第一章
ー/ー『男子3日会わざれば刮目してみよ』という故事成語がある。男は短い期間で急に成長することがあるから、3日も会わなければ相手を注意深く見るべきだという慣用句だ。
しかし俺は思う。故事というだけあって、これはもう現代に即していない。3日会わなかった場合、刮目して見なければならないのは圧倒的に女子の方だ。
「ねぇ、あんたが大学に来てない間に変わったところがあるんだけど、わかる?」
ほぼ敗北が決定した台詞を、前髪をいじりながら柏木宿は口にした。この言葉の恐怖度たるや、口裂け女の「私キレイ?」に負けるとも劣らない。
昼休み、3限の授業を待ちながら教室でおにぎりを咀嚼していた俺の平穏は打ち砕かれてしまった。
「……そんなことよりその白いセーター、良いな。特に前だけinしてるところとか」
しかし俺は思う。故事というだけあって、これはもう現代に即していない。3日会わなかった場合、刮目して見なければならないのは圧倒的に女子の方だ。
「ねぇ、あんたが大学に来てない間に変わったところがあるんだけど、わかる?」
ほぼ敗北が決定した台詞を、前髪をいじりながら柏木宿は口にした。この言葉の恐怖度たるや、口裂け女の「私キレイ?」に負けるとも劣らない。
昼休み、3限の授業を待ちながら教室でおにぎりを咀嚼していた俺の平穏は打ち砕かれてしまった。
「……そんなことよりその白いセーター、良いな。特に前だけinしてるところとか」
「テキトー言って逃れようとしてんじゃねぇよ。正解は前髪3mm切った」
わかるわけねぇだろ、をすんでのところで飲み込む。人間の髪はたしか平均で1日に1mm伸びるはずだ。大学を3日休んでいた俺からすれば±0。変化なし
。いや、まさか正解は「3日も会ってないのに前髪の長さが1mmも変わってないね!もしかして髪切った?」だったのだろうか。きもすぎだろそれ。
柏木にガンを飛ばしていると、柏木は俺の隣に座ってたまごサンドを食べ始めた。ついでにゴミを俺の前に差し出してくる。いらん。
「音信不通だし、マジで死んでるんじゃと思って家まで行ったのにバイクなかったし。あんたもいなかったし。どこ行ってたの」
こういう時、女子が拗ねていれば大抵の男は「可愛いな」だの「俺に気があるんじゃないか」だのと思春期を爆発させるのだろうが、俺は違った。柏木のこれはそういうものではない。こいつは俺を所有物だと思っている節がある。
「音信不通だし、マジで死んでるんじゃと思って家まで行ったのにバイクなかったし。あんたもいなかったし。どこ行ってたの」
こういう時、女子が拗ねていれば大抵の男は「可愛いな」だの「俺に気があるんじゃないか」だのと思春期を爆発させるのだろうが、俺は違った。柏木のこれはそういうものではない。こいつは俺を所有物だと思っている節がある。
スマホの充電がなくなったから充電させろ、と駅にほど近い俺の部屋に上がり込んで、喉が渇いたからなんか飲ませろと2リットルのアクエリアスを直飲みしそ「あー生き返った。そんじゃ」と帰っていくこともしょっちゅうある。
異性として見れる訳はなく、どちらかと言うと俺には異種族に見えている。
「いつも通りバイトだ。インフルエンザで店長とスタッフが何人か潰れたから助けてくれってエリマネに頼まれたんだよ」
時給の高さだけで飛びついた鉄板焼き屋はバイクで片道20分。「俺より使いやすい奴がいるでしょう」と一度は断ったが、時間帯責任者の資格を持っているのが俺しか残っていないと泣きつかれたのだ。いい歳こいた役職持ちのおっさんに泣きつかれるのは正直キツかった。二度とされたくない。
仕方なく俺は3日分の制服を抱えて店の裏手にあるネカフェに転がり込んだ。費用はエリマネ持ち。バイクの駐車料金と飯代もふんだくった。2年で過半数以上の単位をとってしまった俺にとって、3日のずる休みなどかすり傷以下だ。
「というわけでドロドロになるまで働いて泥のように眠ってた」
「そんな生活、バイトの副業で大学通ってるみたいなもんじゃん」
「仕方ねぇだろ。学費を稼がないといけねぇんだから」
実際、奨学金は大した足しになっていない。うちは父親がいないせいで学費も一苦労で、俺と母親の2人がかりで何とか翌年の学費を工面している自転車操業なのだ。
