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婚姻式

ー/ー



「全く陛下もお人が悪い。ウチの縁談が破綻した3日後に別の女との結婚が決まるとは。流石にこのリョーガイの目を持ってしても、陛下がここまで図太い神経を持っていたとは予想できませんでしたぞ」

「まあ、そう不貞腐れた顔をするな。俺とてリョーキとの縁談は本気だった。だが結局それも流れてしまったし、俺も一生独身というわけにもいかない」

「へえ、それで選んだのがソキンの輩の娘ですかい?」

 7月31日の夜、リョーガイの屋敷でユーグリッドはリョーガイに白ワインを注いでいた。主客が逆転したその珍妙な光景は、ユーグリッドがリョーガイの屋敷に赴くと主に伝えたことを契機としている。この白ワインもユーグリッドが持参したものだった。
だがそれでもなおリョーガイは露骨に不機嫌そうな顔をしている。

「それはようございましたねぇ。陛下はソキンの奴と手を組むことで王宮の臣下たちの信用を得て、その勢力を丸ごと抱き込もうと考えたわけですなぁ。おまけにその娘は絶世の美女とまで来たもんだ。ウチのリョーキと結婚するより遥かに利があるっていうわけだ」

「機嫌を直せリョーガイ。俺がソキンの一族と結婚したからと言って、お主の立場が悪くなるわけではない。お主にはこれまで通り働いてもらうために、俺もこうしてわざわざ婚姻式の前日にお主に会いに来たのだ」

「なるほど、お目をかけていただき光栄です陛下。王ってヤツは八方美人でないと務まらないというわけですかい」

 リョーガイはユーグリッドから白ワインの瓶を受け取り、今度は自分がユーグリッドに注ぐ。
ユーグリッドは盃に満杯に入れられた刺激の強い濁り液を、仕方なく我慢しながら飲む。

「……まあ陛下、先に言っておきますがね。私は陛下がソキンの奴と手を組んだからって、また反乱を起こそうなんて考えちゃいませんよ。娘にも全身血だらけになるほど釘を刺されておりますからね。
まあでも、ソキンが王族になったからって二番手の地位を諦めたわけでもありませんがね」

「そう言ってもらえると俺も助かる。ところで、リョーキのほうは元気か?」

 リョーガイが飲んでいた盃の手をピタリと止める。

「……ええ、元気ですよ。三日前の縁談の時は錯乱してしまいましたが、今では落ち着いております。

 陛下の結婚に対しても『ユーグリッド様とキョウナン様の幸せを願います』って事実をしっかり受け止めていました。でもまあその後、『私はユーグリッド陛下の側室になる気はありません!』とも言われてしまいましたがね」

「なるほど、それはリョーキらしい。そしてお主も抜け目なく王族の座を狙っていたわけか」

「ええまあそうでございます。しかしあの娘はまあ、ユーグリッド陛下でなくとも正妻以外の嫁入りは断固として認めないでしょうなぁ」

 ユーグリッドとリョーガイは笑う。そしてそのまま二人は談笑を繰り返し、テーブルに並べられた大量の海鮮料理をどんどんと口へ運んでいく。その料理が全て平らげられた頃には、すっかり夜が明けていた。

 それは8月の始まり、ちょうどアブラゼミが鳴き始める季節である。

「おっと、もうこんな時間か。そろそろ出ないと式に遅れてしまう」

「陛下、うっかり物を吐き出しちまわないでくださいよ。そんなことしちまった日にゃ、婚約式も王の威厳も打ち壊しになっちまう」

 リョーガイはソファーに寝転びながら軽口を叩く。

「ああ、それくらいはわかっている。ではまたな、リョーガイ」

「ええ、陛下。お幸せに……」

 そう言った途端リョーガイは鼾を掻いて寝てしまった。
ユーグリッドは応接室の外にいた召使いに声をかけ、リョーガイを寝室まで運ばせてやる。そのままユーグリッドは王城に戻った。

