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我が儘な少女

ー/ー



全てを話し終えたのは、深夜だった。夜の海風に煽られながら、浜辺の岩肌で焚火を囲い、彼女は話に夢中になっていた。関心があって聞き入っていたわけではないだろう。まさに物語の世界だったから、ヒストリアにはどこまでが真実かはわからない。だが、その物語に自分と、自分の出生が関わっていると知ったら、無関心ではいられない。それが悲劇的なものであればなおさらだ。

「どうして、吟遊詩人みたいな口調なんですか?」

「実際に絵本として本になっているからよ」

「えっ?」

「西の、とある国の人気作家が書いた絵本だよ。まぁ、子供向けじゃないから、あんまり売れていないけど。その地方じゃ結構有名な話だよ」

「・・・私には、現実味が無くて、何が何やら」

本当に長い話だったから、全てを飲み込めなかったのだろう。それに、聞かされたのは単なる物語だから、それがどういう風に自分に関与しているのか、はっきりと想像できないのかもしれない。

「全部を理解できるとは思っていない。でも、一つだけ言えるのは、私はあなたを助けるために、アールラントを訪れた。あなたがその気にならないと、今回の旅は始まらないの」

ハルの言葉に、ヒストリアは不快感を感じていた。ハルが自分を助ける理由が見当たらないのだ。単なる善意で助けてくれるのであればいいけど、どうにも信用ならない気がしていたのだ。何せ彼女は、魔法士であれば、警戒して当然という程の魔力を常に放っている。熟練の魔法士でも、これほどまでに目に見える魔力を放つ者は見たことがない。そんな相手の話を、いきなり信用しろというのも難しい話だ。もっとも、悪意は感じられないし、明るい女性で、悪い人ではないのだろうが。

「これから私は、どうすればいいのですか?」

わからないことは考えても仕方がない。すべきことをこの人が導いてくれるのなら、それに従うしかない。ヒストリア一人では、闇雲に走り回ることになる。

「目的地は、海岸沿いの廃都。街道を、あと2、3日歩いたところにある。どの国の統治下にもないから、治安が悪く薄汚い連中のたまり場の様な所だけど、そこであなたには・・・」

だからといってどんな要求も素直に受け入れられるかと言われれば、そんなことはない。父もこの女性も、自分に寄り添ってくれないのが、悲しく思えたのだ。

「あなたには、人を殺してもらう」




災厄によって、滅びの危機に瀕した国は、僅かな生き残りと、新たな指導者によって再び立ち上がりました。災厄は去り、指導者は一人の市民として、戦争で燃え尽きた大地を耕していました。それはそれは平和な一時であり、彼と他の者たちにとっても、幸福な一時でした。しかし、何もかも良い方向へ向かっているわけではありませんでした。

災厄が去ってしばらく経った頃です。生き残った人たちの中の幾人かが、謎の病に掛かったのです。身体に黒いアザが浮かび上がり、肉が焦げたように燻り始めたのです。燃えているわけでもないのに、燻る身体はまるで命を焼き尽くしていくようでした。病に掛かった者はあらゆる治療を施されたが、誰一人癒されることはありませんでした。人々は災厄が残した呪いだとして、失意に沈みました。指導者も、怒りと憎しみが再び湧き上がってきたのです。

一人、また一人と病によって命を落としていきました。ただでさえ少なかった人々はまた更に数を減らしてしまったのです。そして、病によって死した者の中には、指導者の愛する者もありました。怒りと憎しみ、それに加え哀しみまでも背負った指導者は、愛する者を失い、ついには生きる気力さえ無くしてしまいました。

