プロローグ
ー/ー お、燕だ。
がたがたと揺れる電車の窓の外、夕焼け色の真っ赤な空を切り裂くように燕が翔けていた。
松木重信はその姿を目で追ったが、燕はすぐに見えなくなり、少しばかりがっかりとした表情を浮かべる。そして、自身の行動のおかしさに気づき、ふふっ、と誰にも聞こえない大きさで鼻から息を吐くように笑い声を零した。
重信は小さいころ燕が嫌いだった。そんな自分が燕の姿を追いかけていたことが不思議で面白く感じてしまったのだ。
──そうか、あれからもう三十六年か。
重信は、黄昏の空をぼんやりと見つめながらそう思った。今、彼の胸の中には郷愁をはらんだ懐かしさが溢れかえっている。
重信の記憶の一番深い場所には燕がいた。燕のことは大人となった今でも好きではないが、その姿を見る度に過去を思い出し、寂しさを募らせる。過去は彼にとって苦虫を潰したように青臭く苦い物であったが、年老いた今となっては深みのある渋さと感じるようになっていた。
彼にとって思い出とは高級なワインのような物だ。若い頃はとても飲めなかったワインも三十六年のヴィンテージともなると柔らかな口当たりとなる。それでも、まだ飲み頃までには程遠い。
本当はずっと蓋をしたままでいたい。いっそのこと過去など忘れてしまいたい。重信はそう思うのだが、ふとした拍子に思い出の蓋が開く。それを止めることはできない。
今回もゆっくりと蓋が開いていくのを感じ、重信は目を細めた。
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