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Awakning from the grave

ー/ー



 前崎市、教会の庭。深夜。
 ウィノナ=ヴァイカートは、その敷地内にある、もう一つの建物へと向かっていた。一見、少々大きめの物置のような、その建物。だがその入り口には、ひどく不釣合いな、大きな南京錠がかけられている。
 その大きな鍵を、これまた大きな鍵で外す。がちゃりと重い音がして、その頑丈な錠が外れる。
 ウィノナが、錠の外れた鉄製の扉をゆっくりと開ける。ぎいぎいと歪んだ音をたてながら、扉は重い動きで開いた。
 大きな錠といい、重そうな鉄の扉といい、どう見ても普通の物置とは思えない。そう、たとえるなら、まるで――――それは、猛獣を閉じ込めた、檻のようだった。
 真っ暗な建物の中を、ウィノナは無言で歩いていく。灯りも持たず、迷わずに闇の中を進むその様は、まるで幽霊のようだ。彼女は決して広くはない、その一室に置かれた木箱を、静かに押した。
 と、先ほどまでそれがあった床に、地下へと続く階段が現れる。ひどく簡単にではあるが、木箱の下に階段が隠されていたのだ。ただ、木箱の中には様々なものが雑多に入れられており、普通の人間ならば、数人がかりでなければ動かすことはできないであろうことは、容易に見て取れた。 南京錠に隠し通路と、厳重に封じられた階段を、彼女は下りていく。それに従い、周囲の壁が、ひんやりとしたコンクリートのものへと変わっていく。その色からすると、それは最近になって塗り固められたものらしい。
 言葉もなく歩くウィノナの足が、階段から、こちらも冷たいコンクリートの床へと降り立った。
 その暗い瞳が、なおのこと深い闇に染まった、その先の虚空を見つめる。
「……………」
 不意に、彼女の瞳がかすかに感情を映した。それはあきらめのような、悔恨のような、そして……なにかを懐かしむかのような、複雑な、色。
 だが、それはすぐに消える。そこに一瞬、映した感情を無理やり押し込めるように。――――そして。
「……起床……あなたたち……出番……」
 呪文のような響きで、言葉を紡いだ。
 いや、それは、本当に呪文だったのかもしれない。その視線の奥に眠るものたちを、目覚めさせるための、彼女の、呪文。
 それに呼応するようにして、闇の中で、なにかが動いた。
「……ふわあああーーーーあ……」
「……ん……んん……」
 片方は大きく伸びをするように。片方はまるで機械が起き上がるように。二つの影が、暗闇の中で動いた。
「……ふう――――よく寝た。ああ、もしかして、お仕事の時間かな?」
 伸びをするように起き上がった影――――小さな、子供のようなシルエットのそれが、独り言のようにつぶやく。そのシルエットにふさわしく、その声はまるで、旅行の朝の少年のような、期待をこめた子供の声。
「……何年、ぶりカ……」
 もう一方の影も、つられるようにようにしてつぶやく。小さな影とは対照的に、座り込んだその姿勢でもウィノナの身長ほどの背丈はありそうな、巨大な影だ。その声もまるで、フランケンシュタインの怪物が実在したらこんな声ではないかと思わせるような、重々しく、どこか機械じみた声。
「……ひさしぶり。ティモ、カッシュ」
 ふと、ウィノナの声が今までと違う色を帯びる。単語のみの、その独特な口調は変わらないものの、その名前を呼ぶ声は、まるで旧友に語りかけるかのように、どこか親密な空気を纏っている。
「ありゃりゃ、ふくたいちょー。今回はお先にお目覚めだったんだ。ちぇ、ずるいなぁ。もうあらかた片付けちゃって、僕らには後片付けしか残ってないんじゃないの? せっかく、何年かぶりの出番だってのにさ」
 起き上がった影の、小さなほう――――ウィノナにティモと呼ばれたそれが、のけ者にされた少年のような声を上げながら、勢いよく飛び起きる。
「――――否。本番は、これから」
 不意に険しくなるウィノナの視線に、まるで山が動くかのように、もう一方の影が起きあがった。
「……ホウ。今回ハ、副隊長殿デモ、そのようナ目にさせるホドのツワモノが相手カ。ソレハ、楽しみダ」
 やはりどこか怪物めいた片言の言葉で、もう一方の巨躯の影が両の拳を打ち合わせる。まるで車同士がぶつかったような衝突音が、その衝撃で響く。
「……で、今回のここはどこなのさ? アメリカかい? それともイギリス? 僕の故郷の北欧にしては、ちょっと暑いね」
 教会の制服の襟でぱたぱたと顔を仰ぎながら、ティモと呼ばれた小さな影が問う。
「……否。アジア。日本」
 その国名を聞いた途端、ティモという少年が跳びあがった。
「ジャパン!? やったね! 一度、来てみたかったんだ! ねえ、サムライはいた!? ニンジャは!?」
「……それは、いない」
 無邪気な少年の声に、ウィノナは少し……ほんの少しだけ、笑って答える。
「えーっ!? うそだあ! ニンジャもいないの!?」
「……サムライや、ニンジャは、昔のモノダ。今ハ、いない」
 カッシュと呼ばれた巨漢が、少々あきれた口調で言う。
「シテ、今回ノ相手は、悪魔カ? それとも、人カ?」
 ウィノナに向き直りながら、カッシュという巨漢が聞く。
「……どちらも、否。いや……あるいは、どちらも、肯定」
「もー、どっちなのさ」
 再び無感情に言うウィノナに、ティモが口を尖らせる。
「人とも……異形とも、言える。それは……」
 ウィノナが、二人の前に一枚の写真を差し出す。そこに写っていたのは……その腕に炎を宿し、拳を作る少女――――火ノ宮紅香。
「煉獄の邪神を宿した――――少女」
 その言葉を発するウィノナの瞳には、これまでにない……底の知れない、暗い光が宿っていた。

 如月雪乃は、不機嫌だった。
 それは無論、突然事務所を飛び出していった翔悟のせいだ。
「まったく……翔様ったら、いくらなんでも勝手すぎるのです。こんな時間に飛び出していって、雪には無茶を言って……」
 ため息をつきながら、翔悟の机に置かれた書類の束を見る。本当は、これらすべてを、近日中には報告として提出しなければならないのだが、正直、これではぎりぎりでの提出になりそうだ。
「……本当に、困ったものなのです。あの人は……優しすぎるのですから」
 渋面を作っていた雪乃の顔が、ふとほころんだ。文句を言いながらも、雪乃には分かっているのだ。翔悟がこういう行動に出るのは、いつも誰かのため。紅香や、静馬や……あるいは、自分のためなのだと。
 だが、それだけに、雪乃は心配でもあった。いつもそうやって、仲間や雪乃を危険に巻き込むまいとする姿勢が。前回の事件――――神代郁真の事件でも、そうだった。雪乃や紅香を先に進ませるために、自ら敵を阻む壁となって戦った。
 昔から……二人が故郷で暮らしていた頃から、彼はそうだった。重荷はすべて自分で背負おうとする。大切な人間には、おどけてごまかして、すべてを背負い込もうとする。
「少しは……雪にも、頼ってほしいのです……翔様」
 一人ごちる雪乃の耳に、着信の音が届く。事務所の電話の音だが、そのメロディは翔悟からのものではない。
「このメロディは……水葉なのです」
 水葉から着信などと、珍しい。前回の事件の事後処理で連絡を送ってからは、まったく音沙汰もなかったというのに。
「もしもし……水葉から電話なんて、珍しいのです。どうしたのですか?」
 思わず、声が弾む。あれから連絡を取り合うようになったとはいえ、大抵はこちらから連絡するばかりだったので、やはり正直、うれしいものがある。
 しかし、水葉の声に含まれた緊張感は、雪乃のその淡い期待を打ち砕くものだった。
「お……さま……、い……こに……」
「え? なにを言ってるのか、さっぱりなのですよ、水葉」
 電波が悪いのか、雑音とノイズに阻まれて、水葉のその声は雪乃には届かない。だが、かすかに聞こえるその声には、どこかあわてたような色が混ざっている。
 雪乃の表情が、険しくなる。
「どうしたのですか? 水葉? ……水葉?」
「……ね……さま……てく……い……。……こは……れて……」
 徐々に……乾いた布に落ちたしみのように、じわりと不安感が雪乃の心を染めていく。水葉になにかあったのか。それとも、まさか、翔悟に?
 雪乃は、右手に氷の刃を纏うと、人形に向かって駆ける。それに反応し人形の振るった大はさみを潜り抜け、雪乃は人形の目前に迫る。
 だが、その右手の刃が人形に食い込む寸前、氷の楔を、高速で飛来した、黒い何かが砕いた。
「――――――っ!」
 それに反応してか、あるいはただの偶然か、人形がふたたびはさみを振り下ろす。雪乃は何が起こったのか理解できないままながら、跳びすさってぎりぎりのところではさみの凶刃から逃れた。
「……もう一体……いえ、一羽、操っているわけですか……!」
 距離を取ってふたたび氷の楔を纏う雪乃が、人形の肩に止まったその人形に歯噛みしながら言う。それは、一見、本物と見まごうほど精巧なカラスの人形だった。どうやら術者の魔力が込められたらしいそれが、人形を狙った雪乃の刃を弾いたのだ。
 不意に、人形の肩に留まったそれが、口を開いた。
「いやあ、なかなかやるねー、猫のお姉ちゃん。今の反撃は、かわされるとは思わなかったよ。でも、よかった。つい即反撃しちゃったからさ、これを避けられない相手だったら、今ので終わっちゃってたもんね、楽しい楽しい、今日のお仕事がさ」
 カラスの口から発されたそれは、まるでいたずら好きの、無邪気な少年のような声だった。
 だが、その主の姿はどこにもない。気配を探ってみても、よほど自分の存在を隠すのがうまいのか、その尻尾をつかむことはできない。
「……何者なのですか。私は、誰かに狙われるようなことをした覚えはないのです」
 周囲を警戒しながら問いかける雪乃に、声の主がかすかにくぐもった笑いを漏らす。
「まあ、そうだろうね。ほんとのところ、お姉さんには非はないんだよ。ただ、そうだなぁ……言うなれば、運が悪かった、ってことかな?」
「ふざけないでください。そのようなことで……」
 雪乃がそう言いかけたとき、ふわりとカラスが人形の肩から宙へ舞い上がった。
「はい、ヒントタイムしゅーりょー。僕らも仕事だからね、あんまりおしゃべりしてる時間はないんだ……そらっ!」
 その言葉が終わると同時に、人形が走り出す。滑稽にも見える、糸に引かれて地を滑るようなその動きは、その速さを以って、異様な不気味さをかもし出している。
「くっ!」
 まるで子供のけんかのように、めちゃくちゃに大ばさみを振り回すその攻撃を、雪乃はステップやしゃがむことでかわしていく。だが、なにも考えずに振り回しているかのようなその攻撃は、適確に、かつすばやく雪乃のかわした先に追撃してくる。一瞬、隙ができるとその度にカラスが間に割って入り、雪乃に反撃の隙を与えない。
 二体同時に、これだけ適確に物体を遠隔操作できるとなると、相手は相当の手練と見ていい。本来なら、白夜の力を解放しなければならないのかもしれない。だが、翔悟がいない今の状況では、制御が効かず、暴走する可能性もある。
 ――――あれは、使えない。
 雪乃が歯噛みしたそのとき、突然、人形の攻撃を避けようとした足が動かなくなった。
「……なっ!?」
 反射的に足元を見る。そこには、床から上半身のみを現した、まるで死人のような人形の姿があった。それが、がっちりと、すがりつくように雪乃の足に絡み付いていたのだ。
 次の瞬間、大きく空気を斬り裂く音が聞こえた。それが、人形が大ばさみを薙いだ音だと気づいたときには、雪乃は大きく宙へと吹き飛ばされていた。
「がっ……は……!」
 完全に意表を突かれ、受身も取れずに雪乃は床に叩きつけられる。なんとかよろめきながら起き上がるが、鋭角に入ったか、呼吸をするたびに胸が痛む。
「へえ、あれを受けても立ち上がれるんだ? これで決まったかなと思ったけど、想像してたより体力があるんだね」
