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思い込みと誤算、そして ①

ー/ー



 ――その日も週末だったため、僕はすっかり絢乃さんに失恋したものと思い込んでしまったまま実家に帰った。

「ただいま……」

「貢、おかえりなさい。……どうしたのあんた、この世の終わりみたいな顔してるけど」

 リビングで出迎えてくれた母は、背中にキノコでも生えていそうな僕を見てそんなコメントをした。どうでもいいが、実の息子相手に何という言い草だろうか。いや、他人にそんなことを言う方が問題だが。

「今日、バレンタインデーでしょ。なのにそんな縁起の悪い顔して。……今年はチョコ、ひとつももらえなかったの?」

「いや、そんなんじゃないけど……。チョコなら今年もドッサリ」

「おう、貢。おっかえり~♪ ぅおっ、今年もチョコ大量だなー。ま、オレには負けるけどな」

 続いて顔を出した兄が、ローテーブルの上にドサッと置いた紙袋を見て能天気にそんな自慢をぶっ込んできた。誰も兄貴(アンタ)のもらったチョコの数になんか興味ねえよと毒づきたくなる。こっちはそれどころじゃないというのに。……元はと言えば自分が()いた種だが。

「…………へぇ。こんなに大量のチョコ、俺一人じゃ食べきれないからみんなで分けていいよ。兄貴も好きなだけ持ってっていいから」

「えっ、マジでいいのかよ? お前、くれた子たちに申し訳ないとかそういう気持ちはねえのか?」

「別に、どうでもいい」

 いちばん好きだと思っていた絢乃さんにふられたと思い込んでいた僕は、不機嫌に吐き捨てた。……が、僕はすっかり忘れていた。帰宅時になって、絢乃さんから頂いた分まで一緒に紙袋へ放り込んでいたことを。

「…………あれ? これ一個だけなんか手作りっぽいのあるけど。これ、もしかして絢乃ちゃんから?」

「………………だぁぁぁ~~~~っ!? 兄貴っ、それだけはダメ!」

 僕はハッとして、兄からギフトボックスを引ったくった。

「これは、俺の! 絢乃さんが、俺のためにわざわざ手作りしてくれたんだよ!」

 大事に大事に箱を開けると、見るからに手の込んでいそうなチョコレートが六粒、茶色い紙のカップに収まって入っていた。プロのショコラティエが作ったもののように見えたが、お菓子作りの得意な彼女ならこのクオリティーでも頷けた。

「あ、それ六個も入ってんじゃん。オレにも一個くれよ」

「ぜってーイヤ! これは俺が全部食うの! 感想聞かせてって言われてるし」

 僕はそう言ってから気がついた。……そうだよ、絢乃さんは俺のことが好きだってハッキリ分かったばっかりじゃん。なんでふられたなんて勝手に思い込んでたんだろう……。

「――ところで貢、あんたゴハンは? 今日は寒いからクリームシチューにしたんだけど」

「うん、腹減ってるからすぐ食うよ。その前に部屋で着替えてくる」

「分かった。もうあんたの分だけだから温め直すわね。お兄ちゃんも早く帰ってきてたから、先に食べちゃったし」

「サンキュ、母さん。そっか、兄貴今日は早番だったんだ」

 僕は絢乃さんからのチョコのフタを閉め、それとカバンを手にして二階の自室へ上がって行った。
 

   * * * *


 ――僕の実家は銀行の社宅ではなく、父の持ち家である戸建てだ。絢乃さんのお宅ほど立派ではないが、ちゃんとした二階建て。暮らしぶりでいえば、中の上くらいだろうか。
 社会人になってからひとり暮らしをしていたものの、毎週末には帰っていたので僕の部屋もちゃんと残っていた。兄とは別々の一人部屋である。

 夕飯を済ませてからもう一度部屋に戻った僕は、デスクの椅子に腰かけて絢乃さん手作りのチョコをじっくり味わっていた。

「美味い…………。これが手作りなんて信じられないな」

 いくつかの層で形成されたチョコはただ甘いだけではなく、ビターチョコのほろ苦さもパンチとして残っていて、なかなか複雑な味だった。
 彼女が材料選びからラッピングに至るまで、どれだけの愛情を込めて下さったのかが一粒食べただけでありありと伝わってきた。

