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4.絹糸の織りゆく道-3

ー/ー



「ヤンイェン殿下……」
 唐突に出された名前に、クーティエは呆然と立ち尽くした。
 絶句する彼女の耳に、冷然としたハオリュウの声が響く。
「そもそも、『ライシェン』に関わることを、父親のヤンイェン殿下抜きで考えてはいけないんだ。ご機嫌伺いと称して、彼に会いに行こうと思う」
「――そう、よ……ね」
 セレイエの事実上の夫で、『ライシェン』の父親――ヤンイェンは間違いなく、重要人物だ。しかも、〈天使〉に詳しい。是非とも、協力してもらうべき相手といえるだろう。
 現にクーティエだって、『ライシェン』が王宮に行けば、ヤンイェンが保護してくれるはずだ、と言ったばかりだ。
「……でも、すんなり、お会いできるものなの?」
 それは、素朴な疑問だった。
 以前から、ルイフォンたちが『ヤンイェン殿下に、『ライシェン』のことを知らせなければ』と言いつつ、なかなか実行に移さないので、なんとなく、簡単には会えない人のような印象があっただけだ。
「――……っ」
 ハオリュウの息遣いが、わずかに乱れた。
 それは、気配に敏感なクーティエだからこそ、分かった程度の、些細なものだった。けれど、彼女は、彼が不快に思ったのだと感じ、慌てて弁解するように続ける。
「ごめんなさい! あ、あのね、ハオリュウは貴族(シャトーア)なんだから、王族(フェイラ)に会うことができるのは分かっているの。それに、ヤンイェン殿下とは親しかったんでしょ? 一緒にお茶くらいしても、おかしくないと思う。――でも、ヤンイェン殿下の周りって、摂政殿下が目を光らせているんじゃないの? ほら、殿下たちは政敵(ライバル)同士なわけで……」
 自分で言いながら、クーティエは、はっと顔色を変えた。
「ちょっと待って! 脅迫している真っ最中のハオリュウと、政敵(ライバル)のヤンイェン殿下が会っているのが摂政殿下にバレたら、ふたりが結託して自分に逆らおうとしている、って考えるんじゃないの!? それって、まずくない!? 緋扇シュアンが殺されちゃう!」
 クーティエは盛大に取り乱しながら、ハオリュウに迫る。
 対して、ハオリュウは、柔らかな苦笑で肩をすくめた。
「勿論、ヤンイェン殿下との面会が秘密裏に行われるよう、いろいろと手を回すつもりだよ」
 ハオリュウの声は、とても平静だった。しかし――否、『だからこそ』、クーティエは胸騒ぎがした。
「いろいろ手を回す、って……。それって、やっぱり、危険だってことじゃない!?」
「そりゃあ、僕の生きている世界は、魑魅魍魎の棲み家だからね」
 穏やかに見える善人顔で、ハオリュウが微笑む。
 刹那。
 クーティエの中で、何かが弾けた。
 向かいのソファーへと駆け寄り、自分の手がハオリュウを目指して、まっすぐに伸びていくのを、まるで他人ごとのように見つめる。
「そんな言葉で、誤魔化さないでよ!」
 彼の服に手が触れる――その直前で、彼女は掌を握りしめ、かろうじて彼との接触を回避した。
 彼に掴みかかろうとしたのか、すがりつこうとしたのか。どちらなのかは、彼女自身にも分からない。だが、彼女は、彼に触れていい立場ではないのだから……。
 ぎりぎりのところで自分を制したものの、勢いを殺しきれずに、彼女はソファーに倒れ込む。
 その際、布地の座面に染み込んでいく、自分の涙が見えた。慌てて(うつむ)き、結い上げていない長い髪で、さっと顔を隠す。
 怖かった。
 ハオリュウが、知らないところに行ってしまいそうな気がして、恐ろしくなった。
 だから、引き止めたくて、体が動いた。
 スプリングを(きし)ませ、ソファーに転がり込んできたクーティエを、ハオリュウが驚いたように見つめる。当然だろう。彼女の行動は、充分すぎるほどに不可解だったのだから。
 彼女は、ぐっと腹に力を入れ、涙を()き止めた。彼に気付かれないように目元を拭い、何ごともなかったかのように彼の横に座る。
 そして、彼の胸に向かって、彼女の直感を叩きつけた。
「ハオリュウの言っていること、どこかおかしい!」
 突然の叫びに、ハオリュウが狼狽する。
「ひとつひとつは、ちゃんと合っているの。大賛成はできないけど、ハオリュウが〈天使〉になることは有効な作戦だって認めるし、『ライシェン』のことをヤンイェン殿下と相談すべきなのは正論。殿下とは、こっそり会わなきゃいけないのも、その通りだわ」
 ハオリュウは聡明だ。たった十二歳で貴族(シャトーア)の当主の座を継いだにも関わらず、既に先代以上に領地を盛り立てている。彼の思考は、常人のそれとは明らかに違う。