 再び、カラスが少年の言葉で話し出す。その足元には、先ほどの上半身のみの人形がある。
 ――――まさか、三体もの人形を同時に操るとは、只者ではない。だが……今ので一つ分かったことがある。
「……残念だったのです。本来は今ので決めるつもりだったのでしょうけど……」
 雪乃が駆ける。吹き飛ばされ、空いた間を詰めると、はさみを持つ人形の足元を狙って氷の楔を放つ。
「おっと、当たらないよっ!」
 人形が糸をたなびかせ、それをかわす。
「ま、人形相手に攻撃しても無駄……ッ!?」
 雪乃は、すでに走り出していた。人形の糸がたなびいたその先……先ほど敵が飛び込んできた、割れた窓へ向かって。気配を消してはいるが、そこには確かに誰かがいた。
「糸の先に操る本人がいるとは……わかりやすいのですよっ!」
 窓から飛び出し、雪乃は迷わず、気配のした方向に氷の楔を放つ。見えた。その先には、驚愕に目を見開いた少年の姿があった。
「なっ……!?」
 だが、その一撃が届くことを雪乃が確信した、瞬間。
 突如、飛来した巨大な物体が、その刃を弾いた。
「な、なんなのです!?」
 それは、盾だった。古い、まるでファンタジー映画に出てくるような、意匠の施された盾だった。だが、それは異様なまでの存在感を誇っていた。それは、その大きさが、どう見ても人間の扱えるものではなかったからだ。高さは2mをゆうに声、厚さはまるで戦車の装甲のようだ。
「……ティモ、油断したナ。そうやって己ヲ過信するノガ、お前の悪いクセダ」
 重々しい男の声が、雪乃の背後から聞こえた。それはまるで、人間とは思えないほどの巨躯を誇る男だった。慎重はあの盾と並ぶほど、そしてその筋骨隆々とした身体は、強固な壁のようだ。この男が、その盾を投げて雪乃の攻撃を防いだというのか。
「スマヌが、少々、手荒ナことをさせてモラウぞ」
 男の声が、すさまじいプレッシャーとなって雪乃に降りかかる。動けない雪乃の両腕を、男は片手でひねり上げた。
「あうっ! は、放すのです!」
 全身の力を込めてもがくが、まるで万力で締め上げられているかのようにびくともしない。
「ユルセ。あの少女をおびき出すタメダ」
 もがく雪乃の腹に、男はもう片方の腕で当身を食らわせる。
「……あっ……う……」
 視界が徐々に暗くなっていくのと同時に、聴覚が失われていく。男たちがなにか話しているのが聞こえたが、それを理解する意識は、すでに遠く、雪乃から離れていった後だった。

「ザムエル様、本部よりお電話です」
「おやおや、すいませんね。わざわざありがとうございます」
 前崎市の教会で、司祭ザムエルは電話を受け取った。電話を取り次いでくれた教会の団員に笑顔を見せると、受け取った子機を手に、ザムエルは自室へと入る。途端に、団員に向けていた笑顔が崩れ、苦々しげな表情があらわになる。
 どうせまた、本部の上層部からの状況報告の催促だろう。本部は、あの少女を消すために躍起になっているのだから。まったく、ご苦労なことだ。まあ、彼らが躍起になってくれているおかげで、今の状況があるのだが。
「もしもし、こちらザムエルです」
「もしもし、じゃないだろう!? 君はなにをやっているんだ! いったい、いつになったらよい報告を聞けるのかね!?」
 やはりか。その焦った叱責の声に、怒りを通り越して笑えてくる。
「申し訳ありません。幾度か襲撃を計画したのですが、やはり邪神を封じた少女だけのことはあります。並みの者では歯が立たないのです」
「そのために、君の部隊の者を使うことを許可したのだろう!? 彼らは何をやっている!」
「もちろん、彼らにも働いてもらっていますよ。今は、かの少女をおびき出すためにうごいてもらっています」
 ザムエルの言葉に、電話の向こうの相手が沈黙する。
「……ふん、まあいい。まだ、情報は漏れていないからな。とにかく、やつが真実を知る前に、なんとしても消せ。いいな」
 がちゃん、と大きな音をたてて、電話が切られる。
「……ええ、あの少女は殺しますよ。ただし、あなた方の思惑などは、知ったことじゃありませんがねぇ」
 にやりと笑いながら、ザムエルは手にした子機を見下ろす。
 そのとき、自室のドアがノックされた。表情を隠し、ザムエルは答える。
「……どうぞ」
「……入室」
 入ってきたのは、ウィノナだった。
「あなたでしたか。どうしました?」
「……子機を」
 それだけ言うと、ウィノナは右手を差し出す。
「ああ、そのためにわざわざ? すみませんねえ」
 穏やかな青年の笑顔を作り、ザムエルは子機を渡す。それを受け取り、踵を返すウィノナが一瞬、彼に隠れて作った鋭い視線に、彼が気がつくことはなかった。


 翌朝、火ノ宮紅香はいつも通り、雪乃と登校するために翔悟の事務所へとやってきていた。それに、翔悟にドッペルが落としていったと思われるペンダントも見てもらわねばならない。確証はないが、これが自分の狙われる理由と関係があるような気がする。
「ゆーきちゃーん、起きてるー?」
 ペンダントを見てもらうためにいつもより早く事務所を訪れたため、まだ雪乃や翔悟は起きたばかりかもしれない。
 そう思い声をかけたのだが、それ以前に、事務所内にはどうにも人の気配がない。
「……なんか、変だね」
 つぶやく紅香が静馬を振り返ると、彼はいつも翔悟の愛車が納められているガレージを覗き込んでいた。
「紅香……翔さんの車がない。ガレージも開けっ放しだ」
「……でかけてるのかな?」
 紅香の言葉に、静馬は腕を組む。
「それにしては朝早いけど……まあ、仕事柄ありえなくはないけど、雪乃もいっしょに?」
 確かに静馬の言うとおり、翔悟の場合、危険な仕事の際は必要がない限り、雪乃を巻き込むことはしなさそうな気がする。「ちょっと、周りを調べてみようか。もしかしたら、なにかあったのかも」
 紅香の言葉に、静馬がうなづく。
 とりあえず、二人は事務所の周りを回ってみることにする。
「……まさかとは思うけど、教会の奴らが襲ってきたとか?」
「どうだろう……紅香が狙われてる理由もまだわからないし、なんとも言えないね。でも……今、僕らを狙ってきてるのは、教会の人間とドッペルだから、ないとも言えない」
 考えながら事務所の周囲を歩く紅香たちが建物の角を曲がる。そこで二人は、目の前の光景に足を止めた。
 そこには、無惨に割られた事務所の窓ガラスがあった。
「……これは……」
 静馬が割れた窓から、中を覗き込む。中は割れたガラスの破片が散らばっており、事務所内は椅子が壊れていたり、床に傷がついていたりと、荒らされている。
「やっぱり、なにかあったんだよ!」
 紅香は静馬の脇から覗き込むが早いか、事務所の中へと飛び込んでいく。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 続いて中に入ろうとした静馬は、ふと、事務所の外の地面が大きくえぐれていることに気がついた。
「……なんだ?」
 まるで、なにか巨大な物体が地面に突き立てられでもしたかのようだ。その大きさは、幅もさることながら、深さが尋常ではない。そのえぐれた跡からして、なにかとてつもない質量のものが叩きつけられたのが見て取れた。
 これは、なにがしかの戦闘の跡ではないか? 静馬が疑念を持つのと同時に、中から紅香の呼ぶ声が聞こえた。
「ちょっと、静馬! 来て!」
 急いで、静馬は窓から事務所の中へ飛び込む。
「……静馬、これ!」
 紅香が手にしていた紙切れを、静馬に突きつけるようにして差し出す。
『邪神をその身に封じし少女へ。ここに住んでいた式神は預かった。その命が惜しくば、今夜十時、この街の北にある廃工場まで来られたし』
「……これって……」
 その文面を見た静馬が息を飲む。
「脅迫状、だよね! 式神って……雪ちゃんのことでしょ! きっと、私を狙ってきた奴らだよ! ……くそっ!」
 言うが早いか、興奮気味の紅香は脅迫状を握りながら、事務所の入り口へ向かって駆け出す。
「待った! どこへ行くのさ!」「決まってるじゃない! 廃工場に行って、奴らをぶっ飛ばすの!」
 だん、と足を踏み鳴らしながら、紅香が言う。
 静馬は、紅香を落ち着かせようと、両手で彼女を制する。
「落ち着きなよ。そこには、夜に来いって書いてある。今行ったって奴らはいないかもしれないし、どうも様子が変だ。少し、状況を整理したほうがいい」
「……わかったよ」
 渋々ながら、紅香がうなずく。
 そのとき、かすかながら、廊下から足音が聞こえた。
「……紅香、静かに。……誰か、来る」
 その足音は、足早に、まっすぐ事務所の入り口へと向かってくる。まるでこの事務所の位置を知っているかのようだ。
 紅香が、入り口から静かに、油断なく身構えながら後ずさる。
 一瞬、足音は事務所の前で足を止めた。どことなく、この部屋の気配をうかがっているような気がする。
 紅香がこちらに視線を送り、ドアを指して、拳を作って見せる。恐らく、開いたら奇襲をかける、という合図だ。
 と、静馬の嗅覚を、嗅いだことのある匂いが刺激した。同時にドアの向こうの人物にあたりがついた静馬が、声を上げる。

「……あ、紅……」
 その途端、音をたててドアが開いた。
「おんどりゃああああっ!」
「どわっ!?」
 直後、静馬が思わず目を覆うほどの大きな音とともに、紅香が入ってきた人物に飛びかかった。
「こいつっ! よくも……あれ?」
 恐る恐る、静馬が目を開くと、そこには翔悟に馬乗りになり、今にも殴りかからんばかりの紅香の姿があった。女の子としては、ちょっとどうかという姿勢だ。
「重い! 重いぞ、紅香、お前! 死ぬ! マジで死ぬ! 早く退け!」
 殴りかからなくても、なんだかそのまま窒息死しそうなほど、青い顔で翔悟がわめいた。
「しっ、失礼な! 重くないもん! ……たぶん、そんなには……」
 対照的に顔を紅く染めて、紅香ががなる。
「……どうりで、タバコのにおいがしたと思った」
 ふう、とため息をついて静馬が肩をすくめる。
「もう、それを早く言ってよ!」
「それよりお前こそ早く退け……」
 いよいよ顔色が悪くなってきた翔悟に、言いたいことがたっぷりありそうな表情をしながらも、紅香がやっと退いた。
「紅香お前、いったいどうなってんだ。帰ってきてみりゃ窓ガラスは割れてやがるし、事務所に来てみりゃ、お前がのしかかってくるし」
「そうだ翔さん、大変なの! これ!」
 静馬にしたのと同じように、紅香が翔悟に脅迫状を突きつけた。
「なんだこりゃ……って……」
 その文面を理解するに従い、翔悟の顔色が変わる。
「……マジか。こいつは……例の、教会の奴らか?」
「……わかんない。私たちも今、これを見つけたばっかで……。でも、たぶん」
 紅香の答えに、翔悟がぼりぼりと頭を掻く。
「……くそったれ! まさか、雪を狙ってくるとは……くそ!」
 彼にしては珍しく、悔恨と怒りを隠すこともせず、歯噛みしている。
「……翔さん、どうする? 奴らの言うとおりにするしかないのかな?」
 不安そうに、紅香が言う。奴らの言うとおりに動くことが、やっぱり納得がいかないようだ。確かに、言われたとおりにしたとしても、雪乃が無事だという保証はない。
「……奴らの居場所が分からない以上、動きようがないだろ。……やれることがあるとすれば……」
 翔悟が、懐から一冊の書物を取り出した。
「……こいつだ」
「これ……って?」
 紅香の疑問符を浮かべた視線に、翔悟が苦い顔で頭を掻く。
「……教会の、本部の名簿だ。本当は必要な情報だけ回収してくるつもりだったんだが、予定が狂って、これごとかっぱらってくることになっちまった。ここにだな……例の奴らっぽい連中が載ってるんだ」
 翔悟が机に名簿を置き、ページを繰る。ぱらぱらとしばらく名簿をめくっていたが、あるページで手を止め、ある人物の写真を指して見せる。
「どうだ? 紅香を襲ったって奴は、こいつか?」
