第1話 没落令嬢の暴走

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 若干の冷気を(はら)んだ秋風がそよぐ丘陵を、馬車の隊列が落葉を巻き上げながら駆け登って行く。
 やがて車輪が(きし)むと、馬車はやや後ろに傾きだす。

「このまま何事も無ければ、あと十日ほどでコリンヴェルトに到着出来そうですね」

 先頭を行く幌馬車(ほろばしゃ)の中で床に腰かけ、絶え間無い振動に身を任せながら猫背の男が向かいに座る女性に向けて言う。

 男はただでさえ矮躯(わいく)であるのにその上、胡座(あぐら)をかいて身を屈めているものだから、まるで岩がそこに鎮座しているようにしか見えなかった。

「そうですね。何事も無ければ、ですけど」

 対して話しかけられた女性の方は、黒を基調とした女中(メイド)服をピッタリと着こなし、ピンと背筋を伸ばして正座をしており、まったく正反対の印象だった。

「まあ、何事も無かったなら本当はもうニ、三日くらい早くここに来てたはずですからね。この先もきっと様々な困難が両手(もろて)を挙げて迎えてくれることでしょう」
「いいですね。退屈しなさそうです」

 二人はそう言うとかすかに笑う。

「……おや?」

 刹那、男が陰気をまとった顔をわずかに上げる。
 その左眼には黒い眼帯が巻かれており、頬には縦に刻まれた深い傷が存在感を放っている。
 その物々しい容貌から放たれる眼光は、馬車の外へと向けられる。

「めずらしい方がおいでのようですね」

 女中(メイド)服の女性の方も、何かに気づいたようにそうつぶやく。

「ええ。ひとり……いや、二人でしょうか? すごい速さです」

 男はそう言ってすっくと立ち上がる。その顔からもう笑みは消え失せていた。

「私が参ります。そのための契約ですから」

 それを制するように女性の方も立ち上がるが、

「いいえ、たまには私も体を動かさないとなりませんから。それにアナタにはこれから先にお力を貸していただくことになりそうですし」

 男はそう言って前へと移動して(ほろ)をめくると、馬車の手綱(たづな)を握る馭者(ぎょしゃ)に向けて言った。

「すみません、ここで少し止まってください」

 馭者(ぎょしゃ)が馬車を止めると男は馬車から飛び降り、鬱蒼と茂る森林地帯の方に目を向ける。

「それでは今回は見物させていただきます」

 馬車の中から女性が顔をのぞかせる。

「フフフ、これはなかなかのプレッシャーですね」

 男は道を抜けて何も無い原っぱに立つと、背中を向けたままそうもらした。

 そして彼は森林の方を見つめながらじっとたたずむ。

 刹那、風もないはずなのに男の黒いローブがふわりとなびく。

 その時、森林の中から人影が飛び出すとそれはものすごい速さで男たちのいる方へと猛進して来る。

 それは長い金色の髪をざんばらに乱し、碧い瞳を血走らせている少女と、その少女の体にしがみつき、それを必死に止めようとしているマルーン色の髪を後ろで結んだ若い女性だった。

