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第四十三話

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 やがて、二時間後。透たちは重力空間に入る以前よりも、圧倒的に調子が良くなっていた。
 肩を何度かぐるぐると回し、手を開いたり握ったり。ある程度の動作確認を済ませると、透は救護班の面子に静かに一言だけ「ありがとう」と礼をする。剣崎と橘も順に目覚め、「体が軽い」と大いに喜んでいた。
 保健室から出た透たちを待ち受けていたのは、信一郎であった。
「やあ、体の調子は?」
「――最高の気分だ。ありがとう、ございました」
 三人は信一郎に対し深い礼をする。どうもここまで礼儀正しくされるとむず痒くなるようで。信一郎は何とも言えない表情をしていた。
「――んだよ。俺がちゃんと礼したことが意外かよ」
「いやあ……どうも礼儀正しい振る舞いってのがムズムズしちゃうというかね……誤解が無いように言うけど、誰であってもそうよ??」
 困ったような笑みを浮かべる信一郎に、柔らかな笑みで返す透。そのまま、埼玉へと向かおうとしていた。二人もそれについていこうとしていたが、信一郎が引き止める。
「そうそう、君らに一つ提案があるんだ。あの修行の最中で、結構考えるタイミングもあったんだけどね……」
 二人はその信一郎の言葉に首を傾げる。
「……どういうことッスか? やっぱりウチらじゃあ戦力外、ってことッスかね……??」
「や、そういう訳じゃあない。ただ……『もう一つの道』ってのもあるんじゃあないかな、って提案さ」
 何のことか理解できない二人、そんな二人の内に眠る因子を見つめる。それと同時にひとりでに納得した様子の信一郎を見てまた首を傾げる。
「――たまに、どっちつかずの存在ってあるんだよ。それゆえに人によっては本質が見え切らないまま英雄として戦う人もいるというか、なんというか。結果、早死にしてしまうことが非常に多い。己の『願い』や『欲望』を叶えることなく、ね」
 二人の肩をしっかりと持って、いたって真剣な表情で二人に語り掛ける。
「……君らさ、『武器科に転身』しない??」
「……は?」「へ??」
 なんとも間抜けな声を上げてしまった二人に、こっそりと耳打ちする信一郎。そしてそれを、相槌を打ちながら黙って聞く二人。
 ほんの少しの後、二人が輝くような笑顔を見せ、信一郎のもとを去り、透のもとへ向かっていく。
「……そう言えばあの子ら、支給品のバイク駄目にしたとか言ってなかったっけ」
 それに気づいてしまった信一郎は三人を呼び止めにかかる。実に締まらないほど大慌てであった。信一郎も三人も。


 礼安一行が一度訪れた場所、あの旅館にて。礼安たちが逃げた後、後処理を旅館の面子総勢で行っていた。夜通しの作業であったため、そしてその周辺の住人の誇りでもあった旅館だったため、その場には高年齢層の人間ばかりが集っていた。
 黙々と作業しつつ、この現状に疑問を抱いていたのだ。
「――これで、本当に良かったのでしょうか」
 口を開いたのは、旅館の仲居。夫に先立たれ、歴史ある旅館経営に困っていた状態を救った存在は、まさしくあの『教会』埼玉支部。多額の援助により、結果として旅館復興を成すことが出来た。何なら、元よりも華美な高級旅館となった。多くの著名人も宿泊したことのある、日本有数の高級旅館となった。
 しかし、訪れる人々の声をしっかりと聴いてきた中で、最も多かったのは「成金じみているみたいで気味が悪かった、どこか鼻につく」との言葉。元々夫婦で営んでいるときにはそんな言葉などもらうことはなかった。
 あの埼玉支部の頭であるグラトニー、そして彼の部下のアドバイスをもとに埼玉は確かに発展してきた。危険因子である要素も金を払えば排除してもらえた。
