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3.表裏一体の末裔たち-2

ー/ー



 エルファンは、摂政の(つか)いに案内され、エレベーターで上階へと向かっていた。
 地下の近衛隊員たちのことは、勿論、殺していない。
 彼らが王族(フェイラ)の『秘密』を知ったところで、鷹刀一族には、なんの不利益もないのだ。無用な殺生はすべきではないだろう。『秘密』の漏洩で困るのは、王族(フェイラ)である。せいぜい、摂政が頭を悩ませればよいことだ。
 だから、すぐに『冗談だ』と告げて、低く嗤った。
 しかし、近衛隊員たちは無様(ぶざま)なほどに震え上がり、一番若い隊員などすっかり腰を抜かしていた。摂政はといえば『恩を売りつけられたのかと思いましたよ』と、雅やかに返してきた。一考の余地はありましたのに、と暗に含ませた、惜しむような声色であった。
 ……エルファンの遊び心は、どうやら、誰にも理解してもらえなかったようである。
 やがて、エレベーターが止まり、緋毛氈(ひもうせん)の敷かれた廊下に降りた。
 貴人の棲み家など、どこも似たようなものなのかもしれないが、なんとなく〈(ムスカ)〉が潜伏していた、あの菖蒲の館に似ている。そんなことを思いながら、(つか)いの背を追っていくと、連れて行かれた場所は、金箔で縁取られた白塗りの扉の前であった。
 既視感のある装飾に、エルファンは嗤笑する。
 その声に、(つか)いの者が何ごとかと顔を強張らせつつ、「こちらです」と告げた。
「案内、ご苦労だったな」
 軽く礼を述べると、エルファンは漆黒の長い裾をはためかせる。そして、(つか)いが取っ手に手を掛けるよりも先に、自ら扉を開いた。


 足を踏み入れた瞬間、純白の世界が広がった。
 部屋を覆う白壁は、高い天井から燦然と降り注ぐシャンデリアの光によって、より一層、(しろ)く輝く。複雑な綾模様を描く、毛足の長い絨毯は、織り込まれた金糸によって、時折、光の筋が走っていくかのように煌めいた。
 目に映るものすべてが白く、エルファンは遠近感を失いそうになる。天上の国にでも迷い込んでしまったのかと錯覚しそうな、この部屋の名を、彼は最近、覚えたばかりであった。
「『天空の間』――か」
 魔性の美貌を閃かせ、静かに(ひと)()つ。
 菖蒲の館で〈(ムスカ)〉が王族(フェイラ)の『秘密』を告げた部屋も、『天空の間』であった。
『神に祈りを捧げ、神と対話するための部屋』であるのだと、もと貴族(シャトーア)のメイシアが説明してくれた。貴族(シャトーア)王族(フェイラ)なら、自分の屋敷に、ひと部屋は作るのだとか。
 それを踏まえ、〈(ムスカ)〉は『神との密談の場』だと揶揄した。『〈七つの大罪〉の頂点に立つ〈()〉は、防音のよく効いた天空の間で〈悪魔〉たちと会っていた』――と。
 地下牢獄から、天上の国に河岸(かし)を変えるとは、摂政も、また随分と極端なもてなしをするものだと、扉の前では思わず嗤いがこみ上げた。しかし、『表』と『裏』の王家の者の対面(密談)の場として考えれば、存外ふさわしいのやもしれぬ、などとエルファンは思い直す。
「おや、『天空の間』をご存知でしたか」
 奥のほうから、ゆったりとした雅やかな声が流れてきた。鷹刀一族の持つ、魅惑の低音とは声質が異なるが、人を惹きつけてやまない、蠱惑の旋律である。
 金の縁取りで装飾された純白のソファーに、ひとりの貴人が腰掛けていた。部屋に溶け込むような、金刺繍の施された白い略装姿だが、髪と瞳は闇に沈むように黒い。
『太陽を中心に星々が引き合い、銀河を形作るように。カイウォル殿下を軸に人々が寄り合い、世界が回る』――そんな言葉で語られる、摂政カイウォル、その人である。
 年の頃は、長男のレイウェンと同じくらいか。エルファンにとっては、まだまだ若造であるが、盛りを過ぎた我が身を鑑みれば、油断ならない相手ともいえる。
 繊細で美麗な容姿に、冷静で明晰な頭脳。加えて、見る者に強烈な畏敬の念を(いだ)かせる、不可思議な魅力。
 天に二物も、三物も与えられた王兄は、王族(フェイラ)という選民意識の強さが鼻につくが、為政者としては先王よりも、よほど有能であると、貴族(シャトーア)の藤咲家当主ハオリュウも認めるほどだ。
 しかし、唯一、〈神の御子〉の外見を持たないがゆえに、彼には王位継承権がない。
 エルファンは黙って奥に進んだ。
 カイウォルにしても、特に言葉はない。
 既に名も素性も承知している以上、互いに挨拶など必要ないと判断したのだ。このあたり、ふたりは似た者同士であるのかもしれなかった。――ただし、同族嫌悪となるであろうが。
「かつて『鷹の一族』と呼ばれた一族の話を思い出しましたよ」
 部下の近衛隊員たちの愚から、先手を取ることの重要性を学んだのだろうか。
 エルファンが向かいのソファーに座るや否や、カイウォルが口火を切った。柔らかな語り口であるが、黒い瞳は蔑むような色合いを帯びている。
「ほう」
 エルファンは胡乱げに片眉を上げた。
「王家とは縁故ある一族です。何しろ、この国の創世神話に(うた)われし、古き一族なのですから」