 でも、それと同時に無理矢理奪ってしまった彼女の唇の甘さまで甦ってきて、僕は自分が何という暴挙に出てしまったんだろうという後悔の念に苛まれた。……まあ、自業自得なのだが。

「…………そうだ。絢乃さんにチョコの感想を伝えないと」

 デスクの上で充電していたスマホを手に取ると、メッセージアプリを開いた。
 電話で伝えてもよかったのだが、あんなことがあった後なので出てもらえない可能性もあったのだ。
 実際、彼女からは何の連絡もなかった。チョコの感想を催促されなかったのは、彼女なりの優しさだったのかどうか。


〈手作りチョコ、ありがとうございました。すごく美味しかったです。〉


「…………なんかありきたりだな」

 そう思ったのがそもそもの間違いだったかもしれない。そのせいで、あの後あんな余計な一言まで送信してしまったのだから。


〈でも、僕には絢乃さんの唇の方が甘かったですけどね。〉


「……………………だぁーーーーっ! 何書いてんだ俺は!? こんなの俺のキャラじゃねぇー!!」

 ひとり悶絶してジタバタしていたら、隣の部屋から兄に「うるせぇぞ!」と怒鳴られた。


   * * * *


 ――僕はその後部屋まで飛んできた兄にさんざんからかわれ、根掘り葉掘り訊かれ、グッタリ疲れた状態で朝を迎えた。
 兄は絢乃さんに、僕が情緒不安定っぽかったと言ったそうだが(これはだいぶ後になって知った事実だったが)、誰のせいだよと抗議したくなる。……それはさておき。

 やっと目が覚めて、一階のリビングダイニングへ下りて行ったのは十時近くになってからだった。僕は普段からけっこう早起きな方で、こんなに遅く起きることはめったになかったので、それはやっぱり兄のせいだと思う。もしくは、絢乃さんに対して愚かな行為に及んだ僕自身のせいか。

「――母さん、おはよ。……あれ、父さんは?」

 平日ならともかく、土曜日の朝から父が不在なのは珍しかったので、僕は母に訊いた。 

「朝早くから釣りに行ってるわよ。あんたがこんな朝寝坊なんて珍しいわね」

 父の唯一の趣味が海釣りである。僕も兄も、高校生くらいの頃まではよく一緒に連れて行ってもらっていた。ただ、二人とも父に似ず、釣りのセンスはイマイチだ。

「うん……、夜遅くまで兄貴と色々あってさ。っていうか兄貴、今日も早番って言ってたような。あれでちゃんと起きて仕事行ったのか」

「店長だからでしょう。責任ある立場だから休んだり遅刻したりできないのよ。貢、あんたもそうでしょう?」

「うん、まぁそうかな」

 会長秘書というのは管理職というわけではないが、会長と同じ権限を持っている分重責を伴うのだと小川先輩から聞いた。僕が抜けると絢乃会長の仕事が回らないというのは、そういうことである。彼女の手が回らない分を、僕と加奈子さんとでフォローしているからだ。

「――貢、コーヒー飲む?」

「ああ、自分でやるよ。――母さん、俺も今日出かけてきていいかな?」

「それはいいけど……、どこに行くの?」

 自分でインスタントのコーヒーを淹れて戻った僕は、ふと思い立って母にそう言った。別に行きたい場所がこれといってあったわけでもなかったのだが、家に引きこもっていても何も始まらないんじゃないかと思ったからだ。

