1話
ー/ー
「もう……本当に信じられない!アンタとは別れるから!」
夜も更けた23時に自分の部屋の扉を開けた俺を出迎えたのは、そんな言葉だった。
疲労困憊した体にむち打ち、視線を上げると、そこにはまさに怒り狂ったという言葉がぴったりな表情で仁王立ちする彼女の姿があった。
俺の名前は佐神 賢人
どこにでもいる平凡なサラリーマン。
仕事は中小規模のメーカーの営業職で、大学を出てから2年経過した社会人だ。
そんな俺を、睨みつけるようにして立っている女性は、俺の婚約者の澤野 弥生
誤解のないように言っておくが、彼女は普段からこれほど怖いわけではない。
むしろ普段は優しくて、明るい性格をしている。
怒っている姿は、4年間付き合って来た中で多分数回しか見たことはないし、これほどまでに怒っているのは初めて見たと思う。
彼女とは大学が同じで、サークル活動を通して仲良くなり、3回生に上がる頃に交際を開始。
大学卒業と同時に同棲を開始して、お互い仕事も慣れてきた頃合いだしと1月前にプロポーズをした。
今はゆっくりとではあるが結婚準備に取り掛かっている頃で、最近特に大きな意見の違いとかもなかったはずだ。
なのになんでこれほど怒っているのだろうか。
俺は不思議そうな顔で彼女を見つめる。
「ねぇ……私達婚約しているわよね」
普段あまり聞いたことがない様な、低い声で彼女は言う。
「ああ、先月に俺が申し込んで、弥生は嬉しいって指輪を受け取ってくれたから婚約しているな」
「婚約しているのに……あんな事するなんて、本当に最低。貴方とは絶対に結婚しないわ」
「ちょっとまってくれ、本当に君が何に怒っているのかわからない。何があったんだよ」
ともかくソファーに座りたい。
そう言う欲求が込み上げてきたので、俺は靴を脱いで部屋に上がろうとするが、弥生が立ちふさがっていてそれ以上進めなくなってしまう。
「陽音がね……アンタを見たって。金平駅近くで」
低い声のままゆっくりと弥生はそう言う。
そして俺の顔を睨みつけて、言葉を続ける。
「アンタの通勤って、NR東上線よね。家の最寄りから会社を挟んだ反対方向の金平駅に、なんの用事があったのかしらね。あんな住宅街に。しかも最近やけに帰宅時間がおそいしね……」
弥生の言葉で、俺は思い当たることがあった。
だがそれを今ここで、言うことはできない。
疚しい事をしているわけではないが、内容を言うこともできないという葛藤と、疲労で俺は無意識に冷たい言い方で返答してしまった。
「俺は何もやましい事はしていない。帰宅時間が遅くなってるのは用事があるからだ。もういいだろう疲れてるんだよ」
そう答えて弥生を押しのけて部屋の奥へと進む。
疲れ切っているんだから勘弁してくれと、今思えば自分勝手な考えが頭を占めていて、気遣いなんてする余裕はなかったように思う。
明日の朝にでも話し合えば、解ってもらえるだろう、今は疲れているのだから勘弁してくれ。
そう思って口を開きかけた時。
冷え切った弥生の声が聞こえた。
「あ……そ。じゃあもうお別れね。さ・よ・う・な・ら」
そのあと何か小さな金属音がして、足音が続き、ドアが開いて閉じる音がそれに続いた。
部屋を出ていったのだとは解った。
しかしそれは頭を冷やすために、出ていったのであってすぐに戻ってくるだろうと思った。
2年以上の同棲生活の中で、弥生の荷物も大量にあるし、ちらっと見た限りいつも持ち歩いているカバンくらいしか持っていなかったように見えた。
つまり家を出ていくような大荷物を持って行っていない。
だからすぐに帰ってくるだろうと、俺は安易に考えて、疲れからかそのままソファーで眠ってしまった。
結論から言うと、俺の予想は大外れだった。
あのあと俺は眠っていたソファーから身を起こして大きく伸びをした。
そして壁掛け時計に目をやると朝の7時を指していた。
そろそろ戻ってきたかなと、ぼんやり考えて弥生の部屋をノックするが返事がなかったので、おれはノブをひねってみる。
すると扉はあっさり開いた。
少しだけ開いた扉から顔を差し入れて、見てみる。
そして絶句してしまった。
部屋の中は空っぽだったのだ。
つまり弥生は、俺が帰宅するまでに荷物を運び出して、帰宅したオレに最後通牒を叩きつけてそのまま出ていったということだ。
その事実に気がついた俺は、慌ててズボンのポケットに入れたままのスマホを取り出して、メッセンジャーアプリを立ち上げて、弥生に対してメッセージを送る。
(荷物がなくなってる……どういうことだ、ちゃんと話し合おう)
なんの反応もない。
焦りを抑えつつ画面を注視するが、いつもならすぐつくはずの既読マークがつかない。
慌てて通話アプリを立ち上げて、弥生のアドレスを探してタップする。
だがコール音が鳴ることなく、プーップーッという音が虚しく聞こえるだけだった。
通話中……ではないだろう。
フリーランスで仕事をしていた彼女は、いつでも電話を取れるように割り込み通話オプションを契約している。
つまりこれは、ブロックされているということに他ならない。
どうしてなんだと暗澹たる気持ちでリビングに戻った俺は床の上に転がっていた金属を見つけて、言葉を失った。
冷たい床に転がっていたそれは、俺が一月前に弥生に贈った婚約指輪だった。
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「もう……本当に信じられない!アンタとは別れるから!」