「陛下! どこに行っていたのですが!? 婚姻式前だと言うのに皆心配していたのですよ! 全く花嫁に恥をかかせないでくださいよ!」

 そう城門の前で怒ったのがテンテイイだった。小走りに近寄ってきてユーグリッドの臭いを嗅ぐ。

「ああっ、また酒をお召しになっていたのでございますね! 全く、体にまで臭いが染み込んでますよ! これでは王としても婿としても面目が立たない!」

「そう朝っぱらからガンガンと怒鳴るなテンテイイよ。頭に響くであろう? 酒のことなら心配ない。酔うほど飲んではないし、これから風呂に入って体もきれいにする」

「早くしてくださいね陛下。もうソキン殿とキョウナン様は玉座の間でお待ちになっております。王であるあなたがいなくては式が始められません」

「わかっておるわかっておる」

 ユーグリッドはテンテイイのお小言を手で制して歩き出す。
王城の城門は今日は開きっぱなしになっており、皆忙しそうに行き交いしていた。

 ユーグリッドは城内の臣下たちの拝礼を受けながら前へ進んでいく。浴場で体を洗い、王の部屋で身支度をさっと済ませ玉座の間に赴く。そこに到着して見遣ると、臣下たちのほとんどが既に正装して集まっていた。

「お待ちしておりました、ユーグリッド陛下」

 玉座に座ると、早速ソキンが右手を左の上腕に添えてお辞儀した。ソキンは今日は無骨な鎧姿ではなく、仲人となって正装している。その姿は老齢で物腰落ち着いた様と相まって、熟練した執事のように見える。
その老将の変貌っぷりにユーグリッドは内心潜み笑いをした。

「申し訳ありません。キョウナンは今色直しのために退席しております。いやはや、

『おキョウは今日一番綺麗な姿をユーグリッド様に見せとうございます』

 と私に言って、何度も手鏡を見直しておりましてな。化粧など何度やっても変わらないでしょうに」

 ソキンは照れたように笑いを浮かべる。その笑みはへつらいも企みもない純真なものであり、ソキンは隠すことなく今の幸せを喜んでいた。

「そう言うでないソキンよ。女には男にはわからぬ美意識というものがあるのだ。それは芸術の才能といっていい。おキョウは雅楽が得意であろう? それと同じだ」

「恐縮でございます、陛下。お恥ずかしながらキョウナンは実益のないことばかりに興味がありまして。手毬や綾取りなど、今でも幼子のようなことばかりして遊んでおるのです。アレは24になりますが、まるで大きな子供でございます」

「婚姻前に娘の悪口を言うものではないぞ、ソキンよ。それに良いではないか。芸は身を助けるとも言う。世の中金や武力だけで回ってるわけではないということだ」

「そう言っていただけると私めも幸いでございます。
それで陛下……」

 ソキンが声を潜めて問う。

「私めをユーグリッド陛下の重鎮として迎えてくださるという約束は本当でございましょうな?」

「やれやれ、お主は娘の婚姻の時まで自分の地位のことを考えておるのか?」

 ユーグリッドは呆れた声を出す。

「ああ、本当だ。これから王の義理の父となるお主を、アルポート王国の重鎮の将として迎え入れても誰も文句を言うまい。むしろ臣下たちの信望の厚いお主が再びアルポート王国の重鎮となるのだ。皆お主の昇格を歓迎するだろう」

「そう言っていただけると私めも真に有り難きにございます」

 ソキンは深々とお辞儀をし、安堵の表情を浮かべる。

「さて、もう堅苦しい政治の話はなしだ。今日はお主の娘が結婚するめでたい日なのだからな。おキョウのことはお主も愛しておるのだろう?」

「……はい、不肖の娘ですが私もキョウナンを愛しております」

 ソキンは穏やかに目を閉じて呟く。その顔には老いらくの人生に対する充実感があり、父親として娘を偲ぶ気持ちが溢れていた。やはりソキンも人の親であり我が子を愛している。政略結婚のためのただの道具として見ていたわけではなかったようだ。
ユーグリッドはその当たり前のような事実に安堵を覚えていた。

