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4.風凪の眠りに灯る光-1

ー/ー



 菖蒲の館の〈(ムスカ)〉の地下研究室は、予定通り時間を置いてから、ルイフォンが遠隔操作で爆破した。〈(ムスカ)〉と『彼女』の遺体は、ミンウェイが略式の葬儀を挙げ、彼らのオリジナルたちが眠る、海を臨む丘に埋葬した。
 リュイセンの次期総帥昇格については一族を大いに驚かせたが、彼の顔つきが変わったのは誰もが認めるところで、(おおむ)ね、好感をもって受け入れられた。任命の儀は、つつがなく執り行われ、彼は晴れて次期総帥となった。
(ムスカ)〉との決着から、そんな慌ただしい日々が続いていたが、ようやくひと区切りがついた。


「――なぁ、メイシア」
 彼女が差し入れてくれたお茶を飲み干し、ルイフォンは呼びかけた。
 ここ数日、彼は仕事部屋に籠もりきりで作業を続けていた。ずっと、ほったらかしにしていた〈スー〉のプログラムの解析に本腰を入れ始めたのだ。
〈スー〉のことは、今までは漠然と、『母の遺産』として価値があるものだと思っていた。言い換えれば、とんでもない技術の結晶という『もの』としての興味しかなかった。
 しかし、〈(ムスカ)〉から〈冥王(プルート)〉のことを聞き、〈スー〉は、母の脳を(もと)にした有機コンピュータなのだと気づいた。
 母のキリファの『命そのもの』なのだと。
本体(ハードウェア)』とでもいうべき光の(たま)は、〈(スコリピウス)〉の研究室跡に建てられた家にある。ルイフォンは実物を見てこなかったが、エルファンによれば、眠るように静かに、ほのかな光を灯していたという。
 そして、『本体(ハードウェア)』に、〈スー〉のプログラムを解析した『中身(ソフトウェア)』を合わせれば、母から作られた〈スー〉が目覚める――。
 ルイフォンの意識は変わった。
 しかし、進捗は芳しくない。悪筆の母の手書き文字で書かれたプログラムは暗号に等しく、正しくは『解析』ではなく、困難を極める『解読』作業なのだ。ルイフォンが今まで先延ばしにしていた所以(ゆえん)でもある……。
 手を止めて、OAグラスを外した彼を見て、メイシアは機械類の載った机の下から丸椅子を出して座った。その際、流れてきた長い黒髪をすっと指先で耳に掛ける。何気ない仕草だが、半袖のメイド服から伸びた華奢な腕が、白く(なま)めく。
 だから、ルイフォンは、彼女に言おうとしていた用件は脇に置き、まずは素直な感想を口にした。
「お前、また綺麗になったな」
「ル、ルイフォン!? い、いきなり何を……」
 メイシアは、彼が見惚れた白磁の肌をさぁっと(くれない)に染め、恥ずかしそうにうつむいた。照れも遠慮もない彼の言動は、いつものことであろうに、いまだに慣れないものらしい。
「俺は、思ったことを言ったまでだ。離れ離れになっている間に、色気が増したというか……。見た目だけじゃないんだよな。『堂々たる気品』とでも言えばいいのか? ともかく、惚れ直した」
 ルイフォンは、愛しげに目を細める。彼女がそばに()ることが、どれだけ大切なことなのか。離れていた一週間ばかりで思い知らされた。
 そんなご機嫌な彼を前に、メイシアは困ったように身を縮こめる。けれど、すぐに、まだ赤みの残る顔で彼を見上げ、笑顔の花を咲かせてくれた。
「ありがとう、……嬉しい。――うん。私も、逢えなかった間に、ルイフォンが少し変わった気がしていた」
「え?」
 意外な発言に、彼は軽く目を見張る。
「あのね、落ち着いた雰囲気になったの。だからといって、覇気がないわけじゃない。むしろ、覇気であふれている」
 それから彼女は、ほんの少し、ためらうように視線を落とした。無意識に顎を引いたせいか、再び顔を上げたときに、はにかむような上目遣いの、どこか甘えた可愛らしい表情になっている。
「私……、そんなルイフォンに、どきどきする。今までも、ルイフォンのことが好きだったのに、前よりももっと――好きなの」
 その瞬間、ルイフォンは得も言われぬ幸せで満たされた。
 座っている回転椅子をすっと滑らせ、ふわりと彼女の肩を抱き寄せる。
「メイシア、俺もだ。――けど、たぶん、明日にはもっと、お前を好きになっているだろう」
 ルイフォンが変わっていくのは、メイシアのため。彼女が安心して、彼のそばに居られるように、強く()りたいと願っているから。
 それは彼女も同じなのだと――自惚(うぬぼ)れかもしれないが、自信を持って言える。
 ふと、彼は、彼女の体が冷えていることに気づいた。この仕事部屋は、機械類のために室温を低く設定してある。夏服のメイド服では寒かろう。
「続きは、隣で話そう」
 ルイフォンは、問答無用でメイシアを抱き上げた。「きゃっ」という小さな悲鳴は、ただのお約束だ。彼女が遠慮がちに嬉しそうな顔をしていることに、彼はちゃんと気づいている。
 腕の中の重みと柔らかさに、心地の良い安らぎを感じながら、彼は続き部屋の私室の扉を開いた。


 メイシアと向かい合ってテーブルに着くと、今度は話が横道にそれないよう、ルイフォンは早速、切り出した。
