ヤドリ蔦の切望

ー/ー



「あ——あぁ。早我見(さがみ)……藍果ちゃんか」

 チャ、と弓丸の太刀(たち)が鳴る。

 (とげ)を持つ(つた)が複数絡み合い、木の根のように変化した両脚。その末端は岩肌の隙間へと千々(ちぢ)に潜り込み、足の形を保っていない。男は、(にご)った瞳に(わたし)を収め、無精(ぶしょう)ひげに埋もれた半開きの口をもごもごと動かした。

「で、歩道橋にいた妙なガキが一人(ひとり)……ふうん」
「ゆ、弓丸、この人と会ったことあるの?」
「いや。藍果は?」
「私もない……と思うんだけど」

 なんとなく、なんとなくだけれど、どこかで見たことがあるような。ただ、これだけは断言できる。私は、この男に名前を教えたことは一度もない。

 男は、笑みとも痙攣(けいれん)とも取れる動きを()せた頬に浮かべ、白い殻の実の中身を手のひらに乗せた。渋皮に包まれクリーム色をしたそれは、まるで脳みそのような形をしている。

「藍果ちゃんもどうだ? こいつはヤドリ(づた)っていう植物の実らしい。ちゃんと量を守ればこんなふうにはならねぇんだと。いい夢が見れるぞ」

 周りの壁の亀裂(きれつ)からは、大小様々な〈ヤドリ蔦〉が顔を出していた。指程度の太さのものから足くらいの太さのもの。互いに絡み合い、電柱ほどのサイズになっているもの。そのうちの一つはスッパリと切れていて、断面から(にじ)む液体が岩肌を赤く染めている。おそらく、あれがさっき私達を(おそ)ったものだろう。

「あ、の……っ! 瀬名は、アヤちゃんは、無事なんですか!」
「藍果」

 弓丸が、刺激するなとでも言うように小声で私を制する。けれど、黙ってなんていられなかった。

「瀬名ちゃん、(あや)ちゃん、真月(まつき)ちゃんか? お前のお友達に見せてもらった夢はな、どれも俺よりずっと綺麗(きれい)で……だから」

 コツン。
 からん。
 棘の先から(うみ)のように染み出した液体が、丸い実となって地面に転がる。

「なぁ。俺のこと、助けてくれよ」

「えっ……え?」

 肘を立て、男がゆっくりと上体を起こす。

「あの女の子達のことをさぁ、心配するみたいに。俺にも、大丈夫かって言ってくれ」

 穴が空き、薄汚れたTシャツにほつれた半ズボン。それから、毎朝のゴミ出しで嗅ぐにおい。

「……ふ、ふ。俺の身の上バナシってやつ、教えてやろうか。なぁ」

 ざんばらに切られ、使い古した(ほうき)のように傷んでしまった髪の毛が、男の表情を覆い隠す。むくんだ左手、何も付いていない薬指。

「この実を渡してくれた()()()だって、本当は俺を助けるつもりなんぞ無かったんだ!」

「……あ」

 思い——出した。私は、この男を知っている。

 いつも通り抜けする公園のそばに、()(もの)扱いされている家があった。物置のすりガラスいっぱいにうずだかく積もったがらくた、収まり切らず外に出された洗濯機。その横にうずくまって、毎朝タバコを吸っていた男だ。

 彼はヤドリ蔦の実を投げ捨てて、肩を(ふる)わせ奇声を上げた。それはきっと悲鳴だった。
 その声に一瞬気を取られ、弓丸の反応がわずかに遅れる。(うな)る一撃が弧を(えが)き、その間隙(かんげき)(つた)の雨が降りそそぐ。

 圧倒的な攻撃の密度——太刀の一振りでさばききれる量ではない。

 弓丸は止めたのに、私が、この男を刺激してしまったから。そもそも、もう失うものがない彼に、もう人の体さえ()くしてしまったこの男に、私の姿で声をかけることそのものが。

