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11.獅子の耳に念仏 2

ー/ー



 初聴講の日はちょっとした騒ぎになった。
 
 ムツミはジャポネスク・シティ唯一の総合大学の教育学部、初等教育科の奨学生である。学生の三分の二は女学生で、文学部同様、割合明るく、華やかな雰囲気のキャンパスが自慢の構内。
 そこに――
 ああ、どうしよう。
 大きな階段状の講義室。その一番後ろの席でムツミは頭を抱えた。
 目立っている。
 それもものすごく。
 当然だ。小柄なムツミの横で、坐っていても雄渾な体格をさらし、わしゃわしゃの豪華な金髪を傾けて不思議そうに補助テキストを捲っているのは、ワイルドな魅力垂れ流しの美丈夫なのである。
 そりゃ少しは予想してたけど、まさかこんなに注目の的になるなんて――
 半分ほど埋まった座席。そこに座った学生たちが、ある者は百八十度も体を捻って自分達――正確には、レオを見ていた。その多くを占める女子学生たちの視線が重い。
 
 誰? あの人。ステキねぇ。
 私見たことあるわ。時々正門の近くにいるのよ。
 うん知ってる。あの隣の子を待ってるのよ。あの子、カタブツて有名なムツミ・タカトウでしょ? 彼の恋人なのかしら?
 だったらお笑いね。どう見ても釣り合ってないもの。だけど、あの人、今まで学内で見たことないけど、うちの学生だったのかしら? そうだといいわね。
 さぁ。噂ではゴシック・シテイでモデルしてるんだってよ。
 やっぱりねぇ。そんな感じ
 うんうん。講義が終わったら声をかけてみない?
 きゃあ! いいわね! お茶にでも付き合ってくれるかしら?
 
「……」
 耳がいいので、自分たちに向けられて交わされる会話の殆どは聞こえるレオだが、その中身はほとんど理解できなかった。ちなみにモデルなどやったことはない。それがどんな職業なのかも、そもそも職名なのだと言う事すら知らない。
「……レオ君?」
「何だ」
 レオは、はっとして自分の小さなつがいを振り返った。気遣わしそうな大きな目を前にして、途端に顔が蕩けた。
「ごめんね、うるさくて。もうすぐ先生が来るの。そうしたらみんな静かになるから我慢してね」
 申し訳なさそうにムツミが言った。注目され過ぎたので、ムツミはムツミでレオに気を使っているのだ。
「この学部は女の子が多いから、レオ君がめずらしいのよ。ごめんね?」
「なんで謝る? 無理を言ったのは俺の方なのに」
「でも……勉強したくて来てるのに……あ、あれが教授だよ! この教授のお講義は難しいんだけど、私は好きなの。ちゃんと勉強しようね」
「始めます。テキストG -56を開いて」
 眼光鋭い教授の後ろでモニタが緑色に発光する。
 ムツミは、あっという間に勉学の徒になった。その瞳は、すり鉢状の教室の底に立つ教授に吸い寄せられ、その指は自分の端末に添えられて、彼の言葉を聞き逃すまいと小鳥の羽のように動いた。
 児童発達心理学。
 それがこの講義の名だった。
 
 レオは考える。
 つがいを得た野人にとって、人間社会は試練と苦難の連続だ。
 先日は、ムツミの学友の男に殺意を覚えるほど嫉妬し、そいつを牽制つつ、一緒にいられる時間を少しでも増やそうと、柄にもなく天麩羅学生になった。
 しかし、なったはいいが、今度はキョウジュとか言う中年男に敵意を抱かなくてはならない。目を輝かせて小難しい話に夢中になっている、ムツミの視線を彼から引き剥がしたくて堪らないのにそれをやってはいけないのだ。
 人間をつがいと見とめた野人の雄は、かくも辛い目に遭わなくてはならないのか。
 レオは深いため息をつき、少しでもムツミの目指す世界を理解しようと腹を括った。
