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2.暗雲を解かした綾のような-2

ー/ー



「交渉?」
 思いもかけないレイウェンの発言に、ルイフォンは、おうむ返しに語尾を上げた。
「祖父上たちは、摂政殿下に対して『鷹刀に手を出すな』と釘を刺すつもりなんだよ。そうしておかないと、何も知らない鷹刀の末端の者たちに、どんな危害が加えられるかも分からないからね」
「あ……」
「聴取にあたるのが近衛隊でも、状況から考えて、摂政殿下は必ず顔を出すだろう。――凶賊(ダリジィン)王族(フェイラ)と直接、相まみえることができるなんて、普通では考えられない。だから祖父上たちは、この事情聴取(呼び出し)を、『出頭を要請されたから行く』という受け身の姿勢ではなくて、こちらから仕掛けることのできる、『またとない好機』と捉えたんだよ」
「そう……か」
 レイウェンの言葉が、すとんと胸に落ちる。
 会議のとき、イーレオは『先に叩いておく必要があるのさ』と笑った。まさに、『こちらから仕掛ける』という意思表示ではないか。
「でも、どうやって……、何を交渉の材料にする?」
 ルイフォンは身を乗り出した。戸惑いながらも、畳み掛ける。
「こっちの最大の切り札は、どう考えても『ライシェン』だろ? けど、もし『ライシェン』を駆け引きに使うのなら、事前に俺とメイシアに話を通したはずだ」
「『ライシェン』は違うだろう。彼は、最後の切り札だからね」
「じゃあ、何を?」
 いつの間にか、問い詰めるような口調になっていた。無意識のうちに、猫の目を(とが)らせていたルイフォンに、レイウェンは困ったように笑う。
「ルイフォン。私は、鷹刀とは縁を切った者だ。鷹刀が今、どんな手札を持っているのかを知ることはできないんだよ」
「あ……、すまない」
 即座に謝り、ルイフォンは癖の強い前髪をがしがしと掻き上げた。そんな仕草にレイウェンは口元をほころばせ、しかし、すぐに眉間に皺を寄せる。
「祖父上たちの態度から推測するに、今回、使おうとしている手札は、たいして強い札じゃない。賭けのようなものだと思うよ。――おそらく、発案者は、危険に直面することになる父上だ。父上は、意外に無鉄砲だからね」
「……っ」
 ルイフォンは息を呑んだ。
 昨日、仕事部屋を訪れたエルファンは、様子がおかしかった。
 あのとき、どうして呼び止めなかったのか。『個人的な用事』とやらを、ちゃんと聞いておくべきではなかったのか。そんな思いが胸中を渦巻く。
 押し黙ったルイフォンに、レイウェンは淡々と続けた。
「単に『事情聴取に応じる』とだけ言って詳細を伏せたのも、こちらから仕掛ける『攻勢』だとリュイセンが知れば、『次期総帥である自分が行くべきだ』と言い出すからだろうね」
「……」
「リュイセンは生真面目だから、交渉は自分には不向きだと分かっていても、それが作戦ならばやろうとする。そうなったら、さすがに次期総帥の顔を立てないわけにもいかないからね。祖父上たちは面倒なことになると思ったんだろう」
 確かにそうだ。
 兄貴分のことを思い浮かべ、ルイフォンは眉を曇らせる。
「レイウェン、あのさ……。昨日、リュイセンが……」
「リュイセンが――どうしたんだい?」
「夜、話をしたんだ」
 しばしの別れの前に盃を傾けようと、兄貴分に誘われて彼の部屋に行った。
「あいつは落ち込んでいて、『父上は、この事態を見越して、俺に次期総帥の位を譲ったんだ』って言っていた。……正直、俺も否定できなかった」
