『クマさんとオオカミさん』
――むかしむかし、たくさんの動物たちが暮らす森に、一匹のオオカミさんが住んでいました。森の動物たちはみんなとっても仲良し。いつも楽しく遊んでいます。でも、毛の色がすすで汚れたみたいに真っ黒で、ほっぺに大きな傷があるオオカミさんは、みんなから怖がられてしまいます。
「ねえ、遊ぼうよ」
「わあ!まっくろオオカミだ!逃げろー!」
「こわいよー!」
友だちも、できたことがありませんでした。
――
ある日、オオカミさんが森の道をとぼとぼ歩いていると、どこからか甘い匂いがただよってきました。
(あれ、なんだかいい匂いがする。どこからだろう?)
匂いにつられていつもは通らない道を進んでいくと、明かりのついた小さなお店にたどりつきました。お店のドアを開けると、中にはコック服を着た、大きな茶色いクマさんがいました。
「おや、いらっしゃい」
「こんにちは…」
「あれ、どうしたの?」
元気がないオオカミさんの様子を見て、クマさんはたずねます。
「きっとみんな、ぼくのことが嫌いなんだ。ぼくはただ、みんなと仲良くなって、一緒に遊びたいだけなのに。ぼくが…まっくろオオカミだから」
みんなに逃げられてしまったことを思い出して、オオカミさんはうつむいてしまいました。するとクマさんはオーブンを開けて、中のケーキをひとつ、オオカミさんに差し出します。
「よかったら、食べてみて。焼きたてだよ」
オオカミさんはびっくりしましたが、ケーキを受け取り、ひとくち食べました。バターのいい匂いとやさしい甘さが広がって、心がじんわりとあたたかくなっていきます。
「…おいしい!」
オオカミさんはぱあっと笑顔になって、ケーキをあっという間に食べてしまいました。
――
「クマさん、ありがとう」
ケーキを食べて元気になったオオカミさんは、クマさんにお礼を言いました。
「どういたしまして。喜んでくれてよかったよ」
「ねえクマさん。どうしてクマさんは、お菓子屋さんになろうと思ったの?お店にひとりで、寂しくないの?」
オオカミさんはクマさんにたずねます。クマさんは少し考えた後、オーブンからケーキをもうひとつ取り出しました。
「お菓子にはね…食べた人の心をあたたかくして、幸せにする力があるんだ。たったひとつの小さなお菓子でも、みんなを笑顔にできるんだよ」
「みんなを、笑顔に……」
「たしかに、ひとりでお菓子屋さんをするのは大変だけれど…オオカミさんみたいに、僕が作ったお菓子を誰かが美味しそうに食べてくれることが、何よりも嬉しいんだ」
クマさんは、にこりと笑います。それを聞いたオオカミさんは、勇気を出してクマさんに言いました。
「クマさん、ぼくにも教えて。おいしいお菓子の作りかた」
――
それからオオカミさんは、クマさんのお店で、お菓子の作りかたを教えてもらうようになりました。失敗してしまうこともあったけれど、クマさんに励ましてもらいながら、何度も練習をしました。そしてある日、オオカミさんは、カゴいっぱいに自分で作ったお菓子を持って、もういちど森の動物たちのところへ向かうことにしました。クマさんも、オオカミさんに内緒で、少し離れた木のかげからこっそり見守ります。
「こ、こんにちは」
オオカミさんは、遊んでいるみんなに声をかけました。
「あ!まっくろオオカミだ!」
「こわいよー!」
動物たちは、やっぱり怖がってしまいます。
(やっぱり、うまくいかないんだ。)
オオカミさんがうつむいてしまったそのとき。
「あれ?なんだか、いいにおいがする!」
甘い匂いに気づいたネコさんが近づいてきました。
「あの、これ、ぼくが作ったんだ。みんなといっしょに、食べたくて……みんなと、友だちになりたくて」
オオカミさんは勇気を出して、手に持っていたお菓子を差し出します。
「いいの?じゃあ、いただきまーす!……わあ、おいしい!」
「ほ、ほんと?よかった!」
おいしそうにお菓子を食べるネコさんを見て、怖がっていた他の動物たちも、少しずつオオカミさんのところに集まってきます。
「すごい!オオカミさんが作ったの?」
「見せて見せてー!」
カゴいっぱいに作ったお菓子はあっという間に無くなって、オオカミさんはすっかり動物たちの人気者です。
「オオカミさん、お菓子作り上手だね!」
「どうやって作ったの?教えて教えてー!」
「じ、じゃあ、ぼくと……友だちになってくれる?」
「もちろん!今までこわがっちゃって、ごめんなさい…」
「ううん、気にしないで」
無事にみんなと友だちになれて、オオカミさんは少し照れくさそうにしています。
「よかったね、オオカミさん」
隠れていたクマさんも、楽しそうなオオカミさんを見て、にこりと笑いました。
それから、オオカミさんは新しくできたたくさんの友だちと遊ぶようになりました。時には、クマさんのお店に遊びに行ったり、みんなで一緒にお菓子を作って食べたりしながら、毎日楽しく暮らしました。森の中には、甘くておいしいお菓子の匂いと、動物たちの笑顔が、いつまでも広がっていました。
おしまい
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「……」
青年は絵本を閉じ、その表紙を眺める。
独りだったオオカミさんが、クマさんやお菓子との出会いを通して、動物たちと友達になるお話。誰かの悩みに寄り添い、誰かの背中を押し、誰かに幸せを届ける。小さい頃に初めてこの本を読んだ時から、お菓子の持つ不思議な力に魅了され、憧れていた。何度も読み返した絵本は全体的に傷んでおり、角も凹んでいる。ついていたはずの帯もどこかへ行ってしまった。レシピ本が並ぶ本棚の右端に戻して、椅子に腰掛ける。
「雨、止まないなぁ…」
窓際に目線を移すと、五月のカレンダーについたバツ印は折り返しを迎えていた。今日は晴れるはずだったが、天気予報は外れたようだ。独り言は、夕方からざあざあと降り続く雨に溶け込んでいく。
――ガシャンッ!!
突然の大きな物音。玄関の方からだ。
「何…⁉︎」
恐る恐る玄関へ向かう。
「泥棒…?」
ドアフックをかけたまま、わずかな隙間から外を確認する。軒先に避難させていた自転車が、強風で横倒しになっていた。そのすぐ側で誰かが倒れているのを発見し、青年は思わずドアを開けて駆け寄る。
「大丈夫ですか……、っ⁉︎」
全身を覆う、すすで汚れたような黒炭色の毛並み。鋭い爪の生えた手。フードの上からでも分かる三角の大きな耳。そして、左頬にある引っかかれたような傷跡。明らかに人ではない、獣のような"何か"。
「オオカミ、さん……?」
絵本の登場人物に酷似したその姿に、青年は立ち尽くす。降り続く雨が、さらにその強さを増していった。