2 大家恵太①
ー/ー どれだけ時間が経ったのか、セルリアンブルーとコバルトブルーを混ぜ合わせたような青色にほんの少し紅色を加えたような空の表情が示していた。意味がなくなった広げられたテキストが目に入ると思わず天井を仰ぎ見てため息が出る。長時間寝たはずなのに重い頭と体を頑張って動かしながら席を立つと窓を開けた。指紋やら汚れやらで白く濁ったガラスの先には海があって、教室の中を消波ブロックに打ち付けられる波の音と潮の香りが満たした。流れ込む生温い風が冷房を点けていたはずなのに湿った体を撫でて気持ちがよかった。
それにしても今度は随分と鮮明な夢をみたものだと思う。まるで追体験をしていたかのような夢。もしかしたら高校生の今が夢なんじゃないかと思うほどだ。それでも結末が一緒なら何の意味もないのだが……
静かな教室に響く波の音を独り占めして思いを馳せていると、それを壊すかのように教室の扉がガラガラと音を立てて開いた。だが、僕はそれに見向きもせずひたすらに外の景色を見続けた。どうせ誰が来たところで僕から話しかけることはない。叶うことならこのまま教室から出て行って欲しいものだ。
どうやら叶うことはなかったらしい。入ってきた人物は迷うことなく僕の方へと近づいてくると声をかけてきた。
「こんにちは、恵太くん」
その声の主はあの夢を見た後だとあまり会いたくない人の一人だった。
「なんだ香織か」
「なんだとはなんだ!せっかく恵太くんの数少ないお友達が挨拶をしてるんだよ。もっと愛想よくしてみたらどう?」
そう言うと隣に立って一緒に海を眺め始めた。彼女の首までフワッと伸びた黄枯茶の髪が視界の端にチラチラ映り込む。高校生になっても変わらず明るいままだ。昔はその明るさに助けられたこともあったが、今では鬱陶しさすら覚えた。
「別にそうするつもりはないし……だから無理して話しかけなくてもいいよ」
「そんなこと言わないでよ。こうやって話せるのは恵太くんしかいないんだから」
「嘘つけよ。結衣とか綾奈とか康介がいるだろ」
冗談めかしたように綾奈は笑っていたが、それが嘘ではないことくらい僕にも分かっていた。
「結衣ちゃんは最近他の子たちと仲良くしてるし、康介くんは忙しそうだし、綾奈ちゃんはもう学校にはいないし……って知ってるよね?」
「……でも他の友達だっているだろ」
「いるけど……でも違うじゃん」
それを否定する気にはなれなかった。香織の言う通り、かつての良好な関係は今作った関係よりも特別だったと思う。それに彰のことが加わって、僕らの関係はより異質なものになった。断ち切りたいのに切れない関係とでも言えるかもしれない。
「今となっては全部が辛い思い出なのによく話そうと思えるね」
「全部が全部じゃないよ。いい思い出だっていっぱいあるし。秘密基地で遊んだこととか」
それは香織の立場だから言えるんだと思った。きっと僕の立場に立ってみればそういうふうに思えないと思う。
「僕にはいい思い出だって辛く感じる」
これは僕なりの拒絶の言葉だった。もう昔の話をしないでくれという意思表示。
「……でも、思い出は一生抱えて生きていくんだよ?辛いものばかりにしてたら思い出すのも嫌になるんだよ?」
「だから今嫌になってる」
静寂が僕らを包み込んだ。僕はまだ一度も香織のことを見ていない。彼女はどんな表情をしているのだろう。怒っているだろうか、それとも悲しんでいるだろうか。いくら離れたいからといって旧友にそんな思いをさせるのは胸が痛む。だが、その痛みを抱えてでも僕はもう彼女らとの関係を断ち切りたかった。
そんなふうに考えていたのとは裏腹に香織の答えは意外なものだった。
「じゃあ彰くんに会いに行こうよ」
「は……!?」
「あれから一度も会ってないんでしょ?しといて損はないと思うよ」
「でも……」
「なに?」
「僕はいいよ。会わせる顔がないし」
「……逃げるの?」
低い声に思わず香織の方を見た。これまでに見たことがない真剣な表情をして刺すように見つめる呉須色の瞳と目が合って、何も言えずたじろぎそうになった。
「もしちゃんと向き合って、それでももう私と話したくないっていうんだったらそれでいいから」
その確固たる意志を目の前にしてこれを拒否して逃げるという選択肢はなく、香織の真剣さに手を引かれるかのように僕は返事を導き出した。
「……分かった」
さっきまでのことが嘘だったように香織はよく知る笑顔に戻るとポンッと僕の背中を叩いた。
「そうこないとね!」
軽快に机の間をすり抜けて教室の外に出ると、扉から顔だけ覗かせて言い残していった。
「じゃあ校門の前で待ってるから」
再び静けさを取り戻した教室に取り残された僕はどっと疲れを感じて近くの机に腰かけた。今から彰に会いに行くのだと思うとやはり気が重い。
もうすぐあれから六年になる。その間に色々なことがあった。結局みんなばらばらになって、今となっては香織以外と会話することはないと言っても過言ではないだろう。むしろあの頃にこだわっている香織の方が稀有な存在だ。もしこうやって香織が話しかけてくることがなくなればあの頃がやっと過去になるのだろうか。それでも僕は苦しんでいくのだろうか。我ながら改めて自分を卑怯な奴だと思う。
