死線の先
ー/ー
突如現れた暗幕の中で、爆竹に取り囲まれたかのような轟音に包まれる。動くなとは言われたが、意識する前に体が防御体勢をとっていた。耳を塞ぎ、しゃがんで目を閉じたまま、周囲の状況を探る。
「藍果。藍果、大丈夫だ。目を開けて」
塞いだ耳の隙間から、弓丸の囁き声が聞こえた。そっと目を開ければ、どういうわけか弓丸の髪をくくっていた紐が落ちている。それを拾い、声の主へと目を向けた。
「弓丸、こ、れっ……!?」
灯火の光を水面のように受けながら、きらきらと艶めく烏の濡れ羽色。
両手を広げ、私の目の前に立っている弓丸の黒髪は、平安の高貴な姫君もかくやというほどに伸びて揺らめき——私たちの体を守る、つかの間の盾となっていた。ただ、おそらくは限界があるのだろう、その盾はこの空間を二つに仕切れるほど大きくはない。それでも大人二、三人なら容易に覆える羽衣のような暗幕に、ほんの一瞬、目を奪われた。
「これではっきりした。相手は禍者だ」
「か、禍者ってあの、前に言ってた」
「そう。禍に心を堕とした者、あるいは……」
弓丸が手首につけていた首飾りを取り、左に持ってパッと振った。紐から抜けたもう一つの玉は、赤色の羽をした矢へと姿を変える。そして紐の方は、長さ一メートルほどの弦を持つ武具——すなわち、弓丸の体格でギリギリ扱えるサイズの弓へと変貌した。
「隙を作りたい。それと、あの男に聞いておきたいこともある」
「その矢で、あの男の人を殺すの?」
拾った髪紐を差し出し、私は弓丸の瞳をまっすぐに見つめて問いかけた。確かに、あの男は悪いことをした……と、思う。でも、頭の中にさっき聞いた彼の言葉が蘇る。
——俺にも、大丈夫かって言ってくれ。
私は、あの男のことを忘れていた。いや、毎朝見てはいたのに、見ないふりをしていたのだ。
「私、昨日は倒すとか簡単に言っちゃったけどさ——あの人は、まだ人間だよ」
弓丸は髪紐を受け取らない。小さくため息をついて、そして……何を思ったか、おかしそうにクスッと笑った。
「本当に変わったやつだな。己はおろか友人も襲われて、その安否もまだわからないのに、敵の命すら案じる——そもそも、矢は殺しの道具だ」
「……それ、どういう」
「死なないよ」
弓丸は言う。私達を包んでいた轟音はすでにやみ、洞穴は不気味なほどの静けさで満たされていた。この暗幕に阻まれてしまうため、いったんは攻撃をやめて次のチャンスを狙っているのだろう。
「この矢は、あの男の命を奪わない。約束しよう」
縦長の瞳孔が、ズ、と拡がる。その瞳にちらつく金片を呑み込むように、彼の視線を受け止めた。
「……なら、一つ案があるの」
私がその作戦を耳打ちすると、弓丸は目を伏せて自分の袴を見た。もう、傷跡も血の跡も残っていない、その場所。
「確かに君の言う方法なら、知りたいことを聞いた上で確実に仕留められる。これ以上、君の友人が危険に晒されることもないだろう。でも」
「ちなみに、聞いておきたいことっていうのは?」
「誰がお前の主人か。そう聞けば、おそらくあいつは答えてくれる。けど、前とはリスクも段違いだ、ちゃんと分かってるのか? 上手くいかなかった時の保証はない。最悪の場合——君は」
「この策は上手くいくよ。理由は分からないけど、なぜかそんな気がするの。あとは、弓丸が許してくれるかどうか」
その言葉を聞いて、弓丸は私を見つめたまま大きく一度瞬きをし、かすかに息を呑んだ。暗幕の向こうからは、男がガシガシと石で殻を破る音が聞こえてくる。
「無理だと思うなら、断ってくれていい」
「分かった」
弓丸が、私の差し出した髪紐に手を伸ばす。
「藍果。生きるつもりで——死にに行け」
紐が再び髪を結い、私たちを守っていた暗幕は消える。私は、入ってきた通路に向かって一直線に駆け出した。
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突如現れた暗幕の中で、|爆竹《ばくちく》に取り囲まれたかのような|轟音《ごうおん》に包まれる。動くなとは言われたが、意識する前に体が防御体勢をとっていた。耳を塞ぎ、しゃがんで目を閉じたまま、周囲の状況を探る。