「花嫁様が参りましたぁっ!!」

 式場の準備を整え終え、玉座の間で待機していた王と諸侯たちに向かって宮仕えの声がかかった。

「では、陛下。私はキョウナンの元へ行って参ります」

 ソキンがユーグリッドに小声で告げると、小走りに玉座の間を退場する。
そして王の結婚式が執り行われた。

 玉座の間の片隅にいる雅楽隊の演奏が始まり、臣下たちが2つの列に分かれて整列する。皆跪き、拳を片方の手のひらに当てた拝礼の姿勢を取り花嫁を待つ。

 そして花嫁が姿を現した。
ユーグリッドは即座に目を奪われる。

(綺麗だなぁ……)

 ユーグリッドは幸せそうに恍惚した。

 玉座の絨毯を艶美な仕草で歩くキョウナンは、真っ白な和服姿に包まれていた。長く垂れた裾を優雅に引き、丹田の前に上品に両手を添えている。

 その整った(かお)には白く控えめな白粉が施されており、その蕾のような唇には血色のような紅がしっとりと塗られている。
その着物に隠れた細い足は一歩、一歩と密やかに夫となる王に向かって歩み寄ってくる。

 玉座に座るユーグリッドはただ、花嫁の可憐な晴れ姿を、時の流れを忘れたかのように眺めていた。

 そして花嫁が玉座の階段を登った時、婿は立ち上がり花嫁と対面する。やがて二人はそれを合図として、玉座の前にある、白い卓布が掛けられた祭壇の両隣へと移動した。

「これよりユーグリッド・レグラス王とプロテシオン家の長女キョウナン・プロテシオンの婚姻式を始める! アルポート王国の諸侯たちよ、起立せよ!」

 祭壇の後ろに立っていたテンテイイが号令をかける。
跪いていた臣下たちが一斉に立ち上がり、花嫁と王に対して再び礼拝する。
こうしてレグラス家とプロテシオン家による婚姻式が始まった。

 まずはアルポート王国の有力な諸侯たちによって祝辞が述べられる。アルポート王国の歴史を語り、ユーグリッド王の功績を称え、そしてアルポート王国の繁栄を願う。

 ソキンとテンテイイは丁寧な言葉遣いで祝福を述べた。
 だがリョーガイは式を欠席しており、タイイケンは祭壇の前に立つとただ一言、「……花嫁の幸せを願っている」と短く述べて立ち退いた。
タイイケンの素っ気ない祝辞に、式場には少しざわめきが起こる。

 タイイケンは帯剣こそしていないものの鎧姿のままであり、正装すらしていない。式場で拍手がなされた時も一人腕を組んで佇んでいるだけであり、頑として王の方を見なかった。
ユーグリッドはそのタイイケンの不遜な態度を見逃さなかった。

(タイイケン……どうやら俺のことをまだ認めていないようだな)

 ユーグリッドはポツリと考える。

(タイイケンはソキンやリョーガイと並ぶ有力諸侯だ。アルポート王国の東地区を治め、俺が保有するアルポート王城の兵力に比肩する1万の軍を持つ。俺がこの国を完全に支配するためには、奴を俺の味方につけることが必要不可欠だ。
だが――)

 ユーグリッドが考えを翻した時、タイイケンと視線が合った。

(タイイケンは海城王を殺した俺を恨んでいる。タイイケンは海城王を慕っており、その信任を得てアルポート王国の大将軍ともなった。今でもその職は解かれていない。

 そして奴はリョーガイが反乱の誘いをした時にも返事を迷わせていた。反乱の可能性は十分にあるということだ)

 タイイケンは今、じっとユーグリッドを睨み続けている。その目はやはり憎悪に満ちており、この晴れやかな婚姻の舞台においても異様な存在だった。
ユーグリッドはその不穏な視線を感じながら考え続ける。

