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山賊と王の決闘

ー/ー



 10月の初旬の朝、鉄の柵の中でユーグリッドの前に跪いたのはボロの着物を纏った男だった。その男は醜いほど顔中に古傷が走っており、浮浪者のように油塗れの長い髪を野放図にしている。

 だがその鋭利なほど切れ長な目つきの奥には獣のような殺意が滾っており、ギラギラと自分の手の縄が解かれる瞬間を待ち続けていた。眼光は獣を射殺す矢の如く王の心臓に狙いを定め、その胸の奥で拍動する急所を生きたまま貫こうとしている。

 ――この男、只者ではない。

 王は瞬時にその男の狂暴さを見抜いた。

「ユーグリッド、貴様の最終試験の相手はその男だ」

 檻の外からタイイケンが決闘の相手を宣言する。

「そいつについて少し説明しておこう。そいつは最近俺の軍が捕らえた山賊だ。そいつはアルポート王国の近辺にある小さな村を襲い、略奪をしていた。その村民どもがアルポート王国に泣きついてきたところを、俺が部下に命じて討伐隊を派兵したのだ」

「ああ、その話は知っている。先日の諸侯会議でも議題になっていた。臣下たちは皆その山賊を討伐することを俺に進言していた」

 ユーグリッドが諸侯会議についての話題から過去を思い返す。


 玉座の間はユーグリッドがタイイケンの元で修行を初めたことをきっかけに、どんどん臣下たちが集まり直るようになっていた。

 修行を初めたての頃は顔を傷だらけにした王に皆驚いていた。だがタイイケンとの訓練でどんどん成果を上げていることを知った臣下たちは、ユーグリッドに対する評価を鰻登りに上げていた。今王は自ら強くなろうとしている。そのひたむきな武人としての姿勢は、いずれ覇王との決戦が行われることを諸侯たちに期待させたのである。

 王はまだ覇王と戦うことを諸侯たちに明言していない。だがその心の奥に宿る王の決意は、臣下たちの戦意と士気を大いに盛り上げていた。
そしてついに今となっては、玉座の間は再び臣下たちで溢れかえるようになり、会議にはアルポート王国の全諸侯が出席していたのだった。

「ああ、だが山賊討伐に行った部下たちは帰ってこなかった。不審に思い偵察を派遣すると俺の50人の部下は全員殺されていた。その中央ではこの山賊の男がおり、部下たちの服を剥いで人食いをしていたのだ。そして俺は俺自身が出陣することを決め、この男を捕らえたのだ」

〝人食い〟という言葉に、屋敷に訪れていたテンテイイが青ざめる。その光景を思い浮かべるだけで、朝に食べてきたものを全て吐き出しそうになる。

「この男は口が固く自分の素性を明かさない。いくら殴り飛ばしても自分の顔をにやけつかせるだけだった。だが俺にはわかる。そいつは元はどこかの武将だ。俺がそいつと刃を交えた時、明らかに並の動きではなかった。

 そいつは小さな斧の先端に短い槍を合わせた双戟(そうげき)という武器を両手で操り、果敢に俺の心臓と首を狙ってきた。俺も敵と50合以上刃を合わせたのは久しぶりだ」

 男の縄がタイイケンの部下たちによって解かれる。男は陽炎のようにゆらゆらと揺れて立つ。男の得物である双戟が檻の中に投げ込まれ、それを男はゆっくりと拾い上げる。

 テンテイイはその男の不気味な出で立ちにますます不安を募らせた。そしてこの戦いを止めるための口実を考え、この決闘の立会人にしゃべり始める。

「あの。あの男がそれほど強いのでしたら、いっそタイイケン殿の部下にしてしまったらどうですか? あなたはいつも剣闘士のような真似事をしてそうしているでしょう?」

「口を挟むなテンテイイ。こいつはユーグリッドに戦わせるために取っておいたのだ。そしてもう戦いは始まっている。黙って見ていろ」

「で、でも……」

 テンテイイは言い返そうとしたが、その時にはテンテイイの目は既に奪われていた。その鉄の檻の中の異様な雰囲気に気がついたのである。

 檻の中にいる王の双眸、そこには今戦いに生き残ろうとする武人としての渇望があった。王の瞳は純真であり、戦いの果ての勝利という命の証明を掴み取ろうとしている。

 そしてその檻の中にはもう一つ、王と同じ(まなこ)を持つ男が立っていた。その男は体を揺らし、王の生を絶ち切り、そしてその瞬間にある己の生存の実感という快楽をもぎ取ろうとしている。

