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【1】

ー/ー



「新人さんですか?」
「はい、今年の新入社員の野村(のむら)です。研修が終わって配属されたのでご挨拶を」
「野村 沙英(さえ)です。どうぞよろしくお願いいたします」
 指導係である本庄(ほんじょう) 広美(ひろみ)の紹介に続き、沙英は課室を訪れた取引先の社員に頭を下げた。

「MSエージェンシーの仁科(にしな) 宗史(そうじ)です。僕もこちらには去年の秋からお世話になり始めたばかりなんですよ。今後とも精一杯努めますのでよろしくお願いします」
 社内はともかく、沙英の配属先は課長も含め女性が多い。男性は二十代半ばと四十代、定年後再雇用の嘱託社員が一人ずつの三名のみだ。
 仁科はおそらく三十代だろうか、長身でスーツや髪形もすっきりと爽やかな男前。普段あまり見慣れない、颯爽としたビジネスマンの姿に目を奪われた。

「素敵な方ですねぇ」
 彼が帰った後、溜息交じりで告げた沙英を、広美が鼻で笑う。

「まあ、ね。ぱっと見は悪くないかも。でも野村さん、大事なのは中身だから。ああいう薄っぺらい男の見た目だけに騙されないように、気を付けた方がいいわよ」
「……はぁ」
 気丈な広美には、優しげな彼の良さはわからないのかもしれない。
 疑問に感じつつも、指導役の先輩に抗うつもりもなく曖昧に返した。


    ◇  ◇  ◇
「あれ? えっと野村さん?」
 退社時、エントランスを出たところで突然声を掛けられた。振り向くと、先日挨拶した──。

「あ、仁科さん、ですよね? まだお仕事ですか?」
「覚えててくださったんですね。いえ、もう終わって直帰なんですよ。……よかったら食事でもどうですか?」
 また会いたいと思っていた、憧れの彼に誘われたことに気分が舞い上がる。

「はい、ぜひ」
「じゃあ行きましょう。好き嫌いあります? 特別食べたいものとか」
「いえ、何でも結構です」
 こういう時は具体的に何か挙げた方がよかったのだろうか。答えた後で迷う沙英に、彼は笑って駅の方角を指した。

「じゃあ、大きな駅まで出ましょうか。おすすめの店があるんですよ、イタリアンの」
「はい! イタリアン大好きです」
 大通りから一本入った、あまり目立たない場所の小さな店。食事ももちろん美味しかったが、何よりも宗史と共有した時間を楽しんだ。
 その日は食事だけで、連絡先を交換して別れる。

 それが始まりで何度も会うようになり、特別な関係になるまでさほど時間は掛からなかった。

《沙英ちゃん、明日会える?》
 家に帰って一人暮らしの部屋で過ごしていた沙英は、専用メロディにスマートフォンを手に取った。
 彼のメッセージを確認して、了解の返事をする。

《おっけーでーす! 宗史さんのおうち行きましょうか? 私結構お料理得意なんですよ。》
《うーん、それは知ってるけど家はちょっと。独身男の部屋なんてもうメッチャクチャ。女の子呼べる状態じゃないんだよ。》
《だったら私、片づけますよ~。》
《いやいや、そんな便利使いする気ないから! できたらまた沙英ちゃんの部屋がいいな。》
《わかりました。ごはんどうします? 外でも、私が作るのでもいいですよ。》

 互いに正社員で、会える時間には限りがある。
 それでも、メッセージアプリのやり取りだけでも楽しかった。沙英にとっては、学生時代の恋とも呼べないような関係以来の「本当の」恋人。
 幸せだった。きっとこのまま付き合って、この人と結婚するのだろうと夢見ていた。結婚の話など、二人の間では欠片も出ていなかったのに。

 未熟な沙英の、ただの思い込みに過ぎなかった。



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「新人さんですか?」
「はい、今年の新入社員の|野村《のむら》です。研修が終わって配属されたのでご挨拶を」
「野村 |沙英《さえ》です。どうぞよろしくお願いいたします」
 指導係である|本庄《ほんじょう》 |広美《ひろみ》の紹介に続き、沙英は課室を訪れた取引先の社員に頭を下げた。
「MSエージェンシーの|仁科《にしな》 |宗史《そうじ》です。僕もこちらには去年の秋からお世話になり始めたばかりなんですよ。今後とも精一杯努めますのでよろしくお願いします」
 社内はともかく、沙英の配属先は課長も含め女性が多い。男性は二十代半ばと四十代、定年後再雇用の嘱託社員が一人ずつの三名のみだ。
 仁科はおそらく三十代だろうか、長身でスーツや髪形もすっきりと爽やかな男前。普段あまり見慣れない、颯爽としたビジネスマンの姿に目を奪われた。
「素敵な方ですねぇ」
 彼が帰った後、溜息交じりで告げた沙英を、広美が鼻で笑う。
「まあ、ね。ぱっと見は悪くないかも。でも野村さん、大事なのは中身だから。ああいう薄っぺらい男の見た目だけに騙されないように、気を付けた方がいいわよ」
「……はぁ」
 気丈な広美には、優しげな彼の良さはわからないのかもしれない。
 疑問に感じつつも、指導役の先輩に抗うつもりもなく曖昧に返した。
    ◇  ◇  ◇
「あれ? えっと野村さん?」
 退社時、エントランスを出たところで突然声を掛けられた。振り向くと、先日挨拶した──。
「あ、仁科さん、ですよね? まだお仕事ですか?」
「覚えててくださったんですね。いえ、もう終わって直帰なんですよ。……よかったら食事でもどうですか?」
 また会いたいと思っていた、憧れの彼に誘われたことに気分が舞い上がる。
「はい、ぜひ」
「じゃあ行きましょう。好き嫌いあります? 特別食べたいものとか」
「いえ、何でも結構です」
 こういう時は具体的に何か挙げた方がよかったのだろうか。答えた後で迷う沙英に、彼は笑って駅の方角を指した。
「じゃあ、大きな駅まで出ましょうか。おすすめの店があるんですよ、イタリアンの」
「はい! イタリアン大好きです」
 大通りから一本入った、あまり目立たない場所の小さな店。食事ももちろん美味しかったが、何よりも宗史と共有した時間を楽しんだ。
 その日は食事だけで、連絡先を交換して別れる。
 それが始まりで何度も会うようになり、特別な関係になるまでさほど時間は掛からなかった。
《沙英ちゃん、明日会える?》
 家に帰って一人暮らしの部屋で過ごしていた沙英は、専用メロディにスマートフォンを手に取った。
 彼のメッセージを確認して、了解の返事をする。
《おっけーでーす! 宗史さんのおうち行きましょうか? 私結構お料理得意なんですよ。》
《うーん、それは知ってるけど家はちょっと。独身男の部屋なんてもうメッチャクチャ。女の子呼べる状態じゃないんだよ。》
《だったら私、片づけますよ~。》
《いやいや、そんな便利使いする気ないから! できたらまた沙英ちゃんの部屋がいいな。》
《わかりました。ごはんどうします? 外でも、私が作るのでもいいですよ。》
 互いに正社員で、会える時間には限りがある。
 それでも、メッセージアプリのやり取りだけでも楽しかった。沙英にとっては、学生時代の恋とも呼べないような関係以来の「本当の」恋人。
 幸せだった。きっとこのまま付き合って、この人と結婚するのだろうと夢見ていた。結婚の話など、二人の間では欠片も出ていなかったのに。
 未熟な沙英の、ただの思い込みに過ぎなかった。