「アンタ、あぶないよ! 早く逃げて!!」

 目の前に立つ男の姿を見て、マルーン色の髪の女性が必死の形相で呼びかける。

「少々荒治療となりますが……」

 しかし男はそれでも動かず、ゆったりと腰を落としてゆく。

()ぁぁぁぁぁ……」

 そして丹田(たんでん)と呼ばれる体の中心に力を溜めこむために、ゆっくりと深い呼吸をする。

 その間にも理性を失っている金色少女は猛獣のごとく勢いで男との間合いを詰める。

「あぶないッ!!」

 マルーン色の髪の女性が叫び、目を閉じる。

 と、その時だった――

()ッッッ!!!」

 まるで腹の中で練り上げた球体を放出するかのように男が少女に向けて茶色の指抜き手甲(グローブ)がついた右手で掌底を突き出すと、

「ぐはあぁぁぁぁぁッッッ!!!」

 掌底が触れてもいないのに少女の腹部に衝撃が走ると、その体はそれにしがみついている女性もろとも高々と舞い上がり、後方へと押し戻されるのだった。

「え? ええええええええええええええッッッ!?」

 信じられない現象を目の当たりにした女性は、宙を舞いながら目を(しばたた)かせる。

 しかし二人はすぐに男に抱き抱えられると、ふわりとまるで羽のように舞い降りる。

「手荒なマネをしてすみませんでしたね、お嬢さんたち」

 まるで何事も無かったかのように男が言うと、女性をその場に降ろす。
 金髪の少女の方は気を失っているようで、先程までの鬼気迫る表情と打って変わって穏やかな寝顔を浮かべていた。

「あ、ありがとう……。でも、アンタは一体……?」

 女性は礼を述べながらも、常人では決してあり得ない男の強さに警戒を禁じ得なかった。

「私ですか? 私はただの旅の商人です」

 陰気な面持ちと低くくぐもった声で、男はそう答える。先ほど掌底を放った右手の手甲(グローブ)には、渦巻を(かたど)った紋が煌々と輝いていた。



「またしても血の衝動に駆られて我を失うなど……不覚ですわッ!!」

 馬車の中で目を覚ました金色の髪の少女は、連れ合いから事情を聞くや否や、苦渋を顔ににじませながらそう叫んだ。

「『聖痕使い(スティグマータ)』としての力に目覚めたのだから、もう『吸血者(ドラキュリアン)』としての吸血衝動は訪れないものだと思いこんでおりました。ですが、全然違いましたわ!」
「ララは定期的にアタシに血をわけてくれたしね。余計に血が足りなくなっちゃったんだね」

 少女の隣で彼女の手を握りながら、マルーン色の髪の女性が(いたわ)る。

「本来わたくしが血の契約を結んだアナタを責任もって養わなければならないはずなのに、わたくしの方が助けられてしまっているのでは本末転倒! ああ、わたくしの完璧なるハーレム計画に早くも綻びが生じてしまいましたわ!!」

 少女は――ララは思い通りにならない事態に焦燥が募る。

 本来であれば主である『聖痕使い(スティグマータ)』がその眷族である『吸血者(ドラキュリアン)』に定期的に血を提供することによって、血の需要と供給が循環してゆくはずであった。
 しかし、ララの場合は『聖痕使い(スティグマータ)』である彼女本人に『吸血者(ドラキュリアン)』と同様の吸血衝動が発症してしまっているために、その循環が完全に滞ってしまっているのだ。

「そう言えばあのクソブリテン野郎が――紫紺騎士団のリオが言っておりましたわ。わたくしは『聖痕使い(スティグマータ)』と『吸血者(ドラキュリアン)』両方の特性を有していると。不完全なのだ、と……。それはこういうことでしたのね」

 ララは仇敵のことを思い出し、いら立ちを抑えきれずに握った手に自然と力がこもる。

「まあ、その事はまた後で話し合うとしてさ。とりあえずはお互いの無事をよろこぼうよ」
「そうですわね……」

 伴侶であるミレーヌの言葉に、ララはコクリとうなずく。

「そういえば、もう衝動がすっかり治ってますが、ミレーヌが血を分けてくださったんですの?」
「いいや、アンタの暴走を止めてくれた人がさ、飲ませてくれたんだよ。血の衝動を抑える薬を」
「血の衝動を抑える薬……?」

 ララは首をかしげる。

 そのようなものが存在するなど、これまで聞いたこともなかった。そもそも血の衝動に駆られる者自体がかなり限られるはずなのに、そのためだけに薬が作られることなどあり得るのだろうか?