 全てが金、金、金塗れ。虚飾に塗れた繁栄を手にした結果、素朴さなど一切感じさせない、新たな可能性の芽すら息吹くことのない死の土地となった。
「仲居さん、いいんだ、これで。良心の呵責|《かしゃく》なんて起こさんでも……この商店街をはじめとして、埼玉の過疎化なんて、埼玉支部が存在しうる限り起こらないさ」
 憂う仲居さんを気遣う周辺住民たち。しかし、その住民の表情を見ても、どれも浮かない表情であった。いくら埼玉を思う心があろうと、今の在り方に関しては徐々に疑問符が浮かぶものであったのだ。
 漂白|《ブリーチ》も、過ぎれば生活感など感じない。息吹すら感じない、薄気味悪いものとなる。灰汁を全て取ったら、旨味すら削いだ鍋になるようなもの。
 あの虐殺事件の真犯人も、そしてこの成金じみた埼玉となった諸悪の根源も、すべて分かりきっている。分かりきっているうえで、この現状が変わってしまう、崩壊してしまうことが何より怖かったのだ。
 日常は、突如として前触れなく崩壊してしまう。それは誰もが理解している。だからこその根源的恐怖。それが皆の胸中に芽生えた悪性腫瘍|《デキモノ》であった。
(この旅館を続けていくために、埼玉県をより良いものに)
 そう自分に言い聞かせよう。それこそが最善だ、と。
 しかし、その逃げた気持ちはとある人間の一喝により吹き飛ぶこととなる。
「そんなんでいいのかよ!!」
 そこにいたのは、革新派の一人である章大をはじめとした綾部一家であった。
「だ、誰ですか貴方は」
 その仲居の問いかけに、章大は一人一人を見つめながら声を張り上げる。
「私は……綾部章大! この現状を憂う――埼玉が大好きな男だ!!」
 彼の放つ異様な雰囲気、それでこの場の全員が確信した。自分たちとは異なる派閥の人間であると。自分たちとは相いれない存在であると。
「……んなこと言って! 結局は余所者に媚びへつらう奴じゃあねえか?! あのショッピングモールだって……俺ら商店街の人間を排他しようとしてるだろうに!!」
 商店街とショッピングモール、それは実に似ている。あくまで現代の流れに乗っ取った新しいものか、現代の流れに逆らうものか。その程度の違いしか大きなものはない。
 しかし、利便性の面で、その巨大なモール一つで全てを賄える存在であるならば、商店街の存在意義はほぼなくなってしまう。そしてそちらに人が流れれば、自ずと商店街の衰退に繋がる。だからこそ、強硬派閥は毛嫌いしているのだ。
 自分たちの仕事が、あらゆるものが高水準でまとまっており、秀でているそちらに全て奪われてしまうのではないか、と。
 しかし、それはあくまで怒りから生まれた嫌悪の感情ではない。現状|《いま》が壊れてしまうのではないか、という恐怖に近しいものなのだ。
「――今の埼玉がおかしいことくらい、分かっているだろ!? 金ばかりで人情もクソも無い、現状維持しか考えなかった結果、より薄汚れた街になってしまったことくらいわかってるんだろ!!」
「「「――!!」」」
 人は、恐怖するとその場から動きたがらなくなる。それと同じように、今の立場が壊れてしまう危険性が生まれた場合、そこから一ミリも動きたがらない。万が一動いてしまったがゆえに生まれてしまう、最悪の不確定要素を生み出したくないのだ。
 しかし、どうだろうか。人は成長の歩みを止めたらどうなるのだろうか。結論は簡単、現状維持しか能のない、役割の持たない肉塊となる。
 だから、人は人であるために、どれだけ辛くても歩みを止めない。歩んだ先に輝く、最高の不確定要素をつかみ取るために。どれだけ荒波にもまれ、最悪を経験しても、多くの偉人は不確定要素と戦い抜いてきた。その結果、今の人類の繁栄が存在する。