「……どれどれ?」
 紅香と静馬が、机の周りから名簿を覗き込む。
 そこには、一枚の写真があった。一応はカラーのものだが、印刷された原版の写真自体が古いのか、ずいぶんと色あせた印象を受ける。
 そこに写っていたのは、その色あせた写真の中でもはっきりと見て取れる、濡れたカラスの羽のような、黒い髪の女性の姿だった。
「こ、こいつ……! 間違いない、こいつだよ! いきなり襲いかかってきたの! 名前も、ウィノナって……!」
 紅香が机を叩きながら、つばを飛ばして叫ぶ。
「……でも、おかしくないか? 略歴が、あまりにも昔すぎる。それに……この人は、30年も前に死んでいる」
 写真とともに、そのプロフィールを読んでいた静馬が、口元に手を当てて言う。
「そう、問題はそこなんだ。俺も聞いた特徴と名前から、こいつがくさいと思ったんだが……とっくの昔に、こいつは死んでるんだ」
 翔悟がタバコに火をつけながら、名簿を睨む。
「……あ、でもさ……こいつ、人間とは限らないんじゃない?」
「は?」
 いきなりの紅香の発言に、翔悟が怪訝な顔を作る。
「いや、あのね。こいつと戦ったときに、意外と強くてさ。剣を使うはめになったんだけど……そのとき、こっちの攻撃に右腕を差し出してきたの。それで右腕がその……吹っ飛んじゃったんだけど」
 そこまでする気がなかった紅香としては、言いづらいのか、指をつつき合わせながら、言いよどむ。
「そのとき……見えたんだ。腕に詰まっていたのが、綿や鉄骨で……人間にも、怪物にも見えなかった。そう、まるで……頑丈に作られた、人形みたいな」
「……人形、か」
 紅香の言葉に、翔悟がタバコを大きく吸い、吐く。
「……僕も、ひとつ気になることがある」
 何事か考え込んでいた静馬が、写真の女性を指差して、紅香を見る。
「人形、と言う言葉で思ったんだけど。僕たちの前に現れたウィノナって奴は、それこそ人形のような瞳をしていたと思う。でも、この写真の女性は、無表情ではあるけど、目つきがもっと……なんていうか、人間らしいような気がするんだ」
 そういわれて見てみれば、確かに、写真の女性の瞳には、刺すような鋭さがあるように思える。そこには、あの機械のように話す印象はない。
「……この女の姿と名前を模した人形……ってことか? そんな昔の人間の姿を真似る理由も、意味もわからんが……」
 翔悟が腕を組み、名簿を睨みながらうめく。
「ただ……俺も、ちょっといいか?」
 今度は翔悟が、その女性のプロフィールを指す。
「こいつの教会での最後の所属部隊……『セイントアンガー』ってあるだろ? どうやら、この部隊自体、こいつが死んだときに全滅してるんだ。他の隊員も、名簿に載ってる。ここと……」
 再び、翔悟はページをめくる。最初に示して見せたのは、Tの項だ。
「……こいつだ」
『ティモ・パシコスキー 国籍・フィンランド 68年生まれ。幼少のころより人形を操る力を有し、孤独な少年時代を送っていたところを教会にスカウトされた。最初の所属である『セイントアンガー』が最終所属。悪魔に対する戦歴を重ねていたが、81年、ベルリンの作戦時に死亡』
「……こいつも、同年……同じ作戦で死んでるね」
 静馬が難しい顔で考えながら、重い声で言う。
「……それに、こいつ」
 同じように、翔悟がページをめくる。次に彼の指が示して見せたのは、Kの項。
『カッシュ・グロスコフ 国籍・ドイツ 48年生まれ。少年期より類を見ないほどの肉体的成長を遂げ、成年する頃には2m40cmを超える巨躯となっていた。その悪魔とも腕力のみで渡り合える身体能力を買われ、スカウトされる。最終戦歴は『セイントアンガー』。81年、ベルリンの作戦時に死亡』
「同じ部隊の人間が同じ事件で全滅……ってことか。でも、それだけじゃ、こいつら
全員が今回の敵とも言えないんじゃないの?」
 腕組みをしながら、紅香が言う。
「確かにな。だが、こいつが落ちていたことで、話はまた違ってくる」
 そう言って翔悟が取り出したのは、一枚のカラスの羽根だった。
「え? それって?」
「一見、ただのカラスの羽根に見えるが、触ってみればわかる。作り物……つまり、人形だ。それに、もうひとつ。静馬、ちょっとこれに触れてみてくれ」
 目の前に差し出された羽根に、静馬がなかば理解したような表情で触れる。彼が羽根に触れると、その予期したような表情は、すぐに確信したそれへと変わった。
「……わずかに、なにがしかの力が働いた痕跡がある。多分、物体を操るような……」
「あ! こいつ! 人形使い!」
 勢い込んで名簿を指差す紅香に、翔悟がうなづいた。
「そういうこった。それに怪しい痕跡は、それだけじゃない」
「庭の地面につけられた、えぐれたような跡、だね」
 わずかに緊張感をにじませた顔で静馬が言う。
「ご名答。この馬鹿でかい怪力男――――こいつの武器は、身の丈ほどもある、巨大な盾。確実にそうとは言い切れないが、あの跡がこいつのものとすれば、つじつまは合う」
「で……この名簿の奴らがやったんだとして、私たちはどうすればいいの?」
 表情の奥に、静かな怒りを秘めた瞳で、紅香が翔悟を見る。
「恐らくやつらは、雪を盾に、紅香になにか要求をしてくるはずだ。向こうは、こちらが奴らの力を把握しているとは思うまい。だから、奴らがお前に手を出す前に……こちらから仕掛けるのさ」
 野生的な笑みを浮かべ、翔悟が再び、タバコに火をつけた。
「……うう……」
 雪乃は、顔に垂れてくる水滴の冷たさに、目を覚ました。
「……ここは?」
 ふらつく頭を押さえながら、雪乃は辺りをうかがう。
 まったく見たことのない場所だ。周囲の壁や床は、真新しいコンクリートの壁でできており、ひんやりと冷たい。電灯の類はほとんどなく、視界は数メートルほど先までしか見渡せない。そしてその先には、この空間の中でひどく無機質に見える鉄格子があった。それらの様子からは、ここがどういった場所なのかという情報は、まったくといっていいほど伝わってこなかった。
「……奴らは、いったい……。紅香を狙った連中なのでしょうか……」
 一人ごちてみるが、頭の中に霞がかかったように、ぼんやりとして思考がおぼつかない。身身体もひどくだるく、力が入らない。
「……あまり、動き回らないほうがよさそうなのです。今、脱出できたとしても、戦うのは無理なのです」
 とにかく、体力の回復を待つしかない。雪乃は、壁に寄りかかると、床に腰を落とす。
 ふと、その背中にかすかな反響が壁から伝わった。その感覚に、思わず耳を澄ませる。どうやら、何者かがこちらへ向かっているようだ。かつんかつんという音と、その反響による振動が背中から伝わる。

 緊張感が、雪乃の身体を硬くする。もしも奴らが教会の人間であれば、紅香の居場所を聞きだすための尋問があるかもしれない。
 紅香の話では、連中は教会のヨーロッパ本部の人間かもしれない。自分たちがかつて所属していた日本支部の人間とは違い、魔物を絶対悪とする本部の人間は、強硬派が多い。もし彼らの狙いが邪神ならば、容赦はしないだろう。今は半妖である自分が相手なら、なおさらだ。
 雪乃は、鋭い視線で暗闇の先を見る。やがて、その足音の主が姿を現した。
 それは、若い女性だった。闇に溶け込むような、真っ黒な修道服に身を包んだ女性。濡れたカラスの羽根のような、漆黒の髪と瞳が特徴的だ。その瞳には、鋭く、どこか剣呑な光が宿っている。
「……目を、覚ましたのね」
「……………」
 女性の問いかけに、雪乃は答えない。例えこの先、どんな尋問が待っていたとしても、一言たりとて話すつもりなどなかった。しかし、次に女性から発せられた言葉は、意外なものだった。
「……手荒なことをして、すまない。あなたに危害を加えるつもりはない。ただ……しばらくその場所に拘束することを、許してほしい」
 予想もしなかった言葉に黙り込む雪乃に、女性は深く頭をたれた。教会は、強硬な尋問こそすれ、相手を懐柔して情報を聞き出すようなことはしないはずだ。
「……食事だ。簡素なものしか出せないが、今はきちんと食べて、体力をつけておいたほうがいい」
 考え込んでいた雪乃は、女性のその言葉に、はじめて彼女が手にしたものに気がつく。困惑する雪乃をよそに、女性は鉄格子の隙間から湯気の立つスープと、パンの乗せられた皿を差し出した。
「……どういうつもりなのですか。あなたたちの狙いは、なんなのです?」
「……今は答えられない。だが、あなたたちに危害を加えるつもりはない。あの少女にも。……少なくとも、私は」
 女性の鋭い瞳が、さらに細く、険しくなる。虚空を睨むその視線は、まるでその先に大切なものの仇でも存在しているかのようだ。
「……それを、信じろというのですか?」
 疑問を感じながらも、強い視線で女性を見る雪乃に、女性は首を横に振る。
「このようなことをしておいて、信じてほしいなどとは言えない。ただ……心の隅にとどめておいてほしい」
 先ほどとは違う、伏せた視線に、雪乃の疑問が深まる。紅香と戦ったという女性とは、違う人物なのだろうか? あまりに聞いた話と印象が違う。
「……あなたの、名前は?」
 素直に答えるとは思えなかったが、雪乃は思わずたずねていた。だが、またしても、その女性は、雪乃の予想を裏切った。
「私は、ウィノナ。ウィノナ・ヴァイカート。……教会の目的は、あの紅い少女と、彼女を知るあなた方を闇に葬ること。……だが……私は……」
 再び、女性――――ウィノナは目を伏せる。
「……私以外の教会の人間は、あなた方を消しにかかってくる。気をつけて」
 そこまで言うと、ウィノナは背を向けて歩き出す。
「あ、ちょっと、待ってください!」
 その背に雪乃は言葉をなげかけるが、その歩みが止まることはなかった。
「……どういうこと、なのでしょうか? あの人は、他の教会の人間とは、違うと……?」
 考えてみたが、それも正直、しっくりこない話だ。紅香の話では、彼女が本気で戦わねばならないほどの相手だったはず。危害を加える気がないにしては、本当に紅香を殺すつもりだったとしか思えない。
 だが、今のウィノナの雰囲気は、嘘を言っているようにも思えなかったのも事実だ。再び壁に寄りかかり、思考をまとめようと試みるが、どうしても納得のいく答えはでない。どうも、真実にたどり着くには、パズルのピースが足りないような気がする。
 ふう、とため息をつき、雪乃は思考を巡らせることをやめた。今は、恐らく考えても仕方がない。
 ふと、先ほどウィノナが運んできた食事が目に入った。
 スープの入った碗を、手に取ってみる。この冷たい牢獄の中で、未だ湯気をあげるそれは、冷えた雪乃の手をじんわりと温めた。

 火ノ宮紅香は、脅迫状の指定通り、深夜になってから、廃工場にその姿を現した。前回の事件で、ジルとの決着の後に目を覚ました、あの場所だ。かつてはシャッターによって区切られていたらしい、その入り口を抜けると、その闇の中に、三つの人影が見えた。
 表情の鋭さを一層際立たせ、紅香は廃工場の中へと入っていく。そこは閉鎖してからすでにかなりの時間が経っているらしく、元より薄い壁はすでにぼろぼろで、あちこちに風穴が開いている。地面のコンクリートからは、人の手が入っていないことを語るかのように、雑草が生えていた。
 その中を、ゆっくりと紅香は進んでいく。拳に炎を宿らせ、その髪を紅く染める。顔の右半分に、邪神を宿す身であることを示す、烙印が浮かび上がった。
 三つの人影のうち、もっとも小さな影が、その炎に反応を示した。座らされているような格好のそれは、恐らく、雪乃だろう。
 その傍らには、さらに二つの影。雪乃よりは多少背が高いが、やはり小柄な影と、他の二人をゆうに超える、巨大な影。
「……どう? 静馬」
「……恐らく、情報通り」
 囁くような、その短い答えを聞くと、紅香の表情にほんのかすかに、笑みが宿った。