そんなところに、不思議な聖職者がやって来ました。涙にくれる指導者に、聖職者は言いました。

「私ならば、病で亡くなった者たちを蘇らせることが出来るでしょう。その代わり、あなた達の一番大事なものをもらいましょう」

指導者は、迷わず聖職者に頼みました。聖職者はすぐに国の中心へ赴き膝を着くと、静かに祈りを捧げ始めました。祈りは何日も何日も続き、やがて人々も指導者に倣い、死者への祈りを捧げたのです。すると不思議なことが起こりました。ある日の祈りの最中、聖職者の指先から魔法の様な光が放たれたかと思うと、光は大きな円に変わり、まばゆい光を放って四散しました。目を開けていられないほどの光の後には、そこにはいるはずのない病に倒れた人々がいたのです。もちろん、指導者の愛する者も。聖職者は約束通り、死んだ者たちを蘇らせたのです。聖職者の奇跡に人々は大いに喜び、指導者はその功績に見合うだけのものを聖職者に譲り渡しました。こうして今一度、国の危機を乗り越えたのでした・・・____。




「あなたには、人を殺してもらう」

「え?・・・」

頭が真っ白になる。開いた口が塞がらないというのは、実際に起こるのだなと、ヒストリアは初めて思った。まさに自分がその状態になっていたのだ。傍から見ればさぞ間抜けな顔をしていたことだろう。

「なんでそんなことを?」

動き出した思考は、すぐに感情を怒りに切り替え、自然と両手に力を込めた。自分はいったいどこへ向かおうとしているのか。

「嫌に決まってるじゃないですか!人を殺せって、私に罪人になれって言ってるんですか?」

「落ち着いてヒストリア。別に罪を犯せって言ってるわけじゃない」

ハルは至って冷静だった。それが余計に腹が立つ。

「言ってるようなものじゃないですか。人殺しになることが私が助かる唯一の道だとでもいうんですか?そんなの、絶対に嫌です」

風鳴りが響く夜の空に、ヒストリアの怒鳴り声が僅かに木霊した。声はすぐにかき消され、静寂が風と共に二人の間を包み込んでいた。ヒストリアは今にも泣きだしそうな表情でハルを見ていた。ハルの薄紅色の瞳は、まったく揺らぐことなく、涙ぐんだ目を見つめている。

人生思うようにいかないのが当然かもしれない。ヒストリアは実際、人としてまだまだ未熟だし、理不尽に振り回されることだってあるだろう。

「お父さんが、何を考えて私をあなたに預けたのかは知りません。でも、なんでもかんでも従うと思わないでください」

きっぱりと拒絶の意を示したものの、ハルは大きくため息をついて、視線を篝火に戻した。

「別に従えだなんて言ってないでしょう?」

「じゃあ言い方を変えます。訳の分からないことを強要しないでください」

「なら、訳が分かれば、ちゃんと言うこと聞くのね?」

「それは・・・」

もちろん、納得できればハルの言う通りしてもいいだろう。おそらく彼女の方が年上なのだろうし、年長者からありがたい教えをいただけるのであれば本望だ。だが、その教えが罪を背負えと言うものであれば、いやいやするのは当然だろう。人を殺して、いったいどうしろというのだろうか。

「ヒストリア、あなたの体は呪われているの」

「呪い?」

「言い方を変えれば不治の病を患ってると言った方がわかりやすいかしらね。その病を克服することが、この旅の目的なの」

ハルの言い方は、他人事のようだった。いや、事実彼女にとっては他人事だ。知り合いの娘を助ける。本来、彼女には何の関係もないし、むしろ関わる必要もないことだ。だから、彼女の冷めた表情と声音は理解できる。だが、ヒストリアは気にくわなかったのだ。何かを、隠しているような、そんな気がして・・・。

「それがどう人殺しとつながるんですか?人を殺せば呪いが解けるとでも言うんですか?」

「いいえ、人を殺すのは始まりに過ぎないわ。それに、それが本当に正しい道かもわからない。全部、私の推測によるものでしかない」

だとしたら、仮に人を殺したとしても、意味の無いただの人殺しで終わるかもしれないということだ。どうしてそんなことで手を汚さなければならないのだろう。

「あなたにかかった呪いを克服できるかどうか、正直わたしもわからない。ただ、私はできる限り尽くすつもりでいる」

「そう言って、本当は私がどうなろうと、あなたには関係ないんじゃないですか?」

結局のところそうなのだ。どれだけ、言葉を並べようと、彼女にどれだけの誠意があろうと、ヒストリアには綺麗事にしか聞こえない。二人の間には、信頼関係がない。赤の他人であるうちはどうしても信用に足らない。おそらくハルも、それをわかって言っているのだろう。ヒストリアも同様に彼女を警戒し、信用していない。