「動くな藍果!」

 弓丸の声が響き、次の瞬間視界が黒く塗りつぶされた。


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「あ——あぁ。|早我見《さがみ》……藍果ちゃんか」
 チャ、と弓丸の|太刀《たち》が鳴る。
 |棘《とげ》を持つ|蔦《つた》が複数絡み合い、木の根のように変化した両脚。その末端は岩肌の隙間へと|千々《ちぢ》に潜り込み、足の形を保っていない。男は、|濁《にご》った瞳に|私《わたし》を収め、無精《ぶしょう》ひげに埋もれた半開きの口をもごもごと動かした。
「で、歩道橋にいた妙なガキが|一人《ひとり》……ふうん」
「ゆ、弓丸、この人と会ったことあるの?」
「いや。藍果は?」
「私もない……と思うんだけど」
 なんとなく、なんとなくだけれど、どこかで見たことがあるような。ただ、これだけは断言できる。私は、この男に名前を教えたことは一度もない。
 男は、笑みとも|痙攣《けいれん》とも取れる動きを|痩《や》せた頬に浮かべ、白い殻の実の中身を手のひらに乗せた。渋皮に包まれクリーム色をしたそれは、まるで脳みそのような形をしている。
「藍果ちゃんもどうだ? こいつはヤドリ|蔦《づた》っていう植物の実らしい。ちゃんと量を守ればこんなふうにはならねぇんだと。いい夢が見れるぞ」
 周りの壁の|亀裂《きれつ》からは、大小様々な〈ヤドリ蔦〉が顔を出していた。指程度の太さのものから足くらいの太さのもの。互いに絡み合い、電柱ほどのサイズになっているもの。そのうちの一つはスッパリと切れていて、断面から|滲《にじ》む液体が岩肌を赤く染めている。おそらく、あれがさっき私達を|襲《おそ》ったものだろう。
「あ、の……っ! 瀬名は、アヤちゃんは、無事なんですか!」
「藍果」
 弓丸が、刺激するなとでも言うように小声で私を制する。けれど、黙ってなんていられなかった。
「瀬名ちゃん、|彩《あや》ちゃん、|真月《まつき》ちゃんか? お前のお友達に見せてもらった夢はな、どれも俺よりずっと|綺麗《きれい》で……だから」
 コツン。
 からん。
 棘の先から|膿《うみ》のように染み出した液体が、丸い実となって地面に転がる。
「なぁ。俺のこと、助けてくれよ」
「えっ……え?」
 肘を立て、男がゆっくりと上体を起こす。
「あの女の子達のことをさぁ、心配するみたいに。俺にも、大丈夫かって言ってくれ」
 穴が空き、薄汚れたTシャツにほつれた半ズボン。それから、毎朝のゴミ出しで嗅ぐにおい。
「……ふ、ふ。俺の身の上バナシってやつ、教えてやろうか。なぁ」
 ざんばらに切られ、使い古した|箒《ほうき》のように傷んでしまった髪の毛が、男の表情を覆い隠す。むくんだ左手、何も付いていない薬指。
「この実を渡してくれた|あ《・》|い《・》|つ《・》だって、本当は俺を助けるつもりなんぞ無かったんだ!」
「……あ」
 思い——出した。私は、この男を知っている。
 いつも通り抜けする公園のそばに、|腫《は》れ|物《もの》扱いされている家があった。物置のすりガラスいっぱいにうずだかく積もったがらくた、収まり切らず外に出された洗濯機。その横にうずくまって、毎朝タバコを吸っていた男だ。
 彼はヤドリ蔦の実を投げ捨てて、肩を|震《ふる》わせ奇声を上げた。それはきっと悲鳴だった。
 その声に一瞬気を取られ、弓丸の反応がわずかに遅れる。|唸《うな》る一撃が弧を|描《えが》き、その|間隙《かんげき》に|蔦《つた》の雨が降りそそぐ。
 圧倒的な攻撃の密度——太刀の一振りでさばききれる量ではない。
 弓丸は止めたのに、私が、この男を刺激してしまったから。そもそも、もう失うものがない彼に、もう人の体さえ|失《な》くしてしまったこの男に、私の姿で声をかけることそのものが。
「動くな藍果!」
 弓丸の声が響き、次の瞬間視界が黒く塗りつぶされた。