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【1】

ー/ー



「あ……」
 自室の清掃中。
 埃が溜まりやすい本棚の最下段に目を向けた真理愛(まりあ)は、端に立てたその本に気づき声を漏らした。
 古い、傷んだ絵本だった。

 『きらきらをさがしに』というタイトルで、祖父が初めて買って来て幼い頃毎晩のように父に読んでもらっていた。
 この本の傷みは、夜ごと数えきれないほどに繰り返し読まれた(あかし)だ。
 懐かしい想い出の中で、色褪せることなく輝いている愛おしい絵本。
 もちろんその存在を忘れてなどはいないものの、久しく手に取ったこともなかったと思い至る。
 無意識に手を伸ばして取り出し表紙に触れた途端、何か温かいものが流れ込んで来る気がした。
 捲ってみると、ページの端は破れを補修した後も目立つ。
 しかし、柔らかな水彩で描かれた美しい星空の絵に遥か遠い記憶が鮮やかに蘇った。そして一気に過去に引き戻される。

 夜空を旅する小さな星の物語。
 自分のいるべき場所(ポジション)を探して彷徨う星が、偶然に出会った流れ星と共に旅を続け、本当に輝けるところを見つけ出すストーリーだ。
 ゆっくりと文字の少ないページの絵を眺めながら本を閉じた時、他のすべてを閉め出していたことにようやく気付いた。

「掃除してる最中に見つけた服でひとりファッションショーとかしててさあ。ふっと『あたし、何やってんだよ……』って脱力するのが毎回なんだよ」
「私は本とかアルバムだな〜。ついつい開いちゃってすぐその中に入り込んじゃう」
 高校で、仲の良い友人たちと交わした会話が頭に浮かぶ。

「あたしはそういうのあんまりないかな。見つけたら『あ、こんなとこにあった。後で見よ』って置いとくほう。でもその状況はわかるよ」
 その時は正直ピンとこなかったのだが、彼女たちが語っていたのはまさにこういうことなのだろう。

    ◇  ◇  ◇
 真理愛がこの家に来たのは四歳九か月の時、だったらしい。
 詳しい年齢までは流石にあとで教えられたものだが、「新しい家族」に迎え入れられた記憶はしっかり残っている。

 母が薬を飲んで亡くなった同じ部屋で、真理愛は己の意思の及ばない(きた)るべきを待っていた。
 初めて会う父が助けに来てくれなければ、それは母と同じく『死』だった筈だ。
 真理愛の小さな世界のすべてだった支配者()が消えて、代わりに現れた父と祖父母。

 父に聞かされたのは、「ママは『真理愛を迎えに来て』ってパパに頼んだんだ」という事実のみ。
 そのような極限になるまで娘や孫の存在さえ知らされていなかった彼らが、この身を優しく受け入れてくれたこと。
 おそらくは葛藤がなかったわけもないだろうに、それ自体が成長した今の真理愛には奇跡のようにも感じる。

 この家に来てからしばらくの間。
 まるで半透明のの中で揺蕩うかのごとく、バリアを張り巡らせたような、社会から切り離されたような状態で、真理愛は薄い殻越しに突然できた家族を眺めていた。
 祖父が買って来た『きらきらをさがしに』を、手振りをつけながら読んでくれていたのも覚えている。
 その時初めて「笑った」のだと、その後何度も聞かされたものだ。
 真理愛の「お気に入り」と見做された絵本は、毎夜寝かしつけのために父が読んでくれていた。
 絵本は順調に増えて行ったが、結局その星の絵本が本当に真理愛の「一番のお気に入り」になった。
 今思えば、「いきなり父親になった・ならざるを得なかった」若い父の読み聞かせは決して流暢なものではなかった。
 それでも、文字の少ない「絵」で展開する星の物語を紡ぐ声は、真理愛の中にすんなりと沁み込んで来たのだ。

 きっかけはそれに違いないと断言できるが、今も真理愛は星を見るのが好きだ。
 これが原風景というものなのか。
 絵本の中で夜空を旅する星、仲間になった流れ星との旅路とその果ての別れ。
 何にも縛られず自由なようでいて、最後には流れて消えて行く「仲間」。
 消滅するに放たれた大きな光に導かれるように、星は元居た「星座」に戻る。
 取るに足りないと考えていた「小さな自分」がいてこそ、星座は完成して輝きを増すことに気付かせてくれた流れ星。

 お話を通じて、真理愛にとっての『居場所』はこの家だと言葉ではなく自然に伝わった。
 もうひとつ。
 絵本の中とは位置づけがまったく異なるものの、「真理愛の人生を通り過ぎて消えて行った」という意味合いにおいて、母は『流れ星』だったのだろうか。

 父と二階のベランダで二人星空を見上げた日々。
 小学校入学以降は自然と回数も少なく不定期になり、真理愛の誕生日である十二月二十四日(クリスマス)の習慣になって行った。
 父が、──おそらくは祖父母も、何とか真理愛のためにできることを、と試行錯誤する中で明確に形になったもののひとつだったのではないか。
 最初は父が真理愛を抱き上げて、遠い空の光の点を指さしながら「ほら、真理愛。星がいっぱいだ。あの絵本と同じだよ」と話してくれていた。
 ただその時間が嬉しく、どんどん楽しみになって行ったのだけが確かだ。年を重ねるごとに、「星に纏わる話」を対等にできるようになったのも。