 カイウォルは自分の口元に指先を当て、雅やかにくすりと笑う。そして、おもむろに、創世神話を()み上げた。

 この国には神がいる。
 輝く白金の髪と、澄んだ青灰色の瞳を有する、天空の神フェイレン。
 神は、この地を治めるために、王族(フェイラ)を創り出した。
 王族(フェイラ)の血筋には、時折り神の姿を写した赤子が生まれる。彼の者こそが国を治める宿命を背負った王である。
 王は、天空の神フェイレンの代理人。
 地上のあらゆることを見通す瞳を持ち、王の前では、どんな罪人も自らの罪過を告白せずにはいられない――。

「神話に出てくる『罪人』。彼こそが『鷹の一族』の者であり、鷹刀一族の始祖ですね」
 居丈高に、カイウォルが告げる。
 なるほど、と。エルファンは思った。
 王族(フェイラ)の『秘密』を知る鷹刀一族のことを、カイウォルは蔑ろにできない。故に、創世神話に(うた)われるほどの由緒ある一族であると、ひとまず認めた。だが一方で、貴種である王家とは身分が違うと、貶めようとしているのだ。
 如何(いか)にも、高貴な人間の考え方だ。
「創世神話の『罪人』か。――ああ。確かに、鷹刀を指すのだと聞いている」
 エルファンは低く喉を鳴らした。
 平然と受け答えているが、その言い伝えは、実は先日、知ったばかりである。
(ムスカ)〉は王族(フェイラ)の『秘密』を明かす際、話の途中で息絶えたときの保険として、ルイフォンに記憶媒体を託した。その中身は王族(フェイラ)の『秘密』のみならず、〈悪魔〉の〈(ムスカ)〉が知り得た、ありとあらゆる情報の宝庫であり、(くだん)の創世神話の(いわ)れもまた記されていたのだ。
「つまらぬことを言うな」
 情報を与えてくれた〈(ムスカ)〉に感謝しつつ、エルファンは余裕の顔で一笑に付した。
「『供物』として飼われていた先天性白皮症(アルビノ)王族(フェイラ)の祖先は、警護役であった鷹刀の祖先の『記憶を読み取り』、(いにしえ)の王朝への謀反の『罪』を(あば)いた。そして、密告されたくなければ、手を組むようにと迫った」
 エルファンは憎悪を込めて、一段と低く、声を響かせる。
「それが、現王朝の始まりだ。故に、『罪人』の記述が神話に残された。それだけのことだ。鷹刀が罪人なら、共に(いにしえ)の王朝を(たお)した王族(フェイラ)も罪人だろう?」
 もともと、この創世神話は、王族(フェイラ)の悪意に満ちているのだ。武功を挙げた鷹の一族が、王族(フェイラ)を差し置いて民心を集めぬようにと、あえて『罪人』と記し、蔑みの対象としたのだから――。
「どうやら、鷹刀一族が、古き伝承を語り継いでいることは確かなようですね」
 カイウォルは、あくまでも高飛車な態度は崩さず、演技じみた仕草で感嘆の息をついた。
「ふむ。王族(フェイラ)の『秘密』を知る我が一族が、『もうひとつの王家』であることを疑っていたのか」
 やや呆れたようにエルファンが口を開けば、カイウォルは美麗な眉を不快げに寄せる。
「鷹刀一族は、『〈(にえ)〉として、王家に仕えていた』と伝え聞いております。それが、『裏』の王家などと言われても、私としてはどう捉えたらよいものやら……」
 すっと目を細め、カイウォルは含み笑いを漏らした。〈冥王(プルート)〉の『餌』の分際で、おこがましいというわけだ。
 実に王族(フェイラ)らしい、高慢な仕草だった。
 しかし、エルファンが気を(たかぶ)らせることはなかった。それどころか、王位継承権を持たない王兄が、現在の王家を唯一無二と主張する(さま)など、彼の目には滑稽だとしか映らなかった。
「くだらない創世神話まで持ち出して、そんなに躍起(ムキ)にならなくともよいだろう。王族(フェイラ)の立場からすれば『もうひとつの王家』などを認めるわけにはいかないことくらい、私だって承知している」
 口の端を上げ、低く喉を震わせる。
 白い部屋の中で、異質な黒い正装の肩が揺れた。それはまるで、エルファンを中心に(くら)い闇が広がるかのよう。
「神話など無意味だろう? 神などというものは存在しないのだからな」
「何を言いたいのですか?」
『神に祈りを捧げ、神と対話するための部屋』である天空の間で、堂々と神を否定するエルファンに、カイウォルは蛮族を見る目で問う。
「そのままの意味だ。白金の髪、青灰色の瞳を持つ〈神の御子〉の姿は、先天性白皮症(アルビノ)によるもの。神に選ばれた人間だからではない。――だが」
 エルファンは、意味ありげに言葉を切った。
 漆黒の眼差しが、同じ色合いを持つカイウォルの瞳を捕らえる。
「創世神話の記述のために、この国では、黒髪黒目の人間は王にはなれない」
 純白の空間に、ぽとりと落とされた、墨のような低音。
 そのひとことがカイウォルを指すことは、説明するまでもなかった。
 刹那。
 時が凍りつく。
 カイウォルの黒い(まなこ)は見開かれたまま、動きを止める。
 ――エルファンは思う。
 王兄カイウォルにとって、創世神話は呪詛でしかないだろう。どんなに天賦の才があり、それを超える努力があったとしても、彼は決して王にはなれないのだから。