(タイイケンの俺に対する憎しみは消えない。そんな不倶戴天(ふぐたいてん)の敵である俺が、果たしてタイイケンを屈服させることができるのだろうか? 奴を調略し俺の配下にする手立て、本当にそれはあるのだろうか? タイイケンを服従させることができるような奴の弱点、それは……)

「どうなされたのですか、ユーグリッド様?」

 ユーグリッドが勘案に沈む中、キョウナンの涼やかな声が聞こえた。
諸侯たちの祝辞はまだ続けられており、けれど式はそろそろ終わりに差し掛かろうとしていた。

「とても顔色が悪うございます。ユーグリッド様はおキョウと結婚するのが嫌になったのでございますか?」

「いや、そんなことはない。済まないおキョウ。少し考え事をしていただけだ」

 ユーグリッドはそっと首を横に振る。

「そうでございますか。おキョウはユーグリッド様にこの式を無事に終えていただきとうございます。どうかご無理はなさらないでください」

「ああ、わかっている。俺もこの式を華やかなものにしたい」

 ユーグリッドはタイイケンについて考えるのを止めた。

「ではこれより、婚姻式の最後の行事、誓いの口づけを行う。王と花嫁は式壇の前へ」

「「はい!」」

 テンテイイの呼びかけに二人は声を揃えて返事をする。二人は祭壇の前で、互いの呼吸が聞こえるほどの距離に近づき合う。
テンテイイが宣誓の言葉を読み上げる。

「アルポート王国の国王ユーグリッド・レグラスよ、そなたはこのプロテシオン家の長女キョウナン・プロテシオンをいついかなる時も、アルポート王国の歴代王の名にかけて、永久(とこしえ)に愛することを誓いますか?」

「はい、俺はキョウナン・プロテシオンを永久に愛することを誓います」

 ユーグリッドは畏まった言葉で宣誓する。
テンテイイはキョウナンに視線を移す。

「キョウナン・プロテシオンよ、そなたはアルポート王国の国王ユーグリッド・レグラスをいついかなる時も、アルポート王国の歴代王の名にかけて、永久(とこしえ)に愛することを誓いますか?」

「はい、私はユーグリッド・レグラス様を永久に愛することを誓います」

 キョウナンは静やかで凛とした声で宣誓する。
その2つの誓いの言葉を聞き届けた後、テンテイイは高らな声で宣言した。

「ここに両者の愛の誓いが確認され、新たな一組の夫婦が誕生した。これによりキョウナン・プロテシオンはユーグリッド・レグラス王の正妻となり、キョウナン・レグラスとして新たなる姓名を受け継ぐこととなった。

 そしてプロテシオン家はアルポート王国の王家の一族、レグラス家とその血縁を連ねることとなった。その血族の盟約の証として、両者誓いの口づけを」

「「はい!」」

 ユーグリッドはキョウナンの細い肩を抱く。互いの濡れそぼった瞳が揺れ、熱く視線が交わされる。
キョウナンはユーグリッドを見上げ、そのたおやかに目尻が下がった瞼を閉じ、紅い口紅が塗られた唇を(すぼ)める。
ユーグリッドはそのキョウナンが静かに待ち焦がれる瞬間を捉え、その小さな唇に己の唇を近づけようと――

 ――その時だった。

 玉座の間に駿馬(しゅんめ)の如く駆ける者がいた。その気配は影のように消えており、足音すら聞こえない。

 玉座の間にいる諸侯たちは皆王と花嫁に目を奪われており、その者の存在に誰も気づかなかった。

 突然王と花嫁の前に黒装束の男が現れる。
諸侯たちはその怪しい男の出現に驚き体を硬直させる。
その男は王の前に跪いた。

「ユーグリッド様! 大変でございます! この国を揺るがす緊急事態にござります!」

「何用だユウゾウッ!! 無礼ではないか! このような大事な祝祭の日に、下郎であるお主が玉座に踏み入るとは何事か!!」

 ユーグリッドはユウゾウの出現に激怒する。
だが刺客だと身構えていた諸侯たちは、その者が王の部下であることを知りひとまず安堵する。だがその安堵は一瞬で崩れることとなる。