「・・・ヒストリア。私は・・・」

それでも、ハルの視線はまっすぐだった。この鋭い瞳の奥には、いったい自分はどんなふうに映っているのだろう。年上であろう彼女が、どうして自分と関わろうとしたのだろうか。

「私は、あなたの気持ちがよくわかる」

「慰めですか?」

「私も同じだったから」

「同じ?」

「突然、しらない世界に投げ出されて、訳も分からないまま歩き続けた。何が正しいかも理解できないまま、人を、・・・殺めてしまった」

自分語りを始めたハルは、急に何かが変わったようだった。まるで、彼女の中のもう一つの人格が表に出てきたかのように、先ほどよりも、その表情が子供じみたものに見えた。

「人殺しは罪だ。どれだけ正当な理由をくっつけたところで、それだけは覆らない。罪を背負い、背負った罪の分だけ、生きることを強要される」

「生きること?」

「あのね、ヒストリア。私はあなたを救うために、ここまで来た。あなたの呪いは、かつてあなたの国を襲った災厄が原因なの」

「それってさっきの物語の話ですか?」

「そう。今から二十年ほど前。あなたが生まれる前の話。国を襲った災厄の残滓があなたの母親を蝕ませた。残滓は、当時母親のお腹にいたあなたにまで手を伸ばし、あなたもその穢れを受け継いでしまった」

「それが、私にかかったの呪い・・・」

ハルの瞳は決して揺らがなかった。ずっとヒストリアに向けられている。考えてみれば、こんな風に人の目をじっと見て話す人はそうはいないだろう。ましてや、こんな鋭い目つきの人だと、少し怖くもある。睨まれているような気がする。だが、ヒストリア自身もハルの瞳から目が離せなかった。その鋭い薄紅色の瞳は、怖くもあるが、同時に美しささえ感じられるのだ。まるで瞳に魅了されてしまったように、目が離せない。

「あなたのお母さんは、呪いに蝕まれて若くして命を落とした。あなたも、数年の内に同じ道を辿るでしょう」

呪いだの、病だの言われていた辺りから、もしかしたらそうなんじゃないかと考えていた。自分の寿命がそう長くないことを。

「あなたのお父さんは、そうならないためにあなたを私に預けたの。当時私は、あなたのお父さんと、約束した。必ずあなたを助けると」

判断が難しかった。納得していいのかどうか。親の愛によって、この数奇な運命をたどることになったのであれば、どうしようもないくらい、憎たらしくもあり、憎むことが出来ない。

親は勝手なものだ。親の気、子知らずとはよく言うが、それは同時に子の気、親知らずということなのに。どうしてこうもねじれてしまったのか。誰を責めればいい。これから自分を救おうとしてくれているハルか。この状況を作り出した父か。両親はもうここにはいない。いるのは、彼女だけ。得体のしれない白髪の女性だけ。

「約束は守る。っていってもあなたは信じないかもしれないけど。このまま何もせずにいれば、あなたは何もわからずに亡くなるでしょうね。それでもいいって言うなら、私の言うことなんて聞く必要はない。好きなところへ行き、好きに生きればいい。けど、あなたの中に少しでも足掻く気があるなら、私を信じて」

ハルの言葉は、どこまでもまっすぐで、残酷なくらい強かった。もし、彼女が嘘を言っているのだとしても、この人についていきたい。そんな気がしてしまうのは、どうしてだろうか。そんな、根拠のない確信がヒストリアの胸中に芽生えていた。