「藍果。藍果、大丈夫だ。目を開けて」
|塞《ふさ》いだ耳の|隙間《すきま》から、弓丸の|囁《ささや》き声が聞こえた。そっと目を開ければ、どういうわけか弓丸の髪をくくっていた|紐《ひも》が落ちている。それを拾い、声の主へと目を向けた。
「弓丸、こ、れっ……!?」
灯火の光を水面のように受けながら、きらきらと|艶《つや》めく|烏《からす》の|濡《ぬ》れ|羽色《ばいろ》。
両手を広げ、|私《わたし》の目の前に立っている弓丸の黒髪は、平安の高貴な姫君もかくやというほどに伸びて揺らめき——私たちの体を守る、つかの間の盾となっていた。ただ、おそらくは限界があるのだろう、その盾はこの空間を二つに仕切れるほど大きくはない。それでも|大人《おとな》二、三人なら容易に|覆《おお》える羽衣のような暗幕に、ほんの一瞬、目を奪われた。
「これではっきりした。相手は|禍者《かじゃ》だ」
「か、|禍者《かじゃ》ってあの、前に言ってた」
「そう。|禍《わざわい》に心を|堕《お》とした者、あるいは……」
弓丸が手首につけていた首飾りを取り、左に持ってパッと振った。紐から抜けたもう一つの玉は、赤色の羽をした矢へと姿を変える。そして紐の方は、長さ一メートルほどの弦を持つ武具——すなわち、弓丸の体格でギリギリ扱えるサイズの弓へと|変貌《へんぼう》した。
「|隙《すき》を作りたい。それと、あの男に聞いておきたいこともある」
「その矢で、あの男の人を殺すの?」
拾った髪紐を差し出し、私は弓丸の瞳をまっすぐに見つめて問いかけた。確かに、あの男は悪いことをした……と、思う。でも、頭の中にさっき聞いた彼の言葉が|蘇《よみがえ》る。
——俺にも、大丈夫かって言ってくれ。
私は、あの男のことを忘れていた。いや、毎朝見てはいたのに、見ないふりをしていたのだ。
「私、昨日は倒すとか簡単に言っちゃったけどさ——あの人は、まだ人間だよ」
弓丸は髪紐を受け取らない。小さくため息をついて、そして……何を思ったか、おかしそうにクスッと笑った。
「本当に変わったやつだな。|己《おのれ》はおろか友人も襲われて、その安否もまだわからないのに、敵の命すら案じる——そもそも、矢は殺しの道具だ」
「……それ、どういう」
「死なないよ」
弓丸は言う。私達を包んでいた轟音はすでにやみ、|洞穴《ほらあな》は不気味なほどの静けさで満たされていた。この暗幕に|阻《はば》まれてしまうため、いったんは攻撃をやめて次のチャンスを|狙《ねら》っているのだろう。
「この矢は、あの男の命を奪わない。約束しよう」
縦長の|瞳孔《どうこう》が、ズ、と|拡《ひろ》がる。その瞳にちらつく|金片《きんぺん》を|呑《の》み|込《こ》むように、彼の視線を受け止めた。
「……なら、一つ案があるの」
私がその作戦を耳打ちすると、弓丸は目を伏せて自分の|袴《はかま》を見た。もう、傷跡も血の跡も残っていない、その場所。
「確かに君の言う方法なら、知りたいことを聞いた上で確実に仕留められる。これ以上、君の友人が危険に|晒《さら》されることもないだろう。でも」
「ちなみに、聞いておきたいことっていうのは?」
「誰がお前の|主人《あるじ》か。そう聞けば、おそらくあいつは答えてくれる。けど、前とはリスクも段違いだ、ちゃんと分かってるのか? 上手くいかなかった時の保証はない。最悪の場合——君は」
「この策は上手くいくよ。理由は分からないけど、なぜかそんな気がするの。あとは、弓丸が許してくれるかどうか」
その言葉を聞いて、弓丸は私を見つめたまま大きく一度瞬きをし、かすかに息を呑んだ。暗幕の向こうからは、男がガシガシと石で殻を破る音が聞こえてくる。
「無理だと思うなら、断ってくれていい」
「分かった」
弓丸が、私の差し出した髪紐に手を伸ばす。
「藍果。生きるつもりで——死にに行け」
|紐《ひも》が再び髪を|結《ゆ》い、私たちを守っていた暗幕は消える。私は、入ってきた通路に向かって一直線に駆け出した。