 寂しく冷えて固まった真理愛の心に、父の声と都会の空の微かな星の光が差し込んで、凍り付いていた何かを溶かして行ったのだと思う。




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「あ……」
 自室の清掃中。
 埃が溜まりやすい本棚の最下段に目を向けた|真理愛《まりあ》は、端に立てたその本に気づき声を漏らした。
 古い、傷んだ絵本だった。
 『きらきらをさがしに』というタイトルで、祖父が初めて買って来て幼い頃毎晩のように父に読んでもらっていた。
 この本の傷みは、夜ごと数えきれないほどに繰り返し読まれた|証《あかし》だ。
 懐かしい想い出の中で、色褪せることなく輝いている愛おしい絵本。
 もちろんその存在を忘れてなどはいないものの、久しく手に取ったこともなかったと思い至る。
 無意識に手を伸ばして取り出し表紙に触れた途端、何か温かいものが流れ込んで来る気がした。
 捲ってみると、ページの端は破れを補修した後も目立つ。
 しかし、柔らかな水彩で描かれた美しい星空の絵に遥か遠い記憶が鮮やかに蘇った。そして一気に過去に引き戻される。
 夜空を旅する小さな星の物語。
 自分の|いるべき場所《ポジション》を探して彷徨う星が、偶然に出会った流れ星と共に旅を続け、本当に輝けるところを見つけ出すストーリーだ。
 ゆっくりと文字の少ないページの絵を眺めながら本を閉じた時、他のすべてを閉め出していたことにようやく気付いた。
「掃除してる最中に見つけた服でひとりファッションショーとかしててさあ。ふっと『あたし、何やってんだよ……』って脱力するのが毎回なんだよ」
「私は本とかアルバムだな〜。ついつい開いちゃってすぐその中に入り込んじゃう」
 高校で、仲の良い友人たちと交わした会話が頭に浮かぶ。
「あたしはそういうのあんまりないかな。見つけたら『あ、こんなとこにあった。後で見よ』って置いとくほう。でもその状況はわかるよ」
 その時は正直ピンとこなかったのだが、彼女たちが語っていたのはまさにこういうことなのだろう。
    ◇  ◇  ◇
 真理愛がこの家に来たのは四歳九か月の時、だったらしい。
 詳しい年齢までは流石にあとで教えられたものだが、「新しい家族」に迎え入れられた記憶はしっかり残っている。
 母が薬を飲んで亡くなった同じ部屋で、真理愛は己の意思の及ばない|来《きた》るべき《《何か》》を待っていた。
 初めて会う父が助けに来てくれなければ、それは母と同じく『死』だった筈だ。
 真理愛の小さな世界のすべてだった|支配者《母》が消えて、代わりに現れた父と祖父母。
 父に聞かされたのは、「ママは『真理愛を迎えに来て』ってパパに頼んだんだ」という事実のみ。
 そのような極限になるまで娘や孫の存在さえ知らされていなかった彼らが、この身を優しく受け入れてくれたこと。
 おそらくは葛藤がなかったわけもないだろうに、それ自体が成長した今の真理愛には奇跡のようにも感じる。
 この家に来てからしばらくの間。
 まるで半透明の《《卵》》の中で揺蕩うかのごとく、バリアを張り巡らせたような、社会から切り離されたような状態で、真理愛は薄い殻越しに突然できた家族を眺めていた。
 祖父が買って来た『きらきらをさがしに』を、手振りをつけながら読んでくれていたのも覚えている。
 その時初めて「笑った」のだと、その後何度も聞かされたものだ。
 真理愛の「お気に入り」と見做された絵本は、毎夜寝かしつけのために父が読んでくれていた。
 絵本は順調に増えて行ったが、結局その星の絵本が本当に真理愛の「一番のお気に入り」になった。
 今思えば、「いきなり父親になった・ならざるを得なかった」若い父の読み聞かせは決して流暢なものではなかった。
 それでも、文字の少ない「絵」で展開する星の物語を紡ぐ声は、真理愛の中にすんなりと沁み込んで来たのだ。
 きっかけはそれに違いないと断言できるが、今も真理愛は星を見るのが好きだ。
 これが原風景というものなのか。
 絵本の中で夜空を旅する星、仲間になった流れ星との旅路とその果ての別れ。
 何にも縛られず自由なようでいて、最後には流れて消えて行く「仲間」。
 消滅する《《その瞬間》》に放たれた大きな光に導かれるように、星は元居た「星座」に戻る。
 取るに足りないと考えていた「小さな自分」がいてこそ、星座は完成して輝きを増すことに気付かせてくれた流れ星。
 お話を通じて、真理愛にとっての『居場所』はこの家だと言葉ではなく自然に伝わった。
 もうひとつ。
 絵本の中とは位置づけがまったく異なるものの、「真理愛の人生を通り過ぎて消えて行った」という意味合いにおいて、母は『流れ星』だったのだろうか。
 父と二階のベランダで二人星空を見上げた日々。
 小学校入学以降は自然と回数も少なく不定期になり、真理愛の誕生日である|十二月二十四日《クリスマス》の習慣になって行った。
 父が、──おそらくは祖父母も、何とか真理愛のためにできることを、と試行錯誤する中で明確に形になったもののひとつだったのではないか。
 最初は父が真理愛を抱き上げて、遠い空の光の点を指さしながら「ほら、真理愛。星がいっぱいだ。あの絵本と同じだよ」と話してくれていた。
 ただその時間が嬉しく、どんどん楽しみになって行ったのだけが確かだ。年を重ねるごとに、「星に纏わる話」を対等にできるようになったのも。
 寂しく冷えて固まった真理愛の心に、父の声と都会の空の微かな星の光が差し込んで、凍り付いていた何かを溶かして行ったのだと思う。