 さらに紅香が影に近づこうと一歩踏み出すと、突如として、まばゆいサーチライトの光が紅香の瞳を貫いた。思わず目の前にかざした手の隙間から、ライトの前に立つ、小柄な影が見える。
「ようこそ、いらっしゃいませ。邪神の宿ったお姉さん。ごめんねー、こんな舞台しか用意できなくって。僕らも、あんまり目立つわけには行かなくってさ」
「指定ドオリ、来たカ。その勇気ハ、賛辞に値スル」
 小柄な影が少年の声で、巨大な影が奇妙なイントネーションで話す。
「雪ちゃんは? 無事なんでしょうね?」
 紅香の鋭い声に、少年の声が答える。
「うん、そりゃもちろん。僕らは悪魔じゃないんだ。約束は守るって」
 少年の影が奥から人間を引き立てるような動作をしてみせる。ライトの前に座らされたその姿は、光で確認しづらいが、確かに雪乃だ。
「それで? どうすれば、雪ちゃんを解放してくれるの?」
 紅香のその声に、まあまあとでも言いたげに、少年の影が両手を広げて見せた。
「まずは、自己紹介でもしようよ。僕は、ティモ・パシコスキー。教会のグレイヴディガー所属さ」
「……カッシュ・グロスコフ。同ジク、教会グレイヴディガー所属」
 だが、その言葉に、紅香は肩をすくめて見せる。
「別に、お知り合いになる必要なんてないでしょ? 用件をさっさと言ってよ」
「あらら……つれないね、お姉さん。あんまり急がないほうが、いいと思うけど……ね」
 ティモと名乗った少年は、含みを持たせた言葉を紅香に放つ。どこか挑発的なそれに、しかし、紅香は首を横に振る。
「いいから、さっさとして。あんたたちだって、仕事に無駄な手間はかけたくないでしょ?」
 紅香の言葉に、ティモは軽く笑みを浮かべる。
「ま、それもそうだね。じゃ、お姉さん。まぶしいところ悪いけど、こっちに来てもらえるかな?」
 無言で、紅香は静馬に視線を送る。同じように、静馬は紅香に視線を返し、うなずく。
 ゆっくりと、紅香はライトに照らし出された中を歩いていく。それとともに、徐々に敵の姿が明らかになっていく。
 ライトの前に立つ少年は、思っていたよりも幼い。外見だけで言えば、13歳くらいに見える。教会のロゴなのか、十字架のデザインの入ったフードつきのジャンパーを着込んでいる。
 もう一人の巨漢は、同じくロゴの入ったロングコートを着ている。こちらはフードを目深に被っているため、表情はうかがえないが、コートの上からでも、その巨躯が筋肉質であろうことは見て取れるほどだった。その傍らには、彼の身長と同程度はありそうな巨大な盾がある。
 紅香が、少年の前に立つ。
「それじゃ、お姉さんのお望みどおり、さっさと片付けよう。邪神の宿ったお姉さん……恨みはないけれど……死んで、もらえるかなッ!!」
 刹那、ティモの眼前に大きな人形が姿を現した。その手には、凶器としか言いようのない、人間すら両断できそうなほど巨大なはさみが握られている。それがすばやく、紅香に向かって突き出された。
「静馬! 今よっ!」
「うおおおおおおあああああああっ!」
 それが突き刺さる寸前、紅香の叫びに呼応して、静馬が吼えた。その咆哮が巻き起こしたかのように、爆炎が紅香を中心に展開される。それはまるで炎の柱となって、人形とティモ、サーチライトを吹き飛ばす。
「……ッ! キサマ、ラッ!」
 その爆炎を大盾で防いだらしいカッシュが、人質である雪乃を押さえようと、動く。
「させないっ!」
 同時に、紅香が駆ける。幸いその巨躯のせいか、カッシュの動きはそれほど早くはない。だが、紅香よりも彼のほうが雪乃に近い位置にいる。
 それを見た紅香は、進路を変える。まっすぐに雪乃に向かわず、むしろカッシュよりに、猛烈な勢いで走る。その背には、炎を纏った邪神の羽根がある。
「ムッ!?」
 その行動に気づいたか、カッシュが大盾を紅香の方に向け、身構えた。
「できるもんなら……止めてみろっ!」
 猛進する勢いをそのままに、紅香はカッシュの大盾に正面からタックルを食らわせる。その瞬間、炎が爆ぜ、盾とカッシュを包み込む。
「ううりゃあああああああ……っ!」
「ヌウ……ッ! ぐうウウウウウウッ!」
 がっぷり四つの姿勢で組み合った両者は、そのまま互いに進路を譲らない。だが、かすかに、じりじりと紅香のほうが押している。
「いったたたたぁ……やってくれるじゃんっ!」
 その後方、やっと起き上がったティモが、雪乃を見る。
 だが、次の瞬間。
 轟音を響かせて、廃工場の薄い壁を突き破り、現れたものがあった。それはタイヤを軋ませながら工場内を猛スピードで走り、紅香たちが乱戦を繰り広げるほうへと突っ込んでくる。
「へ? ……うわわっと!」
 それはティモを弾き飛ばしそうになりながら走り回ると、縛られたままの雪乃の前に止まる。すぐにバン、とドアが開かれる。
「雪ちゃん、ちょっと手荒になるがかんべんな!」
 開いたドアから現れた手が、雪乃の首根っこをつかむと、放り込むようにして車の助手席へと乗せる。
「……翔様!」
 それは、翔悟の愛車だった。その車は、雪乃を乗せると、紅香らが戦っている場所からだ脱兎のごとく逃げ去っていく。そして、工場の入り口付近で急停車した。
 ゆっくりと、車のドアが開く。そこから姿を現したのは、すでに刀に変化した雪乃を携えた、翔悟。その顔には、紅香でさえも一瞬、心がざわめくような怒りの表情が浮かんでいた。
「……さて、うちの奴がずいぶん世話になったようだな。丁重に、お礼をさせてもらうぜ」
 一歩一歩、翔悟が戦いの場へと歩み寄る。
「紅香、静馬。そっちのデカブツは任せた。こっちのクソガキのお守りは、俺がやる」
「わ、わかった。翔さん」
 静かに言い放つ翔悟に、味方ながら少々気圧されながらも、紅香がうなずく。
 そして、改めてその巨躯を誇る相手を、睨んだ。
「それじゃあ、改めて……いっくぞー!」
「……ヨカロウ。元より、俺もこのヨウナ手段は好まヌ。なにより……貴殿トハ、真っ向から勝負してみたくナッタ!」
 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、カッシュがその巨躯で地響きをたてながら、紅香めがけて突っ込んできた。大盾を正面に構え、文字通り盾にしながらの、攻防一体のタックルだ。
 紅香はそれを、サイドへのステップでかわす。すぐに体勢を整え、カッシュが突っ込んで行ったであろう方向を向く。
 だが、その目が驚愕に開かれた。すでに、その眼前にはカッシュの持つ大盾が迫っていた。
「うあっ!」
 さすがにそれはかわすことも、受け止めることもできず、紅香の身体が宙を舞う。すさまじい勢いで吹き飛ばされた紅香は、数回、地面に叩きつけられた後にやっと止まった。
「紅香っ!」
 あわてて駆け寄る静馬に目もくれず、紅香はがばっと起き上がって見せた。
「こんのっ……めちゃくちゃ鼻すりむいた! ただでさえ鼻の頭が低いのに、余計に低くなったらどうしてくれんのっ!?」
 的外れな怒りでがーがーとがなる紅香に、静馬はあきれながらも、ほっと胸をなでおろす。
「……あの一撃ヲ受けて、すぐに起き上がるトハ……できるナ」
 表情はうかがえないものの、カッシュの言葉の端々には、どこか敬意ともとれる驚嘆の色が混じっていた。
「紅香、気をつけて。あれ、ただの盾じゃない。恐らく、盾の内部に火薬が仕込まれてる。それを発射することで、反動で高速での突進を可能にしてるみたいだ」
「よくぞ見抜いタ。俺の盾は防御だけのタメノものに非ズ。身を守りながら、加速してノ攻防一体の戦いが真髄ヨ」
 そう言いながら、カッシュはまたも盾を構える。再び、突進からの攻撃を繰り出すつもりか。
 走っての体当たりか、加速して突撃してくるか、紅香が一瞬、迷う。
「食らエ!」
 ドンッとという爆発音ともに、カッシュの身体が急加速する。反動を使っての突進だ。
「くっ!」
 紅香は再び、横に跳んでかわす。今度は距離があったこともあり、なんとか回避に成功した。しかし、間髪いれず、背後から火薬の破裂音が響く。
「くっ……くそっ!」
 振り返っている余裕はない。紅香は相手が見えないまま、勘だけで横っ飛びに跳んだ。そのわずか数センチ横を、カッシュの巨躯がすさまじい勢いで通過する。
「フム。よくぞかわしタ。しかし、かわすだけでは勝てヌ。いつまでそうしていられるカナ?」
 またしても、カッシュが盾を構える。
「……弾薬切れ、なんてのは狙えないかな……?」
 静馬がつぶやいた声が聞こえたかのように、カッシュが火薬を詰めたらしい筒を、盾にリロードする。
「フフフ、弾切れなどニハ期待しないことダ。無論、予備弾薬は用意してイル」
「ありゃ……ばれてるね」
 さすがに静馬の笑みにも、かすかに焦燥の色が浮かんでいる。
「……これじゃ、手の出しようがないよ……。くっそ、近くに飛び込めさえすれば、せめて一発食らわせられるのに」
 歯噛みする紅香の言葉に、静馬が不意に、はっとした表情を作った。
「……飛び込む……それだ!」
 そしてなにやら、紅香に耳打ちする。
「……いいね。そういうの、私好みの作戦だよ」
 静馬の言葉を聞いた紅香が、にやりと野生的に笑う。
「……なにを考えているカ知らぬが、この盾に小細工ナド通用セン。なにをしても、無駄なことダ!」
 カッシュが、またも盾を構える。
「いつまでも避けられはセン! これで、決めてクレル!」
 ドンッという火薬の炸裂音とともに、カッシュが高速で紅香に迫る。
「ふふんだ。避ける必要なんて……ないっ!」
 これまでとは逆に、紅香は迫るカッシュに向かって走り出す。
「血迷ったカ! 自滅行為ダッ!」
 勝利を確信したカッシュの口元に、かすかに笑みが浮かんだ。
 だが、その突進が紅香に届く直前――――紅香が跳んだ。背中に邪神の羽根を顕現させ、羽ばたいてそのスピードをさらに加速させる。そしてその勢いをこめてカッシュの大盾に――――。
「だりゃああああああぁぁぁぁぁっ!!」
 全体重をかけて、ドロップキックを放った。
「ナニッ!?」
 すさまじい勢いで両者が激突し、轟音を響かせる。
「グッ……グウオオオオオオ!」
 獣のような咆哮とともに、カッシュが全体重を込め、強引にもう一度、火薬を炸裂させた。
「……わわっと!」
 さすがに押し戻された紅香が、空中で身を翻し、着地する。
「……マサカ、この技に自ら飛び込んで来るトハ……高速で移動するものは、自身も反動を受ける。それを利用して盾を狙う……いい発想ダ。だが、それではこの盾にわずかにヒビをつける程度。破壊することなど叶わヌ」
 カッシュが、荒い息を抑えながら言う。その言葉通り、盾にはわずかながらヒビが入っている。
 だが、その言葉に静馬が微笑んだ。それは勝利を確信した、穏やかながらも会心の笑み。
「いや……それで十分だ」
 その言葉に合わせるかのように、紅香が右手をカッシュの盾に向ける。そして、静馬がその右腕に己の左腕を添えた。
 次の瞬間、二人の手のひらに、巨大な火球が顕現する。
「……ナッ、まさか……」
「いけえええええええっ!!」
 その意図にカッシュが気づいたときには、もうすでに手遅れだった。紅香の手のひらから、巨大な火球が放たれ、カッシュの大盾を包み込む。そして紅香の蹴りでできたわずかなヒビから……内部の火薬へと引火した。
「ウ……ウオオオオオオオオオオッ!」
 轟音とともに大盾が爆発を起こし……四散した。それに巻き込まれたカッシュの目は宙をさまよっており、半ば意識が飛びかけている。
 そのカッシュの元に、紅香が駆け寄る。駆けながら、その両手に火球を形成していく。間合いを詰め、紅香はカッシュの頭をめがけて、跳ぶ。
「食らえっ! 炎の……脳天ダンクッッッッ!!」
 そして、その両手の火球を……その言葉の通り、カッシュの脳天に叩きつけた。
「グオアアアアアアアァァァァッ!」
 火球の炸裂が収まった時、カッシュの巨躯がぐらりと傾き……地響きをたてて倒れた。
「……ふーっ……。ぶいっ! 私の勝ちっ!」