 しかし……だ。
「ハオリュウは間違っている! ひとつひとつが正しくても、無理やり繋ぎ合わせているから、ちぐはぐだわ! ……剣舞だってね、ひとつひとつの動きが良くても、全体のバランスが悪かったら、いい演技にはならないの! それと同じよ!」
 斬りつけるように言い放った瞬間、クーティエの頭に、今のハオリュウを表す、的確な言葉が閃いた。
「――そうよ! ハオリュウは、暴走しているのよ!」
 間違いない。
 これは『暴走』だ。
 一見、彼が冷静に見えるから、惑わされた。
 本当は、シュアンを危機に追いやった自分を追い詰め、暴走――そして、迷走していたのだ。
「今、一番、大事なことは、一刻も早く、緋扇シュアンを助けることでしょ! だって、酷い暴行を受けているはずだ、って言っていたじゃない!」
 びくり、と。ハオリュウの体が震えた。その動きにあわせ、服に織り込まれた流水文様が、波紋を描くように絹の光沢を波打たせる。
 クーティエは、ぐっと顎を上げ、貫くような瞳で彼を見上げた。
「〈天使〉になるのが有効な手段だとしても、〈天使〉化をヤンイェン殿下を頼るのは、現実的な策じゃないわ。お会いするための根回しに時間が掛かる上に、摂政殿下にバレたときには緋扇シュアンが殺される」
 ハオリュウは押し黙ったまま、硬い顔でクーティエに視線を落とす。
「ヤンイェン殿下は重要人物だけど、彼に会うのは『今』じゃない。――〈天使〉になるなら、やっぱり、メイシアを頼るべきよ」
「……でも、姉様は、僕が〈天使〉になることを絶対に許さないよ」
「私が、メイシアを説得する」
「無理だ」
 にべもない反論は、クーティエの予想通り。だから、かぶせるように切り返す。
「メイシアに、『〈天使〉になる方法を教えてくれないのなら、じゃあ、どうやって緋扇シュアンを助ければいいの?』って訊けばいいいだけよ」
「なっ……、姉様を脅迫するつもりか!?」
「脅迫なんかじゃないわよ、ただの相談よ。メイシアだけじゃなくて、ルイフォンにも考えてもらって、一番いい作戦を採用するの。それで、ハオリュウが〈天使〉になるのが一番の名案だ、ってなったら、そのときはメイシアも教えてくれるはずよ」
 賢いくせに、異母姉(あね)に対して、どこか過保護なハオリュウは、こんな駆け引きも思いつかなかったらしい。……とはいえ、クーティエだって、『俺が名案を思いつけば、ハオリュウは乗り換える』という、ルイフォンの言葉を借りただけ。――要するに、皆で額を寄せ合って、一番いい方法を選べばよいというだけだ。
「駄目だ」
 静かに、けれど、きっぱりと。ハオリュウの否定が響いた。
「これは、僕が蒔いた種だ。僕が、シュアンを危険な目に遭わせているのだから、姉様やルイフォンを頼るのは(スジ)違いだ。――『僕』が! 『この手』で! シュアンを助けなければいけないんだ!」
 ハオリュウの闇が、ぶわりと広がる。
「違うわ! 『ライシェン』を手に入れたい摂政殿下が、ハオリュウや緋扇シュアンを利用しているだけよ! そして、『ライシェン』は、ルイフォンとメイシアに託されているんだから、ふたりは立派に当事者だわ!」
 クーティエは、ハオリュウに負けじと声を張り上げ、更に畳み掛ける。
「それに、ハオリュウは『ライシェン』の情報と引き換えに、シュアンを返してもらうこともできるのに、鷹刀のために、それをしない。だったら、鷹刀一族総帥(曽祖父上)や、次期総帥(リュイセンにぃ)にだって、協力してもらっていいはずよ!」
 ハオリュウが『ひとり』で背負う必要はないのだ。
 クーティエは、強い眼差しで彼を呼ぶ。一緒に草薙家(うち)に来て――と。
 しかし、彼は、ゆっくりと(かぶり)を振った。
「僕は、シュアンに対して責任がある。カイウォル殿下の思惑はどうであれ、僕のせいでシュアンに危害が加えられていることに変わりはない」
 ぴんと張られた絹糸(けんし)の輝きで、ハオリュウは告げる。
 その言葉も、覚悟も、クーティエは美しいと感じた。権力者嫌いのシュアンが、貴族(シャトーア)の当主であるハオリュウに人生を――運命を預けるのも、もっともなことだと思う。
 だからこそ、この美しくも、(もろ)く儚い糸が切れないように。――クーティエは守るのだ。
「……ねぇ、ハオリュウ」
 彼女は見えない絹糸(けんし)を握りしめ、自分のほうへと手繰(たぐ)り寄せる。
「ハオリュウは、自分が苦しんだり、辛い思いをしたりすることが、責任を取るということだと思っているみたいだけど、私は違うと思う。だって、そんなの、緋扇シュアンにとっては、なんの得にもならないもの」
 ハオリュウには、自己犠牲を好む傾向(きらい)がある。
