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キョウナンの籠絡

ー/ー



 ソキンに政略結婚を持ち掛けられたその日の深夜頃、ソキンの屋敷の畳の部屋でユーグリッドは計算していた。このままソキンの娘との婚姻を受け入れていいものかと考えている。

(ソキンの娘と結婚すればリョーガイは快く思わないだろう。何せ自分の娘と破局した直後に、恨みのあるソキンと政略結婚を結んでいるのだからな。確実にリョーガイと俺の間には軋轢が生まれるだろう。もしかしたら奴にまた謀反の意志が生まれるかもしれない。
だが――)

 ユーグリッドは考えを翻し、今までの実情を振り返る。

(俺がリョーガイを依怙贔屓(えこひいき)していたのも事実だ。その結果臣下たちの信頼を失い、妙な噂まで立てられている。

 つまり現状俺はリョーガイ以外の味方がいないということだ。確かにリョーガイには金や兵力があるが、人望は全くない。その信頼のない男と手を組み続けるということは、永遠に他の臣下たちを味方につけられないということだ。

 俺はアルポート王国を治める王として、この国の全てを支配できるようにならなければならない)

 ユーグリッドは王として成すべきことを再認識し、更に思考を深める。

(そしてその国家統一のためには、俺自身の力だけでは達成できず、リョーガイと力を合わせても不十分だ。アルポート王国の諸侯たち全員の信任を得る必要がある。

 そうでなければ、永遠に諸侯たちの反乱を恐れてびくびくするだけだ。自分の保身ばかりを考えてしまい、国の統治どころではなくなってしまう)

 ユーグリッドは臣下たちの人望を集める必要性を改めて理解し、そこで海城王のことを思い出す。

(海城王は立派な男だった。臣下たちからの信頼も厚く、海城王自身も皇帝に忠誠を尽くそうとした類まれなる名君だ。その誠実な人柄と人望のおかげで、海城王は最期の時までこの国を治め続けることができたのだ。

 やはり金や兵といった力だけで、この国を支配するには限界がある。臣下たちの信望を得ること、それがアルポート王国の治世を果たす上では必要なことだ。心から主君に味方する家臣、俺には今それが圧倒的に不足している)

 ユーグリッドは海城王のような政治に倣うべきだと判断し、それから改めてソキンとの政略結婚について思案する。

(ソキンの娘と結婚する。つまりそれはソキンと盟友関係になるということだ。ソキンはかつては海城王の重鎮であり、他の臣下たちからの人望もある。

 奴と手を結べば、そのまま奴を信頼する諸侯たちの勢力も吸収できるということだ。尊敬している人物の親族に、反乱を起こすというわけにはいかないからな。ソキン自身とソキン派の諸侯の勢力を抱き込めれば、おいそれとリョーガイも再び反乱を企てることはできないだろう)

 ソキンと同盟を組むことが己の利益になると結論し、ユーグリッドは今までの考えをまとめる。

(ならば、この縁談も決して悪い話ではない。ソキンの勢力を支配下に置き、リョーガイとの同盟関係も継続させる。臣下たちからの信望も財政の健全性も手に入れられる一石二鳥の政略だ。やはり是非ともこの婚約は成立させねばな。
だが問題は……)

 そこでユーグリッドは深く考え込み出し、今日の昼の出来事を思い返す。

(この縁談が本当に上手くいくかどうかだ……)

 そしてユーグリッドは自信を失い、悩みに陥った。


 リョーガイの娘、リョーキとの縁談は破談した。リョーキはユーグリッドとの結婚を自らの死さえ厭わないほどに拒絶したのである。

 父親殺し、信頼できない。そのリョーキによる王の咎を暴く言葉の数々がユーグリッドの胸に深く突き刺さっていた。その心の傷は自分の半身がいきなり千切られたかのような鈍い痛みを帯び続けている。

