第三話 ライブハウス
ー/ー
これは、あるライブハウスで起きた話です。
そのライブハウスは、V系(ヴィジュアル系)バンドがよく利用する場所で、バンドマンやファンたちにとって馴染み深い空間でした。ですが、その場所には妙な噂がいくつもあるんです。
「女性がトイレで自殺したらしい」
「常連客が自宅マンションから飛び降りたとか」
「バンドマンと女性のトラブルで……」
そんな話を聞くことが多かったのですが、ライブハウスというのはそういう場所なのかもしれないと思っていました。音楽を愛する人々が集まる一方で、心に何かを抱えた人も多いからなのかもしれません。
V系のライブでは、お客さんが音楽に合わせて両手を振る「咲く」という文化があります。客席全体が一体となって手を振る様子は言葉の通り、大輪の花が咲いているようでとても美しいものです。ですが、そのライブハウスでは、いつも客席中央に“咲かない穴”ができるのです。
その場所だけ、ポツンと人がいないように見える。でも、実際には“誰か”がそこに立っているんです。ただ、手を振ることもなく、じっとその場に留まっているだけで――。
ステージからは客席全体を見ることができますが、顔まではよく見えません。暗い中で光る手やサイリウムの中、その“咲かない穴”だけが不自然に浮かび上がっていました。
その日も、あるバンドがライブをしていました。まだ売れていない彼らは、有名なバンドのカバー曲を演奏しながらステージを盛り上げていき、最後にオリジナル曲を披露しました。その曲は、生き別れた双子の恋を描いた切ない歌詞が特徴的で、中盤には「返して」という女性の声が流れる仕掛けになっています。
ところが、その声が突然、異常な大音量で響き渡りました。
「返して――――!」
耳をつんざくような音量でした。PA(音響)スタッフのミスかと思いましたが、そのライブハウスでは長年同じスタッフが担当しており、そんなミスをするとは思えません。客席からは悲鳴が上がり、多くの人がお互いに抱き合ったり、地面にうずくまったりしていました。
そして最前列のお客さんの一人が泣きながら叫びました。
「ドラムの後ろ! 誰か立ってたぁ! 口を信じられないくらい大きく開けて!」
その声は涙混じりで震えていて、本当に恐怖している様子でした。その瞬間、場内全体に冷たい空気が流れました。
ライブは途中で中止となりました。スタッフから中止要請が入り、その日の演奏は打ち切られました。終了後、スタッフからこんな話を聞いたそうです。
「あの子……久しぶりに見たよ」
「……あの子?」
「客席にいる時はおとなしいんだよ。でもドラム君、あんた好かれてるみたいだね」
好かれている?何の話だろうと思ったそうですが、続けてスタッフはこう言いました。
「あの子が動く時は惚れた証拠。ただ、“あの顔”だけは怖いよねぇ……顔を見せることなんて滅多にないけど、不安ならお祓いにでも行っときな」
その言葉を聞いてすぐ、“咲かない穴”に立っていた“誰か”――いや、“何か”――の存在感が脳裏によぎったそうです。
翌日からドラム担当の彼は夜眠れなくなりました。練習にも遅刻するようになり、次第に様子がおかしくなっていったそうです。彼曰く、「部屋の隅に女性が立っている」と言う。それも顔までは見えず、ただそこに“いる”だけなのだとか。
「あの日の客席を思い出すとさ……いつその顔を見ることになるかわからなくて……怖くて眠れないんだよ」
彼はそう言って震えていたそうです。その“顔”――口を信じられないほど大きく開けたという“顔”――実際に見た人は少ないようですが、その恐怖感だけは強烈だったのでしょう。
それ以来、そのライブハウスには足を運ばなくなったそうです。でも時折思い出すそうです。その“咲かない穴”には今も誰か立っているんじゃないか、と。そして、その“誰か”はまた新しい好きな人を見つける度に動き出すんじゃないか、と……。
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「女性がトイレで自殺したらしい」
「常連客が自宅マンションから飛び降りたとか」
「バンドマンと女性のトラブルで……」
そんな話を聞くことが多かったのですが、ライブハウスというのはそういう場所なのかもしれないと思っていました。音楽を愛する人々が集まる一方で、心に何かを抱えた人も多いからなのかもしれません。
V系のライブでは、お客さんが音楽に合わせて両手を振る「咲く」という文化があります。客席全体が一体となって手を振る様子は言葉の通り、大輪の花が咲いているようでとても美しいものです。ですが、そのライブハウスでは、いつも客席中央に“咲かない穴”ができるのです。
その場所だけ、ポツンと人がいないように見える。でも、実際には“誰か”がそこに立っているんです。ただ、手を振ることもなく、じっとその場に留まっているだけで――。
ステージからは客席全体を見ることができますが、顔まではよく見えません。暗い中で光る手やサイリウムの中、その“咲かない穴”だけが不自然に浮かび上がっていました。
その日も、あるバンドがライブをしていました。まだ売れていない彼らは、有名なバンドのカバー曲を演奏しながらステージを盛り上げていき、最後にオリジナル曲を披露しました。その曲は、生き別れた双子の恋を描いた切ない歌詞が特徴的で、中盤には「返して」という女性の声が流れる仕掛けになっています。
ところが、その声が突然、異常な大音量で響き渡りました。
「返して――――!」
耳をつんざくような音量でした。PA(音響)スタッフのミスかと思いましたが、そのライブハウスでは長年同じスタッフが担当しており、そんなミスをするとは思えません。客席からは悲鳴が上がり、多くの人がお互いに抱き合ったり、地面にうずくまったりしていました。
そして最前列のお客さんの一人が泣きながら叫びました。
「ドラムの後ろ! 誰か立ってたぁ! 口を信じられないくらい大きく開けて!」
その声は涙混じりで震えていて、本当に恐怖している様子でした。その瞬間、場内全体に冷たい空気が流れました。
ライブは途中で中止となりました。スタッフから中止要請が入り、その日の演奏は打ち切られました。終了後、スタッフからこんな話を聞いたそうです。
「あの子……久しぶりに見たよ」
「……あの子?」
「客席にいる時はおとなしいんだよ。でもドラム君、あんた好かれてるみたいだね」
好かれている?何の話だろうと思ったそうですが、続けてスタッフはこう言いました。
「あの子が動く時は惚れた証拠。ただ、“あの顔”だけは怖いよねぇ……顔を見せることなんて滅多にないけど、不安ならお祓いにでも行っときな」
その言葉を聞いてすぐ、“咲かない穴”に立っていた“誰か”――いや、“何か”――の存在感が脳裏によぎったそうです。
翌日からドラム担当の彼は夜眠れなくなりました。練習にも遅刻するようになり、次第に様子がおかしくなっていったそうです。彼曰く、「部屋の隅に女性が立っている」と言う。それも顔までは見えず、ただそこに“いる”だけなのだとか。
「あの日の客席を思い出すとさ……いつその顔を見ることになるかわからなくて……怖くて眠れないんだよ」
彼はそう言って震えていたそうです。その“顔”――口を信じられないほど大きく開けたという“顔”――実際に見た人は少ないようですが、その恐怖感だけは強烈だったのでしょう。
それ以来、そのライブハウスには足を運ばなくなったそうです。でも時折思い出すそうです。その“咲かない穴”には今も誰か立っているんじゃないか、と。そして、その“誰か”はまた新しい好きな人を見つける度に動き出すんじゃないか、と……。