 一生、残る足の怪我だって、異母姉(メイシア)を幸せにするために『ひとり』で無茶をしたためだ。
 けれど、ハオリュウが傷ついても、誰も喜ばない。皆、ハオリュウのことが大切なのだから。
「ルイフォンは、なんの手立てもないときには、緋扇シュアンを脱獄させようと考えている。でも、『お尋ね者になっちまうから、あまりいい()じゃない』って言っていた。――それを聞いて、はっとしたの。ただ助けるだけじゃ駄目なんだ、って思った」
 ハオリュウが目を(またた)かせた。クーティエの真意を探るように、彼女の顔を凝視する。
 刺すような視線に、クーティエは一瞬だけ、ひるんだ。けれど、深く息を吸い込み、体の芯に力を入れる。特別な剣舞を披露するかのように、全身に心を込める。
「ハオリュウが、緋扇シュアンに対して取るべき責任。……それは、彼を助けたあとも、彼が今までと変わらずに暮らせるようにしてあげることだわ」
 静謐な書斎に、クーティエの声が広がった。
「日陰者の生活なんかじゃなくて、ハオリュウのそばで堂々としていられること」
 刀を帯びたように鋭く、舞うように鮮やかに。
「あの胡散臭い顔で、ずっと笑っていられるようにしてあげること……」
「――!」
 ハオリュウの目が見開かれた。
「だって、あいつ、ハオリュウのことが大好きだもの!」
 畳み掛けられた言葉に、高い襟で覆われたハオリュウの喉が、こくりと動く。
 それを視界に捕らえつつ、クーティエは更に重ねた。
「今の緋扇シュアンは『死刑の決まっている犯罪者』なの。そんな彼を助け出して、元通りの生活を送れるようにしてあげるって、凄く難しいと思う。……ハオリュウは誰にも頼りたくないかもしれないけど、人手は多いほうが、採れる作戦の幅が広がるはずよ。ルイフォンは情報に強いし、鷹刀の人間は武術に()けている。人脈だって、たくさんあるわ」
 そうでしょ!?
 直刀の瞳が、まっすぐに告げる。
 刹那、ハオリュウは貫かれたかのように、びくりと体を震わせ、次の瞬間には、目の前の机に強く拳を打ちつけていた。
「僕は……、愚かだ……!」
 黒絹の髪に指を滑らせ、頭を抱えるようにして呟く。
「シュアンのことを一番に考えるべきなのに。彼のことを思うなら、あらゆる手を尽くすべきなのに……。狭い視野で……」
 ハオリュウは、そこで口を閉ざし、首を振った。今は、そんなことを言っている場合ではないのだと。そして、うつむいた姿勢から顔を上げ、彼女の名を呼ぶ。
「クーティエ」
 その眼差しには、挑むような光が宿っていた。
「今すぐ、僕をあなたの家に連れて行ってほしい。ルイフォンたちの力を借りたい」
「勿論よ!」
 クーティエは、喜色を満面に浮かべる。大きく頷いた彼女に、ハオリュウは少し気まずげに続ける。
「けど、誤解しないでほしい。僕が〈天使〉になるという策を捨てたわけじゃないんだ。今でも、最善手だと思っている。ただ、例えば〈天使〉化に何日も掛かったりするのだったら、別の()を考えないといけない。だから――」
 ハオリュウの顔つきは、別人のように変わっていた。
 先ほどまでの、闇と同化した、暴走した彼ではない。しなやかに闇を従える、冷静な絹の貴公子――いつものハオリュウだ。
「幾つもの可能性を考慮して、幾つもの策を用意して、最善の方法でシュアンを助ける。そのために、皆の知恵を借りたいんだ」
 そう言っている間にも、彼は既にソファーから立ち上がっていた。絹地の裾が翻り、流水模様が広がる。風が巻き起こる。
 ハオリュウは執務机に置かれた携帯端末を手に取り、誰かに連絡を入れた。どうやら、相手は執事らしい。数日、屋敷を空けると――その間、藤咲家の当主は、部屋に籠もりきりであるように装ってほしいと告げていた。
 彼は通話を切ると、ふと、執務机と向き合うように置かれた椅子に視線を落とした。クーティエは知る(よし)もないが、それは、シュアンがハオリュウの書斎を訪れるときに、いつも決まって座る椅子だった。
「クーティエ……。シュアンは、僕のそばにいると誓ってくれたとき、『俺に『穏やかな日常』は、似合わねぇからよ』と言ったんだ」
 唐突な話に、彼女は『え?』と戸惑いの声を上げそうになった。けれど、すんでのところで「うん」という相槌に切り替えた。ハオリュウが、ただ聞いてほしいのだということに気づいたからだ。
「僕は子供で、何も分かっていなかった。だから、そばにいてくれると言われたら、嬉しくて、『ありがとう』と素直に喜んだ。あまつさえ、『対等な友人でありたいから』などと言って、警察隊を続けるように頼んでしまった。……本当に馬鹿で、愚かだ。――覚悟の欠片(かけら)すらなかった」