 しかし、実際に彼女はすっかり平静を取り戻しており、ミレーヌの言うことが本当であればその薬が効いたことになる。

「ともかく、その方に礼を述べなくてはなりませんわね」

 そう言って(ほろ)をめくると、広大な平野と農場が延々と広がる牧歌的な光景が目に映る。

 そしてしばらくすると、馬車は静かに停止した。
 どうやら小休憩をとるようだ。

 そしてララとミレーヌは馬車を降り、件の男の元を訪ねた。

 

 


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 若干の冷気を|孕《はら》んだ秋風がそよぐ丘陵を、馬車の隊列が落葉を巻き上げながら駆け登って行く。
 やがて車輪が|軋《きし》むと、馬車はやや後ろに傾きだす。
「このまま何事も無ければ、あと十日ほどでコリンヴェルトに到着出来そうですね」
 先頭を行く|幌馬車《ほろばしゃ》の中で床に腰かけ、絶え間無い振動に身を任せながら猫背の男が向かいに座る女性に向けて言う。
 男はただでさえ|矮躯《わいく》であるのにその上、|胡座《あぐら》をかいて身を屈めているものだから、まるで岩がそこに鎮座しているようにしか見えなかった。
「そうですね。何事も無ければ、ですけど」
 対して話しかけられた女性の方は、黒を基調とした|女中《メイド》服をピッタリと着こなし、ピンと背筋を伸ばして正座をしており、まったく正反対の印象だった。
「まあ、何事も無かったなら本当はもうニ、三日くらい早くここに来てたはずですからね。この先もきっと様々な困難が|両手《もろて》を挙げて迎えてくれることでしょう」
「いいですね。退屈しなさそうです」
 二人はそう言うとかすかに笑う。
「……おや?」
 刹那、男が陰気をまとった顔をわずかに上げる。
 その左眼には黒い眼帯が巻かれており、頬には縦に刻まれた深い傷が存在感を放っている。
 その物々しい容貌から放たれる眼光は、馬車の外へと向けられる。
「めずらしい方がおいでのようですね」
 |女中《メイド》服の女性の方も、何かに気づいたようにそうつぶやく。
「ええ。ひとり……いや、二人でしょうか? すごい速さです」
 男はそう言ってすっくと立ち上がる。その顔からもう笑みは消え失せていた。
「私が参ります。そのための契約ですから」
 それを制するように女性の方も立ち上がるが、
「いいえ、たまには私も体を動かさないとなりませんから。それにアナタにはこれから先にお力を貸していただくことになりそうですし」
 男はそう言って前へと移動して|幌《ほろ》をめくると、馬車の|手綱《たづな》を握る|馭者《ぎょしゃ》に向けて言った。
「すみません、ここで少し止まってください」
 |馭者《ぎょしゃ》が馬車を止めると男は馬車から飛び降り、鬱蒼と茂る森林地帯の方に目を向ける。
「それでは今回は見物させていただきます」
 馬車の中から女性が顔をのぞかせる。
「フフフ、これはなかなかのプレッシャーですね」
 男は道を抜けて何も無い原っぱに立つと、背中を向けたままそうもらした。
 そして彼は森林の方を見つめながらじっとたたずむ。
 刹那、風もないはずなのに男の黒いローブがふわりとなびく。
 その時、森林の中から人影が飛び出すとそれはものすごい速さで男たちのいる方へと猛進して来る。
 それは長い金色の髪をざんばらに乱し、碧い瞳を血走らせている少女と、その少女の体にしがみつき、それを必死に止めようとしているマルーン色の髪を後ろで結んだ若い女性だった。
「アンタ、あぶないよ! 早く逃げて!!」
 目の前に立つ男の姿を見て、マルーン色の髪の女性が必死の形相で呼びかける。
「少々荒治療となりますが……」
 しかし男はそれでも動かず、ゆったりと腰を落としてゆく。
「|呵《か》ぁぁぁぁぁ……」
 そして|丹田《たんでん》と呼ばれる体の中心に力を溜めこむために、ゆっくりと深い呼吸をする。
 その間にも理性を失っている金色少女は猛獣のごとく勢いで男との間合いを詰める。
「あぶないッ!!」
 マルーン色の髪の女性が叫び、目を閉じる。
 と、その時だった――
「|発《ハ》ッッッ!!!」
