――――同日、サン・フラマの村。深夜、午前2時。
如月水葉は、暗い村の道を歩いていた。この村の夜は、暗く、深い。電気も限られた量しか届かないこの村では、街灯も少ない。家々から漏れていた灯りも、今はない。山深い村の冷えた空気を、暗闇がなおのこと冷たくさせていた。
この村に来て数日。毎晩、夜間の見回りを続けていたが、いまだ異常は起きていない。それどころか、今まで頻発していたという事件もなりをひそめていた。
「……こりゃ、やっぱフカシだったんじゃねェか? いつになっても、なんにも起きねェじゃねェかよ」
大きくあくびをしながら、アンセムが言う。
「……………」
水葉はそれに答える様子はなく、ただ淡々と歩いていく。その瞳は感情なく、油断もない。
「……たく、よーくまじめに毎晩毎晩、歩き回る気になるよなァ。俺様は眠くてしょうがねェぜ」
「……静かにして。気配が探れない」
冷たく言い放つ水葉に、アンセムが舌を出す。
水葉は今、現在、宿を取っている民宿から、村の中心部にある教会へと街道を歩いていた。ここ数日、夜間の巡回としているルートだ。この村はかつて、他の地方へ向かう山越えの宿場町であったらしく、中央を街道が通っており、それを動脈として、網目のように裏道が走っている。
小さな村であり、宿から教会まではそれほどかからなかった。あれから村長にさらに聞き込んだところ、最初の事件が起こったのがこの教会ということだった。その教会の主だった一家が、一夜にして姿を消した。その異変に気づいた村人が教会を捜索したところ、その地下室から、大量の血痕が発見された。
それも、人一人のものでは納まらないほどの。血痕というよりは、血の海と言ったほうが正しいほどの。……だが、遺体は誰のものも、そして、ひとかけらさえも、見つかることはなかった。
そのせいもあって、今は教会は住むもののいない、がらんどうだ。そういえば、昼間にここを調べたことはあったが、夜間に調べたことはなかった。
「……教会。やつらが潜むには、相応しくないけれど」
静かに、水葉はその教会を見上げる。石造りの、古い教会。その天辺には、こちらも古い、大きな鐘が吊られている。このような田舎のではよく見られる、ごく普通の教会だ。
ゆっくりと、水葉はその大きな入り口の扉に手をかける。小さな教会には似つかわしくない大きな扉は、軋みながら開いた。
そこは、総勢百名ほどが入れる礼拝堂だった。普段であれば、そこで説教や祈りが捧げられていたのだろう。
立ち並ぶ長椅子の間を、水葉は歩いていく。通路に敷かれた真紅の絨毯が、この闇の中では不気味な雰囲気をかもし出している。その先には、これまた古ぼけた説教台が設置されている。かつて聖書が置かれていたであろう台上には、今はもうなにもない。
その説教台を通り過ぎ、水葉は奥に鎮座された十字架を見上げる。この教会におけるその他の例に漏れず、それも古めいている。それ自体に悪魔たちを退けることはできないものの、神の加護を示すはずのそれは、ここにいたものにはその恩恵を与えることができなかったらしい。
水葉は、さらにその奥のドアを見る。この奥に、教会に住んでいた家族が居住していたスペースがある。このドアの奥にはリビング、そして廊下を挟んで寝室、子供部屋、一番奥に二階へ通じる階段と、事件の現場となった地下への階段がある。
「もう一回、教会を調べんのか?」
胡乱げなアンセムの言葉に、水葉はうなずく。
「ええ。念のため」
水葉はまず、現場となった地下室へと向かう。短いリビングと廊下を経て、こちらも石造りの地下室へと降りていく。灯りは宿から借りてきた、ランプの灯りしかなく、周囲はあまり見渡せない。
ただ、それでも未だに、この場所には事件直後の凄惨さを匂わせていた。元は食料庫として使われていたのだろう、野菜などが入れられていたと思わしき樽や木箱が置かれている。だが、今はそこから匂わすのは野菜や果物の香りではなく、鉄めいた血の匂いだけだ。