 武器を構え合う両者は身分を捨て、体裁を捨て、感情を捨て、ただ生という人間の源の欲だけを求めて睨み合っていた。

 戦いを知らぬテンテイイでさえも、この決闘は犯すことのできない聖域で行われる儀式であることが理解できた。

(……陛下の目は真剣だ。ここで止めれば私は陛下の武人としての矜持を汚すことになる。もはや戦いを止めることはできないか)

 テンテイイはその殺伐とした聖域をただ見つめることしかできなくなる。
その不可侵の領域では、両者がわずかに足を擦らしながら移動している。

 その瞬間、男の体が飛んだ。ユーグリッドが真っ直ぐ構える両手剣の剣先を右戟で弾き、その間隙を縫い一気に詰め寄る。

 王は剣を引き寄せ双戟の交差を黄金の刃で受け止める。
わずかに火花を散らすその2つと1つの凶刃は、腕力のままに互いを押し返そうとする。
その鍔迫り合いに勝ったのはユーグリッドだった。剛剣の剣圧をまっすぐに押し込み男の体を吹き飛ばす。

 だが押された拍子に、男の(しな)やかな胴体は地面に向かって半円を描き、その奇妙に反った体をバネにして起き上がり、再び王に双戟を薙ぐ。

 ユーグリッドは突然の奇襲に剣を弾かれ指の力が緩み、柄を握る左手が乱れる。
男はその隙を見逃さなかった。無防備となったユーグリッドの左腕めがけて右戟を振り下ろす。

 だがユーグリッドはそれを瞬時に予測して、剣から手を離して左腕を手前に引いて逃がす。そのまま体を右周りに半回転させ、男の凶刃を空振りさせる。

 すぐさま男は敵に振り返り左戟を薙ぎ払おうとする。
だがそれよりも早くユーグリッドは右手の両手剣の柄で男の顔を殴り飛ばす。
男はその反撃に数歩よろめいたが、すぐに双戟を構え直した。

「ククッ、くくくっ」

 男は突然笑い出す。鼻血を垂らし、冷たい汗を流し、双戟の刃を胸の前で交差させて防御する。

 男のその読みが当たり、男が笑った瞬間に放たれたユーグリッドの渾身の突きが、男の心臓を貫くことなく、双戟の厚い壁に弾かれる。

 両者はその一瞬の武具の威力のぶつかり合いに圧され、互いに数歩後ずさりした。両者はすぐに武器を構え直し、互いにまた足を擦らせ合い睨み合いとなった。

 だがしばらくすると、突然男は双戟の構えを解き両腕を下ろした。それ見た檻の外の観衆たちは一瞬どよめく。

「ユーグリッド坊っちゃん……」

 両手剣を前面に突き出しながら敵に詰め寄ろうとしていたユーグリッドに、突然男が不躾な声で呼びかける。

 だがユーグリッドはそれを無視して警戒しながら更に距離を詰める。男は今隙だらけであり、今突きを繰り出せば確実に息の根を止められる。

 だがその攻撃の寸での所で、男はしゃがみ込みそのまま胡座をかく。
わずかに男の油の髪を掠め、ユーグリッドの突きは空振りする。
ユーグリッドはそれを瞬時に認め、男の次の攻撃を予測して素早く剣を引きながら後ずさりした。

 だが男は座したまま動かない。双戟を自分の膝上に乗せて顔を伏せている。しばらくそのまま時間が立った。だが男はビクリとも動かない。

「……どうした?」

 ユーグリッドは剣を下向きに構え直しながら尋ねる。

「お主は今俺と決闘している。今立たねばお主は死ぬぞ? 早く立て。死にたいのか?」

「死ぬ? クククッ、どの道俺が死ぬことに変わりないだろ? 例えあんたを殺しても、俺はタイイケンに殺される。だんだん馬鹿らしくなってきちまった」

 ユーグリッドを見上げ、男は下卑た笑いを浮かべる。その不審な態度のまま、男は王に喋りかける。

「なあ、ユーグリッド坊っちゃん。俺と少し話をしないか? まあ、憐れな山賊風情の遺言ってところだ」

 右手に戟を持ち、回転を加えながら僅かに上に投げて掴む。その手遊びを繰り返しながら、にやけた顔をユーグリッドに向け続けている。ついさっきまで纏っていたはずの殺気が、まるで憑き物でも落ちたかのように消えていた。

