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第二話 死神

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  暗い部屋の中、男は天井の梁を見上げていた。
 その男、名を桂木小三郎という。かつては落語界で将来を嘱望された若手だったが、女遊びとギャンブルに溺れ、借金を重ねた挙句、妻にも逃げられた。今では寄席にも呼ばれず誰からも見放された存在だ。
「もう……終わりだな……」
 
 小三郎は自嘲気味に呟きながら、梁に縄を結びつけた。その縄の輪っかを首にかけようと首を伸ばした時、背後から低い声が響いた。
 
「おいおい、何やってんだ?」
 
 小三郎は驚いて振り返ると、黒い着物を纏った男が立っていた。顔は痩せこけており、異様に光る瞳には底知れぬ冷たさが宿っている。
 
「誰だ……お前?」
「死神さ」

 その男の佇まいから冗談とは微塵も感じない言葉に小三郎は息を呑んだ。

「死ぬにはまだ早いよ、小三郎さん」
「俺の名前を……知ってるのか?」
「もちろんさ。俺はお前のすぐそばにずっといたんだからな」
 
 死神はクククと薄く笑う。
 
「お前に一つ提案がある。俺の教えを守れば、富も名声も手に入るぞ」
「教え……?」
「ああ、人間の寿命を見分ける方法と、それを操る術だ」
 
 死神は小三郎に、人間の寿命を見る方法を教えた。それによれば、人間が死期を迎える時、その者には必ず死神が取り憑くという。そして、死神が背中に張り付いているようであれば、まだ命を救える余地があるが、正面で向き合っている場合はもう手遅れだという。
 
「背中についている死神なら、呪文『異死回葬』と唱えれば追い払える。ただし正面の場合は無理なんだ。これを覚えておけ」
 小三郎は半信半疑だったが、生き延びたいという欲望と、どこか奇妙な説得力を持つ死神の言葉に従った。

 それから小三郎は落語家として活動を続けながら、「療法士」としても名を上げていった。彼は死期が近い人々の背中についている死神を追い払い、「奇跡的な治癒」をもたらすことで評判を得ていった。小三郎が奇跡の療法を行うという噂は瞬く間に広まり、多くの人々が彼の元を訪れるようになった。
 治療を施し続け、落語家よりも、療法士という肩書の方が大きくなってきたある日、小三郎は異変に気づく。それまで背中についていた死神を多く見てきたが、最近では死神と患者が全員正面で向き合うようになっており、治療がこれまでのように、施せなくなっていたのである。
 
「これじゃ……救えない……!」
 
 呪文も効かず、小三郎は次第に評判を失い、「ペテン師」と罵られるようになった。しかし、小三郎も悪運が強いもので、再び金に困り果てた彼の元に大富豪から多額の報酬を得られる依頼が舞い込んできた。
 その大富豪もまた命運尽きかけていたところに舞い込んできた、お互いにとって起死回生の一手。しかし、対処法も無く地に落ちた小三郎には打つ手なしかと思われていたが、落語家の彼はその冴えた頭で、禁じ手とも思える策を一つだけ思いつく。
 それは、死神が眠っている隙を突く間に、大富豪の背中へ死神を移動させるというもの。一見そんな簡単な事で死神の虚を突くことが可能なのであろうかと疑問ではあるが、小三郎には確固たる自信があった。
 
「異死回葬……!」
 
 呪文を唱えると、いとも簡単に大富豪についていた死神は追い払われた。そして奇跡的な回復を遂げた大富豪から、小三郎は莫大な報酬を得た。
 あの奇跡的な出来事から数日が経ったある日の夜、小三郎が豪邸で高い酒に酔いしれていると不意に部屋の空気が冷たく変わった。大金を払い西洋から取り寄せた大きなちぇあの裏側に黒い気配を感じた。あの死神が再び小三郎の元に現れたのである。
 