 三項関係、共鳴動作、模倣、定型発達と非定型発達……
 レオにとって、ほとんど何語だか分らぬ話がやっと終わる。
 律儀にレオは、できる範囲で自分の端末にノートも取った。少しでもムツミに評価されたいためだ。
「レオ君、ご苦労様。うふふ……疲れた顔してるね」
「ああ……疲れた」
「お茶でも飲む? 驕るよ」
 珍しく元気のなさそうなレオを、少し休憩させてやろうと、ムツミは、この棟のカフェテリアに連れて行く為に教室を出た途端、わっと女学生たちに囲まれた。
 講義が終わって二人が出てくるのを、今か今かと待ち構えていたのだ。
「あなた知ってるわ! 時々正門のところにいたでしょ?」
「名前教えて? どこに住んでるの?」
「ここの学生なの? いろいろ聞きたいな。この後私たちとお茶でもどう?」
「う……」
 遠慮呵責のない女学生たちに囲まれてレオが戸惑っている間に、ムツミはいいように弾き出されてしまう。普段バイト三昧でロクに友達を作ってこなかった結果、こういう時に味方をしてくれる同性の友人がいないことが災いしたのだ。
「うわ……すでに何重にも人垣が……こりゃ、私の出番はないなぁ……」
 ムツミが諦めて、外でレオを待とうと思った時、
「すごいね、彼」
 背後から穏やかな声が掛けられた。
「あ! タツミ君」
「やぁ。さっき君の隣に座ろうと思ったら、彼がいたんで遠慮したんだよ」
「あ……ちっとも気が付かなかった……それどころじゃなかったかも。でもなんで? 遠慮なんかしないで隣に来てくれたらよかったのに。レオ君にも紹介できたし」
「レオっていうの? 彼。ライオンって意味だよね」
「ライオン? それって旧世界で百獣の王って言われてた動物だよね?」
「うん、彼にぴったりの名前だ。すごくかっこいいし、背も高い。僕とは大違いだ」
 タツミは貧相な自分の胸筋を情けなさそうに叩いた。
「タツミ君はそれでいいよ。先生になるのに体格はそんなに関係ないし。それにレオ君は確かにかっこいいけど、中身はすごく優しいいい子なんだよ」
 優しいいい子、と評されてレオが喜ぶかどうかはともかく、ムツミは心から新しい友人を褒めている。
「重いものをいつも持ってくれたり、風邪ひいた時にはお医者へ連れて行ってくれたり」
「へぇ、頼もしい友達ができたんだねぇ。なんで知り合ったの?」
 タツミの質問にムツミはハタと考え込んだ。
「……そう言えばなんでかな? 急に友達になってくださいって言われて、最初はすごくびっくりしたんだけど……話している内にとってもいい人だって分かったんだよ。彼、この街は初めてらしくて、いろいろ知らないことが多いようだったし」
「……へぇ~」
 それは婉曲な告白だったんじゃ……と、ムツミと同じくらい、色ごとに疎いタツミでさえ思った。
「それに勉強熱心なんだよ。今まで勉強する機会がなかったって言って、ウチの聴講生になったの」
「……そりゃすごいね。彼教師志望なのかい?」
 絶対違うと確信しながらタツミは尋ねた。
「さぁ。それはないと思うけど」
 だって職業がハンターなんだし、とはムツミは言わなかった。そもそもハンターと言うものの事をよく知らない。
「だけどやっぱりと言うか、当然と言うか、すごく目立つんだなぁ。勝手に帰ると後で困るかもしれないから、外で待っていようかな。っていうか、あんなに一杯女の子たちに囲まれてたんじゃ、もう私じゃなくてもいいかもしれないし……」
 ムツミは少し寂しそうに呟いた。
「レオ君友だち欲しがってたから……ここじゃ私なんかより気の利いた人、いっぱいいるもんね」
「待っていてあげなよ? きっと彼もタカトウさんに待っていて欲しいって思っているよ。いろいろ初めてなんだろう?」
 タツミは同性ならではの助け舟を出す。レオが聞いたらどう思うのだろうか?