「前にさ、俺が『〈(ムスカ)〉との決着がついたら、お前を連れて鷹刀を出る』って、言っていたこと――覚えているか?」
 それは、ルイフォンがリュイセンを置いて、〈(ムスカ)〉のもとから逃げてきたときのことだ。
 静かなテノールに、メイシアの表情がすっと引き締まる。
「うん。覚えている」
 随分と前のことなのに、さすがはメイシアである。彼は「ありがとな」と、口元を緩めた。
「俺は鷹刀を出て、セレイエを探すつもりだった。あいつに洗いざらい吐かせて、『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』を終わらせるために……な」
 囁くように落とされた語尾に、メイシアが硬い顔で頷く。
 目線を交わす。ふたりの間に無言の声が響く。

 ――けれど、セレイエは、ふたりに『ライシェン』の幸せを託して死んでいた。

 その一方で、『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』の全貌はメイシアの脳に刻まれており、すべてが明らかになっている……。
「セレイエを探す必要はなくなった」
 ルイフォンの言葉に、メイシアは沈んだ声で「うん」と同意する。
「でも、俺が鷹刀を出ようと思った理由は、もうひとつあって、『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』と関係ないはずの鷹刀を巻き込まないためでもあった」
 計画に組み込まれていたのは、『ルイフォンとメイシア』であり、『鷹刀』は、ふたりが出逢う場所として利用されただけだった。
 ならば、〈(フェレース)〉として独立したからには、自分に掛かる火の粉くらい、自分で払う。抜けたはずの一族に守られているようでは、『対等』な協力者とは言えないのだから。――そう思った。
「だから、とりあえず、俺が昔、住んでいた〈ケル〉の家に、お前と移ろうかと考えていた。『ライシェン』も連れてさ。――けど……」
 ルイフォンの声が一段、低くなる。
「摂政が鷹刀に目をつけている、という情報が入った」
 その瞬間、メイシアが鋭く息を呑んだ。
「セレイエさんも……予期……、心配……していた。鷹刀のこと……」
 彼女は両手を頭に添え、綺麗な眉を苦しげに寄せる。セレイエの記憶をたどっているのだ。
「鷹刀はセレイエさんの実家だし、もともと鷹刀と王家には因縁の歴史があるから……。カイウォル摂政殿下は、鷹刀が一枚噛んでいると疑うに違いない――って」
『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』は、セレイエにとっては『息子を生き返らせたい』という切なる願いだ。
 しかし、摂政にしてみれば、『ライシェン』の後見人の座を巡る政権闘争である。セレイエの死を知らない彼は、なんとしてでも彼女を見つけ出し、排除したいであろう。故に、彼女の実家であり、匿っている可能性の高い王国一の凶賊(ダリジィン)、鷹刀一族の存在は無視できない。
 ルイフォンは唇を噛んだ。
「俺たちが今、鷹刀を離れても、どうやら手遅れらしい。しかも摂政は、お前が生きていることを知っている。何かを仕掛けてくるかもしれない。そのとき、俺ひとりで、お前の身を守り抜くことは難しい。――情けねぇけど」
 ルイフォンが、リュイセンのように一騎当千の猛者だったらよかったのだろうかと、考えもした。しかし、すぐに、それは否定した。
 そもそも、メイシアが狙われるような隙を見せること自体が間違い――否、愚かなのだ。『守る』ということは、『彼女を危険な状況に陥らせない』ということだ。魔術師(ウィザード)である彼には、騎士(ナイト)のような華々しい活躍(見せ場)なんか必要ない。
「『お前を連れて出る』なんて宣言していたのに格好つかねぇけどさ、現状を考えると、俺たちは、この屋敷に留まるべきだと思う。勿論、世話になるだけじゃなくて、俺は〈(フェレース)〉として貢献するし、お前だって鷹刀のために働く。メイドとしてだけじゃなくて、ミンウェイがお前を助手として欲しがっていた」
「え……?」
 最後のひとことに、だろう。メイシアが、きょとんと目を丸くした。彼女は、自分の価値が分かっていないのだ。ルイフォンは苦笑を漏らし、ミンウェイに言われたことを思い出しながら、誇らしげな気持ちで補足する。
「前に、お前がミンウェイを手伝ったことがあっただろ? そのとき、手際の良さに感動した、ってさ。――で、今はリュイセンが次期総帥を継いだばかりで、なんか雑務が多いらしい。助けてほしいそうだ」
「嬉しい……。私でも、お役に立てたんだ……」
 頬を染めながら言う台詞もまた自己評価が低く、如何(いか)にもメイシアである。しかし、彼女は瞳を輝かせながら、大きく頷いた。
「――うん。今は、もうしばらく鷹刀にご厄介になりましょう。私たちは『ふたりきり』じゃなくて、『皆に囲まれた、ふたり』なんだもの」
 嬉しそうなメイシアに、ルイフォンは少しだけ憮然とする。
「俺としては、お前と『ふたりきり』にも憧れるけどな」
 ぼそりと漏らすと、彼女は照れたような笑みを返してくれた。
 だから、彼も口元をほころばせる。