 エルファンが次期総帥の肩書きを持ったまま摂政に捕まるようなことがあれば、ことが大きくなる。だから、国を相手に全面戦争にならないよう、あらかじめ身を軽くしておいたのではないか――というわけだ。
「そうだね。先見の明のある父上のことだから、来たるべき摂政殿下との対立のために、位を退いておいたのは確かだろう」
「――っ」
 ルイフォンの肩が、びくりと震えた。
 その次の瞬間、レイウェンが「――でもね」と、とっておきの秘密を打ち明けるような、いたずらな子供の顔になる。
「父上に総帥になる意思がないのは、私が後継者だったときから感じていたよ」
「え?」
「だから、このタイミングでリュイセンに位を譲ったのは、あらゆる意味で都合がよかったからだ。だって、なんの手柄もなしに、リュイセンを抜擢することはできないだろう?」
「あ……!」
 言われてみれば、その通りだ。
「我が弟ながら、リュイセンは凄いと思うよ」
 レイウェンは目を細め、それまでの調子とは打って変わった甘やかな低音で告げる。
「私の知る限り、鷹刀に刃を向けた相手に対し、『血族として裁く』なんて言い出せる者は、リュイセンをおいて他にいない。リュイセンは〈(ムスカ)〉を尊重し、〈(ムスカ)〉を認めることによって、〈(ムスカ)〉を(くじ)いた」
「ああ……」
「君でも私でも、あるいは祖父上や父上だって、〈(ムスカ)〉に対しては、もっと確実で効率の良い裁きを選んだはずだ。――あの状況で高潔を貫けるのはリュイセンだけだ」
 穏やかなレイウェンの声に、ルイフォンは深く同意する。
「だからね、リュイセンは誰よりも、鷹刀の(おさ)にふさわしい。優しすぎて、不安もあるけれど、それは周りが補えばいいだけだろう?」
 自慢げで、愛しげな笑みが広がった。
 多少、兄馬鹿が過ぎるきらいはあるが、レイウェンは弟が可愛くて仕方ないのだ。リュイセンだって、たまに優秀な兄に対する劣等感でいじけることがあるが、レイウェンのことを敬愛している。
 ルイフォンの頬が自然に緩んだ。
 摂政への交渉について議論していたはずなのに、いつの間にか妙な方向へと話が転がってしまったが、悪い気分ではなかった。
 落ち込んでいるリュイセンに、今のレイウェンの言葉を伝えてやれば、きっと喜ぶ。そろそろ、この場を切り上げて電話をしてやろう。
 辞去を告げるべく、ルイフォンが腰を浮かせたときだった。
 じっとこちらを見つめるレイウェンの眼差しに気づいた。(リュイセン)について語った穏やかな色合いのまま、彼は口を開く。
「さて。だいぶ横道に()れたけど、話を戻すよ。――もうひとりの『俺の異母弟(おとうと)』」
「――!?」
 甘やかに響く、レイウェンの美声。
 だのに、ルイフォンの体は、一瞬にして緊張に覆われた。
「君は〈(フェレース)〉――鷹刀の『対等な協力者』だ。私と同じく一族を抜けたけれど、縁を切ることを誓った私とは違って、正々堂々と、鷹刀に『協力』できる立場にある」
 間違いないね? とばかりの、有無を言わせぬ強い視線に、ルイフォンは気圧(けお)されたように頷く。
「君は、事情聴取に関して、こんなにも気にしているくせに、どうして『協力』を申し出ないんだい?」
「……え?」
「ハオリュウさんが摂政殿下の会食に臨んだときは、君は彼の服にカメラやマイクを仕込んで送り出した。でも、今の君は、ただ事態を憂いているだけだ」
「!」
 虚を()かれた。
 レイウェンの言う通りだった。
 家宅捜索に備え、屋敷の守りは固めてきた。けれど、事情聴取については、ルイフォンは何も関与していない。まったく彼らしくない。
 何故、こうなった――?