「あんた……」
「よくやったな、小三郎。でもな、お前さんには報いってものがある」
 
 そう言うと、死神は小三郎の肩に両手を置くと、そのままぐっと力を込めすぅっと地中深くへ連れて行った。地中の洞窟まで降ろされ、小三郎がおどおどと周りを見渡すその場所には無数の蝋燭が並んでいる。その蝋燭はそれぞれ一本一本が人間の寿命を表しているという。
 
「これがお前さんの蝋燭だよ」
 指し示された蝋燭は今にも消えそうなほど短かった。
「俺の……寿命?」
「ああ、あん時は俺たち死神を馬鹿にしてくれたもんだとちょっと頭にきたが、ふとお前さんの蝋燭を見てみるとよ、こんな短くなっててよ」
 死神はニタニタとした笑顔で小三郎に近づいた。
「何事かと思ったら、大富豪とお前さんの蝋燭、入れ替わっちまってたんだよ」
 
 小三郎は必死で懇願した。「どうか助けてくれ!」と叫ぶ彼に対し、死神は一つだけ条件を提示した。
 
「まあ、俺も死神だが鬼じゃあない。この新しい蝋燭になら火を移して、命を長くすることもできるかもな。ただし慎重にしねぇと、元の火が消えちまうかもな」

 震える手で蝋燭同士を近づける小三郎。これまで乗り越えてこれた悪運も尽きたのか、焦りと恐怖でうまく新しい蝋燭に火を移すことが出来ない。
 
「消える……火が消える……!」
 
 彼の声とともに蝋燭の灯火は消え去った。その瞬間、小三郎は更に地の底、深淵へと落ちていく感覚に包まれる。そして最後に聞こえたのは冷たい声だった。
 
「俺たち死神は眠らないんだ。それから、お前さんに教えてやった呪文――『異死回葬』――あれは命ではなく“死”を移す呪いさ。人の浮き沈みを見るのは楽しいもんだ」

 小三郎の魂が地の底で蒸発し、主の元へ向かった音を聞いた死神は、真っ暗な天井を見つめて呟く。

「この話を読んで呪文を知っちまった誰かさんに、会いに行かねぇとな」


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  暗い部屋の中、男は天井の梁を見上げていた。
 その男、名を桂木小三郎という。かつては落語界で将来を嘱望された若手だったが、女遊びとギャンブルに溺れ、借金を重ねた挙句、妻にも逃げられた。今では寄席にも呼ばれず誰からも見放された存在だ。
「もう……終わりだな……」
 小三郎は自嘲気味に呟きながら、梁に縄を結びつけた。その縄の輪っかを首にかけようと首を伸ばした時、背後から低い声が響いた。
「おいおい、何やってんだ?」
 小三郎は驚いて振り返ると、黒い着物を纏った男が立っていた。顔は痩せこけており、異様に光る瞳には底知れぬ冷たさが宿っている。
「誰だ……お前?」
「死神さ」
 その男の佇まいから冗談とは微塵も感じない言葉に小三郎は息を呑んだ。
「死ぬにはまだ早いよ、小三郎さん」
「俺の名前を……知ってるのか?」
「もちろんさ。俺はお前のすぐそばにずっといたんだからな」
 死神はクククと薄く笑う。
「お前に一つ提案がある。俺の教えを守れば、富も名声も手に入るぞ」
「教え……?」
「ああ、人間の寿命を見分ける方法と、それを操る術だ」
 死神は小三郎に、人間の寿命を見る方法を教えた。それによれば、人間が死期を迎える時、その者には必ず死神が取り憑くという。そして、死神が背中に張り付いているようであれば、まだ命を救える余地があるが、正面で向き合っている場合はもう手遅れだという。
「背中についている死神なら、呪文『異死回葬』と唱えれば追い払える。ただし正面の場合は無理なんだ。これを覚えておけ」
 小三郎は半信半疑だったが、生き延びたいという欲望と、どこか奇妙な説得力を持つ死神の言葉に従った。
