【1】①
ー/ー
「たける」
四月も終わり掛けたある日、小学校から帰る途中だった。
他に人通りもない通学路を歩いていた健を待ち構えていたかのように、声を掛けて来た少女。
真っ白なひらひらしたワンピース、腰まである長い黒髪、細い手足。
身長は健と変わらない。おそらくは年頃も。
「ねぇ、わたしのことおぼえてる?」
「わかんない。だれ?」
健は何も考えずにあっさり訊き返した。
相手が自分を知っている、しかも「会ったことがある」らしいことに、疑問を抱くこともなく。
「みゆき。……わすれちゃったの? ずっと二人でいたじゃない、すぐそばで」
名乗った彼女の少し寂しそうな様子にも、健はなんとも返しようがなかった。
顔には少しだけ見覚えがあるような気はする。しかし、名も含めてやはり知らない相手だ。
健の「人間関係」は、まだそこまで広くはない。
幼稚園時代も、今通っている小学校にも、こんな子はいない。……やはり覚えがなかった。
「ぼく、女と二人になんかならないし!」
彼女が一歩踏み出すのを合図のように、健は身を翻して駆け出す。その場からとにかく離れるために。
知らないもの、……恐怖を誘うなにかから逃れるために。
特に驚きは滲まない声で彼女が発したあの言葉、──「ひみつね!」を受け止めた背中で、不相応に大きいランドセルがカタカタと音を立てていたのも覚えている。
「ただいま! ママ」
インターホンに答えてドアを開けてくれた母の顔を見て、健はようやく安心した。
母に打ち明けなかったのは口止めされたからではない。その時の健の頭にもう「あの言葉」はなかったのだ。
「おかえり、たけちゃん。おやつ食べる? 今日はクッキー焼いたのよ」
母の優しい声に大きく頷いてみせる。
「食べる! チョコもある?」
「ええ。……学校はもう慣れた?」
「うん、楽しいよ! お友達もできたし!」
健は今年、小学校に入学した。ピカピカの一年生。
◇ ◇ ◇
「たける、思い出した?」
翌日の下校中、健はまたみゆきに呼び止められた。
今日も同じ、……かどうか健には判別できないが、やはり白一色のワンピースだ。子どもの日常着には相応しくない、気がする。
もちろん、そんな「難解な」表現ではなかったものの、遊んだらすぐに汚れそうだな、というのは真っ先に浮かんだ。
「だから知らない。おぼえてないんじゃなくて知らないんだよ」
他に応えようもない健のぶっきらぼうな返事に、みゆきは特に表情を変えることもない。
そして「誰にも言わなかったか」を確かめることもしなかった。
「遊ぼうよ、たける」
いきなり話を変えた彼女に誘われて、健は帰り道にある児童公園に足を踏み入れる。
両親にも学校の教師にも、日頃からしつこく「知らない人に着いて行ってはいけません」と言い聞かされている。「知らない人に話し掛けられたら逃げなさい」とも。
しかし、みゆきは同年代の子どもだ。「知らない『人』」には当たらないだろう、と健は迷いもしなかった。
「たける、ブランコ! わたしのるから背中おしてよ」
一気にブランコに駆け寄ったみゆきが、両手で左右の鎖を持ち座面に腰掛けて催促する。
「え~。じゃあ交代な」
「わかってる!」
健が何度か背を押したことで反動をつけて宙に高く舞い上がり、長い髪を靡かせたみゆきが涼やかな声を立てて笑った。
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「たける」
四月も終わり掛けたある日、小学校から帰る途中だった。
他に人通りもない通学路を歩いていた|健《たける》を待ち構えていたかのように、声を掛けて来た少女。
真っ白なひらひらしたワンピース、腰まである長い黒髪、細い手足。
身長は健と変わらない。おそらくは年頃も。
「ねぇ、わたしのことおぼえてる?」
「わかんない。だれ?」
健は何も考えずにあっさり訊き返した。
相手が自分を知っている、しかも「会ったことがある」らしいことに、疑問を抱くこともなく。
「みゆき。……わすれちゃったの? ずっと二人でいたじゃない、すぐそばで」
名乗った彼女の少し寂しそうな様子にも、健はなんとも返しようがなかった。
顔には少しだけ見覚えがあるような気はする。しかし、名も含めてやはり知らない相手だ。
健の「人間関係」は、まだそこまで広くはない。
幼稚園時代も、今通っている小学校にも、こんな子はいない。……やはり覚えがなかった。
「ぼく、女と二人になんかならないし!」
彼女が一歩踏み出すのを合図のように、健は身を翻して駆け出す。その場からとにかく離れるために。
知らないもの、……恐怖を誘うなにかから逃れるために。
特に驚きは滲まない声で彼女が発したあの言葉、──「ひみつね!」を受け止めた背中で、不相応に大きいランドセルがカタカタと音を立てていたのも覚えている。
「ただいま! ママ」
インターホンに答えてドアを開けてくれた母の顔を見て、健はようやく安心した。
母に打ち明けなかったのは《《口止め》》されたからではない。その時の健の頭にもう「あの言葉」はなかったのだ。
「おかえり、たけちゃん。おやつ食べる? 今日はクッキー焼いたのよ」
母の優しい声に大きく頷いてみせる。
「食べる! チョコもある?」
「ええ。……学校はもう慣れた?」
「うん、楽しいよ! お友達もできたし!」
健は今年、小学校に入学した。ピカピカの一年生。
◇ ◇ ◇
「たける、思い出した?」
翌日の下校中、健はまたみゆきに呼び止められた。
今日も同じ、……かどうか健には判別できないが、やはり白一色のワンピースだ。子どもの日常着には相応しくない、気がする。
もちろん、そんな「難解な」表現ではなかったものの、遊んだらすぐに汚れそうだな、というのは真っ先に浮かんだ。
「だから知らない。おぼえてないんじゃなくて知らないんだよ」
他に応えようもない健のぶっきらぼうな返事に、みゆきは特に表情を変えることもない。
そして「誰にも言わなかったか」を確かめることもしなかった。
「遊ぼうよ、たける」
いきなり話を変えた彼女に誘われて、健は帰り道にある児童公園に足を踏み入れる。
両親にも学校の教師にも、日頃からしつこく「知らない人に着いて行ってはいけません」と言い聞かされている。「知らない人に話し掛けられたら逃げなさい」とも。
しかし、みゆきは同年代の子どもだ。「知らない『人』」には当たらないだろう、と健は迷いもしなかった。
「たける、ブランコ! わたしのるから背中おしてよ」
一気にブランコに駆け寄ったみゆきが、両手で左右の鎖を持ち座面に腰掛けて催促する。
「え~。じゃあ交代な」
「わかってる!」
健が何度か背を押したことで反動をつけて宙に高く舞い上がり、長い髪を|靡《なび》かせたみゆきが涼やかな声を立てて笑った。