 故に、たとえ鷹刀一族を貶めるためであっても、彼が創世神話を口にすることは屈辱であるはずだ。
「……私に、何か思うところがおありのようですね。ですが、そのような話をするために、この場を設けたわけではありません」
 黒髪をさらりと払い、カイウォルは冷ややかに告げた。揺さぶりをかけられたのだと気づいたのだ。
 けれど、激昂はしない。それが、カイウォルという人間の矜持のようだった。
「そうだな」
 エルファンは素直に引いた。創世神話(昔話)の解釈談義は、カイウォルの人となりを知るためのよい余興ではあったが、本題ではない。
「話を戻しましょう」
 仕切り直しだと、カイウォルが声を上げた。
 正面から向き合えば、大柄な鷹刀一族の直系であるエルファンと比べ、カイウォルは頭ひとつ分とまではいわないものの、明らかに目線が低い。しかも、親子ほどにも年齢に開きがある。
 しかし、命じる者の口調だった。
「先ほど、あなたは地下で『王族(フェイラ)の『秘密』を外部に漏らされたくなければ、鷹刀一族から手を引けと、警告に来た』と言いましたね」
 それを言ったのはカイウォルだ。エルファンは否定はしていないが、肯定もしていない。だが、混ぜ返したところで、話が滞るだけなので曖昧に頷いた。
「口外して構いませんよ」
 雅やかな微笑を浮かべ、カイウォルは断言した。
王族(フェイラ)の『秘密』など、好きに広めるがよいでしょう。凶賊(ダリジィン)の言うことなど誰も信じやしません。信じたところで、『人の心が読める』となれば、それはそれで王の神性が高まるというものです。王家としては、何も困ることはありません」
 蠱惑の旋律が、柔らかに告げる。澄ました美貌は、むしろ優しげで、彼の言葉をきちんと聞いていなければ、交友を深めたいと言われたのかと勘違いしそうだ。
 そう来たか――と、エルファンは無表情に受け止めた。
 実のところ、王族(フェイラ)の『秘密』をちらつかせたところで、まるきり相手にされない可能性は充分に考えていた。だが、ふたりきりでの対面に応じたので、少しは効果があったのかと期待していたのだ。
「ふむ。では、王が先天性白皮症(アルビノ)だの、クローンだのと言われても構わぬと」
 王の神性を(けが)す話題なら、貧しい平民(バイスア)自由民(スーイラ)たちが好むだろうと匂わせ、嘲りを含んだ口調で探りを入れる。
「そのようなことを吹聴すれば、不敬罪だと咎められ、窮地に陥るのは鷹刀一族のほうですよ。この国を治める、王家の力を侮らないでいただきたいですね」
 カイウォルは澄ました顔で答え、ゆったりとした声で続けた。
「王家と鷹刀一族には、不干渉の約束があるとのことですが、それは、先王陛下による個人的な約束です。現在の王家とは、なんの関係もありません。そもそも、それは〈(にえ)〉についてのみの約束でしょう?」
「勝手なことをぬかすな」
 エルファンは不快げに顔をしかめるが、それはあくまでも演技である。
 カイウォルの弁は、まったくもってその通りなのだ。『王家は、不干渉の不文律を犯した』などと、エルファンは地下で憤慨してみせたが、あれは単に、カイウォルと直接、話をつける場を設けるための、いわば言いがかりだった。
 なので、対面の叶った今となっては流してよい話なのだが、王族(フェイラ)のカイウォルにしてみれば、凶賊(ダリジィン)如きに非難され、気分を害していたらしい。捨て置くことはできなかったようだ。
「先王陛下と鷹刀イーレオの関係が特別だっただけです。――王位を継ぐためだけに作られたクローンである先王は、周りからの愛情に恵まれませんでした。そんな彼の孤独を埋めるように、イーレオは教育係として近づき、歓心を得て、鷹刀一族に肩入れさせただけです」
 すげない物言いに、エルファンは苦笑した。
 カイウォルにとって、先王とは父親だ。冷淡な態度から察するに、不仲であったという噂は本当らしい。〈神の御子〉として生まれることができなかったカイウォルには、〈神の御子〉であるからこそ生を()けたクローンの父王は受け()れがたいものということか。
 とはいえ、そもそも『人の心が読める』能力を持った相手と、仲良くやれるほうが奇特なのかもしれない。そう考えると、イーレオは偉大といえるのだが、あの父ならば、さもありなんと、エルファンは思った。
 ともかく。
 父親同士が不干渉の約束を交わしたのと同じように、エルファンとカイウォルの間で、不干渉の約束を取りつける。
 もっとも、カイウォルの性格では、不干渉の『約束』は不可能であろう。
 だから、『牽制』なり『脅迫』なりで、カイウォルを黙らせる。――これが、エルファンに課せられた命題であり、事情聴取に応じた目的だった。
 真の『交渉』は、これからだ。
 エルファンは不敵な笑みを浮かべ、しかし……と、カイウォルを見やり、首をかしげた。
 この天空の間は、密室だ。
 隠しカメラはあるかもしれないが、人が隠れている気配はない。武の達人であるエルファンがその気になれば、カイウォルの命など一瞬で奪える。
 防音のきいた部屋で、凶賊(ダリジィン)とふたりきり。一国の摂政の行動としては、あまりにも不用心ではないだろうか。
 何故だ?