(……ソキンの娘は俺を受け入れてくれるだろうか? 自分の保身のために父上を殺したこの俺を……。

 俺は政略のために力づくで妻を娶りたくはない。婚約を結ぶ以上、夫婦の仲は円満であってほしい。俺は一人の男として、誰かを全力で愛したいっ……)

 ユーグリッドは若い青年の望みと不安を抱きながら、その場を待つ。夜の(とばり)はどんどんと深くなり、部屋の隅に置かれた行灯(あんどん)の光だけが頼りであった。ユーグリッドは朧げな目で薄明かりの灯火を眺め続けている。

 そうしていると、徐(おもむろ)に入り口の(ふすま)が開いた。
そしてユーグリッドは目を奪われた。


 そこに立っていたのは絶世の美女であった。腰まで伸びた黒髪を肩の辺りで結い、その艷やかな髪束が流れる川のように垂れ下がっている。瞼には色濃く紫色の影化粧が施されており、その目尻はたおやかに下がっている。小さな鼻はなだらかに高く、その真下の唇も蕾のように慎ましい。肌は透き通るほどに白く、頬には薄紅色の血色が宿っている。やがてその真黒な瞳は儚げに俯き、じっとりとユーグリッドの面差しを見つめてくる。

(綺麗だなぁ……)

 ユーグリッドはこの世ならざる美貌を前にして、恍惚とした表情を浮かべた。
女は静やかにユーグリッドの正面まで歩を進める。畳の上に腰を下ろし、ユーグリッドが座る敷物の前に自らの敷物を手繰り寄せる。そしてその座布団の上に、淑やかな動作で正座をした。

「お初お目にかかります、ユーグリッド様」

 女は畳に両手をつき、深く頭を下げる。その声音色(こわねいろ)は鈴の音のように澄んでおり、凛とした明瞭な声が薄闇に響いた。細い指の先が膝に触れるほど、女はユーグリッドの傍に近寄っていた。
その女の艶めかしい香りに鼻孔をくすぐられながら、王は繊細な体温を感じていた。

「……面をあげよ。お主の名前は何と申す?」

 ユーグリッドは鼓動の早鐘を押さえ、平静を装いながら女に問いかける。

「私はおキョウ……キョウナン・プロテシオンと申します」

 そして女は――キョウナンは顔を上げ、静やか声で名乗ったのである。その声はしっとりとして艶があり、ユーグリッドの心の芯にまで澄み渡った。

「そうか、俺はアルポート王国の国王、ユーグリッド・レグラスである。今日はお主の父より縁談を持ちかけられ、お主とこうして会っているのだ」

「はい、先程父からそのように伺いました」

 顔を少し俯けた姿勢で座るキョウナンは、そっと着物の袖を口に添える。その仕草は淑やかで艶美であり、女の周りだけ時間がゆるやかになっているのかと錯覚してしまう。
ユーグリッドはその女の色気に緊張しながら話を続ける。

「こんな夜更けの時間に見合いとなってしまって悪かったな。お主の父がどうしても今日中に会ってほしいと申しつけおったのだ。お主もさぞかし驚いただろう」

「はい、とても戸惑っております。おキョウは先程まで寝ておりました」

 キョウナンは目を伏せそっと呟く。袖口の手が少し震えている。その妖艶な面差しは涼やかなままであったが、緊張の色が垣間見える。

「キョウナン、と申したな? そう事を構える必要はない。俺とて縁談の場では和やかに話がしたいのだ。腹を割って本音で話そう」

「あの、ユーグリッド様」

 キョウナンはユーグリッドの話を遮る。キョウナンはユーグリッドに一瞬だけ目を注ぎ、そして横に逸してしまう。瞳が爛々と揺れており、少ない仕草で首を前に傾ける。その赤い蕾のような唇が開かれた。