 大きく息をついて、Vサインとともに、紅香は声高らかに勝利を宣言した。


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 前崎市、教会の庭。深夜。
 ウィノナ=ヴァイカートは、その敷地内にある、もう一つの建物へと向かっていた。一見、少々大きめの物置のような、その建物。だがその入り口には、ひどく不釣合いな、大きな南京錠がかけられている。
 その大きな鍵を、これまた大きな鍵で外す。がちゃりと重い音がして、その頑丈な錠が外れる。
 ウィノナが、錠の外れた鉄製の扉をゆっくりと開ける。ぎいぎいと歪んだ音をたてながら、扉は重い動きで開いた。
 大きな錠といい、重そうな鉄の扉といい、どう見ても普通の物置とは思えない。そう、たとえるなら、まるで――――それは、猛獣を閉じ込めた、檻のようだった。
 真っ暗な建物の中を、ウィノナは無言で歩いていく。灯りも持たず、迷わずに闇の中を進むその様は、まるで幽霊のようだ。彼女は決して広くはない、その一室に置かれた木箱を、静かに押した。
 と、先ほどまでそれがあった床に、地下へと続く階段が現れる。ひどく簡単にではあるが、木箱の下に階段が隠されていたのだ。ただ、木箱の中には様々なものが雑多に入れられており、普通の人間ならば、数人がかりでなければ動かすことはできないであろうことは、容易に見て取れた。 南京錠に隠し通路と、厳重に封じられた階段を、彼女は下りていく。それに従い、周囲の壁が、ひんやりとしたコンクリートのものへと変わっていく。その色からすると、それは最近になって塗り固められたものらしい。
 言葉もなく歩くウィノナの足が、階段から、こちらも冷たいコンクリートの床へと降り立った。
 その暗い瞳が、なおのこと深い闇に染まった、その先の虚空を見つめる。
「……………」
 不意に、彼女の瞳がかすかに感情を映した。それはあきらめのような、悔恨のような、そして……なにかを懐かしむかのような、複雑な、色。
 だが、それはすぐに消える。そこに一瞬、映した感情を無理やり押し込めるように。――――そして。
「……起床……あなたたち……出番……」
 呪文のような響きで、言葉を紡いだ。
 いや、それは、本当に呪文だったのかもしれない。その視線の奥に眠るものたちを、目覚めさせるための、彼女の、呪文。
 それに呼応するようにして、闇の中で、なにかが動いた。
「……ふわあああーーーーあ……」
「……ん……んん……」
 片方は大きく伸びをするように。片方はまるで機械が起き上がるように。二つの影が、暗闇の中で動いた。
「……ふう――――よく寝た。ああ、もしかして、お仕事の時間かな?」
 伸びをするように起き上がった影――――小さな、子供のようなシルエットのそれが、独り言のようにつぶやく。そのシルエットにふさわしく、その声はまるで、旅行の朝の少年のような、期待をこめた子供の声。
「……何年、ぶりカ……」
 もう一方の影も、つられるようにようにしてつぶやく。小さな影とは対照的に、座り込んだその姿勢でもウィノナの身長ほどの背丈はありそうな、巨大な影だ。その声もまるで、フランケンシュタインの怪物が実在したらこんな声ではないかと思わせるような、重々しく、どこか機械じみた声。
「……ひさしぶり。ティモ、カッシュ」
 ふと、ウィノナの声が今までと違う色を帯びる。単語のみの、その独特な口調は変わらないものの、その名前を呼ぶ声は、まるで旧友に語りかけるかのように、どこか親密な空気を纏っている。
「ありゃりゃ、ふくたいちょー。今回はお先にお目覚めだったんだ。ちぇ、ずるいなぁ。もうあらかた片付けちゃって、僕らには後片付けしか残ってないんじゃないの? せっかく、何年かぶりの出番だってのにさ」
 起き上がった影の、小さなほう――――ウィノナにティモと呼ばれたそれが、のけ者にされた少年のような声を上げながら、勢いよく飛び起きる。
「――――否。本番は、これから」
 不意に険しくなるウィノナの視線に、まるで山が動くかのように、もう一方の影が起きあがった。
「……ホウ。今回ハ、副隊長殿デモ、そのようナ目にさせるホドのツワモノが相手カ。ソレハ、楽しみダ」
 やはりどこか怪物めいた片言の言葉で、もう一方の巨躯の影が両の拳を打ち合わせる。まるで車同士がぶつかったような衝突音が、その衝撃で響く。
「……で、今回のここはどこなのさ? アメリカかい? それともイギリス? 僕の故郷の北欧にしては、ちょっと暑いね」
 教会の制服の襟でぱたぱたと顔を仰ぎながら、ティモと呼ばれた小さな影が問う。
「……否。アジア。日本」
 その国名を聞いた途端、ティモという少年が跳びあがった。
「ジャパン!? やったね! 一度、来てみたかったんだ! ねえ、サムライはいた!? ニンジャは!?」
「……それは、いない」
 無邪気な少年の声に、ウィノナは少し……ほんの少しだけ、笑って答える。
「えーっ!? うそだあ! ニンジャもいないの!?」
「……サムライや、ニンジャは、昔のモノダ。今ハ、いない」
 カッシュと呼ばれた巨漢が、少々あきれた口調で言う。
「シテ、今回ノ相手は、悪魔カ? それとも、人カ?」
 ウィノナに向き直りながら、カッシュという巨漢が聞く。
「……どちらも、否。いや……あるいは、どちらも、肯定」
「もー、どっちなのさ」
 再び無感情に言うウィノナに、ティモが口を尖らせる。
「人とも……異形とも、言える。それは……」
 ウィノナが、二人の前に一枚の写真を差し出す。そこに写っていたのは……その腕に炎を宿し、拳を作る少女――――火ノ宮紅香。
「煉獄の邪神を宿した――――少女」
 その言葉を発するウィノナの瞳には、これまでにない……底の知れない、暗い光が宿っていた。
 如月雪乃は、不機嫌だった。
 それは無論、突然事務所を飛び出していった翔悟のせいだ。
「まったく……翔様ったら、いくらなんでも勝手すぎるのです。こんな時間に飛び出していって、雪には無茶を言って……」
 ため息をつきながら、翔悟の机に置かれた書類の束を見る。本当は、これらすべてを、近日中には報告として提出しなければならないのだが、正直、これではぎりぎりでの提出になりそうだ。
「……本当に、困ったものなのです。あの人は……優しすぎるのですから」
 渋面を作っていた雪乃の顔が、ふとほころんだ。文句を言いながらも、雪乃には分かっているのだ。翔悟がこういう行動に出るのは、いつも誰かのため。紅香や、静馬や……あるいは、自分のためなのだと。
 だが、それだけに、雪乃は心配でもあった。いつもそうやって、仲間や雪乃を危険に巻き込むまいとする姿勢が。前回の事件――――神代郁真の事件でも、そうだった。雪乃や紅香を先に進ませるために、自ら敵を阻む壁となって戦った。
 昔から……二人が故郷で暮らしていた頃から、彼はそうだった。重荷はすべて自分で背負おうとする。大切な人間には、おどけてごまかして、すべてを背負い込もうとする。
「少しは……雪にも、頼ってほしいのです……翔様」
 一人ごちる雪乃の耳に、着信の音が届く。事務所の電話の音だが、そのメロディは翔悟からのものではない。
「このメロディは……水葉なのです」
 水葉から着信などと、珍しい。前回の事件の事後処理で連絡を送ってからは、まったく音沙汰もなかったというのに。
「もしもし……水葉から電話なんて、珍しいのです。どうしたのですか?」
 思わず、声が弾む。あれから連絡を取り合うようになったとはいえ、大抵はこちらから連絡するばかりだったので、やはり正直、うれしいものがある。
 しかし、水葉の声に含まれた緊張感は、雪乃のその淡い期待を打ち砕くものだった。
「お……さま……、い……こに……」
「え? なにを言ってるのか、さっぱりなのですよ、水葉」
 電波が悪いのか、雑音とノイズに阻まれて、水葉のその声は雪乃には届かない。だが、かすかに聞こえるその声には、どこかあわてたような色が混ざっている。
 雪乃の表情が、険しくなる。
「どうしたのですか? 水葉? ……水葉?」
「……ね……さま……てく……い……。……こは……れて……」
 徐々に……乾いた布に落ちたしみのように、じわりと不安感が雪乃の心を染めていく。水葉になにかあったのか。それとも、まさか、翔悟に?
 雪乃は、右手に氷の刃を纏うと、人形に向かって駆ける。それに反応し人形の振るった大はさみを潜り抜け、雪乃は人形の目前に迫る。
 だが、その右手の刃が人形に食い込む寸前、氷の楔を、高速で飛来した、黒い何かが砕いた。
「――――――っ!」
 それに反応してか、あるいはただの偶然か、人形がふたたびはさみを振り下ろす。雪乃は何が起こったのか理解できないままながら、跳びすさってぎりぎりのところではさみの凶刃から逃れた。
「……もう一体……いえ、一羽、操っているわけですか……!」
 距離を取ってふたたび氷の楔を纏う雪乃が、人形の肩に止まったその人形に歯噛みしながら言う。それは、一見、本物と見まごうほど精巧なカラスの人形だった。どうやら術者の魔力が込められたらしいそれが、人形を狙った雪乃の刃を弾いたのだ。
 不意に、人形の肩に留まったそれが、口を開いた。
「いやあ、なかなかやるねー、猫のお姉ちゃん。今の反撃は、かわされるとは思わなかったよ。でも、よかった。つい即反撃しちゃったからさ、これを避けられない相手だったら、今ので終わっちゃってたもんね、楽しい楽しい、今日のお仕事がさ」
 カラスの口から発されたそれは、まるでいたずら好きの、無邪気な少年のような声だった。
 だが、その主の姿はどこにもない。気配を探ってみても、よほど自分の存在を隠すのがうまいのか、その尻尾をつかむことはできない。
「……何者なのですか。私は、誰かに狙われるようなことをした覚えはないのです」
 周囲を警戒しながら問いかける雪乃に、声の主がかすかにくぐもった笑いを漏らす。
「まあ、そうだろうね。ほんとのところ、お姉さんには非はないんだよ。ただ、そうだなぁ……言うなれば、運が悪かった、ってことかな?」
「ふざけないでください。そのようなことで……」
 雪乃がそう言いかけたとき、ふわりとカラスが人形の肩から宙へ舞い上がった。
「はい、ヒントタイムしゅーりょー。僕らも仕事だからね、あんまりおしゃべりしてる時間はないんだ……そらっ!」
 その言葉が終わると同時に、人形が走り出す。滑稽にも見える、糸に引かれて地を滑るようなその動きは、その速さを以って、異様な不気味さをかもし出している。
「くっ!」
 まるで子供のけんかのように、めちゃくちゃに大ばさみを振り回すその攻撃を、雪乃はステップやしゃがむことでかわしていく。だが、なにも考えずに振り回しているかのようなその攻撃は、適確に、かつすばやく雪乃のかわした先に追撃してくる。一瞬、隙ができるとその度にカラスが間に割って入り、雪乃に反撃の隙を与えない。
 二体同時に、これだけ適確に物体を遠隔操作できるとなると、相手は相当の手練と見ていい。本来なら、白夜の力を解放しなければならないのかもしれない。だが、翔悟がいない今の状況では、制御が効かず、暴走する可能性もある。
 ――――あれは、使えない。
 雪乃が歯噛みしたそのとき、突然、人形の攻撃を避けようとした足が動かなくなった。
「……なっ!?」
 反射的に足元を見る。そこには、床から上半身のみを現した、まるで死人のような人形の姿があった。それが、がっちりと、すがりつくように雪乃の足に絡み付いていたのだ。
 次の瞬間、大きく空気を斬り裂く音が聞こえた。それが、人形が大ばさみを薙いだ音だと気づいたときには、雪乃は大きく宙へと吹き飛ばされていた。
「がっ……は……!」
 完全に意表を突かれ、受身も取れずに雪乃は床に叩きつけられる。なんとかよろめきながら起き上がるが、鋭角に入ったか、呼吸をするたびに胸が痛む。
「へえ、あれを受けても立ち上がれるんだ? これで決まったかなと思ったけど、想像してたより体力があるんだね」