 部屋に案内されたときは、王族(フェイラ)の『秘密』を外部に漏らさぬためだと考えた。しかし、カイウォルは『秘密』が知られても構わぬと言う。
 エルファンが本能的な危険を感じたとき、カイウォルの蠱惑の声が響いた。
「あなたからの話は、もうよいでしょう。――そろそろ、私の話をさせてください」
 人を惹き寄せてやまない微笑が、エルファンを強引に捕らえる。
「あなたもご存知の通り、私は〈(ムスカ)〉の名で呼ばれる、〈七つの大罪〉の〈悪魔〉の行方を探しております。ですが、実はもうひとり、探している〈悪魔〉がいるのです」
 カイウォルの言葉を聞いた瞬間、エルファンの脳裏に『セレイエ』の名が浮かんだ。
 心臓が、どきりと跳ねる。
 握りしめた掌の中で、汗がにじむ。
 しかし、常からの無表情は伊達ではなく、エルファンの氷の美貌は揺るがなかった。何食わぬ顔で「ほう」と相槌を打つ。
 案の定、カイウォルの次の台詞は、予想通りのものであった。
「〈(サーペンス)〉の名で呼ばれる〈悪魔〉。――あなたの娘である、鷹刀セレイエを探しています」
 カイウォルは、鷹刀一族がセレイエを匿っていると疑っている。今までは、表立って探している素振りを見せなかったが、身内であるエルファンとの対面を好機と捉え、直接、尋ねることで探りを入れる策に出たのだろう。
「セレイエは、確かに私の娘だが、〈七つの大罪〉に加わった時点で絶縁している。――鷹刀にとって、〈七つの大罪〉は仇のようなものだからな。もう十年近く、消息を知らん」
「そうですか。もしや、実家に身を寄せていたら、と思ったのですが……」
 わずかに眉を寄せ、カイウォルは深い溜め息をつく。憂いを帯びたような顔に、エルファンは胸騒ぎを覚えた。
「すまぬな」
 セレイエの話題を切り上げようと、エルファンは短く発する。しかし、カイウォルは被せるように告げた。
「鷹刀セレイエは、〈神の御子〉の男子を産みました」
「!」
 エルファンは息を呑んだ。
 その事実を、まさかカイウォルのほうから明かしてくるとは、想像もしていなかった。
「名前は、ライシェン。現女王を退け、玉座に就くべき真の王です。――なのに、彼女は子供を連れて、王宮から姿を消しました。子供を奪われると思ったのでしょうね」
 最後のひとことは、セレイエを思いやるような優しい響きをしており、軽く伏せられた(まぶた)に、やるせなさを感じる睫毛(まつげ)が並ぶ。カイウォルをよく知らない人間には、まるきりの善人にしか見えない振る舞いだった。
 エルファンには、カイウォルの意図が分からなかった。
 だが、この対面の場に、密室(天空の間)を選んだことだけは納得した。『ライシェン』は、外部に漏れてはならない存在だ。
「この件は、勿論、国家の機密事項ですが、他でもない、あなたの娘のことなので、お話しいたしました。――しかし……」
 ゆるりと。カイウォルの顎がしゃくり上げられた。
 雅やかでありながらも禍々しく、この国に君臨する貴人は嗤う。
「あまり、驚かれていませんね。――そうですか。既に、ライシェンのことを、ご存知だったのですね」


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 エルファンは、摂政の|遣《つか》いに案内され、エレベーターで上階へと向かっていた。
 地下の近衛隊員たちのことは、勿論、殺していない。
 彼らが|王族《フェイラ》の『秘密』を知ったところで、鷹刀一族には、なんの不利益もないのだ。無用な殺生はすべきではないだろう。『秘密』の漏洩で困るのは、|王族《フェイラ》である。せいぜい、摂政が頭を悩ませればよいことだ。
 だから、すぐに『冗談だ』と告げて、低く嗤った。
 しかし、近衛隊員たちは|無様《ぶざま》なほどに震え上がり、一番若い隊員などすっかり腰を抜かしていた。摂政はといえば『恩を売りつけられたのかと思いましたよ』と、雅やかに返してきた。一考の余地はありましたのに、と暗に含ませた、惜しむような声色であった。
 ……エルファンの遊び心は、どうやら、誰にも理解してもらえなかったようである。
 やがて、エレベーターが止まり、|緋毛氈《ひもうせん》の敷かれた廊下に降りた。
 貴人の棲み家など、どこも似たようなものなのかもしれないが、なんとなく〈|蝿《ムスカ》〉が潜伏していた、あの菖蒲の館に似ている。そんなことを思いながら、|遣《つか》いの背を追っていくと、連れて行かれた場所は、金箔で縁取られた白塗りの扉の前であった。