「――――ん?」
さらに奥を照らそうとランプを前方に掲げたとき、水葉はあることに気がついた。かすかな灯りに照らされたそのさらに奥――――わずかだが、石壁の隙間から光が漏れている。
「……隠し通路?」
水葉がその灯りの漏れている石壁を押すと、その一部がどんでん返しのように裏返った。
「一枚の石壁に見せかけて、ここだけ中央を固定して扉にしていたのね……。昼間は明るかったから、気づかなかった……」
その扉の先には、更なるドアと、その足元には、恐らく漏れていた光の光源であるランプが置かれていた。
水葉はためらいもなく、そのドアの奥へ入っていく。その奥は、やはり古めかしい書庫だった。書庫とは言っても、本棚が三つほどに、机と椅子が一つずつと、小さな書斎と言ったほうが正しいかもしれない。
「……椅子や机は古いのに、ほこりが積もっていない……。最近まで、使われていた……」
机の上を調べる水葉の目に、一冊の本が映った。それは机や椅子よりも古くぼろぼろで、相当の年数を経たものだということが見て取れた。
「……これは、この教会の創設についての書物のようね」
ぱらぱらと、水葉は書物のページをめくる。その中の一節、教会の由来についての一文が目を引く。
『この教会は、元来、この村よりさらに山奥にある教会から分かれたものである。ここから先の山は険しく、そこまでたどり着くことができないものもいたために村に建立された。それ故、本来、あがめている聖人はあくまで山奥の教会に祭られている。聖人をそこから移さなかったのは、そこが聖人が悪魔と戦い、勝利した場所であるからだ。その教会の建立は今から300年前――――』
「――――もう一つの、教会。もしまだあるとすれば、書物の年代からして、今から500年前――――?」
そこまで読んで、水葉は本を閉じる。興味深くはあるが、今回の事件とは関係なさそうに思える。
次に水葉は、本棚に目を移した。そのどれもがびっしりと本が詰められている。ただ、そのどれもが先ほどの本のように古く、ボロボロだ。背表紙を見る限り、恐らく、これまでの教会の歴史書か何かだろう。
その中に、一冊だけ、新しい本があることに、水葉は気づいた。
「……ここにいた神父の日記……。何か手がかりがあるかもしれない」
再び、水葉は本のページを繰る。この日記の持ち主はこまめな性格だったらしく、毎日きちんと日記が付けられている。だが、そのどれもが他愛もない、日常のものだ。
その中に、この部屋の記述もあった。だが、その日の文章だけが、意味が分かりにくい。まるで混乱しながら、あわてて書いたような文章だ。
『気づいた。気づいてしまった。だからこの部屋に作り、隠し扉を作った。やつは気づいていない。気づかれてはいけない。絶対、ぜったい……』
日記の内容は、その日から徐々に意味不明な記述が増えていく。ページを飛ばしていくと、やがて、事件のあった日付にたどりついた。その日の日記は、部屋の記述にも増して支離滅裂だった。
『気づかれた。気づかれた。気づかれた。気づかれた気づかれた気づかれた気づかれた』
そして、数行の空欄の後。今までとまったく違う歪んだ筆跡で。
『ごちそうさま』
そこまで読んだ刹那――――。
爆音が轟いた。
水葉が反射的に振り返る。
そこには、ただ土煙があった。がらがらと石壁の崩れ落ちる音に混ざって、何かがうめく声がする。しわがれたような、かすれたような、威嚇するような。ただ一つ、確実に言えることは――――生きた人間のものではないだろうということだけだ。
「アンセム、『フォーム・ソード&ボウガン』!」
「あいよ! でもそのフィッシュ&チップスみてェな言い方、どうにかなんねえかねェ」
ぼやきながらも、アンセムが水葉の手元で一振りの剣と、小型のボウガンに姿を変える。
水葉は不用意に飛び込まず、左手のボウガンを未だ舞う土煙に油断なく向け、鋭くその先を睨む。