「少しでも……埼玉をよりよくしたいと考えないのか!? 今にとどまることも確かに必要だろう、それによって生まれるものもあるだろう! でも……そこに『輝かしい未来』は存在するのか!?」
 皆理解していた、現状の鍍金|《メッキ》。それが章大の魂からの叫びにより剥がれ落ちていく。
「今ここにいる私たちが――これからの子たちが作り上げていく未来へ残す『可能性』を片っ端から潰して何になる!? 『可能性』こそ、今の埼玉の繁栄には必要なんじゃあないか!?」
 それぞれが、自分の行動を、過ちを理解し反省した。自分たちの立場のために、漂泊のために犠牲になったものがあることが、多くの人に暗い影を落としていたのだ。
 スラム街の『ホロコースト事件』、それで死んでいった人々と土地、そして利権。腐り果てた埼玉を変えられるのは、今ここで生きる埼玉県民でしかない。
「安寧のため、そうあいつらが騙った結果多くの犠牲があった、多くの血が流れた!! この現代に!! 今こそ理解し、立ち上がってNOを突き付ける時だ、自分が信念を持った埼玉県民であるなら!! 言の刃|《ことのは》と武器を持って立ち上がるべきだろ!!」
 元々章大自身に、何かしらの才能があるわけではない。しかし、学生時代から人の前に立ってスピーチをすることは得手であった。総じて人の上に立つことを苦と思わない、指導者気質のある男であった。
 しかし、そんな一般人であった彼が。自分と異なる意見を持った者を扇動できるほどに、覚悟を胸に抱いていた。信念を持っていた。
 堂々たる彼の立ち居振る舞いは、異を唱えていた存在すら心を揺り動かしていたのだ。
「今こそ、我々は一致団結して立ち上がるべきだ! 我々に、『教会』埼玉支部の助けなんていらない!! 後世に誇れる埼玉は、我々地元の人間しか作ることは叶わないはずだ!!」
 次第に、人々の熱は上昇していく。それと同時に、仲居さんも心から礼安たちへの横暴を恥じた。一時の金目当てでああいったことをしてしまった、自分の薄汚さと浅はかさを。
 静かに涙を流し、崩れ落ちる仲居。しかし、そんな彼女を優しく受け止める存在が。それこそ、礼安と院であった。
「――滝本様、真来様」
「礼安でいいですよ、仲居さん!」「私も、少々むず痒いですわ」
 まるで何事もなかったかのように、太陽のようにまぶしい笑顔を見せる礼安。そんな彼女の器の大きい対応を感じ、あの旅館での初日、入り口で出会ったときのことをふと思い出す。
 今まで、こんなにも眩しい存在に出会ったことは一度しかなかった。それは、仲居が契りを交わした、先立った夫ただ一人。そんな特別な存在と、同じ人としての暖かさと眩しさを感じ取っていたのだ。それゆえに、涙が無意識に溢れ出していた。
(安心しとけ、俺とお前なら――この旅館はもっとより良いものになるぞ)
(――ええ、貴方。きっと……後世長く続く最高の旅館を作りましょうね)
「あれだけのことをしておきながら、厚かましくはありますが……この埼玉を――この埼玉に根付く闇を……どうか祓ってください、礼安」
 その心からの願いに、礼安は明朗快活に笑って応えた。
「勿論、誰かの『助けて』って声が聞こえたなら、そこに現れるのが私たち! 私たちが来たからにはもう大丈夫、安心していいよ!」
 その心の靄を晴らすほどの光は、多くの人を勇気づけた。その結果、章大らをはじめに、保守派であった商店街の人々を巻き込んでいった結果、埼玉県民が次第に新生レジスタンスとして立ち上がり始めたのだ。
 元々は、透の救うための静かな戦いであったはずの遠征は、そこに巣くう闇が作り上げた背景を知っていき、やがて多くの人々を巻き込んだ聖戦へ。
 それぞれが、それぞれの思いを胸に。埼玉全土を巻き込んだ事件の終末は近い。

 そして。時同じく所変わって綾部家前。息を激しく乱しながら、やっとの思いで辿り着いたエヴァ。装甲のアシストを全開にしている理由は運動音痴なため。しかもそのアシストを全開にすると稼働時間の限界が早まってしまう。どうも難儀なものである。