「そうね、ありがと。タツミ君はこれからどうするの? 帰る? 私はここでぶらぶら時間つぶそうかな?」
「僕も付き合うよ。さっきの講義の事で君の意見も聞きたいし……」
「いいね。面白かったよね」
「いくら世の中が進んでも、子どもの発達ってのはきっと旧世界から変わらないんだと思う」
「うんうん。この分野では医学より、教育の可能性の方に期待できるってのも、いいよね」
 根っから真面目で、専攻が同じ二人の会話は固いなりに盛り上がる。
「でも理論は実践に追いつかないんじゃないかなって、私は思ってる」
「そうだね。タカトウさんの実習はいつから?」
「来週から! 今からすごく楽しみなの」
「僕は一度行ったから分かるんだけど、楽しいだけじゃないよ。現場ってすごく大変なんだ。相当ガンバらなゃきゃ」
 タツミは、ぽんとムツミの背を叩いた。
「君ならきっと……うわ!」
「きゃあ!」
 突然タツミの体が宙に持ち上がったかと思うと、背後の地面に叩きつけられるようにどさりと落ちた。
「な、何?」
 ムツミの前に立っているのは、顔を真っ赤にしたレオだった。
 
「レオ君!」
「……」
「いってぇ……」
「タツミ君! しっかりして!」
 慌ててムツミは転がったまま、立てないでいるタツミに駆け寄り、半身を起こしてやる。
「ぐ、|眼鏡(グラス)は……」
「大丈夫!? グラスはここだよ……すぐ医務室に」
「ムツミ!」
「レオ君!」
 今まで聞いたこともない厳しいムツミの声に、レオはびくりと固まった。
「酷い、酷いよ! どうしてこんな事するの!」
「こいつは、ムツミを叩いた!」
 あくまで正当性を主張するレオにムツミの怒りが爆発する。
「叩いてない! タツミ君はただ励ましてくれただけなのに! なんでこんな乱暴を……嫌い! こんなレオ君嫌いよ。タツミ君に謝って!」
「!」
 黄金(きん)の瞳が愕然と見開かれた。
 キライ……嫌い?
 ムツミが、俺を、 
 嫌いだと――
 いつも機嫌がよさそうなグラスの向こうの大きなたれ目が、心もち吊り上ってレオを睨みつけている。普段穏やかな人間が怒ると、大変に恐いものである。ぷっくりとした唇は、微笑の影さえ消え失せて、ぎゅ、と引き結ばれている。
「あ――」
 ガクガクとレオはつがいから目を逸らした。膝が小刻みに震える。これ以上睨まれ、罵倒されたら心肺が停止する可能性があった。衝撃が激しすぎて涙を出す機能さえ働かない。
 そして、目を逸らせた先に「よっこらしょ」と、謎のような言葉を吐きながら立ち上がろうとする小柄な青年。
 目が合う。
 おかげで昏倒せずに済んだ。
 他の雄の前で、そんな無様な事だけはできない。
 コイツに謝れとムツミは言っていた。大いに不本意だが、そうするしかない。それによく気を付けて見れば、この男からは、さほど強い雄の臭いは漂ってこない。
「す、済まん……」
 これ以外の謝り方を知らないので、レオは何とやらの一つ覚えのようにそう言って、青年に手を貸してや立たせてやった。
「大丈夫です。びっくりしただけで怪我とかしてないですよ」
 タツミはぽんぽんと衣服を掃いながら尋ねた。もういつもの彼である。
「そ、そうか。済まねぇ」
「君初めて大学(がっこう)に来たんでしょ?」
「知ってるのか?」
「知ってますよ。名前だって……レオ君」
「え?」
「ははは、実は今さっきタカトウさんに聞いたんだ。ね?」
 タツミがパンパンと服を払いながら、ムツミの方を向いた。
「え? あ……うん」
「タカトウさんが嬉しそうに他人の事を話すのは、意外に珍しいんだよ」
「……」
 ムツミはまだ険しい顔でレオを睨んでいる。
「もう怒らないでやってよ。彼だってちゃんと謝ってくれたし。よく分からないけど、なんか誤解があったんだよ」
 タツミは二人の間に立って取りなした。取りなさざるを得ないほど、しょげかえっている男が余りに気の毒になったのだ。
「ホント? レオ君、もうしない?」
「しない……」
 大きな体を縮こまらせてレオが頷く。
「そう……分かった。でもタツミ君、ごめんね? レオ君多分悪気はないんだけど……」
「いいよ。でもタカトウさん、ちょっとだけ向こうで待っててくれるかな? 彼と少しだけ話がしたいんだ」
 タツミが二人を見比べながら言った。
「え?」
「すぐ済むよ。そうだ、あの角の木のところで待ってて」
「あ……うん。分かった」
 少しだけ心配そうな顔をして、しかし、ムツミは素直に三十メートルほど離れた、枝ぶりの美しい木に向かって歩いて行った。 
「さて、レオ君」
「なんだ?」
 レオは些か警戒しながら、人間の青年に応えた。
「君、タカトウさんの事が好きなんだろう。しかも片想い」
「!」
 野人が顎を引く。
 この人間、なんで俺のつがいの事を知ってんだ!?