「・・・私、どれくらいで死んじゃうんですか?」

「あなたは死なない。私がそうさせない」

ハルは、急に根拠ないことを言い出した。どんな自信が彼女をそうさせるのだろう。自分でも呪いの解き方は憶測だと言っていたのに。

「人を殺すことで、呪いを解く足がかりになるんですか?」

「殺すって言うのは、言葉のあやだけど。あくまで可能性だよ」

「けど、ハルさんは、確信しているんですよね。・・・その、それが間違いないと?」

「さぁ、どうだろうね。可能性は可能性だよ。それが違うなら、別の道を、一から探すだけ」

そこでようやく、ハルの口元がにやりと笑ったような気がした。それをみて、ヒストリアも少しだけ、彼女を信じてみようと決心できた。余命が短いこと、両親のこと、過去のこと、彼女のこと、何もかも信じられないけれど、彼女の言ったように、今のヒストリアには足掻く気があった。この現状を足掻いてみようと思っているのだ。

「私は、もう寝るね。体力を温存しとかないと、明日から大変なんだから。」

そう言って彼女は、本当に篝火の側で横になり、火を背にして眠り始めてしまった。その背中は後腐れ無いように、引き返すなら今の内だぞとでも言っているようだった。

彼女の寝息を聞いて、ヒストリアは、目に涙が溜まっていることに気が付いた。さっきまでのやり取りが嘘のように穏やかな夜になっている。海風は緩やかにヒストリアの髪を靡かせていく。冷静になると、不安と苦悩で押しつぶされそうになるものだ。目の前の篝火が、唯一の癒しに思える。不思議な火だった。ハルが起こしてくれたものだが、どうしてこんなにも暖かいのだろう。火なんだから暖かいのは当然だろうに。

どうやら相当疲れているようだ。あれだけ言い合いをして、たくさん歩いたから。明日から、ハルとどう接すればいいだろうか。あんな言い合いをして、これから共に旅ができるか不安であるが、それは、明日考えればいいだろう。自分も、身体を休めなければ。明日から、途方もない旅が始まるのだから。