 ルイフォンは、こめかみから髪を掻き上げるように指先を滑らせ、ぐっと頭を抱え込む。

『〈(フェレース)〉および、そのパートナーの気遣い、感謝する。――だが、危険は承知の上だ』
『すまないが、お前たちは、この件から手を引いてくれ』

 イーレオの魅惑の低音が、ルイフォンの耳に蘇った。
「…………」
『〈(フェレース)〉および、そのパートナー』と呼びかけられた。
 譲れぬことだと、拒絶された。
 だから、後ろ髪を引かれながらも、イーレオとエルファンを信じた――。
「俺たちは距離を置かれたんだ。それで俺は、鷹刀のことには口出ししないと言って……」
 あの会議の苦さを思い出し、ルイフォンの声は尻つぼみに消えていく。
「それは、事情聴取に応じるという、鷹刀の『方針』に、一族ではない〈(フェレース)〉が反対したからだろう?」
「え?」
「祖父上たちは危険を承知しながらも、好機と思って既に決断していたから、〈(フェレース)〉の警告を拒んだ。そして、〈(フェレース)〉の気遣いを跳ねのけた以上、鷹刀の側からは協力を要請するなんて、そんな虫のよいことはできない。――けど……」
 レイウェンが次の句を言いかけたとき、ルイフォンは「あ!」と大声を張り上げた。
「気づいたかい?」
「ああ。エルファンが事情聴取に行く『方針』は決定項と認めた上で、〈(フェレース)〉がカメラとかの『協力』を申し出る分には構わない、ってことか!」
「そういうことだよ」
 瞳を輝かせたルイフォンに、レイウェンが口の端を上げる。
 鬱々としていた目の前が、ぱぁっと晴れていくのを感じた。微妙に屁理屈が混じっているような気がしないでもないが、細かいことは気にしてはいけないのだ。
「ルイフォン」
 囁くようでありながらも、力強い低音が響いた。
「君は、魔術師(ウィザード)だ。君にしかできないことがあるはずだ」
「ああ。ハオリュウのときみたいにして――」
「そうだけど、それだけじゃないよ。――きっと」
 勢い込んだルイフォンを、レイウェンは遮る。声色だけは柔らかく、けれど鋭く。
「どういう意味だ?」
 ルイフォンは、きょとんと首をかしげた。
魔術師(ウィザード)は、遠隔からの支援が得意だろう? ならば、弱い手札で摂政殿下に挑もうとしている父上を、背後から援護することができるはずだ」
「――って、言われても……、……どうしろと……?」
 あまりにも突拍子もない話――しかも、『できる』と断言されてしまい、ルイフォンは途方に暮れたように言葉を返す。
 その困惑ぶりが可笑(おか)しかったのだろう。レイウェンは愛しげに目を細めた。
「まずは父上と連絡をとって、何を交渉材料にするつもりなのか訊いてごらん。――リュイセンと一緒にね」
「リュイセンと?」
「次期総帥が、鷹刀の命運を賭けた作戦の詳細を知らずにいるのは、さすがにまずいよ。だからといって、リュイセンが父上に代わって交渉に赴くのは、勿論、勧められないけどね」
 レイウェンが肩をすくめて苦笑する。けれど、その顔は優しさであふれていた。
「兄貴……なんだな」
 思わず、そんな言葉がこぼれた。
 後継者の地位を捨て、一族を離れても、レイウェンは(リュイセン)を見守り続けている。
 ルイフォンの言葉の意味合いは、明敏なレイウェンには正しく伝わったはずだ。けれど、彼は甘やかにとろけるような笑顔を浮かべ、こう告げた。
「そうだよ。『俺』は『君たちの兄貴』だからね」
「……!」
「一族を抜けた俺は、表立っては何もできない。けど、いつだって君たちと共に()る」
 玲瓏と響く、揺るぎのない声。
 大丈夫だ――と、異母弟(ルイフォン)を包み込む。