 吐き捨てるように、ハオリュウは言う。
「シュアンは腹を決めて、僕のそばにいると誓ってくれたんだ。だったら僕は、対等なんて言葉に甘えず、腹を(くく)って彼の人生を預かるべきだった」
 ハオリュウは、ぎりりと奥歯を噛んだ。
 口元が、悔しげに歪む。
「シュアンが『穏やかな日常』を捨てる必要はない。僕のそばにいることで、何かを捨てるくらいなら、僕のそばになんかいないほうがいい。――彼が僕のそばにいてくれるというのなら、僕には、彼に『穏やかな日常』を与え、彼を幸せにする義務がある」
 力強く響き渡るハオリュウの声は、比類なき王者の光沢を放つ、絹のよう。
 それも(もろ)く儚い、たった一本の糸などではない。数多(あまた)の思いの絹糸(けんし)を縦横に織り重ねた、(すべ)らかで柔軟な絹織物である。
 ハオリュウは、クーティエの姿を瞳に映す。
 そして、誓う。
「僕は、僕に運命を預けてくれたシュアンに、幸せを贈る――!」


 奈落の闇に沈む、幽寂な夜に、カタカタと叩きつけるような音が響き渡る。
 ルイフォンは、ひたすらキーボードに指を走らせ、シュアンの逮捕に関する情報を黙々と集め続けていた。OAグラスの下の目は血走り、無機質な〈(フェレース)〉の顔が、モニタ画面に照らされて青白い光を帯びる。
 そんな彼のもとへハオリュウからの連絡が入ったのは、クーティエが草薙家を発ってから、小一時間ほど過ぎたときのことであった。
『ルイフォン、力を貸してください。僕は、なんとしてでもシュアンを取り戻したい。それも、彼がこの先、幸せに暮らしていけるような方法で』
 険しさをはらみながらも、凛と澄んだ力強い声だった。シュアンの逮捕を知らせたときとは、雲泥の差である。
『今、草薙家(そちら)に向かう車の中です。詳しい事情はこれからお話しますが、それより先に、シュアンの状況を教えてください。あなたのことですから、監視カメラは、既に支配下にあるのでしょう?』
「……っ」
 ルイフォンは狼狽した。勿論、ハオリュウの言う通り、監視カメラなら、とっくに掌中に収めている。しかし、事態を正直に告げてよいものか迷ったのだ。
『ルイフォン』
 惑う彼の耳朶に、硬い声が重ねられた。対面ならいざ知らず、携帯端末越しであるにも関わらず、まるでこちらのためらいが見えているかのような口調だった。
『シュアンは、理不尽な暴行を受けているはずです。死刑囚を収容する監獄の看守は荒っぽく、憂さ晴らしに囚人を嬲り殺しにすることもあると、シュアンから聞いています』
「……」
 ルイフォンは唇を噛んだ。
 けれど、迷いは消えた。むしろ、ありのままを伝えるべきだと思った。彼は癖の強い前髪を掻き上げ、静かに口を開く。
「結論から先に言う。シュアンは無事だ」
『よかっ……』
 安堵の息をつこうとしたハオリュウを、ルイフォンは鋭く遮った。
「けど、ついさっきまで、酷い暴行を受けていた」
『――っ!』
「様子を見に来た摂政が気づいて、医者を呼んだ。……あと少し遅ければ、死んでいた」
『…………』
 押し黙ったハオリュウに、ルイフォンは淡々と告げる。
「今後は、摂政が目を光らせているだろうから、シュアンが暴行を受ける心配はないだろう」
『……報告、ありがとうございます……』
 ハオリュウが硬い声で答えると、ルイフォンは、ぐっと腹に力を入れた。
 そして、伝える。
 間違っても、ハオリュウを責めているように聞こえないように。努めて冷静に、細心の注意を払いながら。
「……ハオリュウ。シュアンは看守たちを煽って、必要以上に自分に危害を加えさせていた」
『えっ!?』
「あいつは、死のうとしていた」
『なっ!? どうして……』
 それは、とても正視に耐えない光景だった。
 監視カメラを乗っ取った瞬間、メイシアは情報屋との電話中で、あの映像を目にしなかったのは本当に幸いだったと思う。
 それでいて、当のシュアンは、へらへらと笑いながら、時々、カメラに向けて視線を送ってくるのだ。ルイフォンが見ていることを信じて疑わず、あとを頼んだと、片目の腫れ上がった三白眼で訴えてきた。
「シュアンは、お前の枷になりたくなかったんだ。自分が囚われれば、お前が窮地に陥る。それが分かっているから、自ら命を絶とうとした。そして、監視カメラを使って、自分の死という情報を俺に伝えようとしていた」
『…………!』
「とんでもない馬鹿で、お人好しだ……! ……ハオリュウ、絶対に、シュアンを助けるぞ!」
 冷静であろうとしていたはずなのに、気づいたら、ルイフォンは熱く叫んでいた。
 そして、それとまったく同じ言葉が、携帯端末の向こうでも――。
『シュアンは、必ず、助けます!』