「……なんか向こうで多くの人が団結して動いているように聞こえるんだけど、てか礼安さんたちここにいないんですけど!?」
 確実にいるであろう連絡先の場所にいないとなると、目的地が残酷にも更新されてしまう。かなり離れた位置に存在する、『教会』埼玉支部。しかし、こんな夜にバスなどの公共交通機関は数少ない。加えて、エヴァは支給品のバイクは持ち合わせていない。何より、自転車をはじめとした二輪車に乗れない。酷く乗り物酔いしてしまうためである。
「この状況……マジでどうしよう!?」
 別の意味で鬼気迫っていたエヴァであったが、一つ考え付いた案がある。しかし、この案はかなり悪目立ちするため、あまり使いたくない手段であった。しかし、もう四の五の言っていられない状況であった。
「あーもうしょうがない!!」
 懐から鍛冶用小槌を取り出し、それで乱暴に地面を叩く。多くの魔力を扱うものの、猛スピードで追いつくにはこの手段しかなかった。
 無数のコンクリ製触手を生成、それらを束ねより強靭なものへと仕立て上げる。
 エヴァはその上に乗り、圧倒的スピードで伸長。
(――背に腹は……変えられない!!)
 覚悟を背負い猛スピードで進み続けるエヴァであったが、早々に限界は訪れる。
 エヴァの口から、無限に排出される謎のキラキラが埼玉の夜空に撒き散らされながら、埼玉支部へ向かっていく触手たち。美人形無しである。
 しかしその様子は、はたから見れば幻想世界にしか存在しないであろう龍(のようなもの)に跨る何者か。撒き散らされるキラキラは龍の涙……のように見えるかもしれない、それほどに幻想的だったため、人々は魅了された。
 その日を境に、埼玉にある都市伝説が生まれた。埼玉の未来を憂う龍が涙を流しながら空を飛ぶ、『埼玉に住まう龍神様』。本質を知ってしまったが最後、不快な気分になること請け合いな、最悪な都市伝説誕生の瞬間であった。



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 やがて、二時間後。透たちは重力空間に入る以前よりも、圧倒的に調子が良くなっていた。
 肩を何度かぐるぐると回し、手を開いたり握ったり。ある程度の動作確認を済ませると、透は救護班の面子に静かに一言だけ「ありがとう」と礼をする。剣崎と橘も順に目覚め、「体が軽い」と大いに喜んでいた。
 保健室から出た透たちを待ち受けていたのは、信一郎であった。
「やあ、体の調子は?」
「――最高の気分だ。ありがとう、ございました」
 三人は信一郎に対し深い礼をする。どうもここまで礼儀正しくされるとむず痒くなるようで。信一郎は何とも言えない表情をしていた。
「――んだよ。俺がちゃんと礼したことが意外かよ」
「いやあ……どうも礼儀正しい振る舞いってのがムズムズしちゃうというかね……誤解が無いように言うけど、誰であってもそうよ??」
 困ったような笑みを浮かべる信一郎に、柔らかな笑みで返す透。そのまま、埼玉へと向かおうとしていた。二人もそれについていこうとしていたが、信一郎が引き止める。
「そうそう、君らに一つ提案があるんだ。あの修行の最中で、結構考えるタイミングもあったんだけどね……」
 二人はその信一郎の言葉に首を傾げる。
「……どういうことッスか? やっぱりウチらじゃあ戦力外、ってことッスかね……??」
「や、そういう訳じゃあない。ただ……『もう一つの道』ってのもあるんじゃあないかな、って提案さ」
 何のことか理解できない二人、そんな二人の内に眠る因子を見つめる。それと同時にひとりでに納得した様子の信一郎を見てまた首を傾げる。
「――たまに、どっちつかずの存在ってあるんだよ。それゆえに人によっては本質が見え切らないまま英雄として戦う人もいるというか、なんというか。結果、早死にしてしまうことが非常に多い。己の『願い』や『欲望』を叶えることなく、ね」