 摂政が動き出し、鷹刀一族は、かつてないほどの緊迫した空気に包まれた。誰も彼もが神経を張り詰め、余裕がなかったように思う。
 ルイフォンもまた、曖昧模糊(あいまいもこ)とした不安に、無意味に脅えていた。

 けれど、『兄』が肩を叩き、道を示してくれた。

 まっすぐなレイウェンの瞳に惹き込まれ、魅入られ、ルイフォンは不覚にも胸が熱くなる。
「兄貴!」
 腹に力を入れて呼び掛けると、『兄』は刹那の驚愕ののちに、破顔した。
「ありがとな。これからリュイセンに電話する。そのあと、遠隔から作戦会議だ。――摂政なんかの好きにはさせない!」
 猫の目を好戦的に煌めかせ、ルイフォンは宣言する。
「ああ、頑張れ」
 柔らかな眼差しに見送られ、ルイフォンは一本に編まれた髪を翻す。毛先を留める金の鈴が、輝くような軌跡を残し、レイウェンの書斎をあとにした。


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次のエピソードへ進む 3.表裏一体の末裔たち-1


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「あ……」
「聴取にあたるのが近衛隊でも、状況から考えて、摂政殿下は必ず顔を出すだろう。――|凶賊《ダリジィン》が|王族《フェイラ》と直接、相まみえることができるなんて、普通では考えられない。だから祖父上たちは、この|事情聴取《呼び出し》を、『出頭を要請されたから行く』という受け身の姿勢ではなくて、こちらから仕掛けることのできる、『またとない好機』と捉えたんだよ」
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「じゃあ、何を?」
 いつの間にか、問い詰めるような口調になっていた。無意識のうちに、猫の目を|尖《とが》らせていたルイフォンに、レイウェンは困ったように笑う。
「ルイフォン。私は、鷹刀とは縁を切った者だ。鷹刀が今、どんな手札を持っているのかを知ることはできないんだよ」
「あ……、すまない」
 即座に謝り、ルイフォンは癖の強い前髪をがしがしと掻き上げた。そんな仕草にレイウェンは口元をほころばせ、しかし、すぐに眉間に皺を寄せる。
「祖父上たちの態度から推測するに、今回、使おうとしている手札は、たいして強い札じゃない。賭けのようなものだと思うよ。――おそらく、発案者は、危険に直面することになる父上だ。父上は、意外に無鉄砲だからね」
「……っ」
 ルイフォンは息を呑んだ。
 昨日、仕事部屋を訪れたエルファンは、様子がおかしかった。
 あのとき、どうして呼び止めなかったのか。『個人的な用事』とやらを、ちゃんと聞いておくべきではなかったのか。そんな思いが胸中を渦巻く。
 押し黙ったルイフォンに、レイウェンは淡々と続けた。
「単に『事情聴取に応じる』とだけ言って詳細を伏せたのも、こちらから仕掛ける『攻勢』だとリュイセンが知れば、『次期総帥である自分が行くべきだ』と言い出すからだろうね」
「……」
「リュイセンは生真面目だから、交渉は自分には不向きだと分かっていても、それが作戦ならばやろうとする。そうなったら、さすがに次期総帥の顔を立てないわけにもいかないからね。祖父上たちは面倒なことになると思ったんだろう」
 確かにそうだ。
 兄貴分のことを思い浮かべ、ルイフォンは眉を曇らせる。
「レイウェン、あのさ……。昨日、リュイセンが……」
「リュイセンが――どうしたんだい?」
「夜、話をしたんだ」
 しばしの別れの前に盃を傾けようと、兄貴分に誘われて彼の部屋に行った。
「あいつは落ち込んでいて、『父上は、この事態を見越して、俺に次期総帥の位を譲ったんだ』って言っていた。……正直、俺も否定できなかった」
