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ー/ー解散したあと、安立は萱島に麻生、宮本、小林の通話履歴を持ってこさせた。思考の影に隠れた何かが、徐々に光を当てられて輪郭がはっきりと見え始める感覚が、全身を襲う。
「なあ、文ちゃん。これ、おかしくないか?」
萱島がそれぞれの履歴を見比べているが、何がどうおかしいのか分からないらしい。
「宮本の履歴に、小林の履歴には宮本への履歴があらへん」
萱島が短い声を上げた。
「ほんまですね。融資のやり取りをしてたはずやのに」
アーバネットへの履歴は確かに残っている。しかし今の時代、担当者の携帯へ一度も発信していないのは、あまりにも不自然ではないだろうか。
「文ちゃん、もう一度、小林の履歴を取寄せてくれ。大至急や」
安立の硬い声に、萱島の顔も、より引き締まった。萱島が部屋を出ていき、一人になった安立は山崎に電話を入れた。気が付かないのか、呼び出し音だけが続いた。
「今、ええか?」
「はい。ちょっとトレイやっていうて、今一人です」
山崎は安立が話そうとしている内容を、分かっているのだと察した。
「山崎、何を隠してるんや?」
一瞬の沈黙が、凶報の影をちらつかせる。
「遠野が青山と繋がってるみたいなんです」
頭の中でシンバルを思いっきり鳴らされて、脳が麻痺するかと思える衝撃だった。
不穏な予感はあった。山崎が口にする内容がどんなものであれ、動揺しない腹つもりをしていたのに、遠野の裏切りは安立の心柱を大きく揺さぶった。
「詳しく話せ」
「張り込んだ日の夜、私用で青山の事務所の近くを通ったんです。歩いてもそんなに距離は変わらんし、と思って。時間は一〇時前でした。ビルから青山が出てきたんです。でも、隣には何でか、遠野がおったんです。ビルのエントランスの明かりでハッキリと顔を見えたから間違いはないです」
「ほんで?」
「遠野は、大きめの封筒を持ってました。青山と遠野は、そのまま二人で駅に向かって、そこで別れました」
山崎の声は徐々に力をなくしていくのが分かる。安立も山崎も声を出さず、吸い込まれそうなほどの沈黙が流れた。
沈黙の中にある答を聞きたくはない気持ちと、はっきと耳で聞き取って心の苦境を仕事として切り替えたい感情が激しく交差している。
「なあ、山崎。お前の考えを、話してくれへんか」
目を閉じても、瞼の裏で線香花火は弾けているような光が、繰り返された。安立は右手の掌を額に当て、山崎の言葉を待った。
「気付きはったとは思うんですけど、あの夜、遠野が持ってたのは、青山が用意した通話履歴ちゃうか、って。青山が全部に噛んでたら、それくらいは前もって用意してたと思うんです。それに昭島議員と青山が繋がってるとしたら、通話履歴を前もって取寄せて偽装も……」
どう考えても、道は遠野の裏切りに辿り着く。山崎の話は、安立の考えをそのまま言葉にしたものだった。
「わかった。お前はジュンジュンに気づかれんように、見張っておいてくれ」
「――わかりました」
電話を切ったあと、体の力が一気に抜けていった。山崎も知りながら一緒に行動し、見張るのは精神的もかなり応えるだろう。それも一緒に行動を共にしてきた相手で、信用していたのだから、尚更。
しかし正義という名の下で働いても、境界線が時に曖昧になり、そのまま一線を超えて去って行く刑事が少なくないのも、事実。
捜査には金が要る。正義のために使う金を作るのに不正を犯す矛盾。
遠野はなぜ、境界を越えたのか。なぜ気づいてやれなかったのか。いや。真面目な遠野だからこそ、縁は遠いものだと安立は思い、安心していたし、まさか自分の部下に起こるとは思っても見なかったのも事実。
後悔と無念が心を支配するのに、頭では警察の保身と体面、安立の立ち位置を素早く計算している。だが答は、どんなに迷おうとも決まっている
「安立さん。照会が来ました」
項垂れていた安立は、直ぐに気を張った。
番号を照らし合わせると、答が明確に視覚から頭に入ってきた。一緒に見ていた萱島からも、強張(こわば)った空気が伝わってきた。
安立は携帯を取り出した。相手は直ぐに出た。
「ええ知らせか?」