「ともかくさ。俺たちの目標は『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』を終焉へと導くことだ。『ライシェン』に何をしてやれるのか――どんな着地点を目指すのかは、まだ決まっていないけど……。でも、この計画を終わらせる。できるだけ早く――な」
「うん」
 打てば響くような、澄んだ声。
 彼の戦乙女がそばに居れば、彼は無敵だ。
「『ライシェン』の未来は、摂政カイウォルと父親のヤンイェン――このふたりの王族(フェイラ)(はら)に依るところが大きいだろう。そんなすぐに白黒がつく問題じゃない、しばらく様子見になる。だから、俺は、まずはできることから――というわけで、〈スー〉を目覚めさせる」
 ルイフォンは、今まで作業をしていた仕事部屋をちらりと見やる。
「母さんが命を賭けた意味を知りたいし、〈冥王(プルート)〉のことも訊きたい。もし、母さんの願い通りに〈冥王(プルート)〉を破壊したら、〈神の御子〉の『ライシェン』を始め、誰に――何に、どんな影響があるのか、理解しておきたい」
 ルイフォンが未来を見据え、そう告げたとき、唐突にメイシアの瞳から涙がこぼれた。白い頬をなぞるように、緩やかな曲線を描きながら、音もなく光の筋が流れていく。
「メイシア!?」
 何故、彼女が泣くのか? わけが分からず、ルイフォンは狼狽する。
 しかし、当のメイシアのほうが、彼以上に困惑したような顔をしていた。自分の頬に触れ、濡れた指先を呆然と見つめている。
「あ……、セレイエさんが……セレイエさんの記憶()が泣いている……」
 細い声が、涙を含んで震えた。
「ああ……、セレイエさんも、キリファさんが命を賭けた意味を知りたがっていたんだ……。なんとなく、自分のせいだと察していたけど、理由が分からなかったから。だから、この涙は、罪の意識……」
 メイシアは、さっとハンカチを取り出して涙を拭う。そして、「驚かせてごめんなさい」と、少し無理のある顔で笑った。
「おい、大丈夫か?」
「うん。……ええとね」
 彼女は指先を自分の頭に当てる。また、セレイエの記憶をたどっているのだ。
「セレイエさんが『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』を作ったのは、キリファさんが亡くなって……、ヤンイェン殿下が先王陛下を殺害し、幽閉されたあと。――セレイエさんが、ひとりきりになってしまってからなんだけど……。でも、それよりもずっと前、ライシェンが殺されてすぐに、セレイエさんはキリファさんに会いに行っていたの」
「え? セレイエが母さんに会いに来た? ――って、俺は、同じ家に住んでいたはずなんだけど、その時期にセレイエが来たなんて知らねぇぞ」
「ううんと……。あ、ルイフォンが出掛けている間に行ったみたい」
 思い出すような素振りで、メイシアが言う。まさに『記憶を掘り起こしている』というべきか。
 脳に刻まれたセレイエの記憶は、メイシアが知りたいと思わなければ、気づかないものらしい。しかし、いきなり泣き出したりもするので、どうにも仕組みが曖昧だ。
 ……ルイフォンとしては、セレイエにメイシアを奪われたような気がして、正直なところ不快――腹が立つ。
「セレイエさんは、キリファさんに〈冥王(プルート)〉について聞きに行ったの。セレイエさんの力で、ライシェンの記憶を集められるかどうか……。でも、キリファさんは、ライシェンの蘇生に猛反対で、喧嘩別れみたいになっちゃったの」
「そりゃまぁ、そうだろ。母さんは〈七つの大罪〉の技術を否定する側だ。蘇生なんて認められないだろ」
「うん……。だけど、そのあと、キリファさんは亡くなって……、セレイエさんは、自分のために違いないと……、それで……」
 そう呟いた彼女の顔には血の気がなく、白蝋のようで……。
「おい! 顔色が悪いぞ」
 メイシアが、セレイエに同調している――。
 本能的な恐怖を覚え、ルイフォンは血相を変えた。椅子を倒しながら席を立ち、彼女へと駆け寄る。
「ルイフォン?」
「もう、セレイエの記憶を見るな!」
『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』の詳細を聞いたときに、そう言っておくべきだった。あのときも、メイシアは、セレイエの記憶に心を流されそうになった。
 ルイフォンは、彼女を背中から包み込む。黒絹の髪に指を滑らせ、くしゃりと撫でる。
 メイシアはセレイエの記憶は悪さをしないと言ったが、他人の記憶、他人の感情が精神に良い影響を与えるわけがない。心に負担が掛かる。何故なら、心優しいメイシアは、どうしたってセレイエを思いやる。それではメイシアの心がもたないのだ。
 急に叫んだルイフォンに、メイシアは、びくりと体を震わせた。
 けれど、ゆっくりと彼を振り返り……、ふわりと笑う。
「心配してくれて、ありがとう」
「え……、あ……、大声を出して……すまん」
 落ち着き払った様子のメイシアに、ルイフォンは面目なく尻つぼみに謝る。