「おキョウは父よりユーグリッド様を籠絡(ろうらく)せよとの下知(げち)を受けております。ですがおキョウは殿方を誘惑した経験は一度もありません」

 キョウナンは眉根を(ひそ)め、ユーグリッドに白状する。
縁談の場には妙な沈黙が走る。
そしてユーグリッドは思わず吹き出してしまった。

「キョウナン、籠絡をする相手に籠絡すると宣言してどうする? そんなことをしては相手が警戒して手懐けることなどできなくなるぞ?」

「申し訳ありません、ユーグリッド様。おキョウは何分見合いの場は初めてでございます。作法というものがわかっておりません」

「別にお主が謝る必要はないだろう? 俺は腹を割って話そうと言ったのだ。お主は何も間違ったことをしていない」

「はい、ありがとうございます。ユーグリッド様」

 キョウナンの素直なお礼の言葉に、ユーグリッドの緊張が(ほぐ)れる。
その妖艶で近寄りがたさすら感じる容姿とは裏腹に、キョウナンの心根は正直なようであった。

「では、そうだな。まずは少しお主に質問するとしよう。お主は先程縁談は初めてだと申しておったが、それは真か? お主ほど綺麗な者であれば、嫁の貰い手などいくらでもいよう」

「綺麗などと……おキョウは恥ずかしゅうございます」

 キョウナンの薄紅色の頬が赤く染まる。厚い着物の両袖で口元を覆い隠し、困ったような顔をする。花が咲いたばかり蕾が、また蕾に戻ったかのような奥ゆかしさがあった。

「いや、謙遜する必要はない。お主の美貌はアルポート王国で一番のものだ。もっと自分に自信を持て、キョウナンよ」

「……はい、ユーグリッド様」

 キョウナンはさらに面差しが赤くなって顔を伏せてしまう。どうやら大人しい性格の持ち主のようだ。

「して、お主はどうして今まで結婚していなかったのだ? お主は心根も綺麗な女性のようだ。もしやお主はまだ年端もいかぬ少女なのか?」

「いえ、おキョウは今年で24になります」

「24?」

 ユーグリッドは少し驚く。良家の娘ならば、遅くても22までには誰かに嫁ぐものだ。それがどうして、24になっても放っておかれているのだろう。

「年上の女はお嫌いでしょうか? ユーグリッド様は確か、齢(よわい)は20歳だとお聞きしております」

「いや、別にそんなことはない。健康で子供を生んでくれる女性(ひと)であれば俺は十分だ。俺は子供はたくさん欲しい」

「……ユーグリッド様、おキョウは子供を生んだことがございません」

 キョウナンは椿が咲いたかのように顔の全面を真っ赤にする。着物の両袖を目元まで上げて顔を覆う。
そんな小動物のように控えめなキョウナンの様子にユーグリッドは笑う。

「キョウナン、お主であれば大丈夫だろう。お主ほど心根の素直な女だ、きっと天もお主に子供を授けてくれるであろう」

「はい、ユーグリッド様。おキョウは頑張ってユーグリッド様の子供をたくさん生みます」

 キョウナンは縁談が既に成立したかのような台詞をこぼす。
だが、そのいじらしいキョウナンの態度とは裏腹に、ユーグリッドの不安の念は大きく募っていた。

「……キョウナン」

「はい、ユーグリッド様」

 キョウナンは顔を覆っていた両袖を膝の上に乗せ、あどけない様子で返事をする。

「お主と婚約を結ぶ前に、俺はどうしてもお主に聞いておきたいことがある」

「はい、何でございましょう?」

 キョウナンは横向きに首を(かし)げる仕草をする。既に緊張が(ほぐ)れたのか、柔和な微笑みさえ浮かべている。

 そんな無垢なキョウナンの態度に、ユーグリッドはますます恐れを抱いた。ユーグリッドはためらい、口をわずかに開いたまま静止する。だがついには意を決して言葉を紡いだ。