やがて、その土煙が晴れたとき、その場所に立っていたのは、紛れもない異形のものの姿だった。
身体が茹で上がったかのように赤く、巨大化した人間のような形をしたもの。だが、頭と思われるその部分には、髪も、目も、鼻も、口も存在しない。ただ丸く膨らまされた、紅い風船のようだ。胴体にくらべて、人間より遥かに大きく、アンバランスなせいか、その異形はゆらゆらと佇み、こちらを窺っているようだった。
「――――使い魔、フェイクヘッド……」
水葉は、確認するようにその名をつぶやく。
使い魔とは、その名の通り、悪魔が使役する異形の怪物のことだ。フェイクヘッドとはその一種であり、巨大な頭部が特徴の人間型使い魔だ。怪物とはいえ、頭部に打撃を受ければ致命傷にいたるものが多い中、この怪物は一見、頭のように見える膨張した部分を囮にし、反撃する怪物だ。
「こいつの倒し方は……心得てる。でも、一体だけじゃなさそうね」
水葉は、右手の剣を前に構え、怪物に突撃する。
フェイクヘッドはその巨躯とバランスの悪さゆえに、動きは決して素早くない。水葉のその動きに、気づいた様子は見せたものの、それに対して反応はできない。
かける勢いをそのまま乗せて、水葉は怪物のダミーの頭を刺し貫く。と同時に、バックステップでその間合いから離脱する。
その水葉が先ほどまでいた場所に、破れた擬似頭部から飛び出した液体が降り注ぐ。べちゃっという音とともに、液体は床にこびりつく。その音を確認したかのように、怪物の胸部から、この世のものとは思えない醜悪な顔が出現した。
そう、この怪物の擬似頭部は罠で、ここに攻撃をしかけると、その部分が破裂し、獲物の動きを封じる粘液を放つ。そして、その後で現れた本物の頭部で攻撃するのだ。
「使い魔の中でも、醜悪にして卑劣――――。地獄へ帰れなどと言いはしない。この場で塵に還るがいい」
ようやく目の前に獲物がいないことに気づいた怪物に、水葉が駆け寄る。そして、目の前のそれが反応する前に本物の頭部を刺し貫いた。
「ぎやああああああぁぁぁっ!」
血しぶきを撒き散らしながらよろめく怪物を、どけと言わんばかりに水葉が横蹴りでけり倒す。地に倒れこんだ怪物は、その動きを止め、灰となる。
しかし、その勝利にも、水葉の瞳は感情を映さなかった。その目は、さらに奥、やってきた方向の闇へと注がれている。
「……まだ、やつらの気配がする」
「だな。ちょっとこいつは、この村自体やべぇんじゃね?」
アンセムの言うとおり、怪物の気配はまだ多い。
水葉は、暗闇の中を駆ける。地下室を抜け、階段を駆け上がって、二階へと駆け上がる。教会の最上部に上り、鐘を鳴らさねばならない。恐らく、この村自体が使い魔に襲われている。
だが、二階へ上った水葉の足が止まった。屋根裏部屋のようなその部屋にも、先ほどの怪物の姿があった。それも、二体。
一瞬の逡巡の後、水葉は止まることなく二体の怪物に駆け寄る。
そしてその二体の間で、右手の剣を一振り、左手のボウガンを数発、左右の怪物の擬似頭部にそれぞれ打ち込んだ。今度もすばやく退避し、その粘液を避ける。
二体の怪物から飛び散った粘液は互いの方向に飛ぶ。相手を捕らえたと勘違いした怪物が、頭部を出現させ、その牙を相手に食い込ませた。
「ぎいいぃ……っ!?」
互いに自分と同じものに噛み付いたことに怪物が、困惑と痛みで動きを止める。
「馬鹿ね……さよなら」
再び剣を手に肉薄した水葉が、互いに食いつきあったままの怪物の頭部を剣とボウガンで貫いた。
「ぎゃあああああっ!」
倒れ行く怪物の断末魔を背に、水葉は走る。部屋の中央にある階段――――これを上れば、恐らく鐘の元へたどり着けるはずだ。
その予想は当たっていた。階段を上った先は教会の最上部だった。
迷うことなく、水葉はその鐘を鳴らす。くすんだ色の鐘は、それでも自分の出番が来たとばかりに大きな音を響かせた。