「ううん。でも、セレイエさんの記憶は、重要な『情報』なの。彼女の気持ちを思うと辛くなることもあるけれど、こうしてルイフォンが抱きしめてくれるから、大丈夫」
 凛とした黒曜石の瞳が、まっすぐに彼を映す。
「メイシア……」
 彼女は強くなった。――ルイフォンのために。
 ……それでも。
「俺が嫌だから、セレイエの記憶を見るのは禁止だ」
「えっ!?」
 ルイフォンの堂々たる我儘に、メイシアは声を失った。
 しかし一瞬、彼女を黙らせたところで意味はない。彼女は、(たお)やかなようでいて芯が強く、しかも聡明だ。きちんと説き伏せなければ、納得しないだろう。
 癖の強い前髪を乱暴に掻き上げ、ルイフォンは思案する。
 そして、はっと閃いた。
「お前に、セレイエの記憶を見ることを禁止する、大義名分があった」
 彼は猫の目を得意げに細め、にやりと口角を上げる。
「お前がセレイエの記憶を持っているのは、ホンシュアが〈天使〉の力を使って、お前に記憶を書き込んだから――つまり、〈七つの大罪〉の技術に依るものだ」 
「え? ええ、うん……」
 メイシアは、戸惑いながらも相槌を打つ。
「〈七つの大罪〉の技術は確かに凄い。けど、頼ったらいけない、禁忌のものだ。――だから、封じるべきだ。勝手に見えちまう分はどうしようもないけど、わざわざ自分から、セレイエの記憶を見ようとしないでくれ」
 鋭いテノールに、メイシアの表情が揺れた。ルイフォンの弁は正論と思いつつ、全面的に肯定できないでいるのだ。
 ルイフォンは畳み掛けるように続ける。
「セレイエの記憶が、有益な情報であることは承知している。でも、俺たちなら、別の方法で必ず、なんとかできるはずだ」
 彼は笑う。
 彼女が好きだと言ってくれる、覇気のあふれる顔で。
「俺たちが一番知りたくて、セレイエが一番伝えたかった『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』の情報は、既に入手している。それでもう、充分だろ?」
「……っ」
 メイシアの顔が曇った。
 セレイエが一番伝えたかったのは、メイシアが『最強の〈天使〉』になるために必要な、『〈天使〉の力を使いこなすための知識』ではないのか? ――そんな反論が、彼女の心をよぎったのが見て取れた。
 しかし、メイシアは〈天使〉にはならない。
 メイシア本人も望んでいなければ、ルイフォンだって猛反対だからだ。故に、セレイエの知識は不要なものだ。メイシアも、それが分かっているから口に出さない。
 ならば、もうひと押し。
 ルイフォンは、おそらく決定打となるであろう、ひとことを加える。
「それにセレイエだって、他人に根掘り葉掘り、記憶を探られたくはないはずだ。誰しも、秘密にしておきたいことくらいあるはずだからな。――(あば)いたら駄目だろ?」
「!」
 黒曜石の瞳が、いっぱいに見開かれた。
「そ、そうよね……、私、セレイエさんに凄く失礼なことをしていた……。恥ずかしい」
「だろ?」
 完璧な論理だと、ルイフォンは鼻高々である。
 だからつい、口を滑らせた。
「セレイエの記憶の中には、餓鬼のころの俺の姿もあるはずだ。そんなもの、俺も知られたくはな……」
「あぁっ!」
 突然、メイシアが華やかな声を上げる。
 慎み深い彼女のこと、すぐにうつむいて口元を隠したが、黒曜石の瞳はきらきらと輝き、まろみ帯びた頬はわずかに上気している。遠慮がちでありながら、しかし明白に、うずうずという好奇心の音が聞こえていた。
 ルイフォンは、おそるおそる尋ねる。
「ひょっとして、お前、餓鬼のころの俺に興味がある?」
「うん」
 控えめに頷きつつも、彼女の頬は薔薇色に染まっている。
「だからと言って、セレイエの記憶を見るのは――」
「ち、違うの! そんな、セレイエさんにも、ルイフォンにも失礼なことはしない! ……ただ純粋に、小さいころのルイフォンを想像して、その……、可愛かっただろうなぁ、って。…………見たいな、って。あ、勿論、見ないの! 私の中に、そんな記憶が刻まれているんだな、ってだけで……」
 彼女らしくもなく、支離滅裂である。
 ルイフォンは唖然としつつ、こんなメイシアも可愛らしいなと目を細める。すると、何を勘違いしたのか、彼女は、ぼそぼそと弁解するように呟いた。
「だって、私の知らないルイフォンなんだもの……」
 ほんの少し()ねたような、甘えたような上目遣い。彼の最愛のメイシアは、それと分かりにくいが、意外と独占欲が強いのだ。
 そして、そんなところも愛おしい。
 出逢ったばかりのころの彼女からは想像もできない、彼しか知らない蠱惑の顔に、ルイフォンは魅入られる。
 だから、彼女の喜ぶ顔を見たくて、彼は尋ねる。
「餓鬼のころの俺の写真、見るか?」
 恥ずかしい過去の逸話は封印だが、写真くらいなら構わない。
「見たい!」
 期待通り、彼女は嬉しそうに即答してくれた。
 そういえば、メイシアは、ルイフォンの女装姿『ルイリン』の写真をとても大切にしているのだった。時々、携帯端末を眺めては、口元をほころばせていることを彼は知っている。
 彼女はきっと、『子供のころのルイフォンの写真も欲しい』と言い出すに違いない。……どうせなら、まともな写真も持っていてほしい。
「ああ、そうか」