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「ヤンイェン殿下……」
 唐突に出された名前に、クーティエは呆然と立ち尽くした。
 絶句する彼女の耳に、冷然としたハオリュウの声が響く。
「そもそも、『ライシェン』に関わることを、父親のヤンイェン殿下抜きで考えてはいけないんだ。ご機嫌伺いと称して、彼に会いに行こうと思う」
「――そう、よ……ね」
 セレイエの事実上の夫で、『ライシェン』の父親――ヤンイェンは間違いなく、重要人物だ。しかも、〈天使〉に詳しい。是非とも、協力してもらうべき相手といえるだろう。
 現にクーティエだって、『ライシェン』が王宮に行けば、ヤンイェンが保護してくれるはずだ、と言ったばかりだ。
「……でも、すんなり、お会いできるものなの?」
 それは、素朴な疑問だった。
 以前から、ルイフォンたちが『ヤンイェン殿下に、『ライシェン』のことを知らせなければ』と言いつつ、なかなか実行に移さないので、なんとなく、簡単には会えない人のような印象があっただけだ。
「――……っ」
 ハオリュウの息遣いが、わずかに乱れた。
 それは、気配に敏感なクーティエだからこそ、分かった程度の、些細なものだった。けれど、彼女は、彼が不快に思ったのだと感じ、慌てて弁解するように続ける。
「ごめんなさい! あ、あのね、ハオリュウは|貴族《シャトーア》なんだから、|王族《フェイラ》に会うことができるのは分かっているの。それに、ヤンイェン殿下とは親しかったんでしょ? 一緒にお茶くらいしても、おかしくないと思う。――でも、ヤンイェン殿下の周りって、摂政殿下が目を光らせているんじゃないの? ほら、殿下たちは|政敵《ライバル》同士なわけで……」
 自分で言いながら、クーティエは、はっと顔色を変えた。
「ちょっと待って! 脅迫している真っ最中のハオリュウと、|政敵《ライバル》のヤンイェン殿下が会っているのが摂政殿下にバレたら、ふたりが結託して自分に逆らおうとしている、って考えるんじゃないの!? それって、まずくない!? 緋扇シュアンが殺されちゃう!」
 クーティエは盛大に取り乱しながら、ハオリュウに迫る。
 対して、ハオリュウは、柔らかな苦笑で肩をすくめた。
「勿論、ヤンイェン殿下との面会が秘密裏に行われるよう、いろいろと手を回すつもりだよ」
 ハオリュウの声は、とても平静だった。しかし――否、『だからこそ』、クーティエは胸騒ぎがした。
「いろいろ手を回す、って……。それって、やっぱり、危険だってことじゃない!?」
「そりゃあ、僕の生きている世界は、魑魅魍魎の棲み家だからね」
 穏やかに見える善人顔で、ハオリュウが微笑む。
 刹那。
 クーティエの中で、何かが弾けた。
 向かいのソファーへと駆け寄り、自分の手がハオリュウを目指して、まっすぐに伸びていくのを、まるで他人ごとのように見つめる。
「そんな言葉で、誤魔化さないでよ!」
 彼の服に手が触れる――その直前で、彼女は掌を握りしめ、かろうじて彼との接触を回避した。
 彼に掴みかかろうとしたのか、すがりつこうとしたのか。どちらなのかは、彼女自身にも分からない。だが、彼女は、彼に触れていい立場ではないのだから……。
 ぎりぎりのところで自分を制したものの、勢いを殺しきれずに、彼女はソファーに倒れ込む。
 その際、布地の座面に染み込んでいく、自分の涙が見えた。慌てて|俯《うつむ》き、結い上げていない長い髪で、さっと顔を隠す。
 怖かった。
 ハオリュウが、知らないところに行ってしまいそうな気がして、恐ろしくなった。
 だから、引き止めたくて、体が動いた。
 スプリングを|軋《きし》ませ、ソファーに転がり込んできたクーティエを、ハオリュウが驚いたように見つめる。当然だろう。彼女の行動は、充分すぎるほどに不可解だったのだから。
 彼女は、ぐっと腹に力を入れ、涙を|堰《せ》き止めた。彼に気付かれないように目元を拭い、何ごともなかったかのように彼の横に座る。
 そして、彼の胸に向かって、彼女の直感を叩きつけた。
「ハオリュウの言っていること、どこかおかしい!」
 突然の叫びに、ハオリュウが狼狽する。
「ひとつひとつは、ちゃんと合っているの。大賛成はできないけど、ハオリュウが〈天使〉になることは有効な作戦だって認めるし、『ライシェン』のことをヤンイェン殿下と相談すべきなのは正論。殿下とは、こっそり会わなきゃいけないのも、その通りだわ」
 ハオリュウは聡明だ。たった十二歳で|貴族《シャトーア》の当主の座を継いだにも関わらず、既に先代以上に領地を盛り立てている。彼の思考は、常人のそれとは明らかに違う。
 しかし……だ。