夜も更けた23時に自分の部屋の扉を開けた俺を出迎えたのは、そんな言葉だった。
疲労困憊した体にむち打ち、視線を上げると、そこにはまさに怒り狂ったという言葉がぴったりな表情で仁王立ちする彼女の姿があった。
俺の名前は|佐神 賢人《さがみまさと》
どこにでもいる平凡なサラリーマン。
仕事は中小規模のメーカーの営業職で、大学を出てから2年経過した社会人だ。
そんな俺を、睨みつけるようにして立っている女性は、俺の婚約者の|澤野 弥生《さわのやよい》
誤解のないように言っておくが、彼女は普段からこれほど怖いわけではない。
むしろ普段は優しくて、明るい性格をしている。
怒っている姿は、4年間付き合って来た中で多分数回しか見たことはないし、これほどまでに怒っているのは初めて見たと思う。
彼女とは大学が同じで、サークル活動を通して仲良くなり、3回生に上がる頃に交際を開始。
大学卒業と同時に同棲を開始して、お互い仕事も慣れてきた頃合いだしと1月前にプロポーズをした。
今はゆっくりとではあるが結婚準備に取り掛かっている頃で、最近特に大きな意見の違いとかもなかったはずだ。
なのになんでこれほど怒っているのだろうか。
俺は不思議そうな顔で彼女を見つめる。
「ねぇ……私達婚約しているわよね」
普段あまり聞いたことがない様な、低い声で彼女は言う。
「ああ、先月に俺が申し込んで、弥生は嬉しいって指輪を受け取ってくれたから婚約しているな」
「婚約しているのに……あんな事するなんて、本当に最低。貴方とは絶対に結婚しないわ」
「ちょっとまってくれ、本当に君が何に怒っているのかわからない。何があったんだよ」
ともかくソファーに座りたい。
そう言う欲求が込み上げてきたので、俺は靴を脱いで部屋に上がろうとするが、弥生が立ちふさがっていてそれ以上進めなくなってしまう。
「|陽音《あきね》がね……アンタを見たって。|金平駅《かなひらえき》近くで」
低い声のままゆっくりと弥生はそう言う。
そして俺の顔を睨みつけて、言葉を続ける。
「アンタの通勤って、NR東上線よね。家の最寄りから会社を挟んだ反対方向の金平駅に、なんの用事があったのかしらね。あんな住宅街に。しかも最近やけに帰宅時間がおそいしね……」
弥生の言葉で、俺は思い当たることがあった。
だがそれを今ここで、言うことはできない。
|疚《やま》しい事をしているわけではないが、内容を言うこともできないという葛藤と、疲労で俺は無意識に冷たい言い方で返答してしまった。
「俺は何もやましい事はしていない。帰宅時間が遅くなってるのは用事があるからだ。もういいだろう疲れてるんだよ」
そう答えて弥生を押しのけて部屋の奥へと進む。
疲れ切っているんだから勘弁してくれと、今思えば自分勝手な考えが頭を占めていて、気遣いなんてする余裕はなかったように思う。
明日の朝にでも話し合えば、解ってもらえるだろう、今は疲れているのだから勘弁してくれ。
そう思って口を開きかけた時。
冷え切った弥生の声が聞こえた。
「あ……そ。じゃあもうお別れね。さ・よ・う・な・ら」
そのあと何か小さな金属音がして、足音が続き、ドアが開いて閉じる音がそれに続いた。
部屋を出ていったのだとは解った。
しかしそれは頭を冷やすために、出ていったのであってすぐに戻ってくるだろうと思った。
2年以上の同棲生活の中で、弥生の荷物も大量にあるし、ちらっと見た限りいつも持ち歩いているカバンくらいしか持っていなかったように見えた。
つまり家を出ていくような大荷物を持って行っていない。
だからすぐに帰ってくるだろうと、俺は安易に考えて、疲れからかそのままソファーで眠ってしまった。
結論から言うと、俺の予想は大外れだった。
あのあと俺は眠っていたソファーから身を起こして大きく伸びをした。
そして壁掛け時計に目をやると朝の7時を指していた。
そろそろ戻ってきたかなと、ぼんやり考えて弥生の部屋をノックするが返事がなかったので、おれはノブをひねってみる。
すると扉はあっさり開いた。
少しだけ開いた扉から顔を差し入れて、見てみる。
そして絶句してしまった。
部屋の中は空っぽだったのだ。
つまり弥生は、俺が帰宅するまでに荷物を運び出して、帰宅したオレに最後通牒を叩きつけてそのまま出ていったということだ。
その事実に気がついた俺は、慌ててズボンのポケットに入れたままのスマホを取り出して、メッセンジャーアプリを立ち上げて、弥生に対してメッセージを送る。
(荷物がなくなってる……どういうことだ、ちゃんと話し合おう)
なんの反応もない。
焦りを抑えつつ画面を注視するが、いつもならすぐつくはずの既読マークがつかない。
慌てて通話アプリを立ち上げて、弥生のアドレスを探してタップする。
だがコール音が鳴ることなく、プーップーッという音が虚しく聞こえるだけだった。
通話中……ではないだろう。
フリーランスで仕事をしていた彼女は、いつでも電話を取れるように割り込み通話オプションを契約している。
つまりこれは、ブロックされているということに他ならない。
どうしてなんだと暗澹たる気持ちでリビングに戻った俺は床の上に転がっていた金属を見つけて、言葉を失った。
冷たい床に転がっていたそれは、俺が一月前に弥生に贈った婚約指輪だった。