「都内のカフェ巡りと……、あとは映画観るとか……かな。昼ゴハンも外で済ませるから。場合によっては夕飯も」

「分かった。昨日からなんか元気なかったものね。好きなだけ気分転換してらっしゃい」

 ――というわけで、僕はこの日、クルマで都内を巡ることになったのだった。夕方に、嬉しい誤算が待っているとは夢にも思わずに。


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 ――その日も週末だったため、僕はすっかり絢乃さんに失恋したものと思い込んでしまったまま実家に帰った。
「ただいま……」
「貢、おかえりなさい。……どうしたのあんた、この世の終わりみたいな顔してるけど」
 リビングで出迎えてくれた母は、背中にキノコでも生えていそうな僕を見てそんなコメントをした。どうでもいいが、実の息子相手に何という言い草だろうか。いや、他人にそんなことを言う方が問題だが。
「今日、バレンタインデーでしょ。なのにそんな縁起の悪い顔して。……今年はチョコ、ひとつももらえなかったの?」
「いや、そんなんじゃないけど……。チョコなら今年もドッサリ」
「おう、貢。おっかえり~♪ ぅおっ、今年もチョコ大量だなー。ま、オレには負けるけどな」
 続いて顔を出した兄が、ローテーブルの上にドサッと置いた紙袋を見て能天気にそんな自慢をぶっ込んできた。誰も|兄貴《アンタ》のもらったチョコの数になんか興味ねえよと毒づきたくなる。こっちはそれどころじゃないというのに。……元はと言えば自分が|蒔《ま》いた種だが。
「…………へぇ。こんなに大量のチョコ、俺一人じゃ食べきれないからみんなで分けていいよ。兄貴も好きなだけ持ってっていいから」
「えっ、マジでいいのかよ? お前、くれた子たちに申し訳ないとかそういう気持ちはねえのか?」
「別に、どうでもいい」
 いちばん好きだと思っていた絢乃さんにふられたと思い込んでいた僕は、不機嫌に吐き捨てた。……が、僕はすっかり忘れていた。帰宅時になって、絢乃さんから頂いた分まで一緒に紙袋へ放り込んでいたことを。
「…………あれ? これ一個だけなんか手作りっぽいのあるけど。これ、もしかして絢乃ちゃんから?」
「………………だぁぁぁ~~~~っ!? 兄貴っ、それだけはダメ!」
 僕はハッとして、兄からギフトボックスを引ったくった。
「これは、俺の! 絢乃さんが、俺のためにわざわざ手作りしてくれたんだよ!」
 大事に大事に箱を開けると、見るからに手の込んでいそうなチョコレートが六粒、茶色い紙のカップに収まって入っていた。プロのショコラティエが作ったもののように見えたが、お菓子作りの得意な彼女ならこのクオリティーでも頷けた。
「あ、それ六個も入ってんじゃん。オレにも一個くれよ」
「ぜってーイヤ! これは俺が全部食うの! 感想聞かせてって言われてるし」
 僕はそう言ってから気がついた。……そうだよ、絢乃さんは俺のことが好きだってハッキリ分かったばっかりじゃん。なんでふられたなんて勝手に思い込んでたんだろう……。
「――ところで貢、あんたゴハンは? 今日は寒いからクリームシチューにしたんだけど」
「うん、腹減ってるからすぐ食うよ。その前に部屋で着替えてくる」
「分かった。もうあんたの分だけだから温め直すわね。お兄ちゃんも早く帰ってきてたから、先に食べちゃったし」
「サンキュ、母さん。そっか、兄貴今日は早番だったんだ」
 僕は絢乃さんからのチョコのフタを閉め、それとカバンを手にして二階の自室へ上がって行った。
   * * * *
 ――僕の実家は銀行の社宅ではなく、父の持ち家である戸建てだ。絢乃さんのお宅ほど立派ではないが、ちゃんとした二階建て。暮らしぶりでいえば、中の上くらいだろうか。
 社会人になってからひとり暮らしをしていたものの、毎週末には帰っていたので僕の部屋もちゃんと残っていた。兄とは別々の一人部屋である。
 夕飯を済ませてからもう一度部屋に戻った僕は、デスクの椅子に腰かけて絢乃さん手作りのチョコをじっくり味わっていた。