「え?」
 不意に呟いたルイフォンに、メイシアが不思議そうな顔をする。
「俺たち『ふたり』の写真を撮ろう」
 よく考えたら、『ふたり』一緒の写真は、菖蒲の庭園での再会のとき、シュアンがハオリュウに送るために撮ったものしかない。
 本当に、まだまだ、これからの『ふたり』なのだ。
 思い立ったが吉日とばかりに、ルイフォンが携帯端末を取り出すと、メイシアが極上の笑顔を煌めかせた。


 これからずっと、何度でも。
 寄り添う、ふたりの姿を残していこう。
 そうして、共に時を重ねていくのだ――。


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「――なぁ、メイシア」
 彼女が差し入れてくれたお茶を飲み干し、ルイフォンは呼びかけた。
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〈スー〉のことは、今までは漠然と、『母の遺産』として価値があるものだと思っていた。言い換えれば、とんでもない技術の結晶という『もの』としての興味しかなかった。
 しかし、〈|蝿《ムスカ》〉から〈|冥王《プルート》〉のことを聞き、〈スー〉は、母の脳を|素《もと》にした有機コンピュータなのだと気づいた。
 母のキリファの『命そのもの』なのだと。
『|本体《ハードウェア》』とでもいうべき光の|珠《たま》は、〈|蠍《スコリピウス》〉の研究室跡に建てられた家にある。ルイフォンは実物を見てこなかったが、エルファンによれば、眠るように静かに、ほのかな光を灯していたという。
 そして、『|本体《ハードウェア》』に、〈スー〉のプログラムを解析した『|中身《ソフトウェア》』を合わせれば、母から作られた〈スー〉が目覚める――。
 ルイフォンの意識は変わった。
 しかし、進捗は芳しくない。悪筆の母の手書き文字で書かれたプログラムは暗号に等しく、正しくは『解析』ではなく、困難を極める『解読』作業なのだ。ルイフォンが今まで先延ばしにしていた|所以《ゆえん》でもある……。
 手を止めて、OAグラスを外した彼を見て、メイシアは機械類の載った机の下から丸椅子を出して座った。その際、流れてきた長い黒髪をすっと指先で耳に掛ける。何気ない仕草だが、半袖のメイド服から伸びた華奢な腕が、白く|艶《なま》めく。
 だから、ルイフォンは、彼女に言おうとしていた用件は脇に置き、まずは素直な感想を口にした。
「お前、また綺麗になったな」
「ル、ルイフォン!? い、いきなり何を……」
 メイシアは、彼が見惚れた白磁の肌をさぁっと|紅《くれない》に染め、恥ずかしそうにうつむいた。照れも遠慮もない彼の言動は、いつものことであろうに、いまだに慣れないものらしい。
「俺は、思ったことを言ったまでだ。離れ離れになっている間に、色気が増したというか……。見た目だけじゃないんだよな。『堂々たる気品』とでも言えばいいのか? ともかく、惚れ直した」
 ルイフォンは、愛しげに目を細める。彼女がそばに|居《い》ることが、どれだけ大切なことなのか。離れていた一週間ばかりで思い知らされた。
 そんなご機嫌な彼を前に、メイシアは困ったように身を縮こめる。けれど、すぐに、まだ赤みの残る顔で彼を見上げ、笑顔の花を咲かせてくれた。
「ありがとう、……嬉しい。――うん。私も、逢えなかった間に、ルイフォンが少し変わった気がしていた」
「え?」
 意外な発言に、彼は軽く目を見張る。
「あのね、落ち着いた雰囲気になったの。だからといって、覇気がないわけじゃない。むしろ、覇気であふれている」
 それから彼女は、ほんの少し、ためらうように視線を落とした。無意識に顎を引いたせいか、再び顔を上げたときに、はにかむような上目遣いの、どこか甘えた可愛らしい表情になっている。
「私……、そんなルイフォンに、どきどきする。今までも、ルイフォンのことが好きだったのに、前よりももっと――好きなの」
 その瞬間、ルイフォンは得も言われぬ幸せで満たされた。
 座っている回転椅子をすっと滑らせ、ふわりと彼女の肩を抱き寄せる。
「メイシア、俺もだ。――けど、たぶん、明日にはもっと、お前を好きになっているだろう」
 ルイフォンが変わっていくのは、メイシアのため。彼女が安心して、彼のそばに居られるように、強く|在《あ》りたいと願っているから。
 それは彼女も同じなのだと――|自惚《うぬぼ》れかもしれないが、自信を持って言える。
 ふと、彼は、彼女の体が冷えていることに気づいた。この仕事部屋は、機械類のために室温を低く設定してある。夏服のメイド服では寒かろう。
「続きは、隣で話そう」
 ルイフォンは、問答無用でメイシアを抱き上げた。「きゃっ」という小さな悲鳴は、ただのお約束だ。彼女が遠慮がちに嬉しそうな顔をしていることに、彼はちゃんと気づいている。
 腕の中の重みと柔らかさに、心地の良い安らぎを感じながら、彼は続き部屋の私室の扉を開いた。
 メイシアと向かい合ってテーブルに着くと、今度は話が横道にそれないよう、ルイフォンは早速、切り出した。
「前にさ、俺が『〈|蝿《ムスカ》〉との決着がついたら、お前を連れて鷹刀を出る』って、言っていたこと――覚えているか?」