「ハオリュウは間違っている! ひとつひとつが正しくても、無理やり繋ぎ合わせているから、ちぐはぐだわ! ……剣舞だってね、ひとつひとつの動きが良くても、全体のバランスが悪かったら、いい演技にはならないの! それと同じよ!」
 斬りつけるように言い放った瞬間、クーティエの頭に、今のハオリュウを表す、的確な言葉が閃いた。
「――そうよ! ハオリュウは、暴走しているのよ!」
 間違いない。
 これは『暴走』だ。
 一見、彼が冷静に見えるから、惑わされた。
 本当は、シュアンを危機に追いやった自分を追い詰め、暴走――そして、迷走していたのだ。
「今、一番、大事なことは、一刻も早く、緋扇シュアンを助けることでしょ! だって、酷い暴行を受けているはずだ、って言っていたじゃない!」
 びくり、と。ハオリュウの体が震えた。その動きにあわせ、服に織り込まれた流水文様が、波紋を描くように絹の光沢を波打たせる。
 クーティエは、ぐっと顎を上げ、貫くような瞳で彼を見上げた。
「〈天使〉になるのが有効な手段だとしても、〈天使〉化をヤンイェン殿下を頼るのは、現実的な策じゃないわ。お会いするための根回しに時間が掛かる上に、摂政殿下にバレたときには緋扇シュアンが殺される」
 ハオリュウは押し黙ったまま、硬い顔でクーティエに視線を落とす。
「ヤンイェン殿下は重要人物だけど、彼に会うのは『今』じゃない。――〈天使〉になるなら、やっぱり、メイシアを頼るべきよ」
「……でも、姉様は、僕が〈天使〉になることを絶対に許さないよ」
「私が、メイシアを説得する」
「無理だ」
 にべもない反論は、クーティエの予想通り。だから、かぶせるように切り返す。
「メイシアに、『〈天使〉になる方法を教えてくれないのなら、じゃあ、どうやって緋扇シュアンを助ければいいの?』って訊けばいいいだけよ」
「なっ……、姉様を脅迫するつもりか!?」
「脅迫なんかじゃないわよ、ただの相談よ。メイシアだけじゃなくて、ルイフォンにも考えてもらって、一番いい作戦を採用するの。それで、ハオリュウが〈天使〉になるのが一番の名案だ、ってなったら、そのときはメイシアも教えてくれるはずよ」
 賢いくせに、|異母姉《あね》に対して、どこか過保護なハオリュウは、こんな駆け引きも思いつかなかったらしい。……とはいえ、クーティエだって、『俺が名案を思いつけば、ハオリュウは乗り換える』という、ルイフォンの言葉を借りただけ。――要するに、皆で額を寄せ合って、一番いい方法を選べばよいというだけだ。
「駄目だ」
 静かに、けれど、きっぱりと。ハオリュウの否定が響いた。
「これは、僕が蒔いた種だ。僕が、シュアンを危険な目に遭わせているのだから、姉様やルイフォンを頼るのは|筋《スジ》違いだ。――『僕』が! 『この手』で! シュアンを助けなければいけないんだ!」
 ハオリュウの闇が、ぶわりと広がる。
「違うわ! 『ライシェン』を手に入れたい摂政殿下が、ハオリュウや緋扇シュアンを利用しているだけよ! そして、『ライシェン』は、ルイフォンとメイシアに託されているんだから、ふたりは立派に当事者だわ!」
 クーティエは、ハオリュウに負けじと声を張り上げ、更に畳み掛ける。
「それに、ハオリュウは『ライシェン』の情報と引き換えに、シュアンを返してもらうこともできるのに、鷹刀のために、それをしない。だったら、|鷹刀一族総帥《曽祖父上》や、|次期総帥《リュイセンにぃ》にだって、協力してもらっていいはずよ!」
 ハオリュウが『ひとり』で背負う必要はないのだ。
 クーティエは、強い眼差しで彼を呼ぶ。一緒に|草薙家《うち》に来て――と。
 しかし、彼は、ゆっくりと|頭《かぶり》を振った。
「僕は、シュアンに対して責任がある。カイウォル殿下の思惑はどうであれ、僕のせいでシュアンに危害が加えられていることに変わりはない」
 ぴんと張られた|絹糸《けんし》の輝きで、ハオリュウは告げる。
 その言葉も、覚悟も、クーティエは美しいと感じた。権力者嫌いのシュアンが、|貴族《シャトーア》の当主であるハオリュウに人生を――運命を預けるのも、もっともなことだと思う。
 だからこそ、この美しくも、|脆《もろ》く儚い糸が切れないように。――クーティエは守るのだ。
「……ねぇ、ハオリュウ」
 彼女は見えない|絹糸《けんし》を握りしめ、自分のほうへと|手繰《たぐ》り寄せる。
「ハオリュウは、自分が苦しんだり、辛い思いをしたりすることが、責任を取るということだと思っているみたいだけど、私は違うと思う。だって、そんなの、緋扇シュアンにとっては、なんの得にもならないもの」
 ハオリュウには、自己犠牲を好む|傾向《きらい》がある。