 
 ――いや、バレバレだから。
 




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 そこに――
 ああ、どうしよう。
 大きな階段状の講義室。その一番後ろの席でムツミは頭を抱えた。
 目立っている。
 それもものすごく。
 当然だ。小柄なムツミの横で、坐っていても雄渾な体格をさらし、わしゃわしゃの豪華な金髪を傾けて不思議そうに補助テキストを捲っているのは、ワイルドな魅力垂れ流しの美丈夫なのである。
 そりゃ少しは予想してたけど、まさかこんなに注目の的になるなんて――
 半分ほど埋まった座席。そこに座った学生たちが、ある者は百八十度も体を捻って自分達――正確には、レオを見ていた。その多くを占める女子学生たちの視線が重い。
 誰? あの人。ステキねぇ。
 私見たことあるわ。時々正門の近くにいるのよ。
 うん知ってる。あの隣の子を待ってるのよ。あの子、カタブツて有名なムツミ・タカトウでしょ? 彼の恋人なのかしら?
 だったらお笑いね。どう見ても釣り合ってないもの。だけど、あの人、今まで学内で見たことないけど、うちの学生だったのかしら? そうだといいわね。
 さぁ。噂ではゴシック・シテイでモデルしてるんだってよ。
 やっぱりねぇ。そんな感じ
 うんうん。講義が終わったら声をかけてみない?
 きゃあ! いいわね! お茶にでも付き合ってくれるかしら?
「……」
 耳がいいので、自分たちに向けられて交わされる会話の殆どは聞こえるレオだが、その中身はほとんど理解できなかった。ちなみにモデルなどやったことはない。それがどんな職業なのかも、そもそも職名なのだと言う事すら知らない。
「……レオ君?」
「何だ」
 レオは、はっとして自分の小さなつがいを振り返った。気遣わしそうな大きな目を前にして、途端に顔が蕩けた。
「ごめんね、うるさくて。もうすぐ先生が来るの。そうしたらみんな静かになるから我慢してね」
 申し訳なさそうにムツミが言った。注目され過ぎたので、ムツミはムツミでレオに気を使っているのだ。
「この学部は女の子が多いから、レオ君がめずらしいのよ。ごめんね?」
「なんで謝る? 無理を言ったのは俺の方なのに」
「でも……勉強したくて来てるのに……あ、あれが教授だよ! この教授のお講義は難しいんだけど、私は好きなの。ちゃんと勉強しようね」
「始めます。テキストG -56を開いて」
 眼光鋭い教授の後ろでモニタが緑色に発光する。
 ムツミは、あっという間に勉学の徒になった。その瞳は、すり鉢状の教室の底に立つ教授に吸い寄せられ、その指は自分の端末に添えられて、彼の言葉を聞き逃すまいと小鳥の羽のように動いた。
 児童発達心理学。
 それがこの講義の名だった。
 レオは考える。
 つがいを得た野人にとって、人間社会は試練と苦難の連続だ。
 先日は、ムツミの学友の男に殺意を覚えるほど嫉妬し、そいつを牽制つつ、一緒にいられる時間を少しでも増やそうと、柄にもなく天麩羅学生になった。
 しかし、なったはいいが、今度はキョウジュとか言う中年男に敵意を抱かなくてはならない。目を輝かせて小難しい話に夢中になっている、ムツミの視線を彼から引き剥がしたくて堪らないのにそれをやってはいけないのだ。
 人間をつがいと見とめた野人の雄は、かくも辛い目に遭わなくてはならないのか。
 レオは深いため息をつき、少しでもムツミの目指す世界を理解しようと腹を括った。
 三項関係、共鳴動作、模倣、定型発達と非定型発達……
 レオにとって、ほとんど何語だか分らぬ話がやっと終わる。