俺が柏木とギャーギャー言い争っていると、そのうち同じ学科の奴らもちらほら集まってきた。「今日もやってんねぇ痴話喧嘩」と煽りを入れられ、面倒になり2人で黙る。
別に俺たちはそんな仲ではない。ただ2年間で取れる限りの授業を取り切ったという共通点があるだけだ。顔を合わせるタイミングが多ければ、最低限の縁はできる。たまにお互いの家で漫画を読みふけったり、柏木から迷惑行為を頻繁にかまされるというだけだ。
『ねぇねぇ、今年のクリスマスはどうする?』
毎回教室の後ろ側を陣取る集団から、そんな声が聞えてきた。あぁ、今年もこの時期が来たのか。夏に蝉が湧くように12月は陽キャが沸き始める。いや別に常日頃沸いてるんだけど。
「クリスマスって【Xmas】って書くでしょ? あのXは『キス』の意味もあるんだってー」
「うわ、なんかえっろ」
「もー、あんたはすぐそういう風に考えるんだからー」
そういう風に煽ってほしくて"昨日Twitterで拾いました"レベルの雑学披露したような女がぴーちくさえずる。
「ちなみにXを3つ並べるのが主流なんだって」
「『ア・イ・シ・テ・ルのサイン』みたいな?」
「そうそう! そんな感じ!」
振動に気付き隣を見ると、胸焼けした顔で柏木が貧乏ゆすりをしていた。
「柏木、顔と体に出てるぞ。お前今年も独り身かよ。そんな顔するくらいならテキトーな奴ちょちょっとひっかければいいだろ」
「福圓、あんたはその時代に逆行したハラスメント気質を治せ。これでも謳歌できる青春をバイトなんかに捧げている奴よりはマシな学生生活を送ってるよ」
「そんな生活、バイトの副業で大学通ってるみたいなもんじゃん」
「仕方ねぇだろ。学費を稼がないといけねぇんだから」
実際、奨学金は大した足しになっていない。うちは父親がいないせいで学費も一苦労で、俺と母親の2人がかりで何とか翌年の学費を工面している自転車操業なのだ。
俺が柏木とギャーギャー言い争っていると、そのうち同じ学科の奴らもちらほら集まってきた。「今日もやってんねぇ痴話喧嘩」と煽りを入れられ、面倒になり2人で黙る。
別に俺たちはそんな仲ではない。ただ2年間で取れる限りの授業を取り切ったという共通点があるだけだ。顔を合わせるタイミングが多ければ、最低限の縁はできる。たまにお互いの家で漫画を読みふけったり、柏木から迷惑行為を頻繁にかまされるというだけだ。
『ねぇねぇ、今年のクリスマスはどうする?』
毎回教室の後ろ側を陣取る集団から、そんな声が聞えてきた。あぁ、今年もこの時期が来たのか。夏に蝉が湧くように12月は陽キャが沸き始める。いや別に常日頃沸いてるんだけど。
「クリスマスって【Xmas】って書くでしょ? あのXは『キス』の意味もあるんだってー」
「うわ、なんかえっろ」
「もー、あんたはすぐそういう風に考えるんだからー」
そういう風に煽ってほしくて"昨日Twitterで拾いました"レベルの雑学披露したような女がぴーちくさえずる。
「ちなみにXを3つ並べるのが主流なんだって」
「『ア・イ・シ・テ・ルのサイン』みたいな?」
「そうそう! そんな感じ!」
振動に気付き隣を見ると、胸焼けした顔で柏木が貧乏ゆすりをしていた。
「柏木、顔と体に出てるぞ。お前今年も独り身かよ。そんな顔するくらいならテキトーな奴ちょちょっとひっかければいいだろ」
「福圓、あんたはその時代に逆行したハラスメント気質を治せ。これでも謳歌できる青春をバイトなんかに捧げている奴よりはマシな学生生活を送ってるよ」
柏木がブーツで足首を蹴飛ばしてくる。イラっとしていると、すぐ後ろから御手洗のにやついた声が聞こえてきた。
「いや、これだけバイトにご執心なんだ。むしろバイト先に女がいると考えた方が自然じゃないか?柏木さん」
唐突な差し込みに柏木の肩がびくっと跳ねる。
おい、いつものお調子者発揮はやめてくれ御手洗。俺はこいつにさっき、3日間帰宅せずに働いた話をしたばかりだ。邪推されかねない。
「……あ、そういうこと?」
柏木が俺ではなく御手洗の方を向いて確認する。いや俺を見ろよ。
「……あ、そういうこと?」
柏木が俺ではなく御手洗の方を向いて確認する。いや俺を見ろよ。
いつもと違う異様な空気を感じたのか、御手洗は「まぁ福圓に限ってそれはないか。すまんな茶化して。来期の学費は大丈夫そうなのか?」と話の腰をねじ切るように無理やり方向転換してきた。御手洗の額に冷や汗が見える。