 既視感のある装飾に、エルファンは嗤笑する。
 その声に、|遣《つか》いの者が何ごとかと顔を強張らせつつ、「こちらです」と告げた。
「案内、ご苦労だったな」
 軽く礼を述べると、エルファンは漆黒の長い裾をはためかせる。そして、|遣《つか》いが取っ手に手を掛けるよりも先に、自ら扉を開いた。
 足を踏み入れた瞬間、純白の世界が広がった。
 部屋を覆う白壁は、高い天井から燦然と降り注ぐシャンデリアの光によって、より一層、|皓《しろ》く輝く。複雑な綾模様を描く、毛足の長い絨毯は、織り込まれた金糸によって、時折、光の筋が走っていくかのように煌めいた。
 目に映るものすべてが白く、エルファンは遠近感を失いそうになる。天上の国にでも迷い込んでしまったのかと錯覚しそうな、この部屋の名を、彼は最近、覚えたばかりであった。
「『天空の間』――か」
 魔性の美貌を閃かせ、静かに|独《ひと》り|言《ご》つ。
 菖蒲の館で〈|蝿《ムスカ》〉が|王族《フェイラ》の『秘密』を告げた部屋も、『天空の間』であった。
『神に祈りを捧げ、神と対話するための部屋』であるのだと、もと|貴族《シャトーア》のメイシアが説明してくれた。|貴族《シャトーア》や|王族《フェイラ》なら、自分の屋敷に、ひと部屋は作るのだとか。
 それを踏まえ、〈|蝿《ムスカ》〉は『神との密談の場』だと揶揄した。『〈七つの大罪〉の頂点に立つ〈|神《王》〉は、防音のよく効いた天空の間で〈悪魔〉たちと会っていた』――と。
 地下牢獄から、天上の国に|河岸《かし》を変えるとは、摂政も、また随分と極端なもてなしをするものだと、扉の前では思わず嗤いがこみ上げた。しかし、『表』と『裏』の王家の者の|対面《密談》の場として考えれば、存外ふさわしいのやもしれぬ、などとエルファンは思い直す。
「おや、『天空の間』をご存知でしたか」
 奥のほうから、ゆったりとした雅やかな声が流れてきた。鷹刀一族の持つ、魅惑の低音とは声質が異なるが、人を惹きつけてやまない、蠱惑の旋律である。
 金の縁取りで装飾された純白のソファーに、ひとりの貴人が腰掛けていた。部屋に溶け込むような、金刺繍の施された白い略装姿だが、髪と瞳は闇に沈むように黒い。
『太陽を中心に星々が引き合い、銀河を形作るように。カイウォル殿下を軸に人々が寄り合い、世界が回る』――そんな言葉で語られる、摂政カイウォル、その人である。
 年の頃は、長男のレイウェンと同じくらいか。エルファンにとっては、まだまだ若造であるが、盛りを過ぎた我が身を鑑みれば、油断ならない相手ともいえる。
 繊細で美麗な容姿に、冷静で明晰な頭脳。加えて、見る者に強烈な畏敬の念を|抱《いだ》かせる、不可思議な魅力。
 天に二物も、三物も与えられた王兄は、|王族《フェイラ》という選民意識の強さが鼻につくが、為政者としては先王よりも、よほど有能であると、|貴族《シャトーア》の藤咲家当主ハオリュウも認めるほどだ。
 しかし、唯一、〈神の御子〉の外見を持たないがゆえに、彼には王位継承権がない。
 エルファンは黙って奥に進んだ。
 カイウォルにしても、特に言葉はない。
 既に名も素性も承知している以上、互いに挨拶など必要ないと判断したのだ。このあたり、ふたりは似た者同士であるのかもしれなかった。――ただし、同族嫌悪となるであろうが。
「かつて『鷹の一族』と呼ばれた一族の話を思い出しましたよ」
 部下の近衛隊員たちの愚から、先手を取ることの重要性を学んだのだろうか。
 エルファンが向かいのソファーに座るや否や、カイウォルが口火を切った。柔らかな語り口であるが、黒い瞳は蔑むような色合いを帯びている。
「ほう」
 エルファンは胡乱げに片眉を上げた。
「王家とは縁故ある一族です。何しろ、この国の創世神話に|謳《うた》われし、古き一族なのですから」
 カイウォルは自分の口元に指先を当て、雅やかにくすりと笑う。そして、おもむろに、創世神話を|詠《よ》み上げた。
 この国には神がいる。
 輝く白金の髪と、澄んだ青灰色の瞳を有する、天空の神フェイレン。
 神は、この地を治めるために、|王族《フェイラ》を創り出した。
 |王族《フェイラ》の血筋には、時折り神の姿を写した赤子が生まれる。彼の者こそが国を治める宿命を背負った王である。