「申し訳ございませんユーグリッド様! ですが、これは一刻を争うほどの一大事なのでございます!」

「何だ、早く申してみよ!」

 ユーグリッドは跪く家臣に憤慨する。
怒れる王にユウゾウは素早く答えた。

「覇王の国より使者がやって参りました!!」



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「まあ、そう不貞腐れた顔をするな。俺とてリョーキとの縁談は本気だった。だが結局それも流れてしまったし、俺も一生独身というわけにもいかない」
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 7月31日の夜、リョーガイの屋敷でユーグリッドはリョーガイに白ワインを注いでいた。主客が逆転したその珍妙な光景は、ユーグリッドがリョーガイの屋敷に赴くと主に伝えたことを契機としている。この白ワインもユーグリッドが持参したものだった。
だがそれでもなおリョーガイは露骨に不機嫌そうな顔をしている。
「それはようございましたねぇ。陛下はソキンの奴と手を組むことで王宮の臣下たちの信用を得て、その勢力を丸ごと抱き込もうと考えたわけですなぁ。おまけにその娘は絶世の美女とまで来たもんだ。ウチのリョーキと結婚するより遥かに利があるっていうわけだ」
「機嫌を直せリョーガイ。俺がソキンの一族と結婚したからと言って、お主の立場が悪くなるわけではない。お主にはこれまで通り働いてもらうために、俺もこうしてわざわざ婚姻式の前日にお主に会いに来たのだ」
「なるほど、お目をかけていただき光栄です陛下。王ってヤツは八方美人でないと務まらないというわけですかい」
 リョーガイはユーグリッドから白ワインの瓶を受け取り、今度は自分がユーグリッドに注ぐ。
ユーグリッドは盃に満杯に入れられた刺激の強い濁り液を、仕方なく我慢しながら飲む。
「……まあ陛下、先に言っておきますがね。私は陛下がソキンの奴と手を組んだからって、また反乱を起こそうなんて考えちゃいませんよ。娘にも全身血だらけになるほど釘を刺されておりますからね。
まあでも、ソキンが王族になったからって二番手の地位を諦めたわけでもありませんがね」
「そう言ってもらえると俺も助かる。ところで、リョーキのほうは元気か?」
 リョーガイが飲んでいた盃の手をピタリと止める。
「……ええ、元気ですよ。三日前の縁談の時は錯乱してしまいましたが、今では落ち着いております。
 陛下の結婚に対しても『ユーグリッド様とキョウナン様の幸せを願います』って事実をしっかり受け止めていました。でもまあその後、『私はユーグリッド陛下の側室になる気はありません!』とも言われてしまいましたがね」
「なるほど、それはリョーキらしい。そしてお主も抜け目なく王族の座を狙っていたわけか」
「ええまあそうでございます。しかしあの娘はまあ、ユーグリッド陛下でなくとも正妻以外の嫁入りは断固として認めないでしょうなぁ」
 ユーグリッドとリョーガイは笑う。そしてそのまま二人は談笑を繰り返し、テーブルに並べられた大量の海鮮料理をどんどんと口へ運んでいく。その料理が全て平らげられた頃には、すっかり夜が明けていた。
 それは8月の始まり、ちょうどアブラゼミが鳴き始める季節である。
「おっと、もうこんな時間か。そろそろ出ないと式に遅れてしまう」
「陛下、うっかり物を吐き出しちまわないでくださいよ。そんなことしちまった日にゃ、婚約式も王の威厳も打ち壊しになっちまう」
 リョーガイはソファーに寝転びながら軽口を叩く。
「ああ、それくらいはわかっている。ではまたな、リョーガイ」
「ええ、陛下。お幸せに……」
 そう言った途端リョーガイは鼾を掻いて寝てしまった。
ユーグリッドは応接室の外にいた召使いに声をかけ、リョーガイを寝室まで運ばせてやる。そのままユーグリッドは王城に戻った。