「ユーグリッド! そいつの話を聞くな! さっさと決闘を再開しろ!!」

 鉄檻の外からタイイケンの怒鳴り声が響く。
だが男はゆっくりとそちらを見遣るとせせら笑った。

「決闘? くくくっ。そんなもんもう終わってるよ。俺はもう降参してるんだ」

 片戟をひらひらとさせながら男は投げやりに言う。
タイイケンは怒りで顔を真っ赤にしていた。
男はそれを気にも止めず、ユーグリッドに向き直る。

「なあ、これはあんたの〝最終試験〟とやらなんだろ? つまり俺をぶっ殺せばお師匠様に認めてもらえるってわけだ。そしてそのお師匠様は俺が本気でこの殺し合いに付き合うと思ってらっしゃる。だけど、今俺にはそのやる気がない。どの道ぶっ殺されるのにやる気なんか出るかよ」

 男はぶつくさとこの決闘の文句を垂れる。
今まで緊迫して殺気立った場の空気はすっかり冷めてしまっていた。

 タイイケンはその時、正直困ってしまっていた。師匠にも予想外の事態であり、その困惑の気持ちはユーグリッドにも伝わっている。今の戦う気のないこの男を殺したとしても、それは武人としての強さを証明したことにはならない。

「……なら、お主を放免してやる。もし俺を殺すことができたなら、タイイケンにお主を見逃すように取り計らおう。タイイケン! それでいいな?」

 ユーグリッドは男から視線を外さないようにしながらタイイケンに叫ぶ。

「……わかった。貴様が死んだらそこの男は国外追放するだけで許してやる。俺の武士の魂に誓って約束しよう」

「だそうだ。これで満足したか? さあ早く立って俺と戦え!」

 ユーグリッドは男の目の前に剣を突き出しながら指図する。
だが男は己の足をピクリとも動かさず、不気味に顔を伏せたまま笑っていたのだった。

「クククッ、仮にそれが本当だとしても、何の色気にもなってないぜ? 俺だって好き好んで人食いになったわけじゃねぇ。山賊の真似事はもう飽き飽きだ。俺がこの国から出たって何の食い扶持のアテもねえ」

 戦意のない男はもはや戟の手遊びすら飽きて膝に両方とも置いてしまっている。

「それよりも俺の話を聞いてくれよ、ユーグリッド坊っちゃん。俺もただの噛ませ犬のまま死んじまったらアルポートの地縛霊になっちまう。盗人にも五分の魂があるってことだ。あんただって幽霊が自分の根城に住み着かれちゃ困るだろ?」

 おどけた態度で男が王に要求する。
ユーグリッドは黙って男の顔を見下ろし続けている。

「……聞いてやる。俺もお主のような猛者を殺すのは初めてだ。名前ぐらいなら覚えておいてやる」

「くくっ、初めてじゃないだろ? あんたは海城王を殺しちまった前科がある。これで二匹目ってわけだ」

 ユーグリッドはピクリと眉を動かす。この下卑な男と父を同列に語られたことに腹を立てた。
だが男は構わず自分の身の上話を始めた。

「さっきのタイイケンの予想は当たっている。俺はある所の武人の主に将として仕えてたんだ。けど、その主と俺には少々因縁があってな。まあ、妹を殺されたとでも言っておこうか。で、そいつが憎くて俺は殺そうと考えた訳なんだよ。

 そいつはある日、戦争していた国と一時休戦になってて暇を持て余していた。それで夜森の中を一人で散歩してたんだよ。俺はそこを狙って奇襲したってわけだ。

 いやあ、あの晩は満月でそいつの間抜け面がよく見えてたぜ。こっちは心当たりがないほうがおかしいってのに、そいつは信じられないって顔しててよ。くくくっ、あの顔は傑作だったなぁ」