とにかくこうやって考えていても仕方がない。時間は待つことなく過ぎていくが香織は校門で待っているのだ。自分の机の上で中途半端に開かれたテキストを鞄に仕舞うと、窓を閉めて教室から出た。
それにしても今度は随分と鮮明な夢をみたものだと思う。まるで追体験をしていたかのような夢。もしかしたら高校生の今が夢なんじゃないかと思うほどだ。それでも結末が一緒なら何の意味もないのだが……
静かな教室に響く波の音を独り占めして思いを馳せていると、それを壊すかのように教室の扉がガラガラと音を立てて開いた。だが、僕はそれに見向きもせずひたすらに外の景色を見続けた。どうせ誰が来たところで僕から話しかけることはない。叶うことならこのまま教室から出て行って欲しいものだ。
どうやら叶うことはなかったらしい。入ってきた人物は迷うことなく僕の方へと近づいてくると声をかけてきた。
「こんにちは、恵太くん」
その声の主はあの夢を見た後だとあまり会いたくない人の一人だった。
「なんだ香織か」
「なんだとはなんだ!せっかく恵太くんの数少ないお友達が挨拶をしてるんだよ。もっと愛想よくしてみたらどう?」
そう言うと隣に立って一緒に海を眺め始めた。彼女の首までフワッと伸びた黄枯茶の髪が視界の端にチラチラ映り込む。高校生になっても変わらず明るいままだ。昔はその明るさに助けられたこともあったが、今では鬱陶しさすら覚えた。
「別にそうするつもりはないし……だから無理して話しかけなくてもいいよ」
「そんなこと言わないでよ。こうやって話せるのは恵太くんしかいないんだから」
「嘘つけよ。結衣とか綾奈とか康介がいるだろ」
冗談めかしたように綾奈は笑っていたが、それが嘘ではないことくらい僕にも分かっていた。
「結衣ちゃんは最近他の子たちと仲良くしてるし、康介くんは忙しそうだし、綾奈ちゃんはもう学校にはいないし……って知ってるよね?」
「……でも他の友達だっているだろ」
「いるけど……でも違うじゃん」
それを否定する気にはなれなかった。香織の言う通り、かつての良好な関係は今作った関係よりも特別だったと思う。それに彰のことが加わって、僕らの関係はより異質なものになった。断ち切りたいのに切れない関係とでも言えるかもしれない。
「今となっては全部が辛い思い出なのによく話そうと思えるね」
「全部が全部じゃないよ。いい思い出だっていっぱいあるし。秘密基地で遊んだこととか」
それは香織の立場だから言えるんだと思った。きっと僕の立場に立ってみればそういうふうに思えないと思う。
「僕にはいい思い出だって辛く感じる」
これは僕なりの拒絶の言葉だった。もう昔の話をしないでくれという意思表示。
「……でも、思い出は一生抱えて生きていくんだよ?辛いものばかりにしてたら思い出すのも嫌になるんだよ?」
「だから今嫌になってる」
静寂が僕らを包み込んだ。僕はまだ一度も香織のことを見ていない。彼女はどんな表情をしているのだろう。怒っているだろうか、それとも悲しんでいるだろうか。いくら離れたいからといって旧友にそんな思いをさせるのは胸が痛む。だが、その痛みを抱えてでも僕はもう彼女らとの関係を断ち切りたかった。
そんなふうに考えていたのとは裏腹に香織の答えは意外なものだった。
「じゃあ彰くんに会いに行こうよ」
「は……!?」
「あれから一度も会ってないんでしょ?しといて損はないと思うよ」
「でも……」
「なに?」
「僕はいいよ。会わせる顔がないし」
「……逃げるの?」
低い声に思わず香織の方を見た。これまでに見たことがない真剣な表情をして刺すように見つめる呉須色の瞳と目が合って、何も言えずたじろぎそうになった。
「もしちゃんと向き合って、それでももう私と話したくないっていうんだったらそれでいいから」
その確固たる意志を目の前にしてこれを拒否して逃げるという選択肢はなく、香織の真剣さに手を引かれるかのように僕は返事を導き出した。
「……分かった」
さっきまでのことが嘘だったように香織はよく知る笑顔に戻るとポンッと僕の背中を叩いた。
「そうこないとね!」
軽快に机の間をすり抜けて教室の外に出ると、扉から顔だけ覗かせて言い残していった。
「じゃあ校門の前で待ってるから」
再び静けさを取り戻した教室に取り残された僕はどっと疲れを感じて近くの机に腰かけた。今から彰に会いに行くのだと思うとやはり気が重い。
もうすぐあれから六年になる。その間に色々なことがあった。結局みんなばらばらになって、今となっては香織以外と会話することはないと言っても過言ではないだろう。むしろあの頃にこだわっている香織の方が稀有な存在だ。もしこうやって香織が話しかけてくることがなくなればあの頃がやっと過去になるのだろうか。それでも僕は苦しんでいくのだろうか。我ながら改めて自分を卑怯な奴だと思う。
とにかくこうやって考えていても仕方がない。時間は待つことなく過ぎていくが香織は校門で待っているのだ。自分の机の上で中途半端に開かれたテキストを鞄に仕舞うと、窓を閉めて教室から出た。
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