 それは、ルイフォンがリュイセンを置いて、〈|蝿《ムスカ》〉のもとから逃げてきたときのことだ。
 静かなテノールに、メイシアの表情がすっと引き締まる。
「うん。覚えている」
 随分と前のことなのに、さすがはメイシアである。彼は「ありがとな」と、口元を緩めた。
「俺は鷹刀を出て、セレイエを探すつもりだった。あいつに洗いざらい吐かせて、『デヴァイン・シンフォニア|計画《プログラム》』を終わらせるために……な」
 囁くように落とされた語尾に、メイシアが硬い顔で頷く。
 目線を交わす。ふたりの間に無言の声が響く。
 ――けれど、セレイエは、ふたりに『ライシェン』の幸せを託して死んでいた。
 その一方で、『デヴァイン・シンフォニア|計画《プログラム》』の全貌はメイシアの脳に刻まれており、すべてが明らかになっている……。
「セレイエを探す必要はなくなった」
 ルイフォンの言葉に、メイシアは沈んだ声で「うん」と同意する。
「でも、俺が鷹刀を出ようと思った理由は、もうひとつあって、『デヴァイン・シンフォニア|計画《プログラム》』と関係ないはずの鷹刀を巻き込まないためでもあった」
 計画に組み込まれていたのは、『ルイフォンとメイシア』であり、『鷹刀』は、ふたりが出逢う場所として利用されただけだった。
 ならば、〈|猫《フェレース》〉として独立したからには、自分に掛かる火の粉くらい、自分で払う。抜けたはずの一族に守られているようでは、『対等』な協力者とは言えないのだから。――そう思った。
「だから、とりあえず、俺が昔、住んでいた〈ケル〉の家に、お前と移ろうかと考えていた。『ライシェン』も連れてさ。――けど……」
 ルイフォンの声が一段、低くなる。
「摂政が鷹刀に目をつけている、という情報が入った」
 その瞬間、メイシアが鋭く息を呑んだ。
「セレイエさんも……予期……、心配……していた。鷹刀のこと……」
 彼女は両手を頭に添え、綺麗な眉を苦しげに寄せる。セレイエの記憶をたどっているのだ。
「鷹刀はセレイエさんの実家だし、もともと鷹刀と王家には因縁の歴史があるから……。カイウォル摂政殿下は、鷹刀が一枚噛んでいると疑うに違いない――って」
『デヴァイン・シンフォニア|計画《プログラム》』は、セレイエにとっては『息子を生き返らせたい』という切なる願いだ。
 しかし、摂政にしてみれば、『ライシェン』の後見人の座を巡る政権闘争である。セレイエの死を知らない彼は、なんとしてでも彼女を見つけ出し、排除したいであろう。故に、彼女の実家であり、匿っている可能性の高い王国一の|凶賊《ダリジィン》、鷹刀一族の存在は無視できない。
 ルイフォンは唇を噛んだ。
「俺たちが今、鷹刀を離れても、どうやら手遅れらしい。しかも摂政は、お前が生きていることを知っている。何かを仕掛けてくるかもしれない。そのとき、俺ひとりで、お前の身を守り抜くことは難しい。――情けねぇけど」
 ルイフォンが、リュイセンのように一騎当千の猛者だったらよかったのだろうかと、考えもした。しかし、すぐに、それは否定した。
 そもそも、メイシアが狙われるような隙を見せること自体が間違い――否、愚かなのだ。『守る』ということは、『彼女を危険な状況に陥らせない』ということだ。|魔術師《ウィザード》である彼には、|騎士《ナイト》のような華々しい|活躍《見せ場》なんか必要ない。
「『お前を連れて出る』なんて宣言していたのに格好つかねぇけどさ、現状を考えると、俺たちは、この屋敷に留まるべきだと思う。勿論、世話になるだけじゃなくて、俺は〈|猫《フェレース》〉として貢献するし、お前だって鷹刀のために働く。メイドとしてだけじゃなくて、ミンウェイがお前を助手として欲しがっていた」
「え……?」
 最後のひとことに、だろう。メイシアが、きょとんと目を丸くした。彼女は、自分の価値が分かっていないのだ。ルイフォンは苦笑を漏らし、ミンウェイに言われたことを思い出しながら、誇らしげな気持ちで補足する。
「前に、お前がミンウェイを手伝ったことがあっただろ? そのとき、手際の良さに感動した、ってさ。――で、今はリュイセンが次期総帥を継いだばかりで、なんか雑務が多いらしい。助けてほしいそうだ」
「嬉しい……。私でも、お役に立てたんだ……」
 頬を染めながら言う台詞もまた自己評価が低く、|如何《いか》にもメイシアである。しかし、彼女は瞳を輝かせながら、大きく頷いた。
「――うん。今は、もうしばらく鷹刀にご厄介になりましょう。私たちは『ふたりきり』じゃなくて、『皆に囲まれた、ふたり』なんだもの」
 嬉しそうなメイシアに、ルイフォンは少しだけ憮然とする。
「俺としては、お前と『ふたりきり』にも憧れるけどな」
 ぼそりと漏らすと、彼女は照れたような笑みを返してくれた。
 だから、彼も口元をほころばせる。
「ともかくさ。俺たちの目標は『デヴァイン・シンフォニア|計画《プログラム》』を終焉へと導くことだ。『ライシェン』に何をしてやれるのか――どんな着地点を目指すのかは、まだ決まっていないけど……。でも、この計画を終わらせる。できるだけ早く――な」
「うん」