 王は、天空の神フェイレンの代理人。
 地上のあらゆることを見通す瞳を持ち、王の前では、どんな罪人も自らの罪過を告白せずにはいられない――。
「神話に出てくる『罪人』。彼こそが『鷹の一族』の者であり、鷹刀一族の始祖ですね」
 居丈高に、カイウォルが告げる。
 なるほど、と。エルファンは思った。
 |王族《フェイラ》の『秘密』を知る鷹刀一族のことを、カイウォルは蔑ろにできない。故に、創世神話に|謳《うた》われるほどの由緒ある一族であると、ひとまず認めた。だが一方で、貴種である王家とは身分が違うと、貶めようとしているのだ。
 |如何《いか》にも、高貴な人間の考え方だ。
「創世神話の『罪人』か。――ああ。確かに、鷹刀を指すのだと聞いている」
 エルファンは低く喉を鳴らした。
 平然と受け答えているが、その言い伝えは、実は先日、知ったばかりである。
〈|蝿《ムスカ》〉は|王族《フェイラ》の『秘密』を明かす際、話の途中で息絶えたときの保険として、ルイフォンに記憶媒体を託した。その中身は|王族《フェイラ》の『秘密』のみならず、〈悪魔〉の〈|蝿《ムスカ》〉が知り得た、ありとあらゆる情報の宝庫であり、|件《くだん》の創世神話の|謂《いわ》れもまた記されていたのだ。
「つまらぬことを言うな」
 情報を与えてくれた〈|蝿《ムスカ》〉に感謝しつつ、エルファンは余裕の顔で一笑に付した。
「『供物』として飼われていた|先天性白皮症《アルビノ》の|王族《フェイラ》の祖先は、警護役であった鷹刀の祖先の『記憶を読み取り』、|古《いにしえ》の王朝への謀反の『罪』を|暴《あば》いた。そして、密告されたくなければ、手を組むようにと迫った」
 エルファンは憎悪を込めて、一段と低く、声を響かせる。
「それが、現王朝の始まりだ。故に、『罪人』の記述が神話に残された。それだけのことだ。鷹刀が罪人なら、共に|古《いにしえ》の王朝を|斃《たお》した|王族《フェイラ》も罪人だろう?」
 もともと、この創世神話は、|王族《フェイラ》の悪意に満ちているのだ。武功を挙げた鷹の一族が、|王族《フェイラ》を差し置いて民心を集めぬようにと、あえて『罪人』と記し、蔑みの対象としたのだから――。
「どうやら、鷹刀一族が、古き伝承を語り継いでいることは確かなようですね」
 カイウォルは、あくまでも高飛車な態度は崩さず、演技じみた仕草で感嘆の息をついた。
「ふむ。|王族《フェイラ》の『秘密』を知る我が一族が、『もうひとつの王家』であることを疑っていたのか」
 やや呆れたようにエルファンが口を開けば、カイウォルは美麗な眉を不快げに寄せる。
「鷹刀一族は、『〈|贄《にえ》〉として、王家に仕えていた』と伝え聞いております。それが、『裏』の王家などと言われても、私としてはどう捉えたらよいものやら……」
 すっと目を細め、カイウォルは含み笑いを漏らした。〈|冥王《プルート》〉の『餌』の分際で、おこがましいというわけだ。
 実に|王族《フェイラ》らしい、高慢な仕草だった。
 しかし、エルファンが気を|昂《たかぶ》らせることはなかった。それどころか、王位継承権を持たない王兄が、現在の王家を唯一無二と主張する|様《さま》など、彼の目には滑稽だとしか映らなかった。
「くだらない創世神話まで持ち出して、そんなに|躍起《ムキ》にならなくともよいだろう。|王族《フェイラ》の立場からすれば『もうひとつの王家』などを認めるわけにはいかないことくらい、私だって承知している」
 口の端を上げ、低く喉を震わせる。
 白い部屋の中で、異質な黒い正装の肩が揺れた。それはまるで、エルファンを中心に|昏《くら》い闇が広がるかのよう。
「神話など無意味だろう? 神などというものは存在しないのだからな」
「何を言いたいのですか?」
『神に祈りを捧げ、神と対話するための部屋』である天空の間で、堂々と神を否定するエルファンに、カイウォルは蛮族を見る目で問う。
「そのままの意味だ。白金の髪、青灰色の瞳を持つ〈神の御子〉の姿は、|先天性白皮症《アルビノ》によるもの。神に選ばれた人間だからではない。――だが」
 エルファンは、意味ありげに言葉を切った。
 漆黒の眼差しが、同じ色合いを持つカイウォルの瞳を捕らえる。
「創世神話の記述のために、この国では、黒髪黒目の人間は王にはなれない」
 純白の空間に、ぽとりと落とされた、墨のような低音。