釣鐘の第一声が胸に矢の如く突き刺さる。安立は何も答えず、本部内にいることを確かめて、萱島を連れて会いに行った。
指定されたのは刑事課からは離れた階の会議室だった。
「失礼します」と中に入った。釣鐘は広い会議の一番奥で、入ってきた安立と萱島を正視しているだけで、動かない。
「まあ、座りや」
U字になっている机に並べたれた椅子に、釣鐘から二席に間隔を開けて腰を下ろした。
「で、何があったんや」
「遠野に担がれました」
釣鐘に山崎からの情報と、通信履歴の照会の偽装疑惑を、手短に説明をした。
「今は、一緒に組んでいる山崎に遠野の動向に注意を払わせています」
視界の端にいる萱島の驚きが伝わってきた。そういえば、いつの間にか、山崎とのやりとりを話したつもりでいた。
「遠野か……真面目が歩いてるような奴やのに。あっち側に落ちてもうたか。で、どうすんねん」
釣鐘は顔でも洗うように、両手で顔を擦(こす)り始めた。
「並行して遠野の身辺も洗うつもりです」
席を立った釣鐘が、座っていた安立の肩を強く揉んで叩いてから、部屋を出て行った。
「安立さん。遠野さんが」
「すまん。話してたつもりになってたわ。そういうこっちゃ。今後の遠野は、被疑者や」
「他の捜査員には、どうするんですか」
言わない訳にはいかない。会議では持ち寄った情報が交換される。得た情報を遠野が青山に回している可能性は、大いにあった。
それでも遠野を見ていると、刑事としての誇りを捨ててしまっているようには、安立には見えなかった。
「萱島、今はまだ他には言わん。ええか」
「遠野さんの刑事の部分を信じてはるんですね。でも、それって、かなりの賭け、ちゃいますか」
「そやな。ほんだら行こか。遠野って人間を探しに」
身内を洗う行動は、気分がいいものではないが、感傷に浸っていても仕方がなかった。
遠野の信用照会を取寄せている間、麻生の同期への連絡と、高石に電話を入れた。
「なあ、文ちゃん。これ、おかしくないか?」
萱島がそれぞれの履歴を見比べているが、何がどうおかしいのか分からないらしい。
「宮本の履歴に、小林の履歴には宮本への履歴があらへん」
萱島が短い声を上げた。
「ほんまですね。融資のやり取りをしてたはずやのに」
アーバネットへの履歴は確かに残っている。しかし今の時代、担当者の携帯へ一度も発信していないのは、あまりにも不自然ではないだろうか。
「文ちゃん、もう一度、小林の履歴を取寄せてくれ。大至急や」
安立の硬い声に、萱島の顔も、より引き締まった。萱島が部屋を出ていき、一人になった安立は山崎に電話を入れた。気が付かないのか、呼び出し音だけが続いた。
一度は切ろうとした安立の耳に「山崎です」と入ってきた。
「今、ええか?」
吐く息が、氷みたいに冷えているように感じた。
「はい。ちょっとトレイやっていうて、今一人です」
山崎は安立が話そうとしている内容を、分かっているのだと察した。
「山崎、何を隠してるんや?」
一瞬の沈黙が、凶報の影をちらつかせる。
「遠野が青山と繋がってるみたいなんです」
頭の中でシンバルを思いっきり鳴らされて、脳が麻痺するかと思える衝撃だった。
不穏な予感はあった。山崎が口にする内容がどんなものであれ、動揺しない腹つもりをしていたのに、遠野の裏切りは安立の心柱を大きく揺さぶった。
「詳しく話せ」
安立は震えそうな声に、精一杯の芯を入れる。
「張り込んだ日の夜、私用で青山の事務所の近くを通ったんです。歩いてもそんなに距離は変わらんし、と思って。時間は一〇時前でした。ビルから青山が出てきたんです。でも、隣には何でか、遠野がおったんです。ビルのエントランスの明かりでハッキリと顔を見えたから間違いはないです」
「ほんで?」
安立は裁判所の被告人席で聞く証言でも聞いている気分だった。
「遠野は、大きめの封筒を持ってました。青山と遠野は、そのまま二人で駅に向かって、そこで別れました」
山崎の声は徐々に力をなくしていくのが分かる。安立も山崎も声を出さず、吸い込まれそうなほどの沈黙が流れた。
沈黙の中にある答を聞きたくはない気持ちと、はっきと耳で聞き取って心の苦境を仕事として切り替えたい感情が激しく交差している。