 打てば響くような、澄んだ声。
 彼の戦乙女がそばに居れば、彼は無敵だ。
「『ライシェン』の未来は、摂政カイウォルと父親のヤンイェン――このふたりの|王族《フェイラ》の|肚《はら》に依るところが大きいだろう。そんなすぐに白黒がつく問題じゃない、しばらく様子見になる。だから、俺は、まずはできることから――というわけで、〈スー〉を目覚めさせる」
 ルイフォンは、今まで作業をしていた仕事部屋をちらりと見やる。
「母さんが命を賭けた意味を知りたいし、〈|冥王《プルート》〉のことも訊きたい。もし、母さんの願い通りに〈|冥王《プルート》〉を破壊したら、〈神の御子〉の『ライシェン』を始め、誰に――何に、どんな影響があるのか、理解しておきたい」
 ルイフォンが未来を見据え、そう告げたとき、唐突にメイシアの瞳から涙がこぼれた。白い頬をなぞるように、緩やかな曲線を描きながら、音もなく光の筋が流れていく。
「メイシア!?」
 何故、彼女が泣くのか? わけが分からず、ルイフォンは狼狽する。
 しかし、当のメイシアのほうが、彼以上に困惑したような顔をしていた。自分の頬に触れ、濡れた指先を呆然と見つめている。
「あ……、セレイエさんが……セレイエさんの|記憶《心》が泣いている……」
 細い声が、涙を含んで震えた。
「ああ……、セレイエさんも、キリファさんが命を賭けた意味を知りたがっていたんだ……。なんとなく、自分のせいだと察していたけど、理由が分からなかったから。だから、この涙は、罪の意識……」
 メイシアは、さっとハンカチを取り出して涙を拭う。そして、「驚かせてごめんなさい」と、少し無理のある顔で笑った。
「おい、大丈夫か?」
「うん。……ええとね」
 彼女は指先を自分の頭に当てる。また、セレイエの記憶をたどっているのだ。
「セレイエさんが『デヴァイン・シンフォニア|計画《プログラム》』を作ったのは、キリファさんが亡くなって……、ヤンイェン殿下が先王陛下を殺害し、幽閉されたあと。――セレイエさんが、ひとりきりになってしまってからなんだけど……。でも、それよりもずっと前、ライシェンが殺されてすぐに、セレイエさんはキリファさんに会いに行っていたの」
「え? セレイエが母さんに会いに来た? ――って、俺は、同じ家に住んでいたはずなんだけど、その時期にセレイエが来たなんて知らねぇぞ」
「ううんと……。あ、ルイフォンが出掛けている間に行ったみたい」
 思い出すような素振りで、メイシアが言う。まさに『記憶を掘り起こしている』というべきか。
 脳に刻まれたセレイエの記憶は、メイシアが知りたいと思わなければ、気づかないものらしい。しかし、いきなり泣き出したりもするので、どうにも仕組みが曖昧だ。
 ……ルイフォンとしては、セレイエにメイシアを奪われたような気がして、正直なところ不快――腹が立つ。
「セレイエさんは、キリファさんに〈|冥王《プルート》〉について聞きに行ったの。セレイエさんの力で、ライシェンの記憶を集められるかどうか……。でも、キリファさんは、ライシェンの蘇生に猛反対で、喧嘩別れみたいになっちゃったの」
「そりゃまぁ、そうだろ。母さんは〈七つの大罪〉の技術を否定する側だ。蘇生なんて認められないだろ」
「うん……。だけど、そのあと、キリファさんは亡くなって……、セレイエさんは、自分のために違いないと……、それで……」
 そう呟いた彼女の顔には血の気がなく、白蝋のようで……。
「おい! 顔色が悪いぞ」
 メイシアが、セレイエに同調している――。
 本能的な恐怖を覚え、ルイフォンは血相を変えた。椅子を倒しながら席を立ち、彼女へと駆け寄る。
「ルイフォン?」
「もう、セレイエの記憶を見るな!」
『デヴァイン・シンフォニア|計画《プログラム》』の詳細を聞いたときに、そう言っておくべきだった。あのときも、メイシアは、セレイエの記憶に心を流されそうになった。
 ルイフォンは、彼女を背中から包み込む。黒絹の髪に指を滑らせ、くしゃりと撫でる。
 メイシアはセレイエの記憶は悪さをしないと言ったが、他人の記憶、他人の感情が精神に良い影響を与えるわけがない。心に負担が掛かる。何故なら、心優しいメイシアは、どうしたってセレイエを思いやる。それではメイシアの心がもたないのだ。
 急に叫んだルイフォンに、メイシアは、びくりと体を震わせた。
 けれど、ゆっくりと彼を振り返り……、ふわりと笑う。
「心配してくれて、ありがとう」
「え……、あ……、大声を出して……すまん」
 落ち着き払った様子のメイシアに、ルイフォンは面目なく尻つぼみに謝る。
「ううん。でも、セレイエさんの記憶は、重要な『情報』なの。彼女の気持ちを思うと辛くなることもあるけれど、こうしてルイフォンが抱きしめてくれるから、大丈夫」
 凛とした黒曜石の瞳が、まっすぐに彼を映す。
「メイシア……」
 彼女は強くなった。――ルイフォンのために。
 ……それでも。
「俺が嫌だから、セレイエの記憶を見るのは禁止だ」
「えっ!?」
 ルイフォンの堂々たる我儘に、メイシアは声を失った。
 しかし一瞬、彼女を黙らせたところで意味はない。彼女は、|嫋《たお》やかなようでいて芯が強く、しかも聡明だ。きちんと説き伏せなければ、納得しないだろう。