その音に、徐々に村の家々に灯りがともっていく。灯りが村を明るく染めていくに従い、今の状況がだんだんと見渡せるようになっていく。
やはり、村自体が怪物たちに襲われていた。最上部から見下ろした村のあちこちに、先ほどのような怪物たちの姿が見える。
やがて村人たちも今の状況に気がついたのか、悲鳴や怒声が響きだし、中には家を飛び出してくるものの姿も見えた。その中に、教会ならば逃げ込めると考えたか、こちらへ向かう数人の人影が見えた。だが、その後ろには怪物が迫っている。
「――――――っ!?」
水葉は逃げる人影を見て、息を飲む。兄弟だろうか、まだ十歳にも満たない、幼い少年よ少女だ。
水葉は迷うことなく、最上部から飛び降りる。着地と同時に子供たちの見えた方向に駆ける。その瞳に、子供たちとそのすぐ背後に迫った、怪物の爪が移った。
「…………っ!」
走る子供たちの上を跳び越し、怪物の爪との間に割って入るように、水葉は飛び込んだ。
「……うくっ!」
その爪が、水葉の脇腹を斬り裂く。だが、水葉はそのまま空中で強引に体勢を整えると、怪物目がげてボウガンを連射した。
「ぎゃああああああっ!」
ボウガンで眉間を貫かれた怪物は、そのまま倒れることもなく霧散する。
着地した水葉が、がくりと片ひざを落とす。少々深く入ったか、脇腹からわずかに出血していた。
が、水葉は表情一つ変えず、立ち上がる。
「……もう、大丈夫よ」
そして、子供たちに優しく微笑んだ。
「う……うわあああああん!」
「恐かった……恐かったよお!」
よほど恐ろしかったのか、少年も少女も水葉の修道服にすがり付いて泣き出してしまった。
「そうね……でももう大丈夫。そこの教会へ入って。そこなら安全よ」
泣きじゃくる子供たちを優しくなだめながら、教会へと入る。
「アンセム……結界を」
「あいよっと」
教会の入り口を結界で封印し、怪物たちが入れないようにすると、そっと子供たちにしゃがみこんだ。
「……君たち、名前は?」
「……トニオです」
「……ルシア」
ぐずぐずと鼻をすすりながらも、子供たちは少し落ち着いたか、それぞれの名前を口にする。
「……そう。落ち着いて聞いてね。なにがあったか、わかる?」
「わかんない。鐘の鳴る少し前に、隣のおじさんが来て、父さんと話してたんだ。そしたらおじさんがあの怪物になって……父さんが『逃げろ』って……」
……人間が、あの怪物に? 水葉は眉をひそめた。あれは、悪魔の使い魔。確かに人間に化けることはできるが、なぜ突然、正体を自ら現すようなことをしたのか。それに、今までの事件は気づかれないように行われていた。これだけの数がいれば人間に気づかれないようになどせずとも、今夜のように一気に仕掛けることもできたはずだ。
そこまで考えて、水葉は頭を横に振る。今は、考えるよりも行動することが必要だろう。
「よく聞いて、トニオ、ルシア。私は、これから貴方たちの両親や、生き残ってる人を助けに行く。貴方たちの家の場所を教えて」
「私たちのおうちは……私たちが逃げてきたほうだよ。お庭に犬のおうちがあるの」
まだ鼻をすすりながら、ルシアが答える。
「そう……わかったわ。私はそこへ行くけれど、二人は絶対ここから出ないで」
不安げにしながらも、二人は素直にうなずく。
その姿に、思わず過去の自分を重ねる。姉の死、そして焼かれる故郷を見せつけられた、過去。ほんの少しまでは、それを思い出すたびに、黒い復讐の念に捕らわれていた。今も、やつらを憎いと思う気持ちに変わりはない。
だが……今は、それ以上に、このような子たちに、自分のような思いをさせたくない。その気持ちのほうが、強かった。
「今なら……あの子の言ったことが、少しはわかるかもしれない」
日本にいる、あの紅い髪の、少女。
「ここを、私の故郷のようにさせはしない……。悪魔たちの、好きにはさせない」
しっかりと、力強い足取りで、水葉は教会の外へ出た。