 二人の肩をしっかりと持って、いたって真剣な表情で二人に語り掛ける。
「……君らさ、『武器科に転身』しない??」
「……は?」「へ??」
 なんとも間抜けな声を上げてしまった二人に、こっそりと耳打ちする信一郎。そしてそれを、相槌を打ちながら黙って聞く二人。
 ほんの少しの後、二人が輝くような笑顔を見せ、信一郎のもとを去り、透のもとへ向かっていく。
「……そう言えばあの子ら、支給品のバイク駄目にしたとか言ってなかったっけ」
 それに気づいてしまった信一郎は三人を呼び止めにかかる。実に締まらないほど大慌てであった。信一郎も三人も。
 礼安一行が一度訪れた場所、あの旅館にて。礼安たちが逃げた後、後処理を旅館の面子総勢で行っていた。夜通しの作業であったため、そしてその周辺の住人の誇りでもあった旅館だったため、その場には高年齢層の人間ばかりが集っていた。
 黙々と作業しつつ、この現状に疑問を抱いていたのだ。
「――これで、本当に良かったのでしょうか」
 口を開いたのは、旅館の仲居。夫に先立たれ、歴史ある旅館経営に困っていた状態を救った存在は、まさしくあの『教会』埼玉支部。多額の援助により、結果として旅館復興を成すことが出来た。何なら、元よりも華美な高級旅館となった。多くの著名人も宿泊したことのある、日本有数の高級旅館となった。
 しかし、訪れる人々の声をしっかりと聴いてきた中で、最も多かったのは「成金じみているみたいで気味が悪かった、どこか鼻につく」との言葉。元々夫婦で営んでいるときにはそんな言葉などもらうことはなかった。
 あの埼玉支部の頭であるグラトニー、そして彼の部下のアドバイスをもとに埼玉は確かに発展してきた。危険因子である要素も金を払えば排除してもらえた。
 全てが金、金、金塗れ。虚飾に塗れた繁栄を手にした結果、素朴さなど一切感じさせない、新たな可能性の芽すら息吹くことのない死の土地となった。
「仲居さん、いいんだ、これで。良心の呵責|《かしゃく》なんて起こさんでも……この商店街をはじめとして、埼玉の過疎化なんて、埼玉支部が存在しうる限り起こらないさ」 憂う仲居さんを気遣う周辺住民たち。しかし、その住民の表情を見ても、どれも浮かない表情であった。いくら埼玉を思う心があろうと、今の在り方に関しては徐々に疑問符が浮かぶものであったのだ。
 漂白|《ブリーチ》も、過ぎれば生活感など感じない。息吹すら感じない、薄気味悪いものとなる。灰汁を全て取ったら、旨味すら削いだ鍋になるようなもの。
 あの虐殺事件の真犯人も、そしてこの成金じみた埼玉となった諸悪の根源も、すべて分かりきっている。分かりきっているうえで、この現状が変わってしまう、崩壊してしまうことが何より怖かったのだ。
 日常は、突如として前触れなく崩壊してしまう。それは誰もが理解している。だからこその根源的恐怖。それが皆の胸中に芽生えた悪性腫瘍|《デキモノ》であった。
(この旅館を続けていくために、埼玉県をより良いものに)
 そう自分に言い聞かせよう。それこそが最善だ、と。
 しかし、その逃げた気持ちはとある人間の一喝により吹き飛ぶこととなる。
「そんなんでいいのかよ!!」
 そこにいたのは、革新派の一人である章大をはじめとした綾部一家であった。
「だ、誰ですか貴方は」
 その仲居の問いかけに、章大は一人一人を見つめながら声を張り上げる。
「私は……綾部章大! この現状を憂う――埼玉が大好きな男だ!!」
 彼の放つ異様な雰囲気、それでこの場の全員が確信した。自分たちとは異なる派閥の人間であると。自分たちとは相いれない存在であると。
「……んなこと言って! 結局は余所者に媚びへつらう奴じゃあねえか?! あのショッピングモールだって……俺ら商店街の人間を排他しようとしてるだろうに!!」