「なあ、山崎。お前の考えを、話してくれへんか」
目を閉じても、瞼の裏で線香花火は弾けているような光が、繰り返された。安立は右手の掌を額に当て、山崎の言葉を待った。
「気付きはったとは思うんですけど、あの夜、遠野が持ってたのは、青山が用意した通話履歴ちゃうか、って。青山が全部に噛んでたら、それくらいは前もって用意してたと思うんです。それに昭島議員と青山が繋がってるとしたら、通話履歴を前もって取寄せて偽装も……」
どう考えても、道は遠野の裏切りに辿り着く。山崎の話は、安立の考えをそのまま言葉にしたものだった。
「わかった。お前はジュンジュンに気づかれんように、見張っておいてくれ」
「――わかりました」
電話を切ったあと、体の力が一気に抜けていった。山崎も知りながら一緒に行動し、見張るのは精神的もかなり応えるだろう。それも一緒に行動を共にしてきた相手で、信用していたのだから、尚更。
しかし正義という名の下で働いても、境界線が時に曖昧になり、そのまま一線を超えて去って行く刑事が少なくないのも、事実。
捜査には金が要る。正義のために使う金を作るのに不正を犯す矛盾。
遠野はなぜ、境界を越えたのか。なぜ気づいてやれなかったのか。いや。真面目な遠野だからこそ、縁は遠いものだと安立は思い、安心していたし、まさか自分の部下に起こるとは思っても見なかったのも事実。
後悔と無念が心を支配するのに、頭では警察の保身と体面、安立の立ち位置を素早く計算している。だが答は、どんなに迷おうとも決まっている
「安立さん。照会が来ました」
項垂れていた安立は、直ぐに気を張った。
番号を照らし合わせると、答が明確に視覚から頭に入ってきた。一緒に見ていた萱島からも、強張(こわば)った空気が伝わってきた。
安立は携帯を取り出した。相手は直ぐに出た。
「ええ知らせか?」
釣鐘の第一声が胸に矢の如く突き刺さる。安立は何も答えず、本部内にいることを確かめて、萱島を連れて会いに行った。
指定されたのは刑事課からは離れた階の会議室だった。
「失礼します」と中に入った。釣鐘は広い会議の一番奥で、入ってきた安立と萱島を正視しているだけで、動かない。
「まあ、座りや」
U字になっている机に並べたれた椅子に、釣鐘から二席に間隔を開けて腰を下ろした。
「で、何があったんや」
「遠野に担がれました」
釣鐘に山崎からの情報と、通信履歴の照会の偽装疑惑を、手短に説明をした。
「今は、一緒に組んでいる山崎に遠野の動向に注意を払わせています」
視界の端にいる萱島の驚きが伝わってきた。そういえば、いつの間にか、山崎とのやりとりを話したつもりでいた。
「遠野か……真面目が歩いてるような奴やのに。あっち側に落ちてもうたか。で、どうすんねん」
釣鐘は顔でも洗うように、両手で顔を擦(こす)り始めた。
「並行して遠野の身辺も洗うつもりです」
「その後は? 分かってるやろうけど、内々にせえよ。上への報告は、もう少し止めとく。上手いこと処理してくれ。警察で把握している遠野自身の経歴情報は、後で連絡する」
席を立った釣鐘が、座っていた安立の肩を強く揉んで叩いてから、部屋を出て行った。
「安立さん。遠野さんが」
「すまん。話してたつもりになってたわ。そういうこっちゃ。今後の遠野は、被疑者や」
「他の捜査員には、どうするんですか」
言わない訳にはいかない。会議では持ち寄った情報が交換される。得た情報を遠野が青山に回している可能性は、大いにあった。
それでも遠野を見ていると、刑事としての誇りを捨ててしまっているようには、安立には見えなかった。
表面は腐っていても、中は綺麗なままの果物が思い浮かんだ。
「萱島、今はまだ他には言わん。ええか」
「遠野さんの刑事の部分を信じてはるんですね。でも、それって、かなりの賭け、ちゃいますか」
「そやな。ほんだら行こか。遠野って人間を探しに」
身内を洗う行動は、気分がいいものではないが、感傷に浸っていても仕方がなかった。
遠野の信用照会を取寄せている間、麻生の同期への連絡と、高石に電話を入れた。
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