 そのひとことがカイウォルを指すことは、説明するまでもなかった。
 刹那。
 時が凍りつく。
 カイウォルの黒い|眼《まなこ》は見開かれたまま、動きを止める。
 ――エルファンは思う。
 王兄カイウォルにとって、創世神話は呪詛でしかないだろう。どんなに天賦の才があり、それを超える努力があったとしても、彼は決して王にはなれないのだから。
 故に、たとえ鷹刀一族を貶めるためであっても、彼が創世神話を口にすることは屈辱であるはずだ。
「……私に、何か思うところがおありのようですね。ですが、そのような話をするために、この場を設けたわけではありません」
 黒髪をさらりと払い、カイウォルは冷ややかに告げた。揺さぶりをかけられたのだと気づいたのだ。
 けれど、激昂はしない。それが、カイウォルという人間の矜持のようだった。
「そうだな」
 エルファンは素直に引いた。|創世神話《昔話》の解釈談義は、カイウォルの人となりを知るためのよい余興ではあったが、本題ではない。
「話を戻しましょう」
 仕切り直しだと、カイウォルが声を上げた。
 正面から向き合えば、大柄な鷹刀一族の直系であるエルファンと比べ、カイウォルは頭ひとつ分とまではいわないものの、明らかに目線が低い。しかも、親子ほどにも年齢に開きがある。
 しかし、命じる者の口調だった。
「先ほど、あなたは地下で『|王族《フェイラ》の『秘密』を外部に漏らされたくなければ、鷹刀一族から手を引けと、警告に来た』と言いましたね」
 それを言ったのはカイウォルだ。エルファンは否定はしていないが、肯定もしていない。だが、混ぜ返したところで、話が滞るだけなので曖昧に頷いた。
「口外して構いませんよ」
 雅やかな微笑を浮かべ、カイウォルは断言した。
「|王族《フェイラ》の『秘密』など、好きに広めるがよいでしょう。|凶賊《ダリジィン》の言うことなど誰も信じやしません。信じたところで、『人の心が読める』となれば、それはそれで王の神性が高まるというものです。王家としては、何も困ることはありません」
 蠱惑の旋律が、柔らかに告げる。澄ました美貌は、むしろ優しげで、彼の言葉をきちんと聞いていなければ、交友を深めたいと言われたのかと勘違いしそうだ。
 そう来たか――と、エルファンは無表情に受け止めた。
 実のところ、|王族《フェイラ》の『秘密』をちらつかせたところで、まるきり相手にされない可能性は充分に考えていた。だが、ふたりきりでの対面に応じたので、少しは効果があったのかと期待していたのだ。
「ふむ。では、王が|先天性白皮症《アルビノ》だの、クローンだのと言われても構わぬと」
 王の神性を|穢《けが》す話題なら、貧しい|平民《バイスア》や|自由民《スーイラ》たちが好むだろうと匂わせ、嘲りを含んだ口調で探りを入れる。
「そのようなことを吹聴すれば、不敬罪だと咎められ、窮地に陥るのは鷹刀一族のほうですよ。この国を治める、王家の力を侮らないでいただきたいですね」
 カイウォルは澄ました顔で答え、ゆったりとした声で続けた。
「王家と鷹刀一族には、不干渉の約束があるとのことですが、それは、先王陛下による個人的な約束です。現在の王家とは、なんの関係もありません。そもそも、それは〈|贄《にえ》〉についてのみの約束でしょう?」
「勝手なことをぬかすな」
 エルファンは不快げに顔をしかめるが、それはあくまでも演技である。
 カイウォルの弁は、まったくもってその通りなのだ。『王家は、不干渉の不文律を犯した』などと、エルファンは地下で憤慨してみせたが、あれは単に、カイウォルと直接、話をつける場を設けるための、いわば言いがかりだった。
 なので、対面の叶った今となっては流してよい話なのだが、|王族《フェイラ》のカイウォルにしてみれば、|凶賊《ダリジィン》如きに非難され、気分を害していたらしい。捨て置くことはできなかったようだ。
「先王陛下と鷹刀イーレオの関係が特別だっただけです。――王位を継ぐためだけに作られたクローンである先王は、周りからの愛情に恵まれませんでした。そんな彼の孤独を埋めるように、イーレオは教育係として近づき、歓心を得て、鷹刀一族に肩入れさせただけです」
 すげない物言いに、エルファンは苦笑した。
 カイウォルにとって、先王とは父親だ。冷淡な態度から察するに、不仲であったという噂は本当らしい。〈神の御子〉として生まれることができなかったカイウォルには、〈神の御子〉であるからこそ生を|享《う》けたクローンの父王は受け|容《い》れがたいものということか。