 まるで腹の中で練り上げた球体を放出するかのように男が少女に向けて茶色の指抜き|手甲《グローブ》がついた右手で掌底を突き出すと、
「ぐはあぁぁぁぁぁッッッ!!!」
 掌底が触れてもいないのに少女の腹部に衝撃が走ると、その体はそれにしがみついている女性もろとも高々と舞い上がり、後方へと押し戻されるのだった。
「え? ええええええええええええええッッッ!?」
 信じられない現象を目の当たりにした女性は、宙を舞いながら目を|瞬《しばたた》かせる。
 しかし二人はすぐに男に抱き抱えられると、ふわりとまるで羽のように舞い降りる。
「手荒なマネをしてすみませんでしたね、お嬢さんたち」
 まるで何事も無かったかのように男が言うと、女性をその場に降ろす。
 金髪の少女の方は気を失っているようで、先程までの鬼気迫る表情と打って変わって穏やかな寝顔を浮かべていた。
「あ、ありがとう……。でも、アンタは一体……?」
 女性は礼を述べながらも、常人では決してあり得ない男の強さに警戒を禁じ得なかった。
「私ですか? 私はただの旅の商人です」
 陰気な面持ちと低くくぐもった声で、男はそう答える。先ほど掌底を放った右手の|手甲《グローブ》には、渦巻を|象《かたど》った紋が煌々と輝いていた。
「またしても血の衝動に駆られて我を失うなど……不覚ですわッ!!」
 馬車の中で目を覚ました金色の髪の少女は、連れ合いから事情を聞くや否や、苦渋を顔ににじませながらそう叫んだ。
「『|聖痕使い《スティグマータ》』としての力に目覚めたのだから、もう『|吸血者《ドラキュリアン》』としての吸血衝動は訪れないものだと思いこんでおりました。ですが、全然違いましたわ!」
「ララは定期的にアタシに血をわけてくれたしね。余計に血が足りなくなっちゃったんだね」
 少女の隣で彼女の手を握りながら、マルーン色の髪の女性が|慰《いたわ》る。
「本来わたくしが血の契約を結んだアナタを責任もって養わなければならないはずなのに、わたくしの方が助けられてしまっているのでは本末転倒! ああ、わたくしの完璧なるハーレム計画に早くも綻びが生じてしまいましたわ!!」
 少女は――ララは思い通りにならない事態に焦燥が募る。
 本来であれば主である『|聖痕使い《スティグマータ》』がその眷族である『|吸血者《ドラキュリアン》』に定期的に血を提供することによって、血の需要と供給が循環してゆくはずであった。
 しかし、ララの場合は『|聖痕使い《スティグマータ》』である彼女本人に『|吸血者《ドラキュリアン》』と同様の吸血衝動が発症してしまっているために、その循環が完全に滞ってしまっているのだ。
「そう言えばあのクソブリテン野郎が――紫紺騎士団のリオが言っておりましたわ。わたくしは『|聖痕使い《スティグマータ》』と『|吸血者《ドラキュリアン》』両方の特性を有していると。不完全なのだ、と……。それはこういうことでしたのね」
 ララは仇敵のことを思い出し、いら立ちを抑えきれずに握った手に自然と力がこもる。
「まあ、その事はまた後で話し合うとしてさ。とりあえずはお互いの無事をよろこぼうよ」
「そうですわね……」
 伴侶であるミレーヌの言葉に、ララはコクリとうなずく。
「そういえば、もう衝動がすっかり治ってますが、ミレーヌが血を分けてくださったんですの?」
「いいや、アンタの暴走を止めてくれた人がさ、飲ませてくれたんだよ。血の衝動を抑える薬を」
「血の衝動を抑える薬……?」
 ララは首をかしげる。
 そのようなものが存在するなど、これまで聞いたこともなかった。そもそも血の衝動に駆られる者自体がかなり限られるはずなのに、そのためだけに薬が作られることなどあり得るのだろうか?
 しかし、実際に彼女はすっかり平静を取り戻しており、ミレーヌの言うことが本当であればその薬が効いたことになる。
「ともかく、その方に礼を述べなくてはなりませんわね」
 そう言って|幌《ほろ》をめくると、広大な平野と農場が延々と広がる牧歌的な光景が目に映る。
 そしてしばらくすると、馬車は静かに停止した。
 どうやら小休憩をとるようだ。
 そしてララとミレーヌは馬車を降り、件の男の元を訪ねた。