 一生、残る足の怪我だって、|異母姉《メイシア》を幸せにするために『ひとり』で無茶をしたためだ。
 けれど、ハオリュウが傷ついても、誰も喜ばない。皆、ハオリュウのことが大切なのだから。
「ルイフォンは、なんの手立てもないときには、緋扇シュアンを脱獄させようと考えている。でも、『お尋ね者になっちまうから、あまりいい|策《て》じゃない』って言っていた。――それを聞いて、はっとしたの。ただ助けるだけじゃ駄目なんだ、って思った」
 ハオリュウが目を|瞬《またた》かせた。クーティエの真意を探るように、彼女の顔を凝視する。
 刺すような視線に、クーティエは一瞬だけ、ひるんだ。けれど、深く息を吸い込み、体の芯に力を入れる。特別な剣舞を披露するかのように、全身に心を込める。
「ハオリュウが、緋扇シュアンに対して取るべき責任。……それは、彼を助けたあとも、彼が今までと変わらずに暮らせるようにしてあげることだわ」
 静謐な書斎に、クーティエの声が広がった。
「日陰者の生活なんかじゃなくて、ハオリュウのそばで堂々としていられること」
 刀を帯びたように鋭く、舞うように鮮やかに。
「あの胡散臭い顔で、ずっと笑っていられるようにしてあげること……」
「――!」
 ハオリュウの目が見開かれた。
「だって、あいつ、ハオリュウのことが大好きだもの!」
 畳み掛けられた言葉に、高い襟で覆われたハオリュウの喉が、こくりと動く。
 それを視界に捕らえつつ、クーティエは更に重ねた。
「今の緋扇シュアンは『死刑の決まっている犯罪者』なの。そんな彼を助け出して、元通りの生活を送れるようにしてあげるって、凄く難しいと思う。……ハオリュウは誰にも頼りたくないかもしれないけど、人手は多いほうが、採れる作戦の幅が広がるはずよ。ルイフォンは情報に強いし、鷹刀の人間は武術に|長《た》けている。人脈だって、たくさんあるわ」
 そうでしょ!?
 直刀の瞳が、まっすぐに告げる。
 刹那、ハオリュウは貫かれたかのように、びくりと体を震わせ、次の瞬間には、目の前の机に強く拳を打ちつけていた。
「僕は……、愚かだ……!」
 黒絹の髪に指を滑らせ、頭を抱えるようにして呟く。
「シュアンのことを一番に考えるべきなのに。彼のことを思うなら、あらゆる手を尽くすべきなのに……。狭い視野で……」
 ハオリュウは、そこで口を閉ざし、首を振った。今は、そんなことを言っている場合ではないのだと。そして、うつむいた姿勢から顔を上げ、彼女の名を呼ぶ。
「クーティエ」
 その眼差しには、挑むような光が宿っていた。
「今すぐ、僕をあなたの家に連れて行ってほしい。ルイフォンたちの力を借りたい」
「勿論よ!」
 クーティエは、喜色を満面に浮かべる。大きく頷いた彼女に、ハオリュウは少し気まずげに続ける。
「けど、誤解しないでほしい。僕が〈天使〉になるという策を捨てたわけじゃないんだ。今でも、最善手だと思っている。ただ、例えば〈天使〉化に何日も掛かったりするのだったら、別の|策《て》を考えないといけない。だから――」
 ハオリュウの顔つきは、別人のように変わっていた。
 先ほどまでの、闇と同化した、暴走した彼ではない。しなやかに闇を従える、冷静な絹の貴公子――いつものハオリュウだ。
「幾つもの可能性を考慮して、幾つもの策を用意して、最善の方法でシュアンを助ける。そのために、皆の知恵を借りたいんだ」
 そう言っている間にも、彼は既にソファーから立ち上がっていた。絹地の裾が翻り、流水模様が広がる。風が巻き起こる。
 ハオリュウは執務机に置かれた携帯端末を手に取り、誰かに連絡を入れた。どうやら、相手は執事らしい。数日、屋敷を空けると――その間、藤咲家の当主は、部屋に籠もりきりであるように装ってほしいと告げていた。
 彼は通話を切ると、ふと、執務机と向き合うように置かれた椅子に視線を落とした。クーティエは知る|由《よし》もないが、それは、シュアンがハオリュウの書斎を訪れるときに、いつも決まって座る椅子だった。
「クーティエ……。シュアンは、僕のそばにいると誓ってくれたとき、『俺に『穏やかな日常』は、似合わねぇからよ』と言ったんだ」
 唐突な話に、彼女は『え?』と戸惑いの声を上げそうになった。けれど、すんでのところで「うん」という相槌に切り替えた。ハオリュウが、ただ聞いてほしいのだということに気づいたからだ。
「僕は子供で、何も分かっていなかった。だから、そばにいてくれると言われたら、嬉しくて、『ありがとう』と素直に喜んだ。あまつさえ、『対等な友人でありたいから』などと言って、警察隊を続けるように頼んでしまった。……本当に馬鹿で、愚かだ。――覚悟の|欠片《かけら》すらなかった」