 とはいえ、そもそも『人の心が読める』能力を持った相手と、仲良くやれるほうが奇特なのかもしれない。そう考えると、イーレオは偉大といえるのだが、あの父ならば、さもありなんと、エルファンは思った。
 ともかく。
 父親同士が不干渉の約束を交わしたのと同じように、エルファンとカイウォルの間で、不干渉の約束を取りつける。
 もっとも、カイウォルの性格では、不干渉の『約束』は不可能であろう。
 だから、『牽制』なり『脅迫』なりで、カイウォルを黙らせる。――これが、エルファンに課せられた命題であり、事情聴取に応じた目的だった。
 真の『交渉』は、これからだ。
 エルファンは不敵な笑みを浮かべ、しかし……と、カイウォルを見やり、首をかしげた。
 この天空の間は、密室だ。
 隠しカメラはあるかもしれないが、人が隠れている気配はない。武の達人であるエルファンがその気になれば、カイウォルの命など一瞬で奪える。
 防音のきいた部屋で、|凶賊《ダリジィン》とふたりきり。一国の摂政の行動としては、あまりにも不用心ではないだろうか。
 何故だ?
 部屋に案内されたときは、|王族《フェイラ》の『秘密』を外部に漏らさぬためだと考えた。しかし、カイウォルは『秘密』が知られても構わぬと言う。
 エルファンが本能的な危険を感じたとき、カイウォルの蠱惑の声が響いた。
「あなたからの話は、もうよいでしょう。――そろそろ、私の話をさせてください」
 人を惹き寄せてやまない微笑が、エルファンを強引に捕らえる。
「あなたもご存知の通り、私は〈|蝿《ムスカ》〉の名で呼ばれる、〈七つの大罪〉の〈悪魔〉の行方を探しております。ですが、実はもうひとり、探している〈悪魔〉がいるのです」
 カイウォルの言葉を聞いた瞬間、エルファンの脳裏に『セレイエ』の名が浮かんだ。
 心臓が、どきりと跳ねる。
 握りしめた掌の中で、汗がにじむ。
 しかし、常からの無表情は伊達ではなく、エルファンの氷の美貌は揺るがなかった。何食わぬ顔で「ほう」と相槌を打つ。
 案の定、カイウォルの次の台詞は、予想通りのものであった。
「〈|蛇《サーペンス》〉の名で呼ばれる〈悪魔〉。――あなたの娘である、鷹刀セレイエを探しています」
 カイウォルは、鷹刀一族がセレイエを匿っていると疑っている。今までは、表立って探している素振りを見せなかったが、身内であるエルファンとの対面を好機と捉え、直接、尋ねることで探りを入れる策に出たのだろう。
「セレイエは、確かに私の娘だが、〈七つの大罪〉に加わった時点で絶縁している。――鷹刀にとって、〈七つの大罪〉は仇のようなものだからな。もう十年近く、消息を知らん」
「そうですか。もしや、実家に身を寄せていたら、と思ったのですが……」
 わずかに眉を寄せ、カイウォルは深い溜め息をつく。憂いを帯びたような顔に、エルファンは胸騒ぎを覚えた。
「すまぬな」
 セレイエの話題を切り上げようと、エルファンは短く発する。しかし、カイウォルは被せるように告げた。
「鷹刀セレイエは、〈神の御子〉の男子を産みました」
「!」
 エルファンは息を呑んだ。
 その事実を、まさかカイウォルのほうから明かしてくるとは、想像もしていなかった。
「名前は、ライシェン。現女王を退け、玉座に就くべき真の王です。――なのに、彼女は子供を連れて、王宮から姿を消しました。子供を奪われると思ったのでしょうね」
 最後のひとことは、セレイエを思いやるような優しい響きをしており、軽く伏せられた|瞼《まぶた》に、やるせなさを感じる|睫毛《まつげ》が並ぶ。カイウォルをよく知らない人間には、まるきりの善人にしか見えない振る舞いだった。
 エルファンには、カイウォルの意図が分からなかった。
 だが、この対面の場に、|密室《天空の間》を選んだことだけは納得した。『ライシェン』は、外部に漏れてはならない存在だ。
「この件は、勿論、国家の機密事項ですが、他でもない、あなたの娘のことなので、お話しいたしました。――しかし……」
 ゆるりと。カイウォルの顎がしゃくり上げられた。
 雅やかでありながらも禍々しく、この国に君臨する貴人は嗤う。
「あまり、驚かれていませんね。――そうですか。既に、ライシェンのことを、ご存知だったのですね」