 再び、カラスが少年の言葉で話し出す。その足元には、先ほどの上半身のみの人形がある。
 ――――まさか、三体もの人形を同時に操るとは、只者ではない。だが……今ので一つ分かったことがある。
「……残念だったのです。本来は今ので決めるつもりだったのでしょうけど……」
 雪乃が駆ける。吹き飛ばされ、空いた間を詰めると、はさみを持つ人形の足元を狙って氷の楔を放つ。
「おっと、当たらないよっ!」
 人形が糸をたなびかせ、それをかわす。
「ま、人形相手に攻撃しても無駄……ッ!?」
 雪乃は、すでに走り出していた。人形の糸がたなびいたその先……先ほど敵が飛び込んできた、割れた窓へ向かって。気配を消してはいるが、そこには確かに誰かがいた。
「糸の先に操る本人がいるとは……わかりやすいのですよっ!」
 窓から飛び出し、雪乃は迷わず、気配のした方向に氷の楔を放つ。見えた。その先には、驚愕に目を見開いた少年の姿があった。
「なっ……!?」
 だが、その一撃が届くことを雪乃が確信した、瞬間。
 突如、飛来した巨大な物体が、その刃を弾いた。
「な、なんなのです!?」
 それは、盾だった。古い、まるでファンタジー映画に出てくるような、意匠の施された盾だった。だが、それは異様なまでの存在感を誇っていた。それは、その大きさが、どう見ても人間の扱えるものではなかったからだ。高さは2mをゆうに声、厚さはまるで戦車の装甲のようだ。
「……ティモ、油断したナ。そうやって己ヲ過信するノガ、お前の悪いクセダ」
 重々しい男の声が、雪乃の背後から聞こえた。それはまるで、人間とは思えないほどの巨躯を誇る男だった。慎重はあの盾と並ぶほど、そしてその筋骨隆々とした身体は、強固な壁のようだ。この男が、その盾を投げて雪乃の攻撃を防いだというのか。
「スマヌが、少々、手荒ナことをさせてモラウぞ」
 男の声が、すさまじいプレッシャーとなって雪乃に降りかかる。動けない雪乃の両腕を、男は片手でひねり上げた。
「あうっ! は、放すのです!」
 全身の力を込めてもがくが、まるで万力で締め上げられているかのようにびくともしない。
「ユルセ。あの少女をおびき出すタメダ」
 もがく雪乃の腹に、男はもう片方の腕で当身を食らわせる。
「……あっ……う……」
 視界が徐々に暗くなっていくのと同時に、聴覚が失われていく。男たちがなにか話しているのが聞こえたが、それを理解する意識は、すでに遠く、雪乃から離れていった後だった。
「ザムエル様、本部よりお電話です」
「おやおや、すいませんね。わざわざありがとうございます」
 前崎市の教会で、司祭ザムエルは電話を受け取った。電話を取り次いでくれた教会の団員に笑顔を見せると、受け取った子機を手に、ザムエルは自室へと入る。途端に、団員に向けていた笑顔が崩れ、苦々しげな表情があらわになる。
 どうせまた、本部の上層部からの状況報告の催促だろう。本部は、あの少女を消すために躍起になっているのだから。まったく、ご苦労なことだ。まあ、彼らが躍起になってくれているおかげで、今の状況があるのだが。
「もしもし、こちらザムエルです」
「もしもし、じゃないだろう!? 君はなにをやっているんだ! いったい、いつになったらよい報告を聞けるのかね!?」
 やはりか。その焦った叱責の声に、怒りを通り越して笑えてくる。
「申し訳ありません。幾度か襲撃を計画したのですが、やはり邪神を封じた少女だけのことはあります。並みの者では歯が立たないのです」
「そのために、君の部隊の者を使うことを許可したのだろう!? 彼らは何をやっている!」
「もちろん、彼らにも働いてもらっていますよ。今は、かの少女をおびき出すためにうごいてもらっています」
 ザムエルの言葉に、電話の向こうの相手が沈黙する。
「……ふん、まあいい。まだ、情報は漏れていないからな。とにかく、やつが真実を知る前に、なんとしても消せ。いいな」
 がちゃん、と大きな音をたてて、電話が切られる。
「……ええ、あの少女は殺しますよ。ただし、あなた方の思惑などは、知ったことじゃありませんがねぇ」
 にやりと笑いながら、ザムエルは手にした子機を見下ろす。
 そのとき、自室のドアがノックされた。表情を隠し、ザムエルは答える。
「……どうぞ」
「……入室」
 入ってきたのは、ウィノナだった。
「あなたでしたか。どうしました?」
「……子機を」
 それだけ言うと、ウィノナは右手を差し出す。
「ああ、そのためにわざわざ? すみませんねえ」
 穏やかな青年の笑顔を作り、ザムエルは子機を渡す。それを受け取り、踵を返すウィノナが一瞬、彼に隠れて作った鋭い視線に、彼が気がつくことはなかった。
 翌朝、火ノ宮紅香はいつも通り、雪乃と登校するために翔悟の事務所へとやってきていた。それに、翔悟にドッペルが落としていったと思われるペンダントも見てもらわねばならない。確証はないが、これが自分の狙われる理由と関係があるような気がする。
「ゆーきちゃーん、起きてるー?」
 ペンダントを見てもらうためにいつもより早く事務所を訪れたため、まだ雪乃や翔悟は起きたばかりかもしれない。
 そう思い声をかけたのだが、それ以前に、事務所内にはどうにも人の気配がない。
「……なんか、変だね」
 つぶやく紅香が静馬を振り返ると、彼はいつも翔悟の愛車が納められているガレージを覗き込んでいた。
「紅香……翔さんの車がない。ガレージも開けっ放しだ」
「……でかけてるのかな?」
 紅香の言葉に、静馬は腕を組む。
「それにしては朝早いけど……まあ、仕事柄ありえなくはないけど、雪乃もいっしょに?」
 確かに静馬の言うとおり、翔悟の場合、危険な仕事の際は必要がない限り、雪乃を巻き込むことはしなさそうな気がする。「ちょっと、周りを調べてみようか。もしかしたら、なにかあったのかも」
 紅香の言葉に、静馬がうなづく。
 とりあえず、二人は事務所の周りを回ってみることにする。
「……まさかとは思うけど、教会の奴らが襲ってきたとか?」
「どうだろう……紅香が狙われてる理由もまだわからないし、なんとも言えないね。でも……今、僕らを狙ってきてるのは、教会の人間とドッペルだから、ないとも言えない」
 考えながら事務所の周囲を歩く紅香たちが建物の角を曲がる。そこで二人は、目の前の光景に足を止めた。
 そこには、無惨に割られた事務所の窓ガラスがあった。
「……これは……」
 静馬が割れた窓から、中を覗き込む。中は割れたガラスの破片が散らばっており、事務所内は椅子が壊れていたり、床に傷がついていたりと、荒らされている。
「やっぱり、なにかあったんだよ!」
 紅香は静馬の脇から覗き込むが早いか、事務所の中へと飛び込んでいく。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 続いて中に入ろうとした静馬は、ふと、事務所の外の地面が大きくえぐれていることに気がついた。
「……なんだ?」
 まるで、なにか巨大な物体が地面に突き立てられでもしたかのようだ。その大きさは、幅もさることながら、深さが尋常ではない。そのえぐれた跡からして、なにかとてつもない質量のものが叩きつけられたのが見て取れた。
 これは、なにがしかの戦闘の跡ではないか? 静馬が疑念を持つのと同時に、中から紅香の呼ぶ声が聞こえた。
「ちょっと、静馬! 来て!」
 急いで、静馬は窓から事務所の中へ飛び込む。
「……静馬、これ!」
 紅香が手にしていた紙切れを、静馬に突きつけるようにして差し出す。
『邪神をその身に封じし少女へ。ここに住んでいた式神は預かった。その命が惜しくば、今夜十時、この街の北にある廃工場まで来られたし』
「……これって……」
 その文面を見た静馬が息を飲む。
「脅迫状、だよね! 式神って……雪ちゃんのことでしょ! きっと、私を狙ってきた奴らだよ! ……くそっ!」
 言うが早いか、興奮気味の紅香は脅迫状を握りながら、事務所の入り口へ向かって駆け出す。
「待った! どこへ行くのさ!」「決まってるじゃない! 廃工場に行って、奴らをぶっ飛ばすの!」
 だん、と足を踏み鳴らしながら、紅香が言う。
 静馬は、紅香を落ち着かせようと、両手で彼女を制する。
「落ち着きなよ。そこには、夜に来いって書いてある。今行ったって奴らはいないかもしれないし、どうも様子が変だ。少し、状況を整理したほうがいい」
「……わかったよ」
 渋々ながら、紅香がうなずく。
 そのとき、かすかながら、廊下から足音が聞こえた。
「……紅香、静かに。……誰か、来る」
 その足音は、足早に、まっすぐ事務所の入り口へと向かってくる。まるでこの事務所の位置を知っているかのようだ。
 紅香が、入り口から静かに、油断なく身構えながら後ずさる。
 一瞬、足音は事務所の前で足を止めた。どことなく、この部屋の気配をうかがっているような気がする。
 紅香がこちらに視線を送り、ドアを指して、拳を作って見せる。恐らく、開いたら奇襲をかける、という合図だ。
 と、静馬の嗅覚を、嗅いだことのある匂いが刺激した。同時にドアの向こうの人物にあたりがついた静馬が、声を上げる。
「……あ、紅……」
 その途端、音をたててドアが開いた。
「おんどりゃああああっ!」
「どわっ!?」
 直後、静馬が思わず目を覆うほどの大きな音とともに、紅香が入ってきた人物に飛びかかった。
「こいつっ! よくも……あれ?」
 恐る恐る、静馬が目を開くと、そこには翔悟に馬乗りになり、今にも殴りかからんばかりの紅香の姿があった。女の子としては、ちょっとどうかという姿勢だ。
「重い! 重いぞ、紅香、お前! 死ぬ! マジで死ぬ! 早く退け!」
 殴りかからなくても、なんだかそのまま窒息死しそうなほど、青い顔で翔悟がわめいた。
「しっ、失礼な! 重くないもん! ……たぶん、そんなには……」
 対照的に顔を紅く染めて、紅香ががなる。
「……どうりで、タバコのにおいがしたと思った」
 ふう、とため息をついて静馬が肩をすくめる。
「もう、それを早く言ってよ!」
「それよりお前こそ早く退け……」
 いよいよ顔色が悪くなってきた翔悟に、言いたいことがたっぷりありそうな表情をしながらも、紅香がやっと退いた。
「紅香お前、いったいどうなってんだ。帰ってきてみりゃ窓ガラスは割れてやがるし、事務所に来てみりゃ、お前がのしかかってくるし」
「そうだ翔さん、大変なの! これ!」
 静馬にしたのと同じように、紅香が翔悟に脅迫状を突きつけた。
「なんだこりゃ……って……」
 その文面を理解するに従い、翔悟の顔色が変わる。
「……マジか。こいつは……例の、教会の奴らか?」
「……わかんない。私たちも今、これを見つけたばっかで……。でも、たぶん」
 紅香の答えに、翔悟がぼりぼりと頭を掻く。
「……くそったれ! まさか、雪を狙ってくるとは……くそ!」
 彼にしては珍しく、悔恨と怒りを隠すこともせず、歯噛みしている。
「……翔さん、どうする? 奴らの言うとおりにするしかないのかな?」
 不安そうに、紅香が言う。奴らの言うとおりに動くことが、やっぱり納得がいかないようだ。確かに、言われたとおりにしたとしても、雪乃が無事だという保証はない。
「……奴らの居場所が分からない以上、動きようがないだろ。……やれることがあるとすれば……」
 翔悟が、懐から一冊の書物を取り出した。
「……こいつだ」
「これ……って?」
 紅香の疑問符を浮かべた視線に、翔悟が苦い顔で頭を掻く。
「……教会の、本部の名簿だ。本当は必要な情報だけ回収してくるつもりだったんだが、予定が狂って、これごとかっぱらってくることになっちまった。ここにだな……例の奴らっぽい連中が載ってるんだ」
 翔悟が机に名簿を置き、ページを繰る。ぱらぱらとしばらく名簿をめくっていたが、あるページで手を止め、ある人物の写真を指して見せる。
「どうだ? 紅香を襲ったって奴は、こいつか?」
「……どれどれ?」