 商店街とショッピングモール、それは実に似ている。あくまで現代の流れに乗っ取った新しいものか、現代の流れに逆らうものか。その程度の違いしか大きなものはない。
 しかし、利便性の面で、その巨大なモール一つで全てを賄える存在であるならば、商店街の存在意義はほぼなくなってしまう。そしてそちらに人が流れれば、自ずと商店街の衰退に繋がる。だからこそ、強硬派閥は毛嫌いしているのだ。
 自分たちの仕事が、あらゆるものが高水準でまとまっており、秀でているそちらに全て奪われてしまうのではないか、と。
 しかし、それはあくまで怒りから生まれた嫌悪の感情ではない。現状|《いま》が壊れてしまうのではないか、という恐怖に近しいものなのだ。
「――今の埼玉がおかしいことくらい、分かっているだろ!? 金ばかりで人情もクソも無い、現状維持しか考えなかった結果、より薄汚れた街になってしまったことくらいわかってるんだろ!!」
「「「――!!」」」
 人は、恐怖するとその場から動きたがらなくなる。それと同じように、今の立場が壊れてしまう危険性が生まれた場合、そこから一ミリも動きたがらない。万が一動いてしまったがゆえに生まれてしまう、最悪の不確定要素を生み出したくないのだ。
 しかし、どうだろうか。人は成長の歩みを止めたらどうなるのだろうか。結論は簡単、現状維持しか能のない、役割の持たない肉塊となる。
 だから、人は人であるために、どれだけ辛くても歩みを止めない。歩んだ先に輝く、最高の不確定要素をつかみ取るために。どれだけ荒波にもまれ、最悪を経験しても、多くの偉人は不確定要素と戦い抜いてきた。その結果、今の人類の繁栄が存在する。
「少しでも……埼玉をよりよくしたいと考えないのか!? 今にとどまることも確かに必要だろう、それによって生まれるものもあるだろう! でも……そこに『輝かしい未来』は存在するのか!?」
 皆理解していた、現状の鍍金|《メッキ》。それが章大の魂からの叫びにより剥がれ落ちていく。
「今ここにいる私たちが――これからの子たちが作り上げていく未来へ残す『可能性』を片っ端から潰して何になる!? 『可能性』こそ、今の埼玉の繁栄には必要なんじゃあないか!?」
 それぞれが、自分の行動を、過ちを理解し反省した。自分たちの立場のために、漂泊のために犠牲になったものがあることが、多くの人に暗い影を落としていたのだ。
 スラム街の『ホロコースト事件』、それで死んでいった人々と土地、そして利権。腐り果てた埼玉を変えられるのは、今ここで生きる埼玉県民でしかない。
「安寧のため、そうあいつらが騙った結果多くの犠牲があった、多くの血が流れた!! この現代に!! 今こそ理解し、立ち上がってNOを突き付ける時だ、自分が信念を持った埼玉県民であるなら!! 言の刃|《ことのは》と武器を持って立ち上がるべきだろ!!」
 元々章大自身に、何かしらの才能があるわけではない。しかし、学生時代から人の前に立ってスピーチをすることは得手であった。総じて人の上に立つことを苦と思わない、指導者気質のある男であった。
 しかし、そんな一般人であった彼が。自分と異なる意見を持った者を扇動できるほどに、覚悟を胸に抱いていた。信念を持っていた。
 堂々たる彼の立ち居振る舞いは、異を唱えていた存在すら心を揺り動かしていたのだ。
「今こそ、我々は一致団結して立ち上がるべきだ! 我々に、『教会』埼玉支部の助けなんていらない!! 後世に誇れる埼玉は、我々地元の人間しか作ることは叶わないはずだ!!」
 次第に、人々の熱は上昇していく。それと同時に、仲居さんも心から礼安たちへの横暴を恥じた。一時の金目当てでああいったことをしてしまった、自分の薄汚さと浅はかさを。
