すぎないかって思ってさ」
「はい?」
 フォンファが椅子に座り直し、キリアも試合を終えたのか、コントローラーを置いてこちらを見る。
「人としてゆ?それとも、生物としてゆ?」
 キリアはイヤホンを外し、首を傾げた。
「どっちも、かもしれない……」
「はぁ。くだらないっすね」
 フォンファは再び机に倒れ込み、クロールの姿勢に戻る。
「あきらめるゆ」
 キリアはフォンファの言葉に完全同意したらしく、再びゲームを始めた。
 僕の悩みは、ここにいる二人にとって取るに足らないものらしい。いや、それは分かってたけどさ。
「待ってよ!だってこの医院でモンスターが暴れたらどうするのさ?」
 僕は仁王立ちを解除し、手を振り上げて抗議する。
「誰がこの医院を守るのさ。それは、院長たる──」
「わたしゆ」
「ウチっすね」
 僕が言い切る前に、二人の声が重なった。いつの間にかキリアとフォンファが廊下を挟んで向き合い、座っている。
「「いやいや」」
 今度は同じセリフでハモった。
 そして、バチバチと火花が散るような緊張感が廊下に漂う。
「どう考えてもステゴロが最強の私が適任っすよ!」
 フォンファは拳を振り上げ、得意げにポーズをとる。
「今時ステゴロなんて野蛮ゆ。私の魔法のほうが、効率的で美しいんゆ」
 キリアも負けじと肩を怒らせ、斜め下から見上げる形で反撃する。
「先輩のその発言、絶対に聞き流せないっす!」
「後輩が生意気言うなゆ!」
 廊下で一触即発の空気が漂う中、僕は慌てて二人の間に割り込んだ。
「ちょ、待って!ほら、この状況で二人が暴れたら、僕に止める手段ないじゃない!」
「「……たしかに」ゆ」
 二人のトーンが一気に抜けていく。
 僕は肩を落として大きく息を吐いた。
「だからさ、僕もレベルを上げずして抑止力になれるような特技とか武器とか欲しいんだけど、何かいい案ないかなぁ?」
「雑魚が手にしても、ウチらが敵わない相手をやっつけられる神器なんてあったら、世界が終わるっす」
 フォンファは机に伸びたまま、面倒くさそうに言う。
「右に同じゆ」
 キリアは再びゲームに没頭した。
……僕の悩みって、こんなに軽いものだったっけ?
 院長 威厳 最強 方法。
 なんて、ググろうかと思ったけど、どうせ「筋トレしろ」とか「自己啓発本読め」とか言われるだけだ。
 くだらない。僕はそんなの求めてないんだって。
諦めて、机に突っ伏そうとした時だった。
 昼休み中で施錠しているはずなのに、ドアベルが鳴った。
「あ、すみません、今はお昼休憩中で──」
 やっぱり最強になるにはアレを使うかとか、鍵をかけ忘れたのかなとか思って、半分惚けた頭のまま、僕はパタパタと玄関に向かった。
 そして、ドアを開けた瞬間、目に飛び込んできたのは──。
──赤い舌。
 いや、赤い「もの」。いや、巨大な「何か」。
目の前に広がっていたのは、ドア全体を覆うほど巨大な赤い舌だった。
 舌が床に引きずられている。その先には異常に分厚い下唇。そして、その奥には、びっしりと並んだ無数の歯。
 見上げれば、医院の吹き抜け天井スレスレに到達している上唇までが、ぐねりと伸びている。
 僕はその時、何も言葉が出なかった。ただぼんやりと、頭の片隅で思った。
──ああ、そういえばここは歯医者だったっけね。
 自分でも驚くほど冷静な、小学生並みの感想。
 でもその瞬間、医院が突然真っ暗になった。
 やられた。
 遅すぎた。気づいた時には、僕の周囲すべてが闇に飲まれていた。
 電気が消えたわけじゃない。違う。
 僕は──食われたんだ。
 走馬灯のように思考が駆け巡る。
 頭のどこかで、このモンスターの名前が浮かんだ。いや、浮かんだというより思い出した。
 歯医者を目指していた頃、怪物図鑑で見たことがある。
 大口(おおぐち)。
 扉に化けて人を丸呑みにする妖怪。
 その存在を聞いたとき、「こんなの来たらどうしよう」って冗談交じりに思った相手。
 でもまさか、それが今こうして僕を丸呑みにしているなんて。
 どうする?どうすればいい?
 図鑑にはほとんど情報がなかった。
 そりゃそうだ。こいつに会った人類は、こうやってほぼ100%死んでるんだろう。
 何か打開策はないか?ただ一つだけ覚えている。
 大口は、その巨体のせいで不意打ちでしか獲物を襲えないって。
 でも、今さらそんな知識が役に立つわけじゃない。
 いや──まて──
 食った後はどうするんだ?いつまでたっても大口は、僕を飲み込まないぞ。いや、飲み込む必要がないのか?消化器は、その大口一つで担ってるのか。それって消化にかなり時間がかかるんじゃないか。その間、大口はどうやって身を守るんだ?
──だとしたら、余計に、辻褄が合わないんじゃないか?
 息が苦しい。意識が遠のく。
 僕は必死にもがいた。闇の中で、手探りで何かを掴もうとする。
──何か硬いものに触れた。
 なんだ?歯か?いや、違う──。
 まさか、こいつ……。
 気づいた。だけど遅かった。
 大口は、人を──。
 僕の思考が、そこで止まった。
 意識が、完全に途絶えた。