「陛下! どこに行っていたのですが!? 婚姻式前だと言うのに皆心配していたのですよ! 全く花嫁に恥をかかせないでくださいよ!」
 そう城門の前で怒ったのがテンテイイだった。小走りに近寄ってきてユーグリッドの臭いを嗅ぐ。
「ああっ、また酒をお召しになっていたのでございますね! 全く、体にまで臭いが染み込んでますよ! これでは王としても婿としても面目が立たない!」
「そう朝っぱらからガンガンと怒鳴るなテンテイイよ。頭に響くであろう? 酒のことなら心配ない。酔うほど飲んではないし、これから風呂に入って体もきれいにする」
「早くしてくださいね陛下。もうソキン殿とキョウナン様は玉座の間でお待ちになっております。王であるあなたがいなくては式が始められません」
「わかっておるわかっておる」
 ユーグリッドはテンテイイのお小言を手で制して歩き出す。
王城の城門は今日は開きっぱなしになっており、皆忙しそうに行き交いしていた。
 ユーグリッドは城内の臣下たちの拝礼を受けながら前へ進んでいく。浴場で体を洗い、王の部屋で身支度をさっと済ませ玉座の間に赴く。そこに到着して見遣ると、臣下たちのほとんどが既に正装して集まっていた。
「お待ちしておりました、ユーグリッド陛下」
 玉座に座ると、早速ソキンが右手を左の上腕に添えてお辞儀した。ソキンは今日は無骨な鎧姿ではなく、仲人となって正装している。その姿は老齢で物腰落ち着いた様と相まって、熟練した執事のように見える。
その老将の変貌っぷりにユーグリッドは内心潜み笑いをした。
「申し訳ありません。キョウナンは今色直しのために退席しております。いやはや、
『おキョウは今日一番綺麗な姿をユーグリッド様に見せとうございます』
 と私に言って、何度も手鏡を見直しておりましてな。化粧など何度やっても変わらないでしょうに」
 ソキンは照れたように笑いを浮かべる。その笑みはへつらいも企みもない純真なものであり、ソキンは隠すことなく今の幸せを喜んでいた。
「そう言うでないソキンよ。女には男にはわからぬ美意識というものがあるのだ。それは芸術の才能といっていい。おキョウは雅楽が得意であろう? それと同じだ」
「恐縮でございます、陛下。お恥ずかしながらキョウナンは実益のないことばかりに興味がありまして。手毬や綾取りなど、今でも幼子のようなことばかりして遊んでおるのです。アレは24になりますが、まるで大きな子供でございます」
「婚姻前に娘の悪口を言うものではないぞ、ソキンよ。それに良いではないか。芸は身を助けるとも言う。世の中金や武力だけで回ってるわけではないということだ」
「そう言っていただけると私めも幸いでございます。
それで陛下……」
 ソキンが声を潜めて問う。
「私めをユーグリッド陛下の重鎮として迎えてくださるという約束は本当でございましょうな?」
「やれやれ、お主は娘の婚姻の時まで自分の地位のことを考えておるのか?」
 ユーグリッドは呆れた声を出す。
「ああ、本当だ。これから王の義理の父となるお主を、アルポート王国の重鎮の将として迎え入れても誰も文句を言うまい。むしろ臣下たちの信望の厚いお主が再びアルポート王国の重鎮となるのだ。皆お主の昇格を歓迎するだろう」
「そう言っていただけると私めも真に有り難きにございます」
 ソキンは深々とお辞儀をし、安堵の表情を浮かべる。
「さて、もう堅苦しい政治の話はなしだ。今日はお主の娘が結婚するめでたい日なのだからな。おキョウのことはお主も愛しておるのだろう?」
「……はい、不肖の娘ですが私もキョウナンを愛しております」
 ソキンは穏やかに目を閉じて呟く。その顔には老いらくの人生に対する充実感があり、父親として娘を偲ぶ気持ちが溢れていた。やはりソキンも人の親であり我が子を愛している。政略結婚のためのただの道具として見ていたわけではなかったようだ。