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全てを話し終えたのは、深夜だった。夜の海風に煽られながら、浜辺の岩肌で焚火を囲い、彼女は話に夢中になっていた。関心があって聞き入っていたわけではないだろう。まさに物語の世界だったから、ヒストリアにはどこまでが真実かはわからない。だが、その物語に自分と、自分の出生が関わっていると知ったら、無関心ではいられない。それが悲劇的なものであればなおさらだ。
「どうして、吟遊詩人みたいな口調なんですか?」
「実際に絵本として本になっているからよ」
「えっ?」
「西の、とある国の人気作家が書いた絵本だよ。まぁ、子供向けじゃないから、あんまり売れていないけど。その地方じゃ結構有名な話だよ」
「・・・私には、現実味が無くて、何が何やら」
本当に長い話だったから、全てを飲み込めなかったのだろう。それに、聞かされたのは単なる物語だから、それがどういう風に自分に関与しているのか、はっきりと想像できないのかもしれない。
「全部を理解できるとは思っていない。でも、一つだけ言えるのは、私はあなたを助けるために、アールラントを訪れた。あなたがその気にならないと、今回の旅は始まらないの」
ハルの言葉に、ヒストリアは不快感を感じていた。ハルが自分を助ける理由が見当たらないのだ。単なる善意で助けてくれるのであればいいけど、どうにも信用ならない気がしていたのだ。何せ彼女は、魔法士であれば、警戒して当然という程の魔力を常に放っている。熟練の魔法士でも、これほどまでに目に見える魔力を放つ者は見たことがない。そんな相手の話を、いきなり信用しろというのも難しい話だ。もっとも、悪意は感じられないし、明るい女性で、悪い人ではないのだろうが。
「これから私は、どうすればいいのですか?」
わからないことは考えても仕方がない。すべきことをこの人が導いてくれるのなら、それに従うしかない。ヒストリア一人では、闇雲に走り回ることになる。
「目的地は、海岸沿いの廃都。街道を、あと2、3日歩いたところにある。どの国の統治下にもないから、治安が悪く薄汚い連中のたまり場の様な所だけど、そこであなたには・・・」
だからといってどんな要求も素直に受け入れられるかと言われれば、そんなことはない。父もこの女性も、自分に寄り添ってくれないのが、悲しく思えたのだ。
「あなたには、人を殺してもらう」
災厄によって、滅びの危機に瀕した国は、僅かな生き残りと、新たな指導者によって再び立ち上がりました。災厄は去り、指導者は一人の市民として、戦争で燃え尽きた大地を耕していました。それはそれは平和な一時であり、彼と他の者たちにとっても、幸福な一時でした。しかし、何もかも良い方向へ向かっているわけではありませんでした。
災厄が去ってしばらく経った頃です。生き残った人たちの中の幾人かが、謎の病に掛かったのです。身体に黒いアザが浮かび上がり、肉が焦げたように燻り始めたのです。燃えているわけでもないのに、燻る身体はまるで命を焼き尽くしていくようでした。病に掛かった者はあらゆる治療を施されたが、誰一人癒されることはありませんでした。人々は災厄が残した呪いだとして、失意に沈みました。指導者も、怒りと憎しみが再び湧き上がってきたのです。
一人、また一人と病によって命を落としていきました。ただでさえ少なかった人々はまた更に数を減らしてしまったのです。そして、病によって死した者の中には、指導者の愛する者もありました。怒りと憎しみ、それに加え哀しみまでも背負った指導者は、愛する者を失い、ついには生きる気力さえ無くしてしまいました。
そんなところに、不思議な聖職者がやって来ました。涙にくれる指導者に、聖職者は言いました。
「私ならば、病で亡くなった者たちを蘇らせることが出来るでしょう。その代わり、あなた達の一番大事なものをもらいましょう」
指導者は、迷わず聖職者に頼みました。聖職者はすぐに国の中心へ赴き膝を着くと、静かに祈りを捧げ始めました。祈りは何日も何日も続き、やがて人々も指導者に倣い、死者への祈りを捧げたのです。すると不思議なことが起こりました。ある日の祈りの最中、聖職者の指先から魔法の様な光が放たれたかと思うと、光は大きな円に変わり、まばゆい光を放って四散しました。目を開けていられないほどの光の後には、そこにはいるはずのない病に倒れた人々がいたのです。もちろん、指導者の愛する者も。聖職者は約束通り、死んだ者たちを蘇らせたのです。聖職者の奇跡に人々は大いに喜び、指導者はその功績に見合うだけのものを聖職者に譲り渡しました。こうして今一度、国の危機を乗り越えたのでした・・・____。