「……そういえば1年生の時から、イブとクリスマスだけは固定のバイトがあるって一切の誘いを断るし、連絡も付かなくなるよなあんた」
だめだ。学生なのに社畜だった事実が誤解の信ぴょう性を高めていく。。
「おい御手洗……?」
振り返ると、御手洗の遠のいていく背中が見えた。音も無く駆け出しやがった。マジで許さんぞあいつ。
「なぁ、福圓。今年はあたし、琴音ちゃんとか日下部からタコパしようぜって誘われてるんだけどさ、あんた来ない? 焼くのうまいじゃん。鉄板焼き屋だし」
「……今年もイブとクリスマスはバイトが入ってるから」
「2日間固定ってことは、鉄板焼き以外にもケーキとかチキンとか売ってんのか? ほら駅前とかでよくサンタのコスプレしてるやつあるじゃん。買いに行ってやろうか」
「遥か辺境の駅で売ってるから来れないと思う」
「じゃあ24日の夜に電話しようぜ」
「その駅周辺は電波通ってないから。泊まり込みだから」
「駅名は?」
「……きさらぎ駅」
「二度と戻ってくんなクソ野郎」
柏木は机を両手で強く叩きつけて立ち上がり、荷物を抱えて俺から離れていった。教室を出ていくのかと思えば、さっき御手洗が避難した出口に一番近い席へ座り直した。御手洗がビビり散らかしている。
マズイ、なんてことは1つもないはずなのに、俺は悪寒が止まらなかった。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
『男子3日会わざれば刮目してみよ』という故事成語がある。男は短い期間で急に成長することがあるから、3日も会わなければ相手を注意深く見るべきだという慣用句だ。
しかし俺は思う。故事というだけあって、これはもう現代に即していない。3日会わなかった場合、刮目して見なければならないのは圧倒的に女子の方だ。
「ねぇ、あんたが大学に来てない間に変わったところがあるんだけど、わかる?」
ほぼ敗北が決定した台詞を、前髪をいじりながら|柏木宿《かしわぎやどり》は口にした。この言葉の恐怖度たるや、口裂け女の「私キレイ?」に負けるとも劣らない。
昼休み、3限の授業を待ちながら教室でおにぎりを咀嚼していた俺の平穏は打ち砕かれてしまった。
「……そんなことよりその白いセーター、良いな。特に前だけinしてるところとか」
「テキトー言って逃れようとしてんじゃねぇよ。正解は前髪3mm切った」
わかるわけねぇだろ、をすんでのところで飲み込む。人間の髪はたしか平均で1日に1mm伸びるはずだ。大学を3日休んでいた俺からすれば±0。変化なし
。いや、まさか正解は「3日も会ってないのに前髪の長さが1mmも変わってないね!もしかして髪切った?」だったのだろうか。きもすぎだろそれ。
柏木にガンを飛ばしていると、柏木は俺の隣に座ってたまごサンドを食べ始めた。ついでにゴミを俺の前に差し出してくる。いらん。
「音信不通だし、マジで死んでるんじゃと思って家まで行ったのにバイクなかったし。あんたもいなかったし。どこ行ってたの」
こういう時、女子が拗ねていれば大抵の男は「可愛いな」だの「俺に気があるんじゃないか」だのと思春期を爆発させるのだろうが、俺は違った。柏木のこれはそういうものではない。こいつは俺を所有物だと思っている節がある。
スマホの充電がなくなったから充電させろ、と駅にほど近い俺の部屋に上がり込んで、喉が渇いたからなんか飲ませろと2リットルのアクエリアスを直飲みしそ「あー生き返った。そんじゃ」と帰っていくこともしょっちゅうある。
異性として見れる訳はなく、どちらかと言うと俺には異種族に見えている。
「いつも通りバイトだ。インフルエンザで店長とスタッフが何人か潰れたから助けてくれってエリマネに頼まれたんだよ」
時給の高さだけで飛びついた鉄板焼き屋はバイクで片道20分。「俺より使いやすい奴がいるでしょう」と一度は断ったが、時間帯責任者の資格を持っているのが俺しか残っていないと泣きつかれたのだ。いい歳こいた役職持ちのおっさんに泣きつかれるのは正直キツかった。二度とされたくない。
仕方なく俺は3日分の制服を抱えて店の裏手にあるネカフェに転がり込んだ。費用はエリマネ持ち。バイクの駐車料金と飯代もふんだくった。2年で過半数以上の単位をとってしまった俺にとって、3日のずる休みなどかすり傷以下だ。