「……お主は、俺が父親を殺したことについてどう思っている?」



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 ソキンに政略結婚を持ち掛けられたその日の深夜頃、ソキンの屋敷の畳の部屋でユーグリッドは計算していた。このままソキンの娘との婚姻を受け入れていいものかと考えている。
(ソキンの娘と結婚すればリョーガイは快く思わないだろう。何せ自分の娘と破局した直後に、恨みのあるソキンと政略結婚を結んでいるのだからな。確実にリョーガイと俺の間には軋轢が生まれるだろう。もしかしたら奴にまた謀反の意志が生まれるかもしれない。
だが――)
 ユーグリッドは考えを翻し、今までの実情を振り返る。
(俺がリョーガイを依怙贔屓《えこひいき》していたのも事実だ。その結果臣下たちの信頼を失い、妙な噂まで立てられている。
 つまり現状俺はリョーガイ以外の味方がいないということだ。確かにリョーガイには金や兵力があるが、人望は全くない。その信頼のない男と手を組み続けるということは、永遠に他の臣下たちを味方につけられないということだ。
 俺はアルポート王国を治める王として、この国の全てを支配できるようにならなければならない)
 ユーグリッドは王として成すべきことを再認識し、更に思考を深める。
(そしてその国家統一のためには、俺自身の力だけでは達成できず、リョーガイと力を合わせても不十分だ。アルポート王国の諸侯たち全員の信任を得る必要がある。
 そうでなければ、永遠に諸侯たちの反乱を恐れてびくびくするだけだ。自分の保身ばかりを考えてしまい、国の統治どころではなくなってしまう)
 ユーグリッドは臣下たちの人望を集める必要性を改めて理解し、そこで海城王のことを思い出す。
(海城王は立派な男だった。臣下たちからの信頼も厚く、海城王自身も皇帝に忠誠を尽くそうとした類まれなる名君だ。その誠実な人柄と人望のおかげで、海城王は最期の時までこの国を治め続けることができたのだ。
 やはり金や兵といった力だけで、この国を支配するには限界がある。臣下たちの信望を得ること、それがアルポート王国の治世を果たす上では必要なことだ。心から主君に味方する家臣、俺には今それが圧倒的に不足している)
 ユーグリッドは海城王のような政治に倣うべきだと判断し、それから改めてソキンとの政略結婚について思案する。
(ソキンの娘と結婚する。つまりそれはソキンと盟友関係になるということだ。ソキンはかつては海城王の重鎮であり、他の臣下たちからの人望もある。
 奴と手を結べば、そのまま奴を信頼する諸侯たちの勢力も吸収できるということだ。尊敬している人物の親族に、反乱を起こすというわけにはいかないからな。ソキン自身とソキン派の諸侯の勢力を抱き込めれば、おいそれとリョーガイも再び反乱を企てることはできないだろう)
 ソキンと同盟を組むことが己の利益になると結論し、ユーグリッドは今までの考えをまとめる。
(ならば、この縁談も決して悪い話ではない。ソキンの勢力を支配下に置き、リョーガイとの同盟関係も継続させる。臣下たちからの信望も財政の健全性も手に入れられる一石二鳥の政略だ。やはり是非ともこの婚約は成立させねばな。
だが問題は……)
 そこでユーグリッドは深く考え込み出し、今日の昼の出来事を思い返す。
(この縁談が本当に上手くいくかどうかだ……)
 そしてユーグリッドは自信を失い、悩みに陥った。
 リョーガイの娘、リョーキとの縁談は破談した。リョーキはユーグリッドとの結婚を自らの死さえ厭わないほどに拒絶したのである。