 律儀にレオは、できる範囲で自分の端末にノートも取った。少しでもムツミに評価されたいためだ。
「レオ君、ご苦労様。うふふ……疲れた顔してるね」
「ああ……疲れた」
「お茶でも飲む? 驕るよ」
 珍しく元気のなさそうなレオを、少し休憩させてやろうと、ムツミは、この棟のカフェテリアに連れて行く為に教室を出た途端、わっと女学生たちに囲まれた。
 講義が終わって二人が出てくるのを、今か今かと待ち構えていたのだ。
「あなた知ってるわ! 時々正門のところにいたでしょ?」
「名前教えて? どこに住んでるの?」
「ここの学生なの? いろいろ聞きたいな。この後私たちとお茶でもどう?」
「う……」
 遠慮呵責のない女学生たちに囲まれてレオが戸惑っている間に、ムツミはいいように弾き出されてしまう。普段バイト三昧でロクに友達を作ってこなかった結果、こういう時に味方をしてくれる同性の友人がいないことが災いしたのだ。
「うわ……すでに何重にも人垣が……こりゃ、私の出番はないなぁ……」
 ムツミが諦めて、外でレオを待とうと思った時、
「すごいね、彼」
 背後から穏やかな声が掛けられた。
「あ! タツミ君」
「やぁ。さっき君の隣に座ろうと思ったら、彼がいたんで遠慮したんだよ」
「あ……ちっとも気が付かなかった……それどころじゃなかったかも。でもなんで? 遠慮なんかしないで隣に来てくれたらよかったのに。レオ君にも紹介できたし」
「レオっていうの? 彼。ライオンって意味だよね」
「ライオン? それって旧世界で百獣の王って言われてた動物だよね?」
「うん、彼にぴったりの名前だ。すごくかっこいいし、背も高い。僕とは大違いだ」
 タツミは貧相な自分の胸筋を情けなさそうに叩いた。
「タツミ君はそれでいいよ。先生になるのに体格はそんなに関係ないし。それにレオ君は確かにかっこいいけど、中身はすごく優しいいい子なんだよ」
 優しいいい子、と評されてレオが喜ぶかどうかはともかく、ムツミは心から新しい友人を褒めている。
「重いものをいつも持ってくれたり、風邪ひいた時にはお医者へ連れて行ってくれたり」
「へぇ、頼もしい友達ができたんだねぇ。なんで知り合ったの?」
 タツミの質問にムツミはハタと考え込んだ。
「……そう言えばなんでかな? 急に友達になってくださいって言われて、最初はすごくびっくりしたんだけど……話している内にとってもいい人だって分かったんだよ。彼、この街は初めてらしくて、いろいろ知らないことが多いようだったし」
「……へぇ~」
 それは婉曲な告白だったんじゃ……と、ムツミと同じくらい、色ごとに疎いタツミでさえ思った。
「それに勉強熱心なんだよ。今まで勉強する機会がなかったって言って、ウチの聴講生になったの」
「……そりゃすごいね。彼教師志望なのかい?」
 絶対違うと確信しながらタツミは尋ねた。
「さぁ。それはないと思うけど」
 だって職業がハンターなんだし、とはムツミは言わなかった。そもそもハンターと言うものの事をよく知らない。
「だけどやっぱりと言うか、当然と言うか、すごく目立つんだなぁ。勝手に帰ると後で困るかもしれないから、外で待っていようかな。っていうか、あんなに一杯女の子たちに囲まれてたんじゃ、もう私じゃなくてもいいかもしれないし……」
 ムツミは少し寂しそうに呟いた。
「レオ君友だち欲しがってたから……ここじゃ私なんかより気の利いた人、いっぱいいるもんね」
「待っていてあげなよ? きっと彼もタカトウさんに待っていて欲しいって思っているよ。いろいろ初めてなんだろう?」
 タツミは同性ならではの助け舟を出す。レオが聞いたらどう思うのだろうか?