 紅香と静馬が、机の周りから名簿を覗き込む。
 そこには、一枚の写真があった。一応はカラーのものだが、印刷された原版の写真自体が古いのか、ずいぶんと色あせた印象を受ける。
 そこに写っていたのは、その色あせた写真の中でもはっきりと見て取れる、濡れたカラスの羽のような、黒い髪の女性の姿だった。
「こ、こいつ……! 間違いない、こいつだよ! いきなり襲いかかってきたの! 名前も、ウィノナって……!」
 紅香が机を叩きながら、つばを飛ばして叫ぶ。
「……でも、おかしくないか? 略歴が、あまりにも昔すぎる。それに……この人は、30年も前に死んでいる」
 写真とともに、そのプロフィールを読んでいた静馬が、口元に手を当てて言う。
「そう、問題はそこなんだ。俺も聞いた特徴と名前から、こいつがくさいと思ったんだが……とっくの昔に、こいつは死んでるんだ」
 翔悟がタバコに火をつけながら、名簿を睨む。
「……あ、でもさ……こいつ、人間とは限らないんじゃない?」
「は?」
 いきなりの紅香の発言に、翔悟が怪訝な顔を作る。
「いや、あのね。こいつと戦ったときに、意外と強くてさ。剣を使うはめになったんだけど……そのとき、こっちの攻撃に右腕を差し出してきたの。それで右腕がその……吹っ飛んじゃったんだけど」
 そこまでする気がなかった紅香としては、言いづらいのか、指をつつき合わせながら、言いよどむ。
「そのとき……見えたんだ。腕に詰まっていたのが、綿や鉄骨で……人間にも、怪物にも見えなかった。そう、まるで……頑丈に作られた、人形みたいな」
「……人形、か」
 紅香の言葉に、翔悟がタバコを大きく吸い、吐く。
「……僕も、ひとつ気になることがある」
 何事か考え込んでいた静馬が、写真の女性を指差して、紅香を見る。
「人形、と言う言葉で思ったんだけど。僕たちの前に現れたウィノナって奴は、それこそ人形のような瞳をしていたと思う。でも、この写真の女性は、無表情ではあるけど、目つきがもっと……なんていうか、人間らしいような気がするんだ」
 そういわれて見てみれば、確かに、写真の女性の瞳には、刺すような鋭さがあるように思える。そこには、あの機械のように話す印象はない。
「……この女の姿と名前を模した人形……ってことか? そんな昔の人間の姿を真似る理由も、意味もわからんが……」
 翔悟が腕を組み、名簿を睨みながらうめく。
「ただ……俺も、ちょっといいか?」
 今度は翔悟が、その女性のプロフィールを指す。
「こいつの教会での最後の所属部隊……『セイントアンガー』ってあるだろ? どうやら、この部隊自体、こいつが死んだときに全滅してるんだ。他の隊員も、名簿に載ってる。ここと……」
 再び、翔悟はページをめくる。最初に示して見せたのは、Tの項だ。
「……こいつだ」
『ティモ・パシコスキー 国籍・フィンランド 68年生まれ。幼少のころより人形を操る力を有し、孤独な少年時代を送っていたところを教会にスカウトされた。最初の所属である『セイントアンガー』が最終所属。悪魔に対する戦歴を重ねていたが、81年、ベルリンの作戦時に死亡』
「……こいつも、同年……同じ作戦で死んでるね」
 静馬が難しい顔で考えながら、重い声で言う。
「……それに、こいつ」
 同じように、翔悟がページをめくる。次に彼の指が示して見せたのは、Kの項。
『カッシュ・グロスコフ 国籍・ドイツ 48年生まれ。少年期より類を見ないほどの肉体的成長を遂げ、成年する頃には2m40cmを超える巨躯となっていた。その悪魔とも腕力のみで渡り合える身体能力を買われ、スカウトされる。最終戦歴は『セイントアンガー』。81年、ベルリンの作戦時に死亡』
「同じ部隊の人間が同じ事件で全滅……ってことか。でも、それだけじゃ、こいつら
全員が今回の敵とも言えないんじゃないの?」
 腕組みをしながら、紅香が言う。
「確かにな。だが、こいつが落ちていたことで、話はまた違ってくる」
 そう言って翔悟が取り出したのは、一枚のカラスの羽根だった。
「え? それって?」
「一見、ただのカラスの羽根に見えるが、触ってみればわかる。作り物……つまり、人形だ。それに、もうひとつ。静馬、ちょっとこれに触れてみてくれ」
 目の前に差し出された羽根に、静馬がなかば理解したような表情で触れる。彼が羽根に触れると、その予期したような表情は、すぐに確信したそれへと変わった。
「……わずかに、なにがしかの力が働いた痕跡がある。多分、物体を操るような……」
「あ! こいつ! 人形使い!」
 勢い込んで名簿を指差す紅香に、翔悟がうなづいた。
「そういうこった。それに怪しい痕跡は、それだけじゃない」
「庭の地面につけられた、えぐれたような跡、だね」
 わずかに緊張感をにじませた顔で静馬が言う。
「ご名答。この馬鹿でかい怪力男――――こいつの武器は、身の丈ほどもある、巨大な盾。確実にそうとは言い切れないが、あの跡がこいつのものとすれば、つじつまは合う」
「で……この名簿の奴らがやったんだとして、私たちはどうすればいいの?」
 表情の奥に、静かな怒りを秘めた瞳で、紅香が翔悟を見る。
「恐らくやつらは、雪を盾に、紅香になにか要求をしてくるはずだ。向こうは、こちらが奴らの力を把握しているとは思うまい。だから、奴らがお前に手を出す前に……こちらから仕掛けるのさ」
 野生的な笑みを浮かべ、翔悟が再び、タバコに火をつけた。
「……うう……」
 雪乃は、顔に垂れてくる水滴の冷たさに、目を覚ました。
「……ここは?」
 ふらつく頭を押さえながら、雪乃は辺りをうかがう。
 まったく見たことのない場所だ。周囲の壁や床は、真新しいコンクリートの壁でできており、ひんやりと冷たい。電灯の類はほとんどなく、視界は数メートルほど先までしか見渡せない。そしてその先には、この空間の中でひどく無機質に見える鉄格子があった。それらの様子からは、ここがどういった場所なのかという情報は、まったくといっていいほど伝わってこなかった。
「……奴らは、いったい……。紅香を狙った連中なのでしょうか……」
 一人ごちてみるが、頭の中に霞がかかったように、ぼんやりとして思考がおぼつかない。身身体もひどくだるく、力が入らない。
「……あまり、動き回らないほうがよさそうなのです。今、脱出できたとしても、戦うのは無理なのです」
 とにかく、体力の回復を待つしかない。雪乃は、壁に寄りかかると、床に腰を落とす。
 ふと、その背中にかすかな反響が壁から伝わった。その感覚に、思わず耳を澄ませる。どうやら、何者かがこちらへ向かっているようだ。かつんかつんという音と、その反響による振動が背中から伝わる。
 緊張感が、雪乃の身体を硬くする。もしも奴らが教会の人間であれば、紅香の居場所を聞きだすための尋問があるかもしれない。
 紅香の話では、連中は教会のヨーロッパ本部の人間かもしれない。自分たちがかつて所属していた日本支部の人間とは違い、魔物を絶対悪とする本部の人間は、強硬派が多い。もし彼らの狙いが邪神ならば、容赦はしないだろう。今は半妖である自分が相手なら、なおさらだ。
 雪乃は、鋭い視線で暗闇の先を見る。やがて、その足音の主が姿を現した。
 それは、若い女性だった。闇に溶け込むような、真っ黒な修道服に身を包んだ女性。濡れたカラスの羽根のような、漆黒の髪と瞳が特徴的だ。その瞳には、鋭く、どこか剣呑な光が宿っている。
「……目を、覚ましたのね」
「……………」
 女性の問いかけに、雪乃は答えない。例えこの先、どんな尋問が待っていたとしても、一言たりとて話すつもりなどなかった。しかし、次に女性から発せられた言葉は、意外なものだった。
「……手荒なことをして、すまない。あなたに危害を加えるつもりはない。ただ……しばらくその場所に拘束することを、許してほしい」
 予想もしなかった言葉に黙り込む雪乃に、女性は深く頭をたれた。教会は、強硬な尋問こそすれ、相手を懐柔して情報を聞き出すようなことはしないはずだ。
「……食事だ。簡素なものしか出せないが、今はきちんと食べて、体力をつけておいたほうがいい」
 考え込んでいた雪乃は、女性のその言葉に、はじめて彼女が手にしたものに気がつく。困惑する雪乃をよそに、女性は鉄格子の隙間から湯気の立つスープと、パンの乗せられた皿を差し出した。
「……どういうつもりなのですか。あなたたちの狙いは、なんなのです?」
「……今は答えられない。だが、あなたたちに危害を加えるつもりはない。あの少女にも。……少なくとも、私は」
 女性の鋭い瞳が、さらに細く、険しくなる。虚空を睨むその視線は、まるでその先に大切なものの仇でも存在しているかのようだ。
「……それを、信じろというのですか?」
 疑問を感じながらも、強い視線で女性を見る雪乃に、女性は首を横に振る。
「このようなことをしておいて、信じてほしいなどとは言えない。ただ……心の隅にとどめておいてほしい」
 先ほどとは違う、伏せた視線に、雪乃の疑問が深まる。紅香と戦ったという女性とは、違う人物なのだろうか? あまりに聞いた話と印象が違う。
「……あなたの、名前は?」
 素直に答えるとは思えなかったが、雪乃は思わずたずねていた。だが、またしても、その女性は、雪乃の予想を裏切った。
「私は、ウィノナ。ウィノナ・ヴァイカート。……教会の目的は、あの紅い少女と、彼女を知るあなた方を闇に葬ること。……だが……私は……」
 再び、女性――――ウィノナは目を伏せる。
「……私以外の教会の人間は、あなた方を消しにかかってくる。気をつけて」
 そこまで言うと、ウィノナは背を向けて歩き出す。
「あ、ちょっと、待ってください!」
 その背に雪乃は言葉をなげかけるが、その歩みが止まることはなかった。
「……どういうこと、なのでしょうか? あの人は、他の教会の人間とは、違うと……?」
 考えてみたが、それも正直、しっくりこない話だ。紅香の話では、彼女が本気で戦わねばならないほどの相手だったはず。危害を加える気がないにしては、本当に紅香を殺すつもりだったとしか思えない。
 だが、今のウィノナの雰囲気は、嘘を言っているようにも思えなかったのも事実だ。再び壁に寄りかかり、思考をまとめようと試みるが、どうしても納得のいく答えはでない。どうも、真実にたどり着くには、パズルのピースが足りないような気がする。
 ふう、とため息をつき、雪乃は思考を巡らせることをやめた。今は、恐らく考えても仕方がない。
 ふと、先ほどウィノナが運んできた食事が目に入った。
 スープの入った碗を、手に取ってみる。この冷たい牢獄の中で、未だ湯気をあげるそれは、冷えた雪乃の手をじんわりと温めた。
 火ノ宮紅香は、脅迫状の指定通り、深夜になってから、廃工場にその姿を現した。前回の事件で、ジルとの決着の後に目を覚ました、あの場所だ。かつてはシャッターによって区切られていたらしい、その入り口を抜けると、その闇の中に、三つの人影が見えた。
 表情の鋭さを一層際立たせ、紅香は廃工場の中へと入っていく。そこは閉鎖してからすでにかなりの時間が経っているらしく、元より薄い壁はすでにぼろぼろで、あちこちに風穴が開いている。地面のコンクリートからは、人の手が入っていないことを語るかのように、雑草が生えていた。
 その中を、ゆっくりと紅香は進んでいく。拳に炎を宿らせ、その髪を紅く染める。顔の右半分に、邪神を宿す身であることを示す、烙印が浮かび上がった。
 三つの人影のうち、もっとも小さな影が、その炎に反応を示した。座らされているような格好のそれは、恐らく、雪乃だろう。
 その傍らには、さらに二つの影。雪乃よりは多少背が高いが、やはり小柄な影と、他の二人をゆうに超える、巨大な影。
「……どう? 静馬」
「……恐らく、情報通り」
 囁くような、その短い答えを聞くと、紅香の表情にほんのかすかに、笑みが宿った。
 さらに紅香が影に近づこうと一歩踏み出すと、突如として、まばゆいサーチライトの光が紅香の瞳を貫いた。思わず目の前にかざした手の隙間から、ライトの前に立つ、小柄な影が見える。
