──あたしのための薬は、必ずシロップか粉だった。
幼い頃はともかく、
真理愛が中学生になってからもずっと。
祖父母や父が故意にそうしてくれていたのもわかっている。病院での処方薬も、市販のものも、すべて。
元から粉末のものは別として、錠剤を勝手に粉状にするのは止められたらしい。だからどうしてもそれ以外の形状がない場合は、必ずオブラートに包んだ状態で渡されていた。
おそらくは、ときっかけとして思い当たる事象がある。
小学校の一年生だっただろうか。祖父が食後のダイニングテーブルで、何かの薬かサプリメントらしきものを服用しようと瓶を手にした。
傾けた瓶の口から、ザラザラと皴の多い掌に零れた白い小さな粒。
「あれ? ばあさん、これ何錠だった?」
普段ならその問いに呆れる筈の祖母は、祖父の手の上の「薬」をじっと見つめる真理愛に気づいたらしい。
「お父さん!」
祖母の鋭い声に、祖父はハッとしたように真理愛に目を向けて来る。同時に、錠剤を握り潰すかの勢いで拳が形作られた。
「真理愛、もう食べたし
リビングルーム行こう。テレビ観るか?」
横から掛けられた、父の少し強張った声と笑顔を今もはっきりと思い出せる。
家族全員が熟知している。
一人で真理愛を産んで育てていた母が「薬」で命を断ったことを。
真理愛がその同じ部屋にいたことも。
当時の状況について訊かれたことはなかったが、皆がほぼ確信しているのだろう。四歳だった真理愛が、母の服薬自殺の一部始終を見ていた現実を。
母が亡くなったことで、初めて会った父に引き取られて祖父と祖母と四人で暮らし始めたのだ。
それまで真理愛は、この家で「
錠剤」を目にしたことなどなかった。
初めて熱を出したときの薬は確かシロップだった。その後も小児科で処方されるのは基本シロップで、粉末は祖母によってゼリー状の補助剤で包まれ、スプーンで口まで運ばれていた。
母がテーブルの天板一面に撒いていた、白い小さな丸い粒。シートから押し出された「薬」だ、ということも幼い真理愛はわかっていなかった。
祖父の手の、同じような白い粒。
あのとき真理愛は何かを思い出したのだろうか。それともずっと心のどこかで眠っていたものの正体に初めて気づいたのか。
祖母の咎める声音、祖父の慌てた様子、……父の苦痛を堪えるような表情。
何もかも鮮明に覚えているのに、何故か肝心なことだけが曖昧だ。
それ以来、家族が真理愛の前で錠剤を扱うことはない。もちろん真理愛本人の薬は「錠剤以外を」と配慮されていた。
ラムネ菓子をはじめ、「錠剤」を彷彿とさせるものさえ遠ざける徹底ぶりは、今思えば過剰な気もする。
しかし、それだけ真理愛のことを考えていてくれたのだと感謝していた。
夕食を終えて、家族に断りいったんは自室に向かう。
しかし飲み物を持って行こう、と途中で取って返し、キッチンに入ろうとしたところで真理愛はシンク前に立つ祖父の背中を目に止めた。
「あ──」
声を掛けようとして咄嗟に口を噤んでしまう。
祖父が左手を口に当てたかと思うと、すぐに右手のコップに口をつけて煽るのがわかったからだ。
このところ体調が思わしくないと通院している祖父が、服薬を続けているのは考えてみれば当然だ。しかし今の今まで気づかなかった。
こうして、孫娘の目の届かないところでしか薬を取り出すことはなかったためだろう。
──おじいちゃん。
祖父も祖母も、父も。家族の誰もが真理愛の心を慮ってくれている。不用意に傷つけることがないように慎重に気を配ってくれている。
そこまでしなくても、と浮かんでようやく思い至った。
心配させているのは自分自身だ。もう中学二年生、とうに幼い少女ではないのに、とどこかで反発しつつも、守られる心地よさをただ甘受していた。
言わなければ、表さなければ、たとえ家族でも通じない。
当然だ。超能力者でもあるまいに、何もかも察しろと要求するのは傲慢だろう。
本心から真理愛は、もう「白い小さな粒」に特別な意識はなかった。嫌悪感も忌避感も。
身体は丈夫な方らしく、よほどでなければ薬とは縁もない。必要とするのは非常事態のみだ。直近では昨年、中学一年生の冬にインフルエンザに罹患した際だった。
高熱に浮かされながら「錠剤」について言及する余裕などある筈もない。それ以外ではわざわざ知らせる機会もなかっただけだ。
実際に、学校で友人とタブレット型の菓子を食べたこともある。なんの抵抗も覚えずに。