 男は突然ゲラゲラと笑い出した。決闘の神聖な場所に似つかわしくない思い出し笑いをしている。
観衆たちの耳に男の乾いた笑い声が不快にこびりついた。

「それで俺はそいつと打ち合いになったんだよ。奴の得物は槍で武家の名門の出身ときたもんだ。いやあ中々に苦労したぜ。この俺の顔の1つもそいつにやられたってわけだよ。

 だが最後には俺が奴の首を切り落とした。その瞬間を誰かに見られてないか冷や冷やしたもんだぜ。でもすごく快感だったよ。何しろ妹の仇を取れたんだからなぁ。ホントにめちゃくちゃ可愛い妹だったよ!」

 男が憎悪の籠もった声で再び笑う。その仇討ちの瞬間を何度も噛み締め、麻薬のように楽しんでいる。

 ユーグリッドとタイイケンは、その復讐を果たした男を何とも言えない表情で見つめていた。自分たちも少なからずこの男と同じ因縁を抱えていたのである。

「それでその後よ、そいつの首を夜が明ける前に敵の砦まで持っていったんだよ。期待したぜ、何しろ敵の猛将の首だ。それを土産に俺は寝返ろうと砦に向かって叫んだんだ。

 だけど奴ら、この俺を迎え入れないどころか弓矢まで射掛けてきやがった。矢が肩に命中して、せっかく取った首級も落としちまってよぉ。俺は泣く泣く逃げ出しちまうはめになったんだよ」

 男は自嘲してまた笑う。もはや自分の不遇を種にしなければ笑うことすらできなかった。
テンテイイはその山賊となり人食いとなった男に、両手を胸に当てながら憐れみを覚える。
男は笑いが止まらなかった。

「で、結局俺はその矢傷が原因で2ヶ月ほど病気になっちまったんだよ。苦労したぜぇ。周りに食べ物なんてなかったからよ。それでやっと病気が治っても俺にはもう帰る場所がない。俺は自分の国にも敵の国にも行く宛がなかった。

 だからこのアルポート王国まで召し抱えてもらおうってやって来たわけだ。けどそのアルポート王国も俺を山賊扱いして殺しにかかりやがってよぉ。ホント、妹の仇を討っただけなのに、俺の人生はご破産もご破産だ」