「あなたには、人を殺してもらう」
「え?・・・」
頭が真っ白になる。開いた口が塞がらないというのは、実際に起こるのだなと、ヒストリアは初めて思った。まさに自分がその状態になっていたのだ。傍から見ればさぞ間抜けな顔をしていたことだろう。
「なんでそんなことを?」
動き出した思考は、すぐに感情を怒りに切り替え、自然と両手に力を込めた。自分はいったいどこへ向かおうとしているのか。
「嫌に決まってるじゃないですか!人を殺せって、私に罪人になれって言ってるんですか?」
「落ち着いてヒストリア。別に罪を犯せって言ってるわけじゃない」
ハルは至って冷静だった。それが余計に腹が立つ。
「言ってるようなものじゃないですか。人殺しになることが私が助かる唯一の道だとでもいうんですか?そんなの、絶対に嫌です」
風鳴りが響く夜の空に、ヒストリアの怒鳴り声が僅かに木霊した。声はすぐにかき消され、静寂が風と共に二人の間を包み込んでいた。ヒストリアは今にも泣きだしそうな表情でハルを見ていた。ハルの薄紅色の瞳は、まったく揺らぐことなく、涙ぐんだ目を見つめている。
人生思うようにいかないのが当然かもしれない。ヒストリアは実際、人としてまだまだ未熟だし、理不尽に振り回されることだってあるだろう。
「お父さんが、何を考えて私をあなたに預けたのかは知りません。でも、なんでもかんでも従うと思わないでください」
きっぱりと拒絶の意を示したものの、ハルは大きくため息をついて、視線を篝火に戻した。
「別に従えだなんて言ってないでしょう?」
「じゃあ言い方を変えます。訳の分からないことを強要しないでください」
「なら、訳が分かれば、ちゃんと言うこと聞くのね?」
「それは・・・」
もちろん、納得できればハルの言う通りしてもいいだろう。おそらく彼女の方が年上なのだろうし、年長者からありがたい教えをいただけるのであれば本望だ。だが、その教えが罪を背負えと言うものであれば、いやいやするのは当然だろう。人を殺して、いったいどうしろというのだろうか。
「ヒストリア、あなたの体は呪われているの」
「呪い?」
「言い方を変えれば不治の病を患ってると言った方がわかりやすいかしらね。その病を克服することが、この旅の目的なの」
ハルの言い方は、他人事のようだった。いや、事実彼女にとっては他人事だ。知り合いの娘を助ける。本来、彼女には何の関係もないし、むしろ関わる必要もないことだ。だから、彼女の冷めた表情と声音は理解できる。だが、ヒストリアは気にくわなかったのだ。何かを、隠しているような、そんな気がして・・・。
「それがどう人殺しとつながるんですか?人を殺せば呪いが解けるとでも言うんですか?」
「いいえ、人を殺すのは始まりに過ぎないわ。それに、それが本当に正しい道かもわからない。全部、私の推測によるものでしかない」
だとしたら、仮に人を殺したとしても、意味の無いただの人殺しで終わるかもしれないということだ。どうしてそんなことで手を汚さなければならないのだろう。
「あなたにかかった呪いを克服できるかどうか、正直わたしもわからない。ただ、私はできる限り尽くすつもりでいる」
「そう言って、本当は私がどうなろうと、あなたには関係ないんじゃないですか?」
結局のところそうなのだ。どれだけ、言葉を並べようと、彼女にどれだけの誠意があろうと、ヒストリアには綺麗事にしか聞こえない。二人の間には、信頼関係がない。赤の他人であるうちはどうしても信用に足らない。おそらくハルも、それをわかって言っているのだろう。ヒストリアも同様に彼女を警戒し、信用していない。
「・・・ヒストリア。私は・・・」
それでも、ハルの視線はまっすぐだった。この鋭い瞳の奥には、いったい自分はどんなふうに映っているのだろう。年上であろう彼女が、どうして自分と関わろうとしたのだろうか。
「私は、あなたの気持ちがよくわかる」
「慰めですか?」
「私も同じだったから」
「同じ?」
「突然、しらない世界に投げ出されて、訳も分からないまま歩き続けた。何が正しいかも理解できないまま、人を、・・・殺めてしまった」
自分語りを始めたハルは、急に何かが変わったようだった。まるで、彼女の中のもう一つの人格が表に出てきたかのように、先ほどよりも、その表情が子供じみたものに見えた。
「人殺しは罪だ。どれだけ正当な理由をくっつけたところで、それだけは覆らない。罪を背負い、背負った罪の分だけ、生きることを強要される」