 エルファンが次期総帥の肩書きを持ったまま摂政に捕まるようなことがあれば、ことが大きくなる。だから、国を相手に全面戦争にならないよう、あらかじめ身を軽くしておいたのではないか――というわけだ。
「そうだね。先見の明のある父上のことだから、来たるべき摂政殿下との対立のために、位を退いておいたのは確かだろう」
「――っ」
 ルイフォンの肩が、びくりと震えた。
 その次の瞬間、レイウェンが「――でもね」と、とっておきの秘密を打ち明けるような、いたずらな子供の顔になる。
「父上に総帥になる意思がないのは、私が後継者だったときから感じていたよ」
「え?」
「だから、このタイミングでリュイセンに位を譲ったのは、あらゆる意味で都合がよかったからだ。だって、なんの手柄もなしに、リュイセンを抜擢することはできないだろう?」
「あ……!」
 言われてみれば、その通りだ。
「我が弟ながら、リュイセンは凄いと思うよ」
 レイウェンは目を細め、それまでの調子とは打って変わった甘やかな低音で告げる。
「私の知る限り、鷹刀に刃を向けた相手に対し、『血族として裁く』なんて言い出せる者は、リュイセンをおいて他にいない。リュイセンは〈|蝿《ムスカ》〉を尊重し、〈|蝿《ムスカ》〉を認めることによって、〈|蝿《ムスカ》〉を|挫《くじ》いた」
「ああ……」
「君でも私でも、あるいは祖父上や父上だって、〈|蝿《ムスカ》〉に対しては、もっと確実で効率の良い裁きを選んだはずだ。――あの状況で高潔を貫けるのはリュイセンだけだ」
 穏やかなレイウェンの声に、ルイフォンは深く同意する。
「だからね、リュイセンは誰よりも、鷹刀の|長《おさ》にふさわしい。優しすぎて、不安もあるけれど、それは周りが補えばいいだけだろう?」
 自慢げで、愛しげな笑みが広がった。
 多少、兄馬鹿が過ぎるきらいはあるが、レイウェンは弟が可愛くて仕方ないのだ。リュイセンだって、たまに優秀な兄に対する劣等感でいじけることがあるが、レイウェンのことを敬愛している。
 ルイフォンの頬が自然に緩んだ。
 摂政への交渉について議論していたはずなのに、いつの間にか妙な方向へと話が転がってしまったが、悪い気分ではなかった。
 落ち込んでいるリュイセンに、今のレイウェンの言葉を伝えてやれば、きっと喜ぶ。そろそろ、この場を切り上げて電話をしてやろう。
 辞去を告げるべく、ルイフォンが腰を浮かせたときだった。
 じっとこちらを見つめるレイウェンの眼差しに気づいた。|弟《リュイセン》について語った穏やかな色合いのまま、彼は口を開く。
「さて。だいぶ横道に|逸《そ》れたけど、話を戻すよ。――もうひとりの『俺の|異母弟《おとうと》』」
「――!?」
 甘やかに響く、レイウェンの美声。
 だのに、ルイフォンの体は、一瞬にして緊張に覆われた。
「君は〈|猫《フェレース》〉――鷹刀の『対等な協力者』だ。私と同じく一族を抜けたけれど、縁を切ることを誓った私とは違って、正々堂々と、鷹刀に『協力』できる立場にある」
 間違いないね? とばかりの、有無を言わせぬ強い視線に、ルイフォンは|気圧《けお》されたように頷く。
「君は、事情聴取に関して、こんなにも気にしているくせに、どうして『協力』を申し出ないんだい?」
「……え?」
「ハオリュウさんが摂政殿下の会食に臨んだときは、君は彼の服にカメラやマイクを仕込んで送り出した。でも、今の君は、ただ事態を憂いているだけだ」
「!」
 虚を|衝《つ》かれた。
 レイウェンの言う通りだった。
 家宅捜索に備え、屋敷の守りは固めてきた。けれど、事情聴取については、ルイフォンは何も関与していない。まったく彼らしくない。
 何故、こうなった――?