 癖の強い前髪を乱暴に掻き上げ、ルイフォンは思案する。
 そして、はっと閃いた。
「お前に、セレイエの記憶を見ることを禁止する、大義名分があった」
 彼は猫の目を得意げに細め、にやりと口角を上げる。
「お前がセレイエの記憶を持っているのは、ホンシュアが〈天使〉の力を使って、お前に記憶を書き込んだから――つまり、〈七つの大罪〉の技術に依るものだ」 
「え? ええ、うん……」
 メイシアは、戸惑いながらも相槌を打つ。
「〈七つの大罪〉の技術は確かに凄い。けど、頼ったらいけない、禁忌のものだ。――だから、封じるべきだ。勝手に見えちまう分はどうしようもないけど、わざわざ自分から、セレイエの記憶を見ようとしないでくれ」
 鋭いテノールに、メイシアの表情が揺れた。ルイフォンの弁は正論と思いつつ、全面的に肯定できないでいるのだ。
 ルイフォンは畳み掛けるように続ける。
「セレイエの記憶が、有益な情報であることは承知している。でも、俺たちなら、別の方法で必ず、なんとかできるはずだ」
 彼は笑う。
 彼女が好きだと言ってくれる、覇気のあふれる顔で。
「俺たちが一番知りたくて、セレイエが一番伝えたかった『デヴァイン・シンフォニア|計画《プログラム》』の情報は、既に入手している。それでもう、充分だろ?」
「……っ」
 メイシアの顔が曇った。
 セレイエが一番伝えたかったのは、メイシアが『最強の〈天使〉』になるために必要な、『〈天使〉の力を使いこなすための知識』ではないのか? ――そんな反論が、彼女の心をよぎったのが見て取れた。
 しかし、メイシアは〈天使〉にはならない。
 メイシア本人も望んでいなければ、ルイフォンだって猛反対だからだ。故に、セレイエの知識は不要なものだ。メイシアも、それが分かっているから口に出さない。
 ならば、もうひと押し。
 ルイフォンは、おそらく決定打となるであろう、ひとことを加える。
「それにセレイエだって、他人に根掘り葉掘り、記憶を探られたくはないはずだ。誰しも、秘密にしておきたいことくらいあるはずだからな。――|暴《あば》いたら駄目だろ?」
「!」
 黒曜石の瞳が、いっぱいに見開かれた。
「そ、そうよね……、私、セレイエさんに凄く失礼なことをしていた……。恥ずかしい」
「だろ?」
 完璧な論理だと、ルイフォンは鼻高々である。
 だからつい、口を滑らせた。
「セレイエの記憶の中には、餓鬼のころの俺の姿もあるはずだ。そんなもの、俺も知られたくはな……」
「あぁっ!」
 突然、メイシアが華やかな声を上げる。
 慎み深い彼女のこと、すぐにうつむいて口元を隠したが、黒曜石の瞳はきらきらと輝き、まろみ帯びた頬はわずかに上気している。遠慮がちでありながら、しかし明白に、うずうずという好奇心の音が聞こえていた。
 ルイフォンは、おそるおそる尋ねる。
「ひょっとして、お前、餓鬼のころの俺に興味がある?」
「うん」
 控えめに頷きつつも、彼女の頬は薔薇色に染まっている。
「だからと言って、セレイエの記憶を見るのは――」
「ち、違うの! そんな、セレイエさんにも、ルイフォンにも失礼なことはしない! ……ただ純粋に、小さいころのルイフォンを想像して、その……、可愛かっただろうなぁ、って。…………見たいな、って。あ、勿論、見ないの! 私の中に、そんな記憶が刻まれているんだな、ってだけで……」
 彼女らしくもなく、支離滅裂である。
 ルイフォンは唖然としつつ、こんなメイシアも可愛らしいなと目を細める。すると、何を勘違いしたのか、彼女は、ぼそぼそと弁解するように呟いた。
「だって、私の知らないルイフォンなんだもの……」
 ほんの少し|拗《す》ねたような、甘えたような上目遣い。彼の最愛のメイシアは、それと分かりにくいが、意外と独占欲が強いのだ。
 そして、そんなところも愛おしい。
 出逢ったばかりのころの彼女からは想像もできない、彼しか知らない蠱惑の顔に、ルイフォンは魅入られる。
 だから、彼女の喜ぶ顔を見たくて、彼は尋ねる。
「餓鬼のころの俺の写真、見るか?」
 恥ずかしい過去の逸話は封印だが、写真くらいなら構わない。
「見たい!」
 期待通り、彼女は嬉しそうに即答してくれた。
 そういえば、メイシアは、ルイフォンの女装姿『ルイリン』の写真をとても大切にしているのだった。時々、携帯端末を眺めては、口元をほころばせていることを彼は知っている。
 彼女はきっと、『子供のころのルイフォンの写真も欲しい』と言い出すに違いない。……どうせなら、まともな写真も持っていてほしい。
「ああ、そうか」
「え?」
 不意に呟いたルイフォンに、メイシアが不思議そうな顔をする。
「俺たち『ふたり』の写真を撮ろう」
 よく考えたら、『ふたり』一緒の写真は、菖蒲の庭園での再会のとき、シュアンがハオリュウに送るために撮ったものしかない。
 本当に、まだまだ、これからの『ふたり』なのだ。
 思い立ったが吉日とばかりに、ルイフォンが携帯端末を取り出すと、メイシアが極上の笑顔を煌めかせた。
 これからずっと、何度でも。
 寄り添う、ふたりの姿を残していこう。
 そうして、共に時を重ねていくのだ――。