 静かに涙を流し、崩れ落ちる仲居。しかし、そんな彼女を優しく受け止める存在が。それこそ、礼安と院であった。
「――滝本様、真来様」
「礼安でいいですよ、仲居さん!」「私も、少々むず痒いですわ」
 まるで何事もなかったかのように、太陽のようにまぶしい笑顔を見せる礼安。そんな彼女の器の大きい対応を感じ、あの旅館での初日、入り口で出会ったときのことをふと思い出す。
 今まで、こんなにも眩しい存在に出会ったことは一度しかなかった。それは、仲居が契りを交わした、先立った夫ただ一人。そんな特別な存在と、同じ人としての暖かさと眩しさを感じ取っていたのだ。それゆえに、涙が無意識に溢れ出していた。
(安心しとけ、俺とお前なら――この旅館はもっとより良いものになるぞ)
(――ええ、貴方。きっと……後世長く続く最高の旅館を作りましょうね)
「あれだけのことをしておきながら、厚かましくはありますが……この埼玉を――この埼玉に根付く闇を……どうか祓ってください、礼安」
 その心からの願いに、礼安は明朗快活に笑って応えた。
「勿論、誰かの『助けて』って声が聞こえたなら、そこに現れるのが私たち! 私たちが来たからにはもう大丈夫、安心していいよ!」
 その心の靄を晴らすほどの光は、多くの人を勇気づけた。その結果、章大らをはじめに、保守派であった商店街の人々を巻き込んでいった結果、埼玉県民が次第に新生レジスタンスとして立ち上がり始めたのだ。
 元々は、透の救うための静かな戦いであったはずの遠征は、そこに巣くう闇が作り上げた背景を知っていき、やがて多くの人々を巻き込んだ聖戦へ。
 それぞれが、それぞれの思いを胸に。埼玉全土を巻き込んだ事件の終末は近い。
 そして。時同じく所変わって綾部家前。息を激しく乱しながら、やっとの思いで辿り着いたエヴァ。装甲のアシストを全開にしている理由は運動音痴なため。しかもそのアシストを全開にすると稼働時間の限界が早まってしまう。どうも難儀なものである。
「……なんか向こうで多くの人が団結して動いているように聞こえるんだけど、てか礼安さんたちここにいないんですけど!?」
 確実にいるであろう連絡先の場所にいないとなると、目的地が残酷にも更新されてしまう。かなり離れた位置に存在する、『教会』埼玉支部。しかし、こんな夜にバスなどの公共交通機関は数少ない。加えて、エヴァは支給品のバイクは持ち合わせていない。何より、自転車をはじめとした二輪車に乗れない。酷く乗り物酔いしてしまうためである。
「この状況……マジでどうしよう!?」
 別の意味で鬼気迫っていたエヴァであったが、一つ考え付いた案がある。しかし、この案はかなり悪目立ちするため、あまり使いたくない手段であった。しかし、もう四の五の言っていられない状況であった。
「あーもうしょうがない!!」
 懐から鍛冶用小槌を取り出し、それで乱暴に地面を叩く。多くの魔力を扱うものの、猛スピードで追いつくにはこの手段しかなかった。
 無数のコンクリ製触手を生成、それらを束ねより強靭なものへと仕立て上げる。
 エヴァはその上に乗り、圧倒的スピードで伸長。
(――背に腹は……変えられない!!)
 覚悟を背負い猛スピードで進み続けるエヴァであったが、早々に限界は訪れる。
 エヴァの口から、無限に排出される謎のキラキラが埼玉の夜空に撒き散らされながら、埼玉支部へ向かっていく触手たち。美人形無しである。
 しかしその様子は、はたから見れば幻想世界にしか存在しないであろう龍(のようなもの)に跨る何者か。撒き散らされるキラキラは龍の涙……のように見えるかもしれない、それほどに幻想的だったため、人々は魅了された。
 その日を境に、埼玉にある都市伝説が生まれた。埼玉の未来を憂う龍が涙を流しながら空を飛ぶ、『埼玉に住まう龍神様』。本質を知ってしまったが最後、不快な気分になること請け合いな、最悪な都市伝説誕生の瞬間であった。