「生きること?」
「あのね、ヒストリア。私はあなたを救うために、ここまで来た。あなたの呪いは、かつてあなたの国を襲った災厄が原因なの」
「それってさっきの物語の話ですか?」
「そう。今から二十年ほど前。あなたが生まれる前の話。国を襲った災厄の残滓があなたの母親を蝕ませた。残滓は、当時母親のお腹にいたあなたにまで手を伸ばし、あなたもその穢れを受け継いでしまった」
「それが、私にかかったの呪い・・・」
ハルの瞳は決して揺らがなかった。ずっとヒストリアに向けられている。考えてみれば、こんな風に人の目をじっと見て話す人はそうはいないだろう。ましてや、こんな鋭い目つきの人だと、少し怖くもある。睨まれているような気がする。だが、ヒストリア自身もハルの瞳から目が離せなかった。その鋭い薄紅色の瞳は、怖くもあるが、同時に美しささえ感じられるのだ。まるで瞳に魅了されてしまったように、目が離せない。
「あなたのお母さんは、呪いに蝕まれて若くして命を落とした。あなたも、数年の内に同じ道を辿るでしょう」
呪いだの、病だの言われていた辺りから、もしかしたらそうなんじゃないかと考えていた。自分の寿命がそう長くないことを。
「あなたのお父さんは、そうならないためにあなたを私に預けたの。当時私は、あなたのお父さんと、約束した。必ずあなたを助けると」
判断が難しかった。納得していいのかどうか。親の愛によって、この数奇な運命をたどることになったのであれば、どうしようもないくらい、憎たらしくもあり、憎むことが出来ない。
親は勝手なものだ。親の気、子知らずとはよく言うが、それは同時に子の気、親知らずということなのに。どうしてこうもねじれてしまったのか。誰を責めればいい。これから自分を救おうとしてくれているハルか。この状況を作り出した父か。両親はもうここにはいない。いるのは、彼女だけ。得体のしれない白髪の女性だけ。
「約束は守る。っていってもあなたは信じないかもしれないけど。このまま何もせずにいれば、あなたは何もわからずに亡くなるでしょうね。それでもいいって言うなら、私の言うことなんて聞く必要はない。好きなところへ行き、好きに生きればいい。けど、あなたの中に少しでも足掻く気があるなら、私を信じて」
ハルの言葉は、どこまでもまっすぐで、残酷なくらい強かった。もし、彼女が嘘を言っているのだとしても、この人についていきたい。そんな気がしてしまうのは、どうしてだろうか。そんな、根拠のない確信がヒストリアの胸中に芽生えていた。
「・・・私、どれくらいで死んじゃうんですか?」
「あなたは死なない。私がそうさせない」
ハルは、急に根拠ないことを言い出した。どんな自信が彼女をそうさせるのだろう。自分でも呪いの解き方は憶測だと言っていたのに。
「人を殺すことで、呪いを解く足がかりになるんですか?」
「殺すって言うのは、言葉のあやだけど。あくまで可能性だよ」
「けど、ハルさんは、確信しているんですよね。・・・その、それが間違いないと?」
「さぁ、どうだろうね。可能性は可能性だよ。それが違うなら、別の道を、一から探すだけ」
そこでようやく、ハルの口元がにやりと笑ったような気がした。それをみて、ヒストリアも少しだけ、彼女を信じてみようと決心できた。余命が短いこと、両親のこと、過去のこと、彼女のこと、何もかも信じられないけれど、彼女の言ったように、今のヒストリアには足掻く気があった。この現状を足掻いてみようと思っているのだ。
「私は、もう寝るね。体力を温存しとかないと、明日から大変なんだから。」
そう言って彼女は、本当に篝火の側で横になり、火を背にして眠り始めてしまった。その背中は後腐れ無いように、引き返すなら今の内だぞとでも言っているようだった。
彼女の寝息を聞いて、ヒストリアは、目に涙が溜まっていることに気が付いた。さっきまでのやり取りが嘘のように穏やかな夜になっている。海風は緩やかにヒストリアの髪を靡かせていく。冷静になると、不安と苦悩で押しつぶされそうになるものだ。目の前の篝火が、唯一の癒しに思える。不思議な火だった。ハルが起こしてくれたものだが、どうしてこんなにも暖かいのだろう。火なんだから暖かいのは当然だろうに。
どうやら相当疲れているようだ。あれだけ言い合いをして、たくさん歩いたから。明日から、ハルとどう接すればいいだろうか。あんな言い合いをして、これから共に旅ができるか不安であるが、それは、明日考えればいいだろう。自分も、身体を休めなければ。明日から、途方もない旅が始まるのだから。