 父親殺し、信頼できない。そのリョーキによる王の咎を暴く言葉の数々がユーグリッドの胸に深く突き刺さっていた。その心の傷は自分の半身がいきなり千切られたかのような鈍い痛みを帯び続けている。
(……ソキンの娘は俺を受け入れてくれるだろうか? 自分の保身のために父上を殺したこの俺を……。
 俺は政略のために力づくで妻を娶りたくはない。婚約を結ぶ以上、夫婦の仲は円満であってほしい。俺は一人の男として、誰かを全力で愛したいっ……)
 ユーグリッドは若い青年の望みと不安を抱きながら、その場を待つ。夜の帳《とばり》はどんどんと深くなり、部屋の隅に置かれた行灯《あんどん》の光だけが頼りであった。ユーグリッドは朧げな目で薄明かりの灯火を眺め続けている。
 そうしていると、徐《おもむろ》に入り口の襖《ふすま》が開いた。
そしてユーグリッドは目を奪われた。
 そこに立っていたのは絶世の美女であった。腰まで伸びた黒髪を肩の辺りで結い、その艷やかな髪束が流れる川のように垂れ下がっている。瞼には色濃く紫色の影化粧が施されており、その目尻はたおやかに下がっている。小さな鼻はなだらかに高く、その真下の唇も蕾のように慎ましい。肌は透き通るほどに白く、頬には薄紅色の血色が宿っている。やがてその真黒な瞳は儚げに俯き、じっとりとユーグリッドの面差しを見つめてくる。
(綺麗だなぁ……)
 ユーグリッドはこの世ならざる美貌を前にして、恍惚とした表情を浮かべた。
女は静やかにユーグリッドの正面まで歩を進める。畳の上に腰を下ろし、ユーグリッドが座る敷物の前に自らの敷物を手繰り寄せる。そしてその座布団の上に、淑やかな動作で正座をした。
「お初お目にかかります、ユーグリッド様」
 女は畳に両手をつき、深く頭を下げる。その声音色《こわねいろ》は鈴の音のように澄んでおり、凛とした明瞭な声が薄闇に響いた。細い指の先が膝に触れるほど、女はユーグリッドの傍に近寄っていた。
その女の艶めかしい香りに鼻孔をくすぐられながら、王は繊細な体温を感じていた。
「……面をあげよ。お主の名前は何と申す?」
 ユーグリッドは鼓動の早鐘を押さえ、平静を装いながら女に問いかける。
「私はおキョウ……キョウナン・プロテシオンと申します」
 そして女は――キョウナンは顔を上げ、静やか声で名乗ったのである。その声はしっとりとして艶があり、ユーグリッドの心の芯にまで澄み渡った。
「そうか、俺はアルポート王国の国王、ユーグリッド・レグラスである。今日はお主の父より縁談を持ちかけられ、お主とこうして会っているのだ」
「はい、先程父からそのように伺いました」
 顔を少し俯けた姿勢で座るキョウナンは、そっと着物の袖を口に添える。その仕草は淑やかで艶美であり、女の周りだけ時間がゆるやかになっているのかと錯覚してしまう。
ユーグリッドはその女の色気に緊張しながら話を続ける。
「こんな夜更けの時間に見合いとなってしまって悪かったな。お主の父がどうしても今日中に会ってほしいと申しつけおったのだ。お主もさぞかし驚いただろう」
「はい、とても戸惑っております。おキョウは先程まで寝ておりました」
 キョウナンは目を伏せそっと呟く。袖口の手が少し震えている。その妖艶な面差しは涼やかなままであったが、緊張の色が垣間見える。
「キョウナン、と申したな? そう事を構える必要はない。俺とて縁談の場では和やかに話がしたいのだ。腹を割って本音で話そう」
「あの、ユーグリッド様」
 キョウナンはユーグリッドの話を遮る。キョウナンはユーグリッドに一瞬だけ目を注ぎ、そして横に逸してしまう。瞳が爛々と揺れており、少ない仕草で首を前に傾ける。その赤い蕾のような唇が開かれた。