ユーグリッドはその当たり前のような事実に安堵を覚えていた。
「花嫁様が参りましたぁっ!!」
 式場の準備を整え終え、玉座の間で待機していた王と諸侯たちに向かって宮仕えの声がかかった。
「では、陛下。私はキョウナンの元へ行って参ります」
 ソキンがユーグリッドに小声で告げると、小走りに玉座の間を退場する。
そして王の結婚式が執り行われた。
 玉座の間の片隅にいる雅楽隊の演奏が始まり、臣下たちが2つの列に分かれて整列する。皆跪き、拳を片方の手のひらに当てた拝礼の姿勢を取り花嫁を待つ。
 そして花嫁が姿を現した。
ユーグリッドは即座に目を奪われる。
(綺麗だなぁ……)
 ユーグリッドは幸せそうに恍惚した。
 玉座の絨毯を艶美な仕草で歩くキョウナンは、真っ白な和服姿に包まれていた。長く垂れた裾を優雅に引き、丹田の前に上品に両手を添えている。
 その整った貌《かお》には白く控えめな白粉が施されており、その蕾のような唇には血色のような紅がしっとりと塗られている。
その着物に隠れた細い足は一歩、一歩と密やかに夫となる王に向かって歩み寄ってくる。
 玉座に座るユーグリッドはただ、花嫁の可憐な晴れ姿を、時の流れを忘れたかのように眺めていた。
 そして花嫁が玉座の階段を登った時、婿は立ち上がり花嫁と対面する。やがて二人はそれを合図として、玉座の前にある、白い卓布が掛けられた祭壇の両隣へと移動した。
「これよりユーグリッド・レグラス王とプロテシオン家の長女キョウナン・プロテシオンの婚姻式を始める! アルポート王国の諸侯たちよ、起立せよ!」
 祭壇の後ろに立っていたテンテイイが号令をかける。
跪いていた臣下たちが一斉に立ち上がり、花嫁と王に対して再び礼拝する。
こうしてレグラス家とプロテシオン家による婚姻式が始まった。
 まずはアルポート王国の有力な諸侯たちによって祝辞が述べられる。アルポート王国の歴史を語り、ユーグリッド王の功績を称え、そしてアルポート王国の繁栄を願う。
 ソキンとテンテイイは丁寧な言葉遣いで祝福を述べた。
 だがリョーガイは式を欠席しており、タイイケンは祭壇の前に立つとただ一言、「……花嫁の幸せを願っている」と短く述べて立ち退いた。
タイイケンの素っ気ない祝辞に、式場には少しざわめきが起こる。
 タイイケンは帯剣こそしていないものの鎧姿のままであり、正装すらしていない。式場で拍手がなされた時も一人腕を組んで佇んでいるだけであり、頑として王の方を見なかった。
ユーグリッドはそのタイイケンの不遜な態度を見逃さなかった。
(タイイケン……どうやら俺のことをまだ認めていないようだな)
 ユーグリッドはポツリと考える。
(タイイケンはソキンやリョーガイと並ぶ有力諸侯だ。アルポート王国の東地区を治め、俺が保有するアルポート王城の兵力に比肩する1万の軍を持つ。俺がこの国を完全に支配するためには、奴を俺の味方につけることが必要不可欠だ。
だが――)
 ユーグリッドが考えを翻した時、タイイケンと視線が合った。
(タイイケンは海城王を殺した俺を恨んでいる。タイイケンは海城王を慕っており、その信任を得てアルポート王国の大将軍ともなった。今でもその職は解かれていない。
 そして奴はリョーガイが反乱の誘いをした時にも返事を迷わせていた。反乱の可能性は十分にあるということだ)
 タイイケンは今、じっとユーグリッドを睨み続けている。その目はやはり憎悪に満ちており、この晴れやかな婚姻の舞台においても異様な存在だった。
ユーグリッドはその不穏な視線を感じながら考え続ける。
(タイイケンの俺に対する憎しみは消えない。そんな不倶戴天《ふぐたいてん》の敵である俺が、果たしてタイイケンを屈服させることができるのだろうか? 奴を調略し俺の配下にする手立て、本当にそれはあるのだろうか? タイイケンを服従させることができるような奴の弱点、それは……)