 男がククッ、くくっと何度も笑う。そこには楽しいという感情はない。ただ悲しいという感情だけがあった。

 ユーグリッドはそこで男の話に心当たりを見つけ出す。ユーグリッドは両手剣を男の顔面に構えたまま、その双戟の山賊に質問を投げかける。

「……お主の名前は何という? どこの者に仕えていた?」

「……ソウゴ・バルディッツ」

 男はふらふらと静かに立ち上がり、名乗りを上げる。そして双戟を自分の胸の前に構え直した。

「かつてはバウワー家の三男、デンガレンの副将を務めていた男だ」



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 だがその鋭利なほど切れ長な目つきの奥には獣のような殺意が滾っており、ギラギラと自分の手の縄が解かれる瞬間を待ち続けていた。眼光は獣を射殺す矢の如く王の心臓に狙いを定め、その胸の奥で拍動する急所を生きたまま貫こうとしている。
 ――この男、只者ではない。
 王は瞬時にその男の狂暴さを見抜いた。
「ユーグリッド、貴様の最終試験の相手はその男だ」
 檻の外からタイイケンが決闘の相手を宣言する。
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「ああ、その話は知っている。先日の諸侯会議でも議題になっていた。臣下たちは皆その山賊を討伐することを俺に進言していた」
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 玉座の間はユーグリッドがタイイケンの元で修行を初めたことをきっかけに、どんどん臣下たちが集まり直るようになっていた。
 修行を初めたての頃は顔を傷だらけにした王に皆驚いていた。だがタイイケンとの訓練でどんどん成果を上げていることを知った臣下たちは、ユーグリッドに対する評価を鰻登りに上げていた。今王は自ら強くなろうとしている。そのひたむきな武人としての姿勢は、いずれ覇王との決戦が行われることを諸侯たちに期待させたのである。
 王はまだ覇王と戦うことを諸侯たちに明言していない。だがその心の奥に宿る王の決意は、臣下たちの戦意と士気を大いに盛り上げていた。
そしてついに今となっては、玉座の間は再び臣下たちで溢れかえるようになり、会議にはアルポート王国の全諸侯が出席していたのだった。
「ああ、だが山賊討伐に行った部下たちは帰ってこなかった。不審に思い偵察を派遣すると俺の50人の部下は全員殺されていた。その中央ではこの山賊の男がおり、部下たちの服を剥いで人食いをしていたのだ。そして俺は俺自身が出陣することを決め、この男を捕らえたのだ」
〝人食い〟という言葉に、屋敷に訪れていたテンテイイが青ざめる。その光景を思い浮かべるだけで、朝に食べてきたものを全て吐き出しそうになる。
「この男は口が固く自分の素性を明かさない。いくら殴り飛ばしても自分の顔をにやけつかせるだけだった。だが俺にはわかる。そいつは元はどこかの武将だ。俺がそいつと刃を交えた時、明らかに並の動きではなかった。
 そいつは小さな斧の先端に短い槍を合わせた双戟《そうげき》という武器を両手で操り、果敢に俺の心臓と首を狙ってきた。俺も敵と50合以上刃を合わせたのは久しぶりだ」
 男の縄がタイイケンの部下たちによって解かれる。男は陽炎のようにゆらゆらと揺れて立つ。男の得物である双戟が檻の中に投げ込まれ、それを男はゆっくりと拾い上げる。
 テンテイイはその男の不気味な出で立ちにますます不安を募らせた。そしてこの戦いを止めるための口実を考え、この決闘の立会人にしゃべり始める。
「あの。あの男がそれほど強いのでしたら、いっそタイイケン殿の部下にしてしまったらどうですか? あなたはいつも剣闘士のような真似事をしてそうしているでしょう?」
「口を挟むなテンテイイ。こいつはユーグリッドに戦わせるために取っておいたのだ。そしてもう戦いは始まっている。黙って見ていろ」
「で、でも……」
 テンテイイは言い返そうとしたが、その時にはテンテイイの目は既に奪われていた。その鉄の檻の中の異様な雰囲気に気がついたのである。
 檻の中にいる王の双眸、そこには今戦いに生き残ろうとする武人としての渇望があった。王の瞳は純真であり、戦いの果ての勝利という命の証明を掴み取ろうとしている。
 そしてその檻の中にはもう一つ、王と同じ眼《まなこ》を持つ男が立っていた。その男は体を揺らし、王の生を絶ち切り、そしてその瞬間にある己の生存の実感という快楽をもぎ取ろうとしている。
 武器を構え合う両者は身分を捨て、体裁を捨て、感情を捨て、ただ生という人間の源の欲だけを求めて睨み合っていた。