 それから小三郎は落語家として活動を続けながら、「療法士」としても名を上げていった。彼は死期が近い人々の背中についている死神を追い払い、「奇跡的な治癒」をもたらすことで評判を得ていった。小三郎が奇跡の療法を行うという噂は瞬く間に広まり、多くの人々が彼の元を訪れるようになった。
 治療を施し続け、落語家よりも、療法士という肩書の方が大きくなってきたある日、小三郎は異変に気づく。それまで背中についていた死神を多く見てきたが、最近では死神と患者が全員正面で向き合うようになっており、治療がこれまでのように、施せなくなっていたのである。
「これじゃ……救えない……!」
 呪文も効かず、小三郎は次第に評判を失い、「ペテン師」と罵られるようになった。しかし、小三郎も悪運が強いもので、再び金に困り果てた彼の元に大富豪から多額の報酬を得られる依頼が舞い込んできた。
 その大富豪もまた命運尽きかけていたところに舞い込んできた、お互いにとって起死回生の一手。しかし、対処法も無く地に落ちた小三郎には打つ手なしかと思われていたが、落語家の彼はその冴えた頭で、禁じ手とも思える策を一つだけ思いつく。
 それは、死神が眠っている隙を突く間に、大富豪の背中へ死神を移動させるというもの。一見そんな簡単な事で死神の虚を突くことが可能なのであろうかと疑問ではあるが、小三郎には確固たる自信があった。
「異死回葬……!」
 呪文を唱えると、いとも簡単に大富豪についていた死神は追い払われた。そして奇跡的な回復を遂げた大富豪から、小三郎は莫大な報酬を得た。
 あの奇跡的な出来事から数日が経ったある日の夜、小三郎が豪邸で高い酒に酔いしれていると不意に部屋の空気が冷たく変わった。大金を払い西洋から取り寄せた大きなちぇあの裏側に黒い気配を感じた。あの死神が再び小三郎の元に現れたのである。
「あんた……」
「よくやったな、小三郎。でもな、お前さんには報いってものがある」
 そう言うと、死神は小三郎の肩に両手を置くと、そのままぐっと力を込めすぅっと地中深くへ連れて行った。地中の洞窟まで降ろされ、小三郎がおどおどと周りを見渡すその場所には無数の蝋燭が並んでいる。その蝋燭はそれぞれ一本一本が人間の寿命を表しているという。
「これがお前さんの蝋燭だよ」
 指し示された蝋燭は今にも消えそうなほど短かった。
「俺の……寿命?」
「ああ、あん時は俺たち死神を馬鹿にしてくれたもんだとちょっと頭にきたが、ふとお前さんの蝋燭を見てみるとよ、こんな短くなっててよ」
 死神はニタニタとした笑顔で小三郎に近づいた。
「何事かと思ったら、大富豪とお前さんの蝋燭、入れ替わっちまってたんだよ」
 小三郎は必死で懇願した。「どうか助けてくれ!」と叫ぶ彼に対し、死神は一つだけ条件を提示した。
「まあ、俺も死神だが鬼じゃあない。この新しい蝋燭になら火を移して、命を長くすることもできるかもな。ただし慎重にしねぇと、元の火が消えちまうかもな」
 震える手で蝋燭同士を近づける小三郎。これまで乗り越えてこれた悪運も尽きたのか、焦りと恐怖でうまく新しい蝋燭に火を移すことが出来ない。
「消える……火が消える……!」
 彼の声とともに蝋燭の灯火は消え去った。その瞬間、小三郎は更に地の底、深淵へと落ちていく感覚に包まれる。そして最後に聞こえたのは冷たい声だった。
「俺たち死神は眠らないんだ。それから、お前さんに教えてやった呪文――『異死回葬』――あれは命ではなく“死”を移す呪いさ。人の浮き沈みを見るのは楽しいもんだ」
 小三郎の魂が地の底で蒸発し、主の元へ向かった音を聞いた死神は、真っ暗な天井を見つめて呟く。
「この話を読んで呪文を知っちまった誰かさんに、会いに行かねぇとな」