「おキョウは父よりユーグリッド様を籠絡《ろうらく》せよとの下知《げち》を受けております。ですがおキョウは殿方を誘惑した経験は一度もありません」
 キョウナンは眉根を顰《ひそ》め、ユーグリッドに白状する。
縁談の場には妙な沈黙が走る。
そしてユーグリッドは思わず吹き出してしまった。
「キョウナン、籠絡をする相手に籠絡すると宣言してどうする? そんなことをしては相手が警戒して手懐けることなどできなくなるぞ?」
「申し訳ありません、ユーグリッド様。おキョウは何分見合いの場は初めてでございます。作法というものがわかっておりません」
「別にお主が謝る必要はないだろう? 俺は腹を割って話そうと言ったのだ。お主は何も間違ったことをしていない」
「はい、ありがとうございます。ユーグリッド様」
 キョウナンの素直なお礼の言葉に、ユーグリッドの緊張が解《ほぐ》れる。
その妖艶で近寄りがたさすら感じる容姿とは裏腹に、キョウナンの心根は正直なようであった。
「では、そうだな。まずは少しお主に質問するとしよう。お主は先程縁談は初めてだと申しておったが、それは真か? お主ほど綺麗な者であれば、嫁の貰い手などいくらでもいよう」
「綺麗などと……おキョウは恥ずかしゅうございます」
 キョウナンの薄紅色の頬が赤く染まる。厚い着物の両袖で口元を覆い隠し、困ったような顔をする。花が咲いたばかり蕾が、また蕾に戻ったかのような奥ゆかしさがあった。
「いや、謙遜する必要はない。お主の美貌はアルポート王国で一番のものだ。もっと自分に自信を持て、キョウナンよ」
「……はい、ユーグリッド様」
 キョウナンはさらに面差しが赤くなって顔を伏せてしまう。どうやら大人しい性格の持ち主のようだ。
「して、お主はどうして今まで結婚していなかったのだ? お主は心根も綺麗な女性のようだ。もしやお主はまだ年端もいかぬ少女なのか?」
「いえ、おキョウは今年で24になります」
「24?」
 ユーグリッドは少し驚く。良家の娘ならば、遅くても22までには誰かに嫁ぐものだ。それがどうして、24になっても放っておかれているのだろう。
「年上の女はお嫌いでしょうか? ユーグリッド様は確か、齢《よわい》は20歳だとお聞きしております」
「いや、別にそんなことはない。健康で子供を生んでくれる女性《ひと》であれば俺は十分だ。俺は子供はたくさん欲しい」
「……ユーグリッド様、おキョウは子供を生んだことがございません」
 キョウナンは椿が咲いたかのように顔の全面を真っ赤にする。着物の両袖を目元まで上げて顔を覆う。
そんな小動物のように控えめなキョウナンの様子にユーグリッドは笑う。
「キョウナン、お主であれば大丈夫だろう。お主ほど心根の素直な女だ、きっと天もお主に子供を授けてくれるであろう」
「はい、ユーグリッド様。おキョウは頑張ってユーグリッド様の子供をたくさん生みます」
 キョウナンは縁談が既に成立したかのような台詞をこぼす。
だが、そのいじらしいキョウナンの態度とは裏腹に、ユーグリッドの不安の念は大きく募っていた。
「……キョウナン」
「はい、ユーグリッド様」
 キョウナンは顔を覆っていた両袖を膝の上に乗せ、あどけない様子で返事をする。
「お主と婚約を結ぶ前に、俺はどうしてもお主に聞いておきたいことがある」
「はい、何でございましょう?」
 キョウナンは横向きに首を傾《かし》げる仕草をする。既に緊張が解《ほぐ》れたのか、柔和な微笑みさえ浮かべている。
 そんな無垢なキョウナンの態度に、ユーグリッドはますます恐れを抱いた。ユーグリッドはためらい、口をわずかに開いたまま静止する。だがついには意を決して言葉を紡いだ。
「……お主は、俺が父親を殺したことについてどう思っている?」