「というわけでドロドロになるまで働いて泥のように眠ってた」
「そんな生活、バイトの副業で大学通ってるみたいなもんじゃん」
「仕方ねぇだろ。学費を稼がないといけねぇんだから」
実際、奨学金は大した足しになっていない。うちは父親がいないせいで学費も一苦労で、俺と母親の2人がかりで何とか翌年の学費を工面している自転車操業なのだ。
俺が柏木とギャーギャー言い争っていると、そのうち同じ学科の奴らもちらほら集まってきた。「今日もやってんねぇ痴話喧嘩」と煽りを入れられ、面倒になり2人で黙る。
別に俺たちはそんな仲ではない。ただ2年間で取れる限りの授業を取り切ったという共通点があるだけだ。顔を合わせるタイミングが多ければ、最低限の縁はできる。たまにお互いの家で漫画を読みふけったり、柏木から迷惑行為を頻繁にかまされるというだけだ。
『ねぇねぇ、今年のクリスマスはどうする?』
毎回教室の後ろ側を陣取る集団から、そんな声が聞えてきた。あぁ、今年もこの時期が来たのか。夏に蝉が湧くように12月は陽キャが沸き始める。いや別に常日頃沸いてるんだけど。
「クリスマスって【Xmas】って書くでしょ? あのXは『キス』の意味もあるんだってー」
「うわ、なんかえっろ」
「もー、あんたはすぐそういう風に考えるんだからー」
そういう風に煽ってほしくて"昨日Twitterで拾いました"レベルの雑学披露したような女がぴーちくさえずる。
「ちなみにXを3つ並べるのが主流なんだって」
「『ア・イ・シ・テ・ルのサイン』みたいな?」
「そうそう! そんな感じ!」
振動に気付き隣を見ると、胸焼けした顔で柏木が貧乏ゆすりをしていた。
「柏木、顔と体に出てるぞ。お前今年も独り身かよ。そんな顔するくらいならテキトーな奴ちょちょっとひっかければいいだろ」
「|福圓《ふくえん》、あんたはその時代に逆行したハラスメント気質を治せ。これでも謳歌できる青春をバイトなんかに捧げている奴よりはマシな学生生活を送ってるよ」
柏木がブーツで足首を蹴飛ばしてくる。イラっとしていると、すぐ後ろから|御手洗《みたらい》のにやついた声が聞こえてきた。
「いや、これだけバイトにご執心なんだ。むしろバイト先に女がいると考えた方が自然じゃないか?柏木さん」
唐突な差し込みに柏木の肩がびくっと跳ねる。
おい、いつものお調子者発揮はやめてくれ御手洗。俺はこいつにさっき、3日間帰宅せずに働いた話をしたばかりだ。邪推されかねない。
「……あ、そういうこと?」
柏木が俺ではなく御手洗の方を向いて確認する。いや俺を見ろよ。
いつもと違う異様な空気を感じたのか、御手洗は「まぁ福圓に限ってそれはないか。すまんな茶化して。来期の学費は大丈夫そうなのか?」と話の腰をねじ切るように無理やり方向転換してきた。御手洗の額に冷や汗が見える。
「……そういえば1年生の時から、イブとクリスマスだけは固定のバイトがあるって一切の誘いを断るし、連絡も付かなくなるよなあんた」
だめだ。学生なのに社畜だった事実が誤解の信ぴょう性を高めていく。。
「おい御手洗……?」
振り返ると、御手洗の遠のいていく背中が見えた。音も無く駆け出しやがった。マジで許さんぞあいつ。
「なぁ、福圓。今年はあたし、琴音ちゃんとか日下部からタコパしようぜって誘われてるんだけどさ、あんた来ない? 焼くのうまいじゃん。鉄板焼き屋だし」
「……今年もイブとクリスマスはバイトが入ってるから」
「2日間固定ってことは、鉄板焼き以外にもケーキとかチキンとか売ってんのか? ほら駅前とかでよくサンタのコスプレしてるやつあるじゃん。買いに行ってやろうか」
「遥か辺境の駅で売ってるから来れないと思う」
「じゃあ24日の夜に電話しようぜ」
「その駅周辺は電波通ってないから。泊まり込みだから」
「駅名は?」
「……きさらぎ駅」
「二度と戻ってくんなクソ野郎」
柏木は机を両手で強く叩きつけて立ち上がり、荷物を抱えて俺から離れていった。教室を出ていくのかと思えば、さっき御手洗が避難した出口に一番近い席へ座り直した。御手洗がビビり散らかしている。
マズイ、なんてことは1つもないはずなのに、俺は悪寒が止まらなかった。