「どうなされたのですか、ユーグリッド様?」
 ユーグリッドが勘案に沈む中、キョウナンの涼やかな声が聞こえた。
諸侯たちの祝辞はまだ続けられており、けれど式はそろそろ終わりに差し掛かろうとしていた。
「とても顔色が悪うございます。ユーグリッド様はおキョウと結婚するのが嫌になったのでございますか?」
「いや、そんなことはない。済まないおキョウ。少し考え事をしていただけだ」
 ユーグリッドはそっと首を横に振る。
「そうでございますか。おキョウはユーグリッド様にこの式を無事に終えていただきとうございます。どうかご無理はなさらないでください」
「ああ、わかっている。俺もこの式を華やかなものにしたい」
 ユーグリッドはタイイケンについて考えるのを止めた。
「ではこれより、婚姻式の最後の行事、誓いの口づけを行う。王と花嫁は式壇の前へ」
「「はい!」」
 テンテイイの呼びかけに二人は声を揃えて返事をする。二人は祭壇の前で、互いの呼吸が聞こえるほどの距離に近づき合う。
テンテイイが宣誓の言葉を読み上げる。
「アルポート王国の国王ユーグリッド・レグラスよ、そなたはこのプロテシオン家の長女キョウナン・プロテシオンをいついかなる時も、アルポート王国の歴代王の名にかけて、永久《とこしえ》に愛することを誓いますか?」
「はい、俺はキョウナン・プロテシオンを永久に愛することを誓います」
 ユーグリッドは畏まった言葉で宣誓する。
テンテイイはキョウナンに視線を移す。
「キョウナン・プロテシオンよ、そなたはアルポート王国の国王ユーグリッド・レグラスをいついかなる時も、アルポート王国の歴代王の名にかけて、永久《とこしえ》に愛することを誓いますか?」
「はい、私はユーグリッド・レグラス様を永久に愛することを誓います」
 キョウナンは静やかで凛とした声で宣誓する。
その2つの誓いの言葉を聞き届けた後、テンテイイは高らな声で宣言した。
「ここに両者の愛の誓いが確認され、新たな一組の夫婦が誕生した。これによりキョウナン・プロテシオンはユーグリッド・レグラス王の正妻となり、キョウナン・レグラスとして新たなる姓名を受け継ぐこととなった。
 そしてプロテシオン家はアルポート王国の王家の一族、レグラス家とその血縁を連ねることとなった。その血族の盟約の証として、両者誓いの口づけを」
「「はい!」」
 ユーグリッドはキョウナンの細い肩を抱く。互いの濡れそぼった瞳が揺れ、熱く視線が交わされる。
キョウナンはユーグリッドを見上げ、そのたおやかに目尻が下がった瞼を閉じ、紅い口紅が塗られた唇を窄《すぼ》める。
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 ――その時だった。
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 玉座の間にいる諸侯たちは皆王と花嫁に目を奪われており、その者の存在に誰も気づかなかった。
 突然王と花嫁の前に黒装束の男が現れる。
諸侯たちはその怪しい男の出現に驚き体を硬直させる。
その男は王の前に跪いた。
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 ユーグリッドはユウゾウの出現に激怒する。
だが刺客だと身構えていた諸侯たちは、その者が王の部下であることを知りひとまず安堵する。だがその安堵は一瞬で崩れることとなる。
「申し訳ございませんユーグリッド様! ですが、これは一刻を争うほどの一大事なのでございます!」
「何だ、早く申してみよ!」
 ユーグリッドは跪く家臣に憤慨する。
怒れる王にユウゾウは素早く答えた。
「覇王の国より使者がやって参りました!!」