 吐き捨てるように、ハオリュウは言う。
「シュアンは腹を決めて、僕のそばにいると誓ってくれたんだ。だったら僕は、対等なんて言葉に甘えず、腹を|括《くく》って彼の人生を預かるべきだった」
 ハオリュウは、ぎりりと奥歯を噛んだ。
 口元が、悔しげに歪む。
「シュアンが『穏やかな日常』を捨てる必要はない。僕のそばにいることで、何かを捨てるくらいなら、僕のそばになんかいないほうがいい。――彼が僕のそばにいてくれるというのなら、僕には、彼に『穏やかな日常』を与え、彼を幸せにする義務がある」
 力強く響き渡るハオリュウの声は、比類なき王者の光沢を放つ、絹のよう。
 それも|脆《もろ》く儚い、たった一本の糸などではない。|数多《あまた》の思いの|絹糸《けんし》を縦横に織り重ねた、|滑《すべ》らかで柔軟な絹織物である。
 ハオリュウは、クーティエの姿を瞳に映す。
 そして、誓う。
「僕は、僕に運命を預けてくれたシュアンに、幸せを贈る――!」
 奈落の闇に沈む、幽寂な夜に、カタカタと叩きつけるような音が響き渡る。
 ルイフォンは、ひたすらキーボードに指を走らせ、シュアンの逮捕に関する情報を黙々と集め続けていた。OAグラスの下の目は血走り、無機質な〈|猫《フェレース》〉の顔が、モニタ画面に照らされて青白い光を帯びる。
 そんな彼のもとへハオリュウからの連絡が入ったのは、クーティエが草薙家を発ってから、小一時間ほど過ぎたときのことであった。
『ルイフォン、力を貸してください。僕は、なんとしてでもシュアンを取り戻したい。それも、彼がこの先、幸せに暮らしていけるような方法で』
 険しさをはらみながらも、凛と澄んだ力強い声だった。シュアンの逮捕を知らせたときとは、雲泥の差である。
『今、|草薙家《そちら》に向かう車の中です。詳しい事情はこれからお話しますが、それより先に、シュアンの状況を教えてください。あなたのことですから、監視カメラは、既に支配下にあるのでしょう?』
「……っ」
 ルイフォンは狼狽した。勿論、ハオリュウの言う通り、監視カメラなら、とっくに掌中に収めている。しかし、事態を正直に告げてよいものか迷ったのだ。
『ルイフォン』
 惑う彼の耳朶に、硬い声が重ねられた。対面ならいざ知らず、携帯端末越しであるにも関わらず、まるでこちらのためらいが見えているかのような口調だった。
『シュアンは、理不尽な暴行を受けているはずです。死刑囚を収容する監獄の看守は荒っぽく、憂さ晴らしに囚人を嬲り殺しにすることもあると、シュアンから聞いています』
「……」
 ルイフォンは唇を噛んだ。
 けれど、迷いは消えた。むしろ、ありのままを伝えるべきだと思った。彼は癖の強い前髪を掻き上げ、静かに口を開く。
「結論から先に言う。シュアンは無事だ」
『よかっ……』
 安堵の息をつこうとしたハオリュウを、ルイフォンは鋭く遮った。
「けど、ついさっきまで、酷い暴行を受けていた」
『――っ!』
「様子を見に来た摂政が気づいて、医者を呼んだ。……あと少し遅ければ、死んでいた」
『…………』
 押し黙ったハオリュウに、ルイフォンは淡々と告げる。
「今後は、摂政が目を光らせているだろうから、シュアンが暴行を受ける心配はないだろう」
『……報告、ありがとうございます……』
 ハオリュウが硬い声で答えると、ルイフォンは、ぐっと腹に力を入れた。
 そして、伝える。
 間違っても、ハオリュウを責めているように聞こえないように。努めて冷静に、細心の注意を払いながら。
「……ハオリュウ。シュアンは看守たちを煽って、必要以上に自分に危害を加えさせていた」
『えっ!?』
「あいつは、死のうとしていた」
『なっ!? どうして……』
 それは、とても正視に耐えない光景だった。
 監視カメラを乗っ取った瞬間、メイシアは情報屋との電話中で、あの映像を目にしなかったのは本当に幸いだったと思う。
 それでいて、当のシュアンは、へらへらと笑いながら、時々、カメラに向けて視線を送ってくるのだ。ルイフォンが見ていることを信じて疑わず、あとを頼んだと、片目の腫れ上がった三白眼で訴えてきた。
「シュアンは、お前の枷になりたくなかったんだ。自分が囚われれば、お前が窮地に陥る。それが分かっているから、自ら命を絶とうとした。そして、監視カメラを使って、自分の死という情報を俺に伝えようとしていた」
『…………!』
「とんでもない馬鹿で、お人好しだ……! ……ハオリュウ、絶対に、シュアンを助けるぞ!」
 冷静であろうとしていたはずなのに、気づいたら、ルイフォンは熱く叫んでいた。
 そして、それとまったく同じ言葉が、携帯端末の向こうでも――。
『シュアンは、必ず、助けます!』