「美味い…………。これが手作りなんて信じられないな」
 いくつかの層で形成されたチョコはただ甘いだけではなく、ビターチョコのほろ苦さもパンチとして残っていて、なかなか複雑な味だった。
 彼女が材料選びからラッピングに至るまで、どれだけの愛情を込めて下さったのかが一粒食べただけでありありと伝わってきた。
 でも、それと同時に無理矢理奪ってしまった彼女の唇の甘さまで甦ってきて、僕は自分が何という暴挙に出てしまったんだろうという後悔の念に苛まれた。……まあ、自業自得なのだが。
「…………そうだ。絢乃さんにチョコの感想を伝えないと」
 デスクの上で充電していたスマホを手に取ると、メッセージアプリを開いた。
 電話で伝えてもよかったのだが、あんなことがあった後なので出てもらえない可能性もあったのだ。
 実際、彼女からは何の連絡もなかった。チョコの感想を催促されなかったのは、彼女なりの優しさだったのかどうか。
〈手作りチョコ、ありがとうございました。すごく美味しかったです。〉
「…………なんかありきたりだな」
 そう思ったのがそもそもの間違いだったかもしれない。そのせいで、あの後あんな余計な一言まで送信してしまったのだから。
〈でも、僕には絢乃さんの唇の方が甘かったですけどね。〉
「……………………だぁーーーーっ! 何書いてんだ俺は!? こんなの俺のキャラじゃねぇー!!」
 ひとり悶絶してジタバタしていたら、隣の部屋から兄に「うるせぇぞ!」と怒鳴られた。
   * * * *
 ――僕はその後部屋まで飛んできた兄にさんざんからかわれ、根掘り葉掘り訊かれ、グッタリ疲れた状態で朝を迎えた。
 兄は絢乃さんに、僕が情緒不安定っぽかったと言ったそうだが(これはだいぶ後になって知った事実だったが)、誰のせいだよと抗議したくなる。……それはさておき。
 やっと目が覚めて、一階のリビングダイニングへ下りて行ったのは十時近くになってからだった。僕は普段からけっこう早起きな方で、こんなに遅く起きることはめったになかったので、それはやっぱり兄のせいだと思う。もしくは、絢乃さんに対して愚かな行為に及んだ僕自身のせいか。
「――母さん、おはよ。……あれ、父さんは?」
 平日ならともかく、土曜日の朝から父が不在なのは珍しかったので、僕は母に訊いた。 
「朝早くから釣りに行ってるわよ。あんたがこんな朝寝坊なんて珍しいわね」
 父の唯一の趣味が海釣りである。僕も兄も、高校生くらいの頃まではよく一緒に連れて行ってもらっていた。ただ、二人とも父に似ず、釣りのセンスはイマイチだ。
「うん……、夜遅くまで兄貴と色々あってさ。っていうか兄貴、今日も早番って言ってたような。あれでちゃんと起きて仕事行ったのか」
「店長だからでしょう。責任ある立場だから休んだり遅刻したりできないのよ。貢、あんたもそうでしょう?」
「うん、まぁそうかな」
 会長秘書というのは管理職というわけではないが、会長と同じ権限を持っている分重責を伴うのだと小川先輩から聞いた。僕が抜けると絢乃会長の仕事が回らないというのは、そういうことである。彼女の手が回らない分を、僕と加奈子さんとでフォローしているからだ。
「――貢、コーヒー飲む?」
「ああ、自分でやるよ。――母さん、俺も今日出かけてきていいかな?」
「それはいいけど……、どこに行くの?」
 自分でインスタントのコーヒーを淹れて戻った僕は、ふと思い立って母にそう言った。別に行きたい場所がこれといってあったわけでもなかったのだが、家に引きこもっていても何も始まらないんじゃないかと思ったからだ。
「都内のカフェ巡りと……、あとは映画観るとか……かな。昼ゴハンも外で済ませるから。場合によっては夕飯も」
「分かった。昨日からなんか元気なかったものね。好きなだけ気分転換してらっしゃい」
 ――というわけで、僕はこの日、クルマで都内を巡ることになったのだった。夕方に、嬉しい誤算が待っているとは夢にも思わずに。