 ルイフォンは、こめかみから髪を掻き上げるように指先を滑らせ、ぐっと頭を抱え込む。
『〈|猫《フェレース》〉および、そのパートナーの気遣い、感謝する。――だが、危険は承知の上だ』
『すまないが、お前たちは、この件から手を引いてくれ』
 イーレオの魅惑の低音が、ルイフォンの耳に蘇った。
「…………」
『〈|猫《フェレース》〉および、そのパートナー』と呼びかけられた。
 譲れぬことだと、拒絶された。
 だから、後ろ髪を引かれながらも、イーレオとエルファンを信じた――。
「俺たちは距離を置かれたんだ。それで俺は、鷹刀のことには口出ししないと言って……」
 あの会議の苦さを思い出し、ルイフォンの声は尻つぼみに消えていく。
「それは、事情聴取に応じるという、鷹刀の『方針』に、一族ではない〈|猫《フェレース》〉が反対したからだろう?」
「え?」
「祖父上たちは危険を承知しながらも、好機と思って既に決断していたから、〈|猫《フェレース》〉の警告を拒んだ。そして、〈|猫《フェレース》〉の気遣いを跳ねのけた以上、鷹刀の側からは協力を要請するなんて、そんな虫のよいことはできない。――けど……」
 レイウェンが次の句を言いかけたとき、ルイフォンは「あ!」と大声を張り上げた。
「気づいたかい?」
「ああ。エルファンが事情聴取に行く『方針』は決定項と認めた上で、〈|猫《フェレース》〉がカメラとかの『協力』を申し出る分には構わない、ってことか!」
「そういうことだよ」
 瞳を輝かせたルイフォンに、レイウェンが口の端を上げる。
 鬱々としていた目の前が、ぱぁっと晴れていくのを感じた。微妙に屁理屈が混じっているような気がしないでもないが、細かいことは気にしてはいけないのだ。
「ルイフォン」
 囁くようでありながらも、力強い低音が響いた。
「君は、|魔術師《ウィザード》だ。君にしかできないことがあるはずだ」
「ああ。ハオリュウのときみたいにして――」
「そうだけど、それだけじゃないよ。――きっと」
 勢い込んだルイフォンを、レイウェンは遮る。声色だけは柔らかく、けれど鋭く。
「どういう意味だ?」
 ルイフォンは、きょとんと首をかしげた。
「|魔術師《ウィザード》は、遠隔からの支援が得意だろう? ならば、弱い手札で摂政殿下に挑もうとしている父上を、背後から援護することができるはずだ」
「――って、言われても……、……どうしろと……?」
 あまりにも突拍子もない話――しかも、『できる』と断言されてしまい、ルイフォンは途方に暮れたように言葉を返す。
 その困惑ぶりが|可笑《おか》しかったのだろう。レイウェンは愛しげに目を細めた。
「まずは父上と連絡をとって、何を交渉材料にするつもりなのか訊いてごらん。――リュイセンと一緒にね」
「リュイセンと?」
「次期総帥が、鷹刀の命運を賭けた作戦の詳細を知らずにいるのは、さすがにまずいよ。だからといって、リュイセンが父上に代わって交渉に赴くのは、勿論、勧められないけどね」
 レイウェンが肩をすくめて苦笑する。けれど、その顔は優しさであふれていた。
「兄貴……なんだな」
 思わず、そんな言葉がこぼれた。
 後継者の地位を捨て、一族を離れても、レイウェンは|弟《リュイセン》を見守り続けている。
 ルイフォンの言葉の意味合いは、明敏なレイウェンには正しく伝わったはずだ。けれど、彼は甘やかにとろけるような笑顔を浮かべ、こう告げた。
「そうだよ。『俺』は『君たちの兄貴』だからね」
「……!」
「一族を抜けた俺は、表立っては何もできない。けど、いつだって君たちと共に|在《あ》る」
 玲瓏と響く、揺るぎのない声。
 大丈夫だ――と、|異母弟《ルイフォン》を包み込む。
 摂政が動き出し、鷹刀一族は、かつてないほどの緊迫した空気に包まれた。誰も彼もが神経を張り詰め、余裕がなかったように思う。
 ルイフォンもまた、|曖昧模糊《あいまいもこ》とした不安に、無意味に脅えていた。
 けれど、『兄』が肩を叩き、道を示してくれた。
 まっすぐなレイウェンの瞳に惹き込まれ、魅入られ、ルイフォンは不覚にも胸が熱くなる。
「兄貴!」
 腹に力を入れて呼び掛けると、『兄』は刹那の驚愕ののちに、破顔した。
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 猫の目を好戦的に煌めかせ、ルイフォンは宣言する。
「ああ、頑張れ」
 柔らかな眼差しに見送られ、ルイフォンは一本に編まれた髪を翻す。毛先を留める金の鈴が、輝くような軌跡を残し、レイウェンの書斎をあとにした。