「そうね、ありがと。タツミ君はこれからどうするの? 帰る? 私はここでぶらぶら時間つぶそうかな?」
「僕も付き合うよ。さっきの講義の事で君の意見も聞きたいし……」
「いいね。面白かったよね」
「いくら世の中が進んでも、子どもの発達ってのはきっと旧世界から変わらないんだと思う」
「うんうん。この分野では医学より、教育の可能性の方に期待できるってのも、いいよね」
 根っから真面目で、専攻が同じ二人の会話は固いなりに盛り上がる。
「でも理論は実践に追いつかないんじゃないかなって、私は思ってる」
「そうだね。タカトウさんの実習はいつから?」
「来週から! 今からすごく楽しみなの」
「僕は一度行ったから分かるんだけど、楽しいだけじゃないよ。現場ってすごく大変なんだ。相当ガンバらなゃきゃ」
 タツミは、ぽんとムツミの背を叩いた。
「君ならきっと……うわ!」
「きゃあ!」
 突然タツミの体が宙に持ち上がったかと思うと、背後の地面に叩きつけられるようにどさりと落ちた。
「な、何?」
 ムツミの前に立っているのは、顔を真っ赤にしたレオだった。
「レオ君!」
「……」
「いってぇ……」
「タツミ君! しっかりして!」
 慌ててムツミは転がったまま、立てないでいるタツミに駆け寄り、半身を起こしてやる。
「ぐ、|眼鏡(グラス)は……」
「大丈夫!? グラスはここだよ……すぐ医務室に」
「ムツミ!」
「レオ君!」
 今まで聞いたこともない厳しいムツミの声に、レオはびくりと固まった。
「酷い、酷いよ! どうしてこんな事するの!」
「こいつは、ムツミを叩いた!」
 あくまで正当性を主張するレオにムツミの怒りが爆発する。
「叩いてない! タツミ君はただ励ましてくれただけなのに! なんでこんな乱暴を……嫌い! こんなレオ君嫌いよ。タツミ君に謝って!」
「!」
 |黄金《きん》の瞳が愕然と見開かれた。
 キライ……嫌い?
 ムツミが、俺を、 
 嫌いだと――
 いつも機嫌がよさそうなグラスの向こうの大きなたれ目が、心もち吊り上ってレオを睨みつけている。普段穏やかな人間が怒ると、大変に恐いものである。ぷっくりとした唇は、微笑の影さえ消え失せて、ぎゅ、と引き結ばれている。
「あ――」
 ガクガクとレオはつがいから目を逸らした。膝が小刻みに震える。これ以上睨まれ、罵倒されたら心肺が停止する可能性があった。衝撃が激しすぎて涙を出す機能さえ働かない。
 そして、目を逸らせた先に「よっこらしょ」と、謎のような言葉を吐きながら立ち上がろうとする小柄な青年。
 目が合う。
 おかげで昏倒せずに済んだ。
 他の雄の前で、そんな無様な事だけはできない。
 コイツに謝れとムツミは言っていた。大いに不本意だが、そうするしかない。それによく気を付けて見れば、この男からは、さほど強い雄の臭いは漂ってこない。
「す、済まん……」
 これ以外の謝り方を知らないので、レオは何とやらの一つ覚えのようにそう言って、青年に手を貸してや立たせてやった。
「大丈夫です。びっくりしただけで怪我とかしてないですよ」
 タツミはぽんぽんと衣服を掃いながら尋ねた。もういつもの彼である。
「そ、そうか。済まねぇ」
「君初めて|大学《がっこう》に来たんでしょ?」
「知ってるのか?」
「知ってますよ。名前だって……レオ君」
「え?」
「ははは、実は今さっきタカトウさんに聞いたんだ。ね?」
 タツミがパンパンと服を払いながら、ムツミの方を向いた。
「え? あ……うん」
「タカトウさんが嬉しそうに他人の事を話すのは、意外に珍しいんだよ」
「……」
 ムツミはまだ険しい顔でレオを睨んでいる。
「もう怒らないでやってよ。彼だってちゃんと謝ってくれたし。よく分からないけど、なんか誤解があったんだよ」
 タツミは二人の間に立って取りなした。取りなさざるを得ないほど、しょげかえっている男が余りに気の毒になったのだ。
「ホント? レオ君、もうしない?」
「しない……」
 大きな体を縮こまらせてレオが頷く。
「そう……分かった。でもタツミ君、ごめんね? レオ君多分悪気はないんだけど……」
「いいよ。でもタカトウさん、ちょっとだけ向こうで待っててくれるかな? 彼と少しだけ話がしたいんだ」
 タツミが二人を見比べながら言った。
「え?」
「すぐ済むよ。そうだ、あの角の木のところで待ってて」
「あ……うん。分かった」
 少しだけ心配そうな顔をして、しかし、ムツミは素直に三十メートルほど離れた、枝ぶりの美しい木に向かって歩いて行った。 
「さて、レオ君」
「なんだ?」
 レオは些か警戒しながら、人間の青年に応えた。
「君、タカトウさんの事が好きなんだろう。しかも片想い」
「!」
 野人が顎を引く。
 この人間、なんで俺のつがいの事を知ってんだ!?
 ――いや、バレバレだから。