 戦いを知らぬテンテイイでさえも、この決闘は犯すことのできない聖域で行われる儀式であることが理解できた。
(……陛下の目は真剣だ。ここで止めれば私は陛下の武人としての矜持を汚すことになる。もはや戦いを止めることはできないか)
 テンテイイはその殺伐とした聖域をただ見つめることしかできなくなる。
その不可侵の領域では、両者がわずかに足を擦らしながら移動している。
 その瞬間、男の体が飛んだ。ユーグリッドが真っ直ぐ構える両手剣の剣先を右戟で弾き、その間隙を縫い一気に詰め寄る。
 王は剣を引き寄せ双戟の交差を黄金の刃で受け止める。
わずかに火花を散らすその2つと1つの凶刃は、腕力のままに互いを押し返そうとする。
その鍔迫り合いに勝ったのはユーグリッドだった。剛剣の剣圧をまっすぐに押し込み男の体を吹き飛ばす。
 だが押された拍子に、男の靭《しな》やかな胴体は地面に向かって半円を描き、その奇妙に反った体をバネにして起き上がり、再び王に双戟を薙ぐ。
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 だがユーグリッドはそれを瞬時に予測して、剣から手を離して左腕を手前に引いて逃がす。そのまま体を右周りに半回転させ、男の凶刃を空振りさせる。
 すぐさま男は敵に振り返り左戟を薙ぎ払おうとする。
だがそれよりも早くユーグリッドは右手の両手剣の柄で男の顔を殴り飛ばす。
男はその反撃に数歩よろめいたが、すぐに双戟を構え直した。
「ククッ、くくくっ」
 男は突然笑い出す。鼻血を垂らし、冷たい汗を流し、双戟の刃を胸の前で交差させて防御する。
 男のその読みが当たり、男が笑った瞬間に放たれたユーグリッドの渾身の突きが、男の心臓を貫くことなく、双戟の厚い壁に弾かれる。
 両者はその一瞬の武具の威力のぶつかり合いに圧され、互いに数歩後ずさりした。両者はすぐに武器を構え直し、互いにまた足を擦らせ合い睨み合いとなった。
 だがしばらくすると、突然男は双戟の構えを解き両腕を下ろした。それ見た檻の外の観衆たちは一瞬どよめく。
「ユーグリッド坊っちゃん……」
 両手剣を前面に突き出しながら敵に詰め寄ろうとしていたユーグリッドに、突然男が不躾な声で呼びかける。
 だがユーグリッドはそれを無視して警戒しながら更に距離を詰める。男は今隙だらけであり、今突きを繰り出せば確実に息の根を止められる。
 だがその攻撃の寸での所で、男はしゃがみ込みそのまま胡座をかく。
わずかに男の油の髪を掠め、ユーグリッドの突きは空振りする。
ユーグリッドはそれを瞬時に認め、男の次の攻撃を予測して素早く剣を引きながら後ずさりした。
 だが男は座したまま動かない。双戟を自分の膝上に乗せて顔を伏せている。しばらくそのまま時間が立った。だが男はビクリとも動かない。
「……どうした?」
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「死ぬ? クククッ、どの道俺が死ぬことに変わりないだろ? 例えあんたを殺しても、俺はタイイケンに殺される。だんだん馬鹿らしくなってきちまった」
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「なあ、ユーグリッド坊っちゃん。俺と少し話をしないか? まあ、憐れな山賊風情の遺言ってところだ」
 右手に戟を持ち、回転を加えながら僅かに上に投げて掴む。その手遊びを繰り返しながら、にやけた顔をユーグリッドに向け続けている。ついさっきまで纏っていたはずの殺気が、まるで憑き物でも落ちたかのように消えていた。
「ユーグリッド! そいつの話を聞くな! さっさと決闘を再開しろ!!」
 鉄檻の外からタイイケンの怒鳴り声が響く。
だが男はゆっくりとそちらを見遣るとせせら笑った。
「決闘? くくくっ。そんなもんもう終わってるよ。俺はもう降参してるんだ」
 片戟をひらひらとさせながら男は投げやりに言う。
タイイケンは怒りで顔を真っ赤にしていた。
男はそれを気にも止めず、ユーグリッドに向き直る。
「なあ、これはあんたの〝最終試験〟とやらなんだろ? つまり俺をぶっ殺せばお師匠様に認めてもらえるってわけだ。そしてそのお師匠様は俺が本気でこの殺し合いに付き合うと思ってらっしゃる。だけど、今俺にはそのやる気がない。どの道ぶっ殺されるのにやる気なんか出るかよ」
 男はぶつくさとこの決闘の文句を垂れる。
今まで緊迫して殺気立った場の空気はすっかり冷めてしまっていた。