「ようこそ、いらっしゃいませ。邪神の宿ったお姉さん。ごめんねー、こんな舞台しか用意できなくって。僕らも、あんまり目立つわけには行かなくってさ」
「指定ドオリ、来たカ。その勇気ハ、賛辞に値スル」
 小柄な影が少年の声で、巨大な影が奇妙なイントネーションで話す。
「雪ちゃんは? 無事なんでしょうね?」
 紅香の鋭い声に、少年の声が答える。
「うん、そりゃもちろん。僕らは悪魔じゃないんだ。約束は守るって」
 少年の影が奥から人間を引き立てるような動作をしてみせる。ライトの前に座らされたその姿は、光で確認しづらいが、確かに雪乃だ。
「それで? どうすれば、雪ちゃんを解放してくれるの?」
 紅香のその声に、まあまあとでも言いたげに、少年の影が両手を広げて見せた。
「まずは、自己紹介でもしようよ。僕は、ティモ・パシコスキー。教会のグレイヴディガー所属さ」
「……カッシュ・グロスコフ。同ジク、教会グレイヴディガー所属」
 だが、その言葉に、紅香は肩をすくめて見せる。
「別に、お知り合いになる必要なんてないでしょ? 用件をさっさと言ってよ」
「あらら……つれないね、お姉さん。あんまり急がないほうが、いいと思うけど……ね」
 ティモと名乗った少年は、含みを持たせた言葉を紅香に放つ。どこか挑発的なそれに、しかし、紅香は首を横に振る。
「いいから、さっさとして。あんたたちだって、仕事に無駄な手間はかけたくないでしょ?」
 紅香の言葉に、ティモは軽く笑みを浮かべる。
「ま、それもそうだね。じゃ、お姉さん。まぶしいところ悪いけど、こっちに来てもらえるかな?」
 無言で、紅香は静馬に視線を送る。同じように、静馬は紅香に視線を返し、うなずく。
 ゆっくりと、紅香はライトに照らし出された中を歩いていく。それとともに、徐々に敵の姿が明らかになっていく。
 ライトの前に立つ少年は、思っていたよりも幼い。外見だけで言えば、13歳くらいに見える。教会のロゴなのか、十字架のデザインの入ったフードつきのジャンパーを着込んでいる。
 もう一人の巨漢は、同じくロゴの入ったロングコートを着ている。こちらはフードを目深に被っているため、表情はうかがえないが、コートの上からでも、その巨躯が筋肉質であろうことは見て取れるほどだった。その傍らには、彼の身長と同程度はありそうな巨大な盾がある。
 紅香が、少年の前に立つ。
「それじゃ、お姉さんのお望みどおり、さっさと片付けよう。邪神の宿ったお姉さん……恨みはないけれど……死んで、もらえるかなッ!!」
 刹那、ティモの眼前に大きな人形が姿を現した。その手には、凶器としか言いようのない、人間すら両断できそうなほど巨大なはさみが握られている。それがすばやく、紅香に向かって突き出された。
「静馬! 今よっ!」
「うおおおおおおあああああああっ!」
 それが突き刺さる寸前、紅香の叫びに呼応して、静馬が吼えた。その咆哮が巻き起こしたかのように、爆炎が紅香を中心に展開される。それはまるで炎の柱となって、人形とティモ、サーチライトを吹き飛ばす。
「……ッ! キサマ、ラッ!」
 その爆炎を大盾で防いだらしいカッシュが、人質である雪乃を押さえようと、動く。
「させないっ!」
 同時に、紅香が駆ける。幸いその巨躯のせいか、カッシュの動きはそれほど早くはない。だが、紅香よりも彼のほうが雪乃に近い位置にいる。
 それを見た紅香は、進路を変える。まっすぐに雪乃に向かわず、むしろカッシュよりに、猛烈な勢いで走る。その背には、炎を纏った邪神の羽根がある。
「ムッ!?」
 その行動に気づいたか、カッシュが大盾を紅香の方に向け、身構えた。
「できるもんなら……止めてみろっ!」
 猛進する勢いをそのままに、紅香はカッシュの大盾に正面からタックルを食らわせる。その瞬間、炎が爆ぜ、盾とカッシュを包み込む。
「ううりゃあああああああ……っ!」
「ヌウ……ッ! ぐうウウウウウウッ!」
 がっぷり四つの姿勢で組み合った両者は、そのまま互いに進路を譲らない。だが、かすかに、じりじりと紅香のほうが押している。
「いったたたたぁ……やってくれるじゃんっ!」
 その後方、やっと起き上がったティモが、雪乃を見る。
 だが、次の瞬間。
 轟音を響かせて、廃工場の薄い壁を突き破り、現れたものがあった。それはタイヤを軋ませながら工場内を猛スピードで走り、紅香たちが乱戦を繰り広げるほうへと突っ込んでくる。
「へ? ……うわわっと!」
 それはティモを弾き飛ばしそうになりながら走り回ると、縛られたままの雪乃の前に止まる。すぐにバン、とドアが開かれる。
「雪ちゃん、ちょっと手荒になるがかんべんな!」
 開いたドアから現れた手が、雪乃の首根っこをつかむと、放り込むようにして車の助手席へと乗せる。
「……翔様!」
 それは、翔悟の愛車だった。その車は、雪乃を乗せると、紅香らが戦っている場所からだ脱兎のごとく逃げ去っていく。そして、工場の入り口付近で急停車した。
 ゆっくりと、車のドアが開く。そこから姿を現したのは、すでに刀に変化した雪乃を携えた、翔悟。その顔には、紅香でさえも一瞬、心がざわめくような怒りの表情が浮かんでいた。
「……さて、うちの奴がずいぶん世話になったようだな。丁重に、お礼をさせてもらうぜ」
 一歩一歩、翔悟が戦いの場へと歩み寄る。
「紅香、静馬。そっちのデカブツは任せた。こっちのクソガキのお守りは、俺がやる」
「わ、わかった。翔さん」
 静かに言い放つ翔悟に、味方ながら少々気圧されながらも、紅香がうなずく。
 そして、改めてその巨躯を誇る相手を、睨んだ。
「それじゃあ、改めて……いっくぞー!」
「……ヨカロウ。元より、俺もこのヨウナ手段は好まヌ。なにより……貴殿トハ、真っ向から勝負してみたくナッタ!」
 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、カッシュがその巨躯で地響きをたてながら、紅香めがけて突っ込んできた。大盾を正面に構え、文字通り盾にしながらの、攻防一体のタックルだ。
 紅香はそれを、サイドへのステップでかわす。すぐに体勢を整え、カッシュが突っ込んで行ったであろう方向を向く。
 だが、その目が驚愕に開かれた。すでに、その眼前にはカッシュの持つ大盾が迫っていた。
「うあっ!」
 さすがにそれはかわすことも、受け止めることもできず、紅香の身体が宙を舞う。すさまじい勢いで吹き飛ばされた紅香は、数回、地面に叩きつけられた後にやっと止まった。
「紅香っ!」
 あわてて駆け寄る静馬に目もくれず、紅香はがばっと起き上がって見せた。
「こんのっ……めちゃくちゃ鼻すりむいた! ただでさえ鼻の頭が低いのに、余計に低くなったらどうしてくれんのっ!?」
 的外れな怒りでがーがーとがなる紅香に、静馬はあきれながらも、ほっと胸をなでおろす。
「……あの一撃ヲ受けて、すぐに起き上がるトハ……できるナ」
 表情はうかがえないものの、カッシュの言葉の端々には、どこか敬意ともとれる驚嘆の色が混じっていた。
「紅香、気をつけて。あれ、ただの盾じゃない。恐らく、盾の内部に火薬が仕込まれてる。それを発射することで、反動で高速での突進を可能にしてるみたいだ」
「よくぞ見抜いタ。俺の盾は防御だけのタメノものに非ズ。身を守りながら、加速してノ攻防一体の戦いが真髄ヨ」
 そう言いながら、カッシュはまたも盾を構える。再び、突進からの攻撃を繰り出すつもりか。
 走っての体当たりか、加速して突撃してくるか、紅香が一瞬、迷う。
「食らエ!」
 ドンッとという爆発音ともに、カッシュの身体が急加速する。反動を使っての突進だ。
「くっ!」
 紅香は再び、横に跳んでかわす。今度は距離があったこともあり、なんとか回避に成功した。しかし、間髪いれず、背後から火薬の破裂音が響く。
「くっ……くそっ!」
 振り返っている余裕はない。紅香は相手が見えないまま、勘だけで横っ飛びに跳んだ。そのわずか数センチ横を、カッシュの巨躯がすさまじい勢いで通過する。
「フム。よくぞかわしタ。しかし、かわすだけでは勝てヌ。いつまでそうしていられるカナ?」
 またしても、カッシュが盾を構える。
「……弾薬切れ、なんてのは狙えないかな……?」
 静馬がつぶやいた声が聞こえたかのように、カッシュが火薬を詰めたらしい筒を、盾にリロードする。
「フフフ、弾切れなどニハ期待しないことダ。無論、予備弾薬は用意してイル」
「ありゃ……ばれてるね」
 さすがに静馬の笑みにも、かすかに焦燥の色が浮かんでいる。
「……これじゃ、手の出しようがないよ……。くっそ、近くに飛び込めさえすれば、せめて一発食らわせられるのに」
 歯噛みする紅香の言葉に、静馬が不意に、はっとした表情を作った。
「……飛び込む……それだ!」
 そしてなにやら、紅香に耳打ちする。
「……いいね。そういうの、私好みの作戦だよ」
 静馬の言葉を聞いた紅香が、にやりと野生的に笑う。
「……なにを考えているカ知らぬが、この盾に小細工ナド通用セン。なにをしても、無駄なことダ!」
 カッシュが、またも盾を構える。
「いつまでも避けられはセン! これで、決めてクレル!」
 ドンッという火薬の炸裂音とともに、カッシュが高速で紅香に迫る。
「ふふんだ。避ける必要なんて……ないっ!」
 これまでとは逆に、紅香は迫るカッシュに向かって走り出す。
「血迷ったカ! 自滅行為ダッ!」
 勝利を確信したカッシュの口元に、かすかに笑みが浮かんだ。
 だが、その突進が紅香に届く直前――――紅香が跳んだ。背中に邪神の羽根を顕現させ、羽ばたいてそのスピードをさらに加速させる。そしてその勢いをこめてカッシュの大盾に――――。
「だりゃああああああぁぁぁぁぁっ!!」
 全体重をかけて、ドロップキックを放った。
「ナニッ!?」
 すさまじい勢いで両者が激突し、轟音を響かせる。
「グッ……グウオオオオオオ!」
 獣のような咆哮とともに、カッシュが全体重を込め、強引にもう一度、火薬を炸裂させた。
「……わわっと!」
 さすがに押し戻された紅香が、空中で身を翻し、着地する。
「……マサカ、この技に自ら飛び込んで来るトハ……高速で移動するものは、自身も反動を受ける。それを利用して盾を狙う……いい発想ダ。だが、それではこの盾にわずかにヒビをつける程度。破壊することなど叶わヌ」
 カッシュが、荒い息を抑えながら言う。その言葉通り、盾にはわずかながらヒビが入っている。
 だが、その言葉に静馬が微笑んだ。それは勝利を確信した、穏やかながらも会心の笑み。
「いや……それで十分だ」
 その言葉に合わせるかのように、紅香が右手をカッシュの盾に向ける。そして、静馬がその右腕に己の左腕を添えた。
 次の瞬間、二人の手のひらに、巨大な火球が顕現する。
「……ナッ、まさか……」
「いけえええええええっ!!」
 その意図にカッシュが気づいたときには、もうすでに手遅れだった。紅香の手のひらから、巨大な火球が放たれ、カッシュの大盾を包み込む。そして紅香の蹴りでできたわずかなヒビから……内部の火薬へと引火した。
「ウ……ウオオオオオオオオオオッ!」
 轟音とともに大盾が爆発を起こし……四散した。それに巻き込まれたカッシュの目は宙をさまよっており、半ば意識が飛びかけている。
 そのカッシュの元に、紅香が駆け寄る。駆けながら、その両手に火球を形成していく。間合いを詰め、紅香はカッシュの頭をめがけて、跳ぶ。
「食らえっ! 炎の……脳天ダンクッッッッ!!」
 そして、その両手の火球を……その言葉の通り、カッシュの脳天に叩きつけた。
「グオアアアアアアアァァァァッ!」
 火球の炸裂が収まった時、カッシュの巨躯がぐらりと傾き……地響きをたてて倒れた。
「……ふーっ……。ぶいっ! 私の勝ちっ!」
 大きく息をついて、Vサインとともに、紅香は声高らかに勝利を宣言した。