 タイイケンはその時、正直困ってしまっていた。師匠にも予想外の事態であり、その困惑の気持ちはユーグリッドにも伝わっている。今の戦う気のないこの男を殺したとしても、それは武人としての強さを証明したことにはならない。
「……なら、お主を放免してやる。もし俺を殺すことができたなら、タイイケンにお主を見逃すように取り計らおう。タイイケン! それでいいな?」
 ユーグリッドは男から視線を外さないようにしながらタイイケンに叫ぶ。
「……わかった。貴様が死んだらそこの男は国外追放するだけで許してやる。俺の武士の魂に誓って約束しよう」
「だそうだ。これで満足したか? さあ早く立って俺と戦え!」
 ユーグリッドは男の目の前に剣を突き出しながら指図する。
だが男は己の足をピクリとも動かさず、不気味に顔を伏せたまま笑っていたのだった。
「クククッ、仮にそれが本当だとしても、何の色気にもなってないぜ? 俺だって好き好んで人食いになったわけじゃねぇ。山賊の真似事はもう飽き飽きだ。俺がこの国から出たって何の食い扶持のアテもねえ」
 戦意のない男はもはや戟の手遊びすら飽きて膝に両方とも置いてしまっている。
「それよりも俺の話を聞いてくれよ、ユーグリッド坊っちゃん。俺もただの噛ませ犬のまま死んじまったらアルポートの地縛霊になっちまう。盗人にも五分の魂があるってことだ。あんただって幽霊が自分の根城に住み着かれちゃ困るだろ?」
 おどけた態度で男が王に要求する。
ユーグリッドは黙って男の顔を見下ろし続けている。
「……聞いてやる。俺もお主のような猛者を殺すのは初めてだ。名前ぐらいなら覚えておいてやる」
「くくっ、初めてじゃないだろ? あんたは海城王を殺しちまった前科がある。これで二匹目ってわけだ」
 ユーグリッドはピクリと眉を動かす。この下卑な男と父を同列に語られたことに腹を立てた。
だが男は構わず自分の身の上話を始めた。
「さっきのタイイケンの予想は当たっている。俺はある所の武人の主に将として仕えてたんだ。けど、その主と俺には少々因縁があってな。まあ、妹を殺されたとでも言っておこうか。で、そいつが憎くて俺は殺そうと考えた訳なんだよ。
 そいつはある日、戦争していた国と一時休戦になってて暇を持て余していた。それで夜森の中を一人で散歩してたんだよ。俺はそこを狙って奇襲したってわけだ。
 いやあ、あの晩は満月でそいつの間抜け面がよく見えてたぜ。こっちは心当たりがないほうがおかしいってのに、そいつは信じられないって顔しててよ。くくくっ、あの顔は傑作だったなぁ」
 男は突然ゲラゲラと笑い出した。決闘の神聖な場所に似つかわしくない思い出し笑いをしている。
観衆たちの耳に男の乾いた笑い声が不快にこびりついた。
「それで俺はそいつと打ち合いになったんだよ。奴の得物は槍で武家の名門の出身ときたもんだ。いやあ中々に苦労したぜ。この俺の顔の1つもそいつにやられたってわけだよ。
 だが最後には俺が奴の首を切り落とした。その瞬間を誰かに見られてないか冷や冷やしたもんだぜ。でもすごく快感だったよ。何しろ妹の仇を取れたんだからなぁ。ホントにめちゃくちゃ可愛い妹だったよ!」
 男が憎悪の籠もった声で再び笑う。その仇討ちの瞬間を何度も噛み締め、麻薬のように楽しんでいる。
 ユーグリッドとタイイケンは、その復讐を果たした男を何とも言えない表情で見つめていた。自分たちも少なからずこの男と同じ因縁を抱えていたのである。
「それでその後よ、そいつの首を夜が明ける前に敵の砦まで持っていったんだよ。期待したぜ、何しろ敵の猛将の首だ。それを土産に俺は寝返ろうと砦に向かって叫んだんだ。
 だけど奴ら、この俺を迎え入れないどころか弓矢まで射掛けてきやがった。矢が肩に命中して、せっかく取った首級も落としちまってよぉ。俺は泣く泣く逃げ出しちまうはめになったんだよ」
 男は自嘲してまた笑う。もはや自分の不遇を種にしなければ笑うことすらできなかった。
テンテイイはその山賊となり人食いとなった男に、両手を胸に当てながら憐れみを覚える。
男は笑いが止まらなかった。
「で、結局俺はその矢傷が原因で2ヶ月ほど病気になっちまったんだよ。苦労したぜぇ。周りに食べ物なんてなかったからよ。それでやっと病気が治っても俺にはもう帰る場所がない。俺は自分の国にも敵の国にも行く宛がなかった。
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「……お主の名前は何という? どこの者に仕えていた?」
「……ソウゴ・バルディッツ」
 男はふらふらと静かに立ち上がり、名乗りを上げる。そして双戟を自分の胸の前に構え直した。
「かつてはバウワー家の三男、デンガレンの副将を務めていた男だ」